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朝日新聞

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朝日新聞(あさひしんぶん、英語: The Asahi Shimbun)は、大阪府に本店を置く朝日新聞社が編集・発行する日本の新聞である。日刊、全国紙。2022年下半期の発行部数は397万部で読売新聞に次ぎ国内第2位である。

2022年1月時点で国内に44総局、180支局を配する。海外には5か所に総局、世界各地に28の支局を設置しているほか、AP通信、ロイター、タス通信など世界の通信社と契約を結び全世界に取材網を張っている。政治・社会問題に強みがあり、数々のスクープ記事で日本新聞協会賞、JCJ賞ほか報道関連の賞を多数受賞している。1904年から続く一面のコラム『天声人語』はしばしば入学試験などに使用される。2022年には初の女性執筆者が担当することとなった。

1995年8月、インターネット情報サービス「asahi.com」を開設。2011年5月には有料版ニュースサイトとして「朝日新聞デジタル」を開設。2012年、両者を統合し朝日新聞デジタルへ移行した。

産経新聞、大阪毎日新聞(毎日新聞大阪本社の前身)などとともに大阪市を発祥とする新聞である。「朝日」の由来は、初代編集主幹だった津田貞の提案「毎朝、早く配達され、何よりも早く人が手にするもの」から名付けられ、巷間に流布する「旭日昇天 万象惟明」は津田の友人らによる後付けであるという。

沿革[編集]

  • 1879年
    • 1月25日 - 大阪府において、1部1銭、4ページ建てで創刊。
    • 9月13日 - 朝日新聞初の論説「新聞紙論説の事を論ず」を掲載。
  • 1888年7月10日 - 東京の『めさまし新聞』を買収・改題し、『東京朝日新聞』を創刊。
  • 1889年1月3日 - 大阪本社発行の新聞を『大阪朝日新聞』と改題。
  • 1904年
    • 1月5日 - 大阪朝日新聞でコラム「天声人語」が掲載開始。
    • 9月30日 - 東京朝日新聞で日露戦争の戦地写真「遼陽写真報」を掲載。
  • 1907年 - 夏目漱石が入社。
  • 1912年7月30日 - 大正改元を号外速報。
  • 1915年
    • 9月 - 外地版「鮮満附録」を発行。
    • 10月10日 - 大阪朝日新聞で夕刊の発行を開始。
  • 1916年3月29日 - 東京朝日新聞でコラム「青鉛筆」が掲載開始。
  • 1918年
    • 5月 - 外地版「鮮満版」がスタート。
    • 8月25日 - 大阪朝日新聞で白虹事件の発端となる記事を掲載。
  • 1921年2月1日 - 東京朝日新聞で夕刊の発行を開始。
  • 1921年5月1日 - 東京朝日新聞の日曜夕刊に岡本一平の漫画欄を新設。
  • 1925年4月 - 外地版「朝鮮朝日」がスタート。
  • 1928年7月 - 「朝鮮朝日」を「南鮮版」と「西北版」に分割。
  • 1933年11月 - 外地版「満洲版」「台湾版」がスタート。
  • 1935年
    • 2月11日 - 九州支社(後の西部本社)で発行開始。
    • 11月25日 - 名古屋本社で発行開始。
  • 1939年7月 - 第一回聖戦美術展を陸軍美術協会とともに主催。
  • 1940年9月1日 - 大阪朝日新聞と東京朝日新聞の題号を『朝日新聞』に統一。
  • 1943年1月1日 - 中野正剛の寄稿「戦時宰相論」掲載により発禁。
  • 1944年3月6日 - 夕刊の発行休止。
  • 1945年
    • 8月23日 - 社説「自らを罪するの弁」で戦意高揚など自社の戦争責任を告白。
    • 9月18日 - 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が48時間の発行停止を命じる。朝日新聞の記事と鳩山一郎の寄稿論文が最高司令官覚書の第一と第三に違反。
    • 11月7日 - 声明「国民と共に立たん」と、社説「新聞の新なる使命」を掲載。
  • 1946年11月21日 - 現代仮名遣いを採用。
  • 1947年6月8日 - 新聞小説が復活し、石坂洋次郎の『青い山脈』が連載開始。同年10月4日に完結。
  • 1949年11月30日 - 『夕刊朝日新聞』として夕刊が復活し、長谷川町子の漫画『サザエさん』が連載開始。
  • 1950年9月27日 - 伊藤律会見報道事件。
  • 1951年
    • 2月1日 - 根本進の漫画『クリちゃん』が夕刊朝日新聞で連載開始。
    • 10月1日 - 朝夕刊のセット発行が再開。夕刊朝日新聞は朝日新聞本紙の夕刊に統合。
    • 10月2日 - 「ひととき」欄を新設。
  • 1957年10月1日 - 「親さがし運動」の記事で第1回日本新聞協会賞を受賞。
  • 1959年6月1日 - 北海道支社で発行開始。
  • 1960年6月17日 - 安保闘争をめぐり、朝日新聞を含む在京7紙で共同宣言「暴力を排し議会主義を守れ」を朝刊に掲載。
  • 1965年
    • 1月1日 - 日本の新聞で初めて発行部数500万部突破。
    • 1月20日 - 大阪本社版の紙齢が3万号を達成。
    • 3月31日 - 『クリちゃん』が連載終了。
    • 4月1日 - サトウサンペイの漫画『フジ三太郎』が夕刊で連載開始。
  • 1968年3月 - 日中記者交換協定に同意。
  • 1974年2月21日 - 『サザエさん』が作者・長谷川町子の長期病気療養に伴い連載終了。
  • 1976年2月5日 - ロッキード事件を日本の新聞として第一報。
  • 1979年1月4日 - 園山俊二の漫画『ペエスケ』が夕刊で連載開始。
  • 1981年7月20日 - 紙面の文字を1段14字に変更。
  • 1983年1月 - 紙面の文字を1段13字に変更。
  • 1986年1月1日 - ロンドンで国際衛星版を発行開始。
  • 1987年9月19日 - 昭和天皇の病気をスクープし、本年度の日本新聞協会賞を受賞。
  • 1988年6月18日 - リクルート事件をスクープ。
  • 1989年4月20日 - 珊瑚記事捏造事件。
  • 1991年
    • 2月12日 - 1段12字に変更して活字拡大。
    • 9月30日 - 『フジ三太郎』が連載終了。
    • 10月10日 - いしいひさいちの漫画『となりのやまだ君』(現『ののちゃん』)が朝刊で連載開始。
  • 1992年
    • 6月27日 - 『ペエスケ』が作者・園山俊二の病気療養長期化に伴い打ち切り。
    • 12月16日 - 大阪本社版の紙齢が4万号を達成。
    • 8月22日 - 東京佐川急便事件をスクープし、本年度の日本新聞協会賞を受賞。
  • 1995年8月 - ニュースサイト「asahi.com」を開設。
  • 1999年10月15日 - 和歌山毒物カレー事件報道で日本新聞協会賞を受賞。
  • 2000年4月2日 - 「くらし」欄を新設。
  • 2001年4月1日 - 1段11字に変更して活字拡大。
  • 2002年
    • 3月 - 日曜版を廃止し、同年4月6日より土曜版「be」を創刊。
    • 4月1日 - しりあがり寿の漫画『地球防衛家のヒトビト』が夕刊で連載開始。
  • 2005年
    • 4月3日 - 実質的な日曜版の復活となる「be on Sunday」を創刊し、土曜版は「be on Saturday」に改題。
    • 4月25日 - JR福知山線脱線事故の写真報道により、同年度の日本新聞協会賞を受賞。
  • 2007年
    • 2月1日 - 読売新聞Webサイトの記事盗用発覚。「ジャーナリスト宣言。」と題した自社宣伝キャンペーンを自粛。
    • 4月1日 - 紙面が刷新され、朝刊の1面題字左側に天気マークが記載される。
  • 2008年
    • 4月1日 - 紙面の文字を拡大し、15段組から12段組に変更。
    • 10月6日 - 月曜日朝刊に中綴じの新紙面「GLOBE」創刊。
  • 2009年
    • 3月30日 - 「検証 昭和報道」がスタート。
    • 4月 - 紙面刷新に伴い、再び日曜版が廃止され、一部の連載記事と週間テレビ番組表は土曜版に移行。
  • 2010年
    • 1月1日 - 子供向けコラム「しつもん!ドラえもん」が朝刊で連載開始。この日以降、一面にタイトルおよび質問とともに、ドラえもんのイラストと「新聞をひらいてこたえをさがしにいこう」という文章が掲載されている。
    • 5月1日 - 朝刊1部売りの値段を130円から150円に値上げ。夕刊1部売りと宅配の月ぎめ購読料は据え置き。
    • 9月21日 - 大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件をスクープし、史上初となる「追加受賞」での日本新聞協会賞を受賞。
  • 2011年
    • 3月13日 - 東日本大震災報道に伴い、通常は発行されない日曜日の夕刊を発行。
    • 3月31日 - この日の夕刊より紙面の文字を拡大し、1行の文字数は13字から12字、1段の行数は75行から72行に変更。
    • 4月 - 「GLOBE」が日曜日の別刷りとなり、日曜版が復活。
    • 5月18日 - 有料電子新聞『朝日新聞デジタル』創刊。
  • 2012年1月23日 - asahi.comのブランド名を朝日新聞デジタルに統一。
  • 2014年
    • 4月1日 - 消費税の8%増税に伴い、月極購読料を朝夕刊セット4,037円、朝刊統合版3,093円に改定(1部売りは朝・夕刊とも変わらず)。同日、朝夕刊セットの読者向けに、特典電子版のサービスを開始。
    • 8月5日・6日 - 32年前の1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面に初掲載した吉田清治の証言にもとづき1990年代初めまでの計16回掲載の慰安婦強制連行に関する記事は裏付け得られず虚偽であったと特集報道。
    • 9月11日 - 木村伊量社長や取締役編集担当らが記者会見を行い、5月20日付朝刊で報じた福島第一原発の社員が吉田所長の待機命令に違反し、撤退したとする記事の取り消しを発表し謝罪した。同時に吉田証言に基づく従軍慰安婦強制連行に関する記事の取り消しについても謝罪を行った。
    • 10月9日 - 慰安婦報道の第三者委員会が初会合。
    • 10月11日 - 第三者機関「報道と人権委員会」に吉田調書報道の審査・見解を求めた。
    • 10月14日 - 一連の問題を受け「信頼回復と再生のための委員会」発足。
    • 12月5日 - 臨時株主総会と臨時取締役会を開き、従軍慰安婦報道や吉田調書などの責任をとり木村伊量社長の辞任を決定。
    • 12月22日 - 第三者委員会による調査報告書の提出と会見が行われた。これを受けて同日に新聞ななめ読みの掲載見合わせ問題に関係した編集担当の杉浦前取締役ら3人が社内処分となる。
  • 2016年
    • 4月14日 - オウンドメディアを中心としたコンテンツマーケティングを提供するスタートアップ企業のサムライトの全株式を取得し、子会社化すると発表
  • 2017年
    • 4月1日 - 欄外の曜日表記が、長年続いた「○曜日」から「(○〈曜日〉)」(『曜日』を省略)に変更される。
  • 2018年
    • 9月5日 - 財務省による公文書の改ざんをめぐる一連のスクープが同年度の新聞協会賞受賞。
  • 2019年
    • 4月1日 - 朝刊1面インデックス下に、JANコード(バーコード)が添付される。
  • 2020年
    • 2月9日 - 横浜港着岸の新型コロナウイルス集団感染のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」へ朝日新聞400部・ジャパンタイムズ無料配布実施。(2月21日乗客下船/3月1日全員下船)
    • 3月2日 -「緊急時における新聞発行の相互援助協定」を中国新聞社と締結
    • 3月12日 -「知る新型コロナ 未知のウイルスと向き合う」タブロイド版20P別刷特集
    • 11月13日 - 労組との会合で、渡辺雅隆代表取締役が就任してからの6年間で朝日新聞の発行部数が185万部減少し、2020年度決算が創業以来の約170億円という大赤字に陥る見通しとなったことを発表し、渡辺雅隆代表取締役は経営責任を取って、2021年春に退任する意向を示唆した。また2020年時点で約4,400人いる社員を、希望退職を実施するなどして約3,900人まで削減する考えを示した。
  • 2021年
    • 3月2日 - 大阪・名古屋発行版が紙齢50,000号(西部発行版は3月5日)。
    • 7月1日 - 月極購読料を朝夕刊セット4,400円、朝刊統合版3,500円に、1部売り料金を朝刊160円、夕刊60円にそれぞれ改定。改定自体は7年3ヶ月ぶりであるが、消費増税を伴わない改定は1993年12月以来、27年7カ月ぶりとなる。このことについて朝日新聞社は製作過程での合理化、人件費や経費節減、ならびに新型コロナウィルスの蔓延で販売・広告収入が減る一方で新聞製作コストは高くなっていること、深刻な人手不足などで戸別配達を維持することも難しくなってきたこと、新聞業界全体が同じような状況で、日本経済新聞社や読売新聞社など全国紙や地方紙が購読料をすでに見直す中での経営努力が限界に達したことを上げており、6月10日に社告と公式サイトで読者に通知した。
  • 2023年
    • 4月28日 - 名古屋本社発行の夕刊が、この日を以って休刊となった。
    • 5月1日 - 月極め購読料を朝夕刊セット4,900円、朝刊統合版4,000円に、1部売り料金を朝刊180円、夕刊70円にそれぞれ改定。

論調の変遷[編集]

2009年(平成21年)の新聞通信調査会の調査では、全国紙5紙の中では最も革新的論調であるとされている(5点を中心に保守をプラス、革新をマイナスに0-10点でスケールを取ったとき、読売新聞5.6、産経新聞5.3、日本経済新聞5.2、毎日新聞5.0、朝日新聞4.4)。

歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時代背景に応じて変化し、一定ではない(ただし、この流れは全国紙で最も保守とされる読売新聞も同様である)。

創業期から明治時代[編集]

  • 創刊期は、新聞小説と通俗記事が主体の大阪ローカルの小新聞だった。また、参議の伊藤博文らが同じく参議の大隈重信を政府から追放した明治14年政変の翌年以降、政府と三井銀行から極秘裏に経営資金援助を受ける御用新聞として経営基盤を固めた。その間に東京の『めさまし新聞』を買収して『東京朝日新聞』を創刊し、東京に進出した。日露戦争前には主戦論を展開し、1905年9月1日付の朝日新聞では「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」などと書くなど日露講和にも反対した。

大正時代[編集]

  • 大正デモクラシー期には憲政擁護運動の一角を担い、当時の寺内正毅内閣を批判した。また、1918年の米騒動では新興財閥の鈴木商店に対して、米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃した。これにより、鈴木商店は米価の高騰に苦しむ民衆の反感を買い、同年8月12日に焼き打ちされた。この事件を再調査した城山三郎は、当時の鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き打ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行って米騒動を煽ったことによる「風評被害」であり、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立て、ノンフィクション小説として発表している。これに関連して、寺内内閣を批判した記事に書かれていた「白虹日を貫けり」という字句が新聞紙法の「朝憲紊乱」に当たるとして当局に発禁を迫られ、同年10月15日に編集局幹部らが退社し、同記事を執筆した記者は有罪となり社を追われた(白虹事件)。事件後、朝日新聞は「不偏不党」「評論の穏健妥当」などを標榜する綱領を発表した。
  • 第一次世界大戦後は軍縮支持、シベリア出兵反対、普通選挙実施を主張し、反軍・リベラルの論調だった。しかし、満州事変以降は概して対外強硬論を取るようになり、軍部への迎合に転換し、第二次世界大戦終了までは戦争賛美の論調だった。背景には在郷軍人会や神社関係者による不買運動があり、営業面を考慮した結果だったとされる。

昭和時代の第二次世界大戦終結以前[編集]

  • 1930年代後半からは首相・近衛文麿の戦時政府(近衛新体制運動)を積極的に支持した。緒方竹虎主筆の承認の下、笠信太郎、佐々弘雄、尾崎秀実といった朝日新聞社の有力な論説委員、記者たちが近衛政権のシンクタンクである昭和研究会の中心メンバーとなった。緒方主筆自身も、新体制準備委員として新体制運動に積極的に関与した。日中戦争拡大の論陣を張り、後に朝日新聞社を退社しコミンテルンの工作員であった尾崎秀実、および、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎や同部員磯野清は、ソ連軍のスパイであったリヒャルト・ゾルゲが組織したゾルゲ諜報団の一員として検挙され、尾崎は首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。
  • 関東軍が満州事変を起こし、満州国を建国した後、国際連盟に拒否されて脱退した際には「連盟よさらば」という歌を作成して代表の松岡洋右を賞賛している。
  • 日中戦争(支那事変)・太平洋戦争(大東亜戦争)中は主戦論を主張する軍部の御用新聞として君臨し、毎日新聞や読売新聞といった他紙と同様の戦争翼賛報道を行い、大本営発表をそのまま記事にした。

第二次世界大戦終結以後から冷戦期[編集]

  • 日本の敗戦後は、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん(関西版では「―起たん」)」(1945年11月7日)を発表し、村山社主家の村山長挙社長以下の幹部が辞任した。ただし、村山長挙・上野精一両社主は公職追放の解除後に復帰した。
  • 戦前は朝鮮人による日本への密航や朝鮮人密航組織、さらに朝鮮人労働者が高収入を得ていたという報道を頻繁に行っていたが、1959年以降に北朝鮮への帰還事業が行われるようになると次第に左傾化し、在日朝鮮人は強制連行されたものであるという報道を行い始めた。その後も主体思想や託児所が整備されていることなどを紹介し「この国の未来を感じた」などと北朝鮮の施策を称賛する記事を掲載している。
  • 戦後の一時期まで、朝日新聞は購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向があったとされる。しかし同時に、記者をはじめとする朝日新聞社員のエリート意識も極めて高く、同社員の外部に対応する態度は「Donaru(怒鳴る)」「Ibaru(威張る)」「Yobitukeru(呼びつける)」の「朝日のDIY」と言われ、そのことが珊瑚記事捏造事件の時のように、必要以上に相手の反感を買っているという指摘もなされている。
  • 戦後は長らく政権与党であった自由民主党に対し、批判的な傾向が見られるが、笠信太郎が論説主幹だった時代からリベラル右派の宏池会とは比較的近い関係にある。朝日新聞社出身の緒方竹虎、石井光次郎、河野一郎を強く首相に推していた時期もあった。さらに近年では小泉純一郎政権時(主に2005年頃)に、小泉が推進した構造改革路線を積極的に支持したこともある。
  • 黒田勝弘によれば、1973年の金大中拉致事件についての朝日新聞の論調は朴正煕批判・金大中擁護で、韓国人の間では「反韓メディア」と評されていたという。

冷戦終結以後から現在[編集]

  • 革新・進歩・リベラルの論調である。一方天木直人は、論調が保守化・官僚化しつつあると評している。
  • 平和憲法、特に日本国憲法第9条のおかげで日本の平和が守られてきたと主張している。かつては憲法改正をタブー視し、改正を論議することにも反対していた。『読売新聞』が1994年に発表した「改憲試案」にも社説で批判を展開した。「論憲」を容認する立場に転換した後も、憲法改正の動きには否定的な報道をおこなっている。近年はそれと共に、生存権保障規程である日本国憲法第25条についても同程度の比重で取り上げる傾向にある。
  • 日本国憲法第21条が保障する表現の自由に関しては、映画『靖国 YASUKUNI』や『ザ・コーヴ』が、肖像権侵害や日本文化差別などに対する抗議活動の影響で上映中止・自粛した問題で、「表現の自由に対する深刻な事態」と懸念を表明している。
  • 政治家の靖国神社参拝に公私を問わず反対しており、国会議員が入閣する際には必ず靖国神社に参拝するか質問している。また参拝した議員には公的か私的かを質問している。
  • 人権擁護法案を容認する見解を表明している。ただし、同法案がメディアの取材による報道被害も救済の対象としていることについては、表現の自由・報道の自由を守る観点から反対の姿勢を示している。また、法案の目的を実現するために設置される「人権委員会」が法務省の外局とされることについて、組織の独立性に問題ありとの見方を示している。
  • 国際報道の中でも中国関連報道には力を入れており、近年ではボーン・上田記念国際記者賞を受賞するなど、世界的な評価を得ているとしている。社説・コラム等では中華人民共和国の立場に理解を示す姿勢が散見され、中国人民解放軍によるチベット侵攻以後のチベット人に対する迫害についても、とりわけ1970年代以前は度々容認的論調を展開した。近年も概ね中華人民共和国(中国共産党)に親和的な論調は継続されているが、チベット独立運動やウイグル独立運動の活動家を肯定的に取り上げた記事を掲載するなど、主に人権面で中華人民共和国に対して批判的な記事も掲載されるようになっており、尖閣諸島問題でも比較的厳しい論調の対中報道を行っている。
  • 原子力発電に関しては、戦後から1970年代にかけては好意的な論調だったが、スリーマイル島原子力発電所事故(1979年)やチェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)を受け、しだいに抑制的な姿勢に転換。2011年の福島第一原子力発電所事故以降は、原発政策の推進に対する慎重姿勢を強め、同年7月13日には「提言 原発ゼロ社会」と題した2ページにわたる社説特集を組み、社論として「脱原発」を掲げている。
  • 死刑制度に関して宮崎勤事件の際には、死刑廃止論者や死刑廃止運動を揶揄したとも取れるようなネタを『フジ三太郎』で掲載し、死刑廃止団体から抗議を受けているが、その際も「世論の怒りを素直に描いたもの」と釈明している。
  • 21世紀以降、それまでの論調を転換する動きも見られる。例えば、2002年9月17日付社説では自衛隊のPKO派遣を容認し、2003年4月27日付社説では条件付で有事立法を「検討に値する」とした。さらに、2007年5月3日付社説では、少なくとも「論憲」は認める立場へと転換した。
  • 歴史認識を巡って漫画家の小林よしのりと意見の相違があり、彼の作品である『戦争論』等を巡って社説で直接批判したことがある。小林も自著で朝日新聞の報道姿勢を批判している。ただ、小林のインタビュー記事が紙面に掲載される等、全面的な対立関係ではない。
  • 在日外国人の内、在日韓国・朝鮮人の氏名表記にあたっては原則として通名(日本名)での表記を行っている。また、漢字文化圏の人名については、漢字表記と現地語読みの併記を行っている。
  • 教職員の卒業式や入学式での国歌「君が代」斉唱・起立義務は、個人の思想・信条に反して「強制」されているものであると批判している。ただし、国歌斉唱そのものに反対しているわけではない。
  • 科学欄、文化欄や読書欄などで紙面の充実を図っている。
  • 3つの重点報道テーマとして「環境」「教育」「医療」を挙げている。大学入試問題における記事採用数も他社と比較して多く、自社サイトでは「受験に強い」と称している。
  • 東京大学と連携してシンポジウムや世論調査などを行っており、度々紙面に調査内容が反映されている。
  • サッカー日本代表のスポンサーであり、試合の翌日にはかなりの分量の紙面を割くことがある。また、2002 FIFAワールドカップの日韓共同開催を提案する社説(執筆者は若宮啓文)を初めて掲載した新聞である。
  • 特定秘密の保護に関する法律の成立に対し、一貫して反対の姿勢である。

注目を集めた報道・スクープ[編集]

  • 1912年7月30日、大正改元をスクープし、号外速報を行った。
  • 1934年4月29日、阿武山古墳発見のスクープ。
  • 1945年9月12日、前日に自殺を図ったが未遂に終わった東條英機(東條英機自殺未遂事件)について、現場に居合わせた朝日新聞記者が聞き取った言葉を「東條大将の遺言」として掲載した。
  • 1948年8月7日、埼玉県本庄町にて、織物業者と警察・検察幹部との癒着を指摘する記事を書いた朝日新聞記者が暴力団とつながりのある町議から暴行・脅迫を受けるという事件が発生(本庄事件)。これを発端として、朝日新聞紙面と地域住民が一体となった暴力団追放キャンペーンが起こった。
  • 1954年、第三頁の総合解説面が評価され、第2回菊池寛賞を受賞した。
  • 1956年2月25日より、朝日新聞社と全国社会福祉協議会が主体となって、行方知れずの肉親を探し出す「親さがし運動」が始まった。このキャンペーン報道は、翌1957年に創設されたばかりの日本新聞協会賞の第1号受賞となった。
  • 1958年2月28日より、22日間にわたって連載「神風タクシー」を掲載した。当時の社会問題となっていた無謀走行を繰り返すタクシー運転手を取り上げ、問題の本質は、長時間労働と過酷なノルマ強要にあるとし、タクシー会社に待遇改善を訴えるキャンペーンを張った。これを受け、日本労働組合総評議会などは神風タクシー撲滅運動を展開した。その結果、神風タクシーは厳しく摘発され、姿を消した。この報道により、1958年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1959年7月14日、熊本大学医学部の水俣奇病総合研究班が水俣病の原因は有機水銀中毒であることを突き止めたと報道した。
  • 1960年、紙面に「世界の鼓動」欄を創設した。これにより、1960年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1962年、朝日新聞東京本社論説委員(当時)茂木政の世界移動特派員としての業績につき、1962年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1962年5月17日、大日本製薬がサリドマイド製剤の自主的な出荷中止を厚生省に申入れたことをスクープした。そして翌日5月18日、西ドイツの奇形児急増はサリドマイドの副作用(催奇形性)による疑いがあることを報じたものの、日本国内でのサリドマイド児発生の事実を報道することはなかった。なお、この時の大日本製薬の対応について、サリドマイドの製造販売の自主的停止を決定した、とされることがあるが、実際には出荷停止のみで販売は継続され、被害は拡大した。1962年8月28日、日本国内のサリドマイド児の存在が初めて明らかにされ、翌月9月13日、大日本製薬は製品の販売中止及び回収を決定した。1963年6月28日、大日本製薬を被告として損害賠償請求訴訟が提訴され、1974年10月13日に全国サリドマイド訴訟統一原告団と国および大日本製薬との間で和解が成立した。同年10月26日には東京地裁、その後同年11月12日までに全国8地裁で順次和解が成立した。
  • 1963年1月22日、愛知大学山岳部薬師岳遭難事件で13人全員の絶望をスクープした。朝日新聞の本多勝一記者や写真部員複数名が、大型ヘリコプター(シコルスキー S-62)で太郎小屋に強行着陸して確認したものである。また、同じく朝日新聞の藤木高嶺写真部員は、別途太郎小屋を目指して豪雪の中を登っていた。本多たちが小屋を捜索し終わった頃、ちょうど小屋手前の三角点まで達したところであった。そしてその時から数日間、藤木は太郎小屋と富山支局の交信を中継するアンテナ役に徹した。電波障害で直接交信ができなかったためである。この時の活躍が、本多・藤木コンビによる「カナダ=エスキモー」の取材(朝日新聞の連載は同年7月–9月)へとつながることとなった。
  • 1964年、前年の1963年に朝日新聞で連載された本多勝一記者・藤木高嶺写真部員のカナダ・エスキモーに関する記事について、「未開民族の内に身を挺して、苦楽の生活を共にし、画期的な報道をした功績」と評価され、第12回菊池寛賞を受賞した。
  • 1968年、ベトナム戦争を取材した本多勝一記者の記事および書籍『戦場の村』が評価され、日本ジャーナリスト会議が贈る第11回JCJ賞の本賞を受賞した。本多勝一はボーン国際記者賞を受賞し、書籍は毎日出版文化賞を受賞した。
  • 1968年1月、「エンタープライズ日本海入口に」と題し、長崎県佐世保基地に直航するため日本近海を航行していたアメリカ海軍の航空母艦エンタープライズの報道写真を掲載。この報道により、1968年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1969年、読者投稿欄「声」が評価され、第12回JCJ賞の奨励賞を受賞した。
  • 1971年、朝日新聞のほか東京新聞、東京タイムズ、神奈川新聞、共同通信社、NHKの記者13名による川崎公害報道研究会の報道・活動が「公害報道と住民運動との結合」として評価され、第14回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 1974年、連載「企業都市」が評価され、第17回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 1976年2月5日、アメリカ合衆国航空機製造大手のロッキード社による不正旅客機受注問題(ロッキード事件)に関するロイターの第一報を、日本の新聞としていち早く転載した。この事件は日本政財界にも波及し、元首相の田中角栄や全日本空輸幹部、丸紅幹部をはじめとする複数人の大物政財界人の逮捕に繋がった。同年8月には朝日新聞アメリカ総局員がロッキード社前副会長のカール・コーチャン(英語版)と単独会見を行い、会見記を連載した。この報道により、1977年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1978年6月、1976年8月6日に収賄罪容疑で逮捕され、同年8月11日に福島県知事を辞任した木村守江に関する朝日新聞の報道記事をまとめた『木村王国の崩壊―ドキュメント福島県政汚職』が発売された。一連の報道により、1978年度日本新聞協会賞と第21回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 1979年10月2日、国際電信電話(KDD)の社員2人が成田空港で、海外から高級ブランド品を不法に持ち込もうとして東京税関成田支所から摘発された(KDD事件)。事件の第一報は日本経済新聞によって報じられたが、朝日新聞がその後、KDDの乱脈経理をスクープしたことにより、警視庁・検察庁が合同捜査を開始。同年10月25日には、KDD社長(当時)板野学が引責辞任し、翌1980年2月24日にはKDD前社長室長の佐藤陽一が業務上横領と関税法違反容疑で逮捕された。また同年3月18日、郵政省電気通信監理官(当時)松井清武と同省郵務局国際業務課長(当時)日高英実の2人が収賄容疑で逮捕された。さらに同年4月5日、警視庁は辞任したKDD前社長の板野を、業務上横領容疑で逮捕した。
  • 1980年9月12日、埼玉県所沢市の富士見産婦人科病院で子宮癌を宣告された妊婦患者が他の病院でも診察を受けたところ、子宮には全く問題なかったことが判明したと報道した(富士見産婦人科病院事件)。同様の事例は数百件にのぼり、富士見産婦人科病院の乱診乱療が疑われた。また、当時の理事長が、超音波検査を用いた診療を無資格で行っていたことも明らかになった。また、事件が注目される中、富士見産婦人科病院側が斎藤邦吉厚生大臣(鈴木善幸内閣)に政治献金を行っていたことが発覚し、斎藤大臣が引責辞任した。傷害罪に関しては証拠不十分で不起訴処分となったが、元理事長の無資格診療については元理事長と元院長に対し、執行猶予付きの有罪判決が言い渡された。民事訴訟では、1981年に元患者の女性ら63人が賠償を求める訴訟を起こし勝訴した。2005年3月2日、厚生労働省の医道審議会は元院長の医師免許取消、元勤務医2名の医業停止2年、1名の医業停止6か月、1名の戒告を決定する行政処分を下した。
  • 1981年、歴史教科書問題を巡る報道が評価され、第24回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 1982年、公共事業を巡る茨城県の土木建築業の談合の実態を描くキャンペーン報道を展開。この報道により、1982年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1982年8月29日、「47点の秘宝、大半はニセ」の見出しで、東京・日本橋の三越デパート本店で同年8月23日から30日にかけて開催された「古代ペルシア秘宝展」で展示された総額21億円にのぼる美術品の大半が偽物であること(三越事件)を報道した。
  • 1983年、風景写真を取り上げた連載「風景シリーズ」が評価され、第26回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 1983年、兵器生産の現場の取材記事が評価され、第26回JCJ賞の奨励賞を受賞した。
  • 1983年、東京医科歯科大学の教授選考過程において、金銭の授受などの汚職があったことを報道した。この報道により、1984年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1984年3月14日、栃木県宇都宮市の精神科病院「報徳会宇都宮病院」で、前年(1983年)に看護職員らの暴行によって患者2名が死亡したこと(宇都宮病院事件)をスクープした。
  • 1986年、読者欄「語りあうページ」が評価され、第29回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 1986年8月23日、チェルノブイリ原子力発電所事故について、ソ連が国際原子力機関(IAEA)に提出した事故報告書をもとに、放射能汚染が当初想定されていた以上の範囲に及ぶことを報道し、その後も事故の現状を日本の新聞としていち早く伝えた。この報道により、1987年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1987年、国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案を巡る報道が評価され、第30回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 1987年3月19日、東芝の子会社である東芝機械が対共産圏輸出統制委員会(ココム)の協定に違反し、工作機械をソ連に輸出したことで、同国の潜水艦関連技術が向上した恐れがあるとし、米国政府が日本政府に対して調査を要請したことを報道(東芝機械ココム違反事件)。外国為替及び外国貿易法違反事件として問題視され、日米間の国際問題に発展した。
  • 1987年9月19日、「天皇陛下、腸のご病気」と報道し、実際に3日後、昭和天皇は入院して手術を受けた。この報道により、1988年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1988年6月18日、リクルート関連会社の株式譲渡にからむ川崎市助役への利益供与疑惑(リクルート事件)を調査報道した。その後、リクルートが自社関連会社の未公開株を中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄などの大物政治家に対して店頭公開前に譲渡していたことが発覚。問題は政財官界に広がり、最終的に90人を超える政治家が関わる大事件となった。この報道により、第31回JCJ賞の本賞を受賞し、翌年には米国調査報道協会特別表彰を受けた。しかし1996年11月、ジャーナリストの岩瀬達哉が『Views』1997年1月号で、リクルート事件発覚前の1987年4月に朝日新聞編集委員の疋田桂一郎(元天声人語執筆者)と本多勝一、元社会部長らが、当時リクルートコスモスが運営していた安比高原スキー場でスキー旅行の接待を受け(リクルートの江副浩正会長も参加)、中江利忠専務取締役(当時)もリクルートの経営する会員制クラブで江副会長の接待を受けていたことを明らかにした。
  • 1991年より、日本全国から集めた女性の手記をもとに、連載「女たちの太平洋戦争」を掲載した。この報道が評価され、第35回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 1991年1月1日、「西武百貨店→関西新聞→イトマン 転売で二十五億円高騰」「絵画取引十二点の実態判明、差額はどこへ流れた?」との大見出しで、大阪の商社イトマンが関わる不正価格の絵画取引疑惑をスクープした(イトマン事件)。これにより、在日韓国人の許永中による絵画やゴルフ場開発などの不正経理が明るみに出た。同年7月23日、商法の特別背任、並びに法人税法違反の罪で許永中は逮捕され、2001年に地裁で懲役7年6か月、罰金5億円の実刑判決を言い渡された(2005年10月、最高裁で上告が棄却され、実刑判決が確定)。
  • 1992年、紙面に「メディア」欄を創設した。これにより、1992年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1992年8月22日、自民党副総裁の金丸信に対して東京佐川急便から5億円の違法献金が行われていたことをスクープした(東京佐川急便事件)。これによって金丸は失脚し、1993年3月6日に東京地検による聴取を受け、同日脱税の容疑で逮捕された。この報道により、1993年度日本新聞協会賞と第36回JCJ賞の選考委員会特別賞を受賞した。
  • 1993年2月3日、ネパール領の自治王国ムスタン王国を題材として、前年9月30日と10月1日に放送されたNHKスペシャル「奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン」において、撮影スタッフに高山病にかかった演技をさせるなど複数の箇所で「やらせ」が行われていたと報道した。NHKは調査委員会を設置し、後日、訂正・お詫びの特別番組を放送した。また、「やらせ」を指示したチーフディレクターなど、番組制作担当者7人を処分した。
  • 1994年、連載記事「この国の足音」を掲載した。これが評価され、第2回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。
  • 1994年6月より、核兵器を巡る検証連載記事「核兵器廃絶への道」を掲載した。これが評価され、第38回JCJ賞の本賞と第3回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。
  • 1995年3月から同年10月にかけて、中心的なサンプルとして静岡市の住民調査結果を用いて、同一人物の支持政党の移り変わりを定点観測調査した。この報道により、1995年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1996年11月から1998年9月にかけて、「核兵器廃絶への道」の続編である「続・核兵器廃絶への道」を掲載した。これが評価され、第6回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。
  • 1997年、大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件や住専問題、さらに高級官僚の不祥事により世論の批判にさらされていた大蔵省を取り上げた記事および書籍「大蔵支配 歪んだ権力」が評価され、第40回JCJ賞の奨励賞を受賞した。
  • 1997年から1999年にかけて、神戸連続児童殺傷事件をきっかけとし、中学生の心の動きをルポする連載「素顔の中学生 保健室から」を掲載。この報道により、1998年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1998年8月25日、同年7月25日に和歌山県和歌山市園部地区で発生した毒物カレー事件に関連し、事件前にも同地区の住民がヒ素中毒で入院していたことを報道した。入院した住民が出入りしていた家の夫婦は保険金詐欺が疑われ、その後、毒物カレー事件の容疑者として逮捕された。この報道により、1999年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 2000年5月29日、アメリカ国立公文書記録管理局で秘密指定が解かれた公文書類の中に、1972年の沖縄返還に至る日米交渉で、返還協定で定められていた米国側の負担費(約1億8700万ドル)を日本側が負担するという密約を記録した公文書が存在することを報道した。それに関連し、2009年7月11日には、2001年4月の情報公開法施行に先立って2000年に中央省庁各所で行われた書類処分により、密約関係の書類も廃棄されていた疑いがあることをスクープした。さらに2010年12月23日には、密約関係の機密扱い訓電3通が焼却処分されていた事も判明した。 詳細は「西山事件#米国の公文書公開以降」を参照
  • 2001年11月から2002年2月にかけて、アメリカ同時多発テロ事件の実行犯の中心人物であるモハメド・アタを取り上げた連載「テロリストの軌跡 アタを追う」が掲載された。この報道により、2002年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 2003年3月11日、名古屋刑務所の刑務官による受刑者への傷害致死傷事件(名古屋刑務所事件)をスクープした。この報道により、第46回JCJ賞の本賞を受賞した。
  • 2004年7月23日、大阪市の第三セクター大阪港埠頭ターミナルが野菜の産地を偽装していたことをスクープした。大阪府警同月30日、同社および下請け会社のオー・エス・サービスなど5か所を不正競争防止法違反(偽装表示)容疑で家宅捜索した。米国産ブロッコリーの箱に中国産を混ぜたほか、トンガ産カボチャをメキシコ産と偽っていたことも明らかになり、パプリカやミカン、ゴボウでも産地偽装の疑いが出た。この報道により、第12回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。
  • 2004年11月14日、清子内親王(当時。現在は結婚改姓で黒田清子)と東京都職員黒田慶樹の婚約内定をスクープした。この報道により、2005年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 2005年1月20日、降幡賢一による「9年間のオウム法廷取材とその報道」により、第9回新聞労連ジャーナリスト大賞の優秀賞を受賞した。
  • 2005年4月25日より、同日に発生したJR福知山線脱線事故の発生から運転再開までの一連の動きを詳細に写真報道した。この報道により、2005年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 2006年7月17日から2009年3月27日にかけて、戦前・戦中の写真を取り上げた毎月1回の連載「写真が語る戦争」を掲載した。これが評価され、第17回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。
  • 2006年3月、日本スケート連盟の不正経理をスクープ。同年6月30日の任期切れに際し、藤森光三会長代行以下、理事8人が引責辞任する事態となった。
  • 2006年7月31日、キヤノンの宇都宮工場や子会社の大分キヤノンなどで、偽装請負が行われている実態を報道。同年秋には都道府県労働局がキヤノンに対して指導を行い、その後も続報が続くなど騒動は広がりを見せた。2007年2月には、キヤノンユニオン宇都宮支部長が衆議院予算委員会の公聴会に招かれ、偽装請負について意見を述べた。一連の報道より、第11回新聞労連ジャーナリスト大賞の優秀賞と2007年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)を受賞した。この追及記事を受け、キヤノンは報復として1年以上にわたって広告を引き揚げた。
  • 2007年、児童虐待をテーマにした連載「ルポ虐待」で第15回坂田記念ジャーナリズム賞奨励賞を受賞した。
  • 2007年3月より、2003年4月13日投開票の鹿児島県議会議員選挙の際に中山信一の陣営が選挙区住民に対して買収工作を行ったとされる事件が鹿児島県警察によるでっちあげであったことを継続的に報道した(志布志事件)。この報道により、2007年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(草の根民主主義部門)を受賞。公共奉仕部門とのダブル受賞は史上初。また、第13回新聞労連ジャーナリスト大賞も受賞した。
  • 2007年4月より、夕刊において、日中戦争・太平洋戦争における自社を含めたマスメディアの戦争責任を問い直す連載「新聞と戦争」を一年にわたって掲載。これが評価され、第51回JCJ賞の大賞を受賞し、第12回新聞労連ジャーナリスト大賞と2008年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)も受賞した。
  • 2007年6月20日、北海道加ト吉が製造した「COOP牛肉コロッケ」から豚肉が検出されたと報道。コロッケの原料はミートホープ社から購入されたものであり、日本生協連の立ち入り検査によって食品原料の偽装が確認された(ミートホープ事件)。
  • 2008年10月6日、複数の企業が「低料第三種郵便物」割引制度(郵便の障害者割引)を不正利用し、東京の自称・障害者団体「白山会」などの名義でダイレクトメールの大量発送を行っていたこと(障害者郵便制度悪用事件)を報道。問題発覚により、広告会社「新生企業」や自称・障害者団体「凛の会」、郵便事業、厚生労働省、博報堂、ベスト電器など、複数の企業・団体の関係者が逮捕・起訴された。
  • 2009年6月16日、鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書にて、既に死去している人物からの献金記録が記載されている事実が朝日新聞の調査報道により発覚した。これをきっかけとし、事務所費の虚偽記載問題や実母からの資金提供をめぐる疑惑などが浮上した。
  • 2010年9月12日、普天間基地移設問題について「沖縄 怒り 疲れ 虚脱 ヤマトよ偽善だ」と題して1面から総合面に続く長文記事を掲載。市民団体「メディア・アンビシャス」が贈る2010年度活字部門・アンビシャス賞を受賞。
  • 2010年9月21日、障害者郵便制度悪用事件において、証拠のフロッピーディスクに収録されていたファイルのタイムスタンプ(最終更新日時)が、被告にとって不利になるよう検察官によって改竄されていた事実を調査報道し、特別捜査部の実態が白日の下に曝されるきっかけを作った(大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件)。この報道により、2010年度日本新聞協会賞を追加受賞し、第54回JCJ賞の大賞や第15回新聞労連ジャーナリスト大賞、第18回坂田記念ジャーナリズム賞も受賞した。
  • 2011年3月11日、菅直人首相の資金管理団体「草志会」が、2006年と2009に在日韓国人系金融機関の元理事(韓国籍)から、計104万円の献金を受けていた事実を調査報道した。これは外国人からの献金を禁じた政治資金規正法違反にあたり、同様の問題で同年3月6日には、民主党の前原誠司が外務大臣を辞任していた。同年4月26日、菅首相は東日本大震災直後の3月14日に、献金を行った在日韓国人へ返金していたことを認めた。
  • 2011年5月4日、米国政府が在沖縄米軍海兵隊のグアム移転費用を水増しして日本側の負担を見かけ上減らし、日本政府もそれを了承していた事実を、ウィキリークスから提供された公電を分析して報道した。「ウィキリークスにかかわる一連の報道」として、2011年度活字部門・アンビシャス賞を受賞。
  • 2011年10月3日より、福島第一原子力発電所事故のルポ「プロメテウスの罠」を連載開始。2011年度活字部門・メディア賞と2012年度日本新聞協会賞、2012年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)を受賞した。
  • 2011年10月から2012年12月まで、朝日新聞を含む日本のメディアが原子力発電をどのように扱い、報道してきたかを検証するシリーズ企画「原発とメディア」を連載。第17回新聞労連ジャーナリズム大賞を受賞した。
  • 2012年6月28日より、福島第一原子力発電所事故の原因究明問題に関連し、東京電力のテレビ会議記録の公開キャンペーン報道を展開。2013年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)の奨励賞を受賞した。
  • 2013年1月4日、福島第一原子力発電所事故に伴い放出された放射性物質の除染作業の過程で、低レベル放射性廃棄物として回収・封じ込めされなければならない土や落ち葉、枯れ枝、汚水などが、放置されたりすぐ脇の小川に流されるという手抜きが、下請け業者によって行われている実態を指摘。放射性物質汚染対処特措法違反であり、環境省は除染適正化本部を設置し調査を開始する事態に発展した。この報道により、2013年度日本新聞協会賞を受賞した。その後、本報道が朝日新聞の記者によって設定されたやらせではないかとの報道が週刊新潮に掲載。朝日新聞社は新潮社に対して事実誤認と抗議を行った。
  • 2013年10月30日、日展において、入選者の総数を有力会派で予め分け合い、公募作の当選数を減らす談合・不正が行なわれていた件をスクープ。この影響により2013年の日展では、内閣総理大臣賞や文部科学大臣賞などの選考を、すべての部門で初めて自粛した。また、日展側からの申し入れにより、2013年と2014年は文化庁は後援を行わなかった。
  • 2013年11月17日、従来から存在が囁かれていた、郵便局におけるお年玉付郵便はがきの売り上げノルマ強要(数千枚から1万枚)「自爆営業」が実在することをスクープ。ノルマを達成出来なかった職員達は、売れ残った分を自腹で買い取り、離れた地域の金券ショップに持ち込んで換金しているという。
  • 2013年11月22日、猪瀬直樹が2012年12月の東京都知事選前に医療法人徳洲会から5,000万円の提供を受けていたことを報道。これがきっかけとなり猪瀬は2013年12月に任期途中で辞任に追い込まれた。東京簡裁が14年3月公職選挙法違反の罪で罰金50万円の略式命令を出すなど、刑事責任を問われる事態にも発展した。この報道により2014年度の新聞協会賞を受賞した。
  • 2014年7月28日、中部電力の政界担当元役員からの直接聞き取りにより、同社が1972年から18年間、歴代の内閣総理大臣(田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登。中曽根以外全員が故人)に対し年2回、一回当たり1千万円を政治献金し続けていた事実、原資は全額が消費者から徴収した電気料金だったことをスクープ。
  • 2016年、シリーズ企画「子どもと貧困」につき第24回坂田記念ジャーナリズム賞を受賞。
  • 2018年3月2日、朝刊の一面トップにおいて、「森友文書 書き換えの疑い」の見出しで、財務省が学校法人森友学園への国有地売却に関する決裁文書を書き換えた疑惑を報じた。朝日新聞の報道から10日後の3月12日、財務省は決裁文書の改竄を認め、改竄前の文書の内容も公開した。改竄は14の決裁文書、300か所以上に及び、朝日新聞が報じたとおり、「特例的な内容となる」「本件の特殊性」という文言が削られていることが確認された。この報道により2018年度の新聞協会賞、第26回坂田記念ジャーナリズム賞、第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞した。
  • 2018年5月18日、朝刊の「韓国政府が4月末に北朝鮮の核兵器や核物質を国外に搬出させる案を米国に提案していた」という報道は青瓦台から「事実無根だ」と非難され、取材の過程で青瓦台側に確認を行わなかったとして、無期限の出入り禁止処分を通告された。韓国駐在の外国報道機関で青瓦台の無期限出入り禁止処分を受けたのは初めてである。
  • 2021年、子どもへの性暴力をめぐる一連の報道で第25回新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞した。
  • 2021年3月17日早朝に配達・配信された記事で大手モバイルメッセンジャーアプリのLINEの利用者データを中国の関連会社の技術者が閲覧し、漏洩していたことをスクープ。更に同日夕方には続報として、利用者データやスマートフォン決済サービスのLINE Payの取引情報が韓国のサーバーに保管されていたことを報じた。これらを受けて、日本政府や各地方自治体がLINEでの行政サービス提供を停止するなどの影響を与えた。この報道により2021年度の新聞協会賞を受賞した。
  • 2021年12月、国土交通省が基幹統計「建設工事受注動態統計」を無断で書き換えて二重計上し、統計が過大になっていた事実を調査報道で特報した。この報道により2022年度の新聞協会賞を受賞した。

1972年7月までは、番組表は東京本社と大阪本社の朝刊で中面に掲載(最終面は地方版)されていたが、最近では新聞休刊日を除き最終面に掲載。 1992年4月より、Gコード番組表を日本の新聞として初めて掲載した。

  • 当初は、東京版では夕刊の番組表を本編から切り離して別冊『Gセクション』として掲載。1面に在京キー局の翌日の放送開始から終了時(24時間放送の局は翌日基点時間〜翌々日の基点時間)の番組表、最終面には当日夕方17時から放送終了時(または翌日基点時)の番組表をフルサイズで掲載。その他、中面にはエンターテインメント関連の記事や、関東地方の独立UHF放送局、衛星放送、ラジオの番組表が掲載されていた。
  • 大阪など他地区では、夕刊にジャンル別のGコード番組表を掲載。夕刊のない地域では土曜日に1週間のジャンル別番組表を載せた。
  • その後、他の新聞にも掲載されるようになり、朝日新聞東京版夕刊の別冊記事は廃止され、夕刊・朝刊とも原則として最終面(休刊日は2日分を中面)にGコード番組表が載るようになった。

テレビ欄の掲載の特徴として、関東地方・近畿2府4県と系列放送局のない地域(山梨県・富山県・鳥取県・島根県・徳島県・高知県・佐賀県)、および加盟局がありながらもクロスネットである福井県・宮崎県を除いて、テレビ朝日系列局(ANN加盟局)を日本放送協会(NHK)の地上波の2チャンネルの次に載せている(関東・近畿はチャンネル順で、その他は開局順)。なお山陰地方では、系列外ではあるが朝日新聞社が主要株主であるBSSテレビが民放最左端である。NHK Eテレのデジタル別編成番組については別欄とせず、その日の深夜放送の番組の下(番組表の末尾)に載せている。1996年ごろから、東京本社発行分では個別のラジオ番組の解説がなくなり、現在ではラジオ欄そのものを除いたラジオに関係する記事は、社会面などに掲載される場合を除くと、週1回掲載される「ラジオアングル」だけになっている。

2009年3月30日付からは、関東地方向けのテレビ欄がテレビ放送開始以来長年続いたアナログチャンネル番号の小さい順から、地上デジタル放送のリモコン番号の小さい順に再編され、中面に掲載されていたBSデジタル放送とWOWOWの番組表が最終面での掲載に変更された。名古屋本社版では、およそ20年ぶりにテレビ愛知の番組表が在名他局より縮小され、ぎふチャン(岐阜放送)や三重テレビのサイズに近づいたが、2010年春に元に戻った。ラジオ欄の局名表記は2009年3月30日付から東京本社版・名古屋本社版・北海道支社版では、長年掲載されていた周波数の表記が省略され、局名と問い合わせ電話番号のみの表記になった。ただし関東版では同年5月ごろに周波数表記が再開された。

番組表は朝日新聞グループの日刊スポーツ新聞社の関連会社である日刊スポーツPRESSから配信されたものを掲載している。

2011年3月31日まで大阪本社版(紙面配置スペースの関係上1面掲載)を除いて、最終面のテレビ面には全国の発行日付の天気予報が収録されていたが、文字のサイズ拡大に伴い、同年4月1日以後は、主要都市当日分は1面の題字左横、その他の都市の当日分を含む1週間分の天気は社会面に掲載するようになった(大阪は従前と同じ。1面題字左横は主要連載記事の目次を載せている。また国際衛星版は題字左横の天気欄が掲載される箇所を「国際衛星版」の題字に差し替えている)。

版立て[編集]

最終版は、朝刊14版、夕刊4版。紙面枠外の上部に記載されている。記事・写真の入稿締め切り時刻や、版ごとの配達地域は公表されていない。

4コマ漫画[編集]

1949年以降のものを記載。

朝刊
  • ブロンディ(Murat Bernard "Chic" Young作) 1949年1月1日 - 1951年4月15日
  • サザエさん(長谷川町子作) 1951年4月16日 - 1953年1月15日、1953年4月1日 - 1974年2月21日
  • トンちゃん(矢崎武子作) 1953年1月16日 - 1953年3月31日
  • フジ三太郎(サトウサンペイ作) 1979年1月1日 - 1991年9月30日
  • となりのやまだ君(1997年1月1日より「ののちゃん」に改題、いしいひさいち作) 1991年10月10日 - 連載中(2009年11月22日から2010年2月28日まで、作者・いしいの病気療養のため休載)
夕刊
  • サザエさん(長谷川町子作) 1949年11月30日 - 1951年4月15日(夕刊朝日新聞で連載)
  • クリちゃん(根本進作) 1951年2月1日 - 1965年3月31日(1951年9月30日までは夕刊朝日新聞で連載)
  • フジ三太郎(サトウサンペイ作) 1965年4月1日 - 1978年12月28日
  • ペエスケ(園山俊二作) 1979年1月4日 - 1992年6月27日
  • サミット学園(山井教雄作) 1993年6月1日 - 1996年3月30日
  • Mr.ボォ(2000年4月3日より「ワガハイ」に改題、砂川しげひさ作) 1996年4月1日 - 2002年3月30日
  • 地球防衛家のヒトビト(しりあがり寿作) 2002年4月1日 - 連載中

発行地域[編集]

夕刊発行地域[編集]

夕刊がある「朝夕刊セット版」の発行地域は北海道のうち上川、空知、石狩、後志、胆振、関東地方5都県(栃木県・群馬県除く)、静岡県、近畿地方全府県、山口県、福岡県、沖縄県の以上16都道府県。それ以外の地区では、朝刊のみの「統合版」が発行されている。かつては東海3県(愛知・岐阜・三重)、佐賀県、大分県、山梨県、栃木県、群馬県でも夕刊が発刊されていたが、統合版に移行した。

縮刷版[編集]

主要紙の例に漏れず、新聞縮刷版(以下「縮刷版」)を定期刊行している。

  • 一か月分の朝日新聞(朝日新聞東京本社発行の東京23区内最終版)の全紙面をA4サイズに縮小し、一冊の本にまとめたものが全国の図書館などで閲覧できるほか、一般販売もされている。
  • 戦前は東京朝日新聞(現・朝日新聞東京本社)と大阪朝日新聞(現・朝日新聞大阪本社)が別々に縮刷版を発行していた。
  • 1950年9月27日に掲載した伊藤律の捏造会見(伊藤律会見報道事件)については、白紙にし「(お断り)こゝに掲載された伊藤律氏との会見記は事実無根と判明したので全文を削除しました」と記述されており、元々掲載されていた記事を閲覧することはできなくなっている。
  • 1989年4月号には、4月20日付夕刊一面に掲載された、珊瑚記事捏造事件に発展した「サンゴ汚したK・Yってだれだ」の見出しによる写真記事がそのまま収録され、同日付の欄外に、「おことわり 写'89『地球は何色?』の写真については、本社の取材に過ちがありました。『おわび』を五月十六日付と同二十日付の朝刊一面に掲載しています」と記述したお詫び文が記載されている。
  • 通常の縮刷版とは別に、重大災害・事件・事故の際に「特別縮刷版」が発行される場合がある。1989年の昭和天皇崩御や1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災の際は、重要記事を中心とした特別縮刷版が発行されている。

ネット事業[編集]

  • 朝日新聞デジタル(2012年1月23日にasahi.comを統合)
  • 論座
  • & [and]
  • EduA
  • MOOVOO
  • NewsVideo(毎日新聞、産経デジタル、神戸新聞、神奈川新聞、沖縄タイムス、茨城新聞と共同運営)
  • withnews
  • CNET Japan
  • 好書好日
  • アピタル
  • ジョブラボ
  • どらく(2006年終了)
  • 朝日新聞スポーツ記者の表話・裏話(2007年終了)
  • ウェブ朝日新聞(2007年6月30日をもって休止)
  • 新s(朝日新聞・日本経済新聞・読売新聞の3紙共同運営、2012年2月29日をもって休止)

冠ニュース番組[編集]

  • 朝日新聞ニュース(読売・朝日・毎日3社ニュース)
  • 朝日フラッシュニュース(5社ニュース)
  • ABCニュース
  • KBC朝日新聞ニュース (2018年3月まで)
  • 朝日新聞テレビ夕刊 (1979年3月まで)
  • 朝日新聞の声 (1991年まで)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 降旗学は、実際の発行部数は2016年時点で470万部であるとしている。『週刊新潮』(2016年4月28日号)は、公称発行部数670万部に対して発行部数の大幅な水増しがあるとしている。元新聞記者の幸田泉は、2016年3月に公正取引委員会から押し紙に関して注意を受けており、朝日新聞の押し紙率は3割程度である、と述べている。https://adv.yomiuri.co.jp/mediadata/
  2. ^ 朝日新聞に掲載された最初の写真。
  3. ^ 現存するのは、同年12月発行の通号第4号から。
  4. ^ 2009年6月6日付の朝日新聞では、1947年6月9日連載開始とされている。
  5. ^ 1951年4月16日からは朝日新聞朝刊で連載。
  6. ^ 1951年10月1日からは朝日新聞夕刊で連載。
  7. ^ 朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞、東京新聞、東京タイムズの7紙。
  8. ^ 1979年1月からは朝日新聞朝刊で連載。
  9. ^ 2006年9月11日付の夕刊からは、文字の横線をやや太くした。
  10. ^ 大阪本社版は1面インデックス下側に記載。
  11. ^ ドラえもんが問いかける様な文体になっている。
  12. ^ まれに、ドラえもん以外のキャラクター(野比のび太、源静香、骨川スネ夫、剛田武など)が登場することもある。
  13. ^ 1918年11月15日に『大阪朝日新聞』と『東京朝日新聞』で共通の「朝日新聞編輯綱領」を制定し、同年12月1日に紙面で発表した。内容は「天壌無窮の皇基を護り、国家の安泰国民の幸福を図る事」「国民の思想を善導」「不偏不党の地に立ちて、公平無私の心を持し、正義人道に本きて、評論の穏健妥当、報道の確実敏速を期する事」「新聞の社会に及ぼす影響を考慮し宜しく忠厚の風を存すべき事」など。
  14. ^ 出兵反対派だった『大阪朝日新聞』は、1918年4月と同年5月に発売禁止処分を受けた。
  15. ^ 一例として、第一次上海事変中に敵陣に突入爆破した日本兵士を肉弾三勇士と称して勇者とし、歌を公募して戦意高揚を煽った。
  16. ^ 緒方竹虎は頭山満らによって1881年に結成された玄洋社の主要なメンバーの一人である。後にA級戦犯として文官でただ一人絞首刑となった広田弘毅も玄洋社の主要なメンバーの一人だった。広田は頭山の葬儀委員長、緒方は副委員長であった。
  17. ^ 笠信太郎は、朝日新聞社に入社する前は大原社会問題研究所のマルクス主義経済学者であり、著書『日本経済の再編成』(中央公論社、1939年)で中央政府による計画経済を主張した。
  18. ^ 佐々弘雄は、国家主義者の政治家である佐々友房の息子。近衛と近い右翼的な皇道派の将軍たちと結び、元蔵相の井上準之助、三井財閥の総帥團琢磨男爵および犬養毅首相を暗殺した血盟団事件、五・一五事件の極右テロリストたちとも手を組んだ。1944年、彼らは海軍省教育局長高木惣吉少将らと共に、陸軍内部で皇道派と対立していた統制派のメンバーだった東條英機首相の暗殺を企てている。
  19. ^ ゾルゲ諜報団は東京や上海で暗躍し、多くの情報をソ連にもたらした(ゾルゲ事件、近衛上奏文、砕氷船理論も参照)。
  20. ^ 作詞:東京朝日新聞「今日の問題」子、作曲:江口夜詩。
  21. ^ 当時の題字は『讀賣報知』である。
  22. ^ 村山長挙・上野精一の両社主は公職追放で1947年11月1日に社主から追放されたが、1951年8月8日に両者とも社主に復帰した。村山は追放期間中の経営陣をパージして会長に返り咲き(1951年11月30日。村山「復辟」という)、さらに社長に復帰した(1960年6月29日)。また、同じく追放された上野も取締役(1951年11月30日復帰)から会長に復帰した(1960年6月29日)。
  23. ^ 大阪朝日新聞・南鮮版 1938年12月28日付
  24. ^ 大阪朝日新聞・南鮮版 1939年1月31日付
  25. ^ 2005年8月23日付社説「一つの法案に反対した前議員を容赦なく追いつめる。非情と映るやり方ではあっても、自民党を政策本位の政党に作り替える剛腕だと評価もできる」 2005年9月11日付社説「小泉首相はこれまで見たこともない型の指導者だ」 2005年9月12日付社説「首相は最後まで郵政民営化一本やりを貫き、『国民に聞きたい』と問い続けた。その意味でこの選挙は、まぎれもなく民営化の是非を問う国民投票だった。それが圧倒的に支持された以上、郵政法案をすみやかに成立させるべきなのはいうまでもない」
  26. ^ かつては進歩的文化人と同義で「朝日文化人」という用語も使用されていた。
  27. ^ 2008年のチベット騒乱に端を発した北京オリンピックの聖火リレーへの抗議行動について、「五輪の祝賀ムードに水を差す」と非難した。
  28. ^ 尖閣諸島中国漁船衝突事件に関連した記事でも、中華人民共和国寄りの論調が散見される。
  29. ^ 1970年代当時の論説委員対談では「社論としては反原発の立場はとらない。反原発は署名記事で書くべき」「原発にはイエスバットだ」「原子力発電はすでに全電力の1割に到達しており反原発は非現実的だ」等の意見が述べられている。
  30. ^ 北朝鮮のミサイル発射のために必要な発射台となるタンクローリーの不正輸出事件の報道においても他紙とは異なり、容疑者の実名・国籍の報道を行わない姿勢を貫いた。ただし、本名で報道した事例も存在する。
  31. ^ (例)中華人民共和国:胡錦濤→フー・チンタオ、中華民国:李登輝→リー・トンホイ、韓国:李明博→イ・ミョンバク、北朝鮮:金正日→キム・ジョンイル。
  32. ^ 朝日歌壇、朝日川柳など。
  33. ^ 朝日選書、朝日新書も参照。
  34. ^ 日本共産党のフロント組織とされ、日本ペンクラブなどと共に公安調査庁の情報収集対象団体とされている。
  35. ^ ただし、該当記事にロイターのクレジットは入っていない。
  36. ^ 当時は朝日新聞社が大株主だった。
  37. ^ 1979年1月、仙台高等裁判所で懲役1年6か月、執行猶予5年の判決が確定。
  38. ^ 1976年8月から1977年12月まで、計235回の連載。
  39. ^ KDDIの前身のひとつ。
  40. ^ 1985年4月26日、懲役1年(執行猶予3年)および収賄額分の追徴金の判決。
  41. ^ 1985年4月26日、懲役1年6か月(執行猶予3年)の判決。板野は控訴したが、1994年10月に最高裁は上告を棄却し、懲役10か月(執行猶予2年)が確定。
  42. ^ 病名は十二指腸乳頭周囲腫瘍。
  43. ^ その他にも、「警察官を国境警備員として紹介した」「自分の馬が死んで悲しむ少年の表情を映した場面で、実際に死んだのは別の馬だった」「わざと落石させて撮影を行った」「3カ月間、雨が降っていないと解説されたが、実際は少量だが降雨はあった」などの問題点が指摘された。
  44. ^ 当該公文書は琉球大学教授の我部政明と朝日新聞社が共同で入手。
  45. ^ 明仁天皇と皇后美智子の第一皇女。
  46. ^ 都城歩兵第23連隊の生存者で結成する団体であり、宮崎市に事務局を置く。
  47. ^ 浦安市は抗議書の中で「新成人にとっては、一生に一度の成人式である。その成人式を自分たちの手で作り上げてきた新成人たちを中傷する貴社の記事は到底許されるものではなく、強く抗議する」と伝えた。
  48. ^ 具体的には「人の命を絶つという極刑を実施するのだから、心境は穏やかではない。しかし、どんなにつらくても社会正義のためにやらざるを得ない。宮崎勤死刑囚らにも人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だ。私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と述べ、朝日新聞を批判した。
  49. ^ 産経新聞は、東京日日新聞が報じた百人斬り競争が基になっていると見做している。
  50. ^ 同日付の『朝日新聞』では、前日10月29日の昼食会(首相側近の萩生田光一衆議院議員、山本一太参議院議員が同席)において、民主党幹事長の枝野幸男衆議院議員を巡る、政治資金の問題が発覚したことを念頭に、安倍晋三首相が「これで『撃ち方止め』になればいい」と発言したと報道した。なお、同発言に関しては、朝日新聞のほか、産経新聞、毎日新聞、日本経済新聞、共同通信が、同時に報道している。
  51. ^ 朝日新聞社の社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本では朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本では逆に朝の字が右端にあって旭光が左に向かっている。
  52. ^ 他紙と比較して大学入試における採用数が多い傾向にあり、ベネッセグループ・プランディットの集計では2010年度で265大学518記事(2位の新聞は21大学32記事)である。
  53. ^ 教団発足当初の1990年12月から、大川隆法の著作や東京ドーム講演会などの広告を掲載していた。
  54. ^ 大阪本社版は現在もラジオ番組の解説がある。
  55. ^ 2009年3月29日付まで日本テレビ→TBSテレビ→フジテレビ→テレビ朝日→テレビ東京の順番だったが、日本テレビ→テレビ朝日→TBSテレビ→テレビ東京→フジテレビという順番に再編。日刊スポーツ、日本経済新聞、産経新聞東京本社版(首都圏版)、聖教新聞東京都内版、読売新聞東京本社版(首都圏版)毎日新聞東京本社版(首都圏版)は2011年7月24日より朝日新聞と同様、地上デジタルのリモコンキーID順に再編されている。
  56. ^ スター・チャンネル、BS11、TwellVは従来通り中面に掲載。
  57. ^ テレビ愛知の番組欄は、夕刊では従来通りフルサイズ掲載。
  58. ^ 左端の「ラジオ」コーナー表記の下に全局一括掲載。
  59. ^ 大阪本社以外は主要注目記事目次の下。
  60. ^ a b 三重県は伊賀・東紀州では大阪本社版の管轄であるが、基から夕刊は発行していなかった統合版地域であった。その他の地域は名古屋本社発行のものであったので夕刊も発行されていた。
  61. ^ 山間部、離島などの一部では統合版のみの地域もある。
  62. ^ 通常、新聞縮刷版では記事誤植などがあった場合でも原則として原版を掲載し、後日の訂正・お詫びもそのまま掲載している。

出典

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