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エースコック

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エースコック株式会社(英: Acecook Co.,Ltd.)は、日本の大阪府吹田市江坂町に本社を置く、インスタントラーメンの製造販売企業である。フライパンを持ったコックの姿をしたこぶたのシンボルマーク(ただし日本のみ)で知られる。企業スローガンは「Cook happiness おいしい しあわせ つくりたい」。かつての企業スローガンは「明るい家庭の食卓を作るエースコック」であった。

概要[編集]

創業者の村岡慶二が1948年(昭和23年)に大阪市住吉区でパンの製造販売をする「龍門製パン所」を設立する。その後しばらくして、1954年(昭和29年)に、ビスケットの製造販売をする「梅新製菓」を設立する一方でインスタントラーメンの製造を開始する。1959年(昭和34年)に第1号となる「北京ラーメン」を発売、続いて同年「エースラーメン」を発売した(「料理の上手なコック」を意味する)[要出典]。1963年(昭和38年)に、「ワンタンメン」を発売。

インスタントラーメン・メーカーとしての歴史は長く、1973年(昭和48年)に発売され、現在は東北限定商品として発売されている「シュリンプヌードル」、1983年(昭和58年)に発売され、現在も販売されている「わかめラーメン」、1988年(昭和63年)から今日まで販売され続ける大盛り(当時はカップヌードルに代表される小さめのカップが主流であった。)カップ麺のパイオニアである「スーパーカップシリーズ」(当時は1.5がついていた)、「大盛りいか焼そば」(2000年以降「スーパーカップシリーズ」に吸収される)など、息の長い製品も多い。また、業界でカレー味のカップ麺を初めて開発したのも同社であり、その「カレーヌードル」は現在は東北限定商品として発売されている。

1993年(平成5年)にはベトナムのホーチミン市に現地法人を設立し、1995年(平成7年)に同国での製造販売を開始。2000年(平成12年)にはベトナム人にとっての「おふくろの味」を再現した即席麺「ハオハオ トムチュアカイ」を発売する。これが瞬く間に大ヒットし、ベトナム一のインスタントラーメン会社としての地位を築いた。在日ベトナム人の増加により、「ハオハオ」は日本にも輸入されている。

近年のメタボリックシンドロームなどに代表される成人病・生活習慣病問題や低カロリー志向の高まりから、2002年(平成14年)に「はるさめヌードル」シリーズを発売(その後、2005年に姉妹商品として「スープはるさめ」シリーズも発売。ちなみに2010年時点で、同社の一番の売れ筋商品とされている)。これもドラッグストアなどで安定したベストセラー商品となっている[要出典]。2007年(平成19年)にエースコックの3割の利益をベトナムで得ている[要出典]。2010年(平成22年)のベトナム内でのシェア率は約65パーセントで、ベトナム国内で最大手となっている[要出典]

サンヨー食品の連結子会社である。

年表[編集]

  • 1923年(大正12年)2月20日 - 創業者である村岡慶二が誕生。

沿革[編集]

  • 1948年(昭和23年) - 創業/村岡慶二(24-25歳)が大阪府大阪市住吉区(住吉大社近傍)にて「龍門パン製造所」を設立し、パンの製造販売を開始。約11キロメートル離れた大阪駅前に3坪の売り場を借りてリヤカーで往復しながら毎日売り続けた。これをもって当社の創業と見做す。
  • 1950年(昭和25年)12月1日 - 村岡慶二の長男として、のちに2代目社長となる村岡寛が生まれる。
  • 1954年(昭和29年)1月20日 - 株式会社に改組/村岡慶二が「梅新製菓株式会社」を設立し、パンと違って日保ちがするビスケットの製造販売を開始する。
  • 1957年(昭和32年)12月から1958年(昭和33年)11月までの1日(※7歳からの逆算) - 寛は、7歳・小学1年生の時、母を亡くす。
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月 - 即席麺の製造を開始。大阪圏ではすでに日清食品が売り出していたため、競合を避けて首都圏にターゲットを絞る。味付け即席麺である「北京ラーメン」を当社のラーメン第1号商品として発売。当時は技術的に醤油味くらいしか作れなかった。この時、当社のシンボルマークである「こぶた」も誕生した。
  • 1960年(昭和35年)
    • 1月 - 当社のシンボルマーク「こぶた」が2代目に世代交代。
    • 2月10日 - 村岡慶二社長が「即席中華麺製造法」の特許を申請。即席麺製造に関する国内第4の特許申請となり、陳栄泰(大和通商|1958年申請)・張国文(東明商行|1958年申請)・呉百福/安藤百福(日清食品|1959年申請)という在日台湾人3名の間で泥沼化していた特許紛争に参戦することになった。決着については「1964年」を参照のこと。
    • 3月末日 - 売上高3億円を計上。
    • 月日未確認 - 梅新製菓株式会社が商号を「エース食品株式会社」に変更。
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月 - 当社のシンボルマーク「こぶた」が3代目に世代交代。
  • 1962年(昭和37年) - 東京工場を新設。会社の従業員も500人近くまで増える。
  • 1963年(昭和38年)
    • 6月 - 当社のシンボルマーク「こぶた」が4代目に世代交代。3代目までのデザインが細身でリアルに見えるほどにデフォルメされた丸みを帯びた姿形で生まれ変わった。以後、このデザインで長く親しまれることになる。
    • 8月27日 - スープ別添えの新商品「エースコックワンタンメン」を発売、大ヒット商品となり、それまで当社の課題であった関西圏でも人気を獲得した。以後、当商品はロングセラーになる。
  • 1964年(昭和39年)
    • 初夏 - 当社と日清食品がそれぞれに即席麺「イタリアン・スパゲッティ」と即席麺「スパゲニー」を発売し、2社はマカロニ業界から商品名を巡って公正取引委員会に提訴されるなど話題にはなったが、売れ行きは良くなかった。
    • 9月付 - 日刊経済新聞社編『酒類食品統計月報 1964年9月号』によれば、当時の即席麺の全国市場は、明星食品・日清食品・当社(エース食品)の三大メーカーが6割強を占有し、これに主要16社を加えた大手19社で8割強を占める状況になっていた。
    • 9月17日より前 - 特許紛争は始まりから6年間続いたが、呉百福/安藤百福が張の特許を2300万円(※2010年の価値で3億円前後)で買い取り、陳とは和解し、村岡は呉/安藤に特許を譲渡したうえで呉/安藤から無料で使用できる権利を保障される形で終結した。
    • 9月17日 - 呉百福/安藤百福が全国の即席麺の有名メーカー56社が加盟する「社団法人日本ラーメン工業協会」(一般社団法人日本即席食品工業協会の前身)を設立し、当社も加盟する。
    • 10月1日付 - 『日本食糧新聞』によれば、この頃、関西圏の即席麺メーカーで日清食品と当社(エース食品)がそれぞれ160万食と150万食を売る二大メーカーであった(第3位は桁の違う25万食)。
    • 月日未確認 - エース食品株式会社が商号を「エースコック株式会社」に変更。売上高50億円を計上。
  • 1965年(昭和40年) - 「エースコックワンタンメン」のテレビCMが放映を開始し、その人気は全国区となる。
  • 1967年(昭和42年)
    • 5月15日 - 公正取引委員会が即席麺の大手4社(日清食品、明星食品、当社エース食品、サンヨー食品)を呼び付け、大手メーカーによる苛烈な差別価格競争(値下げ競争)について事情を聴取し、中小企業の保護を理由に6月16日付で私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)に違反しているとして差別価格を是正するよう勧告した。日本ラーメン工業協会(現・日本即席食品工業協会)はこれを受けて6月24日に理事会を開き、価格の是正を決定したものの、完全な是正には到らず、大手の製品は高め、中小企業の製品は安値で安定することになった。
    • 10月 - 高品質化を目指した新商品「駅前ラーメン」を内容量100グラムの大判で発売して大いに好評を得、このカテゴリーに先鞭を着けた。日本人の体格が向上した時流を受けて従来の85グラムから増量したものであった。翌1968年(昭和43年)2月には同じカテゴリーに日清食品が「出前一丁」で参戦する。
  • 1971年(昭和46年)3月 - マレーシアにて、当社とネッスルマレーシア社が合弁会社「インターナショナル社」を設立。
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 創業者の長男・村岡寛が調味料の会社勤務を経て当社に入社する。
  • 1981年(昭和56年) - ゴルフ場開発や生麺の開発失敗などが重なっていよいよ倒産の危機に直面した当社は、銀行からの借入金返済に行き詰まるも、この年、同業のサンヨー食品(井田毅社長)の支援を受ける形で同社と業務提携する。かねてより村岡と親しくしていた井田は「自分が後ろ盾になろう」とエースコックの株式を買い支えてくれた。その後の当社は借入金を完済して無借金になっている。
  • 1983年(昭和58年) - 「わかめラーメン」の発売。
  • 1988年(昭和63年) - 内容量を1.5倍に増量した「スーパーカップ」及び「大盛いか焼そば」を他者に先駆けて発売し、台頭しつつあったコンビニエンスストアに集まる若者から好評を博して、大判カップ麺のカテゴリーで代表的商品になる。
  • 1993年(平成5年) - ベトナムにて合弁会社「ビーフォン・エースコック社(Vifon-Acecook C0.,Ltd.)」(現・エースコックベトナム社)を設立する。
  • 1994年(平成6年)3月 - 創業者で社長の村岡慶二(71歳)が会長に就任。長男の村岡寛(43歳)が社長に就任。
  • 1996年(平成8年)8月 - 当社のシンボルマーク「こぶた」が5代目に更新し、ディズニー調になる。しかし定着せず、2001年になって4代目に戻されることになる。
  • 2000年(平成7年) - ビーフォン・エースコック社(現・エースコックベトナム社)がベトナム人の好みに合う味の即席麺「ハオハオ トムチュアカイ」を発売。この商品は同国で大ヒットし、国民の定番商品になった。
  • 2001年(平成13年)
    • 8月 - 当社のシンボルマーク「こぶた」が4代目に戻される。
    • 月日不明 - 新カテゴリー商品「スープはるさめ」を発売し、若い女性から好評を博して即席麺業界に留まらない「はるさめ」ブームの発端になる。
    • 月日未確認 - 産業経済新聞社(『それゆけ!大阪ラーメン部』という企画)と連携してプロジェクトを立ち上げ、「産経新聞大阪ラーメン」を発売。現在、2019年の第8弾まで続いている。
    • 同年中 - ビーフォン・エースコック社(現・エースコックベトナム社)がベトナム国内の即席麺シェアで首位に立つ。
  • 2002年(平成14年)1月19日 - 創業者・村岡慶二が死去(78歳没)。
  • 2004年(平成16年) - ベトナムの現地法人「ビーフォン・エースコック社」が社名を「エースコックベトナム社 (Acecook Vietnam)」に改称。
  • 2010年(平成22年) - 縦型カップ焼そば「JANJAN ソース焼そば」の発売。
  • 2011年(平成23年)5月末日 - 村岡寛社長が日本即席食品工業協会理事長に初就任(3年満期)。
  • 2013年(平成25年)
    • 月日未確認 - ラーメン店品質を実現した「茹でたて名人」の発売。
    • 12月末日 - 日刊経済新聞社編『酒類食品統計月報 2014年5月号』によれば、即席麺の日本国内シェアは、日清食品ホールディングス(日清食品、明星食品)45.27%、東洋水産 23.3%、サンヨー・エースコック・グループ 19.4%の、大手3社が87.9%を占有している。
  • 2014年(平成26年)4月 - ミャンマーのヤンゴンに支店を開設し、ミャンマー即席麺市場に参入する。
  • 2015年(平成27年)
    • 1月13日 - 企業のロゴタイプを刷新。シンボルマークの「こぶた」は4代目のデザインをそのまま引き継ぎ、従来の「エースコック」ロゴを英字表記の「ACeCOOK」に改め、企業スローガンとして「Cook happiness」が導入され、商品パッケージや広告物にこのスローガンを組み合わせた企業ロゴに変わる。テレビCMは冒頭にモーションVI(サウンドロゴ)が挿入され、すでに放映されているテレビCMもモーションVI入りの改訂版になった。
    • 3月 - ミャンマーのヤンゴンにて、エースコックミャンマー株式会社の設立。
  • 2016年(平成28年)11月 - 村岡寛社長が「第49回 食品産業功労賞」(農林水産省・環境省後援)を受賞。
  • 2017年(平成29年)12月末日 - 国内外を合わせた総売上高919億円(国内478億円、海外441億円)を計上(2017年12月期)、従業員は6,443人を数える。
  • 2019年(平成31年/令和元年)12月末日 - 国内外を合わせた総売上高956億円を計上(令和元年12月期)、従業員は約6,700人。
  • 2020年(令和2年)6月1日 - 村岡寛社長が日本即席食品工業協会理事長に2度目の就任(同年5月31日選任)。前任者は安藤宏基(日清食品社長)。
  • 2021年(令和3年)11月3日 - 村岡寛(当社社長、日本即席食品工業協会理事長)が旭日小綬章を叙勲される。
  • 2022年(令和4年)5月31日 - 村岡寛社長が日本即席食品工業協会理事長を任期満了で退任。後任者は安藤宏基(日清食品社長)。

代表者[編集]

村岡 慶二(むらおか けいじ)

創業者。初代社長。
1923年(大正12年)2月20日生まれ。2002年(平成14年)1月19日(78歳)没。
1948年(昭和23年)に前身店舗「龍門パン製造所」を起業。1954年(昭和29年)1月20日に前身企業「梅新製菓株式会社」を設立し、初代社長に就任。1994年(平成6年)、社長を退任して会長に就任。

村岡 寛(むらおか ひろし)

2代目社長(現任)。
1950年(昭和25年)12月1日、大阪府生まれ。創業者の長男。現在年齢算出:1950年(72 - 73歳)。
関西学院大学経済学部卒業。妻の道子は大学時代の2年後輩。1994年(平成6年)、社長に就任。2016年(平成28年)11月には「第49回 食品産業功労賞」(農林水産省・環境省後援)を受賞。2021年(令和3年)11月3日には旭日小綬章を叙勲している。

事業所[編集]

本社・支店・営業所[編集]

  • 本社 - 大阪府吹田市江坂町1-12-40(紙谷新御堂ビル)に所在。
  • 東京支店 - 東京都豊島区西池袋1-18-2(藤久ビル西1号館)に所在。
  • 大阪支店
  • 名古屋支店
  • 札幌支店
  • 仙台支店
  • 関東信越支店
  • 中四国支店
  • 福岡支店
  • 金沢営業所
  • 高松営業所
  • 宮崎駐在所
  • 沖縄駐在所

工場[編集]

  • 東京工場 - 埼玉県川越市に所在。1962年(昭和37年)に新設。
  • 関西滝野工場 - 兵庫県加東市に所在。
  • 兵庫工場 - 兵庫県たつの市に所在。

研究室[編集]

  • 本社研究室
  • 滝野研究室

日本国外の子会社[編集]

  • Acecook Vietnam Joint Stock Company (ACECOOK VIETNAM JOINT STOCK COMPANY)
エースコックベトナム社。本社はベトナムのホーチミン市タンフー区に所在。
1993年(平成5年)、現地法人ビーフォン・エースコック社(現在のエースコックベトナム社)を設立。1995年(平成7年)から製造販売を開始。現在(年時情報なし:推定2020年9月時点)の製造販売体制は全国7拠点11工場。主力商品は、その名が「好き好き」の意味を持つ「ハオハオ トムチュアカイ(ベトナム語:Hảo Hảo mì tôm chua cay)」(銘柄『ハオハオ』の『トムチュアカイ味』、2000年発売)で、ベトナム人にとってのおふくろの味を再現した当商品が人気を呼び、当社の売上の半数以上を占める大ヒット商品になっている。当社は世界のおよそ30か国へ輸出している。2018年(平成30年)にはホーチミン市にて地上6階地下1階の新本社ビルが完成した。
  • Acecook Myanmar Co.,Ltd. (ACECOOK MYANMAR CO.,LTD.)
エースコックミャンマー社(ACECOOK MYANMAR 株式会社)。本社および本社工場はミャンマーのヤンゴン市内にあるティラワ経済特区に所在。
エースコック社が2014年(平成26年)4月にヤンゴン支店を開設し、ミャンマー即席めん市場に参入。2015年(平成27年)3月にエースコックミャンマー株式会社を設立。2017年(平成29年)春には最新鋭設備を備えたヤンゴン工場が完成した。現在(※年時情報なし:推定2020年9月時点)のミャンマー国内における即席麺は大半がタイや韓国などの海外向けの味になっており、現地の味を再現した商品は多くない。


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