日本電信電話
日本電信電話株式会社(にっぽんでんしんでんわ、英: NIPPON TELEGRAPH AND TELEPHONE CORPORATION)は、東京都千代田区大手町に本社を置く、日本の電気通信事業者である。通称はNTT。同社を持株会社として電気通信事業をはじめとする企業集団のNTTグループを構成している。
日本電信電話株式会社等に関する法律(昭和59年法律第85号)(通称NTT法)に基づき、日本電信電話公社(電電公社)が民営化して1985年に設立された特殊会社である。 日経平均株価およびTOPIX Core30、JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。
概要[編集]
持株会社としての日本電信電話株式会社(NTT)はNTTグループを統括する経営統括機能と、規模・技術的にも世界屈指のNTT研究所を擁する研究開発部門から成る。NTTの研究開発部門はグループ企業の事業用技術開発だけに留まらず、通信分野の技術標準化、学術研究、オープンソースソフトウェアにも大きく貢献している。
企業グループ全体として見たときの主力事業は大きく分けて総合ICT事業(NTTドコモ・NTTコミュニケーションズ(NTTコム)・NTTコムウェア)、地域通信事業(NTT東日本・NTT西日本)、グローバル・ソリューション事業(NTTデータ)である。 それらに比較して小規模ではあるものの不動産都市開発事業(NTTアーバンソリューションズ・NTT都市開発・NTTファシリティーズなど)、電力エネルギー事業(NTTアノードエナジー)などが準主力となっている。 これら以外にも多数の企業を擁する。詳細はNTTグループを参照。
発足当初は固定電話による収益に依存していたが、現在は営業利益の7割がNTTドコモを中心とした移動体通信事業(携帯電話)に依存している。
国際電気通信連合のセクターメンバーである。
沿革[編集]
同社の源流は明治維新での逓信省による電信(電報)に遡る。1868年から1952年までの沿革については日本電信電話公社#概要を参照
- 1985年4月:日本電信電話株式会社法により日本電信電話公社を民営化し、日本電信電話株式会社発足。本社は東京都千代田区内幸町の日比谷電電ビル(現:NTT日比谷ビル)。
- 1987年2月:各証券取引所に株式を上場。
- 1988年7月:データ通信事業本部の事業をエヌ・ティ・ティ・データ通信(現:エヌ・ティ・ティ・データ)に譲渡。
- 1992年7月:自動車電話・携帯電話・ポケットベルなどの事業をエヌ・ティ・ティ移動通信網(現:NTTドコモ)に譲渡。
- 1995年9月:本社を東京都新宿区西新宿三丁目に移転。
- 1999年7月:持株会社体制に移行。県内通信事業を完全子会社の東日本電信電話および西日本電信電話、県間通信事業などを完全子会社のエヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズに承継した。それと同時に本社を千代田区大手町の逓信ビルに移転。
- 2013年12月:本社を東京都千代田区大手町一丁目のファーストスクエアイーストタワーに移転。
- 2018年8月:中間持株会社・NTT, Inc.を設立し、グローバルR&Dを強化。
- 2020年12月:NTTドコモを完全子会社化。
- 2022年1月:グループの長距離・移動体通信事業をドコモグループに集約(詳細は、グループ体制の整理を参照)。
- 2022年8月1日:旧日本電信電話公社時代から通算し、創業70周年。
- 2022年10月:法人向けグローバル事業の第1ステップを実行(詳細は、グループ体制の整理を参照)。
歴代社長[編集]
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 真藤恒 | 1985年(昭和60年) - 1988年(昭和63年) | 九州帝国大学工学部 | リクルート事件で逮捕・有罪 |
第2代 | 山口開生 | 1988年(昭和63年) - 1990年(平成2年) | 東京大学第二工学部 | |
第3代 | 児島仁 | 1990年(平成2年) - 1996年(平成8年) | 北海道大学法経学部 | |
第4代 | 宮津純一郎 | 1996年(平成8年) - 2002年(平成14年) | 東京大学工学部 | |
第5代 | 和田紀夫 | 2002年(平成14年) - 2007年(平成19年) | 京都大学経済学部 | |
第6代 | 三浦惺 | 2007年(平成19年) - 2012年(平成24年) | 東京大学法学部 | |
第7代 | 鵜浦博夫 | 2012年(平成24年) - 2018年(平成30年) | 東京大学法学部 | 政府による異例の取締役再任拒否で会長に就かず退任
総務審議官らを違法接待 |
第8代 | 澤田純 | 2018年(平成30年) - 2022年(令和4年) | 京都大学工学部 | 総務審議官らを違法接待 |
第9代 | 島田明 | 2022年(令和4年) - 現在 | 一橋大学商学部 |
各年度業績[編集]
米国会計基準または国際会計基準(IFRS)による各年度業績(単位:百万円)
決算期 | 営業収益 | 営業利益 | 税引前
当期純利益 |
当期純利益 |
---|---|---|---|---|
平成16年(2004年)3月 | 11,095,537 | 1,560,321 | 1,527,348 | 643,862 |
平成17年(2005年)3月 | 10,805,868 | 1,211,201 | 1,723,312 | 710,184 |
平成18年(2006年)3月 | 10,741,136 | 1,190,700 | 1,305,863 | 498,685 |
平成19年(2007年)3月 | 10,760,550 | 1,107,015 | 1,132,702 | 481,368 |
平成20年(2008年)3月 | 10,680,891 | 1,304,609 | 1,322,291 | 635,156 |
平成21年(2009年)3月 | 10,416,305 | 1,109,752 | 1,105,163 | 538,679 |
平成22年(2010年)3月 | 10,181,376 | 1,117,693 | 1,120,071 | 492,266 |
平成23年(2011年)3月 | 10,305,003 | 1,214,909 | 1,175,797 | 509,629 |
平成24年(2012年)3月 | 10,507,362 | 1,222,966 | 1,239,330 | 467,701 |
平成25年(2013年)3月 | 10,700,740 | 1,201,968 | 1,201,099 | 524,071 |
平成26年(2014年)3月 | 10,925,174 | 1,213,653 | 1,294,195 | 585,473 |
平成27年(2015年)3月 | 11,095,317 | 1,084,566 | 1,066,629 | 518,066 |
平成28年(2016年)3月 | 11,540,997 | 1,348,149 | 1,329,259 | 737,738 |
平成29年(2017年)3月 | 11,391,016 | 1,539,789 | 1,527,769 | 800,129 |
平成30年(2018年)3月 | 11,799,587 | 1,642,843 | 1,755,624 | 909,695 |
令和元年(2019年)3月 | 11,879,842 | 1,693,833 | 1,671,861 | 854,561 |
令和2年(2020年)3月 | 11,899,415 | 1,562,151 | 1,570,141 | 855,306 |
令和3年(2021年)3月 | 11,943,966 | 1,671,391 | 1,652,575 | 916,181 |
経営形態の歴史[編集]
第二次臨時行政調査会による三公社の民営化論議[編集]
第2次オイルショックにより、1981年3月に鈴木内閣は、日本経済団体連合会(経団連)の名誉会長土光敏夫を会長とした、「増税なき財政再建」をスローガンとした第二次臨時行政調査会を発足させた。
第二次臨調の答申事項の一つとし、政府公社の民営化が含まれていた。この答申を受け、中曽根内閣の民活路線のもと、三公社民営化について論議された。
日本電信電話公社民営化の閣議決定[編集]
1984年7月17日、内閣にて「日本電信電話株式会社法案」、「電気通信事業法案」および「日本電信電話株式会社法及び電気通信事業法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案(整備法案)」(電電改革三法案)が審議され、施行期日は翌年4月1日とされた。その後、数度の審議を経て同年12月20日、電電改革三法案が衆参両議院にて可決され、日本電信電話公社の民営化が決定された。
電電改革三法の概要[編集]
日本電信電話株式会社法[編集]
- 日本電信電話株式会社は、国内電気通信事業を経営することを目的とする株式会社とし、国内電気通信事業を営むほか、郵政大臣の認可を受けて、これに附帯する業務その他会社の目的を達成するために必要な業務を営むことができる。
- 会社の責務とし事業を営むに当たって、常に経営が適正かつ効率的に行われるよう配意し、国民生活に不可欠な電話の役務を適切な条件で提供することにより、当該役務のあまねく日本全国における安定的な供給の確保に寄与する。電気通信技術に関する実用化研究、基礎的研究の推進、その成果の普及を通じて我が国電気通信の創意ある向上発展に資するよう努めなければならない。
- 会社の株式は、政府が常時、発行済み株式総数の三分の一以上の株式を保有していなければならない。また、政府の保有する会社の株式処分は、その年度の予算をもって国会の議決を経た限度数の範囲内でなければならない。なお、外国人及び外国法人等は、会社の株式を保有することができない。
- 新株の発行、取締役及び監査役の選任等の決議、定款の変更等の決議、事業計画、それに重要な設備の譲渡については、郵政大臣の認可を受けなければならない。
- 郵政大臣は、新株の発行、定款変更等の決議、事業計画、重要な設備譲渡についての認可をしようとするときは、大蔵大臣に協議しなければならない。
- 政府は、会社の成立の日から5年以内に、この法律の施行の状況及びこの法律の施行後の諸事情の変化等を勘案して会社のあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとすることを定める。
電気通信事業法[編集]
- 電気通信事業者が取り扱う通信の秘密の保護、検閲の禁止、利用の公平及び重要通信の確保。
- 電気通信事業を、みずから電気通信回線設備を設置して電気通信役務を提供する第一種電気通信事業と、第一種電気通信事業者から電気通信回線設備の提供を受けて電気通信役務を提供する第二種電気通信事業とに区分する。第一種電気通信事業については、電気通信回線設備が著しく過剰とならないこと等、事業の安定性、確実性を確保するため、事業の開始を郵政大臣の許可とする。また、その料金については、国民生活、国民経済に重大な影響を及ぼすため、郵政大臣の認可事項とする。第二種電気通信事業については、多種多様な通信需要に応じた電気通信役務の提供が予想される分野のため、原則として届け出で事業を開始できることとする。ただし、不特定多数を対象とする全国的、基幹的事業及び外国との間の事業は特別第二種電気通信事業とし、事業の開始を郵政大臣の登録事項とする。
- 第一種電気通信事業、特別第二種電気通信事業については、電気通信設備について、国が一定の技術基準を定め、良質かつ安定的な電気通信役務の提供を確保するとともに、端末設備について、一定の技術基準を定めた上で、利用者が自由に設置できるものとする。
- 郵政大臣が事業の許可、料金の認可等この法律に基づく重要な処分をしようとする場合には、審議会に諮り、その決定を尊重してこれをしなければならない。
- 政府は、この法律の施行の日から三年以内に、この法律の施行の状況について検討を加え、必要な措置を講ずる。
整備法[編集]
- 日本電信電話公社法の廃止に伴い、同法及び日本電信電話公社の名称を引用している関係法律について、引用部分の削除、名称の変更等所要の改正を行うこと。
- 日本電信電話公社が改組され日本電信電話株式会社になった後も、共済制度を適用することとし、関係法律について所要の改正を行うこと。
- 会社の労働関係については、労働三法によることとし、公共企業体等労働関係法は適用しないこととするとともに、調停に関する暫定的な特例措置を定めるため、関係法律について所要の改正を行うこと。
日本電信電話株式会社の設立[編集]
1985年4月1日、「日本電信電話株式会社法」施行により日本電信電話株式会社発足。発行済株式総数は1560万株、資本金7800億円(額面5万円)で、持株比率は大蔵大臣(当時)100%であった。
政府の所有株式が公開されることとなった。これに伴い、1987年2月9日には日本電信電話に対し証券コード9432が割り当てられる。これにより、東京証券取引所、大阪証券取引所、名古屋証券取引所第一部に上場した。
1987年2月9日には政府保有株式186万株が放出されたが、上場初日に買注文が多いため値付けができなかった。翌2月10日に政府はさらに10万株を放出することとし、160万円が初値となった。その2か月後の1987年4月22日には史上最高値の318万円まで株価が高騰した。その後、7月に株式市場全体の暴落により、同社の株式も225万円まで下落したあと、乱高下を繰り返し、同年秋には株価300万までに回復した。
この動向を見守っていた大蔵省(当時)は、1987年11月に政府は保有株式195万株の第2回売出を行い、このときは255万円の値がついた。さらに1988年10月、政府は保有株式150万株の第3回売出を行い、株価は190万円となった。
政府はこの計3回で540万株の保有株式を売出し、売却代金10兆2000億円が国庫に帰属することになった。NTTも株式需給の悪化の株価低迷に対する信頼性回復のため、1990年10月に自民党電気通信問題調査会政策小委員会に対し外国人の株式所有解禁や政府保有株式の買入による償却などを要望した。
また郵政省は電気通信審議会の答申を受け、「外国人の株式所有を議決権の20%未満まで解禁する」、「外国人の役員就任を禁じる」などを含む「日本電信電話株式会社法等の一部を改正する法律」を1992年5月に成立させ、1992年8月1日施行となった。
NTTは改正法による外資規制の緩和に基づき、1994年9月29日にはニューヨーク証券取引所、10月12日にはロンドン証券取引所に上場した。
グループ企業戦略[編集]
1985年4月11日にNTT最初の子会社として、NTTリースが設立された。NTTの民営化と同時に、NTTリースを子会社として設立した背景には、電気通信事業法により電話機など通信端末の自由化が可能となったことから、NTTも通信機器の売切りを開始することが可能となり、販売商品方法として割賦販売やリース販売に対応する必要があったためである。
国営時代は電電公社法による制約が厳しく、「事業運営上、必要最小限の範囲」内での委託会社への出資しか認められていなかった。
NTTの民営化により、電気通信事業の自由化に伴う新規参入業者との競争に対抗できるように、組織のスリム化の推進を進めると共に、事業の多角化と事業領域の拡大を目指して新たな分野への参入を図る事とした。
NTTグループの企業は、「事業領域の拡大を目指した新規事業会社」、「従来より事業部として事業を分離した企業」、「同社が保有していた専門機能を集約・特化して分社化する企業」の3形態に分類される。
この戦略の一つとして、1988年5月23日に事業分離型企業としてNTTデータが設立された。
このような動向について、民営化後もその事業範囲の広大さと経済への影響力の大きさから、米国の圧力により国鉄分割(JR7社)のような地域分割論が噴出し政治問題化した。そのためNTTはそれを回避すべく、子会社を設立したとする見方もある。
会社成立5年後の再検討[編集]
「日本電信電話株式会社法」の附則で会社成立の日から5年以内に、同社設立後の諸事情の変化などを勘案して会社のあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとすることを定めていた。
1989年10月、電気通信審議会は「今後の通信産業の在り方に」に関する答申を提出した。答申では、現行の組織形態での改善にはおのずと限界がある、電気通信市場のさらなる競争、経営効率化などの観点から「組織の再編成が検討されるべきだ」と指摘し、具体案として3案が提示された。
- 地域別再編成
- 市内市外分離で市内全国1社
- 市内市外分離で市内複数社
この中間答申について、NTTは反対、公正取引委員会、日本経済団体連合会、電気通信産業連盟などが「時期尚早」という結論、郵政省や新電電各社は支持の姿勢を打ち出した。このような状況の下、1990年3月、電気通信審議会は最終答申として、「日本電信電話株式会社法附則第2条に基づき講ずるべき措置、方策等の在り方―公正有効競争の創出と技術革新―」を郵政大臣に提出した。その中でも再編について、「市内市外分離で市内全国1社」方式に絞り込み、実施時期を1995年度めどにするとした。また、移動体通信業務を同社から分離した上で完全民営化するとし、1年内に速やかに実施するよう提言するものであった。
郵政省は、電気通信審議会最終答申に提示された市内・市外分離案の実現に向け調整を図ったが、「答申後、株主の不安を招いて同社株の株価が低迷し、大蔵省も株主、国民の利益が保証されなければ分離分割を承服できない」と強く反発の意を表明した。最終的に自民党は、当面分割は実施しないこととして公正有効競争の促進などの措置の実施状況を踏まえた上で、必要と認められる場合には1995年度において再度検討を行い、結論を得るとの方針を決定した。
再編成の検討[編集]
1995年4月、政府方針によって5年間後に再検討とされた経営形態に関する議論が、郵政大臣による電気通信審議会への諮問によって開始された。電気通信審議会は諮問を受けてNTTの在り方に関する特別部会を設け、検討を開始した。同年7月に行政改革委員会の規制緩和小委員会が40項目について規制緩和に関する論点を公開した。
- 新事業者がサービスを提供するためには、競争相手でもある日本電信電話の地域通信網に依存せざるをえない市場構造になっており、それに起因する公正競争上の問題が発生している。
- 電話料金の低廉化のためには、日本電信電話の地域網の効率化が不可欠である
1995年12月、規制緩和小委員会は「光り輝く国を目指して」と題した規制緩和最終報告をまとめ、情報通信分野に関しては構造改革の大きな柱として、電気通信事業の規制緩和とNTTのあり方をあげた。ただし、その最終判断は電気通信審議会へと委ねるとした。
1996年2月、電気通信審議会は「日本電信電話株式会社の在り方について―情報通信産業のダイナミズムの創出に向けて―」とする答申を提出し1998年をめどに、NTTを長距離通信会社と2社の地域通信会社に再編成するとの提言を公表した。
1996年3月、電気通信審議会の答申を受けた政府は、「NTTの経営形態に関するワーキングチーム」を設置して検討した。だが連立与党内にも、基本的には電気通信審議会答申を尊重すべきとする意見と、分離・分割に反対する意見との対立による意見調整が付かず、結論を次の通常国会まで先送りすることとした。
再編成の再検討[編集]
1996年12月6日、郵政省は純粋持株会社の下に長距離通信会社1社と地域通信会社2社に再編成するという内容としてまとめた「NTTの再編成についての方針」を発表した。「持株会社に関する関連法案」の改正や、「事業譲渡益課税の特例」などのこの発表と関連する事項についてあわせて検討が行われ、第140回通常国会に独占禁止法改正法案が提出され、1997年6月に「独占禁止法改正法」が成立した。この成立により、NTT再編成の前提条件である純粋持株会社の解禁が確定した。
日本電信電話法の改正[編集]
1997年6月に「日本電信電話株式会社法の一部を改正する法律」が成立し、日本電信電話の再編成が決定した。この改正法では、持株会社と地域会社2社は特殊会社、長距離会社は完全な民間会社とされた。
持株会社としてのNTTの目的は「地域会社が発行する株式の総数を保有し、地域会社による適切かつ安定的な電気通信役務の提供の確保と電気通信の基盤となる電気通信技術に関する研究を行う」とした。ただし、持株会社の取締役や監査役の選任・解任の決議は、郵政大臣の認可を必要とするとされた。
地域会社は「地域電気通信事業(同一都道府県の区域内における電気通信業務)を経営すること」を目的に、東日本電信電話(NTT東日本)および西日本電信電話(NTT西日本)のそれぞれの業務区域を定めた。地域会社は特殊法人として政府規制が残るが、役員の選任・解任、利益処分について郵政省の認可が不要とされた。
日本電信電話の再編成[編集]
1999年1月、NTTは再編成後の組織づくりのため、「持株会社移行本部」、「東日本会社移行本部」、「西日本会社移行本部」、「長距離国際会社移行本部」の4移行本部に再編した。
1999年7月、地域会社としてNTT東日本およびNTT西日本、長距離会社としてNTTコミュニケーションズが設立された。
NTTは、既に分社化されたNTTデータ(1988年設立)とNTTドコモ(1992年設立)などをグループ会社とする持株会社に移行した。
「日本電信電話株式会社等に関する法律」(NTT法)第3条により、「会社及び地域会社は、それぞれその事業を営むに当たつては、常に経営が適正かつ効率的に行われるように配意し、国民生活に不可欠な電話の役務のあまねく日本全国における適切、公平かつ安定的な提供の確保に寄与するとともに、今後の社会経済の進展に果たすべき電気通信の役割の重要性にかんがみ、電気通信技術に関する研究の推進及びその成果の普及を通じて我が国の電気通信の創意ある向上発展に寄与し、もつて公共の福祉の増進に資するよう努めなければならない」とされているが、具体的かつ個別・直接的な義務は負っていない。ただし、電気通信事業法第7条および同施行規則第14条・第40条により、NTT東日本とNTT西日本は基礎的電気通信役務(固定電話・公衆電話・緊急通報、いわゆるユニバーサルサービス)を離島を含めたすべての市町村を対象に提供する義務を負っている。NTT法第2条第4項により、県境を越える通信サービスを開始する場合は総務省の認可が必要であったが、2011年のNTT法改正により事前届出制に変更された。
現在も、基礎研究を手がける研究部門は分割されず持株会社内部に残っている。持株会社の事務部門は基本的に子会社からの出向という形であるが、研究職は持株会社が独自に採用している。なお、独自の研究セクションを設けた子会社もある。
再編成にあたって、NTT法による規制の有無と業態によりグループ会社を第1類 - 第4類に分類し、事業・サービスの整理・統合を進めている。なお、第1分類は規制会社でNTT東日本、NTT西日本が、第2分類は競争会社でNTTコミュニケーションズ、NTTデータ、NTTドコモ、第3分類は経営資源活用会社でNTTコムウェア、NTTファシリティーズなどが、第4分類は新事業開拓会社でNTTファイナンス、NTT都市開発などが該当する。
グループ体制の整理[編集]
2018年の澤田社長就任以降、グループ体制の見直しに着手している。前項までの再編とは異なり、総務省が主導して行われたものではない。
2018年、NTTコミュニケーションズ、NTTデータ、ディメンションデータの全株式をグローバル持株会社・NTT, Inc.に移管。
2019年、NTT都市開発とNTTファシリティーズを統合してNTTアーバンソリューションズを設立。
2020年、NTTドコモを完全子会社化。
2021年、可能な職種ではテレワークを原則とし転勤や単身赴任を廃止する方針とした。翌年からは勤務地が原則自宅となり、出社は出張扱いとなる。
2022年1月1日、これまでNTT Inc.の子会社であったNTTコミュニケーションズをNTTドコモの完全子会社とすると共に、NTTコムウェアについても同社保有株式の一部をドコモに移管。これにより事実上、長距離・モバイル通信事業はドコモに一元化されることとなった。
2022年10月、グループの法人向け海外事業再編の第1ステップとして、NTT, Inc.および同社子会社のNTT Ltd.をNTTデータの子会社化。また、NTT, Inc.をNTTデータの海外事業会社・NTT DATA, Inc.(日本法人)に移行させた上で、NTTデータとNTT Ltd.の当該事業を統合。
NTTグループが手がける主なサービス[編集]
有線での通話・通信事業[編集]
- 電報:1869年(明治2年)開始(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- 加入電話:1890年(明治23年)開始(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- キャッチホン:1970年(昭和45年)開始(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- フリーダイヤル:1985年(昭和60年)開始(現在:NTTコム)
- ISDN(INSネット):1988年(昭和63年)開始(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- ダイヤルQ2:1989年(平成元年)開始(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- テレジョーズ:1992年(平成4年)開始(現在:NTTコム)
- テレドーム:1993年(平成5年)開始(現在:NTTコム)
- テレゴング:1993年(平成5年)開始(現在:NTTコム)
- テレホーダイ:1995年(平成7年)開始(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- テレチョイス:1995年(平成7年)開始(現在:NTTコム)
- キャッチホン2:1995年(平成7年)開始(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- あんないジョーズ:1998年(平成10年)開始(終了)
- ナビダイヤル(NTTコム)
- フレッツシリーズ 「フレッツADSL、フレッツ光、フレッツISDN」(NTT東日本・NTT西日本)
- ナンバーディスプレイ(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- ひかり電話(現在:NTT東日本・NTT西日本)
- ひかりTV(NTTぷらら)
事業者識別番号[編集]
- 0033、0034、0035(NTTコミュニケーションズ)…マイラインで用いるのは0033となる。
- 0036(NTT東日本)
- 0039(NTT西日本)
移動体通信事業[編集]
- 新幹線の列車公衆電話サービス:1965年(昭和40年)開始(現在:NTTコム) - 新幹線列車への着信、新幹線列車からの発信。2004年(平成16年)6月、着信サービス終了。
- 携帯電話 「mova」 「DoPa」 「FOMA」 「Xi(クロッシィ)」(現在:NTTドコモ):「mova」「DoPa」2012年(平成24年)3月サービス終了
- PHS(旧NTTパーソナル→現在:NTTドコモ):2008年(平成20年)終了
- ポケットベル「クイックキャスト」(現在:NTTドコモ):2007年(平成19年)終了
- 衛星通信 ワイドスター(現在:NTTドコモ 他)
- 船舶電話(ドコモ・モバイル)
公衆無線LAN[編集]
- NTTブロードバンドプラットフォーム(インフラ構築)Wi-Fine
- ホットスポット(NTTコミュニケーションズ)
- docomo Wi-Fi(NTTドコモ)
- フレッツ・スポット(NTT東西)
インターネット・サービス・プロバイダ[編集]
- OCN(旧NTTコミュニケーションズ→現在:NTTドコモ)
- plala(旧NTTぷらら→現在:NTTドコモ)
- インフォスフィア(NTTPCコミュニケーションズ)
- goo(旧NTT-X→現在:NTTレゾナント)
- mopera(NTTドコモ)
- WAKWAK(NTT-ME)
金融・リース[編集]
- NTTファイナンス
スマートエネルギー事業[編集]
- NTTアノードエナジー
その他事業[編集]
- CAFIS「クレジットカードオンラインシステム」(現在:NTTデータ)
- 銀行オンラインシステム(NTTデータ)
- 都市開発(現在:NTT都市開発、現在:NTTファシリティーズ)
- 国際電話(現在:NTTコミュニケーションズ)
- テレビジョン中継回線
- ドットコムマスター(.com Master)(現在:NTTコミュニケーションズ)
- スマート養殖事業(NTT東日本)
- 大学やベンチャー企業に対し、NTTの通信やセンサー技術を提供する「スマート養殖事業」の実証実験を行っており、将来的には生産システムの外販も予定している。
災害対策基本法関連[編集]
NTTグループのうち、以下の企業は災害対策基本法で指定公共機関の指定を受けており、災害発生時に通信を確保する義務を負っている。
- 日本電信電話(同社)…グループ全体における通信業務の調整
- NTT東日本・NTT西日本
- NTTコミュニケーションズ
- NTTドコモ
ライバル企業のKDDIやソフトバンクも、1社で上記サービスや携帯電話サービスを行っていることから同法に基づく指定を受けている。
主なグループ企業[編集]
研究拠点[編集]
参照:NTT R&D Website「所在地」
品川シーズンテラス[編集]
〒108-0075 東京都港区港南1-2-70
|
|
横須賀研究開発センタ[編集]
〒239-0847 神奈川県横須賀市光の丘1-1 横須賀リサーチパーク
|
|
|
武蔵野研究開発センタ[編集]
〒180-8585 東京都武蔵野市緑町3-9-11
|
|
|
厚木研究開発センタ[編集]
〒243-0198 神奈川県厚木市森の里若宮3-1
|
|
|
筑波研究開発センタ[編集]
〒305-0805 茨城県つくば市花畑1-7-1
|
|
NTT京阪奈ビル[編集]
〒619-0237 京都府相楽郡精華町光台2-4
- NTTコミュニケーション科学基礎研究所
グランパークタワー[編集]
〒108-0023 東京都港区芝浦3-4-1
|
|
大手町ファーストスクエア[編集]
〒100-8116 東京都千代田区大手町1-5-1 大手町ファーストスクエア イーストタワー
- NTT研究企画部門
北米研究開発拠点[編集]
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララ郡サニーベール
- NTT Research, Inc.
医療機関[編集]
NTT東日本関東病院
旧・逓信病院を引継ぎ運営を実施している。企業立病院であるが、NTTグループ関係者以外も利用が可能である。NTT東日本が運営する医療機関としては以下の3病院がある。なお、NTT西日本においては2021年をもって病院運営から撤退している。
- NTT東日本関東病院(旧関東逓信病院) - 東京都品川区東五反田
- NTT東日本札幌病院(旧札幌逓信病院) - 北海道札幌市中央区
- NTT東日本伊豆病院(旧伊豆逓信病院) - 静岡県田方郡函南町(なお函南町はNTT西日本のエリアである)
なお、以下の病院は運営が他法人に移管された。
- NTT東日本東北病院(旧東北逓信病院) - 宮城県仙台市 - 2016年をもって東北医科薬科大学に移管
- NTT東日本長野病院(旧長野逓信病院) - 長野県長野市 - 2013年をもって社会福祉法人ハイネスライフに移管
- NTT西日本東海病院(旧東海逓信病院) - 愛知県名古屋市中区 - 2021年をもって医療法人桂名会に移管
- NTT西日本金沢病院(旧金沢逓信病院) - 石川県金沢市 - 2014年をもって社会医療法人財団董仙会に移管
- NTT西日本大阪病院(旧大阪逓信病院) - 大阪府大阪市天王寺区 - 2019年をもって医療法人警和会に移管
- NTT西日本京都病院(旧京都南逓信病院) - 京都府京都市南区 - 2016年をもって医療法人社団洛和会に移管
- NTT西日本松山病院(旧松山逓信病院) - 愛媛県松山市 - 2020年をもって社会医療法人真泉会に移管
- NTT西日本九州病院(旧九州逓信病院) - 熊本県熊本市中央区 - 2011年をもって医療法人創起会に移管
- NTT西日本長崎病院(旧長崎逓信病院) - 長崎県長崎市 - 2014年をもって医療法人昭和会に移管
CI[編集]
ロゴ[編集]
シンボルロゴはダイナミックループと呼ばれる。NTT誕生の際、グラフィックデザイナーの亀倉雄策がCIデザイン会社パオスから発注を受けて制作担当、17世紀に数式化されたトロコイド曲線の中の無限運動閉曲線を元にデザインされた。
ドメイン名[編集]
NTTはインターネットドメイン名として、JPccTLDの運用初期から『ntt.jp』を有していた。
JPNICがセカンドレベルドメインを導入した際、NTTはドメイン名が広く認知されていることを理由に特別に『ntt.jp』の継続使用を許されていたが、のちにco.jpドメインへと移行(ntt.co.jp)した。同様に、NTTデータは『nttdata.jp』ドメインの継続使用を許されていたが、のちにco.jpドメインに移行(nttdata.co.jp)した。
高エネルギー物理学研究所(KEK、当時『kek.jp』を保持)にも同様の措置がなされたが、こちらはセカンドレベルドメイン導入後、汎用JPドメインが誕生するまでの間も『kek.jp』を使い続けていた。
ジェネリックトップレベルドメイン『.ntt』の管理主体となっており、NTTグループの一部のwedサイトで運用をしている。
キャッチフレーズ[編集]
CMのアイキャッチにおいてシンボルロゴの上にキャッチフレーズが添えられていた。
- 1985年(昭和60年) - 1986年(昭和61年):未来を考える人間企業
- 1995年(平成7年) - 1996年(平成8年):電話の先へ。
- 1996年(平成8年) - 1997年(平成9年):ひろがるマルチメディア
- 1997年(平成9年) - 1998年(平成10年):マルチメディアは世界をむすぶ
- 1999年(平成11年) - 不明:グローバル情報流通企業
俗称[編集]
1990年代(平成2年 - 平成11年)前半のパソコン通信の全盛期、キーボードの「N」「T」「T」に刻印されたカナ文字から、ニフティサーブなどのパソコン通信のコミュニティを中心に、隠語的に「みかか」とも呼ばれ、パソコン通信やインターネットのダイヤルアップ接続にかかる高額な電話料金は「みかか代」と表現することも多かった(詳細はみかかの項参照)。