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読売新聞

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読売新聞(よみうりしんぶん、題字: 讀賣新聞、英: The Yomiuri Shimbun)は、読売新聞東京本社、読売新聞大阪本社および読売新聞西部本社が発行する新聞。朝刊発行部数は663万部と国内首位の発行部数を誇る代表的な日本の全国紙である。デジタル版(ニュースサイト)として「読売新聞オンライン」が存在する。

題号は江戸時代に瓦版を読みながら売っていた「読売」に由来する。創刊時には、他に「ふりがな新聞」「やはらぎ新聞」「東西南北」などの案があった。

2009年(平成21年)の新聞通信調査会の調査では、全国紙5紙の中では最も保守的論調であるとされている(5点を中心に保守をプラス、革新をマイナスに0-10点でスケールを取ったとき、読売新聞5.6、産経新聞5.3、日本経済新聞5.2、毎日新聞5.0、朝日新聞4.4)。

歴史的に見れば、読売新聞の論調はその時々の時代背景に応じて変化し、一定ではない(ただし、この流れは全国紙で最も革新とされる朝日新聞も同様である)。

歴史[編集]

  • 1874年11月2日 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊。初代社長は岐阜県出身の子安峻。創刊号は表裏2ページ。創刊当時は1日おき発行の隔日刊紙で、漢字によみがなを振った画期的な庶民のための新聞だった。しかし、創刊号の発行部数は約200部で、実売は半分にも満たなかった。
  • 1875年 日刊紙に移行。年末には発行部数が1万7000部を達成。
  • 1891年5月15日 紙齢5,000号を達成。
  • 1897年1月1日 尾崎紅葉作の小説『金色夜叉』が連載開始。
  • 1904年5月7日 本紙直接購読者を対象に、電報料読者負担で重大事件の速報を電報で伝える「電報通信」サービスを開始する(〜1905年9月29日)。
  • 1905年4月8日 紙齢10,000号を達成。
  • 1906年10月2日 現在のスポーツ面にあたる「運動界」欄を新設。
  • 1914年
    • 『身の上相談』(現在の『人生案内』)連載開始。
    • 4月3日 現在の生活家庭面(くらし面)にあたる「よみうり婦人附録」新設。与謝野晶子が詩や評論を執筆。
    • 8月1日 横浜市に初の地方支局を開設。
  • 1917年12月1日 商号を「日就社」から「読売新聞社」に改称。
  • 1919年1月5日 紙齢15,000号を達成。
  • 1923年9月1日 関東大震災で社屋が炎上。1920年代初めには13万部を超えていた部数が5万部台にまで落ち込む。
  • 1924年2月25日 関東大震災後の経営難から、前警視庁警務部長、後の自民党衆議院議員である正力松太郎が買収。正力の社長就任で今日に至る読売新聞発展の基礎を築いた。
  • 1925年11月15日 「よみうりラジオ版」新設(テレビ・ラジオ欄=番組表の先駆け)。
  • 1931年
    • 6月1日 社説の掲載を開始。
    • 11月25日 夕刊の発行を開始。
  • 1932年10月22日 紙齢20,000号を達成。
  • 1934年12月26日 大日本東京野球倶楽部(現・読売ジャイアンツ)創設。部数拡大に大きく貢献する。
  • 1938年 朝刊発行部数が100万部を突破。
  • 1942年8月5日 新聞統制により、報知新聞社を合併。「讀賣報知」に改題。
  • 1944年 朝刊発行部数が191万部を達成。
  • 1945年
    • 5月25日 東京大空襲で銀座社屋が炎上、築地本願寺に仮事務所を設置。
    • 5月27日 読売報知・朝日新聞・毎日新聞・日本産業経済・東京新聞の5社共同による「共同新聞」を発行。
    • 7月27日に論評なし公表されたポツダム宣言を、翌7月28日「笑止、対日降伏條件」と報道し、同日、鈴木貫太郎首相の記者会見上の「黙殺」発言を7月29日に報道。海外にも受信され連合国が硬化する一因となる。
    • 戦後は朝刊発行部数160万部からスタートする。
    • 9月15日 本社が千代田区(当時: 麹町区)有楽町の読売別館(現在の読売会館の場所)に移転。
    • 10月23日 経営方針をめぐり、第1次読売争議が発生(12月11日終結)。
    • 11月12日 「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止(国語国字問題参照)を推進。
    • 正力松太郎社長がA級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される(1947年不起訴で釈放後公職追放)。
    • 馬場恒吾、社長就任。
  • 1946年
    • 5月1日 題号「讀賣新聞」に復帰。
    • 6月13日 第2次読売争議が発生(10月16日終結)。
    • 7月1日 従来の縦書き楷書体題字に代えて印南渓龍が書いた横書きの隷書体による現行題字の使用を開始。
    • 8月10日 紙齢25,000号を達成。
    • 9月1日 「読売信条」を発表。
  • 1947年12月6日 読者投票による「日本十大ニュース」の募集を開始(海外版は1989年から開始)。
  • 1949年
    • 3月1日 朝刊コラム「編集手帖」スタート(1953年8月から「編集手帳」に改題。「編集手帖」以前のコラムのタイトルは「明窓」であった)。
    • 11月26日 「夕刊読売」創刊(夕刊が復活、1951年9月に朝夕刊セット制再開により読売本紙に統合)。秋好馨の4コマ漫画『轟先生』が連載開始。
  • 1950年6月1日 読売新聞社が株式会社に改組。
  • 1951年 正力松太郎の公職追放解除。
  • 1952年11月25日 大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊(後の読売新聞大阪本社)し、務臺光雄(後の読売新聞社社長・名誉会長)が初代社長に就任した。それまで東日本のブロック紙にすぎなかったが、関西・西日本に本格進出を果たした。朝日新聞・毎日新聞と並ぶ全国紙としての礎を築く。
  • 1953年8月28日 読売新聞社などの出資による日本初の民間テレビ局・日本テレビ放送網(日テレ)が本放送を開始。
  • 1955年1月1日 正力松太郎の命令により、原発導入を図るため大キャンペーンを展開開始。
  • 1955年4月1日 英字新聞『ザ・デイリー読売』(THE DAILY YOMIURI)創刊。
  • 1958年 朝刊発行部数が300万部を突破。務臺光雄が大阪に準キー局の讀賣テレビ放送を開局させる。
  • 1959年5月1日 札幌市に北海道支社開設。現地印刷開始。
  • 1960年5月10日 紙齢30,000号を達成。
  • 1961年5月25日 富山県高岡市に北陸支社開設。現地印刷開始。
  • 1962年4月1日 読売日本交響楽団設立。
  • 1964年9月23日 当時九州地方最大の都市であり、鉄道交通の要所であった福岡県北九州市に「読売新聞西部本社」設立。九州・山口版の現地印刷開始。
  • 1966年6月29日 この日から7月2日まで行われたビートルズ日本公演を主催。
  • 1967年
    • 朝刊発行部数が500万部を突破。
    • 5月 家庭面で「こどもの詩」のコーナーがスタート。
  • 1971年10月29日 読売新聞社、本社が中央区銀座から千代田区大手町1丁目7番1号に移転。跡地はプランタン銀座を経てマロニエゲート(銀座2&3)になっている。
  • 1974年
    • 2月1日 紙齢35,000号を達成。
    • 10月11日 昭和天皇・香淳皇后が読売新聞社(大手町)に来訪。
    • 11月2日 創刊100周年。
  • 1975年
    • 北東北(青森県・岩手県・秋田県)向けの新聞印刷工場を青森市に開設(分散印刷工場の第一号)。
    • 3月25日 名古屋市で読売本体との姉妹提携紙として「中部讀賣新聞」創刊。創刊当初の数年間は中部版独自の縦組み題字であったが、その後他の本社と同じ横組みとなる。なお中部読売は当初、不当廉売事件などの影響もあり、全国紙の一部でありながら日本新聞協会の正会員の申請ができなかったが、1987年に正会員となった。
  • 1977年2月 朝刊発行部数が720万部と『朝日新聞』を抜き、日本一となる(世界一の発行部数となったのは1990年代、ソ連→ロシアの『プラウダ』『コムソモリスカヤ・プラウダ』などが部数を大きく減らして以後である)。
  • 1978年 『ギネスブック』(現:『ギネス世界記録』)(1979年版)に「共産圏を除いて世界で最大の発行部数をもつ新聞」と記載される(2009年版にも「日刊紙の最大発行部数」として掲載)。
  • 1979年 渡邉恒雄(現読売新聞グループ本社会長)が論説委員長に就任。
  • 1980年 空白の一日事件や読売ジャイアンツ長嶋茂雄監督解任に対する不買運動に遭う。
  • 1980年 宝塚市学童誘拐事件において、被害者の安全を考慮せずに報道協定を破りフライング報道を行う。兵庫県警記者クラブは3か月間除名する処分に留めた。
  • 1982年4月1日 植田まさし作の4コマ漫画『コボちゃん』が連載開始。
  • 1987年10月25日 紙齢40,000号を達成。
  • 1988年6月1日 中部讀賣新聞社が読売本体と合併し読売新聞中部本社となり、題号から「中部」が外れる。
  • 1989年12月1日 被疑者の呼び捨てをやめ、「容疑者」などの呼称を付ける。
  • 1994年
    • 5月 日本ABC協会の報告により、朝刊発行部数が1000万部を突破(1001万9985部)。
    • 11月3日 当時の社長である渡邉恒雄の下で、主要なマスコミで初めて「憲法改正試案」を発表して、日本国憲法の改憲を主張。憲法について再考する一つのきっかけになった。
  • 1995年6月16日 デジタル版であるYOMIURI ONLINE(現在の読売新聞オンライン)を開設。
  • 1999年2月1日 経営難の中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。
  • 2000年
    • 1月1日 「読売信条」を改定。
    • 1月26日 全国の販売店の呼称を「読売センター」(略称: YC)に統一。これまでは東京と西部が「YSC」、大阪が「読売IC」の呼称だった。
    • 12月1日 紙面の文字拡大。「第二次文字拡大ブーム」に火を付ける。
  • 2001年
    • 1月 日本ABC協会の報告により、朝刊発行部数が1031万91部を達成(過去最高)。
    • 7月17日 紙齢45,000号を達成。
  • 2002年
    • 1月1日 読売新聞の題字下に記載されていた、「THE YOMIURI SHIMBUN」のローマ字が廃止。
    • 7月1日 グループ再編。株式会社読売新聞社を株式会社読売新聞グループ本社(グループ持株会社)と株式会社読売新聞東京本社に、株式会社よみうりを株式会社読売新聞西部本社と株式会社読売巨人軍に会社分割。中部本社はよみうりから読売新聞東京本社に分割承継(中部支社に格下げ)。大阪本社(株式会社読売新聞大阪本社)も株式交換により読売新聞グループ本社の完全子会社に移行。
    • 10月17日 新聞社で唯一、日本オリンピック委員会のオフィシャルパートナーになる。
  • 2004年
    • 1月1日 福岡市の九州地方における地方中枢都市としての高まりを受け、読売新聞西部本社が北九州市小倉北区明和町から福岡市中央区赤坂1丁目16番5号(読売新福岡ビル)に移転。
    • 12月1日 朝刊連載の4コマ漫画『コボちゃん』が、日本の全国紙の4コマ漫画では初めてカラー化。
  • 2005年4月10日 読売横浜ビル完成、移転。
  • 2007年10月1日 読売新聞グループ本社・日本経済新聞社・朝日新聞社の3社がインターネット分野による共同事業及び販売事業における業務提携、システム障害と災害時における新聞発行の相互援助協定を締結することを発表。
  • 2008年
    • 3月31日 紙面を大幅刷新。紙面の文字を拡大、14段組みから12段組みの「メガ文字」になる。1面下段のコラム「編集手帳」が横1列から縦2段に再編され、題字上に「THE YOMIURI SHIMBUN」のローマ字が復活する。夕刊題字のスクリーントーンが廃止。
    • 8月31日 大阪本社の「泉」のコーナーが終了。新コーナーへ引き継ぐ。
  • 2009年
    • 1月10日 創刊135周年記念企画として連日6回に渡り300の候補地を掲載し、4月中旬に「平成百景」を定めた。
    • 2月10日 1874年の創刊から現在に至るまでの紙面記事がインターネットで検索できる、日本初のオンラインデータベース「ヨミダス歴史館」のサービスが開始。
    • 2月27日 ウォールストリート・ジャーナルと編集、印刷、販売に関して提携することが発表され、2009年3月2日からアジア版の主な記事の見出しが日本語で夕刊2面に掲載され始めた。
    • 3月16日 創刊135周年記念企画としてコラム「ポケモンといっしょにおぼえよう! ことわざ大百科」を設け、子供の頃から新聞に慣れ親しむことわざ解説の連載開始。その後「熟語大辞典」、「慣用句全集」、「わかる故事成語」と逐次シリーズ化され、この日以降一面には、「探せ!ポケモン どこかのページにことわざ大百科」のタイトルと共に、ピカチュウのイラストが掲載されている。
    • 6月1日 島根県石見地方の発行が西部本社から大阪本社に変更し、島根県内では全県で大阪本社版の発売とした。
  • 2010年
    • 3月31日 東京本社(大手町1-7)社屋建て替えを発表。地上30階・地下3階・延べ床面積約7万9800平米・高さ180メートルの計画で、2014年まで工事が行われた。当時の大手町社屋は2010年中に解体され、その間の仮社屋は東京都中央区銀座6丁目の日産自動車旧本社ビルを使用することとなった。
    • 10月1日 東京本社が千代田区大手町から中央区銀座の日産自動車旧本社ビルへの仮移転が完了。3年強の暫定期間だが、39年ぶりに銀座の本社が復活した。
  • 2011年
    • 3月3日 小学生を対象としたタブロイド判の週刊新聞『読売KODOMO新聞』創刊。
    • 3月13日 東日本大震災の情報を伝えるため、日曜日としては異例の夕刊を発行。
    • 6月20日 朝日新聞社との業務提携により、千葉県全域と東京都東部向け読売新聞の受託印刷を朝日新聞系の朝日プリンテック船橋工場(千葉県船橋市)で開始。
  • 2012年
    • 5月 スマートフォンによるサービス『読売プレミアム』を開始。
    • 7月 定期購読者向け特典として『Marie Claire Style』の配布を開始。
  • 2013年
    • 4月1日 英字新聞「ザ・デイリー読売」の題号を『ジャパン・ニューズ』に改題。
  • 2014年
    • 1月6日 東京本社(大手町)新社屋(読売新聞ビル、地上200メートル地上33F地下3F延べ床面積89,650平方メートル)が完成し、中央区銀座の仮社屋(日産自動車旧本社ビル)から移転。
    • 4月30日 西部本社がこの日をもって大分県での夕刊の発行を休止。朝夕刊セット地域から統合版地域に格下げとなるのは同県が全国初。
    • 11月7日 中学生・高校生を対象としたタブロイド判の週刊新聞『読売中高生新聞』創刊。
    • 12月1日 「適正報道委員会」を新設。今後は記事の「訂正」や「おわび」はすべて社会面に集約して掲載し、訂正などの有無をわかりやすくする。誤った理由も簡潔に説明する。地域版の「訂正」などは地域版に掲載する。
  • 2015年
    • 2月2日 記事中の洋数字の書体をゴシック体から明朝体に変更。
    • 4月9日 東京本社・北海道支社・北陸支社・中部支社発行分がこの日で紙齢50,000号を達成。
  • 2017年
    • 7月18日 中部支社が名古屋市中区栄1丁目17番6号の旧社屋から北側200メートルの広小路通沿いに面した場所に建設された「納屋橋東地区市街地再開発」(テラッセ納屋橋)の商業・業務棟(中区栄1丁目2番1号)に移転。
  • 2018年
    • 7月 宮崎日日新聞社へ印刷委託・受託合意。
  • 2019年
    • 1月1日 「読売新聞」の購読料を値上げした。朝夕刊のセット版は4,037円から363円引き上げて4,400円に、朝刊のみの統合版は3,093円から307円引き上げ、3,400円に改定。消費税増税時の2度を除き、値上げは1994年1月以来、25年ぶり。
    • 2月1日 YOMIURI ONLINEと読売プレミアムが統合し、定期購読者も追加料金無料のインターネットサイト『読売新聞オンライン』を新たに開設。
    • 7月19日宮崎日日新聞社佐土原センターへ西部本社朝刊(宮崎全域・鹿児島大半)委託印刷。
  • 2020年
    • 2月9日 横浜港着岸の新型コロナウイルス集団感染のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」へ読売新聞350部・ジャパンニューズ250部無料配布実施。(2月21日乗客下船/3月1日全員下船)。
    • 3月1日 読売新聞大阪本社が「緊急時の新聞発行に関する相互協定」を中国新聞社と締結。
    • 3月25日 読売新聞西部本社が「緊急時の新聞発行相互協定」を宮崎日日新聞社と締結。
    • 4月1日 岩手日日新聞社の完全子会社「青森高速オフセット」の全株式取得し完全子会社にする。
    • 4月1日 読売新聞と日本製紙が新聞古紙資源を100%国内で循環させる「クローズド・ループ」システム都内3区で稼働。
    • 4月1日 読売新聞西部本社と宮崎日日新聞社が締結した「緊急時の新聞発行相互協定」が発効。
    • 10月1日 「青森高速オフセット」を「青森読売プリントメディア」と改称。
  • 2023年
    • 3月25日 - 当日の朝刊紙面で「向こう1年値上げしない」と社告。同日ウェブサイトも更新。読売新聞は物価高騰が家計を圧迫する中で、読者に正確な情報を伝え、信頼に応える新聞の使命を全うすべきとし、虚偽の情報や偏った言論が拡散される中で、正確で公正な情報を提供する新聞の役割はより重要であり、読者にこれまで通り新聞を手に取ってもらえるよう、最大限努力するべきだ、と主張している。なお、このあと4月5日、朝日新聞が値上げを公表している。

 民主主義を支えるため、全国の取材網、戸別配達網を堅持

題字の遍歴[編集]

  • 創刊当時は縦書きだった。
  • 横書きの題字が初めて登場するのは、創刊1万号を達成した1905年4月8日の朝刊であるが、1万号の特集の単発的なものあった。
  • 本格的に横書きの題字が登場するのは戦後に入ってからで、今日に至っている。なお、1949年11月に当時は読売新聞とは別枠で独自に発行していた夕刊読売は創刊当初から縦書きだった。また1975年に創刊された中部読売新聞も、創刊された当初は縦書きだったが、すぐ横書きに統一されている。
  • 夕刊に掲載されていた題字のスクリーントーンは、夕刊読売が読売本紙と紙面統合された1951年9月から。以下脚注参照。
  • 横書きになってから、題字の下には「THE YOMIURI SHIMBUN」(夕刊はこの後に改行して「EVENING EDITION」)と表記されていたが、一度2002年1月に廃止された。その後2008年3月31日付夕刊からは朝刊と同様、題字上に「THE YOMIURI SHIMBUN」の表記が復活されている。

創業者[編集]

子安峻、本野盛亨、柴田昌吉が創業し、子安が初代社長(1874-1889)、本野が2代目社長(1889-1909)を務めた。子安峻(1836-1898)は、大垣藩士子安宗茂の長男として生まれ、江戸に出て砲術、蘭学、舎密学、英語などを学んだのち、1868年に外務省高官となり、傍ら1870年横浜毎日新聞の創刊に関与し、横浜で日就社を創立、1873年には、英和辞典『附音挿図英和字彙』を柴田昌吉とともに出版、翌年読売新聞を発刊した。

なお、三代目社長は高柳豊三郎(1910-1912)、四代目は本野英吉郎(1912-1917)、五代目は秋月左都夫(1917-1919)、六代目は松山忠二郎(1919-1924)が務めた。

人事[編集]

主筆[編集]

  • 高田早苗(半峰)(1887年8月1日 - 1891年12月31日)
  • 市島謙吉(春城)(1892年1月1日 - 1894年5月31日)
  • 中井喜太郎(錦城)(1894年6月1日 - 1901年10月22日)
  • 松平康國(1901年10月23日 - 1902年2月28日)
  • 石井勇(白露)(1902年3月1日 - 12月)
  • 足立荒人(北鴎)(1903年1月1日 - 1906年11月20日)
  • 竹越與三郎(三叉)(1906年11月20日 - 1907年6月27日)
  • 足立荒人(1907年6月27日 - 1910年3月20日)
  • 笹川潔(東花)(1910年3月20日 - 1913年12月28日)
  • 五来欣造(素川)(1914年2月10日 - 1915年8月)
  • 金崎賢(1915年8月 - 1918年3月30日)
  • 伊達源一郎(1918年5月1日 - 1919年9月1日)
  • 松山忠二郎(1919年9月1日 - 1921年)
  • 大庭景秋(柯公)(1921年)
  • 山崎光二郎(1930年3月 - 1933年1月15日)
  • 高橋雄豺(1933年11月10日 - 1945年10月24日)
  • 小林光政(1935年10月24日 - 1946年2月)
  • 岩淵辰雄(1946年6月14日 - 10月19日)
  • 馬場恒吾(1946年10月19日 - 1948年9月14日)
  • 安田庄司(1948年9月14日 - 1949年5月20日)
  • 小林與三次(1965年8月1日 - 1970年5月30日)
  • 渡邉恒雄(1985年6月26日 - )

組織[編集]

社会部[編集]

1953年には「読売新聞社会部」が第1回菊池寛賞を受賞(原四郎を中心とする同社会部の暗黒面摘発活動)、1955年には社会部記者の安部光恭が第3回菊池寛賞を受賞している。

また、読売新聞は、かつて立松和博、本田靖春(東京本社)、黒田清、大谷昭宏(大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。

競馬の予想記事や漫画欄を作ったりして、庶民向きの読みやすい紙面作りを進めたが、その推進役は編集局長になった柴田勝衛である。…この柴田が正力社長の下で起死回生を狙ったのが、日本各地に縄張りを持って君臨していた、素性の知れたヤクザの親分衆36人を選んだ企画であり、『人物の森』風の人物評伝に仕立てて連載すると、それが評判になり売上げを大いに伸ばした。

連載が終わった年の正月のことである。紋付きハカマに正装した36人の親分衆が市電を止めて数寄屋橋の大通りに並び、読売新聞社の正面玄関に向かい土下座して一斉に頭を下げると、「柴田編集長にご挨拶したいので、読んで頂きたい」と申し入れた。…柴田は悠然と正面玄関に現れたのであり、その前にひれ伏した親分衆の代表が、「われわれのような日陰者を、こんな晴れがましい紙面で世間様に紹介くださり、光栄の至りに思う次第であります。このご恩は孫子末代まで忘れることはせず、…、われらの血筋が続く限り読売新聞の進展に死力を尽くすことを、ここで一同で誓約いたします」と言って、粛然と引き上げていったそうである。

田辺則雄発行名儀人(昭和27年頃)の話によると、読売新聞の社会部は大躍進を遂げ、親分衆の協力による物凄い特ダネ続きとなり、下町衆の支持を受け売り上げを伸ばした。…社会部長の田辺則雄も、読売の名物男で、戸籍にバツ印(×)が11も付いており、幾ら日本の新聞界に人材がキラ星でも、前科11犯はそうザラにある話ではない。…親分衆から一目を置かれる存在だったという。こんな伝統があることが大きく影響して、朝日を始め他社は暗黒街の取材が仲々出来ないのに、読売の社会部だけはスクープを記録し続け、新聞界では未だに一頭突出するのだそうだ

読売新聞大阪社会部はコラム「窓」、長期連載「戦争」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が社会部長になってのち社会部は“黒田軍団”という異名で呼ばれた。しかし1980年代に社内で渡邉恒雄らによる保守的思潮が主流になると圧力が高まり、1987年に黒田は退社に追い込まれた。渡邉に放逐された記者は数多いが、渡邉が直接手を下すことはなかった。渡邉の意を体した周囲が該当する記者を左遷したり、仕事を取り上げたりして、退社に追い込むのが常であったと言われている。

医療情報部[編集]

読売新聞は、他の全国紙にはない医療専門の取材機関「医療情報部」を持つ。同部長である前野一雄は、自身が脳動脈瘤、次いで甲状腺がんを患った経験を生かして「脳動脈瘤がある人の不安と選択」(ISBN 4-88320-246-1)、「甲状腺がんなんて怖くない」(ISBN 4-385-36190-8)を著している(後者は杉谷巌との共著)。また、「『健康常識』ウソ・ホント55」(ISBN 4-06-257370-9)で世間に伝わる「健康常識」に疑問を呈している。

紙面・論調・歴史[編集]

現在の論調は、概ね中道右派・親米保守である。大衆主義とも評される。

2009年(平成21年)の新聞通信調査会の調査では、「最も保守的=10点、最も革新的=0点」という分布の中で、読売新聞は5.6点となって産経新聞の5.3点を上回り、全国紙の中で最も保守的であるとされた。日本経済新聞は5.2点、毎日新聞は5.0点、最も革新的な朝日新聞は4.4点である。

大垣藩士・子安峻、佐賀藩士・本野盛亨、柴田昌吉らの創業した読売新聞は、「文学新聞」として知られた。分かりやすい新聞、だれでも読める新聞を目指しただけでなく、西郷隆盛戦死の号外を自決した当日に出すなど早くから電信の導入をおこない、1877年 (明治10)、発行部数は2万5千部を突破して、早くも日本最大の発行部数を誇った。1887年 (明治20)には、立憲改進党や早稲田大学創設に携わった高田早苗が初代主筆となり、国会や憲法についての解説を記事にしたが、明治中期以降、部数が衰えた読売新聞は、1919年 (大正8)、白虹事件によって東京朝日を退社した松山忠二郎たちをむかえ、「大正デモクラシーの梁山泊」として、プロレタリア文学などの発表の場となるとともに、政治・経済の硬派記事を加え、部数も3万部から13万部に急伸させた。1923年 (大正12)、関東大震災の襲来にともない経営不振に陥った読売新聞は、1924年 (大正13)2月26日、警視庁刑事課長・警務部長を歴任し、虎の門事件で退官していた、まだ38歳の正力松太郎の手に委ねられる。

正力は、品川主計、小林吉政などの警察官僚を積極的に経営・販売に迎え入れ、「警察新聞」化をすすめる一方、アメリカのハースト系新聞社のイエロージャーナリズムにならい、警察ネタとセンセーショナルな記事を結合させる独自の紙面作りを推し進めた。とくに、暗黒街の取材に関しては他紙の追随を許さず、戦後は、原四郎社会部長の下、読売「社会部王国」を築き、「読売の在野精神」とよばれ、「庶民感覚」に根ざしたリベラルな論調を展開した。これは、絶対的な権力をもつ社長・社主の正力松太郎自身、自民党の政治家でありながら、社論に容喙することが少なく、また「販売の鬼」「販売の神様」と呼ばれた後任社長務臺光雄も、新聞の心臓部である編集に口を差し挟まなかったことが大きい。

1979年、渡邉恒雄の論説委員長就任以降、紙面の編集方針や論調は右派・保守主義となった。現在は基本的に自民党支持、改憲支持、日本経団連支持、新自由主義経済改革支持である。その一方、「大連立構想」以降の社説等で見られるように旧民主党やその支持母体である労働組合への論調は厳しいものが多かったが、民主党「も」政権に参加する「大連立」には積極的であるという側面もある。そのためか、民主党については、方向が違うために批判する場合だけでなく、税制改革のように基本的な方向は民主党主流派と一緒だが程度の違いがあるための批判という場合もある。これに関して言えば、同じ自民党支持でありながらも野党を批判する傾向が多い産経新聞とは一線を画していると言える。その他に、主筆・渡邉恒雄が戦争経験者であるため、特に靖国神社(特に遊就館)における歴史認識には批判的で、小泉純一郎の靖国参拝には反対していた。

「渡邉恒雄#靖国神社に対する見解」も参照

政府の政策に関し、政策分野によっては(憲法改正問題、防衛政策など)、社の見解(社論)を明確に打ち出すのが特徴である(「本社、憲法改正試案を発表」、1994年11月3日)。他方、不得意な政策分野については、基本的に官庁発表をベースに報道を行い、官庁発表に顕れていない問題意識を独自に掘り起こすような記事に紙面を割かないのも特徴である。また、個々の記者の見解が前面に出るような記事が少なく、社論に沿った記事がほとんどであることも特徴である。

原子力発電については正力松太郎が原子力委員会の初代委員長に就任した経緯から一貫して推進を主張しており、社説でエネルギー問題(例:石油価格高騰や再生可能エネルギー等)を論じた後の結びには、必ずと言っていいほど原子力発電推進の主張で締めくくっているほど原発には固執している。

また、新聞業界の権益を確保するために、民主主義の維持を大義名分として社説で新聞特殊維持を主張したり(2006年2月20日付社説)、新聞への軽減税率導入をたびたび主張したり(2015年12月20日・2016年2月20日付社説)するなどして、結局それが実施されるなど紙面の政治への影響も大である。その一方で先の軽減税率や2015年安保法案の報道に関しては、賛否両論があったにもかかわらず、読売はそれに賛成する記事や意見だけを取り上げ、反対する意見は取り上げることはなかった。

5大全国紙中で唯一の人生相談コーナー「人生案内」を紙面に持っている。また教育面は早稲田大学と提携。また2008年に読売ウイークリーを販売不振で休刊させて以降、週刊誌を発行していない唯一の全国紙となった。

読売新聞の読者層について、木村雅文は大阪商業大学JGSS(Japanese General Social Surveys、日本版総合的社会調査)研究センターの調査をもとに、「日経や朝日と比べて高卒(新制)の割合、ブルーカラーの割合、非正社員の割合が多い」としている。これら学歴、職業を反映して読者世帯の平均年収は、毎日と並んで、日経、朝日、産経に次ぐとしている(いずれも木村、2004 [3])。

全国紙への道[編集]

読売新聞社は、戦前に「九州日報」など日本各地の地方紙を買収して経営に参画し、全国進出を計画したが、第二次世界大戦に伴う新聞統制により、その計画は頓挫した。 1952年(昭和27年)11月25日、大阪府大阪市北区野崎町で「大阪讀賣新聞」の第一号を発刊した。東京の讀賣新聞社(現・読売新聞東京本社)とは別会社・別法人による「株式会社大阪讀賣新聞社」によって「讀賣新聞」が関西に進出し、全国紙としての体制を整えた。1953年4月1日付から、題字から「大阪」を外し、東京と同じ「讀賣新聞」の題号で発行。1971年から「読売新聞大阪本社」の呼称を使用。

1964年(昭和39年)9月23日、福岡県北九州市小倉北区砂津中津口(現・明和町1-11)で「読売新聞」の西部版第一号を発刊。当時の読売新聞西部本社は、読売巨人軍の運営会社、読売興業株式会社(後に『株式会社よみうり』に商号変更)の一事業として発足した。

1975年3月25日に、読売新聞の東海3県での発行としての形で、愛知県・岐阜県・三重県を対象地域とする『中部読売新聞』(題号:中部讀賣新聞、読み:ちゅうぶよみうりしんぶん)が創刊された。紙面は、東京で製作された紙面を一部共用し、読売本社と中部読売は編集・工務・販売・広告などの部門で互いに協力し合った。創刊号は、一般的な読売新聞の横並びの題字ではなく、中部読売独自による縦並びの題字が使われた。

毎週日曜には週刊の二部紙として日曜版「よみほっと」が一緒に封入されている。以前は「日曜版」→「y&y」という題名だった。また「y&y」の時代は「y&y日曜版」とは別に、週間のテレビ番組表「y&yテレビ」が木曜に連載されていたが、2008年10月の号から日曜版と一緒に封入されるようになった。

Jリーグのチーム表記問題[編集]

  • 1992年のナビスコ杯から1993年にかけてのJリーグ草創期、自社が当時メインスポンサーとして運営していたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)のチーム名を「読売ヴェルディ」とした(日テレも同じ。スポーツ報知=読売系スポーツ紙は「読売ヴェルディ川崎」とした)。
  • 渡邉恒雄は企業名を冠したことについて「プロ野球と同じようにJリーグも企業重視が必要だ」、「川崎製鉄、川崎重工業の商標で商標権侵害の恐れがある」、「東京への移転問題」などの理由を挙げていた。
  • Jリーグでは企業名は排除して自治体(市区町村名)+愛称で表記するように指導しており、1994年度以後のシーズンは企業名を排除して「ヴェルディ川崎」としてクレジットするようになった。
  • その他、横浜マリノスは「横浜」、横浜フリューゲルスは「AS」とした。これはフリューゲルスが当時長崎県、熊本県、鹿児島県をホームタウンに準ずる権限のある「特別活動地域」とした実質上の広域ホームタウンであることを考慮したが、これも1994年から「横浜M」「横浜F」に統一された。

注目を集めた報道・スクープ[編集]

  • 1953年、新宿暗黒街の暴力追放などのキャンペーン報道により、第1回菊池寛賞を受賞。
  • 1954年、第五福竜丸の被爆事件の特ダネを報道。一躍、世界に知られるようになる。
  • 連載「物価戦争」による物価引き下げのキャンペーン報道により、1966年度日本新聞協会賞を受賞。
  • 1962年8月28日、日本国内でサリドマイド児の存在を初めて明らかにした梶井正博士(北海道大学医学部)のデータをスクープした。それを受けて約半月後(9月13日)、ようやく大日本製薬はイソミンとプロバンMの販売中止(及び回収)に踏み切った。レンツ警告(1961年11月)から遅れること約10か月後のことであった。
  • 1968年、連載「昭和史の天皇」により、第16回菊池寛賞を受賞。
  • 1973年8月8日に起こった金大中事件で、韓国KCIAが介在していたことをスクープし、1974年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1977年、弘前大学教授夫人殺人事件の再審に関する報道により、第25回菊池寛賞を、また本事件に関する一連の報道により、1977年度日本新聞協会賞を受賞。
  • 企画「医療をどうする」により、1978年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 在韓日本人妻里帰りキャンペーン報道により、1986年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 1988年に発生した大阪府警察の巡査及び堺南署(現西堺警察署)署長以下の職員が組織ぐるみで主婦に占有離脱物横領の罪を着せようとした事件では、読売新聞記者がいち早く事件を耳にし、社会面に大きく特集記事を掲載したことから事件が発覚、主婦の冤罪が晴れた。この報道により、1988年度日本新聞協会賞を受賞した。 詳細は「警察官ネコババ事件」を参照
  • 1991年6月3日の雲仙・普賢岳噴火の写真報道により、1991年度日本新聞協会賞を受賞。
  • 企画「PKOぐったり“良識の歩み”」により、1992年度日本新聞協会賞を受賞。
  • 1994年の文化の日、日本のマスコミとしては初めての問題提起である「憲法改正草案」を発表し、憲法改正論議のさきがけとなる。しかし48年前の同月同日(日本国憲法公布の当日)に発行した『新憲法読本』で“新憲法をしっかりと身につけ新憲法を一貫して流れる民主主義的精神を自分たちのものとすることによって、われわれははじめて平和国家の国民としてたち直ることができるのである。”、憲法第9条について同書で“新しい時代の平和の典型として日本憲法を見るならば、ある程度の戦力保持の必要を漠然と感じる危惧感は、この憲法によって再生しようとする日本国民のヒューマニズムを踏みにじるものでしかない。それは単なる感傷の域を脱しない小市民的感情であろう”と述べていた事はあまり知られていない(つまり転向した)。
  • 日本の医療を取り上げた連載企画「医療ルネサンス」により、1994年度日本新聞協会賞を受賞。
  • 元日(1月1日)の一面トップ記事には、他紙のように連載特集記事ではなくスクープ記事を持ってくる。
    • 1969年(昭和44年)元日には「三菱銀行と第一銀行が合併」を報じた。既に両社の間では合併契約書が調印されており、この時点では正しい報道であったが、この報道を契機に第一銀行側で合併反対派が一大勢力となり、結局同年1月13日に合併が白紙撤回されたため、スクープは幻となった。
    • 1995年(平成7年)元日の「山梨のオウム施設近くでサリン残留物を検出」では、一連のオウム真理教事件報道のきっかけを作った。
  • 日本国内で初めて、第三者の女性から卵子の提供を受けた体外受精をスクープし、1998年度日本新聞協会賞を受賞。
  • ユーゴスラビア紛争・コソボ紛争に関する一連の写真報道により、1999年度日本新聞協会賞を受賞。
  • 2009年12月22日朝刊で、佐藤栄作とリチャード・ニクソンによる日米核持ち込み問題を独占スクープした。この報道は2010年度日本新聞協会賞を受賞した。
  • 2011年7月21日付朝刊に東電OL殺人事件で別人のDNAが見つかったと報道。真犯人はネパール人男性ではない可能性があることをスクープ。2012年度日本新聞協会賞を受賞した。

マスコットキャラクター[編集]

どれどれ[編集]

  • 2004年1月、読売新聞の創刊130周年を記念して、アニメーション作家で映画監督の宮崎駿(スタジオジブリ)の作による、「目玉の中に忍び込む昆虫」を表した新マスコットキャラクターを発表。名前は、2004年7月、一般公募によって「どれどれ」という名前が付いた。
「どれどれ」の特徴
  • 「大きな眼」は、将来を見通し、先見性を持って報道にあたる読売新聞の基本方針を示している。新聞を読んでいるのは活字を大切にする姿勢を、緑色は環境を大切にする姿勢を象徴している。
  • 「どれどれ」は、旺盛な探究心、好奇心を象徴する言葉である。
  • 2005年、スタジオジブリのプロデュースによる楽曲『どれどれの唄』(唄:拝郷メイコ)が発表され、読売新聞の企業CMに使われた。「どれどれの唄」は読売新聞各本社に電話した際、部署に繋ぐ際の保留音にも採用されている。
  • 因みに、宮崎駿は読売系列の日本テレビのマスコットキャラクター「なんだろう」も手掛けた。

だっち君[編集]

2002年に読売新聞夕刊のイメージキャラクターとして登場したコウモリのキャラクター。当初は夕刊のキャラクターであったが、後に購読申し込みのテレビCMや朝刊こども面のマスコットキャラクターにも起用された。読売新聞グループの中央公論新社が発行する『中公文庫』のイメージキャラクターとしても使われている。

読売新聞と読売ジャイアンツ[編集]

詳細は「読売ジャイアンツ」を参照

日本のプロ野球ファンの中で最も数が多い巨人ファンから見ると、読売新聞を巨人軍の「親会社」と考える者は多くても、巨人軍を読売新聞の「グループ企業」と見る向きは少ない[要出典]。そのため、巨人軍に「読売」色が前面に出るのを嫌う人達も少なくない(むろん、巨人ファンの大多数が読売新聞の読者というわけでも、あるいは読売新聞の論調を支持しているわけでもなく、あくまで巨人軍という球団のファンであるに過ぎない)。また、読売ジャイアンツの通称としては「巨人」がマスコミも含め一般に浸透しており、「読売」と呼称するのはむしろアンチ巨人の立場のファンに多く見られる。

  • 1980年、ファンから絶大な人気を得ていた長嶋茂雄が巨人軍監督を解任されると、ファンによる「読売新聞」不買運動が繰り広げられた。
  • ON対決となった2000年の日本選手権シリーズ後、特に九州地方で部数減の傾向となった。以降西部本社・大阪本社管内においては、地元の系列民放テレビ局(福岡放送と読売テレビ)への配慮から、それぞれ福岡ソフトバンクホークス・阪神タイガースの記事も同等に取り扱うようにしている。
  • 2002年、球団の経営母体が「株式会社よみうり」から「株式会社読売巨人軍」に変わったことにより、球団の正式名称も「東京読売巨人軍」から「読売巨人軍」に、またビジター用ユニホームの胸文字も、長年使われてきた「TOKYO」から「YOMIURI」に変更された。特にユニホームの変更は反感を買い、東京ドーム右翼席に抗議の横断幕が掲げられたこともあった(「YOMIURI」表記は2004年に廃止されている)。
  • 2004年、日本プロ野球選手会によるストライキが行われた際に、選手会を糾弾する報道を展開し、ファンの反発を招いた。
  • 近年は各地のプロ野球本拠地球場(千葉マリンスタジアムなど)で「読む声援 読売新聞」の広告看板を掲出するところがある。また、ニューヨーク・ヤンキースの旧ヤンキー・スタジアムにも広告看板を出稿していた。
  • 2011年11月11日、巨人のコーチ人事を巡る清武英利球団代表と渡邉恒雄オーナーの騒動では、他の全国紙が大きく取り扱う一方、読売新聞ではスポーツ欄で小さく取り上げられた。 詳細は「清武の乱」を参照

キャッチコピー[編集]

  • 900万部の信頼・世界最大の発行部数(1980年代後半)
  • 1,000万部、読者と拓く新世紀(1990年代)
  • たしかメディア(1999年)
  • NEWS!(2002年)※CMキャラクターは唐沢寿明。
  • 読者と歩むあすの中部(中部支社)
  • 中部をみつめ 世界をひらく(中部支社、2010年)※中部発刊35周年の際に使用
  • 関西で、全国で、世界でNo.1(大阪本社)
  • action!(西部本社)※西部本社の福岡移転の際に使用
  • 読む、いま。読む、先。読む、ほんとう。(2003年 - )
  • 読む、声援(2004年 - )※スポーツ関連の際に使用
  • その新聞は、読売新聞でありますように。(2006年)※CMキャラクターは玉木宏。
  • 世の中を、人の中へ。(2006年)
  • 今朝の読売新聞をご覧ください。(2009年1月限定)※ソフトバンクモバイルとのタイアップCM。
  • もっと、伝えたい。(2009年)※創刊135周年公式キャッチコピー。CMキャラクターはAKB48(メインは前田敦子)。
  • リアルのチカラ。(2010年)※CMキャラクターはEXILEのHIRO。
  • 人が書く、人へ届ける。(2013年)
  • 明日を、めくる。(2014年)
  • 届けつづける。(2015年)

CMは日本テレビ系列の放送局を中心に放送されているが、関東地区ではTBS、フジテレビ、テレビ東京でも放送される場合がある。また、オリンピック中継の際は読売新聞が日本オリンピック委員会のオフィシャルパートナーである関係でテレビ朝日系列でも放送される。2009年には正月限定でソフトバンクの白戸家とタイアップしたCMを放送した。

  • 今日もひらく。明日をひらく。(2022年)

掲載四コマ漫画[編集]

  • コボちゃん(朝刊、植田まさし)
  • オフィス ケン太(夕刊、唐沢なをき。2012年10月1日開始。夕刊では「サンワリ君」8年ぶりの漫画掲載となる)
  • サンワリ君(夕刊、鈴木義司 2004年(平成16年)7月2日連載終了)
  • ドッポたち(夕刊 土曜のKODOMO面)
  • POPくん(夕刊 水曜のカルチャー面)

日曜版[編集]

  • とべ!アンパンマン(日曜版、やなせたかし。1994年5月29日終了。)
  • あたしンち(日曜版、けらえいこ。2012年3月11日終了。非4コマ)
  • 直球一本勝負 猫ピッチャー(日曜版、そにしけんじ。2013年4月8日開始。非4コマ)

発行所[編集]

  • 東京本社 東京都千代田区大手町一丁目7-1
    • 北海道支社 札幌市中央区北4条西4丁目1
    • 北陸支社 富山県高岡市下関町4-5
    • 中部支社 名古屋市中区栄一丁目2-1
  • 大阪本社 大阪市北区野崎町5-9
  • 西部本社 福岡市中央区赤坂一丁目16-5
    • 北九州総本部 北九州市小倉北区米町二丁目1-1

印刷工場[編集]

読売新聞グループ関連印刷会社

(青森読売プリントメディア)

  • 弘前

(福島民友新聞社)

  • 郡山

(読売プリントメディア)

  • 東京北、江東清澄、江東木場、府中、鶴見(横浜)、瀬谷

(報知新聞社)

  • 港南

(東海プリントメディア)

  • 清須市

(読売大阪プリントメディア)

  • 大阪北区、高石

(関西図書印刷)

  • 京都八幡、茨木、神戸

(メディアプレス瀬戸内)

  • 尾道、坂出

(プリントメディア西部)

  • 鳥栖、北九州
外部委託
  • 北広島、帯広、仙台、栃木、茨城、藤岡、川越、船橋江東区塩浜、新潟、富山、宮崎(なお、最終面の左下隅に、印刷された工場の地名が表示されている場合もある)

各社の担当地域[編集]

株式会社読売新聞東京本社
青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県及び静岡県
株式会社読売新聞東京本社北海道支社
北海道
株式会社読売新聞東京本社北陸支社
富山県及び石川県
株式会社読売新聞東京本社中部支社
岐阜県、愛知県及び三重県(名張市、伊賀市以外)
株式会社読売新聞大阪本社
福井県、三重県(名張市、伊賀市及び南牟婁郡御浜町、紀宝町の一部)、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、鳥取県、島根県、岡山県、広島県、徳島県、香川県、愛媛県及び高知県
株式会社読売新聞西部本社
山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県及び沖縄県

海外取材網[編集]

ヨーロッパ
  • ロンドン(欧州総局)
  • パリ
  • ブリュッセル
  • ジュネーブ
  • ベルリン
  • ローマ
  • モスクワ
北米・中南米
  • ワシントン(アメリカ総局)
  • ニューヨーク
  • ロサンゼルス
  • ハバナ
  • リオデジャネイロ
東アジア
  • 北京(中国総局)
  • 上海
  • 瀋陽
  • 広州
  • 香港
  • 台北
  • ソウル
東南アジア
  • バンコク(アジア総局)
  • ジャカルタ
  • ハノイ
オセアニア
  • シドニー
南西アジア
  • ニューデリー
  • イスラマバード
中東
  • カイロ
  • エルサレム
  • テヘラン
アフリカ
  • ヨハネスブルク

版立て[編集]

最終版は、朝刊14版、夕刊4版。紙面枠外の上部に記載されている。 記事・写真の入稿締め切り時刻や、版ごとの配達地域は公表されていない。

朝夕刊の別[編集]

北海道(石狩管内、上川管内、空知管内、後志管内、胆振管内、日高管内)、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、静岡県、富山県、石川県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、山口県、福岡県、沖縄県では、一部地域を除いて朝夕刊セット。その他の県は朝刊統合版だが、特に中部支社版のみは対象地域全域が朝刊単独である。

なお、静岡県向けの夕刊及び、西部地方向け朝刊に限っては社内事情により、中部支社管内の清須工場で印刷しトラック輸送している(こちらを参照のこと)。

また、沖縄県では東京本社発行版と西部本社発行版が朝夕刊とも空輸で送られ、お昼過ぎから翌朝にかけて配達されている。

さらに、西部本社管轄で統合版地域では、佐賀県と熊本県、鹿児島県では、JR佐賀駅・熊本駅・鹿児島中央駅のキヨスクで夕刊早版が販売されている他、大阪本社管轄で統合版地域の岡山県でも、JR岡山駅のキヨスクで夕刊早版が販売されている(岡山・佐賀・熊本・鹿児島3県とも宅配及び番組表の差し替えはなし)。

なお、西部本社管轄の大分県も大分市や別府市、中津市の一部が朝夕刊セット地域だったが、2014年4月30日をもって夕刊の発行を休止した。全国紙や地方紙の夕刊廃止がここ数年続いているが、朝夕刊セット地域で朝刊単独に移行するのは読売新聞では大分県が全国で初の事例になる。

縮刷版[編集]

読売新聞の縮刷版は1958年9月号より刊行されており、毎月下旬に発売している。一か月分(東京本社発行最終版=東京23区内版)の全紙面をA4サイズに縮小し、一冊の本にして発行。全国の図書館などで閲覧することができる。

書籍の他、CD-ROMによる読売新聞縮刷版も毎月下旬に発売されている。

日本図書センターより1945年から1948年までの「讀賣報知」「讀賣新聞」紙面の復刻縮刷版が全8巻で刊行されている。

また、通常の縮刷版とは別に、重大事件・事故・災害が起こった際に、関連ニュースを中心とした「特別縮刷版」を発行する場合もある。例を挙げると、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際は、1月17日付号外から2月17日付夕刊まで、普段は縮刷版を発行していない大阪本社発行の最終版紙面からの重要記事を一冊の本にまとめた「大阪読売特別縮刷版 阪神大震災」を発行した。また、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際は、3月11日付号外から4月11日付夕刊までの紙面(いずれも東京最終版)からの重要記事を一冊の本にまとめた「読売新聞特別縮刷版 東日本大震災1か月の記録」(ISBN 978-4643110067)を発行した。さらに、2016年4月14日に発生した熊本地震の際には、4月15日の本震の際に発行した号外から4月27日付朝刊まで、普段は縮刷版を発行していない西部本社発行の最終版紙面からの重要記事を一冊の本にまとめた「読売新聞特別縮刷版 熊本地震」(ISBN 978-4643160055)を発行している。

販売店[編集]

新聞販売店の愛称は「YC」。これは「Yomiuri Center」の略称で、それまでは東京、中部、西部各本社(中部は現在支社格下げ)の管轄地域は「YSC」(Yomiuri Service Center)、大阪本社管轄地域のみ「読売IC」(Yomiuri Information Center)といっていたのを2000年の創刊125周年達成を機に統合した。近年では新聞の販売のみではなく、YCによる地域に特化した情報を提供する「ヨミパラ」のような試みも見られる。

備考[編集]

  • 大阪発祥の朝日新聞、毎日新聞と違い、読売新聞は新聞統制による一時撤退後、1950年代から関西に本格展開している。
  • 北陸3県においては、富山県と石川県は東京本社傘下の北陸支社管轄となっているが、福井県は大阪読売発刊までは東京の管轄であった。1952年の大阪読売発刊と同時に、福井県が近畿地方に近いことから大阪管轄に切り替わった。
  • 中部支社版の紙齢(創刊からの号数)は、2002年6月30日付までは「中部読売新聞」として創刊された時からの紙齢だったが、同年7月1日付から、東京本社の支社になったことに伴い、東京本社版と同じ紙齢になった。ちなみに「中部読売新聞」が「読売新聞」になる1988年5月31日付までは、東京本社が東海3県(愛知県、岐阜県、三重県)向けの地方版「中京版」を発行していた(中京版のテレビ・ラジオ欄は静岡県遠州版と共有だった)ため実質的には東京本社発の「中京版」と、中部読売(現中部支社)の発行する「中部読売新聞」が併売された格好だった。
  • 三重県の伊賀地方は東京管轄であったが、1988年6月1日に中部読売の読売本体への合流に伴い大阪本社管轄に変更された。伊賀地方は京阪神通勤圏に近く、朝日新聞、毎日新聞など他の全国紙が大阪管轄であることを考慮して大阪管轄に切り替わった。熊野市以南などの東紀州地方では朝日・毎日など他の全国紙は伊賀地方と同様大阪管轄であるが、読売のみ現在も東京(中部支社)管轄である。
  • 九州及び山口県においては、1964年の西部本社版発刊以前は大阪本社版が販売されていた。
  • 東京本社は1997年の函館新聞への記事配信を皮切りに、「地域紙記事写真配信サービス」を開始した。読売からの記事提供を受けている地方紙は読売系列と誤解されることがままあるが、同サービスを受けている地方紙は福島民友以外資本関係はない。
  • 茨城県では2020年5月から創価学会機関紙である聖教新聞や公明党機関紙である公明新聞などの配達業務を受託した。

出身著名人[編集]

読売新聞グループの企業・団体[編集]

海外特約メディア[編集]

  • アメリカ
    • ワシントン・ポスト
    • シカゴ・トリビューン
    • ニューズデー
    • ロサンゼルス・タイムズ
    • タイム
    • USニューズ&ワールド・レポート
    • スポーツ・イラストレイテッド
  • イギリス
    • タイムズ
    • ガーディアン
    • エコノミスト
  • フランス
    • フィガロ
    • レキップ
  • ドイツ
    • ディ・ウェルト
  • オーストラリア
    • オーストラリアン
  • 中国
    • チャイナ・デイリー
    • 人民日報
    • 文匯報
    • 中国新聞社
  • 韓国
    • 韓国日報
  • アジア各国
    • アジア・ニュース・ネットワーク

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2019年4月度ABC部数の最も大きい減少は読売新聞で、1ヵ月約6万部、1年約42万部減である。[1]
  2. ^ 社長就任前は、横浜税関の翻訳官を務め、『横浜毎日新聞』の記者でもあった。
  3. ^ 1951年8月に朝刊に移動。
  4. ^ 報道協定を参照。
  5. ^ a b 夕刊のスクリーントーンは夕刊創刊時〜1993年11月30日までは東京本社、および東京本社傘下の北海道・北陸両支社版のみで、バックに灰色と白の縦じまを入れていたものであった。1993年にカラー化が本格的に進むと、同年12月1日付より大阪本社・西部本社を含めて夜をイメージする薄い青紫色に白の縦じまを入れたトーンが採用された。題字へのトーン廃止後は発行所(札幌、東京、高岡、名古屋、大阪、福岡)を記載する欄にトーンの配置を変更。朝刊は黄土色、夕刊は薄い青紫色のバックを使っている。
  6. ^ 2009年5月31日付までは西部本社管轄の北九州工場で印刷されていたが、輸送上の問題から大阪本社管轄の尾道工場の印刷に切り替えた。
  7. ^ 全国紙では産経新聞が東京本社管内で2002年3月末、毎日新聞が北海道支社管内で2008年8月末、朝日新聞が西部本社管内で2010年3月末に佐賀県と大分県、2012年3月末に福岡県と山口県のそれぞれ一部で夕刊を休廃止した例がある。また朝日新聞は名古屋本社管内の土曜日付夕刊発行を2012年10月中旬で休止した。
  8. ^ 川鉄・川重とも登記上本店は神戸市である。なお川鉄はその後NKKと統合、JFEスチールとなって以後、登記本店を東京都千代田区に移している。
  9. ^ 実際に川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いたこともあった。現在はヴィッセル神戸の広告看板スポンサーに就いている。
  10. ^ なお、当時のヴェルディ川崎が本拠地を置いていた川崎市は他に富士通サッカー部、東芝サッカー部(いづれもJFL=当時のJリーグの2・3部に当たる組織)が本拠地としていたが、前者は「富士通川崎FC」を経て現在の川崎フロンターレとなり1999年にJリーグに加盟。東芝は1996年に本拠地を北海道札幌市に移し、北海道コンサドーレ札幌となって、1998年にJリーグに加盟している。
  11. ^ 1995年で解消。その後は横浜市にホームタウンを統合。
  12. ^ 1998年に横浜Fが横浜Mに吸収される形で統合され、現在は横浜F・マリノスである。なおフリューゲルスのサポーター有志により、改めて横浜FCが設立。JFL(当時のJリーグの3部に当たる組織)への特例参加を経て2001年にJリーグに参加している。
  13. ^ 2020年3月までは岩手日日新聞社の関連会社「青森高速オフセット」への委託だったが、運営会社の事業譲渡により同4月から読売新聞東京本社に移譲。10月に社名を変更し事実上の直営化となった。
  14. ^ 凸版印刷系の工場で印刷。
  15. ^ 十勝毎日新聞の工場にて印刷。
  16. ^ a b 岩手日日新聞社の関連会社の工場(仙台高速オフセット、栃木高速オフセット)で印刷。
  17. ^ a b アサガミプレスセンターの工場で印刷。
  18. ^ a b 光村印刷の工場で印刷。
  19. ^ 朝日プリンテック船橋工場にて印刷。
  20. ^ 新潟日報社黒埼本社内にある印刷センターにて印刷。
  21. ^ 「北日本新聞・創造の森 越中座」にて印刷。2011年3月21日に、それまで高岡工場(北陸支社内)で印刷していた石川・富山両県発行分の印刷を引き継いだ(それと同時に最終面左下隅での表記も「北陸」から「富山」に変更となった)。
  22. ^ 宮崎日日新聞社佐土原センターにて印刷。2019年7月から、これまで鳥栖工場で印刷していた宮崎・鹿児島両県発行分の印刷を引き継いだ。
  23. ^ その他の全国紙では、産経新聞が東京本社管内の夕刊が2002年3月30日に、毎日新聞が北海道支社管内の夕刊が2008年8月30日にそれぞれ休廃止された例がある。また朝日新聞は名古屋本社管内の土曜日の夕刊発行が2012年10月13日をもって休止された。

出典[編集]

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