産経新聞
産経新聞(さんけいしんぶん、題字: 產經新聞、英: THE SANKEI SHIMBUN)は、産業経済新聞社(産経新聞社)が発行する日本の新聞(一般紙)。正式名称は産業経済新聞(さんぎょうけいざいしんぶん)で、1933年に創刊された。日本の5大紙の一つで、現在は中央紙的な紙面を保ちつつ、近畿地方・関東地方を中心に販売している。
朝日新聞社、大阪毎日新聞社とともに大阪発祥の新聞社であるが、現在は登記上の本部・本店を東京に置く。
概要[編集]
全国紙の一角[編集]
産業経済新聞社(産経新聞社)はフジテレビジョン(フジテレビ)やニッポン放送、ポニーキャニオンなどとともにフジサンケイグループに属する。大阪新聞の僚紙である日本工業新聞(1933年6月20日創刊)を前身とし、時事新報の流れを汲む。「産業経済新聞」という正式名称ではあるが、日本経済新聞(日経新聞)のように経済に特化した経済専門紙ではない。キャッチフレーズは「モノをいう新聞」である。
2002年には発行部数の減少及びそれに伴う合理化のため東京本社版の夕刊を廃止した。そのため、現在は東京本社版が朝刊のみ、主力の大阪本社版が朝刊・夕刊発行という変則的な発行体制となっている。
全国紙5紙の中では最も紙の販売部数が少なく、ブロック紙の中日新聞(東京新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井)の方が多い。従前から北海道・東北・中部・中四国・九州・沖縄地方での流通はごくわずかであった。2020年10月よりコスト削減のため宅配網自体を関西と関東などに限定すると2018年にFACTAが報道したが、2023年現在は、北海道と沖縄県以外では宅配網が維持されている。ただし、東海地方の大半、山口県を含み沖縄県を除く九州は他紙への委託宅配となっているほか、全国紙5紙で唯一先述の札幌に加え、名古屋に発行所が存在しない。
また、元々前身の日本工業新聞が大阪新聞からスピンオフしたものであるため、その名残りから、共同通信社・地方紙などで構成する47NEWS・よんななクラブに大阪本社が単独で加盟しているため、大阪府の地方紙、あるいは関西・中四国のブロック紙と見なされる場合もある。
積極的なウェブ無料配信[編集]
一方で、他紙が紙に拘る中でインターネットでの報道事業・デジタルに早くから力を入れ、2005年11月からウェブサイト版(ニュースサイト)として産経デジタル運営の「産経ニュース」開設や検索サイトとのニュース提携などしてきた。Smart Flashは、2022年12月の仕様変更によってTwitterの投稿閲覧回数が第三者からも可視化された際に、4大紙の中で最もフォロワー数で劣るものの、閲覧回数が読売・朝日・毎日に比べても多いことから、他紙のTwitterアカウントの被ミュート数がフォロワー数に比して多いのではないかという関係者の考察を紹介し、2022年12月末時点で約133万がフォローする「朝日新聞」、約98万のフォロワーを擁する「毎日新聞」、約83万のフォロワーが存在する「読売新聞オンライン」のツイート閲覧回数が数千回であり、多くとも1万回程度の一方で、約70万がフォローする「産経ニュース」のニュース配信ツイートは、表示回数が1万回を超えるものが多く、なかには5万回以上の表示回数を記録するツイートがあると報じた。
沿革[編集]
- 1933年(昭和8年)6月20日 - 前田久吉の経営する夕刊大阪新聞社によって、『日本工業新聞』として大阪市で創刊される。会社側は、この日を産経新聞の創刊日としている。
- 1942年(昭和17年) 国家総動員法に付属した勅令新聞事業令に基づき、『大阪中外商業新報』など名古屋以西を拠点としていた経済各紙と強制統合。11月1日から題号を『産業經済新聞』、商号を産業経済新聞社(さんぎょうけいざいしんぶんしゃ)にそれぞれ変更した。現在の『産経新聞』の題号に直接つながるという意味では、この日が実質的な創刊日である。
- なお東日本の経済紙は東京で中外商業新報社が発行していた「中外商業新報」を中心に統合、『日本産業経済』(にほんさんぎょうけいざい、現・日本経済新聞)となった。これ以後、産経が東京に進出するまで日本産業経済と産業経済新聞は取材・販売地域の棲み分けをさせられたため、日本経済新聞と本紙はこの時点で同じ歴史の流れに組み込まれた。 「新聞統制#新聞統合の進捗」および「日本経済新聞#沿革」も参照
- 1946年(昭和21年) - 前田久吉が新聞による戦意高揚に関与したとして公職追放される。
- 1950年(昭和25年) - 前田久吉が追放解除により社長に復帰する。3月から東京でも印刷・発行を開始。紙面を経済紙から一般紙に変更し、全国紙としての基礎を固める。
- 1951年(昭和26年)1月1日 - 世界経済新聞社が1946年に東京で『世界日報』として創刊した『夕刊世界経済』を東京発行の『産業経済新聞』に合併(『世界日報』はのちに統一教会(世界平和統一家庭連合)の機関紙として復刊)。「世界経済合同」を題字下に追加した。 「世界日報 (日本)#概要」も参照
- 1952年(昭和27年)2月 - 『週刊サンケイ』(のちのSPA!)創刊。
- 1953年(昭和28年)6月 - 東京で夕刊発行を開始。
- 1955年(昭和30年)11月1日 - 東京発行の『産業経済新聞』が『時事新報』を合同し、『産經時事』に改題。国有地払い下げで取得した東京都千代田区大手町に東京本社ビル(現・東京サンケイビル)が完成。
- 1956年(昭和31年)3月 - 大阪で夕刊発行を開始。
- 1958年(昭和33年) - 東京進出により債務過多、経営危機に陥り、住友銀行(現・三井住友銀行)の支援を受け、また財界関係者を首脳に迎える。その引き換えとして論調を右派強硬路線に転換。7月11日、東京発行の『産経時事』を『産經新聞』に改題。
- 1959年(昭和34年)2月1日 - 大阪発行の『産業経済新聞』を『産經新聞』に改題(東西で異っていた題号を『産經新聞』に統一)。
- 1964年(昭和39年) - サンケイスカラシップをフジテレビジョンなどと共に創設し、海外留学生派遣事業を支援した。1989年(平成元年)に終了。
- 1967年(昭和42年) - フジテレビジョン、ニッポン放送、文化放送とともにフジサンケイグループを結成する。
- 1969年(昭和44年)5月 - 題号を『サンケイ』に改題(正式名称は産業経済新聞のまま。但し、欄外の題字と社旗は1962年2月1日付けに先行で「サンケイ(新聞)」のカタカナ題号を使用開始している)
- 1973年(昭和48年)12月 - サンケイ新聞事件が起こる。
- 1986年(昭和61年)
- 4月1日 - 題字右側にフジサンケイグループのシンボルマーク「目玉マーク」が添付。
- 10月 - 宮城県仙台市で現地印刷開始。
- 1988年(昭和63年)5月28日 - 題号を再び漢字の『産經新聞』(正式名称は産業経済新聞のまま)に戻し、全国紙初の本格的カラー紙面を採用する。題号の変更に伴い「週刊サンケイ」を系列の扶桑社に移譲する(通巻号数はそのままで内容をリニューアルし「SPA!」と改題される)。
- 1991年(平成3年)1月 - 漫画新聞『コミックサンケイ』が発刊される。
- 1992年(平成4年)7月 - 鹿内宏明会長が解任される。いわゆる「産経クーデター」。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 東京本社版が3月30日付で夕刊を廃刊し全国紙で初の朝刊単独紙に移行。
- 2004年(平成16年)12月1日 - 大阪新聞と統合。「日本工業新聞」、「フジサンケイビジネスアイ」にリニューアル。
- 2005年(平成17年)8月8日 - 大阪本社が浪速区湊町二丁目の難波サンケイビルに移転。
- 2007年(平成19年)10月1日 - マイクロソフト運営ポータルサイトMSNと提携し「MSN産経ニュース」開始(2014年9月30日まで)。
- 2008年(平成20年)12月11日 - 産経新聞社が九州・山口県への販路拡大を目的に、毎日新聞西部本社の工場(佐賀県鳥栖市)で産経新聞の委託印刷を翌年10月から行うことで毎日新聞社と基本合意。
- 2009年(平成21年)
- 1月19日 - 業績悪化により早期希望退職制度を募集。
- 4月1日 - 産経新聞の九州現地印刷に伴い、九州総局(福岡県福岡市中央区渡辺通り)内に「九州・山口本部」を新設。
- 10月1日 - 「九州・山口特別版」発刊。
- 2010年(平成22年)7月26日 - 本文のフォントを変更。全体的に太いフォントを採用した。産経新聞グループの紙面全体の数字や、ラ・テ欄の時間表記も変わっている。
- 2011年(平成23年)
- 6月22日 - 専務取締役大阪本社代表・熊坂隆光が社長に就任。現任の住田は相談役。会長清原武彦は会長職には留まるが代表権がなくなる。
- 12月 - 大阪府内版の連載企画「それゆけ!大阪ラーメン部」とのコラボレーションにより、エースコックから大手全国新聞社として初のタイアップ商品となるカップ麺「産経新聞 それゆけ!大阪ラーメン」が期間限定で発売。
- 2012年(平成24年)6月1日 - 九州・山口本部が「西部本部」に変更。
- 2013年(平成25年)4月26日 - 創刊80周年(日本工業新聞の紙歴も算入)・『正論』創刊40周年を記念して進める事業の一環で、天皇明文元首化・国家緊急権及び発動時の人権制限・軍隊保持・国防の義務・国旗国歌規定などを盛り込んだ「国民の憲法」要綱を発表。
- 2014年(平成26年)10月1日 - 旗艦ニュースサイト「産経ニュース」を開始。同日に総合オピニオンサイト「iRONNA」も開設。これに伴いMSNとの提携、及び「MSN産経ニュース」は9月30日限りで終了。
- 2015年(平成27年)3月1日 - 東北地方向け産経新聞、サンケイスポーツ、フジサンケイビジネスアイ、競馬エイトの印刷業務を、自社系列工場(宮城県仙台市若林区)の老朽化に伴い、読売新聞仙台工場(宮城県黒川郡大和町)での受託印刷に移行。
- 2017年 - 英語版サイト「JAPAN Forward」(ジャパンフォワード)を開設。
- 2019年(平成31年)
- 2月18日 - 51歳以上、59歳未満の希望退職者を約180人規模で募集。全従業員数の約1割に当たる大規模な募集となった。
- 3月1日 - 群馬県・長野県・新潟県全域、埼玉県の一部地域向け産経新聞とサンケイスポーツの印刷業務を、同月24日発行分から読売新聞の群馬工場(群馬県藤岡市)と川越工場(埼玉県川越市)に分担させる委託契約を東京本社との間で締結。
- 2021年(令和3年)
- 3月31日-総合オピニオンサイト「iRONNA」が終了。
- 8月1日 - 価格改定。大阪本社版の朝夕刊セット地区で4,400円、東京本社版を含む朝刊単独地区(他、大阪本社版の朝刊単独地区・九州山口特別版)で3,400円へと変更する。7月21日に社告で発表、原材料費の上昇と人手不足に伴う新聞の制作・輸送・配達コストの増加を経営努力ではカバーしきれず限界となったことを挙げている。料金改定は他紙でも行われており、年内では朝日、毎日新聞に続き3例目である。
- 10月8日-ラジオ大阪の一部株式をDONUTSに7月30日付で売却したと発表。同社の持ち株比率は49.9%から15.9%に下がった。
- 2022年(令和4年)4月 - 2021年3月度のABC部数において販売店部数が100万部を下回る(99.7万部)。駅・コンビニでの発売部数を合わせた総部数は103万部。
- 2023年(令和5年)8月1日 - 同日から月極め購読料を値上げすることを同年7月に発表した。大阪本社版の朝夕刊セット地区で4,900円、東京本社版を含む朝刊単独地区(他、大阪本社版の朝刊単独地区・九州山口特別版)で3,900円にそれぞれ変更された。
論調[編集]
論調の根幹は右派的で親米保守・反共主義かつ旧体制への復古主義的傾向もみられる。また、右寄りといわれる読売新聞よりもタカ派的であり、統一協会系の世界日報と並び称されることもある。
「世界日報 (日本)#国内」および「読売新聞#紙面・論調・歴史」も参照
電子版では「皇室」のコーナーを設けて動静を報じる。
日本の国政政党との関係[編集]
水野が社長に就いた1958年(昭和33年)以降は、自民党を一貫して支持する。競合の世界日報は国際勝共連合との一致点があれば他党の国会議員も個人レベルで支持するが、産経は水野就任時に財界、特に経済四団体(経団連、旧日経連、日本商工会議所、経済同友会)の要望と期待に応えた関係上、自民党一本となっている。このために政府・自民党の御用新聞などと非難されることがある。
「御用新聞#産経新聞」および「日本経済団体連合会#政治への働きかけ」も参照
社説「主張」・「正論」欄では親米保守・反共主義に肯定的な主張を多く掲載してきた。これも『産経時事』から『産経新聞』へ改めた際の経緯が関係する(#「正論」路線と『主張』『正論』欄で後述)。但し、党内の親台反中・反米強硬勢力ともつながりがあり、中でも石原慎太郎は青嵐会を率いた1970年代から亡くなるまで深い関係にあった。
詳細は「石原慎太郎#政治姿勢・発言」および「青嵐会#概要」を参照
「自主憲法論#立場」および「反米保守#戦後の思想と現状」も参照
2006年には他の全国紙が首相による靖国神社参拝を批判的な論調をとる中、当時の総理総裁小泉純一郎による靖国神社参拝を支持する立場をとった。小泉の後を継いだ安倍内閣についても「右傾化」との指摘は誤りであるとする論陣を張った。
日本維新の会に対しては、反共・憲法改正・親米保守などといった基本理念では本紙と共通し、さらに行政改革に対しても自民党以上に積極的なため、好意的な論調が多い。
旧民主党に対しては、2015年の政治資金収支報告がなされた際に、連日民主党議員の支出を批判する記事を掲載した。またゆるキャラグランプリ2015で、民主党のゆるキャラ「民主くん」が142位で惨敗した際に、記事を写真付きで掲載した。民主党の事実上の後継政党である立憲民主党に関しても、「立憲共産党」と揶揄するなど批判的論調が多く見受けられる。
日本共産党に対しては、反共主義の観点から批判する傾向が強く、1973年(昭和48年)12月2日付本紙朝刊に掲載された、自由民主党が有償で出稿した日本共産党に対する意見広告への無償の反論権があるかを巡りサンケイ新聞事件が起きている。1977年の第一審判決と1980年の第二審判決で共産党の反論権の主張は否定された。1987年の最高裁判決でも共産党による上告が棄却されて、本紙側が勝訴している。
詳細は「サンケイ新聞事件#概要」および「日本共産党#1970年代の躍進と共産党排除の進展」を参照
2013年には中沢啓治の漫画『はだしのゲン』について、「ジャンプで打ち切りになり共産党系・日教組系と連載誌を転々とし始めた頃から、旧帝國陸軍のありもしない蛮行や昭和天皇への呪詛がてんこ盛りになった」とする記事を掲載した。
「はだしのゲン#作品史」および「中沢啓治#生涯」も参照
少数政党では、幸福の科学傘下で幸福実現党関連の記事、連載、広告を本紙および僚紙で多く受け入れる傾向がある。2009年(平成21年)6月24日の夕刊フジに大川きょう子(当時党首)のインタビュー記事を掲載、2009年8月2日、大川きょう子(当時宣伝局長)と田母神俊雄の対談記事が全面広告として掲載された。2010年1月28日から夕刊フジに初代党首の饗庭直道(当時広報本部長代理)の連載コラム「いざ!幸福維新」がスタートし、これは党女性局長の竜の口法子や歴代党首に引き継がれて、現在は、釈量子党首による連載が続いている。また『ビジネスアイ』およびWebのSankeiBizにも石川悦男(当時党首)のコラムが2010年(平成22年)2月から毎週掲載(もしくは隔週掲載)されていた。その後、ついき秀学(当時党首)に引き継がれ、歴代党首に引き継がれて掲載されている。
外交政策に関して、アメリカ合衆国との同盟維持・集団的自衛権の必要性を主張している。2021年に最高裁が「夫婦別姓」を認めない民法の規定を再び「合憲」と判断した際には、「夫婦同一の姓は社会に定着し、家族の呼称として意義があることを認めた平成27年の最高裁判決を踏襲した妥当な判断である。」と社説を載せ、選択的夫婦別姓制度の導入に反対する立場をとっている。
アメリカ合衆国[編集]
総じて米共和党を支持する傾向があり、米民主党には批判的である。
日米関係では日米同盟の重要性を主張し、これを見直す動きについて懸念を表明している。また、日米関係を重視する識者の寄稿を掲載することもある。
- イラク戦争については、「(イラク・フセイン政権の)大量破壊兵器の廃棄を目指す戦争」という米国の公式見解を概ね支持したが、その後フセイン政権が倒れ大量破壊兵器の発見が絶望的になると、「戦争に大義や正義を主張するのは無意味」と姿勢を転換。これを契機に『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりが反米保守へ転向し、競合の世界日報も産経東京本社の変節を批判した。 「イラク戦争#大量破壊兵器捜索」および「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論#書籍内容」も参照
- 普天間飛行場の移設問題については、小泉内閣時代の2006年(平成18年)に合意された「名護市辺野古への移設」の履行を強く求めている。 詳細は「普天間基地移設問題」を参照
- 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)については、日米関係強化および中国への対抗の観点から、日本の参加を要望している。
中華人民共和国(北京)[編集]
中国共産党を「北京」と呼称する事がある点が特徴である。文化大革命期に共同通信社を皮きりに他紙が次々と国外追放される中、朝日新聞のみが中国国内に残り、以降、産経を除く他社は中華人民共和国国務院(中国当局)の台湾支局閉鎖の要求を呑んで中国に支局を開局した。これとは対照的に、産経新聞は中国当局の要求を一貫して拒否し、結果として1967年(昭和42年)に特派員柴田穂が国外追放されて以降は、北京への特派員常駐を認められなかった状態で、日本の新聞で最も早く林彪の死亡推測記事を伝えるなど、むしろ政治的には中国を詳しく報道することとなった。以後、1998年(平成10年)までの31年間、北京に支局を置くことがなかった。
詳細は「日中双方の新聞記者交換に関するメモ#国外退去処分」および「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文#概要」を参照
1998年(平成10年)に、北京に再び開局した支局を「中国総局」とし、組織上「台湾支局」をその下に配置することで中国支局を再開した。産経新聞がこうして中国の支局を再設置した結果、マスコミ他社もそれに倣って同じ条件で台湾に支局を開局することとなった。
中華民国(台湾)[編集]
蔣介石支持で古くから知られていたが、1972年の日中国交回復の頃からその傾向を強め、1974年(昭和49年)8月15日から1976年(昭和51年)12月25日まで「蔣介石秘録」を連載した。鹿内信隆は、介石の後継として中華民国総統に就任した息子・経国と会談した際に、介石の日本への恩を忘れないようにとの思いでフジサンケイグループとして箱根彫刻の森美術館に父親の威徳を讃える「中正堂」を建立したと述べている。
「親台派#日本政治史」および「蔣介石#蔣介石にちなんだ事物」も参照
信隆社長時代に2年にわたって掲載された『蔣介石秘録』には、南京大虐殺について死者数を30万〜40万とする主張を載せた記事やコラムを掲載していた。
詳細は「南京事件の被害者数#三十万人以上」および「南京事件論争#犠牲者数」を参照。
ソ連・ロシア連邦[編集]
2022年ロシアのウクライナ侵攻に関しては、他の主要メディアと比較しても特に「侵略」と言う言葉を用いて(政府・自民党の意向に沿う形で)批判的な報道を多く行っている。
このため、2022年5月4日に「反ロマスコミ」だとして、63人の日本人がロシア連邦への恒久的な入国禁止措置が発表された。その中でも、読売は経営者のみ(渡邉恒雄)、日経は経営者と編集局長の二人だけであるところ、産経新聞は代表取締役社長飯塚浩彦(現・会長)、専務取締役近藤哲司(現・社長)だけでなく、論説顧問の斎藤勉と、東京本社外信部次長兼論説委員遠藤良介も入国禁止措置リストに入れられた。「メディア関係者」で最多かつ論説委員クラスからは唯一対象者を出しており、自民党(在任中は党籍離脱する衆参両院議長含む25人)に次ぐ入国禁止措置対象となっている。
朝鮮半島[編集]
冷戦時代、日本のメディアの朝鮮半島報道は、北朝鮮肯定・韓国否定が主流だったが、産経新聞はほぼ唯一、韓国支持・北朝鮮批判の論陣を張った。韓国が朴正煕政権だった当時、日本メディアの多くは、朴政権をクーデターで政権を奪った独裁政権と否定的にとらえ、野党や知識人に対する弾圧に注目する一方、近代化や経済発展に関心を示さなかったが、産経新聞は、朴の近代化政策や経済建設を高く評価した。韓国国内でも、産経新聞は親韓メディアとみなされていた。朴は1976年の産経新聞による単独取材に「産経新聞が公正な態度で偏見のない報道を貫き、日本国民の正しい認識を深めるのに尽くされていることに対し感謝したい」と述べている。
民主化した1990年代以降は、慰安婦問題など歴史認識で日本の立場を主張する産経は反韓的と批判され、韓国の立場を支持する朝日は良心的と讃えられるようになった。背景には、韓国の民主化で金泳三、金大中、盧武鉉政権など北朝鮮に対する融和的なムードが韓国国内で広がったこと、冷戦終結で相互に遠慮が無くなったことにある。
2014年には、当時の韓国大統領朴槿恵に関する報道が外交問題化している。産経新聞ソウル支局長を務めた黒田勝弘は、「娘・朴槿恵時代の韓国に産経新聞の記者が名誉毀損で裁判にかけられていることを父(朴正煕)は草葉の陰でどう思っているだろうか。お互い残念なことだが、これは時代および日韓関係の変化の象徴である」と述べている。
1980年1月7日、産経新聞は社会部記者(後に産経デジタル初代社長)阿部雅美による「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」という記事を朝刊一面トップに載せ、マスメディアで初めて拉致事件の報道をする。その後も拉致疑惑とされていた、北朝鮮による日本人拉致事件をいち早く報道した。スクープから7年後の1987年に爆破テロである大韓航空爆破事件が発生し、日本人拉致が北朝鮮によるテロ活動の一環として認知されるようになると、1988年(昭和63年)3月26日の参議院予算委員会において国家公安委員長(当時)梶山静六が日本共産党の橋本敦の質疑に答え「日本海側から消えている日本人は北朝鮮による拉致の可能性がある」と国会の席で初めて述べた。この梶山答弁はNHKの国会中継で放送されなかった上に民放テレビ各社も全く取り上げず、新聞紙面で報道したのも橋本が所属する共産党の中央機関紙『赤旗』および一般全国紙では産経新聞のみだった。
詳細は「北朝鮮による日本人拉致問題#1980年代」および「梶山静六#北朝鮮による日本人拉致を認める政府初の公式答弁」を参照
2006年(平成18年)4月には常務取締役加藤雅己が共同通信加盟社の旅行団メンバーとして北朝鮮へ渡った。
1996年に“北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)”というような正式呼称の併置を廃止し、日本メディアで最初に「北朝鮮」と単独表記することにした。このことで朝鮮総聯から抗議を受けたが、その後2002年(平成14年)〜2003年(平成15年)にかけて全国紙やテレビからも正式呼称が消え「北朝鮮」のみの呼称となった。最近では単に「北」という表記も使用している。
中東諸国[編集]
中東問題では、社説などでイスラエル寄りの主張を行っている。パレスチナ自治区のイスラム原理主義組織「ハマース」に「イスラエルの存在を認めるべきだ」という旨を主張したり、パレスチナの国連加盟申請を「中東和平の阻害になる恐れがあり、イスラエルとの直接交渉こそすべきである」という主張をしたりしている。
原子力発電[編集]
福島第一原子力発電所事故発生以降も原子力発電の推進を主張し、脱原発の動きに懸念を表明している。この点については読売新聞と共通点がある。
2013年11月14日の『主張』では、元首相・小泉純一郎による脱原発の主張を非難した。
日本共産党中央機関紙しんぶん赤旗によると、2008年度から2010年度の3年、資源エネルギー庁より原子力発電推進の広報事業(電力生産地・消費地交流事業)を請け負っており、2010年度の委託費は7400万円であった。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 大阪本社版の夕刊は、かつて発行していた系列夕刊紙・大阪新聞の後継という位置づけもあるためで、主に関西の地場記事・連載記事を中心に掲載している。産経系における時事的な夕刊は、スピンオフタブロイド紙の夕刊フジに事実上一任されている。
- ^ 日本経済新聞を除いた。
- ^ a b 但し、欄外の題字や、一般的な呼称はこの当時から1988年5月に漢字の題字に戻すまで「サンケイ」(片仮名)を既に使用していた。また、1969年5月まで「時事新報合同」を題字下に明記していた。
- ^ それまで九州総局は報道提携を結んでいた西日本新聞社の本社(福岡市中央区天神)にあった。
- ^ ただし、当初の連載企画時に協力していた地元の有名店「カドヤ食堂」は、カップ麺の発売に先だって一切無関係であることを言明。また、それまでの協力関係も全て解消したとしている。
- ^ 朝日新聞デジタルが2013年10月に「皇室とっておき」を新設してこれに続いた。
- ^ 冷戦時代はソ連を強く批判していた。
- ^ 親会社であるフジテレビはFNN北京支局を東海テレビが設置。
- ^ 当時、日本の全国紙としては、最後まで中国内に残留していた朝日新聞北京特派員秋岡家栄は、林彪が死亡したのではないかとの報道を北京に変化なしとして否定していた。
- ^ 日経は系列にスポーツ新聞もない。
- ^ 一時期、分社化してそれぞれ「フジ新聞社」、「サンケイスポーツ新聞社」から発行していたが、1987年11月に再統合された。ブロック紙系列のスポーツ紙<道新スポーツ、中日スポーツ・東京中日スポーツ、デイリースポーツ、西日本スポーツ>も同様にそれぞれの各発行元の新聞社<北海道新聞社、中日新聞社・中日新聞東京本社(東京新聞)、神戸新聞社、西日本新聞社>の発行である。スポーツニッポンは、毎日新聞グループホールディングスに経営統合されたが、現在もその傘下にある「スポーツニッポン新聞社」が発行している。またスポーツ報知発行元の報知新聞社は読売新聞グループ本社系列であるが、グループ本社の直営ではない。
- ^ 水野はこの時点で既に文化放送社長でもあったため、新聞・テレビ・ラジオ全てを握ったことになり「マスコミ三冠王」と評される。
- ^ 紙面『正論』欄の第1回は当時防衛大学校校長だった猪木正道が執筆した。
- ^ 日垣の執筆分はのちに『敢闘言 さらば偽善者たち』にまとめられ、文春文庫から出版された。
- ^ ほとんどの新聞は“2011年(平成23年)1月1日”のように西暦を先頭に表記している。系列のサンケイスポーツ及び東京スポーツ、静岡新聞、熊本日日新聞は産経新聞と同様、平成23年(2011年)の表記となっている。
- ^ 一例として、
- ^ オイルショックの発生による製紙事情により、日本政府から日本新聞協会加盟の各新聞社に頁数の削減の要請を行ったことにより、それまでの二分冊をやめて、「ホームニュース」で別々に掲載していたテレビとラジオの番組表を一体化して最終頁の掲載にした。
- ^ 2015年(平成27年)4月より宮城県黒川郡大和町の仙台高速オフセット社(読売新聞仙台工場)にて印刷。
- ^ 川越は読売新聞東京本社が委託している光村印刷の工場。藤岡は光村の関連会社群馬高速オフセットの工場。どちらも産経新聞印刷所沢センターの閉鎖に伴い、2019年(平成31年)3月下旬より委託印刷を始めた。
- ^ 2016年(平成28年)10月より「山陽新聞社新聞製作センター」への委託印刷に切り替え。2020年12月からは産経新聞九州・山口版の印刷提携を結んでいる毎日新聞系・スポーツニッポンの山陰地区・山口県を除く中四国地方の新聞の委託印刷も実施。
- ^ メディアプレス瀬戸内坂出工場にて印刷。産経の岡山工場では岡山・広島県向けの読売新聞も印刷していたが、メディアプレス瀬戸内尾道工場(広島県尾道市)の稼動開始により2008年(平成20年)10月で委託契約を解消した。
- ^ 2009年(平成21年)10月1日付より毎日新聞九州センターの工場(鳥栖と北九州のいずれかで調整していたが、最終的に鳥栖に決定)に委託しての現地印刷を開始。2012年(平成24年)9月1日付から毎日新聞九州センター北九州工場でも委託印刷が開始された。