東京工芸大学
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東京工芸大学 | |
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東京工芸大学 厚木キャンパス | |
大学設置 | 1950年 |
創立 | 1923年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人東京工芸大学 |
本部所在地 | 東京都中野区本町2丁目 |
学生数 | {{#property:P2196}} |
キャンパス |
中野(東京都中野区) 厚木(神奈川県厚木市) |
学部 |
工学部 芸術学部 |
研究科 |
工学研究科 芸術学研究科 |
ウェブサイト | https://www.t-kougei.ac.jp/ |
東京工芸大学(とうきょうこうげいだいがく、英語: Tokyo Polytechnic University)は、東京都中野区本町2丁目に本部を置く日本の私立大学である。1950年に設置された。大学の略称は工芸大。
概要[編集]
大学名の「工芸」は、工学と芸術を示しており、手工業品の工芸の意ではない。小西六写真工業(現コニカミノルタ)社長 6代目杉浦六右衛門の「日本の写真技術の振興に寄与する人材を世に送り出し、国家の発展に貢献するためには、写真教育を行う専門の学校が必要である。」という理念を継ぎ、7代目杉浦六右衛門により、1923年に小西写真専門学校として設立された。日本では数少ない、写真学科・メディア画像学科を設置した大学である。写真界では依然、旧称の東京写真大学の略称であった「写大」のまま通用しているケースもある。
学風[編集]
1923年に日本初の写真学校として小西六写真工業(コニカ)社長が創設した小西写真専門学校を原点とする。著名な写真家を多く輩出している。2003年4月には、芸術学部に日本初となるアニメーション学科が開設された。
写真が「工学的写真技術」を用いて「美的価値」のある写真を作り出すことから、本学では工学と芸術が相互に深く関係するものとして捉えられてきた。実際、大学名に“Polytechnic”(多様な技術の総合)という単語が使われている。
新学制に拠り東京写真短期大学として発足。1966年には工学部が新設された。これは従来の写真の理論教育に高い水準の工学的基礎教育を学部増設を機会に拡張したもので、芸術学部の拡張と位置づけることができる。
教授陣(鎌田弥寿冶、保積英次、宮本五郎、宮川俊夫)や菊池真一学長ら芸術・写真畑の「写真・印刷」に詳しい教員が、写真の理論と化学を基礎に芸術学部(当時短期大学部)に工学部を増設した功労者であった。こうした事情もあり当初、工学部では画像メディア工学(印写工学)とナノ化学(応用化学)を学問的領域の中心としてきた。
最近は工学部における建築学の充実に加え、芸術学部も写真学科のみならず映像学科、デザイン学科、インタラクティブメディア学科、アニメーション学科、ゲーム学科、マンガ学科が加わり、大きく拡大している。
学問領域の専門化および専門化した学問領域間交流の非柔軟化[編集]
東京写真専門学校時代の1907年生の渡辺義雄、東京写真工業専門学校時代の1924年生の仁田三夫、東京写真短期大学時代の1933年生の細江英公(敏廣)がいた時代、化学を基幹とした写真の処理と、幾何光学的応用物理と、写真の撮影技術の3本立ての工学と芸術の融合した専門教育が行われた。さらに芸術的側面からは写真美学等の芸術学の講義が行われていて、ある意味での工学と芸術の総合教育が成立していた。
1970年代までは現・東京工芸大学もその教授資格が柔軟で、短期大学を卒業して優秀な者が常勤教員となる場合があった。短期大学部もその伝統を継承し、工学部においても、基礎課程に、応用物理学と応用化学と機械工学を並立させるなどした。東京写真短期大学から工学部長に博士号を有しない林一男教授が就任し、工学の広範囲を網羅する学的領域を基幹として芸術と工学の全分野を教授する非常に前衛的な教育を実施していた。その後、写真化学の基本と印刷工学の基本である応用化学と物理化学の分野が独立し、応用化学科となり現在のナノ化学科に分枝した。
芸術と最も深い関係のある建築学科を加え、電子工学科が追加された。しかし、当初の芸術と工学の融合、また物理と化学と電気と機械の融合(工学間の融合)の理想は、各専門領域の高度な技術革新に伴い、現実的に教授することができなくなった。分科が進み、柔軟性が薄くなった。
芸術学部も、工学系出身の芸術学部教員が「工学」の学際領域を一部教授している教員もいるが、入学者の大半は文系学生であるため工学的な教育研究に困難が出てきている。また、インターフェース等の改良により、ゲーム、インタラクティブアート等の一部を除き、かつてと比べると工学的知識があまりなくとも撮影機器、ソフトウェア等の利用が容易になっているという現状もある。
しかしながら、前記のとおり、他の大学と異なり、各学科との情報交換が非常に進んでいる。「学問のハイブリッド化」という言葉もあるように、複合科学技術の追求が、東京工芸大学の特色の一つと言える。また、現在の東京工芸大学では、かつての東京写真大学時代と異なり、教員の学位(修士号・博士号)取得者が多数にのぼり、高度化した。
沿革[編集]
- 1923年4月 7代目杉浦六右衞門、先代の遺言に基づき小西写真専門学校を東京府豊多摩郡代々幡町幡ヶ谷(現在の東京都渋谷区本町)に設立
- 1926年3月 東京写真専門学校に改称
- 1944年4月 東京写真工業専門学校に改称
- 1950年4月 新学制により東京写真短期大学として東京都中野区本町二丁目(現 中野キャンパス)に発足(写真技術科・写真工学科開設)。
- 1962年4月 写真印刷科を新設。
- 1966年4月 神奈川県厚木市(現 厚木キャンパス)に東京写真大学工学部開設(写真工学科・印刷工学科開設)、東京写真短期大学を東京写真大学短期大学部に改称。
- 1967年4月 短期大学部写真工学科を写真応用科と改称
- 1973年4月 工学部に工業化学科を開設
- 1974年4月 工学部に建築学科を開設
- 1976年4月 工学部印刷工学科を画像工学科と名称変更、工学部に電子工学科を開設、短期大学部写真印刷科を画像技術科と名称変更
- 1977年4月 大学名を東京工芸大学と改称、東京写真大学短期大学部を東京工芸大学短期大学部と改称
- 1978年4月 大学院工学研究科修士課程(画像工学専攻、工業化学専攻)を開設(厚木キャンパス)
- 1982年4月 東京工芸大学女子短期大学部(秘書科)を開設(厚木キャンパス)
- 1990年4月 大学院工学研究科修士課程に建築学専攻、電子工学専攻を開設
- 1993年4月 工学部写真工学科を光工学科に改組
- 1994年4月 芸術学部(写真学科・映像学科・デザイン学科)を開設、大学院工学研究科博士課程(工業化学専攻・電子工学専攻)を開設(厚木キャンパス)、短期大学部を4年制に移行
- 1997年4月 大学院工学研究科修士課程に光工学専攻を開設
- 1997年8月 短期大学部を廃止
- 1998年4月 大学院芸術学研究科修士課程(メディアアート専攻)を開設(中野キャンパス)、芸術別科写真技術専修を開設(中野キャンパス)
- 1999年4月 工学部工業化学科を応用化学科と名称変更
- 2000年4月 大学院芸術学研究科博士課程(メディアアート専攻)を開設(中野キャンパス)、工学部電子工学科を電子情報工学科と名称変更
- 2001年4月 大学院工学研究科博士課程に建築学専攻を増設、芸術学部にメディアアート表現学科を開設(厚木キャンパス)、女子短期大学部秘書科をビジネス情報学科と名称変更
- 2002年4月 工学部光工学科を光情報メディア工学科と名称変更、大学院工学研究科博士課程にメディア工学専攻を開設
- 2003年4月 芸術学部にアニメーション学科を増設(厚木キャンパス)、英文名称をTokyo Institute of PolytechnicsからTokyo Polytechnic Universityに変更
- 2004年4月 工学部を改組し、メディア画像、ナノ化学、建築、コンピュータ応用、システム電子情報の5学科に再編
- 2007年4月 マンガ学科及びアニメーション学科ゲームコースを設置
- 2009年4月 工学部ナノ化学科を生命環境化学科に改組し名称変更
- 2010年4月 芸術学部を学科再編し、アニメーション学科ゲームコースをゲーム学科に学科昇格し新設、芸術学部デザイン学科にデジタルコミュニケーションコース、メディアアート表現学科をインタラクティブメディア学科に改称、工学部システム電子情報学科を電子機械学科に改称
- 2013年4月 芸術学部デザイン学科のビジュアルコミュニケーションコース、デジタルコミュニケーションコース、ヒューマンプロダクトコースをデザイン学科に統合
- 2018年8月 杉並アニメーションミュージアムの命名権取得(2018年9月から5年間適用)[1]
- 2019年4月 工学部を改組し、工学科1学科5コース(機械コース、電気電子コース、情報コース、化学・材料コース、建築コース)に再編
基礎データ[編集]
所在地[編集]
- 中野キャンパス(東京都中野区本町2-9-5) - 敷地面積9093m²
- 芸術学部
- 大学院芸術学研究科
- 厚木キャンパス(神奈川県厚木市飯山1583) - 敷地面積149942m²
- 工学部
- 大学院工学研究科
教育および研究[編集]
組織[編集]
学部[編集]
大学院[編集]
どの専攻においても博士前期課程・博士後期課程を設置している。
- 工学研究科
- メディア工学専攻
- 工業化学専攻
- 建築学・風工学専攻
- 電子情報工学専攻
- 芸術学研究科
- メディアアート専攻
- 芸術学博士号自体非常にまれで、「画像映像メディアの芸術学博士号」は東京工芸大学のみ。
- メディアアート専攻
別科[編集]
- 芸術別科
- 写真技術専修
施設[編集]
- 芸術情報館(中野キャンパス)
- 中央図書館(厚木キャンパス)
- 中野図書館(中野キャンパス)
- 情報処理教育研究センター(厚木キャンパス)
- ナノ科学研究センター(厚木キャンパス)
- 風工学研究センター(厚木キャンパス)
研究[編集]
21世紀COEプログラム[編集]
- 採択1件
- 2004年
- 機械・土木・建築・その他工学
- 都市・建築物へのウインド・イフェクト
- 機械・土木・建築・その他工学
グローバルCOEプログラム[編集]
- 採択1件
- 2008年
- 機械・土木・建築・その他工学
- 風工学・教育研究のニューフロンティア
- 機械・土木・建築・その他工学
共同利用・共同研究拠点[編集]
- 採択1件
- 2013年
- 機械・土木・建築・その他工学
- 風工学研究拠点
- 機械・土木・建築・その他工学
私立大学学術研究高度化推進事業[編集]
- 学術フロンティア事業
- ナノ科学研究センター
- 風工学研究センター
- ハイテク・リサーチ・センター整備事業
- ハイパーメディア研究センター
紀要[編集]
- 芸術学部紀要『芸術世界』
- 『東京工芸大学芸術学部紀要』(1995.3.31創刊)
- 『東京工芸大学工学部紀要』(1978.12.25創刊)
- 『東京工芸大学工学部紀要 人文・社会編』(1978.12.25創刊)
主な教員・出身者[編集]
非常勤講師によるSNS上での誹謗中傷[編集]
2020年5月、東京工芸大学非常勤講師が、Twitterにおいて長年にわたり特定の個人に対して誹謗中傷を行なっていたことが発覚[2]。具体的には、特定の個人に対して、「ばか」「あほ」「あほくさい」「クズ」などと投稿、そのほか暴言や侮辱、差別的発言などを投稿していた[3][4]。その後2020年6月1日、小林良江群馬県立女子大学長(当時)より講師に対して、公立大学教員としてふさわしい発言をするよう注意が行われた[5]。
対外関係[編集]
脚注[編集]
- ↑ 「区立施設、東京工芸大が命名権」『日本経済新聞』朝刊2018年8月9日(首都圏経済面)2018年8月19日閲覧。
- ↑ 講師が誹謗中傷行為を行っている旨が記されているブログエントリー
- ↑ 現在、講師のツイッターアカウントにおいて、それらの投稿は削除されている。
- ↑ 講師のツイログでそれらの投稿を確認できる。
- ↑ 講師に誹謗中傷を受けたという人物によるブログエントリーに、SNS上での誹謗中傷をめぐり群馬県立女子大学長より講師に対して注意が行われた旨が記載されている。
- ↑ 放送大学 平成28年度 単位互換案内
外部リンク[編集]
- https://www.t-kougei.ac.jp/ (東京工芸大学ホームページ)
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