羽田町
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はねだまち 羽田町 | |
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廃止日 | 1932年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 羽田町、蒲田町、矢口町、六郷町 → 東京市(蒲田区) |
現在の自治体 | 大田区 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京府 |
郡 | 荏原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
21,390人 (第3回国勢調査、1930年10月1日) |
隣接自治体 |
【東京府】大森町、蒲田町、六郷町 【神奈川県】川崎市 |
羽田町役場 | |
所在地 | 東京府荏原郡羽田町 |
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ウィキプロジェクト |
羽田町(はねだまち)は、東京府荏原郡にかつて存在した町である。現在の東京都大田区の南東部に位置し、おおむね現在の京急空港線の沿線にあたる。穴守稲荷神社を中心とした東京近郊の一大観光地として栄えた。
歴史[編集]
町村制施行以前の沿革[編集]
当該地域については、東糀谷・西糀谷・北糀谷・大森南(旧麹谷村・旧浜竹村・旧下袋村)、萩中(旧萩中村)、羽田・羽田旭町・本羽田(旧羽田猟師町・旧羽田村)、羽田空港(旧鈴木新田)を参照のこと。
本町は都の隅に在り、多摩川口の左岸に位し、東は東京灣に面してゐる。 穴守稻荷の存在に依つて古くから知られた漁村であるが最近東洋一の飛行場の設置に依つて共の名は世界的となつた。小田原北條氏の時代には羽田浦又は扇ケ浦と稱し家人行方彈正の所領となり、德川氏入國後は其の直領として代官を置かれた。元祿六年羽田村から羽田獵師町を分ち、同年更に羽田村から萩中村が分村し、文化十二年羽田獵師町から鈴木新田を分つた。天保十四年に幕府は海外の事情(阿片戰爭)に鑑み此地に奉行を置き老中眞田幸貫をして羽田奉行に任じ砲臺を築かしめた。明治元年品川縣に屬し、同年東京府の管下に入り明治二十二年に羽田、羽田獵師町、鈴木新田、糀谷、下袋、濱竹、萩中を合併して羽田村を編成したが同四十年十月町となった。漁業を以て生業としてゐる。本町は蒲田より分岐して居る京濱電車と京濱バスを唯一の交通機関として居る。 敎育施設としては本町は面積廣き爲め、尋常高等小學校二、尋常小學校二を有する。逐年兒童が増加する結果全校二部敎授を施工するの止むなき狀態である。 其他實業補習學校二、靑年訓練所二、尋常夜學校一がある。尚東京府立工藝學校の實習所が設置されてゐる。 町内の社會事業としては方面委員制度の外見るべきものなく、町營以外では府立勞働紹介所出張所が町役場内に設置されてゐる外私設の羽田保育會託兒所がある。
町内の神社佛閣を通じて著名なものは穴守神社だけである。 — 昭和7年刊『市域拡張記念 大東京概観 第六節 蒲田區 羽田町』より
町村制施行から東京市編入までの沿革[編集]
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、東京府荏原郡麹谷村(1879年(明治12年)に旧麹谷村・旧下袋村・旧浜竹村が合併)・萩中村・羽田猟師町・羽田村・鈴木新田の全域が合併し、東京府荏原郡羽田村が発足[1]。
- 1894年(明治27年) - 鈴木新田内にナトリウム冷鉱泉が湧き出し、以後首都近郊の臨海保養地として発展する[2]。
- 1902年(明治35年)6月28日 - 京浜電気鉄道の羽田支線(穴守線)の糀谷駅、大鳥居駅[3]および(旧)穴守駅が開業[4]。
- 1907年(明治40年)10月8日 - 羽田村が町制施行して東京府荏原郡羽田町となる[5]。特に町内の穴守地域は、東京近郊有数の行楽地を形成していた。明治時代末期には人口が約1万5000人いた羽田町の税収の内、人口700人の羽田穴守地域が2割以上を納めていたといい[6]、羽田村が町に昇格した所以は穴守稲荷のご利益が大いにあるとする当時の新聞記事も残っている[7]。当時荏原郡内で町制を施行していたのは、品川と大森だけであり、大井や大崎、蒲田、目黒、世田ヶ谷などよりも早い町制施行であった。
- 1909年(明治42年) - 京浜電鉄が、陸上トラック・野球場・テニスコート・弓道場・土俵のほか、花壇や遊園地も兼ね備えた羽田運動場(野球場)を鈴木新田に開設する。
- 1911年(明治44年)7月5日 - 京浜電鉄が、羽田穴守海水浴場を鈴木新田に開設する。
- 1912年(明治45年)4月1日 - 「東京府神奈川県境界変更に関する法律」が施行され、鈴木新田、羽田、羽田猟師町の各一部が神奈川県橘樹郡大師河原村に編入され分離する。
- 1913年(大正2年)12月31日 - 穴守線が延伸され、鈴木新田に(新)穴守駅が移設される[4]。
- 1914年(大正3年) - (旧)穴守駅付近に羽田駅が開業。
- 1915年(大正4年)1月 - 羽田駅を穴守方面へ移設、稲荷橋駅に改称[3]。
- 1917年(大正6年)1月4日 - 玉井清太郎と相羽有によって「日本飛行学校」[注釈 1]と「日本飛行機製作所」が、鈴木新田に設立される[8]。
- 1927年(昭和2年)7月 - 競馬規程に基づく競馬場として、入船耕地(現在の東京都大田区東糀谷6丁目、大田区立羽田中学校付近)に羽田競馬場が開設される。(のちの1932年には、近隣の鈴木新田の東にある御台場(羽田御台場・鈴木御台場・猟師町御台場)へ移転した。)
- 1929年(昭和4年)12月24日 - 昭和の御大典を機に穴守稲荷神社が村社へ昇格。
- 1931年(昭和6年)8月25日 - それまで立川にあった東京飛行場が鈴木新田北側に移転開港した。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。羽田町の区域は東京府東京市蒲田区となる[1]。
東京市編入以後の沿革[編集]
施設[編集]
- 穴守稲荷神社 - 旧鈴木新田(現羽田空港付近)村社(神饌幣帛料供進社)。
- 玉川弁財天
- 羽田神社 - 旧羽田猟師町・羽田村(現羽田・羽田旭町・本羽田付近)村社。
- 天祖神社 - 旧萩中村(現萩中付近)村社。
- 八幡神社 - 旧下袋村(1879年(明治12年)に麹谷村と合併、現北糀谷・大森南付近)村社。
- 糀谷神社 - 旧麹谷村(現西糀谷・東糀谷付近)村社。
- 東京飛行場
- 羽田小学校
- 日本飛行学校
- 羽田運動場
- 羽田穴守海水浴場
- 羽田競馬場
- 羽田穴守三業地
鉄道[編集]
現在の地名[編集]
北糀谷、西糀谷、萩中、羽田、羽田旭町、東糀谷、本羽田、大森南一丁目、羽田空港一・二丁目(いずれも大体の範囲)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 飛行練習場はここではなく、多摩川対岸の川崎側に広がる干潟が利用された。
出典[編集]
- ↑ 1.0 1.1 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典』13.東京都、1978年、ISBN 4040011309
- ↑ 金子胤徳『穴守稲荷神社縁起』穴守稲荷神社社務所、1912年、163-167頁。
- ↑ 3.0 3.1 京浜急行電鉄『京急グループ110年史 最近の10年』2008年、p.54
- ↑ 4.0 4.1 京浜急行電鉄『京急グループ110年史 最近の10年』2008年、p.132
- ↑ 『全訂2版 全国市町村名変遷総覧』日本加除出版、2023年5月。
- ↑ 金子胤徳『穴守稲荷神社縁起』穴守稲荷神社、1912年、6頁。
- ↑ 「郊外めぐり 羽田の巻(一日一町) 穴守のお陰で昇格した羽田」『読売新聞』、1926年10月4日、夕刊、6面。
- ↑ 『日本飛行機物語 首都圏篇』株式会社冬樹社、1982年6月25日、53頁。
関連項目[編集]
蒲田町 | 大森町 | |||
六郷町 | (東京湾) | |||
羽田町 | ||||
川崎市 |
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