辻久子
辻 久子(つじ ひさこ、英:Hisako Tsuji, 1926年〈大正15年〉3月16日[1] - 2021年〈令和3年〉7月13日[2])は、日本のヴァイオリン奏者。[3]
大阪府大阪市出身[4]。父の吉之助はレオポルト・アウアーの高弟であったボリス・ラスにヴァイオリンを学んだヴァイオリン奏者であった[5]。6歳の頃から父にヴァイオリンを師事[6]。9歳でリサイタル・デビューを果たし[7]、1938年に毎日新聞社主催の音楽コンクール[8]ヴァイオリン部門で優勝し[9]、文部大臣賞も受賞した[10]。15歳の時には四大ヴァイオリン協奏曲[11]を2夜に分けて披露する連続演奏会を開催。第二次世界大戦前から文部省派遣の文化使節として満州に出向いてコンサートを開き[12]、大戦末期には甘粕正彦[13]が作った全満合同交響楽団の独奏者となり、朝比奈隆の指揮で演奏していた[14]。戦後も演奏活動を続け、1955年に来日したダヴィッド・オイストラフに賞賛され[15]、1959年はロシアとヨーロッパに演奏旅行に出かけて成功を収めた[16]。1973年には兵庫県西宮市にあった自宅を売却[17]して3500万円でストラディヴァリウス1703年製「ディクソン・ポインダー」[18]を購入している。1984年には半生を描いたドラマ「弦鳴りやまず」が毎日放送で制作された[19]。
1988年から8年間兵庫県教育委員を務める[20]。1992年には大阪市内に「辻久子記念弦楽アンサンブルホール」を完成させ[21]、翌年には桜ノ宮弦楽塾を開設[22]。
脚注[編集]
- ↑ アーカイブ 2022年4月19日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年8月25日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年4月19日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年7月13日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年8月6日 - ウェイバックマシン
- ↑ この久子と吉之助のレッスンを題材に織田作之助が短編小説『道なき道』を執筆している。(アーカイブ 2021年7月13日 - ウェイバックマシン)
- ↑ アーカイブ 2022年4月19日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年3月2日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年7月13日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年7月13日 - ウェイバックマシン
- ↑ 阿部の「ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンと言えば、『三大ヴァイオリン協奏曲』です。チャイコフスキーを入れる場合と(誰と入れ替えるかは人それぞれで、ベートーヴェンが外されることはあまりないと思います)、チャイコフスキーを加えて『四大ヴァイオリン協奏曲』と言う場合もあります。」という言に従えば、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのニ長調、ヨハネス・ブラームス、フェリックス・メンデルスゾーンのホ短調、ピョートル・チャイコフスキーのそれぞれのヴァイオリン協奏曲のことである。(阿部, 博人 (2020). “第5章 音楽美学―革命家ベートーヴェン”. 美とリベラルアーツ 美意識を高め、創造性を育む. PHP研究所. p. ページ数の記述無し. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784569845487)
- ↑ アーカイブ 2021年7月13日 - ウェイバックマシン
- ↑ 甘粕が渡そうとした祝儀を、「そんなものいりません」と拒絶したエピソードがある。(アーカイブ 2022年4月19日 - ウェイバックマシン)
- ↑ このオーケストラの事務局員に加藤登紀子の父である加藤幸四郎がいた。(アーカイブ 2022年4月20日 - ウェイバックマシン)
- ↑ 15.0 15.1 アーカイブ 2021年8月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年7月15日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年7月13日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年1月16日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年7月13日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年7月14日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年7月13日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年4月20日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年10月9日 - ウェイバックマシン