闇サイト殺人事件
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闇サイト殺人事件 | |
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場所 | |
標的 | 夜道を1人で歩いていた「貯金をしていそうな」女性 |
日付 |
2007年(平成19年)8月24日 - 8月25日 22時ごろ – 1時ごろ (日本標準時〈JST・UTC+9〉) |
概要 | インターネット上の闇サイト「闇の職業安定所」で集まった男3人組(うち1人は碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件など連続強盗殺傷事件2件の余罪あり)が強盗目的で通りすがりの女性を住宅街路上で拉致し、金品を奪って殺害して遺体を山中に遺棄した[報道 2]。 |
攻撃手段 | ハンマーで殴る、首を絞める[報道 3][報道 4][報道 5] |
攻撃側人数 | 3人 |
武器 | ハンマー・粘着テープ・ロープ[報道 6][報道 3] |
死亡者 | 通りすがりの会社員女性A(事件当時31歳・千種区春里町在住)[報道 1][報道 2] |
損害 | 現金約62,000円、キャッシュカード2枚[報道 6] |
犯人 |
闇サイトで集まった男3人組 |
動機 | 強盗 |
対処 | 愛知県警察が逮捕[報道 1][報道 2][報道 6]・名古屋地方検察庁が起訴[報道 6][報道 8] |
謝罪 |
堀・Xは最終陳述で謝罪し[報道 9][報道 10]、堀は謝罪文を被害者遺族に送るも[報道 11]、いずれも遺族は認めていない[報道 12]。 Kは死刑執行まで謝罪しなかった[報道 13]。 |
刑事訴訟 |
死刑囚Kは死刑(執行済み) 堀・X両受刑者は無期懲役(うち堀は連続強盗殺傷事件の裁判で再び死刑判決を受け確定) |
影響 |
堀は無期懲役が確定した直後に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件などで逮捕・起訴され、同事件の刑事裁判で死刑が確定した[報道 14]。 被害者の母親は「加害者全員への死刑適用」を求めて刑事裁判終結までの5年間で約33万筆の署名を集め、鳩山邦夫法務大臣・但木敬一検事総長(いずれも当時)に対し請願の手紙を送った[報道 13]。その後も犯罪被害者・遺族に対しての支援拡大・権利保護を求め、日本各地での講演活動など積極的な活動を行っている[報道 13]。 作家・大崎善生が事件を題材にしたノンフィクション・『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』(角川書店)を出版した[報道 15]。 |
遺族会 | 全国犯罪被害者の会(あすの会)・殺人事件被害者遺族の会(宙の会) |
管轄 |
愛知県警察(県警本部捜査一課・千種警察署)[報道 1][報道 2] 名古屋地方検察庁・名古屋高等検察庁 |
闇サイト殺人事件(やみサイトさつじんじけん)とは、2007年(平成19年)8月24日深夜 - 8月25日未明に愛知県内で発生した強盗殺人・死体遺棄事件[報道 1][報道 16][報道 2][報道 17][報道 18][報道 19]。
インターネット上の闇サイト「闇の職業安定所」で集まった男3人組が共謀し[報道 19]、愛知県名古屋市千種区春里町の住宅街路上で[報道 3]、帰宅途中の会社員女性A(事件当時31歳)を拉致して同県愛西市内で殺害し、岐阜県瑞浪市内の山中に遺体を遺棄した[報道 20][報道 21][報道 22]。
概要[編集]
インターネット上の携帯電話用闇サイト「闇の職業安定所」で、過去に2件の連続強盗殺傷事件(碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件を参照)を起こした余罪のある者(堀慶末)を含め互いに面識のない男3人が集まり、金品を得る目的で共謀した[報道 19]。3人は互いに素性を知ることなく虚勢を張り合い[書籍 1]、犯罪計画を練った上で面識のない通行人の会社員女性を通り魔同然に強盗目的で拉致・車内で殺害し遺体を山中に遺棄した[報道 19]。事件後になって実行犯のうち1人(本文中X)が量刑の軽減を目論んで自首したことにより事件が発覚した[報道 19]。
名古屋地方裁判所で開かれた刑事裁判の第一審では被告人3人が互いに「主犯は相手だ」と主張するなど責任転嫁に終始したり[報道 19]、被害者を中傷する言動を取るなどした[報道 23]。名古屋地方検察庁は「犯行の凶悪さ・被害者遺族の峻烈な処罰感情」などを踏まえて被告人3人全員に死刑を求刑した[報道 24][報道 25]。殺害された被害者数が1人であることから、1983年の最高裁判所判例で示された死刑適用にあたっての判断基準とされる「永山基準」の下で死刑の適用可否が争点となったが[報道 26]、名古屋地裁は自首した被告人1人(本文中X)には無期懲役判決を適用したものの、残る2被告人(本文中K・堀慶末)には死刑判決をそれぞれ言い渡した[報道 20][報道 21]。3被告人全員が名古屋高等裁判所に控訴したが、うち1人(本文中K)は控訴を自ら取り下げたため死刑が確定し[報道 27]、2015年に死刑を執行された[書籍 2][報道 13][報道 19]。
控訴審・名古屋高裁では堀・X両被告人に無期懲役判決が言い渡され[報道 28][報道 29][報道 30]、2012年までに相次いで確定した[報道 19]。最高裁で検察側の上告が棄却されたことにより無期懲役刑が確定した堀だったが[報道 31]、確定直後に過去の連続強盗殺傷事件の余罪が発覚したことで相次いで逮捕[報道 32][報道 33][報道 34]・起訴され[報道 35][報道 36]、それら余罪事件の刑事裁判にて2019年(令和元年)8月に死刑が確定した[報道 14]。
「携帯電話の闇サイトをきっかけに互いに面識のない男たちが共謀した特異な犯罪グループ」であることに加え、「何の落ち度もない被害者女性に対し無差別に牙を剥いたあまりにも無軌道な犯罪」であること、「加害者らに反省の態度が見られないこと」などが「度し難い犯罪」として日本社会を震撼させ強い衝撃を与えるとともに、犯行グループに対し極刑を求める世論が沸き上がった[報道 19]。
被害者の母親は加害者全員への死刑適用を求め、刑事裁判終結までの5年間で約33万筆の署名を集め、鳩山邦夫法務大臣・但木敬一検事総長(いずれも当時)に対し請願の手紙を送った[報道 13]。その後も犯罪被害者・遺族に対する支援拡大・権利保護を求め、日本各地での講演活動など積極的な活動を行っている[報道 13]。
加害者[編集]
インターネット上の携帯電話用闇サイト「闇の職業安定所」で知り合った加害者3人はいずれも消費者金融から数十万円 - 数千万円の借金を抱えており[報道 6]、金に困っていた[報道 2][書籍 1]。
元死刑囚K[編集]
本事件で死刑が確定した死刑囚Kは1971年(昭和46年)3月9日[書籍 3][書籍 4]、群馬県高崎市内で生まれ[書籍 5][報道 37]、2015年(平成27年)6月25日に法務省(法務大臣:上川陽子)から発された死刑執行命令により収監先・名古屋拘置所にて死刑を執行された(44歳没)[1][書籍 2][報道 7][報道 13][報道 38][報道 39][報道 40][報道 41]。
Kは本事件当時36歳・愛知県豊明市在住の『朝日新聞』勧誘員だった[報道 2]。
幼い頃に両親が離婚したことや、持病の群発性頭痛を抱えたことで非行に走るようになる。少年時代は暴走族に所属し[書籍 5]、1989年(平成元年)には[報道 42]地元・高崎市内の工業高校を卒業後[報道 37]、人材派遣会社などに登録した[報道 43]。このころは家族に対し「自動車関係の仕事をしている」と説明していたが、実際に仕事に就いた形跡はなく[報道 43]、上京後には暴力団関係の仕事をするようになった[書籍 5]。
その後は東京都内の新聞販売店・愛知県内の人材派遣会社など仕事を転々としたが[報道 37]、堀・Xと同様に仕事は長続きせず[報道 43]、各地を転々として名古屋にたどり着いた[書籍 5]。また、事件の10年ほど前(1997年ごろ)から携帯電話で闇サイトを利用していた[報道 6][報道 44]。
求人誌を読んだことをきっかけに[報道 37]、2006年(平成18年)9月から愛知県豊明市内の新聞販売店に入社し[報道 45]、就職後は『朝日新聞』セールススタッフとして[報道 18][報道 45]、寮に住み込みで[報道 45]新聞勧誘員の仕事をしていたが[書籍 1][書籍 6]、勤務態度はあまり良くなく[書籍 6]、仕事を休みがちだった[報道 45][報道 42]。当時は交際相手の女性から時々小遣いをもらうなどして生活していたが[書籍 6]、Kを知る関係者は『中日新聞』の取材に対し「寮付きの仕事とはいえ、給料は完全歩合制でKの月収は平均10万円前後だった。また夏場の外回りはきつく最近の営業成績は伸び悩んでいた」と証言した[報道 18]。同僚によればKは携帯電話の操作が好きで、使い方などを教えるほど詳しかったが[報道 42]、事件前には「出来高払いの月給から約4万円の寮費を差し引くと残りは6万円にしかならない」という状況にも拘らず携帯電話を2台所有して周囲を驚かせていた[報道 45]。
事件発生年の2007年1月には勤務先の社長に「父親が亡くなった。天涯孤独の身だ」と語っていたが、Kの父親は当時群馬県内の故郷で存命しており[報道 45]、事件後には『朝日新聞』の取材に対し「遺族に申し訳ない」[報道 42]「昨年(2006年)春に息子が1か月ほど帰郷したが、それからは音信不通だった。その前も4,5年ほど音信不通だった」と証言した[報道 45]。またKが勤務先に提出した履歴書には「地元の高校を卒業後に職を転々とし、東京都内の人材派遣会社に1997年から9年間勤務していた」と記載していたが、実際に派遣会社に在籍していた期間は2006年4月から3カ月間だけで[報道 45]、その派遣会社によればKは派遣先に愛知県を希望していたほか、父親に対しては「自動車関係で働く」と言い残していた[報道 45]。また2006年 - 2007年ごろには闇サイトを悪用した別の詐欺事件で執行猶予付き有罪判決を受けたが、その後も金欲しさから闇サイトの閲覧・投稿を続けていた[報道 46]。
8月21日22時ごろに金山駅で堀・Xと出会った際には「自分は広域暴力団の構成員となりオレオレ詐欺集団のリーダー格として犯行を繰り返したり、偽装結婚・養子縁組のブローカーなどをしてきたが、オレオレ詐欺で逮捕され罰金1,500万円の刑に処された前科がある」と自己紹介したほか[書籍 1]「大金を得るには覚醒剤を仕入れて売人を雇い秘密組織を作って売りさばくのがいい。女性を拉致して覚醒剤中毒にした上で風俗店に売り飛ばそう」などと提案した[書籍 7]。また8月22日、名古屋市緑区内のレンタルビデオ店でXと犯行の謀議をした際には「自分は過去に2人ほど殺して出身地の群馬県に埋めたことがある。まだ死体は見つかっていない。人を殺すのは平気だ。ゴキブリをたたき殺すのと一緒だ。人を拉致したこともある」と発言していた[書籍 8]。
本事件では第一審・名古屋地方裁判所(近藤宏子裁判長)で2009年3月17日に名古屋地検の求刑通り堀とともに死刑判決を受け[報道 20][報道 21]、判決を不服として同日付で名古屋高裁へ控訴したが[報道 20][報道 21]、2009年4月13日付で自ら控訴を取り下げ、死刑判決が確定した[報道 27]。
起訴後、初公判前に精神的な不安から体調を崩して名古屋拘置所内の自室で首吊り自殺を図ったが、拘置所職員がすぐに発見したため一命を取り留めた[報道 47]。しかしその後もめまいなど体調不良を訴えたため、初公判時は車いすで移動していた[報道 47]。2007年冬以降に『中日新聞』社会部記者・長田弘己と複数回面会して取材を受けていたが、長田との最初の面会の際には共犯の堀・Xを「言い逃ればかりしている」と批判しつつ、被害者遺族への謝罪について問われると「自分は根本的な考えが普通の人とは違う。血を吸っている蚊を叩いて殺したのと同じだ。罪悪感を感じない」と発言した上で「人を殺すことや泥棒、詐欺をすることは悪いこととは思わない」と言い切った[報道 13]。初公判直前には『中日新聞』の取材に対し「(犯行は)覚悟の上でやったことなので罪に対して言い逃れすることはない」と語っており[報道 48]、死刑判決を受けた後は「自分は死刑になって当然だ」と反省の言葉を述べた一方で「やってしまったことは仕方がない」と開き直るなど、名古屋拘置所関係者によれば「本心を掴みづらいタイプ」だった[報道 40]。
その後もKは公で心情を語ろうとせず「凶行に走った動機」「自ら控訴を取り下げ死刑判決を受け入れた理由」も最期まで自ら明らかにすることはなかったが[報道 13]、死刑執行直前には再審請求の検討を始めたり[報道 13][報道 40]、面会した弁護人へ拘置所内の処遇について注文を付けたりと[報道 40]、生きることへのこだわりを見せることもあった[報道 13][報道 40]。
なお2011年には参議院議員・福島瑞穂が当時拘置所に収監中だった死刑囚を対象にアンケート「死刑囚からあなたへ 2011」を実施したが、死刑囚Kは以下のように回答し[書籍 3]、収監先・名古屋拘置所への不満を訴えていた[報道 49]。
「どうか国会で、法相にナゴヤ(名古屋拘置所)はどうなっているのか問い質してください」「私は人殺しですが、鬼ではなく人間です。それだけは忘れないでください」 — 死刑囚K、[書籍 3]
堀慶末[編集]
本事件で無期懲役刑が確定したがその後碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件への関与が発覚し同事件で死刑判決が確定した加害者・堀 慶末(ほり よしとも)は1975年(昭和50年)4月29日生まれ[書籍 9]・岐阜県土岐市出身で[書籍 5]、本事件当時は32歳・名古屋市東区泉一丁目在住の無職だった[報道 2]。
堀は1998年6月28日深夜、当時同僚だった男2人(いずれも無期懲役が確定)と共謀して愛知県碧南市内でパチンコ店長夫婦を殺害し現金6万円などを奪った[報道 33](碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件)[報道 50]。さらにその8年後、本事件の前年となる2006年(平成18年)7月20日には碧南事件の共犯のうち1人と再び共謀した上で高齢女性が一人暮らしをしていた名古屋市守山区内の住宅に押し入り、女性の首を絞めて重傷を負わせて現金25,000円などを奪った強盗殺人未遂事件を起こした[報道 51]。
このように過去に2件の連続強盗殺傷事件を起こしていた堀の経歴から、大崎善生は著書『いつかの夏』で堀を以下のように非難している。
- 「稀代の殺人鬼。人を殺すことを何とも思わない、3度の強盗殺人と強盗殺人未遂を繰り返した悪魔のような男」[書籍 10]
- 「凶器のハンマーを購入したのも、被害者を車に引きずり込んだのも、手錠をかけたのも、ガムテープで口を塞いだのも、真っ先に被害者の頭にハンマーを打ち下ろしたのも、無慈悲に息も絶え絶えの被害者の頭を粘着テープで23周もグルグル巻きにしたのも、被害者の遺体を荷物同然に肩に担いで放り投げたのも、すべて堀だ」[書籍 10]
- 「『何も感じずに無抵抗の女性にハンマーを打ち下ろし、後はお疲れさま。財布にいくらある?』矯正の可能性などあるわけがない。世に放てば4度目、5度目の強盗殺人を繰り返すだけだろう」[書籍 10]
堀は本事件の半年ほど前に失職した後、交際相手女性(飲食店勤務)を頼って[報道 18]女性が住んでいたマンションに転がり込み[報道 18][報道 43]、名古屋市中川区内の(後に犯行標的の候補に挙げた)ダーツバーに入り浸りつつ[報道 43]、ダーツのプロを目指していた[報道 52]。また堀は同店とは別に名古屋市中区内の複数のダーツ店にも出入りしており、チーム対抗のリーグ戦に参加する姿が愛好家の間で知られていたが[報道 45]、その際に周囲には「以前は工場で働いていた」と話しており、金に困った様子は見られなかった一方で「半年ほど前に仕事を辞めていた」とする証言もあった[報道 45]。交際相手女性は堀が警察に出頭を求められる直前まで堀と一緒にいたが「以前は仕事をしていたと聞いていた。今は無職だというが特に変わった様子はない」と語っていた[報道 42]。
事件発生年の2007年6月、ネットサーフィンをしていた中で偶然「闇の職業安定所」を見つけて犯罪稼業に手を染めるようになったが[書籍 11]、当時は交際相手の女性と同居して小遣いを貰って生活していた一方、複数の金融業者から厳しい取り立てに遭っていた[書籍 6]。8月21日午前、自宅近くのファミリーレストランでXと初対面した際には「父親と兄が暴力団員の関係者で、兄は強盗殺人事件を起こし、無期懲役で服役中だ。自分も傷害事件を起こし、懲役2年・執行猶予3年だ」と[書籍 12]、虚実ないまぜの自己紹介をした[報道 52][報道 11]。
堀が行きつけていた一方で犯行標的の候補に挙げられていたダーツバーの店長は『中日新聞』からの取材に対し「明るく人気者だった彼がなぜ…」と困惑した様子で語ったほか[報道 18]、ダーツバーの店員は堀がゲーム後に携帯電話の画面をのぞき込んでいる姿を覚えており「(あの時は)サイト上に表示されるゲームの成績を見ていたのか、それとも闇サイトを見ていたのか…」と戸惑った[報道 45]。堀が最後に中区内のダーツバーを訪れたのは、Xの闇サイトへの投稿に対しKとともに応じた8月17日ごろだった[報道 45]。
堀は本事件で逮捕された当時、「いつ(無期懲役確定後に判明した)連続強盗殺傷事件の余罪2件について追及されるか…」と怯えていたが、結局は判明しなかったばかりか余罪について捜査機関から追及されることもなかった[書籍 13]。堀は当時の捜査状況について「今更どうこう言っても仕方ないと思うが、もし余罪を追及されるようなきっかけが何かあれば自供していたかもしれないし、本事件の捜査段階で余罪2件が発覚していればその事実関係についてもっと正確に話せただろう。結果的に碧南事件で現場に遺留された枝豆の皮から採取したDNA型が自分や共犯者1人と一致したのだから、本事件捜査時にDNA型を採取されたにも拘らずその時点で碧南事件のことにつながらなかったことを残念に思う。もちろん当時自供しなかった自分にも当然非があるが、本事件で採取したDNA型から容易につながる碧南事件を見過ごした捜査機関にも責任があると思う」と述べている[書籍 13]。
本事件の刑事裁判では第一審・名古屋地裁で被告人Kとともに死刑判決を受けたが[報道 20][報道 21]、判決を不服として名古屋高裁へ控訴した[報道 53]。2011年(平成23年)4月12日、控訴審・名古屋高裁(下山保男裁判長)で死刑判決が破棄され被告人Xとともに無期懲役判決を受けた[裁判 1][報道 28]。名古屋高等検察庁が控訴審判決を不服として最高裁判所へ上告したが[報道 54]、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)が2012年(平成24年)7月11日付で検察側の上告を棄却する決定を出したため[報道 31]、本事件に関しては2012年7月18日付で無期懲役判決が確定した[裁判 2]。
無期懲役確定後は名古屋拘置所内で懲役刑受刑者として服役中だったが[報道 32][報道 55]、2012年8月3日に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の被疑者として当時同僚だった男2人とともに強盗殺人罪で愛知県警に逮捕され[報道 33]、本事件発生から5年となる2012年8月24日に強盗殺人罪で名古屋地検から名古屋地裁へ起訴された[報道 35]。さらに翌2013年(平成25年)1月16日には夫婦殺害事件の共犯者1人とともに「2006年に名古屋市守山区内で起こした高齢女性への強盗殺人未遂事件にも関与した」として強盗殺人未遂罪などで再逮捕され[報道 34]、2013年2月6日には強盗殺人未遂罪で名古屋地検から名古屋地裁へ追起訴された[報道 36]。
それら連続強盗殺傷事件で起訴された堀は第一審・名古屋地裁(裁判員裁判・景山太郎裁判長)で2015年12月15日に本事件の第一審以来となる死刑判決を受け[報道 56]、判決を不服として名古屋高裁に控訴したが[報道 57]、控訴審・名古屋高裁(山口裕之裁判長)でも2016年11月8日に死刑判決支持(控訴棄却)判決を受けた[報道 58]。控訴審判決を不服として最高裁に上告したが、最高裁第二小法廷(山本庸幸裁判長)にて2019年7月19日に開かれた上告審判決公判で上告を棄却する判決を受け[報道 59]、判決の訂正を求める申し立ても2019年8月7日付の同小法廷決定で棄却されたため正式に死刑が確定した[報道 14][報道 60]。
堀は死刑確定直前の2019年(令和元年)5月時点で名古屋拘置所に収監されており[書籍 14]、現時点では連続強盗殺傷事件の被告人であると同時に本事件における無期懲役刑の受刑者として服役中でもあるが、死刑確定により今後、無期懲役刑の執行は刑法第51条の規定に基づき検察官が行う「刑執行取止指揮書」の指揮により停止され[書籍 15]、その後は死刑囚として拘置所独房で死刑執行を待つこととなる[書籍 15]。
受刑者X[編集]
無期懲役が確定した受刑者Xは1966年(昭和41年)生まれ[裁判 1]・石川県金沢市出身[書籍 5][報道 43][報道 45][報道 61]。事件当時は40歳・無職で[報道 2]、逮捕直前は「愛知県小牧市在住」と自称したほか[報道 1]、逮捕直後には「本籍地は愛知県津島市」と報道されていた[報道 2]。
子供のころに腎臓病を患ったことや軽度の知的障害を抱えていたことが原因でいじめを受け、高校進学後からその反動で不良として非行に走るようになり、少年鑑別所に収監されたこともあった[書籍 5]。『中日新聞』宛てに送った手紙では「中学校時代にいじめを受けたことをきっかけに30年近く虚勢を張り続けながら生きてきた。自分の犯行を誘う投稿に集まってきた人物(K・堀・窃盗事件共犯者V)は『自分と同類項で金に困り、虚勢を張るような人間』で、そんな連中と虚勢を張り合った末に自制心が働かなくなった」と綴っていた[報道 62]。
高校中退後[注 1]、富山県富山市内で[報道 45]、大手警備会社に就職して7年間勤務した[報道 61]。
1999年(平成11年)8月には住宅ローンを組んで愛知県瀬戸市内の分譲マンションを購入し[報道 63]、妻・子供4人と共に暮らしていたが[報道 43]、このころ(事件の8年ほど前)から既に携帯電話で闇サイトを利用し始めていた[報道 6][報道 44]。2000年(平成12年)ごろからは愛知県内の運送会社を転々としており、同年末から4カ月ほど[報道 45]、豊明市内の運送会社に勤めていたが、その際に「実家の父が病気」と言っては[報道 43]、毎月4万円 - 5万円を[報道 45]会社から借金し[報道 43]、計約30万円を返済しないまま[報道 45]行方をくらました[報道 43]。元同僚らはXの人物像について『朝日新聞』の取材に対し「勤務態度は真面目だった」と口をそろえたが、実際のXは「しばらく働いては突然姿を消す」という生活を続けており[報道 45]、本事件の発端となった「闇の職業安定所」を通じて偽の運転免許証を入手し[報道 18]、その免許証を利用して振り込め詐欺用の銀行口座を設立・販売していた[報道 18]。また豊明市内の運送会社の上司らは『読売新聞』の取材に対し「口数は少なくおとなしいタイプで、自分から人を誘うようなタイプではなかった」と証言したが、Xは各社に提出していた履歴書にて高校を中退していたにも拘らず「卒業」としていたり、勤務年数を偽ったりなど多くの嘘を入り混ぜていた[報道 43]。
その後、金に困るようになると住宅ローン[報道 43]・税金を滞納したため、2002年(平成14年)には瀬戸市などにマンションを差し押さえられた[報道 63][報道 43]。マンションを差し押さえられた直後の2002年12月には[報道 61]、人材派遣会社を通じて[報道 63]瀬戸市内の運送会社に就職し[報道 45][報道 61]、会社が借り上げたアパートに住み始めたが[報道 63]、同社の社長は『毎日新聞』の取材に対し「当時の月給は約30万円だったが、ローンを抱えて生活は苦しく身なりも綺麗ではなかった」と証言した[報道 61]。入社数か月後の2003年にはそのような生活に嫌気が差したためか妻子がマンションから出ていき[報道 61]、Xは妻と離婚した[報道 43]。
2003年(平成15年)8月ごろ[報道 64]、当時勤務していた瀬戸市内の運送会社を通して毎月の給与から代金を天引きする形で[報道 63]、中古車販売店にてトヨタ・スターレットを購入したが[報道 64]、2004年(平成16年)5月ごろには駐車場に荷物を積んだトラックを放置したまま会社に出勤しなくなり[報道 45]、会社を通して購入した車の借金を踏み倒した上[報道 61]、車とともに夜逃げしたため瀬戸市などに再び部屋を差し押さえられた[報道 63]。
その後、闇サイトを悪用した別の詐欺事件で検挙され[報道 46]、2005年(平成17年)7月には詐欺罪により懲役1年2月・執行猶予4年の有罪判決を受けた前科があったが[裁判 1]、った[裁判 1]、その後も金欲しさから闇サイトの閲覧・投稿を続けていた[報道 46]。
瀬戸市から夜逃げした後には同県尾張旭市の運送会社に勤めたがそこでも給料を前借していたほか[報道 43]、他に警備会社・運送会社を転々とし[報道 43]、遺体遺棄現場となった瑞浪市周辺に住んでいたり[報道 65]、殺害現場付近の愛西市で勤務していた時期もあった[報道 42]。詐欺事件で逮捕された後は派遣社員として働いていたが[書籍 5]、事件直前の2007年7月に人材派遣会社を退職して住む場所も失っており[書籍 16]、借金の取り立てから逃れるため[報道 43]、無職で車上生活を続けていた[書籍 5][書籍 16]。車上生活・犯行に使用していた乗用車日産・リバティはかつて闇サイトを利用した盗難保険金詐欺に加担した際の謝礼として依頼主から受け取ったもので[書籍 17]、2006年4月ごろに盗難情報が出されていた[報道 66]。そのナンバープレートはかつて自分が乗っており、自身を使用者として登録されていたスターレットのものに付け替えていた[報道 64]。
また同じく犯行に使用した手錠・ロープはその保険金詐欺依頼主から「もっと金が下りるかもしれない」と闇サイトで紹介された自殺願望者の自殺幇助の仕事を請け負った際、自殺願望者だった同志社大学の学生(当時)が用意していた物だったが、結局その学生が名古屋市郊外の空き地に駐車したリバティ車内で練炭自殺をしようとした際にXが突然気紛れを起こして未遂に終わらせた際に車内に残されていた「[注 2][書籍 17]。
8月21日22時[書籍 18]、金山駅でK・堀と顔を合わせた際には「石川県出身で地元の暴力団に所属してオレオレ詐欺をしていたが、逮捕され広島の刑務所に服役していた」と語っていた[書籍 1]。
逮捕されてから2007年12月までに複数回にわたり『中日新聞』宛ての手紙を寄せたが、それらの手紙の中では犯行の経緯に関して以下のように述べている[報道 62]
- 「なんとなく闇サイトに書き込んだら人が集まり、何となく流されていった」
- 「闇サイトで共犯者を募った理由は『多人数なら、1人よりもやれることが広がり、互いに名前や身分を明かす必要もない。犯罪が発覚する恐れも少ない』からだ」[報道 62]。
- 「共犯者のうち1人が非常に金に困っていたため、すぐに犯罪で金を得る行動に走った。当初は金庫破りなども計画したが、ある共犯者が『過去に殺人・拉致をしたことがある』とほのめかして『今回も女性を拉致して金を引き出そう』と提案したため、その意見に従い殺人という一線を越えてしまった。自分たち3人の罪は一列だと思う」[報道 62]
- 「犯行動機は金目的だ。(犯行後、愛知県警に電話で自首したことについて)死刑が怖かったわけではない。善と悪の心の葛藤があり、この時は善の部分が出た」[報道 62]
- 「犯した罪の責任は取る(刑事裁判で下された判決を受け入れる)。被害者遺族は自分に言いたいこともあるだろうが、私は口先だけの反省・謝罪をするつもりはない」[報道 62]
本事件の刑事裁判では第一審・名古屋地裁で名古屋地検から死刑を求刑されたものの[報道 24][報道 25]、自首が有利な情状と認定されて罪一等を減ぜられ無期懲役判決を受けた[報道 20][報道 21]、その後自身・弁護人とも判決を不服として名古屋高裁へ控訴した一方[報道 53]、名古屋地検も死刑回避判決を不服として同じ名古屋高裁へ控訴した[報道 67]。
しかし控訴審・名古屋高裁(2011年4月12日)では第一審・無期懲役判決が支持されて双方の控訴が棄却され[裁判 1][報道 28]、名古屋高検・被告人X側とも最高裁へ上告しなかったため、2011年4月27日付で無期懲役判決が確定し[報道 68][2]、2017年現在は無期懲役刑で刑務所に服役中である[報道 69]。
被害者女性A[編集]
1976年(昭和51年)7月20日生まれ[書籍 19](31歳没)。事件当時は母親と2人で後述の市営住宅に在住しており[書籍 20]、名古屋鉄道(名鉄)などが出資して大手企業と取引している人材派遣会社に派遣社員として勤務していた[報道 42][報道 70]。なお当時の自宅最寄り駅は名古屋市営地下鉄名城線・自由ヶ丘駅だったが[書籍 21]、Aは通勤に名古屋市営地下鉄東山線を利用していたため[書籍 22]、同線と名城線の乗換駅で自由ヶ丘駅の隣駅である本山駅を利用していた[書籍 23]。2007年8月末で派遣先の会社を退職することとなっていたため事件当日の夕方には同僚が送別会を開いており[報道 71]、通常は19時30分ごろに帰宅していたが、事件当日の24日夜は22時ごろに偶然現場を1人で歩いていたところを襲われた[報道 72]。
Aが1歳9か月だったころに父親が急性骨髄性白血病で死亡したため、その後は母親が女手一つで一人娘のAを育てつつ親族を頼って名古屋市内に移住し、幼稚園入園前の1980年(昭和55年)6月に事件当時母娘2人で住んでいた名古屋市千種区春里町(拉致現場と同じ住所)の市営住宅へ移り住んだ[書籍 24]。大学中退を決断する直前にヴィジュアル系ロックバンド「GLAY」を知って熱中するようになり[書籍 25]、事件後の2016年に角川書店が発売したAの半生をつづったノンフィクション『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』(大崎善生)は生前にAが心から愛したGLAYの曲「いつかの夏に耳をすませば」に由来している[書籍 26]
2007年3月にウェブログ(ブログ)を開設して自ら訪れた飲食店を[報道 73]美しい写真・丁寧な文章で紹介しており[報道 74]、最後の更新となった2007年8月6日には「会社の食事会で中区のフランス料理店を訪れた。また行きたくなるようなお店だったので今度は親しい友人とまったり来たい」という内容で更新していた[報道 73][報道 74]。また生前には名古屋市中区新栄の喫茶店で開かれていた囲碁会に参加しており「初段になる」という目標の下で熱心に対局に取り組んでいたほか[報道 75]、事件直前には囲碁を通じて知り合った男性と交際を開始し、殺害された8月25日にはデートの予定を入れていた[報道 75]。
事件前の動向[編集]
加害者3人が接触[編集]
2007年6月、ネットサーフィンをしていた堀は本事件の舞台となったインターネット上の携帯電話用闇サイト「闇の職業安定所」を知り、犯罪稼業に手を染めるようになった[書籍 11]。堀は早速「闇の職安」で仕事を募ると未払金回収の仕事にありついたが、この時は相手にうまく逃げられて失敗して無報酬に終わり[書籍 11]、2007年7月に「何か仕事はないか」と金目的の犯罪仲間を募集する書き込みを投稿したところ[報道 3]、その投稿にXが反応した[書籍 11]。
堀・Xは2人で電子メールを交換し合うようになり[報道 3]、2007年8月4日[書籍 11]、Xが堀に「いくら必要なんですか」と質問したところ、堀が「ガッツリいきたいです」と返信した[書籍 6]。これを受けたXは「『ガッツリ』ですか。強盗でもするならわかりますが」と答えた上で「自分と組んでみないか?」と誘い、実際に逢う寸前まで行ったが、都合が合わず延び延びになって以降は一時音信不通状態になっていた[書籍 6]。
2007年8月16日[書籍 16][報道 76]、Xは「闇の職安」東海版に「山下」という偽名を使い「刑務所から出てきたばかりで派遣をやっています。仕事はキツすぎ、給料安すぎで実に馬鹿馬鹿しい。東海地方で一緒に何か組んで(裏の仕事を)やりませんか」と[書籍 16]、犯罪仲間を募集する趣旨の書き込みをした[報道 3][報道 18]。翌17日[書籍 11]、この書き込みに男V[注 3](事件当時29歳、闇サイトでは「杉浦」という偽名を使用)が反応し[報道 72][書籍 11]、「何か計画しているものはありますか?」と返信した[書籍 11]。
同月20日[報道 76]、「田中」という偽名を名乗っていた堀が「どうですか、まず一発やりますか?拉致して預金を引き出させる小遣い稼ぎです」という趣旨の電子メールを送信し[書籍 11][報道 76]、同日にはこれに続いてKが「以前はオレオレ詐欺をメインにしていたのですが、貧乏過ぎて強盗でもしたいくらいです」などとメールを返信した[書籍 11][報道 76]。その後もXの投稿にはいくつかの反応があったが、Xは直感的にK・堀・Vの3人を選び出し[書籍 11]、互いに連絡を取り合うようになった[報道 3]。
XがK・堀・Vの3人に対し自身が闇サイトで用いている「山下」の名は偽名であることを断った上で「山下40歳」「刑務所を出てから、派遣でセコく生活している」「オレオレ詐欺系の偽造・口座の売人をやっていた」という自己紹介の文言を送信したところ、堀はこれに対し同じく「田中」の偽名を使用した上で「32歳です。回収で無理して2か月前に刑務所を出所したばかりです」と返信した一方、Kは3人の中で唯一実名を名乗った上で「執行猶予中の36歳です」、Vは「杉浦(偽名)です。薬物事犯で逮捕歴が1度あります」とそれぞれ返信した[書籍 11]。
他の3人が偽名を名乗る中でKだけは本名を名乗っていたが、大崎善生はその理由を「“Kには『これから仲間になろうとする人に偽名は無礼だ』という実直さがあった”という見方もあるが、これにはKなりの深慮遠謀があった。“もし将来これが原因で捕まった時に偽名を使っていると、捜査機関から『最初から犯罪を確信していたのではないか』と推測されてしまうだろうが、本名ならば『まさか犯罪とは考えていなかったが、悪い奴らに引きずり込まれていった』と考えてくれるだろう、という悪知恵からだ”との見方もある」と推測している[書籍 6]。
堀は2007年8月21日9時ごろ、自身が在住していたマンション付近にある名古屋市東区泉のファミリーレストラン「デニーズ高岳店」で初めてXと顔を合わせ、そこでXに対し「父・兄が暴力団関係者だ。兄は強盗殺人を起こし無期懲役で服役中だ。自分も傷害で懲役2年食らったが、執行猶予がついた」などと自己紹介し、Xも「石川県の暴力団にいた。詐欺で実刑判決を受けた」などと脚色を交えつつ簡単な自己紹介をした[書籍 12]。堀はその後Xが運転するリバティに同乗して2人で移動し、11時30分ごろにVが待っていた同県豊川市内のパチンコ店「パチンコ豊川コロナ」へ到着した[書籍 12][報道 3][注 4]。
堀・X・Vの3人はこの時点でまったく無計画に集まっていたが[書籍 27]、その後豊川市内のファミリーレストラン「デニーズ豊川末広店」に移動して簡単な自己紹介をしあった後「これからどんなことをしようか?」と話し合った[書籍 12]。Vは「このままでは2日後(8月23日)にアパートを追い出されてしまうのでその前にとにかく現金が必要だ。夜間金庫かパチンコ屋を狙うのがいいのではないか?」と提案した上で、堀・X両名に自分の知り合いで窃盗前科がある者の名前を挙げて「マイナスドライバーでガラスのドアを破り、閉店後の店内に侵入する方法を教えてもらっている」と話した[書籍 27]。これを受けてXはこの時点では面識はなかったものの「オレオレ詐欺のトップ」などと名乗っていたことから「犯罪経験が豊富だ」と判断していたKにメールで「金庫破りか、金を持っている人を拉致して預金を引き出す計画を3人で話し合っている。アドバイスが欲しい」と相談し、Kから「金庫破りや事務所荒らしをやるなら下見をしっかりした方がいい。夜間金庫かパチンコ屋の景品交換所を襲うのがいいのではないか?」と返信を受けた[書籍 27]。堀・X・Vの3名はしばらくそのメールを眺めながら話し合った後、堀が「自分が通っている名古屋市内のパチンコ店には大金を持って勝負しに来ている常連客がいる。その常連客は財布の中にいつも100万円くらい入れているようだから、駐車場で車から降りてきたところを襲撃して怯んだ隙に財布・カバンを盗むのはどうだろうか?」と提案した[書籍 27][報道 3]。これに対しX・V両名はともに賛成し、Xは「金属バットでやろうか?」と提案したが、堀は「それだと目立ちすぎるから別の凶器を使おう」と提案した上で「自分は(その標的の常連客に)顔を知られているのでバックアップはするが、実行犯は2人でやってほしい」とも答えた[書籍 28]。ほどなくしてKから「話し合って、結局何をすることになった?」というメールが入ったため、Xは「田中(堀)の提案で強盗をすることになった」と返信した[書籍 28]。
ファミリーレストランを出た3人はその付近にあるホームセンター「DCMカーマ豊川東店」に移動して犯罪に使う道具を購入することとなり[書籍 28]、堀はX・V両名を駐車場に待たせて1人で店内に向かい、軍手・後に本事件で凶器に使われたハンマーを購入した[書籍 27]。3人はその後Xが運転するリバティに相乗りして東名高速道路を経由して名古屋市内に戻り、堀が言及した常連客がいた名古屋市中区新栄のパチンコ店「キング観光サウザンド栄東新町店」へ向かった[書籍 28]。堀は、いつもの列・機種で遊んでいた標的の常連客男性を見つけ出すと、すぐに地下駐車場で待機していたリバティに戻り、Vに標的の遊んでいた台の番号を教えた上で地下駐車場に通じるエレベーターの出口で待ち伏せさせることにした[書籍 28][書籍 7]。
16時、男性が大型のレクサスに乗車して家路に就いたため、Vは急いで車に戻り堀・Xとともにレクサスを尾行した[書籍 7]。堀は「とにかく(標的の)家を突き止めよう。それから家に乗り込んで強盗に入り、現金・キャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出そう」と手はずを立て、X・V両名も同意していたが、突然尾行していたレクサスがラーメン屋の前で停車したため、Xが慌てて停車したところそのレクサスの後ろではなく前に停車してしまったため「これはまずい」と思ったためか、車を出して信号を左に曲がり、道を一周してラーメン屋の前に戻ったが、レクサスは既に用を済ませたためか姿を消しており、パチンコ屋の常連客を襲う計画は目標を見失う形で失敗に終わった[書籍 7]。この失敗を受けてXはKに「途中まで尾行したが撒かれた。ナンバーは控えたので身元割り出し中だ。『今度4人で会わないか?』ということになったがどうだろう?」と送信し、Kは「JR東海・名鉄・名古屋市営地下鉄の金山駅で21時 - 22時ぐらいに会おう」と返信した[書籍 7]。
その後、堀・X・Vの3人は「作戦を練り直そう」と名古屋市名東区一社のファミリーレストラン「デニーズ一社店」に入り、Kとの待ち合わせ時間までまだ時間があったため、ファミリーレストランで犯行の謀議をすることとなった[書籍 18]。堀はその場で「天白区平針方面には多くの邸宅が立ち並んでいるが、自分の知り合いがそこの大豪邸に住んでいる。その人物の家に空き巣に入ろう」と提案し、X・Vも賛成した[書籍 18]。3人は早速、車で天白区方面に移動して堀が前述した大豪邸を見つけ、人の気配がないことを確かめると「鍵のかかっていない扉・窓がないか?」と探したが、家の中から猛烈な飼い犬の吠え声が周辺に甲高く響き渡ったため、犯行が露見することを恐れてその家を離れた[書籍 18]。それ以降も3人は「空き巣に入れそうな家」を探して歩き、その途中でVがホームセンターでマイナスドライバーを2本万引きしてきたが、標的をなかなか見つけることができなかった上にKとの待ち合わせ時間が迫っていたため、犯行を断念して金山駅に向かった[書籍 18]。
堀・X・Vの3人は金山駅でKを待っていたが、Vは「アパートの入居期限が切れるので、どうしても荷物を出さなければならない」として同駅で別れ、Kと合流することなくそのまま電車で帰宅した[書籍 18]。22時ごろになってKが原動機付自転車で金山駅に到着し[書籍 18]、その直後の22時過ぎごろになってK・堀・Xの3人は同市中区内の路上に駐車したリバティの車内で[報道 3]、様々な犯行計画について相談した[書籍 1]。当時の状況はK曰く「はったりのかまし合い」、X曰く「虚勢の張り合い」という状況で[書籍 1]、それまでの犯罪歴などについて2時間ほど虚実ないまぜの犯罪自慢をしあっていた[書籍 1][報道 52][報道 11]。またKはさらに覚醒剤・拳銃の密輸・密売や「女性を拉致して覚醒剤中毒にし、風俗店に売り飛ばす」など「犯罪で金を得るための提案」をしたが[書籍 1]、その際は結局「パチンコ店の常連客を襲う強盗が一番金になる」という話でまとまった[報道 3]。続いてXは、パチンコ店の常連客を襲撃する計画が失敗に終わったことなどを話し始め、これに対し堀がレジ袋の中からホームセンターで購入したハンマー・軍手の束を取り出してKに見せた[書籍 1]。これに対し、Kは「軍手に滑り止めが付いていない」と指摘した上で「こんなハンマーで(人を)たたくと、死んでしまわないか?」とも発言したが、堀は「ああ、そうですね」と軽く返し、Kから「最後までやるのか?顔を見られたら殺すんでしょう?」と問われても[書籍 1]、「仕方ないですよね」と顔色一つ変えずに答え、Xも「その時はその時です」と同調した[書籍 29]。Kは「自分が手掛けた偽装養子縁組の子役の男が金を振り込んだにも拘らず役目を果たさず逃げた。その男を捕まえればある程度の金はすぐに手に入る」と提案したため「パチンコ店常連客の襲撃と並行してその男の襲撃を行う」ことで話がまとまり、この日は解散した[書籍 29]。Kはそれまで主に詐欺を行っていたこともあり「強盗などの短絡的な方法ではなく詐欺組織のようなものを立ち上げてゆっくりと稼ごう」と考えていたが、堀が「今週中に30万円欲しい」と言ったほか、Vも「家賃が明後日までに払えないと追い出されてしまう」と言い、Xも金に困り切羽詰まっていた状態だったため、「見知らぬ者同士が見栄を張り合っているうちに、強盗殺人も辞さない方向へと向かっていく」という事態に陥っていた[書籍 29]。
2007年8月22日6時ごろ、Xはリバティで堀を自宅付近まで迎えに行った後、Kからメールで教えられた偽装養子縁組の子役の住所(男が養子縁組した母親役の家)へと向かったが[書籍 29]、対応した養母から「息子はいない」と言われたため、堀・X両名は夕方に再び前述のパチンコ店で会う約束をして別れた[書籍 8]。
Xは同日昼ごろ、名古屋市緑区内のレンタルビデオ店駐車場でKと落ち合い、車内でVの合流を待ったが、その際にKがXに車内で「殺人の経験がある」とほのめかす話をしたり、Xも「レイプ・恐喝なら何度もやっている。女をさらうのは簡単なことだ」と自慢したりと、互いに虚勢を張り合うような会話をしていた[書籍 8]。またこの時、Xはあらかじめ持参したステンレス製の手錠をKに見せた[書籍 8]。
しかし約束の時間になってもVが現れなかったため、K・X両名は「携帯電話の出会い系サイトを用い、援助交際をしている人妻を呼び出して現金を恐喝したり『援助交際していることをばらすぞ』と脅迫したりして金を得よう」と計画を立て、出会い系サイトで女性との接触に成功し「名鉄名古屋本線・栄生駅で待ち合わせたが、やってきた女性はK曰く「朝青龍みたいな女」だったため、連絡を受けたXは「お帰りいただきましょう」と返信した[書籍 30]。同日16時ごろ、K・X両名は堀が待っていたパチンコ店に移動して堀と合流し、3人で地下駐車場で常連客の待ち伏せを続けた[書籍 30]。この日は常連客がエレベーターで駐車場まで降りレクサスで家路に就いたところを尾行し、その自宅と思われる千種区内の高級マンションまで気付かれることなく尾行するのに成功し、Kがリバティを降りてマンションの地下駐車場で様子を見に行ったが、駐車場には少なくとも5,6台の防犯カメラが設置されていたため、それを報告された堀は「それじゃあ無理ですね」と諦めたかのような発言をした[書籍 30]。しかしKは「常連客の部屋に乗り込んで殺してしまえばいい。どうせ顔を見られるのだから殺してしまった方が早いだろう」と語気を強めて主張し、この「強盗殺人の2度目の具体的な提案」に対し堀・Xともに異議を唱えなかったため、強盗殺人の共謀が成立したが[書籍 31]、マンションの警備が厳重だったため襲撃計画はいったん中断し、再び緑区内のレンタルビデオ店駐車場に戻った[書籍 32]。
3人は18時過ぎに遅れてやってきたVと合流し、4人で初めて顔を合わせることとなった[書籍 32]。この時はリバティ車内で「Xが運転し、Kが助手席・堀が2列目シートの運転席後・Vが助手席後ろ」にそれぞれ着席していたが、昼の待ち合わせから顔を見せなかったVに対しKは「自分は暴力団住吉連合の一員だ。オレオレ詐欺のトップをやっており群馬で2人殺したことがある」などといらだちを明らかにしながら告げた上で「これだけの人間を何時間も待たせて連絡もしないなんて指詰め物だぞ。お前は(暴力団)組織の人間じゃなかったんだろう」と迫った[書籍 32]。その上でKはVに「パチンコ店の常連客は自宅に押し入って殺すことに決めたが、お前はどう思うんだ?」と迫り、堀も「やるのか、やらないのか」と畳みかけたが、これに対しVは「強盗殺人は法定刑が死刑か無期懲役しかないから嫌だ」と言い[書籍 32]、Kは「じゃあ直接手を下さなくてもいい。俺と堀がやる」と返した[書籍 33]。その後XはVに「嫌なら降りてもいいよ」と言ったが、Vは「人を殺すのは嫌だが、仲間外れにされるのも困る」と考えていたため「そんなことは(「嫌だ」とは)言っていないじゃないか」と反論したため、KがVに「Xが会社に勤めていた時、勤務先社長の息子宛に来た書留を自分が本人を装って受け取り、中身のクレジットカードを入手している。それを使って買い物ができるか確かめてみろ」と提案した[書籍 33]。Vはその命令通りコンビニエンスストアへ向かい、Xが持っていた他人名義のクレジットカードでたばこ2箱を買うことに成功した[書籍 33]。この時点では「最初に声を掛け、車を提供し、最年長でもある」Xが暫定的なリーダー格、2番手のKも「犯罪歴・歯切れの良さでXに肉薄している」、堀は「順位争いには興味を示さず、むしろ2番手・3番手に成り下がろうとしつつ犯罪のアイデアだけを淡々と提供し続けている」という「微妙な力関係」が生じており、最年少のVが下っ端という状況だった[書籍 33]。
クレジットカードが使用可能だったことを受け、Kは「ドン・キホーテに行き金のネックレスを購入して換金しよう」と提案した[書籍 34]。他の3人もこれに同意したため4人で中川区のドン・キホーテに向かい、金のネックレスを購入しようとしたがこれは失敗に終わった[書籍 34]。「クレジットカードを照合する機械によって結果が違うのではないか?」と考えた4人は一宮市内のドン・キホーテに向かおうとしたが、その途中で「相性が良いと思われたコンビニ」を見つけたため、そこで再びたばこを買おうとしたがこれも失敗に終わったため、金のネックレスを購入して換金する計画は断念した[書籍 34]。Kはその後、偽装養子縁組の子役が日進市内のアパートに在住していたことを受けそのアパートに向かうことになったが、アパートは既に引き払われた後だったため、Kが慌てて子役に連絡を取ったところ、子役は「引っ越してもう何カ月も前から東京にいる」とのことだった[書籍 34]。
これを受けて同日22時ごろ[報道 3]、堀は「自分が常連として通っている中川区内のダーツバーは、閉店間際ならば1日の売り上げが現金20万円 - 30万円と置いてある。閉店後は店長がバックヤードにて1人で仮眠を取っているのでそこを襲うのはどうだろうか?」と提案した[書籍 35]。堀はこの時「自分は顔が知れているため直接手は下さず、車内での見張り役・運転手役をする」という条件を提示し、3人とも賛成したため標的のダーツバーに向かったが、この日は定休日だった[書籍 36]。しかしKが1人で車を降りて様子を見に行ったところ、エアコンの室外機が回り人の気配があったことから「押し入って店主を殺し、金を奪おう」ということで話がまとまった[書籍 35]。Vが殺人行為を拒絶しており堀も顔見知りであることから直接手を下せなかったため、襲撃実行犯はK・X両名ということとなったが、この時点で既に4人とも「互いに意味もない虚勢を張りつつ、引き返すこともできず、殺人も辞さない強盗殺人集団のようになり、狂気に支配された」状態に陥っていた[書籍 35]。しかしその中でもまだ冷静さを保っていた堀は「この時点ではまだ小中学校の夏休みだから、オーナーの子どもが休日に頻繁に店に泊まりに来ている。今日もいるかもしれない」(=子供を含めて2人殺さなくてはならなくなるかもしれない)と発言した[書籍 37]。同時に堀は「自分は店長と顔見知りだから実行役はできないが殺害するのなら話は別だ」とも発言したが、外の様子をうかがっていたKは「ダーツバーのすぐ後ろに照明の点いた木造アパートがあるから、店内で悲鳴を上げられるとそのアパートに筒抜けになる危険性がある」と指摘したため、このダーツバーの襲撃も断念することとなった[書籍 37]。
日付が変わる直前の同日深夜、下っ端として扱われていたVは「昨日から2日間ずっとこうしているが何の稼ぎもない。大の大人が4人も揃ってるんだから逃げ腰にならずにすぐにやってしまえばいいじゃないか」と不満を爆発させ[書籍 37]、「住んでいるアパートの賃貸借契約期限が迫っている。契約更新の資金が欲しい」という理由からKら3人に対し「誰かを襲って金を奪い取ろう」と持ち掛けた[報道 3]。これに対しKは「だったら今から男でも女でも手あたり次第、誰彼構わずやってしまおう」と発言した上で「若い女を拉致して金・キャッシュカードを奪い、暗証番号を言わせれば結構な金が手に入る。女をどこかに監禁しておけばついでに輪姦できる。ヤバくなったら最後は殺してしまえばいい。俺は女を拉致して金を奪ったことがあるが今もばれていない」と発言した[書籍 38]。このKからの「通行人の女性を通り魔的に襲撃して殺害する強盗殺人」などの計画提案に対し[報道 3]、Vは言葉を濁したが[書籍 38]、堀・X両名は賛同した[書籍 38][報道 3]。その後、3人はターゲットについて話し合うこととなり、まずはキャバクラ嬢が候補に挙がったが、Kからは「キャバクラ嬢はホストクラブに通っているのが多いから金を持っていない。やるならソープ嬢の方がいい」という意見が出たが[書籍 38]。しかしXが「キャバクラ嬢にせよソープ嬢にせよ、実行する場所は名駅・栄になるが、車での逃走が難しい」と指摘した[注 5][書籍 38]。加えて堀は「風俗嬢はあまり金を持っていない」と指摘し[報道 3]、さらに自身の父・兄が暴力団関係者だったため「ソープ嬢は経験上抵抗が激しいし、バックには必ずヤクザが付いている」という理由で「風俗嬢をターゲットにする提案」には終始消極的な態度を示した[書籍 38]。その後、堀はXにより自宅に送り届けたが別れ際に「明日やろう」と発言し[書籍 40]、Kも原付で帰宅したため残るはX・V両名となった[書籍 40]。
Xと2人きりになったVは「空き巣でも強盗でもいいからすぐに金が欲しい」と考えていた一方で殺人には強い抵抗感を示していたため、「犯罪組織を結成して儲けよう。何かあれば最後は殺してしまえばいい」というKの考えとは相容れず、Kの態度も「自分を最初から見下している」と強く不満を抱いていた[書籍 40]。このことからVは「Kを外して自分と堀・X両名の計3人で組みたい」と考えており、これに多少共感していたXはその旨を堀に電話で伝えた[書籍 40]。しかし堀は「Kが持っている覚醒剤・拳銃の密輸ルートを手放したくない」としてKとの関係解消について消極的な態度を示した一方で「それとは別の話」として単発即金になる2人の計画に対し「いつでも協力したい」と表明した[書籍 40]。
事件前日[編集]
事件前日の2007年8月23日、VはXに「豊橋市内のスーパーマーケットを襲撃しないか?」と提案したが、Xは同日11時ごろにV宛のメールで「(強盗の)計画を立てていくには時間がかかりそうだ。堀と組んで3人でパチンコ店の常連客を襲おう」と提案したほか[書籍 40]、Xが堀に「Vが『すぐにでも強盗をして金を得たい』と言っている」と報告して堀から「参加する」と回答を得た[書籍 41]。昼ごろ、Xは堀とリバティ車内で落ち合った際に堀から「ダーツバーの店長が売上金を持ち歩いているので、それを襲えばいい」と新たな犯罪計画を提案され、2人でそのダーツバー店長宅を下見に行き「襲撃する」と約束した上で堀を自宅に送り届けて別れたが「今度もどうせうまくいかないだろう」と考えたため、堀との約束を反故にしてVを呼び出し、名古屋市瑞穂区内のビデオ店で落ち合った[書籍 41]。『中日新聞』2007年8月31日朝刊によれば、XはKにも事務所荒らしを持ちかけたが、Kは「(あなたたちとは)考え方が違う」などとして賛同せず、この日行われた事務所荒らしには加担しなかった[報道 78]。
Vはその場でXに「豊橋で狙っているスーパーがあるから一緒に強盗をやろう」と提案を受けたが「下見に時間がかかる」という理由からXがかつて住んでいた瀬戸市に向かい、その途中でXが尾張旭市内のガソリンスタンドに立ち寄って給油した際に「ここは24時間営業なので、後でここに押し入ろう」と提案した[書籍 41]。給油後、Xは20時ごろに「強盗のための道具を用意しよう」と考えて名古屋市守山区内のローソンで粘着テープを購入し、次いで20時30分ごろにはVがジャスコ(現:イオン)で刃渡り18.6cmの包丁を万引きして入手した[書籍 41]。その後2人はスギ薬局で「店から出てくる店員を包丁で脅して強盗しよう」と目論んだが、店を訪れた際には店内には客が多数おいたため「どこの出口から店員が出てくるのか」さえ把握できず侵入の機会を掴めなかった挙句[書籍 41]、閉店間際まで待ってみてもますます客の数が増えたために襲撃を断念した[書籍 42]。2人はその後前述のガソリンスタンドへ向かったが、同店はXが瀬戸市内に在住して利用していたころこそ24時間営業だったものの、その後は23時閉店に変更されていたため、結局このガソリンスタンドへ押し入る計画も失敗に終わった[書籍 42]。
犯罪計画が相次いで失敗に終わったことで「あまりの馬鹿馬鹿しさに頭にきた」VがXに対し言葉を荒げるなど反抗的な態度を取るようになり、車内の雰囲気が険悪になっていた中でXはレンタルビデオ店を見つけ、そこで万引きをさせようとVを店内に向かわせてビデオを万引きさせたが、中身は空だった[書籍 42]。その状況の中でXは23時50分ごろ[報道 72]、かつての勤務先[書籍 42](愛知郡長久手町(現:長久手市)内の水道工事会社事務所)[報道 72]に手提げ金庫があったことを思い出してその事務所に向かった[書籍 42]。日付が変わった2007年8月24日0時過ぎ、Vがドライバーで[書籍 42]、事務所1階入口のガラスを割り[報道 72]、ドアの施錠を外してXとともに金品を窃取する目的で侵入したが目当ての金庫は見つからず、XはVが年少者にも拘らず自分に反抗的な態度を取ることに腹を立てたため、何も言わずにVを置き去りにしてそのまま車で現場を立ち去った[書籍 42]。事務所に置き去りにされたVはしばらく「Xは人の気配でも感じてこの場を離れただけで、しばらくすれば戻ってくるだろうと考えつつ気配を潜めてXが戻ってくるのを待っていたが、いつまでもXが戻ってこないばかりか、Xが乗って去っていったリバティ車内に自分の携帯電話を忘れていたため、土地勘のない場所で1人取り残され連絡を取ることさえできなくなった[書籍 43]。これに加えてVは当時所持金が200円程度しかなく[報道 72]、「バカらしくなった」ことに加え[書籍 17]、犯罪を繰り返すことに嫌気が差していたこともあったため「これを転機に」と考え[報道 79]、翌8月24日0時55分[報道 77]、名古屋市名東区内の公衆電話から自ら110番通報して自首した[報道 72]。
その後、Vは公衆電話へ駆け付けた名東警察署員により身柄を確保されると3時20分[報道 77]、建造物侵入・窃盗未遂容疑で[報道 72]、名東署に緊急逮捕された[報道 79]。Vは同署の取り調べに対し「闇サイトで1週間前(8月17日)『山下』を名乗っていた男(=共犯者X)に誘われて盗みに参加した。Xと共謀して数日間にわたり窃盗などの犯罪を繰り返した。8月21日には豊川市内でXに加えてK・『田中』(=堀)両名とも会った」などと供述した[報道 79]。
事件当日[編集]
拉致・殺人計画[編集]
Xは当時車上生活をしており車を持っていたため、K・堀と出会って以降はほぼ毎夜にわたりK・堀両名を同乗させて堀の自宅周辺の東区や北区・千種区などを中心に名古屋市内を走り回り、人気のない場所を1人で歩いている女性を探し続けていたが、そのような標的が明け方まで見つからない日々が続いたため「その度にK・堀をそれぞれ自宅周辺まで送り届け、夜になると再び2人を迎えに行く」ことを繰り返していた[報道 72]。
一方で空き巣現場の事務所にVを置き去りにして逃げたXは2007年8月24日午前1時、Kに「Vは別れてメンバーから外した。行動しても失敗続きで収穫ゼロだ。自分も指名手配されるかもしれない。迷惑をかけて申し訳ない」などと複数回にわたり謝罪のメールを送信した[書籍 44]。KはXを許すつもりはなかったが、とりあえず堀に相談したところ「Vが『どうしても』ということでXも仕方なかったのだろう。ちゃんと謝罪させるから今回だけは許してほしい」と返信されたため、20分後にXから「Vと別行動した」ことを謝罪された際には堀とともに了解した[書籍 44]。しかしK・堀の2人からしてみれば「強盗のような犯罪はある程度の人数がいた方がやりやすいし、Xは自動車を持っているから」という理由で共謀しているにすぎず「使えるだけ使って後はポイ捨てしよう」という認識でしかなく[書籍 44]、この件で3人の格差は「Kが事実上リーダー格>堀>Xが最下位」となった[書籍 45]。
Xは13時ごろに堀を迎えに行くと15時にKと名古屋市緑区鳴海のレンタルビデオ店「TSUTAYA」へ向かい[書籍 45]、同店駐車場にリバティを駐車した[報道 3]。その後、3時10分ごろになってKが堀・Xと合流し[報道 80]、Xが車内でVと別行動したことを改めて2人に謝罪してから3人で新しい犯罪計画を話し合い始め、XがVに万引きさせた包丁を見せて「これがあれば人を殺せるか?」と聞くとK・堀は何も言わず頷いた[書籍 45]。続いて堀が前夜と同じく「今週中にどうしても30万円ぐらい欲しい」と言うと、Kは「それならば今日中に何とかしなければならない。女性を拉致・監禁して現金・キャッシュカードを奪おう」とそれまでに数回話題になった計画を改めて持ち出した上で「最後は殺害しよう」と2人に提案すると、2人ともそれぞれ「いいぞ」と答えた[書籍 45]。これにより3人は「力の弱い女性を襲い、クレジットカード・キャッシュカードなどのカード類・現金を奪って殺す」という強盗殺人の計画を立てた[報道 18]。
その後3人は名古屋市北区内のファミリーレストラン「デニーズ黒川店」へ移動し[書籍 45]、15時過ぎから4時間ほど滞在している間にお替り自由のコーヒーを注文したのみで4時間にわたり犯行計画を話し合った[書籍 46]。Kは当時「堀はいつも一歩引き下がる頭の良さがあるが、もしかしたら犯罪を犯して逮捕された後のことを計算に入れてそのような言動をしているのではないか?」と疑念を抱いており、Xのことも「自分が誘いをかけると乗ってくるからまるで『100円ライターのような男』だ。燃えている間に使えばいいが、人を疑ってかかるような目つき・時折浮かべる人を馬鹿にしたような薄笑いが好きになれないし、何より自分の方が年上なのに態度・口の利き方が腹立たしい」と内心嫌っていた[書籍 5]。ここでも本名を名乗ったのはKだけで、堀は「田中」、Xは「山下」とそれぞれ偽名を名乗ったため、3人は互いの素性どころか本名さえ知らないまま共謀していたが[報道 18]、大崎は「それでも性格のようなものはおぼろげに掴みかけていたかもしれない」と推測した[書籍 5]。
風俗嬢の拉致は堀が、名駅・栄近辺での拉致はXがそれぞれ反対して却下されたため、堀はそれに代わり「OLの拉致」を提案した[書籍 39]。Kは「今日は24日(金曜日)で明日(8月25日・土曜日)が給料日だ。普通は今日(給料が)出ているはずだからちょうどいいだろう」と賛同した上で「黒髪・ストッキングを履いているようなブランド品などを持っていない地味な感じのOLならば相当な貯金額があるだろうから、しばらく拉致・監禁すればある程度のまとまった金額を引き出せるはずだ」と述べた[書籍 39]。その上でKは「現金自動支払い機(ATM)だと1日に50万円までしか引き出せないから今日中に暗証番号を聞き出して50万円を引き出せば明日・明後日・明々後日と4日連続で合計200万円(50万円×4)は引き出せるだろう。仮に家族と同居しているOLだと家族がすぐ警察に届け出る恐れがあるから標的は1人暮らしのOLがいい。自分は過去にやったことがあるが、一人暮らしのOLの部屋に居座って監禁することもできる」と発言し[書籍 39]、最終的に「通行中のOL風の女性(20歳代後半 - 30歳代程度の年齢)を拉致して金を奪った後、犯行の発覚を阻止するため被害者を殺害し遺体を遺棄する」という具体的な犯行の計画で共謀が成立した[報道 3]。
堀は監禁目的の部屋を手配しようとして名古屋市名東区高針のアパートに住んでいた友人[注 6][書籍 39]に連絡を取り「3日くらい部屋を使わせてほしい」と相談したところ、その友人から「自分は現在電気代を滞納しているため電気の供給を止められており、友人の家で寝泊まりしているから自由に使ってよい」と返事を得た[書籍 47]。その上でそのアパートを「滞納していた電気代を肩代わりすること」を条件に2万円で借り受ける約束をしたが、Kは堀から「アパートには駐車場がない。部屋は電気代を払う必要がある上に1階の一番奥で、隣室の住民は神経質だ」などと聞かされたため「その部屋の使用を保留しておこう」と伝えたものの、堀・Xの2人にはKの意図が正確に伝わらなかったため、2人は「その部屋を使う」と思い込んでいた[書籍 39]。なおXは「被害者を殺害した場合はその死体をバラバラに切断してセメントで固めてから遺棄してはどうだろうか?」と提案したが、Kは「漫画や映画じゃないんだから」とたしなめて却下した[書籍 39]。また、キャッシュカードを用いてATMから現金を引き出す「出し子」の手配をすることとなったため、Kが携帯電話から「闇の職安」にアクセスして募集したが、しばらく待っても出し子が確保できなかったために結局はXが自ら出し子を引き受けた[書籍 39]。
そして3人は拉致場所について話し合い、堀が「高級住宅街の多い名古屋市営地下鉄東山線沿線(覚王山・一社・上社・本郷方面)がいい」と提案したことですぐに話がまとまったが、覚王山駅 - 一社駅間に被害者Aが利用していた本山駅(名古屋市営地下鉄名城線との乗換駅)があった[書籍 39]。
被害者を拉致[編集]
拉致現場周辺の地図:愛知県名古屋市千種区春里町二丁目の路上[報道 81]
- この地点は「自宅まであと数十メートル(m)」[報道 81]「自宅まで徒歩1分ほどの距離で、かつて通学していた小学校(名古屋市立自由ヶ丘小学校)[書籍 48]の目の前」で[書籍 49]、信号機・歩道ともない片側1車線道路だった[書籍 50]。
- 拉致現場周辺は名古屋市営地下鉄名城線自由ヶ丘駅から徒歩10分程度の住宅・団地が並ぶ高台の道で、事件当時から街灯が整備されていたため地元では「安全な道」とされていたが[報道 82]、夜間になると人通りはほとんどなく、拉致されたところを目撃した人もいなかった[報道 72]。
8月24日19時過ぎ、K・堀・Xの3人は食事をすることなくデニーズ黒川店を出るとXがリバティを運転し、軍手をはめたKが2列目後部座席左側(助手席後ろ)・同じく軍手をはめた堀が2列目後部座席右側(Xの座っていた運転席のすぐ後ろ)にそれぞれ座って拉致実行に備え[書籍 46]、車から左側にいる人を拉致する際にはK、右側の場合は堀が実行した上で、拉致した人物をK・堀の足元(2列目後部座席の床上)で横向きに座らせる計画だった[書籍 51]。標的となる女性を拉致した際に2列目後部座席の足元空間が広くなるように無人の助手席(Kの前の席)を限界まで前に出し、その足元に軍手・ハンマーを用意したほか、堀が事前に粘着テープを15センチメートル(cm)程度ちぎって4枚に重ね合わせ、被害者の口を塞ぐための特殊なテープを作って用意しており[書籍 46]、他に粘着テープ・手錠・包丁・凶器のハンマーを用意していたが、包丁は運転席ドアポケット・ハンマーも座席下に放置していた[注 7][書籍 51]。
3人はOL風の女性を捜し出そうとリバティで名古屋市内を走り回り[報道 3]、「金持ちが住んでいそうだ」として千種区内を中心に物色し[報道 6]、まずは覚王山周辺にてATMで預金を下ろした後のOLを狙った[書籍 46]。その後も3人は一社・本郷と回り15,16人程度の女性[注 8]を物色したが、いずれも対向車・通行人がいたため停車にまで至らず、うち2,3人は拉致実行寸前まで行ったが結局未遂に終わった[注 9][書籍 46]。
やがて夜が更けて23時ごろになり、3人が「とにかく今日中に金が欲しい」と焦っていた中で堀が「今まで回った場所の中で本山・覚王山は街灯が少なく道が暗い上、道幅が狭いから拉致を実行しやすい」と言ったため、Xは覚王山・本山方面へ向かった[書籍 46]。被害者女性Aを拉致する直前、堀はまず同居相手の女性から携帯電話で電子メールを受信したほか、母親から電話を着信したが、電話に出ようかどうか迷っている間に携帯電話のバッテリーが切れたため、結局母親からの電話に出ることはなかった[書籍 51]。堀は「母親からの電話は珍しく、ましてや深夜にかかってきたことは今まで一度もなかったから『もしかしたら急用かもしれない』と思ったが、バッテリー切れした上に電話で母親と会話するような雰囲気でもなかったから『これから自分は人を拉致しようとしている』と考えていたら電話のことはすぐに忘れた。逮捕後に『母親は虫の知らせのようなものを感じて急に電話を掛けたくなった』と知り、捜査員からもそのことを聞かされたが、今思えばあの時電話に出ていれば違った結果になっていたかもしれない」と述べている[書籍 51]。
それから10分後となる23時10分ごろ[報道 76][報道 83]、Xが前方に夜道を1人で歩いていた被害者女性Aがいるを発見してK・堀に「あれどう?」と話しかけたところ、2人とも賛成した[書籍 50]。Aは当時地下鉄本山駅から徒歩で[報道 80]バス通りを歩いて自宅へ帰宅しようとしていたが、その外見特徴は「黒髪・地味目な服装で真面目そうな雰囲気・派手なブランド物を持っていない」と3人が求めていたすべての条件に合致していたため[書籍 49]、Xは車をUターンさせてAの背後から近づいて追い抜き[書籍 50]、数十m[報道 6] - 百数十mほど先の路上に停車してAを待ち伏せた[書籍 50]。Aが車の右側(=堀が待ち伏せていた側)を通ることとなったため、堀はAが差し掛かってくるのを待ち伏せつつリバティのスライドドアを開ける準備をし続け[書籍 50]、Aがリバティの右脇を通り過ぎた際[報道 3]、Kが「今だ」と合図を出し、堀はリバティの後部ドアを開けて降車した[書籍 50]。堀は道を尋ねるふりをしつつ[報道 3]、Aに背後から「すみません」と声をかけつつ近づき、警戒するような態度だったAにさらに「すみません」と声をかけながら周囲に視線を走らせ[書籍 50]、Aが立ち止まったところで[報道 3]、背後からその口を右手で塞ぎ、左手でAの腹部を抱え込むようにして「車内で待ち構えていたKに預けるような感じで」[書籍 50]、Aの体を車内に後部ドアから押し込んだ[報道 3]。堀は身長180cmを超える大柄な体だった一方で被害者Aは身長155cmの痩せ型だったため抵抗することもままならず車内に放り込まれ、車内にいたKから羽交い絞めにされて抑圧されパニックに陥りつつも抵抗したが、Kによりテープで口を塞がれ頭からアロハシャツ・バスタオルを掛けられ、堀に手錠をかけられて抵抗を抑圧され、足を伸ばしてL字の体制で車内の床上に座らされた[書籍 49][注 10]。この時、堀はKに「手錠をはめた手を後ろ手にできないか?」と尋ねたが、Kは「とにかく落ち着かせることが最優先だから、あまり嫌がることはやめよう」と却下した[書籍 49]。
このようにして被害者女性Aを拉致・車内に監禁した直後、XはAを人目に付かない場所に連行するため[報道 1][報道 2]、リバティを運転して東山通を経て堀が「監禁部屋」として手配していた友人のアパートがあった名東区高針方面へ走行したが、Kが気丈に振舞っていたAの態度を見て「抑え込む自信がない」と直感して「方向が逆だ。アパートに戻るのはまずい。Uターンして人気のない方へ行け」と指示した[注 11][書籍 52]。続いてKは「部屋はなしだ」(=用意していたアパートは使わない)と言い、堀はこれを受けてアパートを借りる約束をしていた友人[注 6]にその場でキャンセルの連絡をしたが、Xは自分に何の相談もなく突然予定を変更されたことを不満に思いつつも「既に被害者を拉致した状態で仲間割れするとまずい」と思い怒りを抑えつつ、Kに「どこへ向かえばいい?」と質問した[書籍 52]。これに対しKは「人気のないところに行け」と指示し[書籍 50]、さらにXがしていた自慢話を根拠に「お前がいつも女を連れ込んでいた(と自慢していた)山に行け」と指示したが、その自慢話はただの作り話だったためXは「いやー、すいません。実は…」と笑ってごまかした[書籍 52]。Xのこの発言にはKだけでなく堀も怒りの念を抱き、Xに「山に行け。あれだけ自慢していたじゃないか」と怒鳴りつけたが、Xは言葉を返すことができずへらへら笑っていた[書籍 52]。
堀がXに「幹線道路は自動車ナンバー自動読取装置(Nシステム)があるからまずい」と指示したため、Xは広小路通・愛知県道200号名古屋甚目寺線(外堀通)に出てそのまま西進したが、口をテープで塞がれていたAが「大声は出さないからテープを外してほしい」と訴えたため、上半身をK・下半身を堀がそれぞれ抑え込んだ状態ではあったが、「とにかくAを落ち着かせよう」と考えたKがその言葉に従った[書籍 53]。テープを外されたAが「私は帰れるんですか?何が目的なんですか?」とK・堀・Xに問いかけたところ、Kの意向を察した堀はKとともに2人で「騒がなければ命は保証する」「体が目的じゃないから安心して」とKと2人で優しく言葉をかけた[書籍 53]。車を西進させていたXが庄内川に架かる豊公橋(県道200号)を渡ろうとした際に煙草を吸おうとしたが、Aが「私は煙草が嫌いだから消してほしい」といったため、K・堀の2人は「とにかく被害者の機嫌を取っておとなしくさせよう」と考えてXに「煙草を吸うな」と命じた[書籍 54]。この時、たばこを吸えなかったXは内心Aに「気の強い女だ。自分の立場が分かっているのか?」と憤ったが、前日の失敗から負い目を感じていたこともありK・堀の言葉に従うほかなく、国営木曽三川公園方面へ向かった[書籍 54]。Aを拉致してから15分ほどが経過したころ、XはK・堀から「どこへ向かっている?」と聞かれて平然と「木曽三川公園方面だ。暴走族がたむろしていることが多いため警察が検問で巡回している」と答えたため、Kは「女を拉致していながら検問の多い場所を目指すとは、こいつ(X)は頭がおかしいのか?本当に使えない奴だ」と内心怒りの念を抱いが、堀が「その場所は相当田舎で、脇道に入ればほとんど真っ暗に近い」と発言したためその方面を目指すこととなった[書籍 54]。Aは「大声を出さない」という言葉通りじっと静かにしていたが[書籍 54]、もともと車にあまり強くなかったことに加えて閉塞感・車内の空気の悪さから「(車酔いして)吐きそう」と言い出したため「車内で吐かれたくない」と慌てたXは駐車できる場所を探して国道155号を南進し始めてから2,3分程度で到着した「レストラン天王」第二駐車場(建物から国道を隔てた場所)に駐車した[書籍 55]。被害者Aが車内で吐き気を訴えていたことについて、被告人Kは自信の交際相手女性宛の手紙で「(本当に)車酔いしてたら背中とかに汗かくんだよ。芝居の上手い彼女(笑)。嘘吐き(うそつき)姉ちゃん。嘘なら俺の方が上手だぜ」などと侮蔑的な表現をしていたほか、後述のように被害者Aが自身と堀から包丁で脅されて震えていた際の状況も「がったがた。マグニチュード10?」などと表現していた[報道 23]
被害者を脅迫・殺害[編集]
殺害現場周辺の地図:愛知県愛西市佐屋町西新田[報道 1][報道 2]、「レストラン天王」第二駐車場[書籍 55]
- 拉致現場から西方約20キロメートル(km)[報道 85]・被害者女性Aの拉致現場となったA宅付近から約28km離れており、国道155号沿いにある[報道 1][報道 2]。
- 現場一帯はかつてXが暮らしていた津島市内の家にほど近かったため、Xはこの周辺に詳しかった[報道 85]。またこの駐車場はレストランの屋外駐車場だったが[報道 70]、事件直前はほとんど使われておらず、人通りも少なかったため近隣住民によれば「照明がなく、夜は真っ暗になる」場所だった[報道 42]。
2007年8月25日午前0時過ぎ、XはK・堀とともに被害者女性Aを拉致して殺害現場のレストラン第二駐車場(この時間帯、レストランは既に営業終了)に駐車した[書籍 55]。Kは「カーナビの光が窓から外に漏れるからカーナビを切れ」とXに命令したが、カーナビを切るためにはエンジンを止めるほかなかったため、車内は暗くなりエアコンも停止した[書籍 55]。
KがAの手錠をすぐ片手所から両手上に戻すと、3人はそれまでAの申し出に応じて車内で喫煙を見送っていたこともあってたばこを吸いに交互に車外に出た[書籍 55]。Xが運転席後ろ・Kが助手席後ろでそれぞれ床上にいたAの脚・頭を押さえつけていたところ、たばこを吸い終えて車内(運転席)に戻った堀がAの腿の辺りにあった白いハンドバッグを奪い、Aが「やめて!」と強い声で叫んで抵抗しても聞き入れずバッグの中身を確認し、財布の中にあった現金62,000円取り出してダッシュボードに入れ、さらに財布の中にあった中京銀行・三菱東京UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)のキャッシュカード各1枚(合計2枚)・クレジットカード1枚(アプラス)を取り出し「ほら、カードが出てきたぞ」と嬉しそうに発言した[書籍 55]。そして堀は中京銀行・三菱東京UFJ銀行それぞれのキャッシュカードの暗証番号をAに尋ねたが、Aは前者の際には黙ってうつむき、後者の際には「昔に作ったきりで暗証番号は覚えていない」と答えたため、さらにクレジットカードの暗証番号を尋ねたが「クレジットカードに暗証番号なんてあるの?」と逆に言い返された[書籍 55]。K・堀が普通のトーンで暗証番号を問い質した一方、Xが「誕生日を暗証番号にしているんじゃないのか?」と質問したが、Aは「誕生日なわけないじゃない」と嘲笑するように返した[書籍 56]。XはAの体をまさぐってスカートの中に手を入れようとしたり胸を触ろうとしたほか、顔を近づけて舐めようとして「早く番号を言え」と脅迫した[書籍 56]。Kは「自分はAと『体が目的じゃない』と約束したのにXが破ろうとしている」と不快感を抱き、堀も「このままでは状況が悪くなる」とみてXに「俺と席を代われ」と命じて席を入れ替わったが、Xは運転席に戻ってもAに手を伸ばして乳房を触ろうとするなど猥褻行為を繰り返した[書籍 56]。Aが「痛い!」「やめろ!触るな」と攻撃的に怒鳴りつけるようになったため、K・堀の2人が制止しつつ暗証番号を聞き出そうとしたが、Kが穏やかに「暗証番号を言えば命を保証してあげる」と聞き出そうとした一方、堀は「(本当の暗証番号を)教えたら命は保証するが嘘だったら殺す」と脅迫した[書籍 56]。男3人により車内に監禁され、手錠をかけられ体を押さえつけられつつもAは毅然と「殺すなら殺せば?好きにすればいいじゃない」と言い放っていたが、大崎はこの時のAの心情を「懸命に生きるための手段を模索していたことだろう」と推測している[書籍 56]。
Aがなかなか口を割らないため、Kは「こいつにやらせちゃうぞ」(Xに強姦させるぞ)と脅迫した上で「レイプして覚醒剤漬けにするぞ」など、大崎が「おそらくAが最も恐れていること」「考えられる最悪の言葉」で脅迫しても効果はなく、3人はAを見張りつつ交代しながら喫煙目的で車外に出た[書籍 56]。AはKと2人きりになった際、「眼鏡をかけて車を運転していた汚い感じの男(X)には死んでも体を触られたりレイプされたりしたくないから、それだけは約束してほしい。自分には彼氏がいる」と懇願し、Kは「わかりました」と答えたが、K・堀が喫煙しようと車外に出た際、Aが恐れていた本人であるXが「この気の強い女の鼻っ柱をへし折ってやろう」と考え、運転席から2列目に移動して右手で手錠の鎖を掴み、左手でAの胸を触ろうとした[書籍 56]。Aが「触るな!」と大声・悲鳴を上げたのを聞いて堀・Kは慌てて車内に戻り、KがXに「そういうことはするなと決めているだろう!」と怒鳴りつけたため、Xは諦めて喫煙するため車外に出た[書籍 57]。その後もAは「母親のためにマイホームを買ってあげたい」という夢のため貯金していた800万円以上の預金を[注 12]「どうしても奪われるわけにはいかない」と考え、K・堀に暗証番号を頑なに教えようとしなかったため[書籍 57]、堀は運転席にいたXに「包丁を貸せ」と命じ、Vが万引きして入手した包丁(刃渡り約18.6cm)[報道 83]を受け取るとAに突き付け「喋らないと刺すぞ」と脅し、Kも「この包丁は100円ショップで買った包丁だから切れ味が悪いぞ。5,6回は刺さないと死ねないだろうな。こいつ(堀)はキレると本当に刺すぞ」と加勢した[書籍 57]。そして堀が「5分だけ待つ。それまでに言わないと刺すぞ」と脅迫してカウントダウンを開始したが、5分経過してもAは口を割らず、Kが「5分経ったから2,3回刺してしまえ」と堀に命じると、堀は包丁を逆手に持ち刃先をAの太腿に向けて上下に振り、包丁を突き刺す真似をしつつ「もう待てねえんだよ。みんないらついているから早く喋れ。殺すぞ」と脅した[書籍 57]。
これに対しAは「2960」と虚偽の暗証番号を教え[注 13][報道 71][報道 86]、「メモしろ」とKから命じられたXが2007年8月25日0時45分、慌てて携帯電話で「2960」へ発信し[書籍 59]、発信履歴を残した[報道 86]。この直後、Kは堀と喫煙するため車外に出ると「あの数字(2960)は本物か?」と尋ね、堀から「体中震えて心底怯えながら言っていたから間違いないだろう」と返されたほか、逮捕後に3人とも「Aはとても嘘をつけるような状態ではなかった」と証言している[書籍 59]。そのため3人はこの時点で「既に本当の暗証番号を聞き出した」と思い込み[報道 3]、その暗証番号「2960」が正しいか否かそれ以上調べようとはせず、殺害方法に関して「首を絞めよう。車内のロープを使おうか、それとも首を絞めようか?」などと相談していた[書籍 59]。その一方で3人は事前に具体的な殺害場所までは計画段階で決めていなかったため、K・堀両名は「Aをその場で殺害するかどうか」についても相談していた[報道 80]。
一方でXはAと車内で2人きりとなったが「K・堀は自分に気を利かせてくれた」と思い込み、後部座席に下がりAの両腕にかけられた手錠の鎖を自分の方に引き付け「やらせろ。やらせたら無事に帰す」などと迫った。XはAを強姦しようと[報道 3]Aに覆いかぶさったが[報道 83]、Aから怒鳴り返されたために逆上して右手で胸を触ろうとし、さらに激しく抵抗されるとスカートを脱がせようとしたが、叫ばれたため右手で顔面に平手打ちを浴びせた[書籍 59]。このため結局はXによるAへの強姦行為は未遂に終わったが[報道 3]、その時Aが車内で大きな悲鳴を上げたため、車内に戻ったKがXを叱責すると自らAの背後に座ってAの髪留めを「自分の顔に傷がつく」という理由で外した[書籍 59]。K・堀両名はXから強姦されそうになったAの目が回りを探るようになり「逃げ出そうとする雰囲気」を感じたため、この場で直ちにAを殺害することを決め[報道 80][報道 3][報道 87]、KがAの首を右腕で絞めつけ始めた[書籍 59]。Aは必死に暴れて抵抗したが脚を堀に押さえつけられ、さらに両手にかけられていた手錠をXに押さえつけられて抵抗を抑圧された[書籍 59]。数分後にAの体の力が抜け「もうすぐ失神する」という状態になったが、自分の腕がしびれてきたことでKが手を緩め、まだAに息があったため堀が「ハンマーを使おうか?」と聞き、Kも「頼む」と答えた[書籍 60]。
この時点でAは意識が朦朧として身動きできなかったが、堀はそのAの左側頭部にハンマーを力いっぱい振り下ろし、強烈な打撃によりリバティ天井部までAの血が飛び散った[書籍 60]。Aはこの段階でも「『殺さない』と言ったじゃない。お願いだから殺さないで。死にたくない。話を聞いて」などと懇願したが[注 14]、堀はその言葉を聞き入れることなくさらに2発頭部にハンマーを振り下ろしたほか、Kも堀がハンマーを打ち下ろしやすいようAの体を前方に押し出した[書籍 60]。だが「コンクリートを砕くハンマー」で[書籍 62]堀がAの顔を計5回殴ったにも拘らず[報道 86]、Aがなかなか絶命しなかったためにKが苛立っていた中[書籍 62]、堀が助手席の背後ポケットに入っていた綿ロープを取り出してAの首に一重で巻き付け[書籍 63]。その端のうち片方をXに渡すと[書籍 62]、Xも「ここでAを殺害することになった」と理解して犯行に加わった[報道 3]。しかし堀とXの角度が180度にならなかったため上手く力が入らなかったほか、頭部から著しく出血していたために血液でロープが滑ったため、Kも加えて3人で様々な角度に引っ張ってもうまく絞まらなかったため[注 15][書籍 62]、Kが「それではだめだ」と言いつつ綿ロープをいったん引き取るとそれを2つ折りにしてAの首に回しかけ、輪になった部分に綿ロープの端を通して自らそれを引っ張った[注 16][書籍 63]。堀はAの顔面に口を塞ぐような形でガムテープを巻き付け始め、Aが最後の力を振り絞って発した「殺すなぁ」という言葉も無視してガムテープをAの顔面に縦横合わせて23回巻き付けると頭からレジ袋[書籍 62](堀が凶器のハンマーを購入したホームセンターのレジ袋)[報道 74][報道 88]を被せ、その口を塞ぐようにガムテープで8周(合計31周)巻き付けた[書籍 62]。それでもAが咳き込んだため、Kが「まだ生きてやがる」と言いつつハンマーを持つと「脳に振動を伝えて早く絶命させよう」とAの頭部にタオルを置き、それを目標にハンマーを30発以上振り下ろし、堀が「もういいんじゃないの?」と言っても笑みを浮かべつつ、Aが絶命するまでハンマーを振り下ろした[書籍 62]。
なお殺害順序に関しては大崎『いつかの夏』では「Kが腕で首を絞める→堀がハンマーで殴る→堀・Xがロープで首を絞める→堀がガムテープを巻き付けるなどしてKが再びハンマーで殴る」という流れだったが、堀の自著『鎮魂歌』では「Kが腕で首を絞める→堀・Xが綿ロープで首を絞める→堀がハンマーで殴る→堀がガムテープを巻き付けるなどしてKが再びハンマーで殴る」という流れで描かれており、堀はその上で以下のように主張している[書籍 64]。
- 「(自分がハンマーでAを殴打する前)Aの脚から手を離した直後に綿ロープを取り出した。ハンマーはロープで首を絞めた後、恐慌状態になっていた中で偶然座席下にあったものを手に取って恐慌状態でAの頭を殴りつけた」[書籍 64]
- 「うめき声を上げるAの息苦しそうな顔を始めてまともに見てしまったことで衝撃を受け『その場を何とかしたい』と思いつつハンマーを思わず手に取り、『気絶すればいいや』程度の気持ちで被害者Aの頭部を立て続けに3回殴打した。当時Aの頭の位置と天井の高さでは『ハンマーを思い切り振り下ろせるほどの高さ』ではなく、仮に本気でハンマーを振り下ろせば一撃でも致命傷になりかねない。そんな殴打を3回も行い、それが致命傷にならなかったことは逆に言えば『気絶すればいい』程度の気持ちで咄嗟に殴打した裏付けだ」[書籍 64]
- 「ハンマーでAの頭を3回目に殴打した際に血が飛んできた気がした(実際には自分の汗だった)ため咄嗟に叩くのをやめたところ、Kから「テープを巻いてくれ」と指示されたためAの顔に2人粘着テープを巻き付けた」[書籍 64]
- 「KがAの頭上にタオルを置いてハンマーで殴りつけた際には『何をするんだ!』と言いつつ近くにあった自分のシャツをかざし、血が自分に飛んでこないようにしたほかKの残虐な行為を見ないようにした」[書籍 64]
- 「Kは自分が『もうそれ以上やらなくてもいいだろう』と言っても憑かれたようにAの頭を数十回殴り続けた」[書籍 64]
やがてAは窒息死し[報道 3]、Kが手を止めるとAの脚はしばらく痙攣していたが、やがて痙攣が止まった[書籍 62]。Kが脈拍を図ると脈が感じられなくなっていたため「ちゃんと死んだよ。お疲れ様」と堀・Xに言い、3人で車外に出て喫煙した[書籍 62]。
死体遺棄[編集]
死体遺棄現場周辺の地図:岐阜県瑞浪市稲津町小里[報道 1][報道 2]
- 岐阜県道33号瑞浪上矢作線から20mほど入った地点で[報道 1]、「御料林橋」から北東の山林内[報道 2](廃道脇)[報道 42]。『中日新聞』では「遺棄現場付近にはかつてXが車で訪れた観光施設があった」と報道されている[報道 85]。
被害者女性Aを殺害後、堀はAの死体をリバティの3列目後部座席(Xの生活用品などが散乱しごみ箱同然の状態だった場所)に置き、その上からタオル・荷物を置いて死体を隠した[書籍 65]。Kはリバティの窓を全開にしてXにエアコンを18度に設定させると、車内に飛散したAの血液を拭き取った[書籍 65]。すると堀が「(Aから奪ったキャッシュカードで)預金を下ろしに行こう」と提案したためK・Xとも同意し、XはK・堀をそれぞれ2列目後部座席に座らせた状態で殺害現場の駐車場を出た[書籍 65]。3人はAから奪った現金62,000円を山分け(K・堀が各20,000円、Xはガソリン代として2000円多い22,000円)したが、堀が「Aの返り血を浴びて気持ち悪い。自販機に寄ってほしい」と言い出し、稲沢市内の自動販売機でペットボトル入りの水を購入して手に付着していた血液を洗い流した[書籍 65]。
Aの遺体を車内に積んだリバティはいったん同県一宮市方面に北上したが[報道 89]、K・堀の2人は返り血を多く浴びていたため着替えの服を用意する必要があったことに加え、ATMで出し子として預金を引き出すXは変装する必要があったため、3人で一宮市内のドン・キホーテに立ち寄ってXがジャージ2着・Tシャツ・帽子・サングラスを購入した[書籍 65]。この時、堀はXに「防犯カメラに映るとまずいからドン・キホーテの駐車場に駐車するな」と指示し、Xにリバティを店近くの道路に路上駐車させている[書籍 65]。その後、ガソリンスタンドでXがガソリン3,000円分を給油したが、Kが「土日(2007年8月25日=土曜日)はサークルK(サークルKサンクス、現:ファミリーマート)のATMでしか中京銀行のキャッシュカードが使えない」と発言したため、いったん「サークルK小牧下小針店(現:ファミリーマート小牧下小針店)」へ向かった[書籍 65]。同店でXがリバティを店から離れた場所に駐車すると帽子・サングラスで変装して中京銀行のキャッシュカードを利用して預金引き出しを試みたが、当時は取引時間外だったため失敗に終わった[書籍 65]。その後も3人は人目につきにくいATMのある場所を探し回ろうとしたためか[報道 85]「小牧市付近から高速道路に入り、名古屋高速道路を南下して名古屋市内で国道19号に降りる」というように愛知県内を迷走し続けたが[報道 89]、結局は現金を引き出せず[報道 85]、夜が明ける前に死体を遺棄しようとしたためか再び国道19号を北上し[報道 89]、中央自動車道・瑞浪インターチェンジまで高速道路を利用した[書籍 66]。
3人はAの死体を遺棄することに決め[書籍 66]、Kが「国有林などに遺体を遺棄したいがどこがいいか?」と堀・Xに尋ねたところ、2人とも岐阜県方面に詳しかったため[注 17]高速道路で岐阜県方面へ向かうことに決まった[書籍 67]。Xは瑞浪ICで中央道を降りると岐阜県道33号瑞浪上矢作線を旧山岡町(現:恵那市)方面へ走行して国道363号に向かって山道に入ったが[書籍 66]、国道を1時間ほど走ってから林道に入ったところ、Kが「穴を掘るためのスコップなどが必要になる」と言い出した[書籍 67]。Xが途中で土木建設業者の物置小屋らしきものを見つけると、K・堀が2人でスコップ2本を盗み出して入手し[書籍 66]、山林に遺体を遺棄する際に使用した[報道 78][報道 90]。スコップを盗み出した資材置き場から約10分程度走行し[書籍 67]、やがて大きな白い橋が見えたところ[書籍 66]、堀が「車が1台通れる程度の脇道」を見つけ[書籍 67]、。K・堀がXに「ここで停車してくれ」と指示して停車させ[書籍 66]、Xが車をバックさせてその脇道に入った[書籍 67]。脇道は10メートルほど入ると立ち入り禁止になっておりそれ以上は車で入れなかったため、K・堀が降車して下見をしたところ周囲に草木が生い茂る斜面があったためそこに死体を遺棄することを決めて「ここに捨てよう」と告げた[書籍 67]。
3人は2007年8月25日4時40分ごろ[報道 76][報道 91]、Aの死体を山中に遺棄した[報道 3]。堀がAの死体を担ぎ上げ、Kがスコップ2本を持つとXに「怪しまれないようにここから離れていろ」と指示してXをいったん道の駅へ向かわせ、ガードレールのすぐ先にAの遺体をゴミ同然に投げ捨てた[書籍 66]。3人はスコップを使い遺体を地中に埋めようとしていたがた[報道 90]、遺体が草に埋もれる形になっていたことに加え、堀は「早く息を終わらせたい」と考えていたため土・草を被せる作業が中途半端なままとなり[注 18][書籍 67]、結局は遺体の下半身に少し土を被せただけで終わった[報道 90]。この時、堀は素手でAの遺体にかかっていた手錠を触っていたことに気付いたため、投げ捨てる前に自分のシャツで指紋を拭き取った[書籍 66]。遺体を遺棄した後、Kが遺体に手を合わせていたためそれを見た堀も手を合わせたが、Kは堀が声をかけるまで数分間手を合わせたまま動かなかった[注 19][書籍 68]。
4時49分、XがKもしくは堀から「終わったから迎えに来てくれ」と電話を受けて遺棄現場に戻り2人を迎えに行くと[書籍 66]、Kが携帯電話で預金を下ろすべく中京銀行の店舗を調べて「中京銀行知立支店(愛知県知立市)に向かおう」と提案したが、KはAの遺品となったバッグを調べたところ銀行の取引明細書を見つけた[書籍 69]。その口座に800万円以上の残高が入っていたことを知った3人は歓声を上げたが、Kは「なんでこんな大金を持っているんだ?OLで800万円の貯金は多すぎる。あの女(A)は誰かの妾だったのか、それとも何かの裏金か?」と、大崎が「ゲスの勘繰り」と表現した発言をしたほか、「この金を資金にして少しずつ覚醒剤を仕入れ、それを売買する組織を作ろう」とも発言していた[書籍 69]。その知立支店に向かう途中の7時30分ごろ、被害者Aの携帯電話に交際相手の男性から「おはよう。元気?」というメールが来たため、Xが「Aの生存を装って返信しよう」と提案するとKから「お前はバカか」と言い放たれた[書籍 70]。
3人は開店前の中京銀行知立支店に到着すると路上で仮眠し、開店後の9時10分にXが変装してATMへ向かうとキャッシュカードをATMに入れて殺害前に聞き出した「2960」の暗証番号を押したが、何度試しても預金が引き出せなかったためいったんリバティに戻ってそのことを報告したところ、Kから「800万円の残高がある貯蓄預金を指定しろ」と指示された[書籍 69]。これを受けXは再びATMで貯蓄預金の口座を指定して暗証番号「2960」を打ったがこれも合致せず、Kに電話で問い合わせたところ「正しい暗証番号は『2946』ではないのか?」と指摘されたためそれも試してみたが失敗した[書籍 69]。しかし3人は「まさか命を奪われるような状況で嘘をつけるわけがない」と考え、三菱東京UFJ銀行のキャッシュカード・アプラスのクレジットカードで引き出しを試みようとしており[書籍 69]、Aを殺害してから約8時間半後の[報道 86]9時 - 11時ごろにかけ[報道 76]、Xは名古屋市南区の「サークルK大江店」で変装して三菱東京UFJ銀行のカードを利用して預金の引き出しを試みた[書籍 71]。しかし三菱東京UFJ銀行のカードでも「2960」は不一致だったため、Aの誕生日「1976年(昭和51年)7月20日」に注目して「5172」「0720」をそれぞれ試してみたがいずれも失敗に終わったばかりか、アプラスのキャッシュカードでも同じく失敗したため、それを聞かされたKは「仕方ない。800万円は諦めるしかないな」と言った[書籍 72]。このほかXは一宮市内のコンビニエンスストアも訪れ[報道 87]、預金の引き出しを再度試したが暗証番号が合わず引き出しに失敗した[報道 76]。
Aの預金を引き出せなかったため、Kは「今夜再び女性を拉致して暗証番号を訊き出し殺害しよう」と提案して堀・Xの2人から「21時以降なら大丈夫だ」などと了解を取り付けたが、この時には「名駅付近でソープ嬢を狙おう」という話になったものの堀も特に反対しなかった[書籍 72]。3人は「東海旅客鉄道(JR東海)・名古屋市営地下鉄・名古屋臨海高速鉄道の名古屋駅前に再び集まる」と約束した上で[報道 90]、同日の殺害計画は集合後に練るはずだったが[報道 90]、Xは前述のようにKから「バカか」と言い放たれたことに加え、この時にKから「今度はレイプするな」と注意され、堀からも「今度はお前もやれ」と言われたために「俺が眠気をこらえてずっと車を運転してガソリン代を負担してやったのに、こいつらは後ろの席で呑気に寝てやがった」と強い不満を持った[書籍 73]。一方で堀は事件後、第二の犯行に消極的な態度を取っていたX宛てに電子メールで「怖がっているんじゃないか?」などの趣旨の文言を送り付けていた[報道 92]。
Xはまず堀を今までと同じ場所で降車させ、次いで鳴海のTSUTAYAでKと別れた際に「有松ジャンボリー(名古屋市緑区南陵のスーパーマーケット)で仮眠が取れる」と教わったためそちらの駐車場に行き仮眠しようとしたが、脳裏から被害者を殺害した際の情景が離れず、Kと別れてから30分後に110番通報したが、この時はまともに取り合ってもらえなかったため電話を切った[書籍 70]。Kは同日朝、勤務先の社長に電話で「今日から2日間休んで27日に出勤します」と話していたが、社長によればその口ぶりは「動揺など少しも感じられないもの」だった[報道 18]。
捜査[編集]
事件発覚・遺体発見[編集]
Xは日本電信電話(NTT)の番号案内「104番」に電話を掛けて愛知県警察本部の電話番号を調べると2007年8月25日13時30分ごろ[書籍 70]、自ら県警本部へ「仲間3人で女性を車に拉致して現金などを奪った後、女性を殺害して岐阜県内に遺体を埋めた」と電話した[報道 1][報道 16][報道 2][報道 93]。Xが名古屋市緑区内のショッピングセンターにいたことが判明したため、応対した当直の警察官はXに「その場に留まっていろ」と伝え[報道 1]、愛知県警緑警察署パトカー2台・警察官7人が駆け付け[書籍 70]、機動捜査隊員らが14時15分ごろ[報道 94]、Xの身柄を確保した[報道 1][報道 2]。警察官が到着した当時、Xは両足をリバティのハンドルの上に上げており、その態度は「反省とは程遠くふて腐れているような態度」だった[書籍 70]。
Xが「死刑になるのが怖いから」と自首したことについて、逮捕を報じた『中日新聞』2007年8月27日朝刊第一社会面記事は以下のように非難している。
「金欲しさに何の落ち度もない女性を拉致して殺し、挙句に『死刑になりたくないから』と自首するなどあまりにも身勝手だ。自首の動機として『死刑になるのが怖いから』だけでなく『被害者がかわいそうになったから』とも供述しているが、まるでゲーム感覚で犯した自らの行為を今更悔やんでも遅い」 — [報道 18]
また大崎も著書『いつかの夏』にて以下のように非難している。
「『自分の中で善と悪の気持ちが戦い、善が勝った』とXは後に供述しているが、ほとんどただのでまかせである。あのような状況で一人の女性を無残に殺害した男に、どうしてその数時間後に善の心など芽生えるだろう。『埋められている被害者が可哀相だと思った』とも話しているが、誰がそこに連れて行ったのか」 — 大崎善生、『いつかの夏』[書籍 70]
「自首というよりもおそらくこれは、Vを捨てたとき、又は自殺志願の学生を放り出したときと同じく、Xの気紛れに過ぎないのではないか。『女が可哀相だから早く見つけてやって』と駆け付けた警官にもっともらしいことは言っているが、本音は死刑から逃れたいだけのことなのだろう。もう一つはKや堀の言葉に例によって切れたということ。それが自首という行動に結びついたのである」 — 大崎善生、『いつかの夏』[書籍 74]
その後、Xは緑署内で15分ほどの事情聴取を受け、機動捜査隊に連れられて遺棄現場を案内したことでAの遺体が発見された[書籍 74]。遺体は服を着たままで下半身に土を被せられていたほか[報道 1]、両手に前で手錠がはめられテープを巻かれた状態だった[報道 2]。また遺体の額 - 鼻・口にかけて布製粘着テープが何重にも巻かれて息ができない状態になっており、その上に透明の袋が被せられ、さらにテープが巻かれていた[報道 92]。
Xは千種警察署に身柄を移送され任意で事情聴取を受け続けた結果「女性から7万円・キャッシュカードを奪った。顔を見られたのでハンマーで顔を滅多打ちにして殺した」などと供述し[報道 1][報道 93]、「死刑になるのが怖いので自首した」[報道 1][報道 2][報道 93]「自分は運転手役だった」とも供述した[報道 93]。またXが共犯者2人の存在を仄めかしたため[報道 94]、愛知県警捜査一課・千種署は[報道 1]、共犯者の捜査を開始してK・堀の住所を特定した[報道 94]。
愛知県警は住居特定後に「第二の犯行計画」を利用してK・堀両被疑者の身柄を相次いで確保した[報道 1][報道 2][報道 94]。19時過ぎにXと合流しようと自宅からオートバイで出掛けようとしていたKを身柄確保し[報道 94]、同時にKが所持していたAのキャッシュカードを押収した[報道 91]。また愛知県警はXに指示して堀宛てに「今夜は名駅なんで頑張りましょう」[書籍 74]「22時過ぎ、堀の自宅マンション前で落ち合う」という電子メールを送信させて捜査員を張り込ませ、約束の時間に自宅から出てきた堀を張り込んでいた捜査員がその場で取り押さえた[報道 94]。県警は同日付でK・堀・Xの被疑者3人に対しいずれも死体遺棄容疑で逮捕状を請求した[報道 93]。
死体遺棄罪で逮捕[編集]
愛知県警捜査一課・千種署は翌8月26日に特別捜査本部を設置してK・堀・Xの被疑者3人を「Aの遺体を山中に遺棄した死体遺棄容疑」で逮捕した[報道 2][報道 17][報道 18]。
- 取り調べに対し3人はいずれも逮捕容疑のほか「Aから金を奪って殺害したこと」についても認めた上で、動機を「金に困っていた」と供述した[報道 42]。加えて「真面目で貯金をしていそうだったから被害者Aを狙った。千種区内で標的を物色した理由は金持ちが住んでいそうだったからだ」と供述した[報道 6]。
- また3人は「Aと面識はなかった。標的は誰でもよかった」「金を奪うなら弱い女性がいいと思った」「名古屋市内で犯行のための打ち合わせのようなことをした」と供述したほか、殺害方法について「ハンマーのようなもので頭を50回ぐらい殴った」と供述し、複数の凶器も発見された[報道 2]。このことから特捜本部は「3人が事前に犯行を計画した上で金目当てに見ず知らずの女性を拉致・殺害した」と推測して強盗殺人容疑でも3人を追及したほか[報道 2]、運転手役だったXが過去に殺害現場付近の愛西市内で勤務していたことがあったため特捜本部は「Xが土地勘のある場所に向かった可能性がある」と推測して引き続き追及した[報道 42]。
- 一方で3人は殺人にエスカレートした動機を「金を奪った後で生かして帰すと顔を見られることがある上、車のナンバープレートからも足がつく虞があったから殺した」と具体的に供述したが[報道 6]、事前に顔を隠そうとしていた者はいなかった[報道 90]。
2007年8月27日までの愛知県警捜査一課・千種署の特捜本部による取り調べに対し、被疑者3人はAが拉致されている最中に「殺さないでください」と懇願したのを無視して凶器のハンマーで頭を滅多打ちにして殺害したことが判明した[報道 84]。また犯行時の役割は「最初に共犯者を募ったXより、呼びかけに応じたK・堀両被疑者の方が犯行において積極的な役割を果たしていた」という事実も判明したほか[報道 92]、犯行前に凶器・手錠・睡眠薬のようなものがそれぞれ事前に用意されていたため、最初から「女性から金を奪い、殺害して遺体を遺棄する」計画だったことが推測された[報道 84]。車内からは凶行に使われた粘着テープ・ハンマーなどが見つかった一方[報道 66]、睡眠導入剤も発見されたが犯行に使われた形跡はなかった[報道 74]。
同日、特捜本部は3人を名古屋地方検察庁へ送検した一方[報道 84][報道 91]、Aの遺体を司法解剖したところ「頭部を多数回ハンマーで殴られていたが死因は直接の窒息死である可能性が高い」と判明した[報道 92]。
また同日には県警名東署から特捜本部に「『闇の職安』を使った事件があった」との情報提供があり[報道 72]、拉致殺害事件直前までXと行動を共にしていた男Vが建造物侵入未遂容疑で名東署に緊急逮捕されていたことが判明した[報道 79]。Vは名東署の取り調べに対し闇サイトで知り合った共犯者の存在に言及していたことため、新聞報道では「愛知県警が拉致殺害事件発生前に犯行グループの存在を把握していた可能性があった」[報道 79]「Vからの供述次第ではK・堀・Xの3人を事件前に身柄を確保できた可能性があった」とそれぞれ指摘された[報道 79]。しかしこの時点で判明していた事実は「Vが逮捕された日はAが拉致・殺害されたのと同じ8月24日」の1点だけだったため、名東署幹部は『朝日新聞』の取材に対し「(第4の男=Vが)逮捕されているかどうかも言えないし、逮捕されていてもさらに他の共犯者がいるかもしれない」と述べて「Vが自首・逮捕された時間」「Vを逮捕した後の捜査内容・およびVの供述内容」「K・堀・Xの3人が行った拉致・殺害の謀議にVが参加していたかどうか」などの点については一切公表しなかった[報道 95]。
名東署は翌28日「拉致殺害事件の直前にXとともに事務所荒らしをしたVを24日3時20分に緊急逮捕していた」と報道機関に発表したが[報道 77]、名東署長・杉本明彦(当時)は「Vは自分が逮捕された後でXらが拉致事件の計画を立てたことを知らず、署としても予想できなかった。時間的にも拉致事件の阻止は無理だった」と説明した[報道 77]。
通夜・葬儀[編集]
2007年8月28日、Aの遺体が当時母親と2人で住んでいた春里町の市営住宅内に運び込まれ遺族・知人からやり場のない怒り・悲しみの声が上がった[報道 96]。同日夜には千種区千種通の「吹上愛昇殿」で通夜[報道 97]・翌29日に葬儀が営まれ[報道 74][報道 98]、仲間・近隣住民らが参列して冥福を祈ったが、参列した知人らは『中日新聞』の取材に対し「(Aは生前)残業しても文句も言わず心優しい人だった。犯人を許せない」「今までで一番悲しい葬儀だ。犯人が憎くてこの手で殺したい」などと述べた[報道 97]。
また事件を受けてAのブログのコメント欄には知人らの手により「なぜあなたがこのような事件に巻き込まれてしまったのか言葉が出ない」「怖かったことでしょう、痛かったことでしょう」「いつか必ずあなたに会いに行くからね」など追悼のコメントが多数寄せられた[報道 73][報道 74]。
その後の捜査[編集]
特捜本部はXの車から、事務所荒らしの際に入り口などをこじ開けて窃盗に使用されたとみられる多数の工具を発見・押収したほか、Xも取り調べに対しVが事務所荒らしの共犯だったことを認めた[報道 77]。また3人は襲撃の道具を事前に用意していた一方で、標的を拉致した後の行動については3人それぞれの思惑が一致していなかったり、遺体を遺棄するのに使用したスコップは殺害後に遺体遺棄現場へ向かう途中で盗んで入手していたりと、場当たり的な犯行だったことも判明した[報道 90][報道 99]。
また2007年8月29日までに特捜本部へ「2007年6月 - 7月ごろにも闇サイトで共犯者を募るXの投稿を見た」との情報が寄せられ、Xは取り調べに対し「以前から何度も闇サイトを利用して共犯者を募る投稿をしていた」とその事実を認める供述をした[報道 64]。なおK・堀両被疑者はX・V両被疑者から「事務所荒らしなどの方法で金品を得よう」と提案されたが、その話を後で知らされた際に「自分たちは考え方も方法も違う」として参加しなかったことが判明した[報道 100]。2007年8月30日までの捜査によりKら被疑者3人の犯行前後の行動の全容が判明したほか[報道 89]、「ハンマーなどの凶器はもともとXが事務所荒らしをするためドライバーなどとともに購入した」と報道されたが[報道 78]、後に「実際にハンマーを購入したのは堀」と判明している[書籍 27]。
2007年8月31日までの捜査の結果「拉致・殺害行為は主にK・堀両被疑者が積極的に関与していた一方、運転手役だったXは殺害現場・遺体遺棄現場をそれぞれ自分で決めて他の2人を案内していた」と判明した[報道 85]。K・堀両被疑者は殺害・遺棄現場ともに土地勘がなく、殺害現場に関してはXに行き先は特に(具体的な地名を挙げて)指示していなかったため、特捜本部は3人を「それぞれの役割を分担し、共謀して犯行に及んだ」と推測して引き続き追及した[報道 85]。
『毎日新聞』2007年8月31日中部朝刊社会面記事にて福島章・上智大学名誉教授(犯罪心理学)は闇サイトの危険性について「1人では犯罪などできず、現実の世界では仲間も探せないような人間でもインターネットなら簡単に探せる。被疑者Xのように臆病な人間でも集団になれば凶悪犯罪をやる可能性もあるし、その仲間に引き込まれる可能性もある」と指摘した[報道 61]。
愛知県警は2007年9月1日に押収済みの犯行に使われた車(日産・リバティ)を公開したが、Aが押し込められた助手席側の後部座席足元付近には事件の凄惨さを裏付けるように血痕が残っていた[報道 66]。強盗殺人容疑による再逮捕直前の2007年9月12日までの取り調べに対し、被疑者3人は「互いに面識がなく、虚勢を張り合って金目当ての犯行内容を謀議するうちに計画がエスカレートし『拉致して殺そう』と話し合った」などと供述した[報道 101]。
Kの弁護人が記者会見[編集]
2007年9月6日、被疑者Kが「一部報道に誤りがある」と主張したことを受け、Kの弁護人が名古屋市内で記者会見して「Kとの接見で聞き出した事件の経緯」を以下のように説明した[報道 80][報道 87]。
- Kは闇サイトを通じて犯行グループに加わったが[報道 87]、初めに被疑者Vを含め4人で会った8月22日時点では[報道 80]、「他の3人が強盗・強盗殺人をする相談をしていた」と主張し、強盗殺人を主導したことを否定している[報道 87]。このうちVは「考え方の違い」により強盗殺人の計画から離脱したが、Kはその後残った堀・X両被疑者とともに犯行を決行した[報道 87]。
- 8月24日の事件当日は強盗殺人をすることが前提になっていたほか、Kは殺害の具体的な経緯・3人の殺害実行時の役割について説明し「3人とも殺害行為に直接関与した」と主張している[報道 80]。
- Kは「極刑になっても責任は償う被疑者Xが被害者女性Aを強姦しようとしながら自首して責任を逃れる態度は不満で納得できない」と話していた[報道 80]。
実況見分[編集]
愛知県警特捜本部は2007年9月8日に殺害現場・遺体遺棄現場などで被疑者を立ち会わせて実況見分を開始した[報道 102]。この日は捜査員が被疑者Xを捜査車両に乗せて殺害現場・着替えのシャツなどを購入したディスカウント店などを回ったほか、Xには遺体を車で運んだ際の行動を再現させて捜査員がその模様の写真を撮影した[報道 102]。この時点で3人全員が容疑を認めてはいたが各々の供述に矛盾があったため、特捜本部は翌9月9日以降も同様にK・堀両被疑者をそれぞれ別々に立ち会わせて裏付け捜査を進めた[報道 102]。
愛知県警特捜本部は事件発生から1か月となる2007年9月24日、被疑者堀を拉致現場などに立ち会わせて実況見分を行い、堀が被害者Aを視認した千種区の千種署自由ケ丘交番付近 - 拉致現場とされる春里町2丁目(A宅から数十メートル)・愛西市の殺害現場への経路などを確認した[報道 81]。特捜本部は25日以降もK・X両被疑者をそれぞれ別々に現場に立ち会わせた[報道 81]。
本事件前共犯者の刑事裁判[編集]
本事件前日にXと共謀して事務所荒らしをした男Vは建造物侵入・窃盗未遂の罪に問われ、2007年10月15日に被告人Vの初公判が名古屋地裁で開かれた[報道 103]。罪状認否でVは起訴事実を「間違いありません」と認め[報道 103]、その後行われた被告人質問では「闇サイトで3人と知り合い強盗殺人の計画を話し合ったが、『人を殺すのは嫌だ』と思い計画から抜けた」と述べた[報道 104]。また「被告人V自身の対応次第では、その後Xらが起こした拉致・殺害事件を防ぐことはできたのではないか?」という質問に対しては「(当時はXらが)そんな事件を起こすとは思っていなかった」と述べた[報道 105]。
論告求刑前に名古屋地検は[報道 104]別の強盗予備罪についても被告人Vを追起訴し[報道 104]、Vが薬局襲撃を計画していた同事件を含めて審理した[報道 105]
2007年11月12日に論告求刑公判が開かれ、検察側(名古屋地検)は被告人Vに懲役2年を求刑した[報道 104][報道 105]。検察側は論告で「犯行は計画的で刑事責任は軽くない。いずれも未遂だが多大な被害が生じた可能性は高い」と主張した一方[報道 105]、弁護人側は「犯行直後に自首しており現在は反省している」と主張して執行猶予付きの判決を求めた[報道 104]。
2007年11月20日に判決公判が開かれ、名古屋地裁(寺沢真由美裁判官)は被告人Vに懲役2年・執行猶予3年(求刑:懲役2年)の判決を言い渡した[報道 106][報道 107]。名古屋地裁は判決理由で量刑理由について以下のように述べた。
刑事裁判[編集]
起訴[編集]
名古屋地方検察庁は2007年9月14日にK・堀・Xの被疑者3人をいずれも当初の逮捕容疑である死体遺棄罪で名古屋地方裁判所に起訴した[報道 44]。また同日に愛知県警特捜本部は被疑者・被告人3人を強盗殺人・営利目的略取・逮捕監禁の各容疑で再逮捕したが[報道 44][報道 6]、3人ともこの時点で「反省はしていない」「謝罪する気持ちはない」などと供述していた[報道 6]。また同日までの取り調べに対し被疑者3人はそれぞれ「犯行当日の謀議で女性を拉致・殺害することを決めた」と認めた一方、Kは「自分が堀・X・Vの謀議に加わった際には既に強盗殺人をすることが決まっていた」と供述したほか、Xも「当初は殺すことまでは想定していなかった」などと供述し、それぞれ殺害について主導的な役割を果たしたことを否認した[報道 44]。
名古屋地検は2007年10月5日付でK・堀・Xの3被告人を営利略取・逮捕監禁・強盗殺人の各罪状でいずれも名古屋地裁へ追起訴した[報道 8][報道 83]。またXについては逮捕後に被害者遺族から強盗強姦未遂罪で告訴されていたため「事実が認定できる証拠がある」として同日付でさらに同罪でも追起訴した[報道 8][報道 83]。
公判前整理手続[編集]
名古屋地方裁判所(近藤宏子裁判長)は2007年11月13日までに「3被告人の第1回公判前整理手続を2007年12月27日に開く」と決めた[報道 108]。
2007年12月27日に公判前整理手続第1回協議が名古屋地裁(近藤宏子裁判長)で開かれた[報道 109][報道 110]。 それまでの愛知県警・名古屋地検などによる取り調べ段階では被告人3人とも殺害の実行行為に加わったことを大筋で認めたが「事件を主導したのは誰か?」という点については言い分が異なっていた[報道 109]。被告人3人のうち堀が認否を明らかにしなかった一方でK・X両被告人は起訴事実を認める意向を示していたが[報道 109]、同日の協議には3被告人全員が出席したものの起訴事実の認否は行われず約30分で「今後の協議日程・争点を明らかにするための証拠」などについて話し合われた[報道 110]。
以降「2008年3月11日に第2回・2008年4月14日に第3回・2008年5月13日に第4回・2008年6月3日に第5回・2008年6月30日に第6回・2008年7月31日に第7回・2008年9月22日に第8回」と[3]、公判前整理手続が計8回行われ「どの証拠・証人を調べるか・争点の絞り込み」などを続けてきた[報道 48]。
2008年7月31日、名古屋地裁で行われた第7回公判前整理手続にて協議による調整の結果、K・堀・Xの3被告人の初公判を2008年9月25日に開くことが決定した[報道 111][4][5]。2008年9月22日の第8回公判前整理手続で「2008年9月25日に初公判を開き、計18回の公判で証人尋問・被告人質問など証拠調べを行った上で、翌2009年1月20日に論告求刑公判・同年3月18日に判決公判を開く」と具体的な公判日程が指定された[報道 112]。
第一審・名古屋地裁[編集]
初公判[編集]
2008年(平成20年)9月24日に名古屋地裁(近藤宏子裁判長)で被告人3人(K・堀・X)の初公判が開かれた[6][報道 113][報道 47][報道 114]。名古屋地検(検察側)は冒頭陳述で「被告人3人が携帯電話でインターネット上の闇サイトに頻繁にアクセスして知り合った」とされる状況を指摘するとともに「Xは保険金詐欺・Kは虚偽の養子縁組などそれぞれ違法行為を計画したが、いずれも失敗に終わった。その上で被告人3人はファミリーレストランで犯行の謀議をして『OL風の女性を拉致して金を奪い殺す』などといった具体的な犯行計画を練るなど共謀を図った」と指摘した[報道 113]。
続いて3被告人の弁護人もそれぞれ冒頭陳述を行い「ファミリーレストランでは殺害までの具体的な犯行計画は練っておらず、この時点では共謀は成立していない」と反論し、共謀が成立した時期などについてそれぞれ以下のように主張した[報道 113]。
- 被告人Kの弁護人 - 「ファミリーレストランを出て車に乗り込んだ時点」[報道 113]
- 被告人・堀の弁護人 - 「殺害現場で被害者Aからキャッシュカードの暗証番号を聞き出した時点で殺すことに同意した」[報道 113]
- 被告人Xの弁護人 - 「殺害行為にはK・堀両被告人が被害者Aの首を絞めるなどしていたためやむを得ず加わった。犯行後に警察に自首したことで新たな犯行を防ぐことができた」[報道 113]
罪状認否では被告人3人とも被害者Aの殺害自体は認めたが、それぞれ以下のように自身の刑事責任を一部否定する主張をした[報道 114]。
証拠調べ[編集]
証人尋問[編集]
2008年10月10日に第2回公判(証人尋問)が開かれ[報道 115][報道 116][報道 117]、同日の公判では事件直前まで3人と行動を共にしていた男性V(執行猶予付き有罪判決が確定)が出廷し[報道 116]、検察・弁護人側双方の証人として証言した[報道 117]。
- 証人Vは「事件の3日前(8月21日)に堀・X両被告人と初めて顔を合わせたが、その時は『一緒に強盗しよう』と話をしただけで、殺害・女性拉致などに関連する話は全く出ていなかった。翌日(事件2日前の8月22日)に打ち合わせの場に戻るとKも新たに加わっていて、Kは『顔を見られてやばくなるくらいなら、殺して海に捨てよう』などと持ち掛けてきた。Kが主導権を握っているような感じだった」と証言した[報道 117]。
- またこの際になされたとされる「殺害の提案」についてK・堀・Xの被告人は「冗談交じりで発言した」「見栄を張った」と主張したが、証人Vは「22日に4人で会った時『人を殺すかもしれない』と感じて『計画から外れよう』と思った」と証言した[報道 116]。
第3回公判(2008年10月14日)でも引き続き証人尋問が行われ、K・堀両被告人それぞれの弁護人から反対尋問が行われた[7]。
続く第4回公判(2008年10月31日)では名古屋地検・弁護人・名古屋地裁の三者からそれぞれ最終的な尋問が行われ[8]、証人Vは「グループ内部ではKが主導権を握っており、Kがグループに加わるまでは強盗殺人の話は出ていなかった」と改めて証言した[報道 118]。その上でVは「事件前に自身がXと2人だけで窃盗未遂事件を起こした点」について質問を受け「Kが自分に上から目線の話し方をしてくるなどの態度を取っており、それがが気に入らなかった。『Kとは一緒に犯罪をしたくない』と思ったし、強盗殺人をするのも嫌だったからだ」と述べた[報道 118]。
Xへの被告人質問[編集]
第5回公判(2008年11月5日)は被告人Xの公判が分離して行われ[8][報道 118]、証人尋問などが行われた[9]。同日は当時捜査を担当した愛知県警捜査一課の警部が「被告人Xとともに別の窃盗未遂容疑で起訴された証人Vがこの時点で既に逮捕されていたことなどを考慮すれば、仮に被告人Xが自ら警察に通報してこなかった場合でもK・堀・Xの3被告人が捜査線上に浮かび検挙することは可能だった」と証言した[報道 119]。同日は被告人Xへの被告人質問も開始され[報道 120]、事件前の動向・殺害状況などが明らかになった[報道 86]。
- 被告人Xは「犯行前は名古屋市営地下鉄東山線沿線の覚王山・本山・一社・本郷各駅付近の高級住宅街でK・堀とともに通行人を物色し、帰宅途中の女性を執拗に狙った。ATMで金を下ろした女性などをほかにも15,16人車で追いかけたが周囲に人通りが多かったため手を出せず、本山駅近くで帰宅途中の被害者Aを襲撃した」などと明らかにした[報道 120]。
- また被告人Xは「自分はK・堀とともに当初から『女性を拉致・監禁した上で金を奪って殺害する』計画を話していた」ことを明らかにした上で殺害時の様子も詳細に供述した[報道 119]。被告人Xは暗証番号を被害者Aから聞き出した際の状況について「命を奪われてまで被害者Aが嘘をつくはずはないと思った」と述べたが、その暗証番号は虚偽だった[報道 86]。
第6回公判(2008年11月7日)でも前回に続き被告人Xへの被告人質問が行われた[10]。被告人XはK・堀両被告人が殺害行為におよんでいた際に2人を傍観していたが[報道 121]、その様子について以下のように述べた。
- 「サスペンス劇場や映画を見ているような感じだった。自分は見ているだけだった」[報道 122][報道 121][報道 46][10]
- 「被告人Kはハンマーで被害者Aの頭を殴っているとき、笑みを浮かべていた」[報道 122]
- 「自分はいったん車外でたばこを吸っていたが、戻ってみるとK・堀両被告人が被害者Aの首を絞めていたので『あ、殺しちゃうんだな』と思った」[報道 122]
- 「殺害を決めたのは自分ではない」[報道 123]
なお被告人Xは被告人質問の途中で共に出廷していたK・堀両被告人に「こうやって雁首並べることになったのは、お前のせいだ」などと突然声を荒げた[報道 122][報道 46]。これに対し堀は下を向いた一方で被告人Kが被告人Xを睨み付けたため、Xは「がんをつけとんな」と畳みかけたが[報道 46]、その際には廷内が一時騒然となり[報道 121]、裁判官が制止した[10]。また被告人Kは被告人Xの発言途中で体調を崩し退廷しようとしたが、その際に胸を押さえて床に倒れ込み刑務官に運び出された[報道 122]。 第7回公判(2008年11月17日)では被告人Xに対し3被告人の各弁護人・検察官それぞれからの質問が行われ、Xへの被告人質問が終了したが、被告人Xは検察官から「自分の目の前で被害者Aが殺されるのを見てどう思ったか?」と質問されると「何も思いませんでした」と答えたため、被害者Aの母親は「前回の発言と合わせみて(Xには)『もはや人間性のかけらも残っていない』と感じた」と述べている[11]。
Kへの被告人質問[編集]
第8回公判(2008年11月19日)より被告人Kへの被告人質問が開始され、被告人Kは以下のように証言した[報道 124][12]。
- 「堀・X両被告人と出会った直後に2人が既にハンマー・軍手などを用意していたのを見て『いきあたりばったりで人を殺そうとしているなんて…』と呆れた」[報道 124]
- (2人が「殺人まで考えている」と聞き)「強盗の誘いを断ったら(自分が)襲われるかもしれないと思って承諾したような返事をした。当初は殺人の計画を考えていなかった」[報道 124]
- (殺害時の状況について)「被告人Xが被害者Aを乱暴しようとして、被害者Aの様子がおかしくなったため殺害を決意した。堀と目配せをして自分が首を絞めた」[12]
- (堀・X両被告人と出会った闇サイト「闇の職安」について)「風俗関係の知人女性を希望者に紹介したり、事件の5年前から小遣い稼ぎに利用していた」[報道 124]
第9回公判(2008年11月26日)でも引き続き被告人Kへの被告人質問が行われた[報道 125][13]。
- 被告人・堀の弁護人が被告人Kに「堀・X両被告人と出会った当初、過去に人を殺したことがあったと話したか?」と質問したところ、被告人Kは「警察官には『2人ほど埋めたことがある』と話した」と答えた[報道 125]。続いて「実際にやったのか?」と追及されると、Kは「はい」と答え「(その事件では)殺害行為には関わっていない」などと話したが、それ以上のことについては具体的な話はなく、愛知県警もそのような(被告人Kが本事件以前に殺人を犯していたという)事実は把握していなかった[報道 125]。
第10回公判(2008年12月1日)でも[14]、引き続き被告人Kへの被告人質問が行われ[報道 126][報道 127][報道 128]、被告人Kは以下のように証言した。
- 「被告人・堀が被害者Aから銀行のキャッシュカードの暗証番号を聞き出してから自分に『もうやっちゃいましょうか』と殺害を提案した。それに対し自分は『首を絞める』と応じたが『暗証番号が本当かどうか分からない』と思ったので、まずは失神させようとした・しかし被害者Aが被告人Xに強姦されそうになり大声を上げたため『殺すしかない』と考えた」[報道 127]。
- 「被告人Xは『外でたばこを吸っていて、車に戻ったら被告人Kが首を絞めていたのでやむを得ず自分も加わった』と主張していたが、被告人Xは殺害時には運転席にいた」[報道 127][報道 128]。
- 「8月26日に逮捕された後、自分とは別の警察署に留置されていた被告人Xに『知人が面会などで失礼をすることがあれば許してください』などと記載された『被告人Xに危害を加えることを示唆する脅迫めいた手紙』を送った」[報道 128]。
- 「被告人Xが事件後に自首したことで事件が発覚したことを逮捕から数日後に知らされたので正直頭にきた。(Xを)ぶっ殺してやりたいと思った」[報道 128]
また同日は捜査段階における警察の調書も明らかにされ、被告人Kが逮捕後の取り調べに「自分は自分で作ったルールに従って生きるだけで『他人が作った法律に縛られて生きよう』とは思わない。人を殺すことに全く抵抗感はない」などと供述していたことが明らかになった[報道 126]。
堀への被告人質問[編集]
第11回公判(2008年12月3日)では[15]、堀・X両被告人に対する被告人質問が行われた[報道 129]。
- 被告人・堀は「被告人Kは『堀が殺害を提案した』と証言しているが、それは違う。被告人Kが突然『首を絞める』と殺害を提案してきた」と反論した上で「(当初から)拉致して金を奪うことは決まっていたが(その時点では)『人を殺す』という話は出ていない。(殺害を提案され)『なぜか?』と思ったが、反対はしていない」と述べた[報道 129]。
- また被告人Xの「被告人Kが首を絞めた時、自分は車の外にいた」という主張に対しK・堀両被告人はいずれも「被告人Xは殺害時、運転席にいた」と証言した[報道 129]。
第12回公判(2008年12月5日)で[16]、被告人・堀への被告人質問が行われたが、弁護人から殺害状況について質問されていた途中で涙を流す一面があった[報道 130]。
- 被告人・堀は自身が被害者Aの頭をハンマーで3回殴打した際について「『血が飛んできた』と思ったのでそれ以上殴るのをやめた」と涙声で述べたが[報道 130]、近藤裁判長から「他人のせいばかりにして本当に反省しているのか?」と厳しく問い質された[報道 46]。
- また被告人・堀は「自分が被害者Aの頭を殴った後で被告人Kが30回以上にわたって再び頭を殴打しているのを見た。(被害者Aの)むごたらしい顔を見て思わず『もういいんじゃないか』と言ったが、被告人Kは殴るのをやめなかった」と涙声で供述した[報道 130]。
被害者遺族への証人尋問[編集]
第13回公判(2008年12月8日)で[17]証人尋問が行われ、検察側証人として初出廷した被害者の母親らが「死刑判決を望む」と語った[報道 131][報道 132][報道 133][報道 134]。翌2009年5月から開始される裁判員制度を意識した名古屋地検は[報道 132]、法廷の大画面に「被害者Aの誕生直後 - 社会人になるまでの半生」を写真で映しながら被害者遺族らへの質問をした[報道 131]。証言は約2時間にわたったが[報道 133]、この日は弁護人側からの反対尋問はなかった[報道 132]。
検察官からの質問に対し被害者Aの母親は以下のように涙ながらに証言した[報道 131]。
- 「(これまでの公判の傍聴は)とてもつらかった。命乞いに耳を犯さない被告人3人に酌量の余地などない」[報道 132]
- 「被告人3人は、それぞれ『自分は主導していない』などと主張して責任を押し付け合っているが、責任に軽重はなく同じ罪だ」[報道 132]
- 「白血病により31歳で亡くなった夫(Aの父親)の代わりに、1人で子育てをしてきたのに、娘を守ってあげられなくて主人に申し訳ない」[報道 131]
その上で被害者Aが被告人3人に虚偽の暗証番号を教えたことについて「(娘が口座に貯金していた理由は)『家を立てる』という約束を主人に代わって叶えるためこつこつ貯金していたのだろう。犯人たちには絶対に渡したくなかったのだろうと思う」と語った[報道 134]。また被害者Aの母親が千種署の霊安室で娘の遺体と対面した際の状況について以下のように述べると傍聴席からすすり泣きが漏れた[報道 132]。
証言の途中、3被告人はモニターの写真に目を向けたり目を閉じてうつむいたりしていた[報道 133]。その上で、被害者Aの母親は(この時点までに集まった)極刑を求める297,000万人の署名について質問されると以下のように証言した[報道 131][報道 134]
- 「娘は殺されるために生まれてきたのではない」[報道 133]
- 「司法では、被害者が2人以上(殺され)ないと極刑は難しいのか。同種の犯罪を抑止する意味からも凶悪な罪を犯した3被告人に死刑を望む」[報道 131][報道 134]。
また被害者Aと交際していた男性は「生前の被害者Aはよく数字の語呂合わせをしていたが、彼女が被告人らに『2960』と虚偽の暗証番号を伝えたのは『憎むわ』という意味だと思う」と証言した[報道 131]。被害者Aの母親は閉廷後に名古屋市内で記者会見して「3被告人がはこれまでの公判で謝罪の言葉を述べていないが、見せかけの謝罪をされるよりはむしろない方がいい」と話した[報道 134]。
その後の証拠調べ[編集]
第14回公判(2008年12月11日)で[18]証拠調べが行われ[報道 135]、検察側からの証拠提出により被告人Xが取り調べに「自首しようか、自殺しようか考えていた」と供述していたことが判明した[報道 136]。その後、被告人Xの公判が分離で行われ、情状面に関して[報道 135]被告人質問が行われた[報道 137]。被告人Xは弁護人から被害者遺族への謝罪を促されたが[報道 135]、被害者への気持ちを聞かれると以下のように述べただけだった[報道 136]。
- 「お気の毒でかわいそう」[報道 135]
- (被害者Aが殺害された理由について)「運が悪かった」[報道 138]
- 「表現の仕方がわからない。『ご愁傷さま』だったらもっと腹が立つでしょう。自分にはそういう表現しかできない」[報道 135][報道 138]
弁護人は再三にわたり反省の言葉を引き出そうとしたが[報道 138]、被告人Xは上記のような言葉を淡々と述べたため検察官から「他人事のように聞こえる」と窘められた[報道 138]。その上で被告人Xは弁護人から「申し訳ないという気持ちはあるか?」などと問われると[報道 136]「その気持ちはあるが、被害者遺族が納得できない謝罪は意味がない」と供述したほか[報道 137]、Aの母親ら被害者遺族が死刑を望んでいることについて問われると以下のように述べた。
- 「死刑なら死刑で構わない。生きることに未練はない」[報道 138]
- 「(ここに)包丁があるなら今、(遺族に)刺してもらってもいい」[報道 137][報道 46](=「自分の命を差し出してもいい」という意味)[報道 137]
- 「私にも子供がいるので逆の立場ならそう思う」[報道 135][報道 138]
近藤裁判長は被告人Xに「開き直っているのか?」[報道 137]「何を被害者に伝えるべきか、苦しくて考えたくないのではないか?」と発言の真意を問うたが[報道 135][報道 138]、Xは「開き直っているのではない」[報道 137]「逃げているのかもしれません」などと返答した[報道 135][報道 138]。一方で被告人Xは「自分の刑事責任はK・堀両被告人より比較的軽い」と改めて主張し、K・堀両被告人について「(責任は)自分より重いと思う。反省してない」と述べた[報道 138]。
- (犯行後に自首した経緯)「被害者Aが最期に言った『殺さないで』という言葉が頭から離れず、犯行後のK・堀両被告人の発言にも腹が立っていたためだ」[報道 137][報道 136]
- (検察官から事件の責任を問われて)「自分が首謀者で被告人Kが主犯だ」[報道 137]。
検察官は「被告人Xの父親が『親としてどう謝っていいか分からない。極刑の処罰を受けさせてほしい』と証言していた」と明かした[報道 136]。
第15回公判(2008年12月17日)で被告人・堀に対し情状面に関する被告人質問が行われ、堀は以下のように返答した[19]。
- 「手記で『償い』という言葉を何度も書いているが、どう償っていくつもりか?」という質問に対し「極刑が償いになるのか?自分を苦しめていくことが償いだと思う」[19]
- 被害者Aの母親は「その手記の中の『外に出る…』との言葉の意味は『社会に出る』という意味だ」と感想を述べており、近藤裁判長から「堀の言う『償い』は楽だと思うか?」という言葉に対し「そうは思わない」と答えている[19]。
- 「被害者遺族・関係者の『憎むわ』という暗証番号の意味を聞いて辛く思ったが『もっともだろう』とは思わない」[19]。
- 「『共犯者に付いていった』という意識で犯行を実行しており、共犯者に対する恐怖から殺害を止める事ができなかった。仮に殺害を止めた場合は特に被告人Xが怖かった」と発言したが、被害者Aの母親は「罪を他の二人に押し付ける供述に聞こえた」と批判している[19]。
- (犯行後に共犯者へ送った)「お疲れ様です」というメールについて「意味はそのまま言葉通りで『被害者Aを拉致・殺害して遺体を遺棄した一連の行為』に対しての言葉だった」[19]
第16回公判(2008年12月19日)では被告人Kに対する被告人質問・および被告人Kの父親に対する証人尋問が行われた[20]。
- 同日、被告人Kが自身の交際相手女性宛てに被害者Aを「嘘吐き(うそつき)姉ちゃん」「食えねえ女だ」などと中傷していたほか、事件を「仕事」と表現した内容の手紙を渡していたことが明かされた[報道 23]。被告人Kはその手紙の内容・意図を「(交際相手から)『犯行時の正直な気持ちを書きなさい』と言われたためだ。(自分の行為は)頭を下げるとか、文章にして詫びるとかで許される行為ではない。『判決に恭順する』ということで納得していただきたい」と述べた[報道 23]。
- また同日、検察側が被告人Kの父親(当時70歳代)に証人尋問で「どんな刑が適切か」と質問すると、弁護人が「既に被害者遺族が死刑を求める意見を陳述しているのに続いて加害者の親族まで死刑を求める意見を発すれば情状面で不利になる」という懸念から「意見を求めるのは不適切だ」と異議を唱えたが、近藤裁判長は弁護人の異議を退けて被告人Kの父親に発言を許可した[報道 139]。被告人Kの父親は息子への量刑について「被害者や遺族にはどんなに謝っても謝りきれない。極刑が妥当だと思います」と述べた[報道 23]。
3被告人に死刑求刑[編集]
2009年(平成21年)1月20日に第17回・論告求刑公判が開かれ[21]、検察側(名古屋地検)は被告人3人(K・堀・X)にいずれも死刑を求刑した[報道 24][報道 140][報道 141][報道 142]。 同日はまず論告に先立って被害者遺族(Aの母親)が意見陳述して以下のように述べた[22]。
- 「どれほど怖い思いをしても最期まで生きることを諦めなかった娘を誇りに思う。女手一つで育ててきたたった1人の娘を奪われたまま、私の時間は止まっている」[報道 25]
- 「娘だけでなく自分も一緒に殺されたようなものだ」[報道 143]
- 「(これまでの公判で明らかになった、殺害の態様・公判での被告人の態度に触れ)被告人らが述べる反省の態度・償いの気持ちは口先だけで、矯正の余地は見い出せない。3被告人への死刑を求める」[報道 25]
これに続き、論告で検察側は「極めて安易に拉致・殺害を計画し、約4時間にわたって名古屋市内を徘徊して襲撃対象の女性を執拗に探した。高い計画性に基づく犯行だ」と主張した上で[報道 144]、情状面に関して以下のように主張した。
- 「『楽をして金銭を得たい』という自己中心的・低劣な動機・犯行経緯であり、酌量の余地は全くない」[報道 145]
- 「被害者の命乞いを無視した挙句に地獄の苦しみを味わわせて殺害した」[報道 141]
- 「被害者に肉体的激痛・精神的恐怖心を加えながら『生き埋めにしたのと他ならない残虐な方法』で殺害した行為はまさに鬼畜の所業だ。殺害後は利欲的動機の赴くまま死体の処分より預金の引き出しを優先し、失敗すると死体をゴミ同然に遺棄した。人命の尊厳を一顧だにしておらず戦慄を覚えずにはいられない」[報道 145]
- 「自己の利欲目的達成のため他人の生命を軽視する根深い犯罪性向・反社会性がある」[報道 141][報道 145]
その上で、各被告人の矯正可能性については以下のようにそれぞれ指弾した上で「3被告人とも犯行後に同様の強盗殺人事件を実行しようとしており、根深い犯罪性向・人間性の欠如が乏しく、今後矯正の可能性は全くない」と断罪した[報道 145]。
- 被告人K - 「被害者Aを『嘘吐き姉ちゃん』『喰えねえ女だな』などと愚弄する表現をしており、謝罪・反省は上辺だけだ」[報道 145]
- 被告人・堀 - 「刑務所から出所できることを前提とした手記があり、その身勝手さには言葉もない」[報道 145]
- 被告人X
これに加えて「面識がなかった3人がインターネットの闇サイトをきっかけに犯罪目的で集まった上に極めて短期間で殺害まで計画するなど、人の所業とは考えられない。社会全体を震撼させた凶悪犯罪で模倣性の強さは他事件の比ではない」と述べ[報道 24]、さらに「極刑を求める署名が30万人近く集まったのはその社会全体が感じた恐怖の表れである。一般予防・社会防衛の観点からも峻厳な処罰をもって臨むしかない」と主張した[報道 145]。
また被害者の無念や遺族・関係者の処罰感情については以下のように表現・主張した[報道 145]。
- 「被害者Aが死の直前に金を奪われないように考えて口にした虚偽の暗証番号『2960』は“『被告人を憎む』という意味を込めて遺した”と解釈できる。その無念の思いを察すると悲しく痛ましい」[報道 145]
- 「被害者Aの母親・伯母や交際相手をはじめ被害者遺族・関係者らが一様に死刑判決を強く望むことは当然の感情であり、その切望に応えることこそ法に課された使命だ。その意思は量刑面において最大限に考慮されねばならない」[報道 145]。
そして1983年に最高裁判所判例として示された死刑選択基準「永山基準」についても言及し、以下のように主張した上で死刑を求めた[報道 145]。 「これまでは『殺害された被害者の数』が重視されてきたが、それは『考慮すべき要素の1つ』として挙げたものにすぎず、被害者より被告人の数が多い場合であっても罪質・結果の重大性などに照らして刑事責任が重大な場合は死刑を選択すべきだ」[報道 145]
- 「3被告人は一体となって計画に基づき犯行を遂行した。K・堀両被告人の刑事責任に差異はないほか、犯行後に自首した被告人Xもその動機を『両被告人の言動に腹が立った』と供述していることから『心からの反省悔悟の情によるもの』とは認められない。被告人Xの自首は刑の軽減が認められる事情とは認められない」[報道 145]
- 「死刑が『究極の刑罰』だとしても、犯した罪の報いを正当に受けることを社会に示すことが被害者や遺族・および国民から司法に対する信頼を得るものであり、被告人3人に対してはいずれも死刑をもって臨むほかない」[報道 145]
『読売新聞』2009年1月21日中部朝刊(読売新聞中部支社)記者・松田晋一郎は被告人3人への死刑求刑について「殺害された被害者が1人の事件としては極めて異例だが、名古屋地検が動機・殺害方法の悪質さや極刑を求める被害者遺族の処罰感情などを総合的に考慮した結果だ」と解説した[報道 146]。
最終弁論・結審[編集]
2009年2月2日に第18回公判が開かれて結審し[23]、弁護人側の最終弁論が行われた[報道 9][報道 147][報道 10]。
3被告人の弁護人はいずれも「殺害された被害者数が1人である上に虚勢を張り合う中で起きた偶発的犯行で、殺害方法・場所も事前には決めておらず高い計画性はなかった。過去の判例と比較しても死刑を選択する場合に該当しない」としていずれも死刑回避を求めた[報道 9]。
- 被告人Kの弁護人
- 被告人・堀の弁護人 - 「殺害行為を主導したのは被告人Kで、堀はその指示に従っており関与の度合いが低い。改悛の情は顕著で『矯正不可能』とは言えず、(懲役刑で)生きて罪の償いをさせることが相当だ」[報道 9]
- 被告人Xの弁護人
その後、被告人3人は最終意見陳述で以下のように述べた[報道 9][報道 10]。
- 被告人・堀は、検察側の論告で「手記で『刑務所から出所できることを前提にしたような表現』をしている」と非難を受けていたが[報道 145][報道 144]、この公判では「死刑判決が下されれば受け止める覚悟はできている」と述べ[報道 10]、泣きながら「被害者の夢・希望を奪って遺族に苦しみを負わせてしまった。申し訳ない」と述べつつ、被害者遺族が座る傍聴席へ頭を下げた[報道 9]。
- 被告人Xは被告人質問で被害者に対し「お気の毒」「運が悪かった」などと語っていたが、その発言の真意を「開き直ってしまったが『売り言葉に買い言葉』であり、本心ではない」と釈明した上で[報道 10]、声を震わせつつ[報道 9]、「(被害者Aの)お母さんの意見陳述は胸に刺さりました。被害者Aさんのご冥福をお祈りします。すみませんでした」と一礼した[報道 9]。
- 一方で被告人Kは「特に申し上げることはない」と述べただけだった[報道 9][報道 10]。
第一審判決[編集]
2009年3月18日に開かれた第19回公判(判決公判)にて判決が言い渡され[24][25]、名古屋地裁(近藤宏子裁判長)はK・堀両被告人には求刑通り死刑判決を、被告人Xに対しては無期懲役判決(求刑:死刑)をそれぞれ言い渡した[24][26][25][報道 20][報道 148][報道 149][報道 150][報道 4][報道 5]。
名古屋地裁は判決理由で「3被告人はいずれも強い利欲目的・計画性の下で殺害行為を実行した」と認定した上で「インターネットの闇サイトを通じて知り合った3人が通りがかりの市民の生命を奪った凶悪犯罪で模倣される危険性が高く、一般予防の見地からも刑事責任は誠に重い」と指摘した[報道 20]。その上で殺害行為については「命乞いをする被害者を無視して殺害行為を続けた犯行態様は無慈悲・凄惨・残虐である」と述べた[報道 20]。
また3被告人それぞれの役割については以下のように認定し「3被告人の刑事責任は犯行の経緯・状況に関して、量刑上特に刑種の選択を分かつほどの差異を設けるべき事情はない」とした[報道 21]。
- 被告人K - 「最も積極的に殺害の実行行為に及んだ」
- 被告人・堀 - 「『人を拉致・監禁し強盗を行う』という計画を当初から提案していた」[報道 21]
- 被告人X - 「闇サイトへの書き込みで共犯者を集め、被害者に対し性的暴行を加えようとした」[報道 21]
その一方で名古屋地裁は「今回のような犯罪は犯罪者の発覚・逮捕が困難」と指摘して「悪質性が高い犯罪だからこそ、被告人Xが犯行後短時間で自首して共犯者の逮捕に協力したことでその後に起こり得た犯罪を阻止したことは量刑上有利な事情である」と評価した[報道 20][報道 21]。その上で被告人Xに対しては「極刑をもって臨むには躊躇いを覚える」として死刑から罪一等を減じ無期懲役を選択した一方、残るK・堀両被告人には「死刑は『人命を奪う究極の刑罰』であり慎重に適用されなければならないが、殺害された被害者が1人であること・粗暴犯の前科がないことといった情状を考慮しても極刑をもって臨むことはやむを得ない」と結論付けた[報道 20][報道 21]。
日本弁護士連合会(日弁連)が把握している確定判決の統計では「1983年に最高裁から「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者数1人の殺人事件で複数の被告人に死刑判決が言い渡された事例は1988年に最高裁で被告人2人に対する死刑判決が確定した福岡病院長殺人事件(1979年11月に福岡県北九州市で発生・1996年に死刑執行)以来2件目」であった[報道 151]。『中日新聞』2009年3月18日夕刊は「『永山基準』はあくまで『死刑適用の可否を判断する枠組みを羅列したもの』にすぎず、具体的に『被害者の数が何人以上なら死刑を選択すべき』と明記されているわけではないが、死刑求刑事件では殺害された被害者数が1人の場合に死刑を回避する傾向が強かった。これまでは曖昧な『永山基準』を『法曹界でのみ通用するイメージ』で補ってきたが、今年5月以降には裁判員制度が開始される。『死刑と無期懲役の差』は一般市民にとってはあまりにも大きく、このままでは裁判員らに対し混乱を引き起こしかねない」と懸念する内容の記事を掲載した[報道 76]。
公判中に唯一被告人3人の中で反省の言葉を述べなかった被告人Kは死刑判決を受けた後、珍しく傍聴席に一礼してから退廷した一方、同じく死刑判決を受けた被告人・堀は挨拶どころか傍聴席を見向きもせずに退廷した[書籍 75]。大崎善生は当時の堀の態度について「それまで丁重に振る舞っていたはずの堀はその日に限り傍聴席を見ず退廷した。堀の本性が垣間見えた瞬間だった」と表現している[書籍 75]。
判決後[編集]
被害者の母親は開廷前に報道陣へ「3人とも死刑になることを望んでいます」と話していたがその思いは果たせず、判決後の記者会見では涙を見せつつ以下のように述べ[報道 152][報道 153]、死刑が適用されなかった被告人Xについては「もし社会に戻ったら同じ罪を犯すのではないか」と不安の心境を述べた[報道 154]。
- 「K・堀両被告人に対し死刑判決が言い渡されたことは当然だと思う」[報道 154]。
- 「娘の生きた証を残すために戦ってきたが、(被告人Xが死刑回避されたため)3人全員の死刑ではなかった。今はとてもつらい」[報道 152]
- 「日本の司法では1人殺したくらいなら『ごめんなさい』と自首すれば、自分の命は守れるなんておかしい」[報道 154][報道 153]、声を絞り出しつつ無念の思いを語った[報道 154]。
また、被害者が生前交際していた当時大学院生の男性も会見に同席して「ゼロに近い判決。力及ばず被害者に申し訳ない。公判を通じて被告人らに反省の態度が見られなかったこともつらかった」と述べ、Aの母親と同様に悔しさをにじませた[報道 153]。
被告人・堀の発言[編集]
「判決公判前から死刑判決を受けることを覚悟していた」被告人・堀は判決後に拘置先・名古屋拘置所内で弁護人と面会したが、弁護人と面会した際は「死刑判決を受けたことを理解できないほど落胆していた」様子で涙ぐんでいた[報道 155]。さらにその後、判決言い渡しから約4時間後には名古屋拘置所内で『毎日新聞』記者と約15分間にわたり面会した[報道 155]。被告人・堀は死刑判決言い渡し直後の心境について「想定はしていたが、それでも(死刑判決の)言葉は重かった」と述べた上で、判決の事実認定について「犯行の経緯など細かい部分で自分の供述と他の2被告人(K・X)の供述が食い違ったが、それは自分が不利になる部分だ。判決は『被告人・堀の供述には信憑性がない』と認定されているが、それは納得できない」と不満をのぞかせた[報道 155]。
その上で「刑罰の厳罰化の潮流」についても言及して「(判決は)余計に納得できるものでなくてはならない。納得した上で死刑に処されるのなら何も言わないが真実がねじ曲げられている。(本判決は『闇サイトを悪用した事件の悪質性』を厳しく指弾したが)自分は闇サイトを使い始めてからまだ2カ月ぐらいで、長期にわたって使っていたK・X両被告人とは違う」と主張した一方、「事件があまりにも大きすぎるので細かい部分については争っても仕方がないと思った。被害者遺族には申し訳ない気持ちで、反省についても毎日考えている」と語った[報道 155]。
被告人Xの発言[編集]
判決当日の2009年3月18日、被告人Xは名古屋拘置所内でフジニュースネットワーク(FNN)記者と面会した[報道 156][報道 157]。被告人Xは公判中こそ殊勝なそぶりを見せていたが[報道 19]、死刑判決を免れた直後のこの面会で「『3人一緒に死刑になる』と予想していたから驚いたが、自首したことが認められたことについてはよかったと思う。『誰のおかげで事件が解決したのか』という思いだったから[注 20]満足している。被害者Aの前に何人も物色しているんだから、彼女になったのは『運が悪かったから』だ。今でも『悪いことはばれなきゃいい』という気持ちは変わらない。生かしてもらえてよかった。ありがたい」と発言し、同日のFNNニュース(フジテレビ系列:中京圏では東海テレビ放送にて放送)ではこの発言が取り上げられ「反省の態度見られず」と報道されたほか[報道 156][報道 157]、翌2009年3月19日にフジテレビ系列で放送された「情報プレゼンター とくダネ!」(司会者:小倉智昭)では本事件について取り上げたニュースにて被告人Xの発言が取り上げられ、出演者から判決への賛否の声が上がった[報道 158]。
また被告人Xは2009年3月19日に『中日新聞』記者と面会した際に「『自分も含めて3人とも同じ刑になる』と思っており、被告人Kと同じ判決だったら控訴するつもりだった。自首が認められて助かった」と述べた[報道 159]。一方で「判決理由で『自分が被害者Aに乱暴しようとしたことが殺害の契機になった』という事実認定がなされた点は違う。殺害までの経緯などの事実認定は検察側の主張通りになっており納得できない。(自身が控訴するか否かは明言しなかったが)検察側が控訴するなら最後まで戦うしかない」と述べた[報道 159]。
控訴[編集]
判決後、被告人Kの弁護人は「闇サイトを介して形成された犯罪集団の危険性・模倣性を不当に重く量刑事情として解釈している」とコメントし[報道 160]、同日付で死刑判決を不服として名古屋高等裁判所に控訴した[報道 21]。一方で被告人Kは収監先・名古屋拘置所に戻って弁護人と面会して弁護人から控訴する旨を聞かされたが、報道関係者との面会後に拘置所職員に対し「現在は弁護人が控訴の申立をしているはずだが、法廷で被害者Aの母親の顔を見たら『とても自分では公訴できない』と思った。今日面会した報道関係者に仲介をお願いしたが、(被害者遺族からも自分に言いたいことがあるだろうから)被害者遺族に直接会って謝罪したい。それが済んだら控訴を取り下げる」などと述べた[裁判 3]。また同日夜には居室内で箸の先端を尖らせていたため「自殺の危険性がある」として保護室に収容されたが、その際の拘置所職員による事情聴取に対しては「死刑判決は最初から受け入れているし自殺するつもりはない。弁護人が控訴したが後で取り下げる」と述べた[裁判 3]。
2009年3月24日付で被告人・堀の弁護人は死刑判決を、被告人Xの弁護人も無期懲役判決をそれぞれ不服としてそれぞれ名古屋高裁へ控訴したほか[報道 53]、被告人K自身も同日付で名古屋高裁に控訴した[報道 161]。同日及び翌日(2009年3月25日)、被告人Kは名古屋拘置所で報道関係者と面会したほか、翌々日(3月26日)には交際相手と面会したが、それぞれ面会相手に対し使用できる物品を制限されたことに対する不満を記載した文書を出した[裁判 3]。
一方で名古屋地検も死刑ではなく無期懲役判決を受けた被告人Xについて2009年3月27日付で量刑不当を理由に名古屋高裁に控訴した[報道 67]。
第一審判決への反響・評価など[編集]
大崎善生は著書『いつかの夏』にて「司法は『殺害された被害者数が1人なら原則として死刑を回避する』永山基準というモンスターに囚われて多くの被害者遺族を苦しめてきた。永山則夫の犯行当時と現代では価値観も経済も道徳観も何もかも違うが、裁判は判例至上主義のように永山基準に戻っていく。まるでモンスターに鷲掴みされているかのようだ」と表現した[書籍 76]。
本判決は「1人の被害者に対し2人に死刑が言い渡されるという異例の判決」として注目され「1人の女性裁判長が永山基準に挑んだ」としてマスコミも大きく取り上げたことで話題になった[書籍 76]。法曹界出身者からは「厳しすぎる不当判決」という意見が多かった一方、識者や学者らは判決の勇気を讃えた[書籍 76]。
- 諸澤英道・常磐大学大学院教授(被害者学)は『中日新聞』2009年3月18日夕刊で「好き勝手やった犯罪だから被告人2人への死刑判決は妥当だろう。量刑理由では殺害人数1人であっても被害者遺族の心情・社会的影響を重視している。無期懲役となった被告人Xは自首・事件早期解決への貢献を考慮しており(他2被告人と)納得できる違いとなっている」とコメントした[報道 149]。
- 一方で石塚伸一・龍谷大学法科大学院教授(刑事法)は同紙にて「死刑判決自体もそれに至る根拠が希薄である点でも意外だ。事実認定が漠然としているのに『被害者が1人の事件で死刑を適用する積極的な根拠』が示されておらず、事件の特色に基づき「社会への安全に与える影響が大きい」など立証困難な裁判所自身の評価が用いられている。裁判所が社会的影響を気にした判決と言え、証拠に基づいた裁判であるかどうか疑問が残る」とコメントした[報道 149]。
- 地元紙・『中日新聞』(中日新聞社発行)および同じく中日新聞社発行の『東京新聞』は以下のように評価した。
- 翌2009年3月19日の『中日新聞』『東京新聞』朝刊社説で「殺害された被害者が1人の事件では異例(の判決)だが、むごい手口や被害者の無念さ、遺族の悲嘆を思えばやむを得ぬ判決だ」と述べ[報道 162][報道 163]、『中日新聞』朝刊1面のコラム「中日春秋」は「1つの殺人事件の犠牲者が5人でも、個々の遺族の怒り・悲しみは5分の1にはならない。殺されたのが何人でも奪われた1人は1人、100%の損失だ。Aを失った母親もその思いだろう。見ず知らずの者同士がネットの闇サイトで知り合い、金目的で通りすがりの被害者を拉致し『やっちまおうか』などと殺害を相談する言葉そのままに被告人らが犯行を行ったのは、戦慄すべき『軽さ』だ」と述べた[報道 164]。
- 『東京新聞』朝刊1面のコラム「筆洗」では「過去の裁判では被告人に殺人前科がなく被害者が1人の場合は死刑の適用を回避する流れがあったが、殺された側からすると『被害者が何人か』は意味がない。誰もがかけがえのない命である。被害者の人数が(死刑選択にあたって)決定的な要素とはいえない」と主張した[報道 165]。
- 一方で『東京新聞』2009年3月26日朝刊発言欄には「被害者の命より自首した被告人(死刑判決を免れた被告人X)の命が重いのが残念だ。自首をすれば死刑を免れる。自首が『評価』されるという悪しき前例を作った判決だからだ。事件の残忍性・凶悪性から見て被告人3人全員が死刑になってもなんら不思議ではない。ご遺族の気持ちを思うとなおさら疑問に感じる」という投書が掲載された[報道 166]。
- 『産経新聞』は2009年3月19日付コラムで判決を「社会常識に沿ったごく自然で当然の判断。(同年5月から開始された)裁判員制度に多大な影響を及ぼす意義ある妥当な判決」と評価した[報道 167]。
- 『毎日新聞』2009年4月2日東京朝刊発言欄「みんなの広場」には「いろいろな殺人事件があるが、女性が3人の男に拉致されて有無を言わさず殺された本事件は実に残虐非道だ。被害者の死の間際の恐怖、残された母親の心情を思うと、涙が止まらない。素性を知らない者同士が集まり目的を達成すれば解散する闇サイトは犯人の特定が難しいことから、未解決事件の中には闇サイトが関与したものがあるのではないか?一刻も早く闇サイトを摘発してもらいたい」という投書が掲載された[報道 168]
被告人Kの死刑確定[編集]
被告人Kは2009年4月6日に「2日前から頭痛がする」と申し立てて医師から頭痛の診断を受け、同年4月8日・10日にもそれぞれ診察を受けて頭痛対症薬を変更されるなどしたが、精神障害を疑われることはなかったほか異常な言動は見られなかった[裁判 3]。Kは4月10日(金曜日)午前中に報道関係者と面会して事件内容などについて質問を受け、公訴を維持した場合を前提に回答したが、その際にも特に異常な言動はなかった[裁判 3]。同日夜、被告人Kは名古屋拘置所職員に「控訴を取り下げたい」という旨を申し出、対応した職員から「なぜ担当職員がいない時間に申し出た?」と問われると「来週月曜日に担当職員へ改めて申し出る」と返答した[注 21]。Kは手紙への返信・読書をしつつ土日を過ごすと2009年4月13日(月曜日)に控訴取下申立書を作成・提出して控訴を取り下げたため[注 22][裁判 3]、弁護人の控訴は効力を失い、被告人Kの死刑判決が確定することとなった[報道 27]。
控訴取り下げ後の2009年4月15日、死刑囚Kは報道関係者との面会で「控訴取り下げは自分の判断だ。自分はもともと名古屋高裁で争うつもりはなかった。死んで罪を償うことしかできない」などと発言したほか、翌16日には別の報道関係者に対し控訴取り下げ理由を「今回の判決に関しては判検交流されているため『このまま裁判を続けてもしょうがない』と思った。また被害者遺族が死刑を望んでいたため、自分も『死をもって償うしかない』と思った」などと発言し、同日には東京都内の法律事務所宛てに「控訴を取り下げたので間もなく死刑確定者になる」などと記載した文書を送付した[裁判 3]。
しかし第一審で被告人Kの国選弁護人を務めていた[報道 169]弁護士2人(蔵冨恒彦・福井秀剛)は[報道 170]「被告人Kは控訴取り下げの効果を十分に理解せず、あるいは理解する能力を欠いていた精神状態だったため、控訴取り下げは真意に基づいていない」などと主張して2009年4月27日付で控訴取り下げの無効確認・控訴審の開廷を名古屋高裁に申し立てた[報道 169]。同日、弁護人は死刑囚Kと面会して「本件被告事件の弁護人に選任する」旨の弁護人選任届に署名押印させた[裁判 3]。
2010年9月9日付で名古屋高裁(下山保男裁判長)は弁護人が求めていた控訴審期日指定の申し立てを棄却して控訴取り下げを有効とする決定を出した[裁判 3][報道 171]。弁護人はこの決定を不服として名古屋高裁の別の裁判部に異議を申し立てたが[報道 172]、名古屋高裁(志田洋裁判長)は2011年2月10日付で異議申し立てを棄却する決定をした[報道 173]。
弁護人は決定を不服として2011年2月14日付で最高裁へ特別抗告したが[報道 173]、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は2011年3月2日付で控訴取り下げを有効と判断して弁護人の特別抗告を棄却する決定を出した[報道 174]。
控訴審・名古屋高裁[編集]
堀・X両被告人の弁護人は第一審判決後にそれぞれ心理鑑定を実施した[報道 175]。一方で被告人・堀は第一審判決後に「被害者遺族に謝罪文を送りたい」と申し出たが、被害者Aの母親はこれを拒絶した[報道 175]。堀は控訴中の2009年5月下旬に名古屋拘置所で『読売新聞』記者との面会取材に応じ「判決直後は2日ぐらい食事が取れなかった」と明かした上で被害者遺族による加害者への死刑適用を求める署名活動について「『別に気にしていない』というより『当たり前なんだろうな』と思った。(署名した人々は)遺族への同情で署名したのだと思う」と話した[報道 176]。
名古屋高等裁判所(下山保男裁判長)は2010年(平成22年)6月14日までに残る堀・X両被告人について控訴審初公判開廷日時を「2010年8月9日」に指定した[報道 177][報道 178][報道 179]。
堀・X両被告人は2010年7月に名古屋拘置所内でそれぞれ『毎日新聞』記者との面会取材に応じ、それぞれ以下のように発言した[報道 180]。
- 被告人・堀の発言 - 「死刑執行されれば自分の苦しみは一瞬で終わる。苦しみながら生きていくことも極刑と言えるのではないか?死刑判決が支持されれば受け入れざるを得ないが、自分が死刑執行されるというイメージが湧かない」[報道 180]
- 被告人Xの発言 - 「(控訴審直前だが心境は)特にない。もう事件から3年が経過するがまだ裁判が終わらず疲れる。(控訴審では再び死刑適用可否が焦点となるが)今は『死刑になっても構わない』と思うが心境が変わるかもしれない。(被害者Aに対する気持ちは)自分でもわからない」[報道 180]
控訴審初公判[編集]
2010年8月9日、名古屋高裁(下山保男裁判長)で堀・X両被告人の控訴審初公判が開かれた[27][報道 181][報道 182][報道 183][報道 184]。
被告人Xの無期懲役判決に対し控訴した検察側(名古屋高等検察庁)は控訴趣意書にて以下のように主張した。
- 「第一審判決は自首を重視して被告人Xへの死刑適用を回避したが、Xの自首は自己保身目的であり反省はうかがえない」[報道 184]
- 「被告人Xは闇サイトで働きかけて犯罪者集団を結成し、犯行でも重要な役割を果たした中心的人物だ。自首を最大限に情状として考慮しても死刑を回避する事情には当たらず、第一審・無期懲役判決は量刑不当で死刑が相当である」[報道 183][報道 184]
また検察側は死刑判決を不服として控訴した被告人・堀についても答弁書で「死刑を選択した第一審判決は正当であり被告人・堀とその弁護人の控訴は棄却されるべきだ」と主張した[報道 183][報道 184]。
一方で堀・X両被告人の弁護人は以下のように主張してそれぞれ量刑の軽減を求めたほか、「第一審判決後に犯罪心理鑑定を実施し被告人の性格・犯行に至る心理状況などを分析した」と述べ、その結果を証拠として採用するよう名古屋高裁に請求した[報道 183]。名古屋高裁も証拠採用を行ったため、検察側は心理鑑定の信用性を争う方針を決めた[報道 183]。
- 被告人・堀の弁護人 - 控訴趣意書にて「堀は他人に同調しやすい性格で、反省の態度は顕著だ。生きて罪を償わせるべきだ」と述べ死刑判決破棄・無期懲役の適用を求めた[報道 183]。
- 被告人Xの弁護人 - 「闇サイトに投降した投書は強盗殺人をする意思はなく、堀や死刑囚Kに比べると役割は従属的だ。真摯に反省している」と主張した[報道 184]。その上で「被告人Xは軽度の知的障害があり、現実を吟味する力が弱く、犯行時は従属的な立場だった」と述べて有期懲役の適用を求めた[報道 183]。
また同日には被告人・堀が遺族宛に書いたものの受け取りを拒否された謝罪文などについても証拠採用が決定された[報道 184]。弁護人はこの謝罪文・反省文を法廷で朗読し[報道 183]、「被告人・堀は命の尊さ・被害者遺族の苦しみを重く受け止めている」[報道 184]「堀は死刑以外の“償い”を模索している。死刑で苦しむのは一瞬であり、被害者遺族の苦しみを背負わせるべきだ」と訴えた[報道 183]。 その一方で、検察側証人として被害者Aの母親に対し証人尋問が行われることも決まった[報道 184]。
被告人・堀は入廷時に法廷へ一礼したほか、人定質問のため証言台に向かう際[報道 184]、傍聴列の最前列にいた被害者遺族へ頭を下げた[報道 183]。一方で被告人Xは被害者遺族に頭を下げず、公判中も目を左右に動かしたり空中を見つめたりしていた[報道 184]。
閉廷後の記者会見で被害者Aの母親は以下のように述べた上で、今後の心境について「死刑判決を下していただけるよう裁判官に思いを精一杯訴えたい」と述べた[報道 183]。
- 第一審で法廷に持ち込んでいたAの遺影をこの日持ってこなかったことを明かし「(娘には)怖かった事件のことを早く忘れてほしいから」と述べた[報道 184]。
- 「『この裁判のために加害者の性格など分析したところでどういう意味があるのか?』と言いたい」と述べ[報道 184]、「心理鑑定の結果・反省の態度」を根拠に死刑回避を訴えた被告人2人・弁護人らの態度を厳しく批判した[報道 183]。
- 被告人・堀に対し「刑を軽くしたいがために謝罪のふりをしているとしか受け止められない」と批判した上で[報道 184]、「謝罪の気持ちがあるなら被害者遺族の求めに合わせた償いをすべきだ。(死刑囚Kと同様に)控訴を取り下げて、死刑判決を受け入れることが最低限の謝罪の表し方だ」と述べた[報道 183]。また『読売新聞』の取材に対し控訴審判決直前の2011年4月には「堀の謝罪文は『謝罪を受け入れるつもりはない』と受け取りを拒否したのに、弁護人により聞くしかない状態で強制的に聞かされた。穏やかな気持ちで聞けるはずがなかった」と述べた[報道 185]。
- 被告人Xに対しては「無期懲役でも重いと感じているのか。唖然とする」と述べた[報道 183][報道 184]。
初公判後、『毎日新聞』2010年8月31日東京朝刊発言欄「みんなの広場」には以下のような投書が掲載された[報道 186]。
- 「日本の刑事司法は概して極悪犯罪者に寛容すぎる。通りすがりの女性がなんの関わりもない男3人により帰宅途中に拉致・惨殺されたこの事件は同年代の娘を持つ母親として衝撃的だった」[報道 186]
- 「被害者の母親が被告人3人に死刑を求めたのも理解できるし『“被告人のための裁判なんだ”と改めて思った』という言葉にも無念さを感じる」[報道 186]
- 「『人権保護』というが、それは犯罪などを犯さず真っ当な人として生きている人間のためにある言葉ではないか?こんな事件を繰り返さないためにも犯人たちに極刑を望むのは私だけではないだろう」[報道 186]
控訴審の証拠調べ[編集]
2010年9月24日に控訴審第2回公判が開かれ[28]、第一審判決後に両被告人の弁護人からそれぞれ依頼を受けて両被告人の心理鑑定を行った臨床心理士・山田麻紗子(当時・日本福祉大学准教授)が弁護人側証人として出廷した[報道 187][報道 188]。
山田は心理テストの結果などを根拠に[報道 188]、以下のように述べて「両被告人とも攻撃性はうかがえない」と説明した[報道 187]。
- 被告人・堀の性格[報道 188]
- 被告人Xの性格 - 面接で「(殺害時の様子は)サスペンスドラマを見ているようだった」と発言した点[報道 187]、および軽度の知的障害・発達障害の存在を挙げた上で以下のように言及し、量刑の軽減を求めた弁護人側の主張に沿う証言をした[報道 188]。
一方で検察側は「鑑定書に記載された犯行経緯が第一審判決の事実認定とは異なる」と指摘し、鑑定結果の信用性について疑問を呈した[報道 188]。
2010年10月18日に控訴審第3回公判が開かれ、証人尋問・被告人質問が行われた[29]。同日は検察側証人として被害者Aの母親が出廷し、両被告人への死刑適用を求めた[報道 189][報道 190][報道 191]。
被害者Aの母親は証人尋問の冒頭で裁判の傍聴を続けてきた理由を「娘1人だけ痛かったり怖かったりしたのがかわいそうで、少しでも共有してあげたかった」と説明した上で以下のように述べ、両被告人への死刑を求めた。
(下山保男裁判長に対し死刑を望む旨で訴えた言葉)「私はある日突然、見知らぬ3人の男たちによって、たった1人の家族である娘を惨殺され、亡くしました。そのことにより仕事を辞め、30年住んだ住居を去り、署名活動で多額の費用を使いました。娘はまじめに生きてきただけなのに、31歳という若さで強制的に人生を閉じられ、夢や希望、未来の全てを奪われてしまいました。片や、罪を犯した者は3食税金で食べさせてもらい、体調が悪いと(医師に)診てもらい、裁判では1人(の被告人)に2人や2人の国選弁護人をつけてもらい、犯罪心理鑑定と手厚い弁護を受け、挙げ句に好き勝手な言動で遺族の心を逆なでする始末。娘の最後の言葉に耳を貸さずに命を奪ったのに、自らの命は守ろうとして叶えてもらいます。これってとてもおかしなことに思います」 — 被害者Aの母親、[報道 192]
- 「まったく落ち度もない娘がなぜ惨殺されなければならなかったのかわからず、今も死を受け入れられない」[報道 190]
- 「Aが生前『お母さんに家を買ってあげたい』と言っていたので、第一審判決後に『その夢を叶えてあげよう』と考え、被告人らが奪おうとしていた娘の預金を住宅購入に充てて引っ越した」[報道 191]
- 「真面目に生きてきた娘が標的にされた。厳しく裁くことが真面目に生きる人を守ることにつながる」[報道 189]
- 「両被告人は反省しているならば死刑判決を受け入れるべきだ」[報道 191]
- 「控訴審初公判で弁護団が読み上げた被告人・堀の謝罪文は刑の軽減を狙うためだけのものだ」
- 「被告人Xの自首は反省・後悔に基づくものではない」[報道 190]
その後被告人質問が行われ[報道 190]、被告人・堀は「死刑を受け入れるべきかどうか償いを悩み続けてきたが、死ぬことはある意味で楽な選択で、私にとって極刑は無期懲役だ」と述べ[報道 189]、「一生苦しみながら罪を償わせていただきたい」と述べた[報道 190]。また被告人Xは被害者遺族への気持ちを問われ「申し訳ありませんでした」と答えた[報道 189]。これに加えて被告人Xから弁護人に出された「被害者Aさんのご冥福をお祈りします」と記された手紙が証拠採用されたが[報道 190]、被告人Xは弁護人から謝罪・反省の気持ちについて詳しく述べるよう求められても[報道 190]、ちぐはぐな受け答えが目立った[報道 189]。
また被告人・堀の母親が同日初めて証人出廷し[報道 190]、弁護人側証人として証言した[報道 191]。堀の母親は被害者Aや母親への心境を問われ「本当に申し訳ございません」と謝罪したほか、第一審で息子が死刑判決を受けたことについて「頭の中が真っ白になった。『(Aさんの)お母様も娘さんを亡くされた時はこういう気持ちだったのか』と思った」と述べ[報道 190]、息子に対しては「生き永らえながら罪を償ってほしい」と話したが[報道 191]、被害者Aの母親は公判後に「償ってもらえる方法は1つしかない」として堀とその母親の発言に反論した[報道 189]。
2010年12月3日に控訴審第4回公判が開かれて結審した[30][報道 193][報道 194]。
検察側は最終弁論で以下のように主張して「2被告人とも死刑をもって臨むしかない」と訴え、改めて「被告人・堀への死刑判決支持(控訴棄却判決)」「被告人Xにも死刑判決(第一審・無期懲役判決を破棄)」をそれぞれ言い渡すよう求めた[報道 193][報道 194]。
その上で「被害者遺族は既に死刑が確定している死刑囚Kを含めて加害者3人全員への死刑適用を求める意向を示しており、その意向は量刑判断で最大限に考慮すべきだ」と主張したほか[報道 193][報道 194][報道 185]、被告人Xの自首についても「反省は認められず、過大評価はできない」と主張した[報道 194]。 一方で2被告人側の弁護人は「感情に流されず理性的な判断を」と主張していずれも死刑回避を訴え[報道 193]、堀の弁護人は無期懲役・被告人Xの弁護人は有期懲役刑をそれぞれ適用するよう求めた[報道 193][報道 194]。
- 被告人・堀の弁護人
- 被告人Xの弁護人
- 「Xは心理鑑定の結果によればK・堀両被告人に比べて犯行で果たした役割が低い」[報道 185]
- 「被害者1人の他の強盗殺人事件と比べると、極刑がやむを得ないとは言えない」[報道 194]
- 「Xの犯行は場当たり的・従属的で、自首の成立を除いても死刑適用は許されない」[報道 193][報道 194]。
堀の弁護人は閉廷直前に「堀自身が『最後に遺族への謝罪の気持ちを述べたい』と希望している」として最終陳述を求めたが、下山裁判長はこれを認めなかった[報道 194]。被害者Aの母親は閉廷後に「娘を『殺され損』にはしたくない。堀・X両被告人には『金目的で殺した責任を取れ』と言いたい」と話した[報道 194]。
名古屋高裁は控訴審判決公判期日を当初は2011年(平成23年)3月25日に指定していたが[報道 193]、同年3月10日付で予定期日を2011年4月12日に変更した[報道 195]。
控訴審判決[編集]
2011年4月12日に控訴審判決公判が開かれ、名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)は被告人・堀の第一審・死刑判決を破棄して無期懲役判決を言い渡したほか、被告人Xについても第一審・無期懲役判決を支持(検察側・被告人側双方の控訴を棄却)した[裁判 1][31][32][報道 28][報道 29][報道 30]。
名古屋高裁は判決理由で以下のように事実認定を行った。
- (犯行の動機・様態について)「強い利欲目的のみに基づいた犯行動機に酌量の余地はまったくない。手段・方法を変えつつ被害者殺害に向けた行動を取り続けた挙句、何の落ち度もない被害者の必死の命乞いにも耳を貸すことなく殺害を遂げたことを併せ考えると、殺害の様態は無慈悲・凄惨であって残虐というほかない。本事件は衝撃的な事件として大きく報道され、社会に『いつ誰でも本件同様の被害に遭うかもしれない』という大きな衝撃・恐怖感・不安感を与えた」と事実認定した[裁判 1]。
- (情状面に関して)
- 「被告人・堀は本犯行当時32歳で交通関係の罰金前科2件以外に前科はなく、両親・元交際相手らが刑の軽減を求める嘆願書を提出しているが、拉致・殺害の具体的な計画立案、実行行為ともに死刑囚Kに次いで積極的な役割を果たしている。大筋で各事実を認め、堀なりに反省の言葉を述べ反省文を書くなどしているが、殺害の共謀成立時期などに関して信用しがたい供述をしており、自らがした行為に対し正面から向き合って真摯に反省しているとまでは言えない」[裁判 1]
- 「被告人Xは詐欺罪で有罪に処された執行猶予中、被害者に対する強姦未遂も含めて本件犯行に及んだ。捜査・第一審公判では犯行を認めたものの、第一審公判では被害者に対する気持ち・謝罪の気持ちを聞かれても無責任で心無い言葉を述べるなど、十分な反省をしているとは認めがたい言動もある」[裁判 1]
- 一方で「インターネットを通じて知り合った素性を知らない者同士の犯行は意思疎通の不十分さから失敗に終わりやすく、携帯電話・メールの履歴で痕跡が残るため発覚が困難とも考え難い。第一審が指摘するように『逮捕が困難で模倣性が高い』とはいえず、他の強盗殺人などと比べて過度に強調して厳罰で臨むのは相当ではない」と指摘した[裁判 1][報道 28][報道 29][報道 30]。その上で殺害時の堀・X両被告人の役割については「第一審では『死刑囚Kと同等の役割』と判断されたが、本件では死刑囚Kの提案に被告人2人が安易に応じた面があり、殺害の共謀成立前から『被害者を殺害する』という明確な意思を有していたとは言えない。殺害行為に当たって果たした両被告人の役割にも死刑囚Kとは差があることは否定できず、両被告人とも犯罪に対する抵抗感が希薄であることは否定できないが、いずれも本件のほかに凶悪犯罪への傾向を示すものは見当たらないことから犯罪性向が強いとはいえず、矯正可能性があると考えられる」と認定した[裁判 1][報道 29]。
以上の面から量刑に関して死刑選択基準として最高裁判所判例・永山基準を引用し「殺害された被害者が1人である本件では、死刑選択がやむを得ないと言えるほど悪質な要素があったとはいえない」と結論付けた[裁判 1][報道 29]。
控訴審判決への反響[編集]
控訴審判決後、記者会見した被害者Aの母親は以下のように無念の心境を述べた[報道 30]。
- 「被害者の目線からは何も見てもらえなかった。誰のための裁判なのか」[報道 30]
- 「被害者が1人でも2人でも、命に変わりはない」[報道 30]
- 「(この時点で判明している前歴から、堀の矯正の可能性に言及したことについて)どうして加害者に明るい未来を見せてあげるのか。娘はもう二度と見ることができないというのに」[報道 30]
- 「『娘の命より被告人の命のほうが重たい』と言われたようでとてもつらい」[報道 30]
- 「願いがかなったときだけ娘に報告しようと思っていた。こんな結果は報告できない」[報道 30]
また被害者Aの関係者らは以下のようにコメントした。
- 被害者Aが生前に囲碁を習うため通っていた名古屋市中区内の喫茶店マスターは本判決を「どうしてそうなったのか理解できない」と述べたほか、判決を知った囲碁仲間からはマスター宛てに「本当に悲しい」「正義が消えた」などというメールが寄せられた[報道 30]。
- また犯罪被害者自助グループのメンバーも公判を傍聴していたが、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(長良川事件)[注 23]で息子を失った被害者遺族の父親は「死刑判決だけを支えに頑張ってきたのに、被害者のお母さんにかける言葉が見つからない。」と述べた[報道 30]。
元最高検察庁検事・土本武司は『中日新聞』2011年4月13日朝刊記事にて「本判決は永山基準に引きずられ全体として悪質性を強調すべき事件の特色を過小評価して極刑を回避した印象がある。死刑と無期懲役では天と地ほどの差がある。高裁は『一審が死刑だった堀を無期懲役とした理由』にて『堀の矯正可能性』を強調しているが将来の可能性を過大評価すべきではない。Xの自首も犯行後の情状であり過度に重視すべきではない」と本判決に批判的な見解を述べた[報道 30]。また同紙社会部記者・加藤文は「事件はそれぞれ事情が異なり、永山基準も絶対的な指針ではない。事実認定はほぼ変わらないのに、なぜ堀の量刑を死刑から無期懲役に変えたのか。高裁は『殺害時の役割で堀と死刑囚Kで差があった点』などを挙げたが、より丁寧に判断理由を説明すべきだったのではないか」と疑問を呈した[報道 30]。
一方で控訴審判決後、『中日新聞』の取材に応じた被告人・堀の主任弁護人・長谷川龍伸弁護士は「共謀の時期など事実誤認の主張は認められなかったが、結論としては死刑から無期懲役になったことで我々の主張が認められた」と述べた[報道 28]。
大崎善生による評価[編集]
大崎著書『いつかの夏』作中で控訴審判決を以下のように批判している[書籍 77]。
- 「下山裁判長による判決は誠に被害者感情を無視しているというしかない。第一審判決では『闇サイトに集う短絡性や危険性』に触れ『これから増えていくだろうインターネットでの犯罪を予防する意味でも厳罰が必要』という考えだったが、控訴審によると『そうでもない』という見解になる。第一審における闇サイトへの警鐘をほぼ全否定している」[書籍 77]
- 「判決理由で『殺害の様態が残虐性を増したのは、被告人らが想像したよりも被害者が簡単に絶命しなかったため、殺害の手段を次々に変えた側面がある』と評価しているが、これは『被害者が頑張ったから犯人たちはやむを得ず残虐化していった。最初から残虐な殺し方をした犯行よりも罪が軽い』ということらしい」[書籍 77]
- 「殺された被害者に未来などないのになぜ殺人犯の矯正の可能性などを考慮する必要があるのか。一体だれのための裁判なのか」[書籍 77]
- 「堀は裁判官たちの心証を良くするため思ってもいない謝罪の言葉を述べて頭をペコペコ下げ、『死刑だけは逃れたい』と反省の意を示す。遺族にはその態度に犯罪心理鑑定士・裁判官・弁護人がみな騙されているとしか思えない」[書籍 77]
- 「(裁判所は「永山基準」の中でも)被害者の数だけを1人、2人、3人と気にするが、殺された側にとっては人数の問題ではない。命は命だ」[書籍 77]
- 「(法曹界は「永山基準」の下で)ただ殺された人数によって刑を決める」[書籍 77]
また控訴審で弁護人側証人として出廷した犯罪鑑定人が「堀は穏やか・素直でお人好しな性格で、犯罪への親和性はなく矯正の可能性が十分にあるほか、弁護人や鑑定人に対し『取り返しのつかないことをした。どのように償えばいいか毎日苦しんでいる』と反省の弁を述べている」などと証言していた点に関しては以下のように述べている[書籍 78]。
- 「鑑定人は堀について平然と被害者遺族の前で『優しい性格』などと表現し、控訴審判決もそのように弁護人が主張した通りに反映されてしまった」[書籍 79]
- 「(堀は)気持ち悪くなるほどに白々しい反省の弁を述べ、それを真に受けた鑑定人や弁護人が堀の言葉を滔々と代弁する」[書籍 78]
- 「鑑定人は『もし本当に堀が殺意を有していたなら被害者を3発も殴る必要はないはず』と殺意を否定したが、被害者遺族が『実際に被害者が死んでいるのだから殺意はあるだろう』と思うのが当然だ。遺族は『殺意がないからこそ3発も打ち下ろした、30発になった』などの言葉を法廷で唇を噛みしめながら聞いていなければならない。一般常識の感覚と法曹界の定義との乖離はこれほどに大きい」[書籍 78]
- 「堀の『自分にとって一瞬で終わる死刑よりも一生かかって償わなければならない無期懲役の方がはるかに厳しい罪なので、その重い方で償いたい』などという言葉を真に受ける姿を見ていれば、被害者遺族が弁護人という職人たちの人間性を疑いたくなるのも頷ける」[書籍 78]
その上でこの控訴審を総括して以下のように結論付けた。
- 「弁護人をはじめとした法律家が知恵を絞って『堀の死刑判決を減軽しようとする』ためだけの裁判だ。そこには永山基準というモンスター・法曹界の既得権益があり、素人たちには破られてはならない既成概念があり、それを守ることに固執した裁判所と弁護団は見事に利害が一致した」[書籍 77]
- 「検察官を除くほぼ全員で被告人を減軽しようとする裁判そのもので、被害者・遺族は完全に蚊帳の外に置かれていた」[書籍 79]
控訴審判決後[編集]
被害者Aの母親は2011年4月19日、最高検察庁検事総長・笠間治雄と名古屋高等検察庁検事長・藤田昇三の両名に対し「堀・X両被告人への控訴審判決を不服としていずれも最高裁判所への上告を求める」陳情書を提出した[報道 197][報道 198]。Aの母親は同日、『中日新聞』の取材に対し「殺害された被害者が1人の事件は量刑相場で刑の重さが決まっており、極刑回避の理由は後付けだと感じた。検察にはどうしても上告してほしい」と話した[報道 198]。
名古屋高検は2011年4月22日、被告人・堀に対しては無期懲役判決を不服として最高裁に上告することを発表した一方[報道 199]、被告人Xに関しては上告を断念する方針を決めた[報道 199][報道 200]。名古屋高検次席検事・野々上尚は『中日新聞』の取材に対し「控訴審判決は『殺害された被害者数が1人の本件は、死刑選択がやむを得ないほど悪質とは言えない』と述べているが、堀の死刑判決破棄は永山基準・および光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決(2008年)といった判例にいずれも違反する。一方で被告人Xについては犯行後に自首した点などを踏まえて最高検と協議・精査したが、憲法違反・判例違反など適法な上告理由を見出せなかった」と述べた[報道 200]。被害者Aの母親は同日までに控訴審判決の疑問点を箇条書きにした文書を作成して高検に提出したが、被告人Xへの上告が断念されることとなったことを受け「2人について上告して最後まで闘ってほしかったが、(被告人Xの無期懲役確定について)どんなに悔しくても従うしかない。『3人が死刑になったら報告する』と娘に約束したが『これで何も報告できないんだな』と思った」と述べた[報道 200]。
名古屋高検は2011年4月25日付で被告人・堀への無期懲役判決を不服として最高裁に上告した一方[報道 54][報道 201]、名古屋高検・被告人X側ともに被告人Xについて控訴期限となる2011年4月26日までに最高裁へ上告しなかったため、被告人Xは同日付で無期懲役判決が確定した[報道 68][2]。
上告審・最高裁第二小法廷[編集]
名古屋高等検察庁は2011年9月22日付で最高裁判所第二小法廷(千葉勝美裁判長)へ上告趣意書を提出した一方、2012年3月15日には被告人・堀の弁護人から答弁書が提出された[3]。
堀の無期懲役確定[編集]
最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は2012年(平成24年)7月11日付で「控訴審の『殺害された被害者が1名である本件において、死刑の選択がやむを得ないといえるほど他の量刑要素が悪質であるとは断じ難い』という判断が誤りであるとはいえない」などの決定理由から、被告人・堀への控訴審・無期懲役判決を支持して検察側の上告を棄却する決定を出した[裁判 4][33][34][報道 31][報道 202][報道 203][報道 204]。同決定により被告人・堀は2012年7月18日付で無期懲役判決が確定した[裁判 2]。
この決定を知り自宅の仏壇の前で泣き崩れた被害者Aの母は、(堀が死刑にならなかったことを報告してしまえば)「嫌な思いをさせるだけ」と考えたため娘の遺影に結果を報告できなかった[報道 31]。その上で『中日新聞』の取材に対し「娘は命を奪われたのに堀は望み通り生き永らえる。裁判所は自分の身に置き換えて判断したのか。刑をいかに軽くするかが中心で被害者の存在はどこにもなかった。『どうして』という思いと娘に何もできなかった申し訳ない気持ちでいっぱいだ。過去の判例を元に被害者の数で量刑を判断しただけだった」と無念の胸の内を述べ、最高裁決定を批判した[報道 31]。またAが生前通っていた名古屋市中区の喫茶店男性経営者は『読売新聞』の取材に対し「(被害者Aの母親は)あんなに署名活動を頑張っていたのに…お母さんの気持ちを考えると可哀想。無期懲役には納得できない」と述べた[報道 204]。大崎はこの最高裁決定を「裁判に被害者遺族の気持ちは反映されず、ただ殺された人数によって刑を決めるあの『永山基準』というモンスターの法則に則っただけだった。被害者Aの母親の脳裏には『死刑を逃れて勝ち誇り薄笑いを浮かべる堀の顔』が浮かんでいることだろう」と表現した[書籍 80]。
一方で第一審にて被告人・堀の弁護人を務めていた渥美雅康弁護士は『読売新聞』の取材に対し「堀はインターネット上で知り合った死刑囚K・被告人Xに虚勢を張った結果凄惨な事件を起こしてしまったが、事件後は心から反省しており、罪を償おうとする気持ちも強く持っていた。犯行の役割などを考えれば無期懲役は妥当な判断」と述べた[報道 202][報道 204]。
『中日新聞』2012年7月14日朝刊は「長く続いた裁判は、まるで事件の二次被害だった」と表現したほか[報道 31]、『読売新聞』社会部記者・児玉浩太郎は同紙同日東京朝刊解説で「死刑が確定したKと堀の間にさほど犯行の役割の差はない。殺害された被害者数が1人の場合でも死刑を求める被害者遺族・一般市民の声は強い。今回の決定に一般市民から疑問の声が上がる可能性もある。社会防衛を求める市民感情が裁判員裁判に反映されて死刑の量刑基準を動かしていくことも考えられる」と述べた[報道 204]。
死刑囚・受刑者のその後[編集]
死刑囚K[編集]
国家賠償請求訴訟[編集]
第一審で被告人Kの国選弁護人を務めていた[報道 169]弁護士2人(蔵冨恒彦・福井秀剛)は[報道 170]、死刑囚Kの収監先・名古屋拘置所に対しそれぞれ(蔵冨が2009年4月・福井が同年6月)死刑囚Kと拘置所職員の立ち会いなしで面会できる「弁護士面会」を申請したが、名古屋拘置所はこの申請を退け「死刑確定直後で心情安定のため立ち会いがいる」などの理由から拘置所職員が立ち会う「一般面会」しか認めなかった[報道 170]。また控訴取り下げ以降、原告弁護人2人は立ち会いなしの「弁護士面会」を計14回にわたり求めたが、名古屋拘置所側は「既決囚だからできない」「心情把握のため立ち会いが必要」などの理由からいずれも認めなかった一方[報道 205]、それらとは別に1回の面会についても同様に断られたが、この時は実際には立ち会いなしで面会できた[報道 205]。
これを受けて蔵冨・福井両弁護士は2009年8月12日付で「再審請求中の死刑囚でも弁護士面会が認められているのだから控訴取り下げに異議を申し立てている被告人Kは当然認められるべきだ。名古屋拘置所の対応は違法である」と訴え、国に対し計120万円の賠償を求める国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に提起した[報道 170]。死刑囚K本人も2010年11月4日付で「再審請求の準備などでは既決囚でも立会人なしの弁護士面会が認められている。拘置所側の対応は違法だ」などの理由から、原告弁護人2人に続き国に慰謝料など計840万円の損害賠償を求める国家賠償請求訴訟を同地裁に提起した[報道 205]。
2010年12月21日に損害賠償請求訴訟の第1回口頭弁論公判が名古屋地裁で開かれ、被告(日本国)側は答弁書で原告側の請求を棄却するよう求めたほか、立会人なしで面会できた面会1回については「職員が『未決囚と弁護人の面会』と誤認した」と説明した[報道 206]。死刑囚Kの代理人も務めていた弁護人は閉廷後「提訴は本人の意思だ。『刑事手続き上の防御権を侵害された』との思いからだろう」と話した[報道 206]。
名古屋地裁(徳永幸蔵裁判長)は2013年2月19日、原告(死刑囚K・弁護人2人)の訴えを一部認めて被告(国)に対し計145万円の賠償を命じる判決を言い渡した[報道 207]。同地裁は「裁判を続けたいと望む死刑囚には弁護人と単独で面会する法的権利がある。死刑囚Kの精神状態が不安定で職員の同席が必要だった時は提訴された25回のうち1回だけで、それ以外の24回についてはすべて立ち会いは違法である」と認定し、原告側が求めた計2,700万円の損害賠償額のうち145万円を認めた[報道 207]。
2014年3月14日に名古屋高裁(長門栄吉裁判長)で控訴審判決が言い渡され、同高裁は被告・国に計145万2000円の支払いを命じる判決を言い渡した[報道 208]。名古屋高裁は第一審に続き「面会の職員立ち会いは拘置所長が裁量権を逸脱・乱用したもので違法だ」と認定し賠償総額を維持した上で、同判決では原告死刑囚Kへの支払額を増やすなど配分のみを変更した[報道 209]。原告(死刑囚K・弁護士2人)側は控訴審判決を不服として最高裁に上告したが、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)が2015年4月22日付で原告側の上告を棄却する決定を出したため、名古屋高裁判決が確定した[報道 209]。
死刑囚Kの刑執行[編集]
2015年(平成27年)6月25日8時25分[書籍 2]、法務省(法務大臣:上川陽子)の死刑執行命令により収監先・名古屋拘置所で死刑囚K(44歳没)の死刑が執行された[1][報道 7][報道 13][報道 41][報道 210][報道 211]。
死刑執行から12分後の8時37分にKの死亡が確認され、9時30分になって名古屋拘置所から第一審でKの国選弁護人を担当した弁護士・福井秀剛に連絡が寄せられた[書籍 2]。Kの遺骨・遺品などはすべて福井に引き渡されることが取り決められ、Kの遺体は翌6月26日14時30分に火葬された[書籍 2]。
福井は2015年7月26日に江崎ホール(静岡県静岡市葵区)で行われた「上川陽子法務大臣の地元で死刑執行に抗議する集い」にて「Kは死刑執行の直前に『こうなることは分かっていました。被害者のお母さん・おばさん・付き合っていた彼・友人・会社の同僚に対し命を以て償います』と言い残しており、特に取り乱す様子もなく立派だった。最後まで自分の犯したことと向き合っており、被害者のご遺族や関係者に対する想いというものを持っていた」と証言した[書籍 2][書籍 81]。
死刑執行への反応[編集]
上川は死刑執行後の記者会見で「誠に身勝手な理由から尊い人命を奪った極めて残忍な犯行で、被害者・遺族にとっては無念この上ない事件だ」と指摘した上で「死刑は裁判所が慎重な審理を尽くした上で言い渡すものだ。慎重にも慎重な検討を経た上で死刑執行命令を出した」と発表した[1][報道 7][報道 13]。
死刑執行を受けて被害者Aの母親は以下のようにコメントした。
- 「娘を殺した死刑囚が生きていると思うだけで、事件のことばかり考えてしまっていた。遅すぎたぐらいとはいえ一つの区切りになったが娘は帰ってこない」[報道 7]
- 「事件のことを娘に思い出させたくないので娘には報告しない。もう一度娘を抱きしめられたらどれほど幸せか」[報道 212]
一方で日本弁護士連合会(日弁連)は同日に村越進会長名義で死刑執行に抗議する声明を出した[35]。
また第一審にて福井とともにKの国選弁護人を務めた弁護士・蔵冨恒彦は「精神的に波があり、投げやりな時と『生きたい』との思いが強い時があった。死刑執行は早すぎる。共犯者(堀)が控訴審で無期懲役になっており、Kの判決も間違っていた可能性がある」とコメントしたほか[報道 40]、2015年7月8日に参議院議員会館で開かれた「上川陽子法相による死刑執行に抗議する集会」では蔵冨ら弁護士3人が以下のように死刑執行を批判する発言をした[書籍 82]。
- 蔵冨のメッセージ - 「国家賠償請求訴訟の間隙を縫って執行されたようで理不尽さを感じる。控訴を取り下げなければ共犯者・堀とのバランス上は明らかに無期懲役相当事案であり、死刑執行を急ぐ必要はないはずだ。Kより先に死刑が確定した死刑囚は多数いるはずで、なぜ今回執行されたのか理解しがたいものがある。『処遇が難しい死刑確定者なので執行を急いだ』とすればあまりにも理不尽ではないか?」[書籍 2]
- 死刑廃止論者である弁護士2人(安田好弘・村上満宏)の発言 - 「Kは控訴を取り下げていなければ堀と同様に控訴審で無期懲役に軽減されていた可能性が高い」[書籍 82]
堀の余罪発覚[編集]
堀は2012年7月18日付で本事件の無期懲役が確定したが[裁判 2]、その直後(2012年8月)に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の被疑者として当時同僚だった男2人とともに強盗殺人罪で愛知県警に逮捕され[報道 33]、同月中に強盗殺人罪で名古屋地裁へ起訴された[報道 35]。さらに堀と夫婦殺害事件の共犯1人の計2人は翌2013年にも別の強盗殺人未遂事件(2006年)への関与が判明したため再逮捕[報道 34]・追起訴された[報道 36]。
それらの事件で一・二審とも死刑判決を受けた堀は2019年7月19日に最高裁第二小法廷(山本庸幸裁判長)にて開かれた上告審判決公判で上告を棄却する判決を受け[報道 59][報道 213]、同判決の訂正を求める申し立ても2019年8月7日付の同小法廷決定で棄却されたため正式に死刑が確定した[報道 14]。
余罪判明を受けた各方面の反応[編集]
堀の余罪判明について被害者Aの母親は「名古屋高裁の裁判官・犯罪心理鑑定士が『堀の犯罪傾向は進んでいない。犯罪の親和性は低い』と判断した控訴審の結論が誤りだったことが明らかになった」と述べているほか[報道 12]、Aの半生を取材した大崎も「堀は稀代の殺人鬼で『人を殺すことを何とも思わない悪魔のような男』だ。犯罪鑑定人は堀を心理テストの結果として『優しい』と判定したが、この男に矯正可能性などあるわけがない。仮に世に放てば4度目、5度目の強盗殺人を繰り返すだけだろう」と形容している[書籍 10][書籍 83]。被害者Aの母親は2019年7月に堀の死刑が事実上確定したことを受けて東海テレビ放送(フジニュースネットワーク)の取材に対し「(本事件発生から)12年間はずっと堀の死刑判決を願っていた。『これで裁判と縁が切れる』と考えるとほっとする」と述べているほか[報道 214]。
『産経新聞』(産業経済新聞社)のコラム「西論」編集者・井口文彦は同紙2012年8月14日大阪夕刊スポーツ面のコラム「(被害者の)『数』で死刑を考えるな」にて「『これが死刑でなければ何が死刑か』と思う犯行だ。無期懲役判決が妥当とする最高裁第二小法廷の決定には耳を疑った。名古屋高裁・最高裁が『犯行動機に酌量の余地はなく残虐・無慈悲』と犯行の悪質性を指摘しておきながら『死刑にすべき特段の事情はない』と判断した理由は何だ?今回の再逮捕で一般国民は『最高裁の目は節穴か?』と思っただろう。犯行内容より『被害者が1人』との理由を優先して死刑を回避する司法の官僚主義は不信を呼んでいる」と最高裁決定を批判した[報道 215]。
一方で控訴審にて弁護人の依頼を受け堀の心理鑑定を担当した臨床心理士・山田麻紗子は[報道 187]、『朝日新聞』の取材に対し「心理鑑定では堀は(今回の事件を)隠していたことになるが、それでもあの反省に嘘はないと思う」と述べている[報道 216]。
事件後[編集]
朝日新聞名古屋本社販売部は事件を報じる記事で「取引先である新聞販売所がセールスの業務を委託した会社の従業員(K)が、このような事件を起こしたことは大変遺憾だ。今後このようなことがないよう改めて関係先に人事管理の徹底などを行います」とのコメントを出した[報道 42][報道 70]。
また事件後の8月27日朝には3人が知り合うきっかけとなった闇サイト「闇の職業安定所」が閉鎖されていたことが判明したが、この時点でも複数の類似サイトがあったため、愛知県警特捜本部は「閉鎖されたサイトは実際に3人が使用したものかどうか?」の点を確認した[報道 217]。「闇の職安」管理人が『朝日新聞』の取材に対し「犯罪を連想させるワード約80個を禁止ワードとして設定し、抵触する投稿は削除していたが、『仲間募集』とだけ書かれた場合などは投稿があっただけの段階では対処できない。『警察からの要請があれば通信記録を提出する』など警察が関与することは明記していたが、それでも今回のようなことが起こるのならば閉鎖しかないと考えた」と答えた[報道 218]。
防犯活動[編集]
本事件をきっかけに地域住民から「被害者Aと同様に地下鉄駅から徒歩などで帰宅する女性が安心して帰宅できるようにしてほしい」という声が上がったため、千種署は名古屋市交通局の協力を得て千種区内の名古屋市営地下鉄東山線・名城線・桜通線の3路線全10駅に[注 24]防犯ブザーを1駅5個ずつ設置し利用者への貸し出しを開始した[報道 219]。
また現場付近の地下鉄本山駅周辺では、事件後に近隣住民らが街灯増設・防犯カメラ新設を実施したほか[報道 220]、自主的な防犯パトロールを強化した[報道 82][報道 220]。事件10年が経過した2017年8月に被害者Aが拉致された場所と同じ夜道を歩いた『中日新聞』記者・小椋由紀子は同月25日朝刊記事にて「今も現場周辺の夜道は決して明るいとは言えないが、事件当時はもっと闇が濃かった」と述べた[報道 220]。その一方で時間の経過とともに住民らの間でも事件の記憶が風化し、防犯パトロールの頻度が減ったほか、拉致現場への献花も数年前に途絶えていた[報道 220]。地区のパトロール隊長を務める70歳代男性は小椋の取材に対し「今も月1回『もう事件が起きないように』という気持ちで巡回に出掛けているが、正直辛いことを考え続けるのは苦しい」と打ち明けた[報道 220]。
事件への反応[編集]
凶悪な犯行に新聞各紙記事には以下のようにコメントが掲載された。
- 『東京新聞』(中日新聞社)デスク・坂本充孝は2007年8月29日朝刊記事「こちら特報部」にて「卑怯で意地汚く意気地がないゴロツキどもに天罰が下ることを祈りたい気分だ」と記した[報道 221]。
- 作家・佐木隆三は『毎日新聞』2007年8月27日中部朝刊社会面記事で「今回の事件は加害者が30歳代 - 40歳代で、低年齢化が進む近年の犯罪とは傾向が異なる。殺された被害者女性には何の落ち度もない。被疑者Xは『顔を見られたから』と被害者を殺しておきながら『死刑になるかもしれない』と一転して自首しているが、あまりにも短絡的で驚きを隠せない」とコメントした[報道 37]。
また読者からの投書でも以下のような反応が取り上げられた。
- 『朝日新聞』2007年8月31日朝刊名古屋版に掲載された投書『死刑の恐怖が(事件)解決を早めた』 - 「この残虐非道な事件の報道に接して『死刑廃止は絶対にすべきでない』と思った。我が国の刑罰は概して軽いという印象を受ける。1人や2人を殺しても簡単には死刑判決は出ないので、犯罪被害者の遺族は悔しい思いすることが多いのが現状だ。死刑になるのが怖くなって容疑者が自首した今回の事件は死刑廃止論に一石を投じるものとなるだろう」[報道 222]。
- 同日夕刊名古屋版では、闇サイトの規制・取り締まりを求めるとともに「犯行の詳細な手口を記載しても被害者が気の毒になるだけで犯罪を防ぐことにはならない。むしろ面白がって読まれて新たな犯罪を生むかもしれない。『どうすれば犯罪を防げるか?』という点に力を入れた記事を望む」という投書が掲載された[報道 223]。
- 『朝日新聞』2007年9月23日朝刊では本事件について「被疑者Xが『死刑が怖かったから自首した』と発言していたように、死刑に犯罪抑止力があることは明らかだ」と指摘した上で、光市母子殺害事件の弁護団が橋下徹弁護士に対し民事訴訟を起こした件に関して言及して死刑廃止論を掲げる弁護士を「弁護士の仕事は死刑を廃止することではないはずだ。被害者の気持ちを考えない彼らの行動は自分から見れば失礼極まりなく非常識としか思えない」と批判する内容の投書が掲載された[報道 224]。
- 『朝日新聞』2007年10月11日朝刊では本事件および光市母子殺害事件に言及した上で「犯罪加害者を弁護する弁護人たちは自分の親族が(本事件の被害者Aのように)惨殺されても加害者を擁護するのか?死刑以外に凶悪犯罪の被害者遺族及び社会感情を癒す手立てはあるのか?」と疑問を呈する内容の投書が掲載された[報道 225]。
被害者遺族の活動[編集]
事件で愛娘を失い1人遺された被害者Aの母親は2007年8月28日付で「犯人たちに対する憤りで胸が張り裂けそうだ。絶対に許せない」という趣旨の手記を公開し[報道 97][報道 90][報道 99]、2007年9月11日付で報道陣向けに「拉致されてから駐車場で命を奪われるまでの娘の恐怖と苦しみを思うと可哀想で居たたまれない。できることならもう一度『大丈夫だからね』と言って娘を抱きしめてあげたい気持ちだ」という手記を出した[36][報道 226][報道 227]。
また作家・大崎善生は2014年から本事件に関するノンフィクションを執筆するため毎月のように名古屋に通い被害者Aの母親にインタビューをした[報道 15]。Aの母親は最初こそ大崎の取材を断ったものの、その後は全面的に協力するようになり、大崎は2016年11月30日に角川書店から被害者Aの生い立ち・母とともに生きた31年間の生涯などを描いたノンフィクション『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』を出版した[報道 15]。大崎は事件から10年が経過した2017年に『中日新聞』の取材に対し「取材のきっかけは事件当時にAさんの顔写真を見て『こんな普通の子が…』と思ったことだ。母1人子1人の生い立ちなどを知って引き込まれていった。地域は徐々に日常を取り戻しつつあるが、同様の事件はいつでも起こり得る。被害者の『命の闘い』を忘れてはならない」とコメントした[報道 228]。
法務大臣宛へ直訴の手紙[編集]
Aの母親は2008年3月3日に鳩山邦夫法務大臣(当時)宛に「本事件の公判の早期開始・インターネット上の有害サイトへの法規制」を求める手紙を郵送した[37][38][報道 229]。便箋6枚にわたるその手紙の概要は「今回の事件は冤罪の可能性がないのは明白で、事実認定が極めて困難なケースでもないのに、なぜ(事件から半年以上が経過した当時)初公判までに時間がかかり過ぎているのか?3被告人の接点は闇サイトにあり、事件後も闇サイトの関わる事件が後を絶たないことを憂慮している。闇サイトに法規制をかけることで(本事件のような)悲劇を防いでほしい」というものだった[報道 229]。
これを受けて鳩山は2008年3月6日付でAの母親に返信の手紙を送った[39][報道 230]。鳩山は「事件について個別のケースについて考慮されておらず『加害者寄りではないか』という司法への批判がある。自分の立場としては『凶悪犯罪に対する厳罰が犯罪の抑止力になる』というお考えには全く同感だ。インターネットを使った犯罪など新しい類型の犯罪を考えなければならない」という考えを示した[報道 230]。
加害者3人への死刑を求めた署名活動[編集]
また被害者Aの母親は事件から約1か月となった2007年9月22日にホームページを設立し、愛娘を失った悲しみ・命を奪った加害者3人への怒りなどの心情を吐露した[報道 231]。ホームページには笑顔を浮かべた生前のAの遺影を掲載した上で、事件後に報道陣に出した手記を掲載した[報道 231][36]。その上で「『人の命を奪うことがいかに重い罪になるか』を多くの人に知ってもらい、同じような犯罪をなくしたい」として「同月中旬以降は遺族一同、被疑者3人への死刑(極刑)を求める署名活動を開始し、被告人3人が強盗殺人罪で起訴されたことに合わせて名古屋地裁に1回目の署名提出をする」ことを明かした上で陳情書への署名を訴えた[報道 231]。署名活動開始のきっかけは2007年9月12日に事件を知った人物から「日本の司法では過去の判例(永山基準など)から見ると1人を殺害しただけではほとんど死刑にならない」と指摘する内容の手紙が送られてきたことだった[書籍 84][注 25]。
極刑を求める署名活動に関しては「人殺しを募るなんて」などという批判の声もあったが[報道 233]、被害者Aの母親に共感する声が多く、事件発生から約1年となる2008年8月17日までに約281,400人分の署名が集まった[報道 232]。署名の多くには以下のような言葉がつづられたものがあり、「インターネットを通じて形成された犯罪者集団が見ず知らずの市民を殺害した」本事件への切迫した不安感もにじんでいた[報道 176]。
- 「お母さんは1人じゃない」「自分が裁判員なら被告人らの死刑を主張する」[報道 234]
- 「安全と言われる日本でこんな犯罪が起きるとは」「自分は死刑制度には反対だが、この事件に限っては例外だ」[報道 71]
Aの母親は「皆さんが署名活動を通じて精神的にくじけていた自分に元気と勇気をくれた」と感謝の言葉を述べた[報道 234]。署名は日本各地に限らずアメリカ合衆国・スイス・ニュージーランドといった外国からの郵送もあったほか、「職務上は犯罪加害者の側に立つ」立場の人物からも送られてきた[報道 176]。
- オウム真理教事件(地下鉄サリン事件)で殺人罪に問われた広瀬健一(2009年に死刑確定・2018年に執行)の弁護人を務めていた弁護士・田瀬英敏(第二東京弁護士会所属)は2007年10月に「今回の凶行は悪質極まりなく、社会防衛の観点・被害者遺族の応報感情の点からも死刑はやむを得ない」として、署名をした上で被害者Aの母親宛ての手紙とともに投函した[報道 176]。田瀬は『読売新聞』の取材に対し「事務所でホームページを見たことをきっかけにこの署名活動を知って署名を決断した。自分は本来『再び社会と折り合える可能性がある加害者の場合、死刑を科すことは慎重であるべきだ』と考えているし、(かつて自分が弁護を手掛けていた)広瀬は一貫して罪を悔いていたため『死刑は重すぎる』と感じたから弁護を引き受けた。しかし本事件は通り魔的に被害者を拉致・殺害した凶悪犯罪であり、死刑判決が下されなければ女性が夜道を歩くことが命がけになってしまうだろう」と述べている[報道 176]。
- また北海道で仮釈放者らを支援する保護司を務めていた当時60歳代男性も妻とともに署名を行い、『読売新聞』の取材に対し「加害者の更生も大切だが、『真面目に生活している人が人生を奪われないこと』それ以上には大事だ。躊躇もなく人を殺害する行為には死刑という相応の罰があることを裁判所が示す必要があると思った」と回答している[報道 176]。
署名活動開始当初の目標は3万人だったが[報道 176]、2007年10月1日時点でウェブサイト上を含めた署名数は102,422人に上った[報道 235]。3被告人のうち1人の弁護人を担当した弁護士は『読売新聞』の取材に対しこのように多数の署名が集まったこと・及びK・堀両被告人に死刑が言い渡されたことについて「世論・裁判官の心理とも『今回のような犯罪が増えるのではないか?』という不気味さを感じ、死刑に犯罪の抑止効果を期待しているのだろう」と分析した[報道 176]。
Aの母親・叔母は2007年10月23日に名古屋地検を訪れ、それまでに集まった約15万人の署名を事件を担当していた検察官に手渡した[報道 236]。このほかインターネット上のみならず名古屋市内の街頭でも署名活動が行われた。
- 2007年9月27日 - 30日までの4日間、Aの母親・伯母(母親の姉)ら被害者遺族一同が名古屋駅・名鉄名古屋駅などの近くで署名活動を実施した[報道 237]。
- Aの母親は2007年12月8日にAの伯母・友人ら約20人とともに初めて街頭に立ち、名古屋市中区栄で署名活動を行った[報道 238]。この時点までに署名は約22万人分集まっていた[報道 238]。
- 2008年4月5日 - 6日、Aの母親ら遺族・友人など計5人が名古屋市中区栄で事件後3回目の街頭署名活動を行った[報道 239]。それまでに集まった署名の数は合計263,000人分に上っており、Aの母親は『中日新聞』の取材に対し「事件から7カ月以上過ぎても犯人らが憎い思いは変わらない。これからも署名活動を続ける」と語った[報道 239]。
論告求刑公判を間近に控えた2008年12月18日には目標数として掲げていた30万人分の署名が集まった[40]。これらの署名は被告人・弁護人側の不同意により証拠採用されなかったが、30万人到達に先立つ2008年12月8日の証人尋問では名古屋地検が最初に提出された署名の写真を映像で映し出したほか、裁判官から「その前日までに集まった署名数はいくつか」(約297,000人分の署名数)と質問された[40]。Aの母親は「裁判官に署名を直接見ていただくことはできなかったが公判記録として残すことができた。賛同してくださった皆様の声を司法に届けることができ、検察官の配慮に大変感謝している」と述べた[40]。
署名数は第一審判決公判当日の2009年3月18日にちょうど32万人に達し[報道 176]、2009年5月13日には約6万人の署名が名古屋高等検察庁に追加提出された(提出総数:321,122人分)[報道 240]。
しかしその後は風化の影響から署名数は頭打ちになり、署名活動を手伝う友人が「どんな事件だったっけ?」と尋ねられたこともあった[報道 180]。集まった署名数は2011年4月の控訴審判決直前時点で329,000人[報道 241]・控訴審判決後には合計32万9878人分となっており[報道 198]、被告人Xの無期懲役が確定することとなっても継続されたが[報道 200]、堀に対する上告が棄却されて刑事裁判がすべて終結したことにより、署名活動は2012年8月25日付(最終総数:332,806人分)で終了した[41]。しかしサイトの更新自体は署名活動終了後の2018年12月時点でも各種イベント・活動の報告などで継続されているほか、堀の余罪事件の動向を追ったページも作成されている(#外部リンク参照)。
加害者らへの反応[編集]
前述のように堀・X両被告人は第一審の最終弁論公判で初めて被害者遺族に対する謝罪の弁を述べたが、Aの母親は閉廷後に「謝罪を受け入れる気持ちはないので素直に聞けなかった」と語り[報道 9][報道 10]、改めて死刑判決を望む旨を表明した[報道 10]。Aの母親は2017年時点でも死刑囚Kを含めた加害者3人全員を以下のように非難しており、両被告人の謝罪をいずれも受け入れていない[報道 12]。
- 「身勝手な欲のために何の関係も落ち度もない人の命を簡単に奪えるような者たちで『殺害行為は仕事感覚』『ゴキブリを殺すのと一緒だ』などと発言している。『善悪に対する根本的な考えが一般の人とは違う』ということを知った」[報道 242]
- 「人間としての最低限の道徳心さえ持ち合わせておらず、きれいごとでは済まされないどうしようもない人間」[報道 242]
なお被告人Xはこの公判の4日後(2009年2月6日)に名古屋拘置所で『毎日新聞』中部報道センター記者・秋山信一と面会したが、秋山から「謝罪は本心からか」と問われると「答える必要はない」と突っぱねた[報道 243]。また被害者Aが犠牲になったことについては「運が悪かったから狙われたんだ。16人(後を)付けて(Aが)17番目。17分の1の確率だ」と投げやりに吐き捨てたほか[報道 244]、前述のように判決後の面会では無反省な態度と受け取れる発言をした[報道 156][報道 12]。
また第一審判決後には3被告人のうち堀のみが弁護人を通じて「謝罪文を送りたい」と申し出たが、Aの母親は「自分は被告人らが死刑を受け入れることしか望んでおらず謝罪・反省は望んでいない。堀は控訴を取り下げていないのに心から謝罪しようとしているは思えない」として謝罪を拒否した[報道 245]。堀は控訴審判決で死刑から無期懲役になると一転して遺族へ連絡を取ろうとしなくなり[報道 11]、控訴審判決前のような「謝罪の手紙を送りたい」という申し出もしなくなった[報道 12]。また堀が連続強盗殺傷事件の余罪を本事件で無期懲役が確定するまで自白せず隠していたことから[報道 35][報道 12]、被害者Aの母親は堀を以下のように強く非難している。
- 「(本事件の犯人3人の中で)一番嘘が多かった」[報道 35]
- 「3人の中で最もしたたかで図太く見えた」[報道 11]
- 「もし本気で反省し、謝罪する気があったらこれまでに犯した犯行を自供していたはずだ」[報道 12]
- 「裁判では『生きて償う』と繰り返していた。『人の命は簡単に奪っておきながら自分の命は大事』ということで、全く反省していない」[報道 246]
またその堀への死刑適用を回避した名古屋高裁・最高裁の裁判官や「犯罪傾向は進んでおらず、犯罪の親和性は低い」と評価した犯罪心理鑑定士についても「なぜ強盗殺人という重大事件を犯して4年近く経っても反省できないような人物を『更生の可能性がある』と判断できたのかわからない」と批判している[報道 12]。
講演活動・討論会への参加など[編集]
また被害者Aの母親は「犯罪被害の当事者になって『被告人の権利・更生は考えるのに、大切な命を奪われた被害者遺族の立場・負担への配慮は足りない』という司法制度の矛盾・疑問に初めて気づかされた」として[報道 245]、犯罪被害者団体の集会・手記などで[報道 247][報道 245]犯罪被害者の権利確立などを訴え続けている[42]。被害者Aの母親は『読売新聞』の取材に対し「犯罪被害者遺族としてマスメディアの取材に応じることについて抵抗感はあったが、その度に『自分が表に出ることで娘のことを(社会に)覚えてもらえる』と言い聞かせつつ社会的に活動してきた」と述べているほか[報道 232]、『産経新聞』記者・滝口亜希は「Aの母親は『事件のことを話すと娘のむごい姿につながりつらいが、娘が亡くなったことを無駄にしたくない。被害者の現状を知ってもらいたい』という思いから活動を続けている」と述べている[報道 248]。
Aの母親は2019年7月19日に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件で堀の死刑が確定することとなったことを受けて記者会見した際に「堀の名前を聞く度に事件や娘のことを思い出すのがつらかったが、堀の死刑が確定することでその機会も減るから安どしている。だが事件や娘のことを忘れられたくないので、犯罪被害者支援などを訴える講演活動などは今後も継続する」と述べている[報道 249]。
講演会における発言[編集]
Aの母親は2016年12月17日に星陵会館ホール(東京都千代田区)にて開かれた「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」のシンポジウムに出席した際に基調講演を行い、事件の詳細・死刑制度の必要性などを語った[報道 22]。
Aの母親は同講演にて「『死刑反対』と軽々しく口に出してほしくない」という理由から凄惨な殺害の状況についてもあえて詳細に言及したほか[報道 250]、堀の余罪発覚[報道 12]・加害者3人の無反省な態度などに関しても言及した[報道 12][報道 242]。その上で「最大の二次被害は司法の世界にあった。裁判官の『被害者が1人である本件では死刑選択がやむを得ないと言えるほど悪質な要素があったとはいえない』、弁護人の『被害者が1人で死刑になった事件に比べるとこの事件はそれほどひどい事件ではない』など『司法の世界ではごくごく当たり前の文言』に大きく傷つけられた。司法は『加害者の更生』という未来の不確定なことを前提にして裁くのではなく『まじめに生きている人を守ること』を優先して裁いてほしい」と訴えた上で[報道 242]、以下のように「法曹界における量刑相場などの感覚と一般感覚の乖離の大きさ」を指摘した[報道 192]。
- 「『被害者の数を重要視する裁判官こそ人の命を軽んじているのではないか』とさえ思った」[報道 196]
- 「裁判官の『殺害の態様が残虐性を増したのは、被告人らが想像しているよりも被害者が簡単に絶命しなかったため、殺害手段を次々に変えた結果である』という言葉は『残虐になったのはAがさっさと死ななかったせいだ』と言われているような気がした。(加害者らは殺害方法の残虐性に関係なく、最終的には金品目的で被害者を殺害することを決めていたため)どんな方法でもよかったのだ」[報道 196]
そして死刑廃止論者や、2016年10月7日の人権擁護大会にて「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言案を採択した日本弁護士連合会(日弁連)[43][44][注 26]、および同大会に寄せたビデオメッセージにて「(死刑廃止に向けて)殺したがるバカどもと戦ってください」と発言した瀬戸内寂聴[注 27][報道 255][報道 259]に対しては以下のように言及した。
- (瀬戸内の発言について)「(なぜ死刑制度に賛成する自分たち犯罪被害者遺族が)『殺したがるバカども』と罵倒されなければならないのか?その言葉は(実際に人を殺した)加害者に向けるべき言葉ではないのか?」[報道 250]
- 「死刑反対を唱える方々は『自分や自分の大切な人は絶対に犯罪に巻き込まれない』という前提で考えているのではないか?きれいごとでは社会秩序は守れない」[報道 260]
「日弁連は人権擁護大会で死刑廃止宣言より先に『被疑者・被告人と同様に“犯罪被害者・家族の人権・処遇”を憲法に明記すること』を働きかけるべきだ。『死んだ者には人権はない』などと奪われた命の尊さを否定しないでほしい」[報道 261]
- 「死刑廃止論者は自分の愛する家族の命を奪った加害者にも『死刑反対』と言えるのか?と問いかけたい」[報道 261]
- 「(自分が本事件の)裁判で見た弁護人は『被告人の刑を軽くするためならどんな方法もいとわない共犯者』(=敵)として映り、正義感など何も感じられなかった。しかし『全国犯罪被害者の会』(あすの会)総会に出席した際には犯罪被害者を支援する弁護士の方々の話を聞いて『こんな弁護士もいるのか!』と感動した」[報道 260]
討論会[編集]
またAの母親は2017年9月9日に犯罪被害・死刑制度などについて考える会「TOKYO1351」とニコニコ動画が共同で開催した「死刑を考える討論会」(司会:ジョー横溝)に出席し、死刑制度存置派・廃止派の各弁護士・識者ら(弁護士の高橋正人・ジャーナリストの青木理、映画監督の森達也ら)とともに参加して死刑制度に関する討論を行った[報道 69]。
事件発生から10年を迎えて[編集]
Aの母親は2017年8月24日に事件発生から10年を迎えたことを受けて報道各社のインタビューに応じ[報道 262][報道 263][報道 264][報道 265][報道 266]、増加・複雑化・巧妙化するサイバー犯罪(インターネット犯罪)の取り締まり強化・新法制定の必要性を訴えた[報道 267]。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 『読売新聞』では「高校中退」[報道 43]、『毎日新聞』では「高校卒業」と報道されている[報道 61]。
- ↑ 当時の計画では「学生をリバティ車内で練炭自殺させ、リバティをガソリンで燃やして証拠隠滅を行う」予定だったが、その一帯は鉄道空白地帯だったことから「もしここで車を燃やしたら自分は帰る手段を失うから面倒だ」と考えたことに加え、その学生がまだ若かったことから「まだ死んでいくような年じゃないだろう」と気紛れを起こし、学生を再び乗車させて車を発進させ、学生が名古屋市中区内のパチンコ店でトイレを借りている間に置き去りにして逃走した[書籍 17]。
- ↑ Vは東京都新宿区出身・同地本籍の住所不定無職[報道 77]。当時は愛知県豊川市で生活していた[書籍 12]。
- ↑ 名古屋市内 - 豊川市内の自動車による移動時間は東名高速道路を経由すれば約30分、国道1号など一般道経由の場合は約1時間ほどの距離だが、1時間以上をかけて移動した記録から大崎善生は「おそらく一般道で移動しただろう」と推測した[書籍 12]。Vは同日、レンタカーを使ってこのパチンコ店駐車場に来ていた[報道 72]。
- ↑ Xは「名駅・栄周辺で標的を拉致すると渋滞に巻き込まれる虞がある」と指摘していた[書籍 39]。
- ↑ 6.0 6.1 堀は自著『鎮魂歌』にて「監禁目的で部屋の提供を依頼した相手は碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件(1998年)・名古屋市守山区高齢女性強盗殺人未遂事件(2006年)の共犯者だった元同僚の男(無期懲役確定)である」と述べている[書籍 47]。
- ↑ 堀は「この時点では包丁・ハンマーとも使う気がなかった」と述べている[書籍 51]。
- ↑ 堀によれば「15,16人の通行人に目を付け実際に5,6人の男女(=男性も含めて)を尾行していた」[書籍 51]。
- ↑ 堀は「自分は積極的に拉致を実行しようと意気込んではいなかったし、拉致そのものが『とんでもない行為だ』と感じて躊躇していたため『もうこんなことはやめて帰りたい』と考えていたが、K・Xの前でそんなことは言えなかったから通行人がいなったのに『やばい』と発言して拉致を実行しなかったこともあった。だからずるずると5,6人を狙うことになったが、失敗する度にK・Xから咎められるような表情をされ、Xからは舌打ちまでされたから『次は必ず実行しなければいけない』と思ってしまった」と述べている[書籍 51]。
- ↑ Aが押し込められた位置はKが座っていた助手席側の後部座席足元の床で[報道 66]、K・堀両名が後部座席でAを挟むようにして座っていた[報道 18][報道 84]。なお「この時、被害者Aに手錠をかけたのはK・堀のどちらか?」に関しては法廷で最後まで争われたが、判決では被告人Kの「自分はAを両手で取り押さえるのに必至で、物理的にも体制的にも無理があった」という証言が「信憑性がある」として採用され、「手錠は堀がかけた」と事実認定されている[書籍 49]。一方で堀は自著で「気が付いた時にはAこの片手に手錠がかかっていた。自分はもう片手にも手錠をかけようとしたが、Aが拒絶したためかけなかった」と述べてこの事実認定を否定する主張をしている[書籍 50]。
- ↑ これに対し堀は「自分がドアを閉めるとほぼ同時にXが車を走らせたが、自分の感覚では監禁場所とは反対方向へ進んでいるようだったため、「方向が逆だ」と言ったが、それに対しKが『拉致したばかりの方向へ走ると拉致した瞬間を目撃していた人物がいる虞がある』ことを懸念して『戻るのはまずい』と言った」と述べている[書籍 50]。
- ↑ Aは母親が幼少期に死亡した父親とともに「マイホームを持ちたい」と夢を語り合っていたことから、その夢を叶えようと、母親には秘密で銀行口座に数百万円の貯金をしていた[報道 71]。
- ↑ これに対し堀は「この時Aが言った虚偽の暗証番号は『2960』ではない。自分もKも捜査段階でそのように供述したが、実際にXの携帯電話にその数字が残されていたため反論できなかった。暗証番号を訊き出した際には運転席にいたXにはAの声はよく聞こえず、Kが口にした番号を携帯電話の発信履歴に残したのだろう。『語呂合わせ』についてもこの時点ではまだ殺害することまでは決まっていないのにそのようなことをするのは不自然だ。このこと自体は今更些末な問題だが、結局『Aが言った暗証番号=2960』とされた理由は経度の知的障害を有していたXが聞き間違い・もしくはボタンの押し間違いをしたか、捜査機関が捏造したかのどれかだろう」と主張している[書籍 58]。
- ↑ 大崎は「この時のAの言葉は単なる『命乞い』ではなく、絶望に取り囲まれつつもあきらめずに希望の意図を探り続け『まだ生きる道を探り、男たちを説得しようとしていた』Aの強い誇りがもたらしたものだ。Aは最期まで一度たりとも取り乱さず、一粒も涙も流さず、ハンマーで頭を叩き割られても耐え続けた」と形容している[書籍 61]。また『毎日新聞』記者・秋山信一は2008年11月6日中部朝刊にて「被害者Aは被告人3人に脅されても『母親とともに夢見ていたマイホーム資金を守ろう』としたためか虚偽の暗証番号を教えるなど、最期まで生きる希望を失っていなかった」と述べている[報道 86]。
- ↑ 堀はこの時「Xと綿ロープを引っ張り合った時(碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件で被害者男性を殺めた際と同じ手口だったため)あの瞬間が壮絶にフラッシュバックして激しい恐慌状態に陥った」と述べている[書籍 63]。
- ↑ 堀は「自分とXがKの指示に従い足を押さえつけ、さらに「息が漏れているからテープで止めろ」と言われたため粘着テープをAの口に貼り付けようとしたがうまくいかなかったため、テープの上から口を押さえた。その直後にKが『鼻から息が漏れている』と言ったため、自分が右手でAの口を塞ぎつつ左手で鼻をつまんだが、その直後に恐慌状態のまま被害者をハンマーで殴りつけた」と述べている[書籍 64]。
- ↑ 大崎は「堀の意見で岐阜県内の山中に決まった」と記している一方[書籍 66]、堀は「自分とXの意見」と述べている[書籍 67]。
- ↑ 堀は「仮に雨が降ったら土・草が流されて遺体が丸見えになっていたに違いない」と述べている[書籍 67]。
- ↑ 堀はこの理由について「その数分間、Kは彼なりに暴虐の限りを尽くしたような行為を反省あるいは後悔して被害者に詫びていたのだろう。隣にいた自分にその姿を見せるためだけの行為とは思えない」と述べている[書籍 68]。
- ↑ 事件の発端となった闇サイトへの書き込みを行ったのは、本文で述べられている通りX自身である。
- ↑ 死刑囚K本人は「担当職員不在時間帯」控訴取り下げを希望する旨を申し立てた理由に関して名古屋高裁の事実取り調べに対し「イライラしていたのか、何か些細なことで言い争いになったのかはよくわからないが、対応した拘置所職員が来てくだらないことを言ったから頭にきて『面倒くさい』と思ったから『控訴取り下げの書類を持ってこい』と言った」などと供述した[裁判 3]。
- ↑ 死刑囚K本人は控訴取り下げ理由に関して名古屋高裁の事実取り調べに対し「『殺したければ早く殺せ』という思いがあったし、現時点で当時のことを考えるとインターネット上・週刊誌上で自分の交際相手を誹謗中傷する記事が掲載され、交際相手が精神的につらい旨を訴えてきた。『もうこれ以上彼女に迷惑をかけられない』と考え、別れるきっかけづくりに控訴を取り下げた」などと供述した[裁判 3]。
- ↑ 同事件は前月(2011年3月)に最高裁で犯行当時少年だった被告人3人の死刑が確定していた。
- ↑ 今池駅・池下・覚王山・本山・東山公園・星が丘・茶屋ヶ坂・自由ヶ丘・名古屋大学・吹上の計10駅[報道 219]。
- ↑ 『読売新聞』では「同じような境遇を持つ全国の犯罪被害者・子を持つ親たちから届いた手紙の中にあった1通の手紙」とされている[報道 232]。
- ↑ 日弁連はこの講演会に先立つ2016年10月7日に死刑廃止の立場を初めて明確にする形で同宣言案を賛成多数で採択した[報道 251][報道 252]。その採択は大会に出席した弁護士786人で行われ「賛成546人・反対96人・棄権144人」で可決されたが[報道 251][報道 252]、Aの母親は「賛成人数は全弁護士37,000人の1.4%に過ぎない」と指摘したほか[報道 192]、『産経新聞』も2015年1月に内閣府が実施した世論調査で死刑容認派が80%以上に上った調査結果に言及して[報道 253]「日弁連は強制加入団体である一方、採決人数・賛成票はいずれも弁護士全体(=日弁連の総会員数)から見て一握りに過ぎない」と指摘している[報道 254]。
- ↑ その人権擁護大会には「あすの会」のメンバー・犯罪被害者を支援する弁護士らが出席していた中で瀬戸内がシンポジウムに寄せたビデオメッセージが再生され[報道 255]、「あすの会」顧問を務める弁護士・岡村勲が「死刑制度に賛成する犯罪被害者・被害者遺族らを罵倒した発言だ」[報道 256]、犯罪被害者支援に取り組む弁護士が「被害者遺族のいる前でこんな内容のビデオを流した常識を疑いたい」とそれぞれ非難した[報道 257]。また犯罪被害者支援の関係者・インターネット上からも大きな非難の声が上がり[報道 257]、日弁連が翌7日に「犯罪被害者への配慮を欠いていた」と謝罪したほか[報道 258]、瀬戸内本人も10月14日付『朝日新聞』朝刊に掲載されたエッセーにて謝罪した[報道 257]。
出典[編集]
※以下の出典において、記事名に本事件・碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件それぞれの当事者の実名が使われている場合、その箇所を本項目で用いているその人物の仮名及び伏字で表記する。ただし被告人・堀慶末は実名で著書を出版しているため例外的に実名で表記する。
刑事裁判判決文・決定文からの出典
書籍出典
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- ↑ 37.0 37.1 37.2 37.3 37.4 『毎日新聞』2007年8月27日中部朝刊社会面23頁「愛知・女性拉致殺害:『携帯サイト』殺人、面識ない女性襲う--仲間内でも偽名使い」(記者:桜井平・松岡洋介、小林哲夫、影山哲也・式守克史)
- ↑ 『中日新聞』2015年6月25日夕刊第一社会面9頁「闇サイト事件 死刑執行 女性殺害のK死刑囚 07年、名古屋」
- ↑ 『中日新聞』2015年6月26日朝刊1面1頁「闇サイト殺人 死刑執行」
- ↑ 40.0 40.1 40.2 40.3 40.4 40.5 『中日新聞』2015年6月26日朝刊第二社会面30頁「K死刑囚 再審望む 闇サイト事件 見えなかった本心」
- ↑ 41.0 41.1 『東京新聞』2015年6月26日朝刊第一社会面29頁「闇サイト事件 被害者の母『もう一度娘抱き締められたら…』」
- ↑ 42.00 42.01 42.02 42.03 42.04 42.05 42.06 42.07 42.08 42.09 42.10 42.11 『朝日新聞』2007年8月27日第一社会面31頁「互いに偽名、素性知らず『女性狙い、金奪おう』 名古屋・女性殺害3容疑者 【名古屋】」
- ↑ 43.00 43.01 43.02 43.03 43.04 43.05 43.06 43.07 43.08 43.09 43.10 43.11 43.12 43.13 43.14 43.15 43.16 43.17 『読売新聞』2007年9月1日中部朝刊中部社会面35頁「[闇サイト殺人](上)脱落トリオ、意気投合 一気に凶暴化(連載)=中部」
- ↑ 44.0 44.1 44.2 44.3 44.4 『朝日新聞』2007年9月15日朝刊第一社会面35頁「首謀、ともに否定 強殺容疑などで3人を再逮捕 名古屋・女性拉致殺害【名古屋】」
- ↑ 45.00 45.01 45.02 45.03 45.04 45.05 45.06 45.07 45.08 45.09 45.10 45.11 45.12 45.13 45.14 45.15 45.16 45.17 45.18 45.19 45.20 『朝日新聞』2007年8月30日朝刊第一社会面35頁「(闇からの凶行 女性拉致殺人事件:上)職続かず、転落の3人【名古屋】」
- ↑ 46.0 46.1 46.2 46.3 46.4 46.5 46.6 46.7 『毎日新聞』2009年3月14日中部朝刊社会面23頁「曲がり角で:18日・闇サイト殺人判決/上 意思疎通なき寄せ集め集団」(記者:秋山信一)
- ↑ 47.0 47.1 47.2 『中日新聞』2008年9月25日夕刊第二社会面10頁「千種拉致殺害 被害者 被告とも苦悩 長引いた公判前手続き」
- ↑ 48.0 48.1 『中日新聞』2008年9月24日朝刊第一社会面27頁「千種・拉致殺害 あす初公判」
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- ↑ 62.0 62.1 62.2 62.3 62.4 62.5 『中日新聞』2007年12月26日朝刊第一社会面27頁「千種の女性拉致殺害 本紙に手紙 X被告『何となく流されて…』 『発覚の恐れ少ない』 闇サイト悪用の犯罪 過去にも3度」
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- ↑ 72.00 72.01 72.02 72.03 72.04 72.05 72.06 72.07 72.08 72.09 72.10 72.11 『中日新聞』2007年8月28日夕刊1面1頁「女性拉致殺害 1週間女性を物色 3容疑者 名古屋市内、車で」「別の男と窃盗未遂 X容疑者 同じサイトで知り合う 事件前夜」
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- ↑ 80.0 80.1 80.2 80.3 80.4 80.5 80.6 80.7 『中日新聞』2007年9月7日朝刊第一社会面31頁「女性拉致 逃げる気配感じ殺害 K容疑者、弁護士会見 3人が直接関与」
- ↑ 81.0 81.1 81.2 81.3 『朝日新聞』2007年9月25日朝刊第二社会面30頁「容疑者立ち会わせ実況見分 拉致殺害事件、1カ月 【名古屋】」
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- ↑ 83.0 83.1 83.2 83.3 83.4 『朝日新聞』2007年10月6日朝刊第一社会面27頁「女性拉致3被告、強盗殺人罪で追起訴 名古屋 【名古屋】」
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- ↑ 86.0 86.1 86.2 86.3 86.4 86.5 86.6 『毎日新聞』2008年11月6日中部朝刊社会面25頁「愛知・女性拉致殺害:闇サイト殺人公判 殺害過程詳細に証言 被告人質問」(記者:秋山信一)
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- ↑ 90.0 90.1 90.2 90.3 90.4 90.5 90.6 90.7 『朝日新聞』2007年8月29日朝刊第一社会面27頁「3容疑者、拉致後は場当たり的 殺害後スコップ盗む 名古屋・拉致殺害 【名古屋】」
- ↑ 91.0 91.1 91.2 『朝日新聞』2007年8月27日夕刊1面1頁「手錠・ハンマー複数用意 死体遺棄容疑者ら『別の拉致計画』 千種女性殺害 【名古屋】」
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- ↑ 『中日新聞』2007年8月28日朝刊第一社会面31頁「女性拉致殺害 悔しくて、悲しくて 囲碁仲間言葉詰まらせ Aさん遺体自宅に」
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- ↑ 『朝日新聞』2007年8月29日夕刊第一社会面15頁「Aさんの葬儀に130人 名古屋・拉致殺害」
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- ↑ 102.0 102.1 102.2 『中日新聞』2007年9月9日朝刊第一社会面37頁「容疑者立ち会い 現場を実況見分 女性拉致殺害」
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- ↑ 106.0 106.1 『毎日新聞』2007年11月21日中部朝刊社会面23頁「事務所荒らし:『闇サイト』被告と共謀、被告に有罪判決 名地裁」(記者:岡崎大輔)
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- ↑ 132.0 132.1 132.2 132.3 132.4 132.5 132.6 『読売新聞』2008年12月9日中部朝刊第二社会面34頁「闇サイト殺人 娘の写真映し『酌量の余地なし』 母親が証人出廷=中部」
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その他各種出典
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参考文献[編集]
刑事裁判の判決文・決定文[編集]
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- 判決内容:被告人・堀は原審の死刑判決を破棄、被告人Xの検察側・被告人側双方の控訴棄却によりいずれも無期懲役(求刑:死刑)
インターネットの掲示板を利用して集まった被告人らが、帰宅途中の被害女性を自動車内に押し込んで逮捕監禁し、暴行を加えて現金及びキャッシュカードを強取し、脅迫してキャッシュカードの暗証番号を聞き出した後、同女を殺害してその死体を遺棄するなどした営利略取、逮捕監禁、強盗殺人、強盗強姦未遂の事案において、殺害された被害者が1名である本件において、死刑の選択がやむを得ないと言えるほど他の量刑要素が悪質であるとは断じがたいことなどから、被告人A(堀慶末)を死刑に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であり、他方で、被告人B(同X)を無期懲役に処した原判決の量刑は結論において相当であるとして、原判決中、被告人Aに関する部分を破棄し、被告人Aを無期懲役に処した事例。
- 名古屋高等裁判所刑事第2部決定 2010年(平成22年)9月9日 『高等裁判所刑事裁判速報集』(平成22年)号123頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25501106、、『控訴審における公判期日指定申立て事件』。
- 死刑判決の言渡しを受けた被告人の控訴取下げが無効であることを理由にしてなされた公判期日指定の申立てに対し、被告人の行った控訴取下げを有効と認めて決定で控訴終了宣言がなされた事例。
- 決定内容:死刑囚Kの控訴取り下げは有効
- 申立人:弁護人
- 最高裁判所第二小法廷決定 2012年(平成24年)7月11日 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第308号91頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、平成23年(あ)第844号、『営利略取、逮捕監禁、強盗殺人、死体遺棄、窃盗未遂各被告事件』「被害者1名の強盗殺人等の事案につき無期懲役の量刑が維持された事例(名古屋闇サイト殺人事件)」。
- 名古屋地方裁判所刑事第4部判決 2015年(平成27年)12月15日 裁判所ウェブサイト掲載判例、『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28240367、平成24年(わ)第1701号/平成25年(わ)第156号、『住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂被告事件(碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件)』。
被告人が、共犯者2名と共謀の上、強盗目的で民家に侵入して夫婦を殺害した住居侵入、強盗殺人と、その8年後に同共犯者のうち1名と共謀の上、強盗目的で民家に侵入して1名を殺害しようとした住居侵入、強盗殺人未遂の事案につき、死刑に処した事例。
国家賠償請求訴訟の判決文[編集]
- 名古屋地方裁判所民事第3部判決 2013年(平成25年)2月19日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成21年(ワ)第4801号,平成22年(ワ)第7629号、『損害賠償請求事件』。
- 刑事事件の第一審で死刑判決を受け,控訴した後にこれを取り下げ,当該取下げの無効を主張する者(以下「控訴の取下げの効力を争う死刑確定者」という。)と弁護人との面会に際し,拘置所長が立会いなしの面会を認めなかった措置について,刑訴法440条の趣旨に照らせば,控訴の取下げの効力を争う死刑確定者にも,弁護人選任権が保障され,弁護人と立会人なくして面会する法的利益が認められるとして,裁量権を逸脱濫用した違法があるとした事例。
- 上記1の措置の違法を主張する国家賠償請求訴訟のための訴訟代理人弁護士との立会いなしの面会を認めなかった拘置所長の措置について,裁量権を逸脱濫用した違法があるとした事例。
書籍[編集]
- 大崎善生『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』角川書店、2016年11月30日、初版発行。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4041025222。
- 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』インパクト出版会、2012年5月23日。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4755402241。
- 年報・死刑廃止編集委員会『死刑囚監房から 年報・死刑廃止2015』インパクト出版会、2015年10月10日、126-141,241。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4755402616。
- 年報・死刑廃止編集委員会『死刑と憲法 年報・死刑廃止2016』インパクト出版会、2016年10月10日、194-195頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4755402692。
- 年報・死刑廃止編集委員会『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』インパクト出版会、2017年10月15日。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4755402807。
- 堀慶末『鎮魂歌』(発行人:深田卓)、インパクト出版会、2019年5月25日、第1刷発行。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4755402968。(書名の読み:レクイエム)
- 本事件および碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件で死刑判決を受けた加害者・堀慶末による著書。第13回大道寺幸子・赤堀政夫基金死刑囚表現展特別賞受賞作。
テレビ番組[編集]
- 罪と罰 ―娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父― (ja). フジテレビ系列. 東海テレビ放送. 2009年4月12日放送. 2018年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。 2018年12月21日閲覧。
- 2009年5月の裁判員制度開始を控え、本事件被害者の母親を含め東海地方で発生した凶悪犯罪の被害者遺族3人(ほか名古屋保険金殺人事件・大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件両事件の被害者遺族)を取材したドキュメンタリー。ナレーター・藤原竜也。2009年4月12日16時00分 - 16時55分に東海テレビにて放送。
- "史上最低最悪の男達に殺された娘" (ja). ザ!世界仰天ニュース. 日本テレビ系列. 日本テレビ放送網. 2018年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。 2018年9月1日閲覧。
- 実録!マサカの衝撃事件 (ja). TBS系列. TBSテレビ. 2017年10月9日放送. 2018年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。 2018年9月1日閲覧。
- 事件の涙 Human Crossroads (ja). 日本放送協会. NHK総合テレビジョン. 2017年12月27日放送. 2018年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。 2018年9月1日閲覧。
- Home(ホーム) 東海テレビ開局60周年記念 ドキュメンタリードラマ (ja). フジテレビ系列. 東海テレビ放送. 2018年12月25日放送. 2018年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。 2018年12月21日閲覧。
関連項目[編集]
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件 - 本事件より9年前(1998年)、堀が別の男2人とともに起こした強盗殺人事件。
- ドラム缶女性焼殺事件 - 同じ名古屋市千種区で発生した、複数人の共犯者に死刑が求刑された拉致・強盗殺人事件。
- 闇サイト
- サイバー犯罪(インターネット犯罪)
- シリアルキラー(連続殺人)
- 累犯
「永山基準」が示されて以降に殺害された被害者数が1人だったが最高裁で死刑判決が確定した事件
※無期懲役刑に処された前科があるもの、身代金誘拐・保険金殺人は含まない。
- JT女性社員逆恨み殺人事件 - 殺人前科あり。同事件で懲役刑を受けて出所後、強姦した女性を恐喝したことで被害届を出されて逮捕されて再び服役し、その逆恨みからお礼参りに及んだ高度な計画性に基づく犯行。
- 三島女子短大生焼殺事件 - 殺人前科・利欲目的・高度な計画性のいずれもなし。
- 名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件 - 殺人前科あり・強盗殺人。前科は単純殺人ではあるが死刑に処された強盗殺人事件と経緯・手口が酷似した犯行。
- 横浜中華街料理店主射殺事件 - 殺人前科なし。強盗殺人1件以外にも強盗殺人未遂・放火の余罪あり、銃を使用した犯行。
死刑判決を受けた被告人が控訴を自ら取り下げたため、弁護人が控訴取下げの無効を主張して裁判所に異議を申し立てた事件
- 藤沢母娘殺人事件(警察庁広域重要指定112号事件) - 控訴取り下げへの異議申し立てが最高裁で認められ控訴審公判が再開されたが、結局は死刑判決が支持されて確定し刑執行に至った。
- ピアノ騒音殺人事件 - 控訴取り下げへの異議申し立ては退けられたが死刑は未だに執行されていない。
- マブチモーター社長宅殺人放火事件(警察庁広域重要指定124号事件) - 控訴取り下げへの異議申し立ては退けられたが、死刑を執行されることなく病死した。
- 奈良小1女児殺害事件 - 本事件と同様に控訴取り下げへの異議申し立てが退けられた後に死刑囚の刑が執行された。
外部リンク[編集]
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- “堀と闇サイト事件・夫婦強殺事件・強殺未遂事件” (日本語). 被害者女性Aの母親 (2016年11月8日). 2017年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月13日閲覧。
- 本事件加害者・堀慶末の出生から碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件・本事件など3つの強盗殺人・同未遂事件、逮捕・起訴後の刑事裁判の経緯が記録されている。
- “報道に宛てた手記(抜粋)” (日本語). 被害者女性Aの母親 (2007年9月11日). 2017年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月13日閲覧。
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- “真実 前略、名古屋拘置所より” (日本語). 元死刑囚K (2009年2月19日). 2009年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月23日閲覧。
- 元死刑囚Kが知人に依頼して名古屋拘置所から手紙を出し設立したブログ。2017年現在は閉鎖されておりアーカイブからのみ閲覧可能。
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