響龍光稀

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基礎情報
四股名 天野→豊関山→響龍
本名 天野 光稀[1]
生年月日 (1993-03-17) 1993年3月17日
没年月日 (2021-04-28) 2021年4月28日(28歳没)
出身 山口県下関市
身長 178cm
体重 140kg
BMI 44.19
所属部屋 境川部屋
成績
現在の番付 引退(死去)
最高位 西三段目24枚目
生涯戦歴 195勝206敗5休(60場所)
データ
初土俵 2011年5月技量審査場所
引退 2021年3月場所
(番付上は2020年5月場所)
引退後 現役中に死去
備考
テンプレート  ■プロジェクト 相撲

響龍 光稀(ひびきりゅう みつき、1993年〈平成5年〉3月17日 - 2021年〈令和3年〉4月28日)は、境川部屋に所属していた大相撲力士。最高位は西三段目24枚目(2019年9月場所)。日本相撲協会として本場所の取組中の事故が原因となって力士が死亡した初の事例とされる[1][2]

来歴[編集]

小学校4年のとき、父親と行った相撲クラブで初めてまわしを締めた。13歳のときに父親を亡くし、中学時代は病気で体重が落ちた時期もあるという[3]。しかし同郷の元幕内の豊響に憧れ、中学時代から境川部屋に稽古に出向いていた[4]

山口県立響高等学校(現山口県立下関北高等学校)時代は相撲部に所属し、2年次に全国高校総体で団体ベスト16入賞。部長を務めていた経験もある[5]

2011年2月はじめに大相撲八百長問題が発覚し、場所開催どころか角界の存亡も危ぶまれる状況となったが、8日に母校で行われた壮行会では「ぼくはぼく。親方を信じて頑張りたい」と大相撲入門の決意を語った[6]。同月に13代境川と共に上京し、5月の技能審査場所で初土俵を踏んだ。

入門直後の2011年7月場所から2012年11月場所まで名乗った豊関山、2013年1月場所から生涯名乗った響龍は、母校の響高校[5]、また母校の先輩である豊響の影響を受けての四股名であった。豊響は幕下に陥落してからも、響龍に弱気な姿を見せられないとして現役を続投していた。

土俵上の事故で緊急搬送・死去[編集]

事故からの経緯[編集]

響龍は2021年3月場所13日目の取組で、土俵際ですくい投げを受けた。その際に土俵の俵と土俵の間に頭部が落ちて挟まってしまい、頭部が固定されたかたちで、相手と自身の圧力がかかってしまったのではないかと至近で見ていた関係者は話している[7]。意識はあったがうつぶせのまま立つことができなかった。審判部の担当で審判長を務めていた18代放駒はイヤホンマイクでビデオ室の親方に連絡、そこから相撲診療所の医師を電話で呼んだが、地下にある診療所から医師が到着するのに時間がかかった[8]。響龍は倒れてから約6分後に担架に乗せられて土俵を降り、都内の病院に救急搬送された。救急搬送された際、協会関係者に体のしびれにより首から下が動かないなどと訴えていたという[1]

3月27日に師匠の13代境川が「一生懸命、治療に専念しております」とコメントして以来、公になっていなかった入院中の容態について、角界関係者は頸椎損傷によって首から下が動かなかった状態のときも意識はあり会話はできる様子であったと話している。4月初旬に肺炎を患ったが、改善したあとは肩が少しずつ動くようになってきていたという[9]。しかし、4月28日に容体が急変し、急性呼吸不全のため死去した。28歳没。

入院生活で寝たきりの状態が続いており、肺血栓を患っていたという。また、関係者には「痰がよくたまる」などと訴えていたという[1]

芝田山広報部長は「搬送された後は入院していたが、意識はあって話ができるとは聞いていた。若い力士が亡くなったことは非常に切なく、残念」と悔やんだ[1]。また、5月場所4日目(12日)には、師匠の13代境川がNHKラジオの大相撲中継に解説者として出演時に「(響龍も対戦相手も)3勝3敗で何が何でも勝ちたいという思いだった。1ヶ月の闘病だったが、つらい結果になってしまった」「最期は呼吸が自力でできなくなり、喉に穴を開けて機械を通しました。寝たきりで動かないと血栓ができるので、血液をサラサラにする薬を入れなければいけないけど、そうすると出血が止まらなくなる」と死去に至った経緯について改めて説明した[10]

日本相撲協会は同月26日に22人の力士の引退を発表しており、響龍もこの日での引退扱いとなった[11]

告別式は5月1日に部屋近くで営まれたが、地元からは母親ら数人しか参列できなかった[3]。このため高校時代の同級生5人が実行委員会を組織し、参加希望者を募るかたちで「響龍の天野光稀さんの四十九日の法要としのぶ会」が6月19日に下関市内で行われる[12]

事故時の応急対応改善への動き[編集]

2021年初場所10日目の幕下取組中に起こった力士の脳震盪問題、また響龍が死去した件を踏まえ、日本相撲協会では取組上の事故で負傷した力士への対応を改善する必要性が話し合われ、改善への取り組みが続いている。

  • 初場所10日目の幕下の取組で脳震盪を起こした力士への対応について場所後に審判部が話し合い[13][14]、1月28日に理事会で勝負規定の一部変更が行われた。「相撲が取ることが危険と審判部が判断した場合は『不戦敗』として相撲を取らせないようにする」ことが明文化されている[15]
    • 5月場所10日目(18日)、1月28日に勝負規定に追加された規則の初適用が行われた。序二段の取組(安西 - 武士)で行司軍配に物言いがついて協議となり、同体と見て取り直しが妥当とされた。しかし、武士が膝を負傷していたため取り直し不可能と判断され「武士の不戦敗、安西の勝ち」とする旨、場内説明となった[16]
  • 3月場所千秋楽の3日後となる3月31日に行われた5月場所の番付編成会議では、審判部から「医師が土俵の近くにいるようにしましょう」という意見が出た。出席者によると「(意見を)上に上げる」方向でまとまったという。ある親方は「勝つために、落ちる時は手をつかないで顔から落ちろと教えてきたけど、今はそうも言えなくなってきた」と話している[2]
    • 「顔から落ちろ」と教えられることについては、15代浅香山が日本経済新聞に連載中のコラムで理由を説明している。『勝負に "勝つために" 手をつくのを一瞬でも遅らせるため』という解釈は誤りで、「相手に投げられて勢いがついた状態で手をつくと骨折や脱臼の危険性がある」ため「受け身のために体を丸くして転がりなさい」というのが本来の教えであるという。柔道でも相撲でも怪我をしない受け身の取り方をまず基本として学ぶもので、相撲教習所でも投げられてもう駄目だと思ったら身体を丸くして受け身を取る癖をつけるよう指導している。救護体制の充実が急務だが、最近は関取でも受け身の稽古を怠っている力士を見受けることを憂慮しているという[17]
  • 5月場所前、7日に相撲協会は両国国技館で「土俵上の応急対応処置講習会」を開いた[18]。審判部や土俵周囲で警備にあたる親方衆・呼出・若者頭・相撲診療所の医師ら60名が参加し[19]、スポーツ現場での安全対策の専門家から事故対応時の指導を受けた[20]
    • 講師として招かれたのは、NPO法人スポーツセーフティージャパン代表理事の佐保豊(アスレティックトレーナー)[21]。相撲協会から救急時の搬送法の検証と指導を依頼されたという。講習では「緊急時の判断、誰がどのように動くか、搬送に何名必要か」などの検証とともに、1秒でも早く医療機関に搬送することを第一として協会員への指導を行った。
    • 協会員からは、土俵上だけでなく土俵外への落下で起こった事故への対応についても質問を受けたという。取組で起こる事故のさまざまなパターンを出してもらって佐保は検討を重ねた。救急隊員が3人来ても力士は運べないため、警備担当の親方に倒れている状況に応じた搬送の知識と技術を身に着けてもらうため、最新の頭部を固定できるストレッチャーの使い方も指導した[22]。ストレッチャーは5月場所より正面花道奥に配備され、場所中にも警備担当の親方衆が訓練を重ねたという。
    • 春日野警備本部長は「みんな怖々という意識があったが、迅速かつ適切に対応し、早く専門の医師に任せることが必要という話があった」「土俵の充実を目指し、力士が思い切って取る中で不慮の事故も起きる。迅速に(救護・救急搬送が)できるように対応していきたい」と話している[23]
    • 佐保はこの講習会について「改善される第一歩を踏み出したというところです」「人・物・体制をちゃんと整えましょうということ」と話している。土俵下に医師を配置することについては、15日間のあいだ朝から晩までの配置は現実的ではないと判断しているという[24]
  • 研修の成果は5月場所よりあらわれている。協会関係者によると、力士がけがをした場合は救護を最優先とし、まず負傷者の搬送にあたる流れとなった。勝ち名乗りは後回しにして、相手力士や行司はいったん土俵下へ降りるよう改められた[25]
    • 8日目の三段目取組で大翔成が負傷して土俵下に落ちたとき、8日目の幕下取組で小城の浜がひざを痛めて赤房下に落ちたとき、14日目の幕下取組で聖冴が負傷して土俵下に落ちたとき、いずれもすぐに警備担当の親方が駆けつけて1分以内に車いすが用意され迅速な搬送が行われた[24]

成績[編集]

  • 195勝206敗5休(60場所)

場所別成績[編集]

響龍 光稀
一月場所
初場所(東京)
三月場所
春場所(大阪)
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知)
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡)
2011年
(平成23年)
x 八百長問題
により中止
(前相撲) 西序ノ口13枚目
3–4 
西序ノ口6枚目
5–2 
西序二段61枚目
3–4 
2012年
(平成24年)
東序二段80枚目
4–3 
東序二段51枚目
4–3 
東序二段25枚目
2–5 
西序二段56枚目
4–3 
西序二段31枚目
4–3 
西序二段9枚目
3–4 
2013年
(平成25年)
西序二段31枚目
3–4 
西序二段50枚目
3–4 
西序二段69枚目
4–3 
東序二段41枚目
4–3 
西序二段21枚目
4–3 
西序二段3枚目
2–5 
2014年
(平成26年)
西序二段33枚目
5–2 
西三段目97枚目
5–2 
西三段目67枚目
0–2–5 
西序二段17枚目
5–2 
東三段目81枚目
5–2 
東三段目49枚目
1–6 
2015年
(平成27年)
東三段目83枚目
3–4 
西三段目96枚目
2–5 
東序二段33枚目
3–4 
西序二段54枚目
4–3 
西序二段25枚目
4–3 
東序二段4枚目
5–2 
2016年
(平成28年)
西三段目68枚目
1–6 
西序二段筆頭
3–4 
西序二段22枚目
4–3 
西序二段筆頭
3–4 
西序二段26枚目
4–3 
東序二段4枚目
2–5 
2017年
(平成29年)
西序二段33枚目
5–2 
東三段目97枚目
4–3 
東三段目78枚目
2–5 
東序二段7枚目
4–3 
東三段目88枚目
3–4 
西三段目96枚目
1–6 
2018年
(平成30年)
東序二段36枚目
4–3 
東序二段16枚目
4–3 
東三段目97枚目
3–4 
東序二段17枚目
6–1 
東三段目56枚目
4–3 
東三段目41枚目
1–6 
2019年
(平成31年
/令和元年)
東三段目79枚目
3–4 
東三段目91枚目
4–3 
西三段目71枚目
5–2 
東三段目38枚目
4–3 
西三段目24枚目
3–4 
東三段目42枚目
1–6 
2020年
(令和2年)
東三段目79枚目
2–5 
東序二段2枚目
4–3 
感染症拡大
により中止
東三段目82枚目
3–4 
西三段目92枚目
5–2 
東三段目61枚目
2–5 
2021年
(令和3年)
東三段目84枚目
4–3 
東三段目65枚目
3–4 
東三段目79枚目
引退
––
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞:=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 天野 光稀(あまの みつき)2011年5月技量審査場所
  • 豊関山 光稀(ほうかんやま みつき)2011年7月場所 - 2012年11月場所
  • 響龍 光稀(ひびきりゅう みつき)2013年1月場所 - 2021年5月場所

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 響龍さん死去 28日に容体急変 「たんがよくたまる」入院中に訴えていた - 日刊スポーツ 2021年4月29日19時2分 (2021年5月1日閲覧)
  2. 2.0 2.1 響龍さん死去で対策は 相撲診療所の医師が早く駆けつけられる体制作りを - 日刊スポーツ 2021年4月30日14時2分 (2021年5月1日閲覧)
  3. 3.0 3.1 父が示してくれた、相撲の道 春場所の取組で負傷、亡くなった「響龍」天野光稀さん:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル(2021年5月16日). 2021年5月26日閲覧。
  4. こんな時期に新弟子入門…涙が出るような彼らのひと言” (日本語). J-CAST テレビウォッチ (2011年2月9日). 2021年5月26日閲覧。
  5. 5.0 5.1 28歳で亡くなった力士 新聞の投書につづっていた思い:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル(2021年5月16日). 2021年5月26日閲覧。
  6. asahi.com(朝日新聞社):「ぼくはぼく」17歳角界へ 逆風のなか入門貫く 山口 - 揺れる角界”. www.asahi.com(2011年2月9日). 2021年5月26日閲覧。
  7. 響龍さん、不運重なった「俵と土俵のちょうど間に頭から落ちた」と指摘も - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2021年4月29日). 2021年5月26日閲覧。
  8. 『相撲 6月号』ベースボールマガジン社、2021年5月27日、12頁。
  9. 取組で頭部から落下の響龍さん死去、28歳 闘病1カ月超…“土俵禍”に角界ショック - デイリースポーツonline 2021.04.30 (2021年5月1日閲覧)
  10. 響龍さんの師匠、境川親方が初めて心境 取組事故で死去「何が何でも勝ちたいという思い。つらい結果になってしまった」” (日本語). zakzak (2021年5月13日). 2021年5月26日閲覧。
  11. 元関脇琴勇輝が年寄君ケ浜襲名 死亡の響龍さんら21人の引退発表 - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2021年5月26日). 2021年5月26日閲覧。
  12. 響龍さん「しのぶ会」 地元・下関の友人らが企画:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル(2021年5月26日). 2021年5月26日閲覧。
  13. 大相撲も脳振とう考慮 危険と審判部が判断した場合「不戦敗」の方針 勝負規定も変更へ/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2021年1月27日). 2021年5月26日閲覧。
  14. 脳振とう問題初場所後に協議へ、力士は検査異常なし - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2021年1月19日). 2021年5月26日閲覧。
  15. 相撲協会が審判規則一部変更 脳震とう問題など受け - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2021年1月28日). 2021年5月26日閲覧。
  16. 序二段取り直しの一番、続行無理と判断し不戦敗 初場所後追加の規則初適用 - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2021年5月18日). 2021年5月26日閲覧。
  17. 土俵の安全、まず基礎の徹底から(写真=共同)” (日本語). 日本経済新聞 (2021年5月7日). 2021年5月29日閲覧。
  18. INC, SANKEI DIGITAL (2021年4月30日). “土俵上の応急対応処置講習会を開催へ 日本相撲協会” (日本語). 産経ニュース. 2021年5月26日閲覧。
  19. 応急処置の講習会開催 大相撲:時事ドットコム” (日本語). 時事ドットコム(2021年5月7日). 2021年5月29日閲覧。
  20. 日本相撲協会 親方衆に応急処置講習 土俵の安全どう守る” (日本語). 毎日新聞(2021年5月8日). 2021年5月26日閲覧。
  21. INC, SANKEI DIGITAL (2021年5月7日). “相撲協会が応急処置講習会 土俵での負傷に対応” (日本語). 産経ニュース. 2021年5月29日閲覧。
  22. 土俵上の応急対応措置、審判部ら「いかに早く医師に診せるか」手順学ぶ - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2021年5月7日). 2021年5月29日閲覧。
  23. 相撲協会が「応急対応講習会」 相次ぐ取組中の事故受け” (日本語). 毎日新聞(2021年5月7日). 2021年5月29日閲覧。
  24. 24.0 24.1 『相撲 6月号』ベースボールマガジン社、2021年5月27日、13頁。
  25. 勝ち名乗りよりもケガ救護最優先…首固定する担架も配備” (日本語). スポーツ報知 (2021年5月19日). 2021年5月26日閲覧。

関連項目[編集]

  • 大相撲力士一覧
  • 現役中に死亡した力士一覧

外部リンク[編集]


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