You can edit almost every page by Creating an account. Otherwise, see the FAQ.

横綱

提供:EverybodyWiki Bios & Wiki
移動先:案内検索

横綱(よこづな)は、大相撲の力士の地位の一つで、最高位のものである。大関の上。幕内に属する。

呼称・由来[編集]

元は、時の力士の内の実力者(原則、大関)の中から、特に優れたものに対して、白麻製の注連縄の綱を腰に締めて土俵入りを行うことが許可されたことを指す。この綱を「横綱」と読んだことから転じて、綱を締めることを許可された力士のことを「横綱」という称号で呼ぶようになった(詳細は後述)。その後、横綱免許を得た力士については番付上も「横綱」と記載するようになり、称号ではなく地位としての横綱が確立することとなった。

特徴[編集]

  • 全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。したがって、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求され、それが果たせなくなった時は、(他の地位の力士と違い)力量相応の地位に降ろされるのではなく、現役を引退することとなる。
横綱の品格基準として、は日本相撲協会は以下のように明記している。
  • 一、相撲に精進する気迫
  • 二、地位に対する責任感
  • 三、社会に対する責任感
  • 四、常識ある生活態度
  • 五、その他横綱として求められる事項
  • 月給は300万円であり、大関(250万円)よりも増える。
  • 横綱に昇進すると、名誉賞として100万円が授与される。
  • 土俵入りは、その称号の由来である「横綱」を占めて、単独で実施する。
  • 付き人は通常、10 - 15人程度つく。綱を締めるために人手を必要とする事情もあって、大関以下の関取に比してその数は非常に多い。
  • 明荷は支度部屋に3つまで持ちこむことが認められている(三ツ揃いの化粧廻しと綱を持参する必要があるため。大関以下は1つしか持てない)。
  • 巡業等、公式の移動においては、大関と同様、鉄道はグリーン席、飛行機はファーストクラスを利用することができる(大関も同様)。また東京での本場所の際に両国国技館の地下駐車場に直接自家用車を乗り入れ、駐車することもできる(ただし、現役力士の自家用車の運転は協会の内規で禁止されていて、これは横綱であっても例外ではない。したがって別に運転手を確保する必要がある)。
  • 年寄名跡を持たなくても現役引退後5年間は現役時の四股名のままで年寄(委員待遇)として協会に残ることができる。また、師匠の了承があれば、引退後1年以上の経過をもって部屋を新設することもできる。
  • 現役中は力士弁当をプロデュースすることができる(大関も同様)。
  • 日本相撲協会が財団法人であった時代は、日本国籍を有する横綱は評議員として役員選挙の投票権をもっていたが、協会が公益法人となったときに廃止された。
取組

幕内力士として、本場所では15日間毎日取組が組まれる。取組は終盤に組まれ、結びの一番をつとめる(複数人出場している場合は輪番で担当)。

定員

定められておらず、現役力士中にその地位にふさわしい力士がいるか否かによって増減する。同時在籍人数の最多は4名で、横綱不在になったこともある。

優勝回数[編集]

多数順
順位 四股名 回数 参考

横綱昇進前 優勝回数

備考
1位 白鵬翔 42回 3回
2位 大鵬幸喜 29回 3回
千代の富士貢 29回 2回
4位 朝青龍明徳 23回 2回
5位 北の湖敏満 22回 2回
6位 貴乃花光司 15回 7回
7位 輪島大士 12回 2回
8位 双葉山定次 9回 3回 年2場所制の記録
9位 常ノ花寛市 8回 2回
若乃花幹士 8回 2回
曙太郎 8回 3回

昇進・降格に関わる記録[編集]

初土俵からのスピード記録[編集]

順位 四股名 所要場所 内訳 備考
前相撲 序ノ口 序二段 三段目 幕下 十両 平幕(前頭) 小結 関脇 大関
1位 輪島大士 21場所 - - - - 2場所 4場所 6場所 1場所 4場所 4場所 幕下60枚目付け出し
2位 朝青龍明徳 25場所 1場所 1場所 1場所 1場所 6場所 2場所 3場所 3場所 4場所 3場所 前相撲を経た力士としては最短。
3位 大鵬幸喜* 29場所 1場所 1場所 2場所 4場所 6場所 4場所 3場所 1場所 2場所 5場所 年6場所制以前の初土俵
4位 曙太郎 30場所 1場所 1場所 3場所 2場所 5場所 3場所 5場所 3場所 3場所 4場所
5位 白鵬翔 38場所 1場所 2場所 3場所 6場所 5場所 2場所 5場所 2場所 5場所 7場所
6位 貴乃花光司 41場所 1場所 1場所 2場所 3場所 3場所 5場所 8場所 3場所 4場所 11場所
7位 双羽黒光司 45場所 1場所 1場所 2場所 7場所 18場所 4場所 3場所 2場所 3場所 4場所
8位 北の湖敏満 46場所 1場所 1場所 5場所 6場所 13場所 5場所 8場所 2場所 2場所 3場所
9位 北勝海信芳 50場所 1場所 1場所 3場所 8場所 11場所 3場所 5場所 4場所 9場所 5場所

大関スピード通過記録[編集]

  • 昭和以降
大関場所数 四股名 新大関場所 新横綱場所 大関での成績
2場所 双葉山定次☆ 1937年(昭和12年)1月 1938年(昭和13年)1月 11戦全勝◎

13戦全勝◎ (24戦全勝)

照國萬藏☆ 1942年(昭和17年)1月 1943年(昭和18年)1月 12勝3敗

13勝2敗○ (25勝5敗)

照ノ富士春雄※ 2021年(令和3年)5月 2021年(令和3年)9月 12勝3敗◎

14勝1敗 (26勝4敗)

3場所 北の湖敏満 1974年(昭和49年)3月 1974年(昭和49年)9月 10勝5敗

13勝2敗◎ 13勝2敗○ (36勝9敗)

千代の富士貢 1981年(昭和56年)3月 1981年(昭和56年)9月 11勝4敗

13勝2敗 14勝1敗◎ (38勝7敗)

朝青龍明徳 2002年(平成14年)9月 2003年(平成15年)3月 10勝5敗

14勝1敗◎ 14勝1敗◎ (38勝7敗)

4場所 男女ノ川登三☆ 1934年(昭和9年)5月 1936年(昭和11年)5月 5勝6敗

9勝2敗 8勝3敗 9勝2敗 (31勝13敗)

羽黒山政司☆ 1940年(昭和15年)1月 1942年(昭和17年)1月 11勝4敗

7勝5敗3休 14勝1敗 14勝1敗◎ (46勝11敗3休)

安藝ノ海節男☆ 1941年(昭和16年)1月 1943年(昭和18年)1月 12勝3敗

9勝6敗 13勝2敗 13勝2敗 (47勝13敗)

輪島大士 1972年(昭和47年)11月 1973年(昭和48年)7月 11勝4敗

11勝4敗 13勝2敗 15戦全勝◎ (50勝10敗)

双羽黒光司 1986年(昭和61年)1月 1986年(昭和61年)9月 10勝5敗

10勝5敗 12勝3敗 14勝1敗○ (46勝14敗)

曙太郎 1992年(平成4年)7月 1993年(平成5年)3月 0勝0敗15休

9勝6敗 14勝1敗◎ 13勝2敗◎ (36勝9敗15休)

  • ☆は年6場所制以前の力士。
  • ※照ノ富士は大関再昇進場所からの記録。大関通算在位は16場所。
  • ◎は優勝、○は優勝同点、()内は大関通算成績。
  • 大正以前では、東西合併による「横綱付出し」の例もあって比較が難しいが、栃木山守也の大関2場所(9勝1預-10戦全勝)、大錦卯一郎の3場所(8勝2敗-7勝3敗-10戦全勝)、太刀山峯右エ門の4場所等が特筆される。

大関スロー通過記録[編集]

大関場所数 四股名 新大関場所 新横綱場所 大関での成績
32場所 琴櫻傑將 1967年11月 1973年3月 287勝159敗34休 優勝4回
武蔵丸光洋 1994年3月 1999年7月 353勝127敗 優勝5回
31場所 稀勢の里寛 2012年1月 2017年3月 332勝133敗 優勝1回
29場所 若乃花勝 1993年9月 1998年7月 274勝101敗60休 優勝4回
22場所 日馬富士公平 2009年1月 2012年11月 214勝105敗11休 優勝4回
21場所 北の富士勝昭 1966年9月 1970年3月 208勝107敗 優勝3回
三重ノ海剛司※ 1976年1月 1979年9月 180勝123敗12休
20場所 玉の海正洋 1966年11月 1970年3月 206勝94敗 優勝2回
18場所 前田山英五郎☆ 1938年5月 1947年11月 155勝67敗14休 優勝1回
17場所 佐田の山晋松 1962年5月 1965年3月 176勝66敗13休 優勝1回
旭富士正也 1987年11月 1990年9月 194勝61敗 優勝3回
  • ※の三重ノ海は1976年(昭和51年)7月場所の関脇1場所を挟む。新大関から陥落直後の関脇の地位(のち大関特例復帰)も含めた合計で数えると、日馬富士と並んで22場所となる。なお、大関から陥落した関脇以下の地位も含めた合計で数えると、照ノ富士春雄が36場所(大関場所数は16場所。大関での成績 122勝91敗27休 優勝1回)で最長となる。
  • ☆の前田山は年6場所制定着以前の力士。

その他記録[編集]

一人横綱[編集]

横綱が一人だけ在位し、東西に揃わない状態だった例はこれまでに11例ある。

開始場所 開始場所前の動向 一人横綱 最終場所 場所数 終了理由
1 1930年(昭和5年)10月場所 常ノ花が引退 宮城山福松 1931年(昭和6年)3月場所 3 宮城山が引退

(横綱空位)

2 1933年(昭和8年)1月場所 (横綱空位)

玉錦が昇進

玉錦三右エ門 1935年(昭和10年)5月場所 5 武蔵山が昇進
3 1969年(昭和44年)9月場所 柏戸が引退 大鵬幸喜 1970年(昭和45年)1月場所 3 玉乃島改め玉の海と

北の富士が同時昇進

4 1971年(昭和46年)11月場所 玉の海が9月場所後に死亡 北の富士勝昭 1973年(昭和48年)1月場所 8 琴櫻が昇進
5 1986年(昭和61年)3月場所 隆の里が引退 千代の富士貢 1986年(昭和61年)7月場所 3 北尾改め双羽黒が昇進
6 1992年(平成4年)3月場所 旭富士が引退 北勝海信芳 1992年(平成4年)5月場所

(番付上)

1(2) 北勝海が5月場所前に引退

(横綱空位)

7 1993年(平成5年)3月場所 (横綱空位)

曙が昇進

曙太郎 1994年(平成6年)11月場所 11 貴乃花が昇進
8 2004年(平成16年)1月場所 武蔵丸が引退 朝青龍明徳 2007年(平成19年)5月場所 21 白鵬が昇進
9 2010年(平成22年)3月場所 朝青龍が1月場所後に引退 白鵬翔 2012年(平成24年)9月場所 15 日馬富士が昇進
10 2021年(令和3年)5月場所 鶴竜が引退 2021年(令和3年)7月場所 2 照ノ富士が昇進
11 2021年(令和3年)11月場所 白鵬が9月場所後に引退 照ノ富士春雄 現在継続中 10

複数(二人以上)在位している横綱が本場所の休場・引退などにより、一人のみの横綱が出場する場合を「一人横綱」と呼ぶことも有る。

横綱空位・横綱不在[編集]

1909年(明治42年)2月の相撲規約改正に伴い「横綱」の称号が地位として定められて以降、番付上において横綱の地位に一人も存在しない時期、すなわち「横綱空位」と言われた時期が2例ある。

開始場所 開始場所前の動向 最終場所 場所数 終了理由
1 1931年(昭和6年)5月場所 宮城山が引退 1932年(昭和7年)10月場所 6 玉錦が横綱昇進
2 1992年(平成4年)7月場所

(番付上)

北勝海が5月場所前に引退 1993年(平成5年)1月場所 5(4) 曙が横綱昇進

また、横綱の全員休場や引退などで「横綱不在」と言うこともある。

出身地別横綱数[編集]

8人 北海道 千代の山雅信、吉葉山潤之輔、大鵬幸喜、北の富士勝昭、北の湖敏満、千代の富士貢、北勝海信芳、大乃国康
6人 青森県 鏡里喜代治、若乃花幹士 (初代)、栃ノ海晃嘉、若乃花幹士 (2代)、隆の里俊英、旭富士正也
5人 モンゴル国 朝青龍明徳、白鵬翔、日馬富士公平、鶴竜力三郎、照ノ富士春雄
4人 宮城県 丸山権太左エ門☆、谷風梶之助 (2代)、秀の山雷五郎、大砲万右エ門
千葉県 境川浪右エ門、小錦八十吉 (初代)、若島権四郎、鳳谷五郎
鹿児島県 西ノ海嘉治郎 (初代)、西ノ海嘉治郎 (2代)、西ノ海嘉治郎 (3代)、朝潮太郎 (3代)
東京都 東富士欽壹、栃錦清隆、貴乃花光司、若乃花勝
茨城県 稲妻雷五郎、常陸山谷右エ門、男女ノ川登三、稀勢の里寛
3人 栃木県 明石志賀之助☆、綾川五郎次 (初代)☆、栃木山守也
2人 石川県 阿武松緑之助、輪島大士
熊本県 不知火諾右衛門、不知火光右衛門
福岡県 雲龍久吉、梅ヶ谷藤太郎 (初代)
富山県 梅ヶ谷藤太郎 (2代)、太刀山峯右エ門
愛知県 大錦大五郎、玉の海正洋
三重県 三重ノ海剛司、双羽黒光司
アメリカ合衆国ハワイ州 曙太郎、武蔵丸光洋
1人 滋賀県(小野川喜三郎)、島根県(陣幕久五郎)、岐阜県(鬼面山谷五郎)、兵庫県(大木戸森右エ門)

大阪府(大錦卯一郎)、岩手県(宮城山福松)、岡山県(常ノ花寛市)、高知県(玉錦三右エ門) 神奈川県(武藏山武)、大分県(双葉山定次)、新潟県(羽黒山政司)、広島県(安藝ノ海節男) 秋田県(照國萬藏)、愛媛県(前田山英五郎)、山形県(柏戸剛)、長崎県(佐田の山晋松)、鳥取県(琴櫻傑將)

  • ☆は伝承上の横綱。明石と綾川には茨城出身説もある。
  • 実際の出身地と番付上の出身地が異なる場合もある。本稿では番付表記や土俵入りなどで用いられる公称を優先している。

横綱同時昇進(免許)[編集]

昇進場所 代位 四股名 最終場所 代位 四股名 最終場所
1794年11月場所 4代 谷風梶之助※ 1794年1月 5代 小野川喜三郎 1798年10月
1903年6月場所 19代 常陸山谷右エ門 1914年5月 20代 梅ヶ谷藤太郎 (2代) 1915年6月
1943年1月場所 37代 安藝ノ海節男 1946年11月 38代 照國萬藏 1953年11月
1961年11月場所 47代 柏戸剛 1969年7月 48代 大鵬幸喜 1971年5月
1970年3月場所 51代 玉の海正洋※ 1971年9月 52代 北の富士勝昭 1974年7月
他に栃木山守也と大錦大五郎が、ともに「1918年5月場所」が新横綱であるが、それぞれ東京相撲と大坂相撲の力士で、厳密には免許の時期も異なり、一般に同時横綱の例には数えられていない。横綱一覧表などでも、大錦の引退が早かったが栃木山が先代の扱いとなっている。
常陸山と2代梅ヶ谷が同時に横綱に昇進した時には、常陸山を先代とすることにしたが、最終的には先代の常陸山が先に引退した。それ以来、2人の力士が同時に横綱に昇進した場合には、先に引退(または現役中に死去)した者を先代の横綱とすることになった。そのため、同時昇進した2人の横綱が現役の間は「第○代横綱」とは呼ばれず、どちらか一方が引退してから正式に「第○代横綱・(四股名)」と呼ばれることになる。ただし柏戸と大鵬の場合は、彼らの現役中に栃ノ海と佐田の山が相次いで横綱に昇進したため、正式な47代横綱と48代横綱がまだ決まらないうちに49代横綱と50代横綱が誕生するという不合理が生じたことがある。なおかつ、柏戸と大鵬が現役中に栃ノ海も佐田の山も引退したため、1968年5月場所から1969年7月場所途中に柏戸が引退するまでは、現役横綱の代数が決まらないまま、あとの代数の横綱が元横綱になる状態であった。
複数の力士が同時に横綱昇進して全く同時に引退した例は未だ無い。

同期生横綱[編集]

初土俵場所 代位 四股名 昇進場所  最終場所 代位 四股名 昇進場所 最終場所 代位 四股名 昇進場所 最終場所
1903年6月場所 19代 常陸山谷右エ門 1903年6月 1914年5月 20代 梅ヶ谷藤太郎 (2代) 1903年6月 1915年6月
1910年1月場所 26代 大錦卯一郎 1916年5月 1922年1月 30代 西ノ海嘉治郎 (3代) 1922年5月 1928年10月 31代 常ノ花寛市 1924年1月 1930年10月
1968年7月場所 56代 若乃花幹士 (2代) 1978年7月 1983年1月 59代 隆の里俊英 1983年9月 1986年1月
1979年3月場所 60代 双羽黒光司 1986年7月 1987年11月 61代 北勝海信芳 1987年7月 1992年3月
1988年3月場所 64代 曙太郎 1993年1月 2001年1月 65代 貴乃花光司 1995年1月 2003年1月 66代 若乃花勝 1998年7月 2000年3月
常陸山と2代梅ヶ谷は、共に横綱昇進も同時。
2代若乃花と隆の里、貴乃花と3代若乃花は、共に同日同部屋入門。


Read or create/edit this page in another language[編集]