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富山市

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富山市(とやまし)は、富山県の中央部から南東部にかけて位置する市。富山県の県庁所在地及び人口が最多の市であり、中核市、保健所政令市、中枢中核都市に指定されている。また、中核市で最も面積の大きい市である。

概要[編集]

富山県の県庁所在地で、同県の中央部から南東部に位置する。2005年4月1日、富山市、上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村の7市町村による新設合併によって現在の富山市が発足した。また現在の市域は大きすぎるため、合併前に存在した旧富山市は廃止となっている。合併前の富山市と現在の富山市とは、制度上異なる自治体となっている。

この合併により、全国の都道府県庁所在地の中では2番目に広い総面積を持つようになった(全国の市では11位)。また、富山県の29.24%の面積を占め、ひとつの市町村が県に占める面積の割合としては全国一である。市域は富山県域に対して南北にわたっており、日本海と南側の県境いずれにも接している。

広い総面積に対し、可住地面積比率は38.2%で、市域の約6割が林野地となっている。また、市街化区域面積比率は5.8%であり、環境モデル都市の選定を受けてコンパクトシティを目指した都市計画を進めている。また、環境未来都市、国際会議観光都市、国連エネルギー効率改善都市、レジリエント・シティ、持続可能な開発目標(SDGs)におけるSDGs未来都市、自治体SDGsモデル事業に選定されている。市内の多くは立山黒部ジオパークに、南東部は中部山岳国立公園に指定されている。同市は2011年よりインドネシア・バリ島で小水力発電施設の設置事業を推進するなど、国際的な環境事業に力を入れており、2017年2月2日には日本の中核市としては初めて国際協力機構(JICA)と人材交流や技術協力などの協定を結んでいる。

同市は県のプライメイトシティとして機能している。北陸電力や北陸銀行などライフラインの本社や支店が置かれ、商業・工業面において富山県の中心のみならず北陸地方の中心都市としての機能も担っている。単独の人口比較では石川県金沢市に劣るが、都市雇用圏での比較では県内2位都市の高岡市も包括するため、人口・経済規模ともに金沢都市圏より富山都市圏の方が大きく、新潟都市圏とともに日本海側の都市では福岡都市圏、札幌都市圏、北九州都市圏に次ぐ規模である。

合併により、「越中富山の薬売り」で知られる富山城の城下町として栄えた地域(「薬都」と呼ばれることも)、浄土真宗の古刹聞名寺の門前町として発展した地域、立山信仰の登山者たちの宿場町として人々が行きかった地域など、多様な地域が包含された。地形も変化に富み、水深約3,000 メートルの富山深海長谷から標高2,986 メートルの水晶岳までさまざまな動植物が生息し、ホタルイカやライチョウ(雷鳥)などが観光資源化されている。ホタルイカが水揚げされる富山市から魚津市にかけての富山湾沿岸は、特別天然記念物に指定されている。

方言は富山弁が使用されている地域である。

隣県の新潟県の県庁所在地、新潟市とは252.5 キロメートル離れている。これは、陸続きの隣県同士の県庁所在地間の距離では日本最長である(海上隣接を含めると、鹿児島市と那覇市の764.9 キロが最長)。

地理[編集]

地形[編集]

富山県の中部から南東部に位置しており、県の総面積の約3分の1を占める。市の北部から中部には神通川・常願寺川などの川によって形成された沖積平野の富山平野が広がる。中西部にはなだらかな呉羽丘陵が横たわり、南部には飛騨高地が、南東部には雄大な北アルプス立山連峰がそびえる。森林セラピー基地に認定されている。富山平野の北側には、豊富な魚介類の宝庫である富山湾が広がっている。

立山カルデラ内にある新湯という池では、上質な玉滴石(オパールの一種)を産出する。

  • 山:水晶岳(富山市最高峰)、薬師岳、野口五郎岳、黒部五郎岳、烏帽子岳、赤牛岳、三俣蓮華岳、北ノ俣岳、鷲羽岳、白木峰、呉羽丘陵、牛岳、東笠山、与四兵衛山、大高山
  • 高原 :高天原、雲ノ平、五色ヶ原
  • 川:神通川、常願寺川、井田川、松川、いたち川、久婦須川、熊野川、長棟川、白岩川、上市川、和田川、
  • 湖沼:多枝原池、刈込池、新湯、水晶池、竜晶池、五郎池、黒部湖(黒部ダム)、有峰湖(有峰ダム)、田尻池

由来[編集]

「トヤマ」の地名は、室町幕府直臣の吉見詮頼が、応永5年5月3日に「越中国外山郷地頭職」を観勝寺に寄せた寄進状 が初見である。外山郷は、越中守護所放生津(現・射水市)があった射水郡の東端である御服山(呉羽山)の東麓(射水郡からみて外側)に位置する。この地形から、「外山」の字が当てられたとする説がある。「富山」字は戦国時代に初見されるが、江戸時代は「富山」「外山」の両方が使用されている。また、慶長年間以前に成立したことが確実な文献史料のタイトルに『富山之記』がある。このほか、以下のような説がある。

  • 立山連峰を仰ぐことができ、山に富んでいることから富山(とやま)と呼ばれたため。
  • もともとは藤居山(ふじいやま)という地名だったが、富山寺(ふせんじ) という寺院があったのでに次第に富山(とやま)と呼ばれていったため。
  • 富山城が築城された際に、外山から縁起よくするために富山に改名されたため。ただし富山城は江戸初期まで「安住城」「安城」と呼ばれていたという説もある。
  • 深山に対して外山(とやま)と呼ばれたため。

市街地[編集]

昭和の第二次世界大戦後に市街化区域内は土地区画整理され、東西と南北に碁盤目状に延びる道路と、富山駅を起点とした5本の放射状道路により構成された計画都市となっている。富山駅を中心に周辺には県庁、富山国際会議場、県民会館などシビックセンターが発達している。富山駅南口からはメインストリートが伸びており、路面電車でアクセスできる繁華街が発達している。かつては駅裏とも呼ばれていた富山駅北側は昭和末期に策定された「とやま都市MIRAI計画」による再開発が行われ、現在ではLRTが整備され、シアター富山市芸術文化ホール(通称:オーバード・ホール)、シティーオアシスである富岩運河環水公園(カナルパーク)や富山県美術館などの施設が立地する他、企業の本社などオフィス街が発達している。同じく路面電車でアクセスできる市北部海沿いの岩瀬浜エリアには歴史情緒あふれる街並みが広がっており、かつて北前船が就航していた頃の面影が残っている。また、神通川を渡った市内西部には五福エリアに富山大学を中心に学生街が、婦中町エリアにショッピングセンター「フューチャーシティ・ファボーレ」をメインとしたロードサイドショップが点在する商業圏が発達している。また、岐阜県の飛騨・高山方面へと続く国道41号線沿いにもロードサイドショップが点在する。一方、古い町並みの残る八尾地域は「越中おわら風の盆」で全国的に知られ、多数の観光客が訪れる。

気候[編集]

日本海側気候で、旧富山市域は豪雪地帯、市域南部の大山・八尾・山田・細入地域は特別豪雪地帯に属している。しかし、北陸地方のほかの地域と同様、緯度のわりには太平洋側と比べると気温は温暖で、年間降水日数が多く特に冬期は多量の降水を見る。富山平野は富山湾に面しているが、能登半島で日本海からの海風が遮られ、南側に飛騨高地などの山脈が連なり南〜南西の風が卓越しやすいなど内陸性ともいえる気候の側面を持つ。以上の地形的な特徴により、冬の季節風が比較的弱いものの、夏はフェーン現象の影響を特に受けやすく高温となる。

冬は雪や雨の日が多めである。年平均降雪量は253 センチで、年平均最深積雪は51 センチとである。これには前述の地形的な特徴も原因となっており、能登方面から吹く弱い北西風と、金沢市方面から吹き込み南側の山地を回りこんでから吹き降りる南風が富山平野で収束しやすいことによるものである。冬季の過去最深積雪は1940年1月30日に観測された208 センチ。近年は暖冬化により積雪が減少傾向であるが、2021年1月8日に35年ぶりに100センチを超え、1月10日には128 センチに達した。真冬日は年平均0.5日と少なく、最寒月の最低気温の平年値も約0 ℃と、関東地方の郊外都市部より高い。いわゆる湿り雪で、積雪後は北海道・東北地方のような恒常的な凍結状態にはならない。北海道・東北地方の豪雪地帯と比べると比較的降雪日数、積雪量共に少ないが、JPCZの影響で猛烈な寒気が流れ込むと、短期的に大雪となることもある。

夏は日本海を台風や低気圧が通過した際に著しいフェーン現象が発生し最高気温が37 ℃以上になることがあり、2000年7月31日には最低気温が30.1 ℃と、いわゆる超熱帯夜を記録している。年平均熱帯夜日数は9.3日。ただし市内を台風が通過することはあまりない為、台風自体の影響は少ない。



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