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大正

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大正は、日本の元号の一つ。

明治の後、昭和の前。大化以降229番目、245個目の元号である。大正天皇の在位期間である1912年(大正元年)7月30日から1926年(大正15年)12月25日まで。

日本の元号として初めて、元年から最終年である15年までの全期間グレゴリオ暦が用いられた。日本史の時代区分上では、元号が大正であった期間をという。本項ではこの時代についても記述する。

出典[編集]

大正の由来は『易経』彖伝・臨卦の「亨以、天之道也(いにりててしきは、のなり)」から。「大正」は過去に4回(「元弘」「承応」「万治」「貞享」改元時)候補に上がったが、5回目で採用された。

なお、「大正天皇実録」によれば、明治に代わる新元号案として「大正」「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の案があったが、最終案で「大正」「天興」「興化」に絞られ、枢密顧問の審議により大正に決定した。

森鴎外が『元号考』の執筆にあたり、賀古鶴所に宛てた書簡で「『大正』はベトナムで使用があり、御幣を担ぐわけではないが中国では『正』の字の元号を嫌う。『正』の字は『一而ニシテ止ル』と読めるので、『正』の字を付けて滅びた例を調べるべきなのに不確認である」と不満を述べている。

概要[編集]

大正時代(1912年-1926年)は、大正天皇の在位した期間を指している。

日本史の時代区分は通常(一世一元の制以前)、古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸と政権の中心地による呼称である。大正時代は(年数が大正元年〜大正15年の15年間で、期間は1912年〜1926年の14年間)日本史で一番短い時代区分である。

大正年間には、2度に及ぶ護憲運動(憲政擁護運動)が起こり、明治以来の超然内閣の政治体制が揺らいで、政党勢力が進出することになった。それらは大正デモクラシーと呼ばれて、尾崎行雄・犬養毅らがその指導層となった。

大正デモクラシー時代は1918年(大正7年)の米騒動の前と後で区別されることが多いが、米騒動の同年に初めて爵位を持たない非華族階級であり、衆議院に議席を有する原敬(「平民宰相」とあだ名された)が本格的な政党内閣(=原内閣)を組織した。

原は卓越した政治感覚と指導力を有する政治家であり、「教育制度の改善」、「交通機関の整備」、「産業および通商貿易の振興」、「国防の充実」の4大政綱を推進したが、普通選挙法に反対するなどその登場期に平民達に期待された程の改革もなさないままに終わり、1921年(大正10年)大塚駅員だった中岡艮一により東京駅構内で暗殺された(原敬暗殺事件)。

この前後の時期は普選運動が活発化して、平塚雷鳥や市川房枝らの婦人参政権運動も活発だった。

1925年(大正14年)には加藤高明内閣下で普通選挙法が成立したが、同時にロシア革命の勃発による国内での社会主義・共産主義思想の台頭への警戒感から治安維持法が制定された。言論界も活況を呈して、皇室を有する君主制と民主主義を折衷しようとした吉野作造の民本主義や美濃部達吉の天皇機関説などが現れた。

1921年(大正10年)11月25日に皇太子裕仁親王が大正天皇の病状悪化によって摂政宮となった。明治時代を見直す機運から明治天皇と昭憲皇太后を祀る明治神宮が大正9年(1920年)11月1日創建された。

1923年(大正12年)に加藤友三郎首相が在任中に死去して8日後に関東大震災が起こり、首都東京が壊滅的な打撃を受けた。放火デマや鮮人差別意識で自警団が結成及び組織されて関東大震災朝鮮人虐殺事件が起きた。後藤新平による帝都東京復興計画が実施された関東大震災後、山本権兵衛元首相が再度政権に返り咲き、第2次山本内閣が成立した。その後、第二次護憲運動(憲政擁護運動)が起こり、護憲三派内閣として加藤高明内閣が成立した。

日本も連合国として勝者の側につき、列強「五大国」の一員となった第一次世界大戦後には、ベルサイユ・ワシントン体制に順応的な幣原喜重郎外相による幣原外交(加藤高明内閣)が展開され、中華民国への内政不干渉、ソビエト連邦との国交樹立など、一定のハト派・国際協調的な色彩を示した。

大正時代は藩閥的な超然内閣を主導していた江戸時代生まれの元勲たちが政界から引退したり他界して、高等教育機関で養成された世代の人々が社会の中枢を担うようになっていった。

国外では第一次世界大戦の結果として、王政打倒の革命が起きた。敗戦国のドイツやオーストリアや連合国からドイツと和解して戦線から離脱したロシアなどで君主制が廃止された。ロシア革命では世界初の社会主義国のソビエト連邦が成立した。ドイツではワイマール憲法のもとドイツ共和国(ヴァイマル共和政)が誕生した。共和制国家の成立は、デモクラシーの勝利とされた。

しかし、日本において共和制の誕生は天皇制・皇室廃止の意味があり、労働運動の高まりを利用して共産主義が広まることを警戒して治安維持法が制定された。多くの国で君主制が廃止されたことが口実となった。共産主義思想は日本のインテリ層に影響を与え、大正期の知識人は、改造・革新・革命・維新の4種類を政治運動のスローガンに掲げた。

文化風俗面の特徴としては、近代都市の発達や経済の拡大に伴い都市文化、大衆文化が花開き、「大正モダン」と呼ばれる華やかな時代を迎えた。女性の就労も増え、それまでの女工などに代わって、電話交換手や女子事務員など「職業婦人」と呼ばれる層が現れ、カフェの女給、バスガール、デパート店員、女医、映画女優といった新しい職業も人気となり、東京や横浜、大阪や神戸などでは大企業や外資系企業に勤める大学卒で高収入なホワイトカラーが登場し、断髪で洋装のモガ(モダンガールの略。男性はモボ)が登場した。

大正年間を通じて、都市にこうした享楽的な文化が生まれる反面、スラムの形成、民衆騒擾の発生、労働組合と小作人組合が結成されて、労働争議が激化するなど社会的な矛盾も深まっていった。

年表[編集]

1912年(大正元年)
7月30日、明治天皇崩御、皇太子嘉仁親王が第123代天皇に践祚。明治から大正に改元される。明治天皇の大喪の礼。乃木希典陸軍大将夫妻が殉死する。桂太郎、第3次桂内閣成立。憲政擁護会が結成。火力発電を抜いて水力発電量が第1位になる。友愛会結成。
1913年(大正2年)
大正政変(第3次桂太郎内閣総辞職)、第1次山本権兵衛内閣成立。アメリカ合衆国のカリフォルニア州で排日土地法成立。宝塚唄歌隊(後の宝塚歌劇団)誕生。
1914年(大正3年)
鹿児島県の桜島が大噴火して大隅半島と陸続きになる(桜島の大正大噴火)。外電によりシーメンス事件発覚。大正天皇即位奉祝「東京大正博覧会」始まる。「カチューシャの唄」の流行。日本初の国産車登場。第一次世界大戦勃発、日英同盟を理由にドイツ帝国に宣戦布告、連合国の一員に加わる。東京駅開業。三越呉服店が日本初のデパートメントストア宣言を行い、エレベーター・エスカレーター付きの近代的店舗を建築。
1915年(大正4年)
日本が中華民国の袁世凱政権に対華21ヶ条を要求。第12回衆議院議員総選挙で与党が圧勝。選挙干渉などが起きる。第1回全国中等学校優勝野球大会開催。大正天皇即位の礼。東京証券取引所で空前の出来高。
1916年(大正5年)
吉野作造が「中央公論」で「民本主義」を提案。夏目漱石死去。
1917年(大正6年)
4月20日、第13回衆議院議員総選挙(政友会165議席,憲政会121議席,国民党35議席,無所属60議席)。ロシア革命。中国での日本権益に関する米国との石井・ランシング協定締結。
1918年(大正7年)
シベリア出兵。1918年米騒動。松下幸之助が二股ソケットを売り出す。鈴木三重吉が「赤い鳥」創刊。第一次世界大戦終結。スペインかぜ流行拡大(第1波)。武者小路実篤が宮崎県に「新しき村」を建設。大学令公布。東京海上ビル完成。
1919年(大正8年)
パリ講和会議開催。3月1日に朝鮮半島で三・一運動。
モスクワでコミンテルン創立大会。7月13日、寛城子事件。カルピス発売。選挙法改正。全国普選期成大会開催。「パイノパイノパイ(東京節)」の流行。
1920年(大正9年)
国際連盟設立。尼港事件。新婦人協会設立。大正天皇の第1回病状発表がされる。上野公園で日本初のメーデー。5月10日、第14回衆議院議員総選挙(政友会278議席,憲政会110議席,国民党29議席、,無所属47議席)、第1回国勢調査(総人口7698万8379人、内地5596万3053人)。明治神宮造営工事が施工。11月4日、尾崎行雄・犬養毅島田三郎ら、政界革新普選同盟会を結成。
1921年(大正10年)
安田善次郎暗殺。原敬暗殺事件。皇太子裕仁親王の欧州訪問の実施と摂政への就任。羽仁もと子の自由学園が創立。スペインかぜ感染終焉。
1922年(大正11年)
ワシントン会議開催、(四カ国条約、九カ国条約、ワシントン海軍軍縮条約)。
山縣有朋・森鷗外死去。大阪市・名古屋市・八幡市で官業労働者がデモ。
ソビエト連邦が成立する。
コミンテルン日本支部として堺利彦・山川均が日本共産党結成。
アインシュタイン来日。
1923年(大正12年)
関東大震災、『国民精神作興ニ関スル詔書』が発布される。「船頭小唄」の流行。丸の内ビルヂング完成。亀戸事件。甘粕事件。虎の門事件。
1924年(大正13年)
排日移民法が米国連邦議会で成立。皇太子裕仁親王が久邇宮良子女王(のち香淳皇后)と成婚、良子女王は皇太子妃となる。第15回衆議院議員総選挙(護憲三派大勝、憲政会151議席、政友会105議席、革新倶楽部30議席、政友本党109議席、無所属69議席)、メートル法実施。甲子園球場完成。婦人参政権獲得期成同盟会が結成。第二次護憲運動。
1925年(大正14年)
治安維持法制定。
普通選挙法制定。
日ソ基本条約締結。
日本政府がソビエト連邦を国家承認する。
日本初のラジオ放送。
1926年(大正15年/昭和元年)
1月30日第1次若槻内閣(若槻禮次郎首相、憲政会内閣)成立。労働農民党結成。朝鮮で6・10万歳運動。日本放送協会設立。12月25日、大正天皇崩御、それに伴い皇太子裕仁親王が第124代天皇に践祚。光文事件。同日昭和に改元。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 南北朝時代の北朝の元号を除くか含めるかによる。

出典[編集]

  1. ^ 世界大百科事典 第2版「大正時代」
  2. ^ “明治45年(1912)7月|大正と改元:日本のあゆみ”. 2020年8月30日閲覧。
  3. ^ 「明治」は11度目の正直=選から漏れた元号案、最多は40回、時事ドットコム、2019年02月02日15時19分。
  4. ^ “「昭和」を考案した男と「令和」にまで影響した森鷗外の執念”. 現代ビジネス. 講談社 (2019年5月2日). 2021年2月10日閲覧。
  5. ^ 第一次は1912年(大正元年)12月から翌年にかけて第3次桂内閣打倒運動が東京を中心にして各地で憲政擁護大会が開かれた。第二次は1924年(大正13年)1月清浦内閣打倒運動を起こし、政党内閣、普通選挙、貴族院改革を要求した。
  6. ^ 政党側の闘志であるこの二人は、中華民国に対する「21か条要求」には日本の特権を肯定していた。(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 15ページ)
  7. ^ デモクラシーの訳語(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 14ページ)
  8. ^ “明治神宮の鎮座と戦後復興”. 明治神宮崇敬会. 2020年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月29日閲覧。
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  10. ^ a b c 『化粧文化』8号「大正モダン」ポーラ文化研究所、2015
  11. ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)190頁
  12. ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)193頁
  13. ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)196頁
  14. ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)202頁
  15. ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 16ページ
  16. ^ a b c d 『世界大百科事典』(平凡社)「大正」の項目
  17. ^ 『図説日本史通覧』253頁
  18. ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)225頁
  19. ^ 1925年(大正14年)の新聞は治安維持法に批判的な論評を掲載するとともに、社説でも正面から反対した。「社説」では同法は「人権蹂躙・人権抑圧」であり、国民の生活や思想まで取り締まりの対象になり、集会結社の自由はなきに至ると論じた。同法成立の背景として、第一次世界大戦とロシア革命以後の社会運動や社会主義運動の盛り上がりを抑制する政策として考えられてきたものであったが、また、アメリカの無政府主義取締法を初めとする世界的な治安立法の動きが影響したと考えられる。(成田)龍一『大正デモクラシー』シリーズ日本近代史④ 岩波書店 〈岩波新書1045〉 2007年 210-211ページ
  20. ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)200頁
  21. ^ a b “人的被害の9割が東京・横浜に集中 : 関東大震災を振り返る”. ニッポンドットコム (2019年8月30日). 2020年11月29日閲覧。
  22. ^ 大正から昭和へ少年少女日本の歴史202頁〜207頁
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  27. ^ 進藤健一"どんな揚げ物にはまってますか? 思わずパクつく「背徳のグルメ」"朝日新聞2014年8月30日付朝刊、週末be2ページ
  28. ^ 橋本直樹 (2016年4月14日). “変わり行く日本食 6 「洋食」物語”. 大人のための食育 食育博士の辛口レクチャー. 2017年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月20日閲覧。
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  47. ^ 『一冊でわかるイラストでわかる図解仏教』成美堂発行の73頁
  48. ^ マンガ日本の歴史現代編大戦とデモクラシー。石ノ森章太郎執筆の200頁
  49. ^ 同志会153議席,政友会108議席,中正会33議席、国民党27議席、大隈伯後援会12議席,無所属48議席
  50. ^ 松尾尊兊『日本の歴史第17巻大正時代〜大正デモクラシー』15ページの上段の2コマ 集英社
  51. ^ 皿木喜久『平成日本の原景大正時代を訪ねてみた』216ページ10行目から〜17行目
  52. ^ https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2019np/index.html
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