五嶋みどり
五嶋 みどり(ごとう みどり、英: Midori Goto、[1][2]1971年〈昭和46年〉10月25日[3] - )は日本出身のヴァイオリン奏者。[4][5][6]
大阪府枚方市出身。[7]幼少時よりヴァイオリン奏者であった母の節[8]にヴァイオリンの手解き[9]を受け、後に東儀祐二等の指導も受けた。[10]6歳の時にはニコロ・パガニーニのカプリースを弾いて大阪で初舞台を踏み、8歳の時には母のアメリカ人の同僚の勧めで自らの演奏をテープに録音してもらっている。このテープの演奏を聴いたドロシー・ディレイに認められて、ジュリアード音楽院の入学オーディションに招待され、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのシャコンヌを弾いて合格。[11]1982年[7]から1986年まで[12]ジュリアード音楽院でディレイに師事した。また、渡米した1982年の大晦日にはズビン・メータの指揮するニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートに出演してパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番を演奏している。[13]1986年にはタングルウッド音楽祭でレナード・バーンスタインの《セレナード》をバーンスタイン本人の指揮で演奏して成功を収める。[14]1992年には非営利団体「Midori & Frends」と「みどり教育財団東京オフィス」[15]を立ち上げる。[7]2000年からニューヨーク大学で心理学[16]とジェンダー研究[17]を学び、2005年には痛みに関する研究で同大学大学院の心理学の修士号を取得した。2001年からマンハッタン音楽学校で教鞭を執る。[16]2001年には「パートナーズ・イン・パフォーマンス」を設立し、アメリカの小さな地域で無料のコンサートを開催する取り組みを始め、2003年には大学職員や学生を対象に、音楽を軸にして社会と継続的かつ密接な関係を結ぶための「ユニバーシティー・レジデンシー・プログラム」、2005年から学生オーケストラとプロフェッショナルなオーケストラの交流を通して双方の芸術に対する意識を高める「オーケストラ・レジデンシー・プログラム」等に取り組んだ。[18]2004年から南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校の「ハイフェッツ・チェアー」に転任してヴァイオリンを講じ、2007年から8年間[19]同校弦楽学部主任教授として奉職。[20]2007年より国連平和大使。[21]2011年より相愛大学音楽マネジメント学部客員教授。[22]2018年からカーティス音楽院の教授となった。[19]
脚注[編集]
- ↑ 欧米諸国では"Midori"で知られている。(“Violinist Midori to solo with Palm Beach Symphony for Sunday's season closer”. Palm Beach Daily News. (2022年4月8日). オリジナルの2023年2月7日時点におけるアーカイブ。 2023年2月7日閲覧。)
- ↑ 姓を省略した名前表記の理由として、1983年にエンジニアであった父親が離婚した時に姓を捨てたためとする資料もある。(Schwarz, K. Robert (1991年3月24日). “Glissando”. The New York Times. オリジナルの2023年2月7日時点におけるアーカイブ。 2023年2月7日閲覧。)
- ↑ “ON THIS DAY | Today is Violinist Midori’s Birthday!”. 2023年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月25日閲覧。
- ↑ “Midori | United Nations”. 2023年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
- ↑ “プロフィール - MIDORI”. 2023年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
- ↑ 五嶋みどり - Discogs
- ↑ 7.0 7.1 7.2 山崎, 浩太郎「五嶋みどり Midori Goto トップ・アーティストとして長く活躍する一方 草の根的な社会貢献にも注力」『最新版クラシック現代の巨匠たち』音楽之友社、2019年、175頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276962965。
- ↑ “Vol.04-1 <天才>を育てた母親の4つの理念 五嶋 節さん | ピアノステージ | ピティナ・ピアノホームページ”. 2023年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
- ↑ 母が2日前に練習していたバッハの協奏曲の節を、2歳のみどりがハミングしているのを母が見止めたことで、3歳の誕生日に16分の1サイズのヴァイオリンをプレゼントされ、母からヴァイオリンの指導を受けることになったという。(Schwarz 1991)
- ↑ “060 母親とヨッサンの漫才に… 五嶋みどり① | くらこれ !”. 2023年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
- ↑ McCardell, Charles (1991年3月24日). “ZING WENT THE STRINGS ...”. Washington Post. オリジナルの2023年2月7日時点におけるアーカイブ。 2023年2月7日閲覧。
- ↑ Schwarz 1991
- ↑ 奥田, 佳道 (2022年10月23日). “五嶋みどり(ヴァイオリン) デビュー40周年記念 ~ベートーヴェンとアイザック・スターンに捧ぐ~”. ぶらあぼONLINE. オリジナルの2023年2月7日時点におけるアーカイブ。 2023年2月7日閲覧。
- ↑ バーンスタインの《セレナード》の第5楽章でヴァイオリンのE線が2回も切れるというアクシデントが発生したが、その都度、オーケストラのコンサートマスター及び副コンサートマスターのヴァイオリンと交換して演奏を続けた。(Rockwell, John (1986年7月28日). “GIRL, 14, CONQUERS TANGLEWOOD WITH 3 VIOLINS”. The New York Times. オリジナルの2023年2月7日時点におけるアーカイブ。 2023年2月7日閲覧。)
- ↑ 2002年に「ミュージック・シェアリング」に改組。(“061 二十数年ぶりの再会・インタビュー 五嶋みどり② | くらこれ !”. 2023年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。)
- ↑ 16.0 16.1 “Midori Interview with Bruce Duffie . . . . . . . . .”. 2023年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月8日閲覧。
- ↑ “五嶋みどり&ロバート・マクドナルド デュオリサイタル”. 2023年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月8日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2023年2月7日 - ウェイバックマシン
- ↑ 19.0 19.1 “Midori Joins the Curtis Violin Faculty Beginning in the 2018-19 School Year”. Curtis Institute of Music. (2017年6月27日). オリジナルの2023年2月8日時点におけるアーカイブ。 2023年2月8日閲覧。
- ↑ “五嶋みどりさん/バイオリニスト - 現地情報誌ライトハウス”. 2023年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
- ↑ “五嶋みどり、国連平和大使に!” (2007年9月22日). 2023年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2023年2月7日 - ウェイバックマシン
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