日本の地震の規模順
日本の地震の規模順(にほんのじしんのきぼじゅん)では、日本で発生した地震の規模の大きな地震の記録を記載する。日本領内で発生した地震の概要のマグニチュードはモーメントマグニチュードとは異なる。(気象庁マグニチュード)
マグニチュードについて(規模)[編集]
マグニチュード(英語訳: Seismic magnitude scales)とは、地震のエネルギーの大きさ対数で表した指標値のことである。地震の揺れの強さを示す震度階級とは異なる。日本の地震学者であった和達清夫の震度と震央までの距離を書いた地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが考案した。マグニチュードが1上がると地震のエネルギーは32倍となり、マグニチュードが2上がると地震のエネルギーは1024倍(32^32)となる。
日本領内で発生したマグニチュード8以上9未満の地震[編集]
発生日はユリウス暦を採用し、後の()にはグレゴリオ暦を使用している。
・4世紀から5世紀ごろまたは430年頃、三陸~房総半島にかけてM9級の超巨大海溝型地震と津波の発生の可能性。国立研究開発法人産業技術総合研究所(略:産総研)は869年の貞観地震と2011年の東北地方太平洋沖地震と同程度の地震と津波だったとみている。宮城県気仙沼市大谷海岸では津波による堆積物が発見されている。
・684年11月26日(11月29日)(天武13年10月14日)白鳳地震(M8~9)、死者多数。土佐(現在の高知県)で大きな津波が発生し、大きな被害を出した。『日本書紀』に、別の日であれば記述されるであろう東海道沖の地震の記録が見られないことから同時に南海トラフ全域が震源域となった可能性がある。
・869年7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日)貞観地震(M8.3~8.6)陸奥の国で大きな揺れを観測し、津波が発生し死者数約1000人とされていて、多賀城が損壊した。
・887年8月22日16時頃(8月26日)(仁和3年7月30日)仁和地震(M8.0~8.5)五畿七道諸国で大きな揺れを観測し、京都・摂津等で死者多数。この地震により八ヶ岳が山岳崩壊し、形成された堰止湖が888年6月20日(仁和4年5月8日)に決壊した。
・1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日)永長地震(M8~8.5) 東大寺の鐘が落下し、伊勢の国や駿河の国等に津波で大きな被害。
・1099年2月16日(2月22日)(承徳3年1月24日) 康和地震(M6.4~8.5?)興福寺、四天王寺で被害。津波被害は不明であり、南海道沖の地震であればM8以上だといわれている。
・1293年5月20日(5月27日)(正応6年4月13日)鎌倉大地震(M8.0?)元禄関東地震と同じように、相模トラフの大地震だとみられている。建長寺で火災が発生し、死者は2万3000人あまりといわれている。
・1360年11月13日・14日(11月21日・22日)(正平15年、延文5年10月4日・5日)正平地震(M7.5~8.0?)この地震は本当に起きたかが不明である。
・1408年1月12日(1月21日)(応永14年12月14日) 応永地震(M7~8)推定では京都で発生した地震と思われるが、紀伊の国や伊勢の国で発生したともみられている。だが、伊勢の国や紀伊の国で起きたというのは疑惑がある。
・1454年12月12日(12月21日)(享徳3年11月23日夜半)享徳地震(Mw>8.4)推定会津などで強い揺れが観測され、奥州海岸に大きな津波が襲った。
・1498年9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(M8.2~8.4)津波により死者2.6万人といわれており、伊勢の国、志摩の国は津波で10,000人ほどの死者が出たといわれている。駿河の国などでも大きな被害を出した。また、浜名湖が海に繋がったといわれている。
・1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(M7.8~8.1)死者多数。余震が一年続く。三河湾等で大きな津波が観測され、震央の反対側であった日本海の若狭湾まで津波が届いたという記録がある。
・17世紀前半、津波堆積物の分析から、この時期に千島・カムチャッカ海溝南部を震源とするM8.6の地震が発生したとみられる。
・1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(M7.9~8.0)関東から九州までの南海トラフ沿岸地域で大きな津波が襲い膨大な被害が出た。特に紀伊の国、阿波の国、土佐の国では被害が大きかったという。
・1611年12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 (M8.1)三陸沖(青森県~千葉県)の地震と考えられている。または、北海道南東部沖のM9クラスの地震であるという説もある。仙台藩で津波により死者2000~5000人。
・1677年4月13日(延宝5年3月12日) 延宝八戸沖地震(8.0?)陸中の国などで津波を観測。
・同じく1677年11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震(M8.0)死者は500~600人と言われていて、福島県、千葉県などに津波が襲った。(茨城県地方史上最大の津波被害。)
・1703年12月31日(元禄16年11月23日)元禄関東地震(M8.3)、関東南部で大津波を観測し、死者6700人。死者20万人という説もある。
・1707年10月28日(宝永4年10月4日)13 - 14時ごろ 宝永地震(M8.4~8.6)モーメントマグニチュードは最悪想定9.3といわれている。死者4900~20000人以上。瀬戸内海や南海トラフ沖で津波等により甚大な被害。地震から49日後に富士山の宝永火口が大噴火を起こす。(宝永大噴火)また、現在までに起きた南海トラフ巨大地震の中で一トップの大きさを誇る。
・1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(M7.4~8.0)死者1万2000人。八重山諸島で膨大な津波を観測する。
・1793年2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震(M8.0~8.4)死者100人程度。三陸沖で大津波。
・1854年12月23日(嘉永7年11月4日)9時30分ごろ 安政東海地震(M8.4)死者2000~3000人とされている。現在の静岡県や愛知県等で甚大な被害が出た。
・安政東海地震の一日後である1854年12月24日(嘉永7年11月5日)16時20分ごろ 安政南海地震(M8.4)死者2000~3000人とされている。南海トラフ沖で大きな津波が観測された。
・1856年8月23日(安政3年7月23日) 安政八戸沖地震 (M7.5~8.0)三陸沖から北海道南部の広い範囲で津波。死者29人。
・1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震(M8.0)濃尾平野北西部等で震度7相当とみられる揺れを観測。死者・行方不明者7273人。日本の内陸の地震の中で最大である。また、世界の内陸地震の中でトップの規模を誇る四川大地震とマグニチュードが一緒であるため、世界の中で起きた内陸地震の中でトップともいえる。
・1894年(明治27年)3月22日 根室半島沖地震(M7.9~8.2)死者1人。北海道、東北に津波。
・1896年(明治29年)6月15日 明治三陸地震(M8.2~8.5)津波地震であり、東北で大津波を観測し、死者2万1959人。
・1911年(明治44年)6月15日喜界島地震(M8.0)死者12人。現在までに南西諸島で発生した地震の中で最大だとみられる。
・1918年(大正7年)9月8日 択捉島沖地震(M8)死者24人。
・1923年(大正12年)9月1日11時58分ごろ 大正関東地震(7.9~8.0?)関東地方の各地で震度6。神奈川県や千葉県の一部では震度7とみられる揺れを観測。死者・行方不明者10万5385人であり、日本で起きた災害の中で最大の死者数である。
・1933年(昭和8年)3月3日 昭和三陸地震(M8.1)東北地方三陸沖の都道府県で震度5を観測し、三陸沖を大きな津波が襲った。死者・行方不明者3064人。
・1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震(M7.9~8.2?)紀伊半島~東海地方東部で震度6。愛知県西尾市では震度7とみられる揺れを観測した。死者・行方不明者1223人。紀伊半島から東海地方にかけて大津波。
・1946年(昭和21年)12月21日4時19分ごろ 南海地震(M8.0)中部地方から九州地方にかけて震度5。死者・行方不明者1443人。房総から九州にかけて津波が襲う。
・1952年(昭和27年)3月4日 十勝沖地震(M8.2)北海道南部で震度5。死者・行方不明者33人。北海道から東北に津波。
・1958年(昭和33年)11月7日 択捉島沖地震(M8.1)北海道釧路市で震度5。太平洋沿岸に津波。
・1963年(昭和38年)10月13日択捉島沖地震(M8.1)北海道東部で震度4。択捉島から宮城県まで津波を観測した。
・1994年(平成6年)10月4日 北海道東方沖地震(M8.2)北海道釧路市などで震度6。死者、行方不明者は北方領土で11人。
・2003年(平成15年)9月26日4時50分ごろ 十勝沖地震(M8.0)北海道南部の各地で震度6弱。死者・行方不明者2人。
・2011年(平成23年)3月11日4時46分ごろ 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)(M9.0~9.1)日本観測史上最大の地震。宮城県栗原市で震度7。死者・行方不明者22000人。三陸沖で大津波が発生し、甚大な被害を出した。その後、その津波により福島第一原子力発電所がメルトダウンを引き起こし福島島県に影響を与えた。
・2015年(平成27年)5月30日 小笠原諸島西方沖地震(M8.1)深さ682kmの深発地震であり、異常震域により神奈川県で震度5強を観測した。同じく小笠原諸島でも震度5強を観測した。
日本領内で発生したマグニチュード9以上の地震[編集]
マグニチュード9以上であった可能性が高い地震
2011年 東北地方太平洋沖地震 2011年に発生した地震であり、歴史地震でないため情報が多く、マグニチュード9以上である可能性が高い。
1707年 宝永地震 1707年に発生した地震であり、歴史地震ではあるが、情報が比較的多く、マグニチュード9以上である可能性は高い。
マグニチュード9以上であった可能性が低い地震(歴史地震)
1611年 慶長三陸地震 北海道沖から三陸沖まで連動した地震である可能性がある場合、推定ではマグニチュード9以上である地震である可能性はあるが、古い歴史地震であるため情報が少なくあくまで推定になってしまうため可能性が低い。
869年 貞観地震 過去3500年間に東日本沿岸を少なくとも7回大津波が襲ったと考えられており、この津波を引き起こした地震は日本海溝から千島カムチャッカ海溝にかけての4つの震源域のいずれか、または複数が連動活動して発生したM9クラスの地震と推定された結果が発表された。貞観地震もその地震のひとつであり、日本海溝から千島カムチャッカ海溝にかけての4つの震源域で起きたと推定されているため、貞観地震もマグニチュード9以上なのではないか?という説もある。
684年 白鳳地震 もともとは南海地震と思われていたが、発掘調査により、ほぼ同時期に東海沖も震源域となった可能性があり、その推定だとマグニチュードが9以上になるため。
関連科目[編集]
外部サイト[編集]
気象庁|南海トラフ地震について | 南海トラフ地震発生で想定される震度や津波の高さ (jma.go.jp)
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