岡山元同僚女性バラバラ殺人事件
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岡山元同僚女性バラバラ殺人事件(おかやまもとどうりょうじょせいばらばらさつじんじけん)は、2011年(平成23年)9月30日に岡山県岡山市北区で発生した強盗強姦・強盗殺人などの事件[1]。
岡山元同僚女性バラバラ殺人事件 | |
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事件現場 | |
場所 | 岡山県岡山市北区高柳東町10番1号 シンフォーム岡山本社内倉庫 |
座標 | |
日付 | 2011年(平成23年)9月30日18時40分-19時ごろ(殺害時刻) (UTC+9〈日本標準時〉) |
概要 | 交際相手が他の男性と結婚し、その際に生じたむしゃくしゃした欲求不満を解消するために勤務先の元同僚だった女性から金品を強取し、同女を強姦した上で殺害し、その後遺体を切断して川などに遺棄した。 |
攻撃手段 | 拳で殴る・ナイフで刺す |
攻撃側人数 | 1人 |
死亡者 | 1人(被害者女性A / 事件当時27歳) |
犯人 | 男S(事件当時29歳) |
容疑 | 強盗殺人罪・強盗強姦罪・死体損壊・遺棄罪・窃盗罪 |
対処 | 大阪府警が被疑者Sを逮捕・岡山地検が起訴 |
謝罪 | あり(遺族は拒否)[1] |
刑事訴訟 | 死刑(第一審判決・控訴取り下げにより確定 / 執行済み [2]) |
被害者の会 | 被害者Aの父親は本事件の被害者遺族として講演活動を行うなど、犯罪被害者への支援活動を続けている[3]。 |
最高裁が1983年(昭和58年)に死刑適用基準「永山基準」を示して以降[4]、殺害された被害者が1人の事件では死刑が回避される傾向がある中で[1]、本事件は殺害された被害者が1人で、かつ被告人に前科前歴がなかった殺人事件であるにも関わらず、刑事裁判において死刑判決が言い渡されてそれが確定した特異な例である[5][6]。
加害者・元死刑囚S[編集]
本事件の加害者である男S・K(姓名のイニシャル / 以下「S」と表記)は1982年(昭和57年)9月29日に生まれた。
刑事裁判で死刑が確定し、死刑確定者(死刑囚)となったSは法務省(法務大臣:金田勝年)が発した死刑執行命令により、2017年(平成29年)7月13日に収監先・広島拘置所で死刑を執行された(34歳没)[2]。
概要[編集]
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強姦・殺害の計画[編集]
男S(事件当時29歳)は「付き合っていた女性が別の男と結婚したため、むしゃくしゃした欲求不満を晴らそう」という理由から女性を強姦し殺害することを考え[1]、自身が居住していたマンションの隣人女性を襲う計画を立てたが失敗に終わった。その後、Sは勤務先だったシンフォームの同僚の中から自身の好みである女性3人を候補に選び、その中から1人を襲うことを決意した[6]。
被害者Aを強姦・殺害[編集]
Sは2011年9月20日付でシンフォームを退社し、社員証の返却という名目で2011年9月30日夜に岡山市北区の同社を訪れた際に、3人の中で最初に同社から出てきた被害者・同社派遣社員の女性A(当時27歳)を「頼みたいことがある」と社内の倉庫に呼び出すことに成功し[1]、倉庫の鍵を掛けるなりAを殴り倒した。そして所持していた手錠で手を縛った上で、Aを強姦した[1]。その際Sは、Aから現金2万4000円・バッグを奪い取った[1]。Aは「誰にも言わないから助けて」と命乞いをしたが[7]、Sはそのような懇願を無視し、バタフライナイフでAの胸を10回以上刺した[1]。しかしなかなか絶命しなかったため、頸動脈をかき切ってAを殺害した。その後Sは、Aの遺体を自身の車に積んで、「岡山から大阪に転勤になった」と両親と妹がいる大阪市住吉区の実家に帰宅した。証拠隠滅を図りながら実家近くにガレージを借りて、毎日遺体を解体した[8]。骨を細かく手で折り、肉片は大和川や近所のゴミ捨て場などに遺棄した[1]。
加害者と被害者の関係[編集]
同社で2008年3月から勤務していたSは正社員としてシステム管理業務に就いていたが、被害者であるAは2009年5月から派遣社員として庶務課で働いていた。働いているフロアが違っていたために顔見知り程度の関係であった[9]。
逮捕・起訴[編集]
事件翌日の2011年10月1日、被害者Aの家族が「娘が帰宅しない」と岡山県警に捜索願を届け出した。同6日、会社の防犯カメラに一緒に歩くAとSが映っていたことから、Sを割り出し、大阪府警住吉署に任意同行して取り調べたところ、Sが殺害を自供したためSを逮捕した。同7日、大阪府警はSが同1日から自宅近くに借りていたガレージ内でナイフや血痕のついた女性の服、女性の遺体の一部などを発見した[10]。同8日にSは殺人容疑で岡山地検に送検された[11]。Sは検察官の取り調べの際に逃げ出そうとしたが取り押さえられた。同10日にDNA鑑定の結果から発見した遺体の一部が被害者Aのものと判明した。同27日に岡山地検は、殺人や死体遺棄・損壊などの罪でSを起訴した。 2012年4月17日に犯行前にSが会社の備品を盗んでいたことが発覚し、窃盗容疑で再逮捕した。同5月25日、岡山地検はSの供述からAへの強盗や性的暴行などが明らかになったため、強盗殺人・強盗強姦罪への訴因変更を岡山地裁に申し立てた。
刑事裁判[編集]
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第一審・岡山地裁[編集]
2013年2月5日に被告人Sの裁判員裁判の初公判が岡山地裁(森岡孝介裁判長)で開かれた。Sは「間違いありません」と起訴内容を認めた一方で、被害者Aについては「かわいそうとは思いません」と発言した[1]。その際Sは交際相手とその結婚男性に恨みを募らせ、男性を殺害することを計画していたと告白し、今も(男性を殺害しようと)思っているのかという質問に対して、「もちろんです」と言い切った。
2月6日の第2回公判では、検察官から殺人行為をどう考えているのかという質問をされたのに対し、Sは「殺人行為は目的達成のためなら手段として是認される」と発言し[1]、司法試験を受験した経験がある立場から「犯罪者は殺してしまえばいい」と持論を展開した[12]。検察官から「今はあなたが犯罪者だ」と指摘されると、Sは「自分だけは特別視しています」と返答した[12]。
しかし、2月7日の第3回公判でSは「両親を残して命を絶てない」「ほんとはずっと謝罪したかった」「死刑になりたくて悪いことばかり言った」と泣きながら遺族に謝罪した[1][13]。被害者Aの父親は「謝る相手が違う」と発言した。
2月8日に開かれた論告求刑で、検察側は「性欲を満たすために女性を乱暴して殺害し、証拠隠滅のために遺体を解体する入念な計画を立てた」と指摘。「動機は自己中心的で身勝手極まりない。無反省で、更生も極めて困難」として死刑を求刑し[13]、被害者Aの父親は「被告の涙に騙されてはいけない」と裁判員に訴えた。一方、弁護側は「被害者が1人で、謝罪の時期は遅きに失したが、被告なりに反省を深めている」と主張し減刑を求め[6]、結審した。
死刑判決[編集]
2013年2月14日、岡山地裁(森岡孝介裁判長)は被告人Sに求刑通り死刑判決を言い渡した[4]。裁判長は判決理由で「被害者が1人でも性的被害を伴っており、結果は重大だ」と指摘した。当時、裁判員裁判の死刑判決は16人目で、1人殺害のケースでは3人目だった[5]。裁判員制度下で前科がなく、1人殺害の場合では初の死刑判決だった。判決後、被害者Aの父親は「死刑を受け入れ本当の意味の反省をしてほしい」とコメントした[4]。死刑判決を受けた際、Sは裁判長から「不服がある場合、控訴もできます」と言われたときに首を横に振った。後に被害者Aの父親は、この出来事を「死刑を受け入れる気持ちだったのだろうと思う」と発言している。
死刑確定[編集]
死刑判決を受け、弁護側が即日広島高裁岡山支部に控訴したが[14]、2013年3月28日付けでS本人が岡山刑務所長に控訴取り下げを申し立てる書面を提出し、受理されたためSの死刑が確定することとなった[15]。同29日、Sは弁護人を通じて「被害者の命を奪ってしまったのに自分は生きているという罪悪感があります」などと気持ちを記した文章を公表した[3]。
死刑執行[編集]
法務省(法務大臣:金田勝年)が発した死刑執行命令を受け、刑確定から約4年4ヶ月後の2017年(平成29年)7月13日に死刑囚Sは収監先・広島拘置所で死刑を執行された(34歳没)[2]。
関連項目[編集]
刑事裁判において殺害された被害者数が1人で死刑判決が確定した例
参考文献[編集]
- 法務省の発表
- 法務省による死刑執行の発表 - “法務大臣臨時記者会見の概要” (日本語) (プレスリリース), 法務省(法務大臣:金田勝年), (2017年7月13日), オリジナルの2020年5月3日時点におけるアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。
脚注[編集]
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 「命乞いの女性をメッタ刺し 「1人殺害」で死刑、残虐殺人の真相」『IZA』IZA、2013年2月23日。オリジナルの2021年10月11日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 「2人の死刑執行 4人殺害のN死刑囚は再審請求中」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2017年7月13日。2022年1月13日閲覧。オリジナルの2021年2月26日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 3.0 3.1 「S死刑囚の死刑執行「娘の分も生きる」と父親、被害者支援への決意新た」『産経新聞』産業経済新聞社、2017年7月13日。2022年3月29日閲覧。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 「女性強殺、元同僚に死刑 岡山地裁「被害者1人でも重大」」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2013年2月14日。2020年6月14日閲覧。オリジナルの2020年6月14日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 5.0 5.1 「性的暴行・強盗殺人・切断、男に異例の死刑判決」『読売新聞オンライン』読売新聞社、2013年2月14日。2013年2月17日閲覧。オリジナルの2013年2月17日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 「遺族「あしき判例のむなしさ、少し晴れた」 死刑執行」『朝日新聞』朝日新聞デジタル、2017年7月13日。2017年7月13日閲覧。
- ↑ 「冷血…岡山女性殺害 命乞いにも「心揺らがなかった」」『スポーツニッポン』スポーツニッポン、2013年2月7日。2015年9月9日閲覧。オリジナルの2015年9月9日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 「岡山の女性殺害「遺体、ガレージで切断」 容疑者供述」『日本経済新聞』日本経済新聞、2011年10月8日。2022年9月14日閲覧。
- ↑ 「「遺体切断、橋から捨てた」 岡山の女性殺害容疑者」『日本経済新聞』日本経済新聞、2011年10月8日。2022年9月14日閲覧。
- ↑ 「大阪で遺体の一部、岡山の女性か 早くから計画の可能性」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2011年10月9日。2011年10月9日閲覧。
- ↑ 「大阪で遺体の一部発見か 岡山の女性殺害」『日本経済新聞』日本経済新聞、2011年10月8日。2022年9月14日閲覧。
- ↑ 12.0 12.1 「S被告「殺人は是認される」 岡山・元同僚殺害公判で主張」『山陽新聞』山陽新聞、2013年2月6日。2013年2月6日閲覧。オリジナルの2013年2月6日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 13.0 13.1 「岡山元同僚殺害:S・K被告に死刑求刑」『毎日新聞』毎日新聞、2013年2月8日。2013年3月4日閲覧。オリジナルの2013年3月4日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 「元同僚殺害 S被告に死刑判決 岡山地裁・裁判員裁判」『山陽新聞』山陽新聞社、2013年2月14日。オリジナルの2013年2月17日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 「岡山の女性強殺、被告の死刑確定 控訴取り下げ」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2013年3月30日。2020年6月14日閲覧。オリジナルの2020年6月14日時点におけるアーカイブ。
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