シティ・ポップ
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シティ・ポップ City pop | |
---|---|
様式的起源 | ニューミュージック、AOR、アシッドジャズ、フューチャー・ファンク、R&B、ソウル、ジャズ、フュージョン、ディスコ、ファンク、ウォール・オブ・サウンド、歌謡曲 |
文化的起源 |
1970年代後期 日本 |
使用楽器 | ボーカル、ギター、ベース、ドラム、シンセサイザー、金管楽器など |
関連項目 | |
J-POP、渋谷系 ヴェイパーウェイヴ フューチャー・ファンク ポスト・ディスコ |
シティ・ポップ (City pop) は、日本のポピュラー音楽のジャンルのひとつとされていたが、2015年~2020年前後のシティ・ポップブーム再来辺りから、海外のポピュラー音楽にまで概念の幅が広がった。現代では、マニアックな意味で世界的な注目を集めているジャンルである。
以前の古い概念では、1970年代後期から1980年代に流行していた都会的なイメージを前面に出したポップスを指していた。当時はシティ・ポップスと呼ばれていたが、同時期にシティ・ポップも使われているため、シティ・ポップ=シティ・ポップスである。60年代、70年代を通過したアダルト層へのアピールを意識したイージー・リスニング的、ミドル・オブ・ザ・ロード的(中道的)でソフトなロック、ポップスなどの総称である。
元々日本国内でのみ通用するジャンルだったが、後にヴェイパーウェイヴ勃興の中でサンプリング元として取り上げられ始め、動画サイトで元ネタの音源の発掘が進むと共に、世界の一部でも注目されるジャンルになった。
2020年前後のシティ・ポップの解釈では、80年代前半のフュージョンで有名なシャカタク、90年代のアシッド・ジャズが加えられジャミロクワイやインコグニートなども加えられるようになる。
概要[編集]
以前[いつ?]のシティ・ポップの概念は、1980年代のアダルト・コンテンポラリーの日本版[1]とも解釈することも可能[要出典]。1970年代に日本で定着したシンガーソングライターやバンドのミュージシャンのうち、フォーク寄りではなくポップ寄りのミュージシャンがこれにあたる。「長門芳郎が好むはっぴいえんど、大滝詠一のナイアガラ・レーベル、ティン・パン・アレー系などが典型であり、彼らは1970年代末から1980年代初頭にかけてアルバムを発売した。」とする解釈もあるが[要出典]、これは後年に後付されたものであり、1980年代では一派に過ぎない。洋楽ではオハイオ・ノックス、ザ・フィフス・アベニュー・バンド[2]、フル・ムーン[3]、ラーセン=フェイトン・バンドなどが、これにあたる。またプロデューサーではデヴィッド・フォスター[4]らがいた。日本のシティ・ポップのミュージシャンの場合、ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダンのような、多様性や音楽的幅の広さが不足しているのが、難点でもある[要出典]。
既存の「歌謡曲」「フォーク」が強く持っていた「歌」ではなく、「ニューミュージック」寄りのサウンド(ポップ・ロック、やジャズ、クロスオーバー、フュージョン)を前面に打ち出した音楽スタイルは、聴衆から洗練された都会的なものであると受け取られ、レコード会社もこれを既存の音楽とは違うものとして「都会のポップス=シティ・ポップス」という呼称でアピールを行うようになった。
そして、1981年にこのジャンルの寺尾聰のシングル「ルビーの指環」が大ヒットを飛ばしたことにより、こうした音楽スタイルは一般にも認知され、急速に浸透した。また、1982年には当時東芝EMIに所属していた稲垣潤一、安部恭弘らがいた。東芝EMIには他にも、山本達彦などのシティ・ポップ系のアーティストが多数在籍していた。
また、これらのアーティストの一部は作曲家として活動し、シティ・ポップ系統の楽曲はアイドルや俳優の歌謡曲にも広まった。
今日[いつ?]の音楽ジャーナリストは、日本のポップミュージックの歴史をやたらはっぴいえんどに結びつける者が多いが[5][6]、このシティ・ポップも1980年代の芸能ジャーナリズムは、そこには結びつけていない。またシティポップを「都会的で洗練された楽曲」などと説明するケースが多いが[要出典]、これも好イメージでは捉えてはいない。月刊明星1984年2月号に1983年のフォークとロックを総括した記事があり、シティ・ポップスについて以下のような言及がある。「83年は、かなりフォーク&ロック系のアーチストの活躍が目立ったような気がする。ヒット・チャートの上位にズラリなんて数年前みたいな状況もちょっと見られた。だけど言ってみれば、軟弱ポップスの全盛ってことだろう。音楽に対する好みが、すごく多様化してきた。硬派から軟派まで入り乱れてるのが83年のフォーク&ロック界だったと思う。軽いシティ・ポップス風、言ってみればBGMによさそうなのがうけた。山本達彦なんてのがその筆頭だろう。それに稲垣潤一。彼のLP『J.I.』なんか、すごく売れた。女子大生人気が圧倒的みたいだ、山本と稲垣は。新人群もそのセンを狙ってどんどん出てくる気配だ。鈴木雄大、岩崎雄一、宇佐元恭一、安部恭弘とめじろ押しだ。シティ・ポップス全盛はレコード会社の営業政策。そのおかげでフォーク&ロック界が数年ぶりに活況を呈したわけだ。そんな音楽的状況の根っこはやはりオフコースが作ったんじゃないか」と書いている[7]。月刊明星はそれから一年後の1985年2月号で、1984年のフォークとロックを総括した記事を載せ、今度はシティミュージックという表現も用い、ここでの言及は「84年のもう一つの特徴に、シティ・ミュージックの下火という現象がある。リアリティーがまるでない。このテの歌には、なんか、やたら甘ったるい愛だ恋だばっかり。日本全国シティ化しちゃったか、もうカフェバーでの恋は夢じゃなくなったってこともあるよ。ソート―な田舎にだって、今や六本木風のカフェバーがある時代だもの。もうみんな誤魔化されなくなったんだよ。そんな中では山本達彦とか角松敏生なんかがソコソコ頑張ったんじゃかな。それにちょっとニュアンスが違うけど、杉山清貴&オメガトライブね。彼らもコンスタントに売れるグループになった。でもオフコースなんかシティ・ミュージックの元祖みたいにいわれるけど、彼らの歌の良さって詩がすごく重要な部分を占めているよ。よく読んでみると、かなりきわどいことを歌にしてる感じだ。同じことはシティ・ポップスのクイーン・ユーミンにも言えるね。彼女の今度のアルバム『NO SIDE』なんかも、はっきりした方向性を示しているから。本当に詩もいいね。やっぱり詩がダメな曲はダメってことだ。今のシティ・ミュージックはカフェバーで女の子を口説いているみたいな詩ばっかりだ。そんな感覚で歌を作っちゃいけない。ユーミンはシティ・ミュージックなんて枠からとうに抜け出してる感じがする」と書いている[8]。1987年に松任谷由実は、当時の音楽状況について「男性のミュージシャンにとって今はつらい時期でしょうね。男が出てってメッセージしなきゃいけないような立場にないもの。女だったらメッセージ色が濃くなくてもロックをやるだけでメッセージのように見える。男はロックの次に、だから何だと要求される。HOUND DOGや浜田省吾さんのように、肉体派というか、もくもくとステージをこなすことが今は正解のような気がしますね」と述べ[9]、週刊明星は「いつのまにかミュージックシーンも女性上位になったのか、それともユーミンが強いのか、"男ユーミン"と呼ばれるような"シティー派"が女性ファンの人気を集めるようになった」と解説している[9]。
「歌謡曲」の職業作家もこのジャンルに乗り出すようになり、都会的で洗練された音楽性に合わせて、歌詞世界も、それまでの「反戦平和」「政治権力批判」などを歌う傾向にあったフォークとは一線を画した。都市生活者の快適な生活や、生活感の薄い無機的な描写、ローカル、田舎の生活感の切り捨て、豊かさを背景にした享楽的傾向、しらけ世代を象徴する無気力、などが強く表れる歌詞の楽曲が増えていった[要出典]。
広告会社、テレビ局、レコード会社の営業マンが好むような、「企業のCMのタイアップソング」という現象が増えたのも、この時期である[要出典]。バブル景気への移行過程で商業主的、都会的なものが日本中にあふれ、「都会的なこと」自体がセールスポイントになった[要出典]。フォークのたま、ロックのレベッカやTHE BLUE HEARTSなどが中心となった第二次バンドブームは、シティ・ポップとは異なったブームだったが、すぐにピチカート・ファイヴなどの渋谷系が台頭し、シティ・ポップ、AOR的な音楽は残っていった。
1990年代以降はシティ・ポップという呼称は、あまり使用されなくなっていた[要出典]。この頃、イギリスでは、アシッド・ジャズ界からジャミロクワイがデビューする。しかし、ジャミロクワイの楽曲が、日本でシティ・ポップに認定され、ボーカルのジェイ・ケイがシティ・ポップのアイコンの一人となるのは、1993年のデビューから、25年の歳月がかかる[要出典]。
2000年代後半に入ると、1980年代に青年期を過ごした聴衆が音楽業界や社会の中枢を占めるようになり、シティ・ポップというジャンルの再評価・再発見が無秩序に行われている。また、現在[いつ?]ではYouTubeなど動画共有サービスでシティ・ポップの曲が多数アップロードされているため容易にシティ・ポップに触れることができるようになったことで、新たにシティ・ポップのファンとなった人も多い。ヴェイパーウェイヴから派生したフューチャーファンクで頻繁にサンプリングされた事で、元ネタであるシティ・ポップの人気が海外でも高まっており、海外からの来日客の中には、シティ・ポップのアナログレコードを求めて日本の中古レコード・CD店巡りをする人も見られている[10]。
2000年以降ではキンモクセイがシティ・ポップ・グループを自称し、キリンジなども「自分たちの音楽はシティ・ポップだ」という趣旨の発言をしている。他にも土岐麻子やSuchmosなどが、こうした路線に追随する作品を発表している。また、山口美央子は1980年代前半にシングル・アルバムを数枚発売したあとは職業作曲家に専念していたが、平成末期に再評価されたことで2018年に35年ぶりに歌手活動を再開した。
2010年代後半、シティ・ポップブーム再来。一般レベルまで浸透させたのは、2017年~2018年、ジャミロクワイ、Suchmosなどの楽曲が、都会、夜、車をテーマにした車のCMにタイアップされたことが大きい。以降、それらをテーマにした車のCMにタイアップされることが、アシッド・ジャズ感が強く出たシティ・ポップ系アーティスト達の登竜門となるまで、社会現象が起きている[要出典]。
これに過去と未来へのトリップを含めフューチャー感を出す、松任谷由実やジャミロクワイのようなアーティストもいる。
2019年、槇原敬之が宇多田ヒカルのtraveling(2001)をシティ・ポップ風にカバー。アシッド・ジャズ感を効かせたアレンジになっている。この曲も2015年~2020年前後のシティ・ポップでよく表現される都会、夜、車がテーマになっている。ジャミロクワイのTravelling Without Moving ~ジャミロクワイと旅に出よう~や松任谷由実の深海の海同様、時間と空間を行き来するトリップ感を表現している[要出典]。
2020年前後になるとメルセデス・ベンツのCMまでアシッド・ジャズ感が強いシティ・ポップの楽曲が採用されるようになる。
2017年~2019年、竹内まりやのプラスチック・ラブ(1984) が、欧米と欧州を中心にYoutubeで、2400万回以上再生され、コメント欄が英語で何千と埋め尽くされる。発売当時のレコードの売上は1万枚以下であったが、35年近い年月を経て、ジャパニーズ・シティ・ポップとして、世界的な評価を受けることになる。現在 (2020年前後) のシティポップブーム再来に合わせたプロモーションビデオまで、新たな表現を加え、作成される。
2020年前後のシティ・ポップの解釈では、80年代前半のフュージョンで有名なシャカタク、90年代のアシッド・ジャズで有名なジャミロクワイやインコグニートなども取り上げられるようになる[要出典]。
世界が国籍や国境にこだわらない多様性社会に突入したことや、竹内まりやのプラスチック・ラブ(1984)が欧米・欧州諸国で35年近くの歳月を得て、Youtubeで世界的評価をされたことがあったり、シティ・ポップという概念も日本だけに収まるものではなくなったから[要出典]。
それ以上にジャミロクワイの持つ抜群の音楽センスが日本のシティ・ポップ系アーティストに多大なる影響を与えた功績が大きい[要出典]。
2015年以降に起こった概要闘争に対して、松任谷由実と竹内まりやが示した、新たな方向性[編集]
1980年代当時のシティ・ポップを知る一般の音楽リスナーからは、「1980年代と2000年代以降で似て非なるもの」「既存のものを再編する必要があったのか」「解釈が違うのであれば新しいジャンル名を作るべき」「東芝EMIが主に使っていた」「年代が遡るものは偽史」「後付ミュージシャンが代表と捏造されたら、当時の該当ミュージシャンの立場がない」「1970年代後期~1980年代に実際に呼ばれていたミュージシャンを区別すべき」などの意見が挙がっており[要出典]、既存と異なる解釈や異なる起点によって再編されたものについては、詳細な説明が求められる[誰?]。
なお、このことは松任谷由実と竹内まりやが若者に対して回答をしている[要出典]。
松任谷由実はWBSのテーマソングとして深海の海を描き、新旧繋げたインタビュー回答を若者に対してする。松任谷由実いわく近年のシティ・ポップで名前の挙がる「サカナクションやSuchmosから影響を受けている。その上で自分にしか表現できない大人のシティ・ポップを仕上げた。」とのこと[要出典]。その曲は80年代前半のAOR的なものになっており、近年のシティ・ポップの表現でよく見る都会、夜が表現される。ジャミロクワイのTravelling Without Moving ~ジャミロクワイと旅に出よう~(1996)のアルバムと同じく、時間と空間を行き来した、トリップ感を加えている。
竹内まりやに関しては35年の時を経て作られたプラスティック・ラブ(1984)のPVがその回答となっており[要出典]、近年のシティ・ポップに合わせた内容として作成された。PVでは「今どきの若者を起用し、新たな解釈を吹き込む形」で2020年前後の若者に向けて回答をしている[要出典]。PVは2019年に作成。
2015年以後のシティ・ポップの特徴[編集]
2010年代後半、シティ・ポップブーム再来[要出典]。一般レベルまで浸透させたのは、2017年~2018年、ジャミロクワイ、Suchmosなどの楽曲が、都会、夜、車をテーマにした車のCMにタイアップされたことが大きい[要出典]。以降、それらをテーマにした車のCMにタイアップされることが、アシッド・ジャズ感が強く出たシティ・ポップ系アーティスト達の登竜門となるまで、社会現象が起きている[要出典]。
これに過去と未来へのトリップを含めフューチャー感を出す松任谷由実やジャミロクワイのようなアーティストもいる。
2019年、槇原敬之が宇多田ヒカルのtraveling(2001年)をシティ・ポップ風にカバー。アシッド・ジャズ感を効かせたアレンジになっている。この曲も2015年以後のシティ・ポップでよく見る都会、夜、車がテーマになっている。この曲もジャミロクワイのTravelling Without Moving ~ジャミロクワイと旅に出よう~や松任谷由実の深海の海同様、時間と空間を行き来するトリップ感を表現している。
2017年~2019年、竹内まりやのプラスチック・ラブ(1984) が、欧米と欧州を中心にYoutubeで2400万回以上再生され、コメント欄が英語で何千と埋め尽くされる(前述)。
2019年頃のシティ・ポップの解釈では、90年代のアシッド・ジャズが加わりジャミロクワイやインコグニートなども取り上げられるようになる[要出典]。
世界が国籍国境にこだわらない多様性社会に突入したことや、竹内まりやのプラスチック・ラブ(1984)が欧米・欧州諸国で35年近くの歳月を得て、Youtubeで世界的評価をされたことがあったり、シティ・ポップという概念も日本だけに収まるものではなくなったから[要出典]。
それ以上にジャミロクワイの持つ音楽センスが日本のシティ・ポップ系アーティストに多大なる影響を与えた功績が大きい[要出典]。
2015年以降、シティ・ポップブーム再来と新たな解釈[編集]
シティ・ポップ全盛期である80年代前半は、プロモーションビデオが普及しきってなかったため、80年代にはイメージできなかった都会、夜、車のイメージが新たな解釈として広まった
2010年代後半、シティ・ポップブームが再来。一般レベルまで浸透させたのは、2017年~2018年、ジャミロクワイ、Suchmosなどの楽曲が、都会、夜、車をテーマにした車のCMにタイアップされたことが大きい(前述)。
これに過去と未来へのトリップを含めフューチャー感を出す松任谷由実やジャミロクワイのようなアーティストもいる。
2019年頃になるとメルセデス・ベンツのCMまでアシッド・ジャズ感が強いシティ・ポップの楽曲が採用されるようになる。
竹内まりやがプラスチック・ラブのプロモーションビデオを2019年に作成。そこでも近年の車のCMに見る夜、都会、車、大人の四つが描かれている。
2019年頃、松任谷由実がWBSのために、大人のシティ・ポップとして2019年版の“ネオ・シティ・ポップ”新曲深海の海を提供する。
松任谷由実が、サカナクション、Suchmosのことにもインタビューで触れ、現在と過去のシティポップを繋いでいく貴重なインタビューもある。
サカナクションの忘れられないのが大ヒット & 80年代風プロモーションビデオが話題に。
2020年前後のシティ・ポップの解釈では、90年代のアシッド・ジャズで有名なジャミロクワイやインコグニートなども取り上げられるようになる。
2019年頃にシティ・ポップ風にアレンジされたカバー曲[編集]
2019年、槇原敬之が宇多田ヒカルのtraveling(2001)をシティ・ポップ風にカバー。アシッド・ジャズ感を効かせたアレンジになっている。この曲も2015以後のシティ・ポップでよく見る表現として、都会、夜、車がテーマになっている。ジャミロクワイのTravelling Without Moving ~ジャミロクワイと旅に出よう~や松任谷由実の深海の海同様、時間と空間を行き来するトリップ感を表現している。
DA PUMPのU.S.A.を山下達郎風にカバーしたポセイドン石川がB'zのラブ・ファントムをシティ・ポップ風にカバー。プロモーションビデオもまた、都会、夜、車が描かれている。
2015年以降、竹内まりやが欧米・欧州に起こしたジャパニーズ・シティ・ポップブーム[編集]
2017年~2019年、竹内まりやのプラスチック・ラブ(1984年) が、欧米と欧州を中心にYoutubeで、2400万回以上再生され、コメント欄が英語で何千と埋め尽くされる。発売当時のレコードの売上は1万枚以下であったが、35年近い年月を経て、ジャパニーズ・シティ・ポップとして、世界的な評価を受けることになる。シティポップブームに合わせたプロモーションビデオまで、新たな解釈を加え、作成される。
竹内まりやを萌えキャラ化したアニメ映像もYoutubeにあげられた。
クラッシャー・ジョウ、リン・ミンメイなど、80年代のアニメキャラを背景に、80年代のDISCO風Youtube動画と共に広まる。
竹内まりやがプラスチック・ラブのプロモーションビデオを2019年に作成。新たな解釈として、都会、夜、車をテーマとした近年のシティ・ポップに見る表現を加え、作成される。
2015年以降ジャミロクワイなど海外アーティストがシティ・ポップに加えられていった理由[編集]
世界が国籍・国境にこだわらない多様性社会に突入したことや、竹内まりやのプラスチック・ラブ(1984)が欧米・欧州諸国で35年近くの歳月を得て、Youtubeで世界的評価をされたことがあったり、シティ・ポップという概念も日本だけに収まるものではなくなったから[要出典]。
それ以上にジャミロクワイの持つ音楽センスが日本のシティ・ポップ系アーティストに影響を与えた功績が大きい[要出典]。
松任谷由実とジャミロクワイの共通点は、『スペースカウボーイ』(1994年)、『バーチャル・インサニティ』(1996年)、『コズミック・ガール』(1996年)等、宇宙などのスペース感があったり、過去・未来、時間・空間を行き来するトリップ感があること。これらは、近年[いつ?]のシティ・ポップに欠かせない近未来感がある。車をPVに登場させたり、見せるシティ・ポップの先駆者でもあるからだ[要出典]。ジェイ・ケイはフューチャー・インディアンに扮し、自然環境の偉大さを訴えたり、都会と大自然を行き来するトリップ感も壮大で、25年以上経った今でも斬新さがあり、高く評価され続ける[要出典]。ジェイ・ケイはデビュー時からインディアンのファッションをするなどファッションアイコンでもある。
音楽の特徴としてはアシッド・ジャズだが、AORという言葉さえ死語に近くなってた90年代に、70年代のファンクを強烈に鳴らしながらも、「どの時代で聴いても全く古く感じさせないアレンジ」をやっていたり、「誰にも真似ができない唯一無二の斬新な才能」[要出典]がジャミロクワイにはある。そこがシティ・ポップ系のアーティスト達に影響を与えるどころか、あらゆるジャンルにアプローチができる要因になっている[要出典]。ジェイ・ケイ本人はフェラーリを所有したり、それをPVに登場させたりしてる。『コズミック・ガール』のPVではジェイ・ケイ本人がフェラーリを運転している。
著名なミュージシャン[編集]
- 参考文献
- 『昭和40年男 2014年 02月号』(クレタパブリッシング)
- 『ジャパニーズ・シティ・ポップ』(木村ユタカ監修・シンコーミュージック・2006年)
- 参考文献と文献以外の中から、特に著名な音楽家を掲載する。
海外ミュージシャン[編集]
- ジャミロクワイ
- 『スペース・カウボーイの逆襲 (The Return of the Space Cowboy)』(1994)
- 「ヴァーチャル・インサニティ」(1996)
- 『トラベリング・ウィズアウト・ムービング~ジャミロクワイと旅に出よう~ (Travelling Without Moving)』より
- 「Time Won’t Wait」(2005)(『ダイナマイト』より)
- 『ファンク・オデッセイ』(2001)
- インコグニート
- Shakatak ( シャカタク )
日本国内ミュージシャン[編集]
- Suchmos
- 竹内まりや
- 「プラスチック・ラブ」(1984年)
- サカナクション
- 「忘れられないの」(2019年)
- 田島貴男(ORIGINAL LOVE)
- 相曽晴日
- 安部恭弘
- 安全地帯
- 杏里
- 石川優子
- 1986オメガトライブ
- 伊藤銀次
- 稲垣潤一
- 「246:3AM」(1982年)
- 「Personally」(1984年)
- 井上鑑(あきら)
- 「PROPHETIC DREAM」(1982年)
- EPO
- 「DOWN TOWN」(1980年)
- 「GOODIES」(1981年)
- 大江千里
- 大澤誉志幸
- 大滝詠一
- 「A LONG VACATION」(1981年)
- 大貫妙子
- 「アヴァンチュール」(1981年)
- 尾崎亜美
- オメガトライブ
- 加藤有紀
- 門あさ美
- 角松敏生
- 「WEEKEND FLY TO THE SUN」(1982年)
- 「ON THE CITY SHORE」(1983年)
- 「REASONS FOR THOUSAND LOVERS」(1989年)
- 金井夕子
- 紙風船
- カルロストシキ
- KAN
- 来生たかお
- 楠瀬誠志郎
- 小林健
- 「Urban Blue」(1986年)
- 「SIZZLE」(1987年)
- 久保田利伸
- 「SHAKE IT PARADISE」(1986年)
- 「GROOVIN'」(1987年)
- 黒住憲五
- 桑名晴子
- 国分友里恵
- 小比類巻かほる
- サーカス
- 「ミスター・サマータイム}(1977年)
- 斉藤哲夫
- 崎谷健次郎
- 佐藤奈々子(nanaco)
- 佐藤博(ハックルバック)
- サミー
- 「ストンプアンドシューター」シングル
- 佐野元春
- しばたはつみ
- SING LIKE TALKING
- 杉山清貴
- 「beyond...」(1986年)
- 「realtime to paradise」(1987年)
- 杉真理
- 鈴木茂
- スターダストレビュー
- 「RENDEZ-VOUS」(1988年)
- スペクトラム
- センチメンタル・シティ・ロマンス
- 惣領智子(TINNA)
- 高木麻早
- 高中正義
- 「TRAUMATIC 極東探偵団」(1985年)
- 高野寛
- 「CUE」(1990年)
- 竹内まりや
- 「プラスチック・ラブ」(1984年)
- 「セプテンバー」シングル
- 「不思議なピーチパイ」シングル
- 田島貴男(ORIGINAL LOVE)
- 寺尾聰
- 「Reflections」(1981年)
- 当山ひとみ:沖縄出身
- 徳永英明
- 「radio」(1986年)
- 刀根麻理子
- ドリームズ・カム・トゥルー
- 中西圭三
- 中西保志
- 中原めいこ
- 「君たちキウイ、パパイヤ、マンゴーだね」シングル
- 「mint」(1983年)
- 「MOODS」(1986年)
- 「PUZZLE」(1987年)
- 「鏡の中のアクトレス」(1988年)
- 「303 EAST 60TH STREET」(1990年)
- PIPER
- 「I'M NOT IN LOVE」(1981年)
- 「LOVERS LOGIC」(1985年)
- ハイ・ファイ・セット
- 「White Moon」(1990年)
- 原田真二
- 「Save Our Soul」(1983年)
- 「MODERN VISION」(1984年)
- 濱田金吾
- 「Manhattan in the Rain」(1980年)
- 「Feel the Night」(1981年)
- 「midnight cruisin'」(1982年)
- 「MUGSHOT」(1983年)
- 平松愛理
- ブレッド&バター
- 「Late Late Summer」(1979年)
- 松原みき
- 「真夜中のドア~Stay with me」(1979年)シングル
- 丸山圭子
- 南佳孝
- 「SILKSCREEN」(1981年)
- 「SEVENTH AVENUE SOUTH」(1982年)
- 村田和人
- 八神純子
- 「FULL MOON」(1983年)
- 「COMMUNICATION」(1985年)
- 泰葉
- 「フライディ・チャイナタウン」(1979年)
- 「TRANSIT」(1981年)
- 矢野顕子
- やまがたすみこ
- 山口美央子
- 山下達郎
- 「SPACY」(1977年)
- 「RIDE ON TIME」(1980年)
- 「FOR YOU」(1982年)
- 「MELODIES」(1983年)
- 山下久美子
- 山根麻衣
- 山本達彦
- 「MUSIC」(1984年)
- 吉田美奈子
- 芳野藤丸(SHOGUN)
- 「YOSHINO FUJIMARU」(1982年)
- 「ROMANTIC GUYS」(1983年)
スタジオ・ミュージシャン[編集]
作曲家、編曲家、プロデューサー[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ http://rateyourmusic.com/genre/City+Pop/
- ↑ 山下達郎や長門芳郎らが詳しいシティ・ポップ・バンド http://www.discogs.com/Fifth-Avenue-Band
- ↑ http://www.allmusic.com/album/full-moon-mw0000454427
- ↑ http://davidfoster.com/
- ↑ はっぴいえんど、ユーミン、サザン……萩原健太に訊く、70年代に“偉大な才能”が多数登場した背景、シティーポップ勢のベスト盤!|HMV&BOOKS onlineニュース、2018年は日本の音楽が世界を席巻! 再評価高まる“80年代シティポップ”とは、シティ・ポップス NOW & THEN、ディスク・コレクションジャパニーズ・シティ・ポップ、サザンを正しく語りたい/スージー鈴木『サザンオールスターズ 1978-1985』
- ↑ 「ニューロック基礎講座 証言#2 つのだ☆ひろ」『ROCKS OFF Vol.04』2008年3月16日発行、シンコーミュージック・エンタテイメント、 21頁、 モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784401631827。野地秩嘉『芸能ビジネスを創った男-渡辺プロとその時代』新潮社、2006年、96 - 99頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784104141029。
- ↑ 「SPACE/OF FOLK/&ROCK 恒例、'83年フォーク&ロック界大総括『本気の歌はどこへ行ったか!?』」『月刊明星』1984年2月号、集英社、 156–157頁。
- ↑ 「SPACE/OF FOLK/&ROCK 恒例、1984年フォーク&ロック大総括 第一線記者座談会 『ビジュアル派が制したF&R戦国時代』」『月刊明星』1985年2月号、集英社、 144–145頁。
- ↑ 9.0 9.1 「HUMAN THEATER 人間劇場 第132回 松任谷由実 『美人を作る白魔術教えます!』」『週刊明星』1987年12月10日号、集英社、 60頁。
- ↑ YOUは何しに日本へ? YOUに大切な物をあげる…ひと夏の経験SP(2017年8月7日放送分) - goo tv(関東版)
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