ラーメン二郎
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種類 | 有限会社(特例有限会社) |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒154-0003 東京都世田谷区野沢4丁目9番15号 (登記上の本店) |
本店所在地 |
〒108-0073 東京都港区三田2丁目16番4号 (三田本店) |
設立 | 1968年(昭和43年)[1] |
業種 | 小売業 |
代表者 | 山田拓美 |
関係する人物 | 餌 |
ラーメン二郎(ラーメンじろう)は、東京都港区三田に本店を構えるラーメン店、およびのれん分け店。 同本店の店主・創業者である山田拓美の登録商標[2][3]。
歴史[編集]
創業は1968年(昭和43年)で、東京都目黒区の都立大学駅近くに当初「ラーメン次郎」の名前で開店した。これは開店前年の1967年1月にエースコックから発売されて人気となっていたインスタントラーメン、「ラーメン太郎」を捩ったものとされている[4][5][6]。
店主の山田は和食料理人で、ラーメンについては全く知識がなかった。最初は「ラーメンぐらい何とかなるか」とたかをくくってラーメン店を出店したが、開店当初から半年間は1日あたりの売上が昼前から深夜まで営業しても20杯以下と低迷していた。様子を見かねた近所の中華料理店店主が自分の中華料理店で修業するようにすすめ、山田はその勧めに応じて3か月間の修行をした。また、近隣にあった雪印乳業の社員子弟学生寮に住んでいた北海道出身の客から受けた助言を参考にし、独自の味を作り出した。提供するラーメンのボリュームと味付け、山田の人柄が学生に受けたことから店は繁盛した[4][5]。
1970年代には慶應義塾大学三田キャンパスのある東南の角に当たる交差点脇での営業を開始。1970年代前半、目黒区による呑川の河川改修(暗渠・緑道化)工事のために店舗を移転することとなり、客として来ていた慶應義塾大学の学生から情報提供された港区三田・三田通りの元洋食屋店舗にて営業を再開した。ここは慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇であり、最寄りの鉄道駅(田町駅や三田駅)と三田キャンパス正門との導線上にあった。ここへの移転の際、ペンキ屋が新店舗の看板の「次郎」とすべきところを間違えて「二郎」と書いてしまったことから、以降はそのまま「ラーメン二郎」表記で通している[4][5]。
1986年4月発売の山本益博『東京味のグランプリ〈1986〉』で山本は飲食店を星の数で評価した際、ラーメン二郎は無星の評価だった[7][8]。1986年発売の『週刊少年マガジン』50号掲載の『ミスター味っ子』「焦がしネギの風味」の扉絵でぶたダブルが描かれており、慶應大学出身者である作者の寺沢大介が「ラーメンの帝王」というフレーズを使った紹介文を添えている[9]。1996年4月20日発売の『島耕作の優雅な1日』では、作者の弘兼憲史がラーメン二郎について取材した内容をイラスト入りでレポートしていた[10]。
1990年代に三田通りの拡幅計画が実施される見通しとなり、これによって二郎も影響を受けることが判明したため、山田は店を閉めることを考えた。しかし、常連客は店の継続を望み、地元慶應義塾大学の学生有志は当時改装が予定されていた慶應義塾大学西校舎学生食堂へ誘致の署名活動を1990年代前半に行ったが「学内の食堂に塾生以外の外部の客行列ができるのはまずい」など諸般の事情で実現に至らず、三田通りの店舗は1996年(平成8年)2月末に閉店した。同年6月から桜田通り沿い(慶應義塾大学正門近く)に移転し、営業を再開したのが現在の三田本店である[4][5][11]。
2003年には「ラーメン二郎」の名称が商標登録され、権利者は「山田拓美」、区分は「ラーメンを主とする飲食物の提供」で、登録日は2003年(平成15年)3月14日である[2][注釈 1]。
2009年(平成21年)には、イギリスのガーディアン紙の「世界で食べるべき50の料理」に選ばれている[12][注釈 2]。
2019年(平成31年)には、創業店主の山田拓美の長年の功績を称え、「慶應義塾特選塾員」に表彰された[13]。
特徴[編集]
店舗[編集]
三田本店、また店舗の看板は黄色で黒文字の事が多く(京都店のみ、府の景観条例の関係で白色で黒文字及び赤文字)、カウンターは赤色である事が多い。 前払いの食券制(タバコの自販機を流用したプラスチック製札式。一部の店舗は券売機による感熱紙チケット方式)であり、麺の量や豚の量によって色分けされている[14][15][16][17][18]。 社訓があり、店内に掲出、また従業員が社訓をあしらったシャツを着ている店舗がある[19]。
メニュー[編集]
提供されるのは豚骨ベースの醤油味のラーメンが主であり、メニューは麺の量と叉焼(「ブタorぶた」と表記される)の量の組み合わせで構成されている[15][16][20]。
- 具は野菜(モヤシとキャベツ)と「ぶた」とよばれるチャーシューが載せられる。
- スープはチャーシュー用の豚肉や豚骨にキャベツの芯やニンニクなどの香味野菜、背脂を煮込んで作られる。豚の脂が混ざり脂肪分が多い。そのスープの調整に加えられるタレはチャーシューの煮汁をベースにした醤油味で、以前、千葉県の柴崎味噌醤油店[21]が製造しカネシ商事[22][23]が販売していた「ラーメン二郎専用醤油」とラベルに表示されている醤油を使用していた[24][25][注釈 3]。現在は株式会社エフゼット[注釈 4]による「ラーメン二郎専用しょうゆ」及び「ラーメン二郎専用みりん風調味料」を使用している。
- 麺は基本的に比較的太く、ごわごわした平打ち麺となっている。三田本店を含めた殆どの店舗で自家製麺を行い、原材料として日清製粉の強力粉「オーション」を使用している[16][25][注釈 5]。
ラーメン二郎では基本的に、通常のラーメンのことを小(しょう)、大盛りラーメンのことを大(だい)と呼んでおり、中や普通、並といったメニューはない。また、小といっても一般的なラーメンに比べると、小で普通のラーメンの特盛かそれ以上、大で普通のラーメンの大盛り2杯分相当と量が多い。
三田本店以外の店舗では、味噌味・塩味、つけ麺や汁なし(油そばに似たメニュー。タレに背油や辛味、ネギなどを加え、少量のスープで伸ばしたものを麺に絡めて食べる。)、つけ味(スープにつけ麺のつけ汁を使用したメニュー)、生卵や生姜などの有料トッピング(店によっては常時、またはその日、もしくは期間限定で無料で実施)などのメニューも取り扱っている[15][16][20]。特に八王子野猿街道店2では、1年通して様々なメニューや有料トッピングを期間限定で提供している。また、かつて存在した大宮店では通常のラーメンより割高となるがチャーシューの豚肉として埼玉県産の銘柄豚「香り豚」を用いたラーメンを提供していた。
店内でビールを提供する店舗も存在する他、店の前には特定保健用食品飲料を主として多く扱う自販機があり、そこで購入した飲み物に限らないが飲み物を持ち込めることが多い[要出典]。
トッピングやカスタマイズ[編集]
基本、トッピングはニンニクのみ。店員が客に向けて「ニンニク入れますか?」と声を掛けるので「ニンニクを入れる、入れない」を答えるだけで注文が完結する[27]。
トッピングを聞かれた際に「ヤサイ」「ニンニク」「アブラ」「カラメ」の4つの変更が無料で可能である[16][15][18][28][29]。「ニンニク」は、おろし状〜粗みじん切りにされた生ニンニクが丼に入れられる。「アブラ」は、スープを作る際に煮込まれた粒状の背脂であるが、店舗によっては別途醤油などで味付けされた塊り背脂が丼内や別皿で供される。「カラメ」は、ラーメンで使用するタレを上から回しかけ、さらに濃い味に調製することである。 常連から始まった加減の要望が一般化し、独特の注文の仕方からインターネット上では呪文(ヤサイマシニンニクカラメスコシ、等)と呼ばれる。
麺量については、食券提出時あるいは食券確認時などに「麺少なめ」「麺半分」などといった要望を告げれば受け付けてくれる。(食券を提示する際に申し出れば基本のラーメンより「味薄目」「麺かため」「油濃さ薄め」「背脂少な目」などと、基本量や麺の茹で始めのタイミングで加減をしてくれる店舗もある。)
スラング[編集]
- ジロリアン
下記の条件のいずれかに該当する一部のラーメン二郎ファンを「ジロリアン」と表現することがある [18] [29] [19] [30] [31] [32]。
- 熱狂的なラーメン二郎ファン、またラーメンが好きなのではなくラーメン二郎が好きで、ラーメン二郎を食べ歩く人。おたくのように傾倒し、魅了されたり、こよなく愛する人。ソウルフードとしている人。
- 勝手にルールを作るカルト的なファン。
ライターの速水健朗は、彼らの多くが「二郎のラーメンが特別に美味しいわけではないが、食べずにいられない」「二郎はラーメンではなく二郎という食べ物である」といった価値観を持っていることを指摘し[33]、ラーメン二郎を食べることを修業とし巡業のように何度も訪れたり各地を回る信者のようだと考察している[34]。また、ラーメン二郎は他の多くのラーメンチェーン店と違って店舗ごとに味が異なるため、様々な店舗を訪れてその味の違いなどの情報交換をインターネット上(ブログなど)で行ってコミュニケーションの素材として楽しんでいる[34]。このようにジロリアンはラーメン二郎を「勝手なルールを元にしたゲーム」のように消費している面があるという[35]。
- 鍋二郎
ラーメン二郎でスープと麺を持参した鍋で持ち帰ること。極少数の店舗によって行われている。
- 家二郎
ラーメン二郎のファンが、その味の再現を目指して自宅で作る二郎風ラーメンを意味する語[36]。(テイクアウト専門店や通販などで購入できる二郎風ラーメンをそのように呼称することもあり、前述の「鍋二郎」とは区別される)
- 持ち帰り
前述の鍋二郎とは別に、一部の店舗において長期連休前や何らかの企画(チャリティーイベントなど)において、生麺、豚を販売する事があるが、2020年4月以降の新型コロナウイルス感染症拡大の影響によるテイクアウト需要の増加により、店舗において生麺、豚、調理済みスープがセットとなった(基準。店舗によっては具のヤサイがつく)のを販売を開始した。店舗によっては2021年に入っても継続して販売しているが、常時販売している店舗のほか、曜日及び時間限定で不定期に販売する店舗が存在する。
- 天地返し
スープから麺を引き上げ、盛られたトッピング(主にヤサイ)を代わりに沈める動作のこと。二郎の自家製麺は非常にスープが染み込む特徴があり、スープから引き上げることで麺の“伸び”を防ぐ役割がある。それと同時に茹でたヤサイに味を付ける役割もある。箸とレンゲを使って丼の中身を反転させる様子から名付けられたと思われる。なお店舗によってはレンゲが常備されていない店があるため、この動作がし難い場合がある。
三田本店以外のラーメン二郎[編集]
三田本店以外にもラーメン二郎と名乗る店舗が複数存在する。基本的にのれん分けによるもので、三田本店で修行した人(弟子)や、それらの弟子が開店した二郎直系店で修行した人が「ラーメン二郎」の名称を使用して出店している[14][37][38][39][40][41][42]。
各店舗、営業時間中は修行を経験した責任者が厨房に立つ鉄則に従っており、経営はそれぞれ独立して行っている[40][38][注釈 6]。
他に、ラーメン二郎に似せたラーメンを提供しそれを売りとした「ラーメン二郎インスパイア系」と表現される店も複数存在している。インスパイア系の中には過去「ラーメン二郎」を名乗っていながら実際には三田本店とは無関係の店舗もあったが、ラーメン二郎の商標登録に伴い店舗名を変更している[43]。 また、かつてはラーメン二郎を名乗っていたが、後に独自の屋号へ変更した店舗も存在する[44]。 近年、インスパイア店は関東以外の地方でも目にする機会が増えてきている[14][39][45][46]。
- 直系 - 山田拓美の下、本店で修行した直接の弟子が営業時間中に責任者として厨房に立つ店。いわゆるのれん分け。
- 亜流 - 弟子、孫弟子の派生店。
- a. 直系で出店後、2003年の商標登録や孫弟子の派生や破門の為に店舗名称変更(赤羽 (初代) →富士丸、武蔵小杉→526こじろう等)。
- b. 直系だが二郎の名を継がず自己流アレンジ加えて独立した店(いごっそう等)。
- c. 直系ではなく、孫弟子以降だが師匠を辿ると山田拓美にたどり着く店(ラーメン荘など)。
- インスパイア系 - 直系、亜流店での修行が無く、上記の店に似せて二郎風のラーメンを提供する店(ジローフードシステムおよびフューチャー・ファクトリーによりラーメン二郎の屋号で運営された各店舗(現在の「らーめん大」[43][47]))、千里眼、鷹の目、ジャンクガレッジ等。
店舗一覧(2022年1月現在)[編集]
現行の店舗[編集]
- 三田本店(東京都港区) - 基本として昼の部営業時は創業者の山田拓美が厨房に入り、夜の部営業時は息子の山田幹男が厨房に入る。
- 目黒店(東京都目黒区)
- 仙川店(東京都調布市) - 2005年1月より、現店主が2代目に就く。
- 新宿歌舞伎町店(旧・歌舞伎町店)(東京都新宿区) - 2016年10月、店舗を移転し、支店名を改称。
- 品川店(東京都品川区)
- 新宿小滝橋通り店(東京都新宿区)
- 環七新・新代田店(旧・環七新代田店)(東京都世田谷区) - 2015年5月より、現店主が2代目に就き、支店名を改称。
- 八王子野猿街道店2(旧・八王子野猿街道店)(東京都八王子市) - 2006年6月、店舗を移転し、支店名を改称。店主の実父は、新小金井街道店店主であった。
- 池袋東口店(東京都豊島区)
- 亀戸店(東京都江東区) - 2013年4月より、現店主が2代目に就く。実兄は湘南藤沢店店主である。
- 京急川崎店(神奈川県川崎市川崎区)
- 府中店(東京都府中市) - 2005年に当時の店舗が入っていたテナントの2階へ移動。2006年に店舗を移転。
- 松戸駅前店(千葉県松戸市) - 新規開店時の店主はのちの赤羽店(2代)の店主。2012年3月に赤羽店開店により現在の新潟店店主が2代目に就くが、2015年8月に新潟店開店により現店主が3代目に就く。
- めじろ台店(旧・めじろ台法政大学前店)(東京都八王子市) - 2017年5月、店舗を移転し、支店名を改称。
- 荻窪店(東京都杉並区) - 2016年1月より、現店主が2代目に就く。
- 上野毛店(東京都世田谷区)
- 京成大久保店(千葉県船橋市)
- 環七一之江店(東京都江戸川区)
- 相模大野店(旧・相模大野駅前店)(神奈川県相模原市南区) - 2009年7月、店舗を移転し、支店名を改称。
- 横浜関内店(神奈川県横浜市中区)
- 神田神保町店(東京都千代田区) - 2017年12月、店舗を移転。
- 小岩店(東京都江戸川区)
- ひばりヶ丘駅前店(東京都西東京市)
- 桜台駅前店(東京都練馬区)
- 栃木街道店(栃木県下都賀郡壬生町)
- 立川店(東京都立川市)
- 千住大橋駅前店(東京都足立区)
- 茨城守谷店(茨城県守谷市)
- 湘南藤沢店(神奈川県藤沢市) - 実弟は亀戸店店主である。
- 西台駅前店(東京都板橋区) - 2016年10月、店舗上の都営地下鉄三田線高架橋脚耐震補強工事とそれに伴う店舗改築の為、仮店舗へ移転。2018年11月、工事完了により、元の場所へ再移転。
- 中山駅前店(神奈川県横浜市緑区)
- 仙台店(宮城県仙台市青葉区)
- 札幌店(北海道札幌市北区)
- 会津若松駅前店(福島県会津若松市)
- 新潟店(新潟県新潟市中央区) - 店主はかつて、松戸駅前店の2代目店主であった。
- 川越店(埼玉県川越市)
- 京都店(京都府京都市左京区)
- 越谷店(埼玉県越谷市)
- 前橋千代田町店(群馬県前橋市)
- 千葉店(千葉県千葉市中央区)
- 大宮公園駅前店(埼玉県さいたま市大宮区) - 店主はかつての大宮店店主(現、「肉うどん さんすけ」店主)の実弟である。
- ひたちなか店(茨城県ひたちなか市)
かつてあった店舗[編集]
- 吉祥寺店(東京都武蔵野市) - 1986年開店。2001年4月に「ラーメン生郎」として独立。2015年4月閉店。「ラーメン生郎」となったのは、近隣にある成蹊大学の学生の悪戯によって看板の文字を赤テープで「ラブメン生郎」と読めるように書き加えられたことによる。跡地には「成蹊前ラーメン」が2015年6月に開業、二郎系であるのみならず、黄色地に赤い文字の看板というスタイルも踏襲している。
- 赤羽店(初代)(東京都北区。2012年から2017年まで存在した店舗(2代)とは別) - 1991年開店。2001年に「◯二郎」→「ラーメン富士丸」として独立。◯二郎は、「オージロウ」と読み、王子神谷の二郎という意味。その前は、「ラーメン二郎よしぐま」とも呼ばれていた。
- 武蔵小杉店(神奈川県川崎市) - 1996年5月開店。2011年1月に「ラーメン こじろう526武蔵小杉店」として独立。
- 代々木店(東京都渋谷区) - 1998年9月開店。1999年4月閉店。
- 町田店(東京都町田市) - 1999年3月開店。2002年9月に閉店。2003年、静岡県富士市に「ラーメン大山」を開業。
- 高田馬場店(東京都豊島区) - 2002年5月開店。2010年1月移転。2013年3月閉店。
- 大宮店(埼玉県さいたま市大宮区) - 2008年8月開店。2016年11月閉店。2017年10月、名古屋市にうどん店「肉うどん さんすけ」を開業。
- 赤羽店(2代)(東京都北区) - 2012年1月開店。初代松戸店店主が、店舗をのちの新潟店店主に託して開店。2017年4月閉店。
- 新橋店(2代)(東京都港区) - 2011年9月開店。2018年4月閉店。
- 新小金井街道店(東京都小金井市) - 2001年3月開店。2018年12月閉店。因みに、店主は八王子野猿街道店2店主の実父である。
- JR西口蒲田店(東京都大田区)(旧・鶴見店(横浜市鶴見区)) - 1996年2月、鶴見店として開店。2013年3月より長期休業。2014年11月、移転しJR西口蒲田店として営業再開。2019年10月閉店。
フーズ系(かつて1980〜90年代よりラーメン二郎 堀切・虎ノ門・新橋・神田・品川・蒲田支店と名乗っていた店)は上述の通り此処に含まない。
事件[編集]
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- 2015年11月12日夜、亀戸店にて、店舗近隣に路上駐車された住民が、その車で来店した男性客に注意をするも男性客は逆上。住民と小競り合いとなり男性客が住民を殴って軽傷を負わした為、通報により警察が出動。警察が男性客を取り調べたところ、酒気帯びが発覚。男性客はその場で道路交通法違反(酒酔い運転)と傷害の各容疑で逮捕された。店舗によると男性客は常連客であった。なお、この事件以後同店は路上駐車での来店を禁止した。
- 2016年3月18日夜23時頃、八王子野猿街道店2にて、営業を終えた店主が店舗裏の駐車場へ移動した時、背後から男性に頭部を鈍器で殴られ、所持していた売上金約70万円が奪われる強盗事件が起きた。店主は頭部に軽傷を負い、その影響で19〜21日(21日は店舗定休日)が休業となった。
- 2016年10月11日、神田神保町店にて、7日夜から11日朝の営業時間外に何者かが店内に侵入し、食券券売機に内蔵していた現金約20万円が盗まれる窃盗事件が起きた。その影響で店舗は数日間、臨時休業。その後、2017年1月13日に別の窃盗事件で逮捕されていた22歳の男性が、同店での窃盗を自供し、再逮捕された。 また、この事件のテレビでの報道において、石川県から来たというオタク風貌の男性が、後に語り継がれるほど有名となる「(神田神保町店は)レベルの高い合格点を超える二郎を、オールウェイズ出してくれる」という至言を残した。
- 2017年4月2日、京都店にて新規開店当日、新規開店若しくは店主交代か店舗移転でのリニューアルオープンの際、混雑対応で通例ならば朝の5時台あたりに店舗にて整理券配布するところを日が変わった2日午前0時過ぎに実施。瞬く間に整理券は配布終了となった為、以降に来店した一部の客と店との間で一悶着が起きた。その日の営業終了後、店主は同店のTwitterアカウントにて、予定を早めた整理券配布について謝罪した。その影響があってか、2019年3月10日に開店した越谷店では、京都店の反省を生かして当日朝方に配布した番号入り券を使っての抽選式(当選者は店舗のホームページにて発表)を導入した。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ “「ラーメン二郎」創業者の初ドキュメンタリーをNONFIXで”. 産経ニュース (2022年3月23日). 2022年3月23日閲覧。
- ↑ 2.0 2.1 日本国商標登録 第4652738号
- ↑ 有限会社ラーメン二郎の情報
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 “ラーメンではない食べ物?「ラーメン二郎」って何”. G-Search "side B" (ジー・サーチ). (2010年1月22日)
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 伊藤剛寛 (1996年4月13日). “[ひゅーまん探訪]「ラーメン二郎」経営 慶大生と歩んで四半世紀” (日本語). 読売新聞朝刊 東京版 (読売新聞社): p. 7
- ↑ “インスタントラーメン大研究 半世紀に渡る進化の歴史と次の商品”. 日経トレンディネット (日経BP社). (2008年9月24日)
- ↑ 山本益博『東京味のグランプリ〈1986〉』講談社、1986年4月。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4062025904。
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- ↑ 40.0 40.1 “ラーメン二郎に“お家騒動”破門店「こじろう」衣替えで挑発”. ZAKZAK. 産経デジタル (2011年2月9日). 2011年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月8日閲覧。
- ↑ 牧田幸裕『ラーメン二郎にまなぶ経営学 ―大行列をつくる26(ジロー)の秘訣』東洋経済新報社、2010年12月3日、pp.148-149。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4492502136。「三田直系店はフランチャイズではなく、のれん分け制をとっている。二郎直系の新店主は基本的に三田本店または直系店での修行をこなす。」
- ↑ 北日本新聞 (2008年1月21日). “ぐるっと人往来 ラーメン二郎目黒店店主 若林 克哉さん(44)富山市出身、東京都目黒区在住 熱烈ファンから開業” (日本語). 北日本新聞朝刊 (北日本新聞社): p. 8. "大学時代から通い詰め、熱烈なファンだったラーメン二郎(本店、東京・三田)に弟子入り。のれん分けを許され、平成七年に目黒店をオープンさせた。"
- ↑ 43.0 43.1 “「二郎 品川店」(品川/ラーメン)”. フォーリンデブはっしー 公式ブログ (フォーリンデブはっしー). (2013年9月22日)
- ↑ http://rocketnews24.com/2013/06/01/335202/[リンク切れ]
- ↑ ぐうたび北海道 札幌の今ブームなラーメン「二郎インスパイア」系
- ↑ “ラーメン二郎に似たようなラーメンが増えてきた!! 二郎インスパイア系?”. All About (ジー・サーチ). (2003年6月24日)
- ↑ “「らーめん大」が二郎系インスパイアチェーンでも頭一つ大きくなれたワケ”. ホットペッパー (刈部山本). (2019年12月4日)
参考文献[編集]
- 速水健朗『ラーメンと愛国』講談社、2011年10月。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4062800419。
関連項目[編集]
- のれん分け
- グループ魂 - 『ラーメン二郎』という題名の楽曲がある。
- 打首獄門同好会 - 『私を二郎に連れてって』という題名の楽曲がある。
- マキシマム ザ ホルモン - 『maximum the hormone II ~これからの麺カタコッテリの話をしよう』という楽曲の歌詞およびPVにラーメン二郎が登場する。
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