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アメリカ合衆国

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アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、英語: United States of America)は、北アメリカに位置し、大西洋および太平洋に面する連邦共和制国家。通称は米国(べいこく)またはアメリカ。略称は(べい)。首都はコロンビア特別区(ワシントンD.C.)。

アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にAmericaとも称される。

なお、「アメリカ」と言われる場合は後述の本土(48州)のみを示し、アラスカ州やハワイ州などを含まない。

概要[編集]

コロンビア特別区および50州から構成される。うち大陸本土の48州は北のカナダと南のメキシコとの間の北アメリカ大陸中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ大陸北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡を挟んでロシアと国境を接している。ハワイ州は太平洋中部に位置する島嶼群である。アメリカは太平洋およびカリブ海に5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。国土の総面積は985万平方キロメートルであり、これは世界第3位である。総人口は3億3190万人(2021年時点)であり、これは世界第3位である。

約1万5000年前、パレオ・インディアンはユーラシア大陸から現在の北アメリカ大陸本土に移住し、ヨーロッパ諸国による植民地化は16世紀に始まった。アメリカ合衆国の建国は、大西洋沿岸に沿って位置する13植民地に端を発する。イギリスと同植民地との間の紛争によってアメリカ合衆国は独立した。1776年7月4日、アメリカ独立戦争におけるイギリスとの交戦時、同植民地の代表はアメリカ独立宣言を全会一致で発布した。(この日はアメリカで「forth of july」と呼ばれている。)1783年9月に同戦争はイギリスからのアメリカの独立の承認により終結し、ヨーロッパの植民地帝国を相手に成功した世界初の独立戦争となった。

1787年9月17日、現在のアメリカ合衆国憲法が起草された。集合的に権利章典と名付けられた最初の10の修正案は1791年に批准され、多数の基本的な市民の権利および自由を保証することを目的として策定された。マニフェスト・デスティニーの教義に駆られ、19世紀を通してアメリカ合衆国は先住民の強制退去、新たな領土取得、次第に承認した新たな州により北アメリカの西部へ拡大した。アメリカ合衆国史上唯一の内戦である南北戦争は、アメリカ合衆国における合法的な奴隷制を終焉に至らせた。19世紀末までに、アメリカ合衆国は太平洋まで拡大し、米国経済は成長し始めた。

米西戦争に勝利したアメリカ合衆国は第一次世界大戦中にイギリスやフランス、日本とともに連合国として参加。本土が戦火に巻き込まれなかったアメリカ合衆国は経済的繁栄を謳歌した。戦後には共産主義国家を広げないためにロシア革命に内政干渉を行い、他の列強と共にシベリア出兵を開始したが、1920年代後半には大恐慌で大打撃をこうむった。

第二次世界大戦には1941年12月に日本軍の真珠湾攻撃により連合国側で参戦し、緒戦では本土空襲など痛手を受けたが、優れた技術力および圧倒的な物量によって連合国を勝利に導いた。戦勝国の中心として世界への影響力を強め、ソビエト連邦と世界を二分する超大国となった。西側諸国の事実上のリーダーとしてソ連を事実上のリーダーとする東側諸国と対立し、冷戦に突入したが、1989年に東欧革命によって社会主義諸国は次々と崩壊、1991年にソビエト連邦が崩壊したことでアメリカが世界唯一の超大国と見做されるようになった。この状態を超大国を上回る極超大国と称されることがあった。

2000年代に入り、経済面でヨーロッパ諸国の衰退と日本がバブル崩壊によって先進国が長期低迷しているという反面、自国の金融とIT企業が急成長し世界に影響力を高めた。

アメリカ合衆国は先進国であり、世界最大規模の国民経済を有する経済大国である。世界貿易機関、G7、G20、経済協力開発機構、北大西洋条約機構(NATO)、米州機構、米州相互援助条約などの加盟国でもある。米国経済は、豊富な天然資源および労働者の高度な生産性によって支えられている。アメリカ合衆国は脱工業化社会であるとされている一方で、世界最大の製造国のひとつであり続けている。

アメリカ合衆国は、2018年の世界の軍事支出(英語版)の36%を占める世界最大の軍事大国である。世界で初めて核兵器を開発した国であり、日本への原子爆弾投下によって戦争において核兵器を使用したことがある唯一の国である。

第二次世界大戦の戦勝国である事から、国際連合安全保障理事会の常任理事国であり、国連から核兵器の保有を合法的に認められている他、NATOの加盟国でもある。アメリカ軍(米軍)は陸軍・海軍・空軍・宇宙軍・海兵隊・沿岸警備隊で構成されており、北米(アメリカ北方軍)・アジア(アメリカインド太平洋軍)・欧州(アメリカ欧州軍)・アフリカ(アメリカアフリカ軍)・中東(アメリカ中央軍)・南米(アメリカ南方軍)など世界中の国家(170か国ほど)に多数の駐留軍事拠点(米軍基地)を設置し、同盟国などの国家安全保障を担っている。

アメリカ合衆国は2023年現在、国際社会に最も多大な影響を及ぼす政治的・経済的・軍事的大国であり、世界で最も民族的に多様かつ多文化な国のひとつである他、科学研究および技術革新における世界のリーダー的存在であるともされている。事実上の世界唯一の超大国として君臨している。他方、経済・軍事的に台頭する中華人民共和国やロシアなどとの間で新冷戦と呼ばれる状況に突入している。

国号[編集]

1507年、ドイツ人地図製作者のマルティン・ヴァルトゼーミュラーは、イタリア人探検家および地図製作者のアメリゴ・ヴェスプッチの名をとって西半球の陸地をアメリカ州と名付けた世界地図を作成した。

United States of America(ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ)という言葉の最初の文書証拠は、大陸軍ジョージ・ワシントンの副官および検閲官の大将であるスティーブン・モイランにより書かれた1776年1月2日付の手紙である。手紙はジョセフ・リード中佐宛で、革命戦争において「アメリカ合衆国の大量で十分な力」でスペインを支援する嘆願をモイランは記した。

「United States of America」という言葉が最初に公開出版された証拠は、1776年4月6日にバージニア州・ウィリアムズバーグのザ・バージニア・ガゼット紙面に匿名で書かれたエッセイである。1776年6月、トーマス・ジェファーソンは独立宣言の「原草稿」の見出しにすべて大文字で書かれた「UNITED STATES OF AMERICA」という言葉を加えた。独立宣言の7月4日の最終版において、表題の該当する部分は「アメリカ合衆国13州一致の宣言」に変更された。1777年に連合規約が発布され、「連合の名称を『United States of America』と定める」と規定した。

短縮形は「United States」が標準的であり、ほかの一般的な形式は、「U.S.」「USA」および「America」である。ほかに口語での名称として「U.S. of A.」があり、国際的には「States」がある。18世紀後半の詩歌において人気な名称である「コロンビア」は、クリストファー・コロンブスが起源であり、コロンビア特別区の名に見られる。

英語以外の言語において、アメリカの名称は「United States」または「United States of America」のいずれかの、口語では「America」の翻訳であることが多い。加えて、USAのような略称はときどき用いられる。東アジアでも、「America」を「亞米利加」「亞美利加」「米利堅」「美利堅」などと音訳し、「United States」を「合衆国」と翻訳することで、日本語では「アメリカ合衆国」「米国」、中国語、朝鮮語、ベトナム語では「美利堅合衆國」「美國」と漢字表記する。この漢字表記は歴史上一定していたわけではなく、「亜墨利加」「亜国」などの表記が用いられたことがあった。一方、英語名称の翻訳を由来としない名称としては、ベトナム語でのアメリカの名称である「Hoa Kỳ」(花旗)があり、これは中国南部でのアメリカ合衆国の国旗の古称「花旗」およびアメリカの古称「花旗国」に由来する。

「United States」という言葉は、1865年批准のアメリカ合衆国憲法修正第13条にみられる、「the United States are」のように、本来は独立州の集合体を表現した複数形として扱われていた。南北戦争終結後には、「the United States is」のように単数形として扱うことが一般的になった。現在は単数形が標準的であり、複数形は「these United States」のような慣用句にその形を留める。その違いは州の集合体および単一体の間の違いを反映しており、慣用以上の重要なものとされている。

アメリカ合衆国国民の標準的な言及方法は、「Americans」である。「United States」「American」および「U.S.」は、「American values」および「U.S. forces」のように形容詞的に国を言及するのに用いられる。Americanは、アメリカ合衆国と関連のないものへの言及には英語ではほとんど用いられない。

日本語における名称[編集]

日本語においては、単に「アメリカ」、もしくは「アメリカ(亜米利加)合衆国」の通称として「米国」(べいこく)・「米」(べい)と呼ばれる場合が多い。公用文では「米国」が使用されており、「アメリカ」呼称は口語もしくはテレビのニュースなどで用いられることが多い(NHKなど)。

ただし、上述するように「アメリカ」はアメリカ大陸全体を指すので、正しくはない。在日米国大使館・領事館などはそのウェブサイトにおいて自国の事を一貫して「米国」と記述している。

歴史[編集]

新大陸の到達[編集]

イタリア(ジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブスはスペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国への到達を志したが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。当初は東アジアの一部と考えられていたが、現在の大陸名の由来ともなるイタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの主張をもとに新たな大陸とされた。その後、ドイツの地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラーがアメリカ大陸と命名し、その名が定着していった。

これを契機に、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への侵略が開始した。イタリアのジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスがニューイングランド植民地の領有を宣言し、フランスもジャック・カルティエがセントローレンス川を探検したあと、その一帯をヌーベルフランス植民地とするなど、南北アメリカ大陸の探検と開拓が開始した。

のちに、アメリカ人は「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」をスローガンに奥地への開拓を進め、たとえ貧民でも自らの労働で土地を得て豊かな暮らしを手にすることができるという文化を形成して「自由と民主主義」理念の源流を形成した。その成功が誇張も含めて旧大陸に伝来し、さらに各地からの移民を誘発することになった。それと同時に、先住民であるネイティブ・アメリカンと協調・交易する一方で、虐殺や追放をして彼らの土地を強奪していった。

グレートブリテン王国(イギリス)からの独立[編集]

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国璽(表) 国璽(裏)

北米大陸にヨーロッパ諸国が植民地支配を展開する中、イギリスと13植民地との間に経済・租税措置を巡って対立が生じた。1775年にアメリカ独立戦争が勃発すると、1776年7月4日に独立宣言を発表し、イギリスの優位性を崩すためにフランスと同盟を締結した。

13植民地の独立とアメリカ合衆国の建国[編集]

この7月4日は現在も「独立記念日」として、クリスマス、感謝祭と並び、米国の代表的な祝日とされる。13植民地が勝利すると1783年にパリ条約が締結され、「アメリカ合衆国」として正式に独立(建国)し、独立した13州に加えてミシシッピ川以東と五大湖以南をイギリスから割譲された。1787年9月17日には、連合規約に代わる中央集権的な合衆国憲法が激論の末に制定された。1789年3月4日に発効され、同年に初代大統領として大陸軍司令官であったジョージ・ワシントンが就任した。

アメリカは、「自由」と「民主主義」を標榜したことから、近代の共和制国家としても、当時としては稀有な民主主義国家であった。しかし、女性やアフリカ大陸から強制的に連行させられた黒人奴隷、アメリカ先住民の権利はほとんど保障されなかった。その結果、奴隷制度と人種差別が独立後のアメリカに長く残ることとなった。



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