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京浜急行電鉄

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京浜急行電鉄株式会社(けいひんきゅうこうでんてつ、英: Keikyu Corporation)は、神奈川県横浜市に本社を置く鉄道会社である。略称は「京急」(けいきゅう)、「京急電鉄」(けいきゅうでんてつ)。日本の大手私鉄の一つで、東京都区部南部から神奈川県東部の三浦半島にかけて京急本線を中心とする5つの鉄道路線を運営している。東証プライムに上場し、東武鉄道と共に芙蓉グループ(みずほ銀行系列)を構成する企業の一つで、京急グループの中核企業である。

概要[編集]

東京都区部南部から、羽田空港や、神奈川県川崎市、横浜市を経て三浦半島へ至る鉄道路線を運営している。それに京浜急行バスを加えた交通事業のほか、グループ各社と連携して流通事業、サービス事業、不動産事業なども経営している。これらは直接の収益確保のほかに、特に横浜市以南の京急線沿線地域の定住・交流人口の減少を防ぐことも意識している。

創立120周年を迎えた2018年には、通勤利用者の減少や、東京モノレールやリムジンバスに羽田空港アクセス線が加わり羽田空港アクセスの競合激化が予測されることから、「みさきまぐろきっぷ」「葉山女子旅きっぷ」といった企画乗車券の活用や、城ヶ島の再開発などを通して外国人を含む観光客の三浦半島への誘致を強化する経営戦略を表明している。同年5月には日本旅行と提携した。その他、2018年3月には、京急沿線に営業網を持つ湘南信用金庫及び日本保証と不動産事業の空き家対策で提携。同年11月には、神奈川県横須賀市および同市に二軍拠点を持つプロ野球球団の横浜DeNAベイスターズと三者連携協定を結んでいる。2021年には、ヘリコプターによる三浦半島の遊覧飛行に向けてAirXと提携した。

2019年9月には、神奈川県横浜市西区高島一丁目(みなとみらい地区内、横浜高速鉄道みなとみらい線新高島駅となり)に、京浜急行電鉄のほか複数のグループ企業(計11社)の本社機能の集約を目的として建設された京急グループ本社ビルが竣工。同年9月17日に品川駅西口の東京都港区高輪から本社を移転した(その他のグループ企業についても同年9月から10月にかけて順次移転)。なお、本社の移転については京急2100形1編成に貼られたステッカーで「横浜駅から この春、新たな感動が始まる」のスローガンとともに告知された。

社名[編集]

かつては「京浜急行(けいひんきゅうこう)」を公式通称、「Keihin Electric Express Railway Co., Ltd.」を英文社名としていたが、2007年(平成19年)12月1日よりポスター・チラシ類などにおいて「京急電鉄(けいきゅうでんてつ)」の名称および新ロゴマーク、2010年(平成22年)10月21日より「Keikyu Corporation」の英文社名を使用開始し、順次変更している。

過去の略称は前身である京浜電気鉄道時代の「京浜」が使われており、1963年(昭和38年)には湘南電気鉄道時代の一部の駅名であった「湘南 - 」を「京浜 - 」に統一させた。しかし、昭和30年代前半から子会社の名前などに「京急」を使うようになり、一時は「京浜」と「京急」の略称が混在していた。次第に「京急」の方が定着していったことから、1987年(昭和62年)6月1日には同年の国鉄分割民営化により発足した東日本旅客鉄道(JR東日本)及び同社が運行する京浜東北線との差別化も意識し、コーポレートアイデンティティ (CI) の一環として、それまで「京浜 - 」としていた10駅の駅名を「京急 - 」に改め、略称を「京急」に統一した。なお、「京急 - 」という名称は京浜急行電鉄の登録商標になっている。

ただし、「京急」の略称は定着したが、「京急電鉄」という呼び方については完全に定着した訳ではない。東海旅客鉄道(JR東海)は、東海道新幹線上り列車が品川駅に到着する際の乗り換え案内で「京浜急行線」という表現を2023年時点でも使用している。報道機関では、NHKやTBSテレビなどがニュースや交通情報で「京浜急行」と表記することがある。

社紋・コーポレートスローガン[編集]

大師電気鉄道時代は3本線で円を作ることで川崎、その中に「大」を4つで「ダイシ」(大師)とする社紋を使用し、京浜電気鉄道となった後も継続して使用していた。その後、大東急時代を経て京浜急行電鉄として再出発する際に用意されたのが先代社紋で、社員への募集、会社組合双方からの選考委員による選定の後、杉浦非水による修正によって出来上がった。K、翅、車輪 からなる図案はそれぞれが京浜、急行、電鉄を表している。

現在の社紋は経営の多角化によって従来の社紋が相応しくなくなってきたため、1958年(昭和33年)の創立60周年を契機に変更が検討され、1964年(昭和39年)5月に制定されたものである。図案は社内候補と東急エージェンシーに依頼したものから2案が選定され、これらをアレンジした数種から再検討、選定された。円が会社の主な事業である交通(鉄道・バス)を表し、中央の図形は京浜の「K」および「ケ」をスピーディかつ安定感を持った形に図案化したものである。また、この図形を円を突き破るように配置することで、困難を突破していく力強さを表している。

ロゴマークは2000形電車の登場やウイング高輪のオープンといった節目があった1983年(昭和58年)頃から使われだした。当時は現在と違い水色が地色で「KEIKYU」の文字は白抜きであった上、ロゴ下部の文字が斜体で「 京浜急行 」と書かれていた。

コーポレートスローガンは創業90周年を迎えた1988年(昭和63年)に初めて制定され、当時は「めざす未来へ―ふれあい京急」であった。1998年(平成10年)の創業100周年と空港線羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)開業という大きな節目を前に「新しい出会いに夢のせて」に変わり、現在のコーポレートスローガンである「あんしんを羽ばたく力に」は、2008年(平成20年)の創業110周年に合わせて導入された3代目である。2代目まではロゴマークにもコーポレートスローガンを掲出していたが、2008年に色を反転した現行のロゴに変わった際、コーポレートスローガンは外された。また、ロゴ下部の文字には「京急電鉄」と「京急グループ」のバリエーションがある。

歴史[編集]

現在の京浜急行電鉄の元となったのは、1899年に旧東海道川崎宿に近い川崎駅(後の六郷橋駅)から川崎大師近くの大師駅(現在の川崎大師駅)までの1435mmの標準軌で開通した大師電気鉄道である(現在の大師線の一部)。同社は日本で三番目、関東では最初の電気鉄道会社であった。創立時には安田財閥が人的・資金面で援助したこともあり、そのため現在でも安田財閥の流れを組む芙蓉グループの一員となっている。同年、京浜電気鉄道と社名を改めた。

東京市電との相互乗り入れを目論み、軌間を開業時の標準軌から一旦1372mmの馬車軌間へ改軌を行うが、後に子会社となる湘南電気鉄道による三浦半島方面の延伸線への乗り入れを行うために、再度、標準軌に改軌された。

太平洋戦争中の1942年には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により東京急行電鉄(いわゆる大東急)に併合されるが、1948年に京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)の3社が分離・独立し、現在に至る。

年表[編集]

  • 1897年(明治30年)8月26日 - 大師電気鉄道に対して軌道特許状下付(神奈川県橘樹郡川崎町久根崎 - 同郡大師河原村字中瀬)。
  • 1898年(明治31年)2月25日 - 大師電気鉄道株式会社設立。立川勇次郎が専務取締役(代表)に就任。本社を東京市京橋区南鍋町1丁目5番地に置く。
  • 1899年(明治32年)
    • 1月21日 - 川崎駅(後の六郷橋駅) - 大師駅(現在の川崎大師駅)間 (2.0km) が営業開始。
      • 開業式は1902年(明治35年)10月17日挙行。営業開始3年後となった開業式について、業務多忙により実施できなかったと推測されている。『京浜急行百年史』『京浜電気鉄道沿革史』によれば、開業当初は日清戦争後で社会経済情勢が不安定であったこと、対立関係にあった人力車組合の影響を考慮して、開業直後に行わなかったとの旨が記載されている。
    • 4月25日 - 京浜電気鉄道株式会社に社名変更。
    • 11月28日 - 軌道特許状下付(橘樹郡川崎町久根崎 - 東京府荏原郡品川町品川橋、同郡大森町字揚場 - 大森停車場)。
  • 1900年(明治33年)11月2日 - 軌道特許状下付(橘樹郡川崎町六郷橋際 - 神奈川町停車場)。
  • 1901年(明治34年)
    • 2月1日 - 大森停車場前駅(現在の大森駅) - 八幡駅(現在の大森海岸駅) - 川崎駅間が開業。
    • 8月24日 - 発電所の余剰電力を利用した電灯・電力供給事業開始。
    • 11月10日 - 軌道特許状下付(蒲田 - 羽田)。
    • 11月18日 - 軌道特許状下付(橘樹郡大師河原村字川中島 - 同村中瀬耕地渡船場)。
  • 1902年(明治35年)
    • 6月28日 - 蒲田駅(現在の京急蒲田駅) - 穴守駅間が開業。
    • 9月1日 - 六郷橋駅 - 川崎駅(現在の京急川崎駅)間が開業。
  • 1904年(明治37年)
    • 3月1日 - 全線を標準軌から馬車軌間に改軌。
    • 5月8日 - 品川駅(現在の北品川駅) - 八幡駅間が開業。大森停車場前駅 - 八幡駅間が大森支線となる。
  • 1905年(明治38年)12月24日 - 川崎駅 - 神奈川停車場前駅(現在の神奈川駅)間が開業。
  • 1913年(大正2年)12月31日 - (旧)穴守駅 - 穴守駅間が開業。
  • 1923年(大正12年)5月1日 - 電灯・電力供給事業を群馬電力(後の東京電力)に譲渡。
  • 1925年(大正14年)3月11日 - 高輪駅 - 品川駅間が開業。
  • 1927年(昭和2年)8月27日 - 自動車事業開始。
  • 1929年(昭和4年)6月22日 - 京浜神奈川駅(現在の神奈川駅) - (仮)横浜駅間が仮開業。
  • 1930年(昭和5年)
    • 2月5日 - (仮)横浜駅 - 横浜駅間が開業。
    • 4月1日 - 湘南電気鉄道の黄金町駅 - 浦賀駅間と金沢八景駅 - 湘南逗子駅(後の京浜逗子駅、現在の逗子・葉山駅)間が標準軌(1435mm)で開業。
  • 1931年(昭和6年)
    • 4月1日 - 湘南電気鉄道の湘南逗子駅沼間口乗降場(後の京浜逗子駅) - 湘南逗子駅葉山口乗降場(後の逗子海岸駅)間が開業。
    • 7月4日 - 大船 - 片瀬間にて日本初の有料道路事業開始(京浜急行線)。
    • 12月26日 - 日ノ出町駅まで延伸された湘南電気鉄道と、横浜から野毛山をトンネルで抜けて標準軌で敷設された京浜電気鉄道延長線が接続され、横浜駅 - 浦賀駅間で直通運転開始。
  • 1933年(昭和8年)4月1日 - 高輪駅を廃止して品川駅へ乗り入れ。全線を標準軌に改軌。品川駅 - 浦賀駅間で直通運転開始。
  • 1937年(昭和12年)3月8日 - 大森支線の大森海岸駅 - 大森駅間が廃止。
  • 1939年(昭和14年)3月 - 京浜電気鉄道の筆頭株主が東京高速鉄道に移動。京浜電気鉄道と湘南電気鉄道は実質的に東京横浜電鉄の系列に入る。
  • 1941年(昭和16年)11月1日 - 京浜電気鉄道が湘南電気鉄道・湘南半島自動車を合併。
  • 1942年(昭和17年)
    • 5月1日 - 小田急電鉄と共に東京横浜電鉄へ合併。東京急行電鉄(大東急)が発足。
    • 9月1日 - 逗子線の湘南逗子駅沼間口乗降場 - 湘南逗子駅葉山口乗降場間が廃止。
    • 12月1日 - 久里浜線の横須賀堀内駅(現在の堀ノ内駅) - 久里浜駅(現在の京急久里浜駅)間が開業。
  • 1944年(昭和19年)
    • 6月1日 - 大師線の川崎大師駅 - 産業道路駅(現在の大師橋駅)間が開業。
    • 10月1日 - 大師線の産業道路駅 - 入江崎駅間が開業。
  • 1945年(昭和20年)
    • 1月7日 - 大師線の入江崎駅 - 桜本駅間が開業。大師線が全線開通。
    • 9月27日 - 穴守線の稲荷橋駅(現在の穴守稲荷駅) - 穴守駅間が営業休止。
  • 1948年(昭和23年)
    • 6月1日 - 東京急行電鉄の第3会社として京浜急行電鉄株式会社が設立。東京急行電鉄から現在の当社線を譲り受けて営業開始。
    • 7月3日 - 逗子線の湘南逗子駅 - 逗子海岸駅 (両駅とも現在の逗子・葉山駅)間が開業。
  • 1949年(昭和24年) - 東京証券取引所に株式上場。
  • 1951年(昭和26年)3月 - 大師線の塩浜駅 - 桜本駅間が営業休止。
  • 1952年(昭和27年)1月1日 - 大師線のうち塩浜駅 - 桜本駅を川崎市交通部(現在の川崎市交通局)に譲渡。
  • 1956年(昭和31年)4月20日 - 穴守線の穴守稲荷駅 - (旧)羽田空港駅間が開業。
  • 1963年(昭和38年)11月1日 - 穴守線を空港線に改称。久里浜線に久里浜検車区および久里浜工場(現在の久里浜事業所)を開設し、野比駅(現在のYRP野比駅)まで開業。
  • 1964年(昭和39年)3月25日 - 大師線の小島新田駅 - 塩浜駅間が営業休止。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月27日 - 久里浜線の野比駅 - 津久井浜駅間が開業。
    • 7月7日 - 久里浜線の津久井浜駅 - 三浦海岸駅間が開業。
  • 1968年(昭和43年)6月21日 - 本線泉岳寺駅 - 品川駅間が開業。都営1号線(現在の都営浅草線)と直通運転開始。
  • 1969年(昭和44年)11月17日 - 佐藤首相訪米阻止闘争デモの学生が京急蒲田駅に火炎瓶を投擲。川崎駅 - 泉岳寺駅間で運転を休止。
  • 1971年(昭和46年)7月1日 - 冷房車の運転開始。初代1000形(1251 - 1268号車)と2代目600形8両が使用された。
  • 1975年(昭和50年)4月26日 - 久里浜線の三浦海岸駅 - 三崎口駅間が開業。久里浜線が全線開通。
  • 1984年(昭和59年)7月1日 - 大船 - 片瀬間の有料道路事業廃止。
  • 1985年(昭和60年)3月2日 - 逗子線の京浜逗子駅・逗子海岸駅を統合し、新逗子駅(現在の逗子・葉山駅)が開業。新逗子駅 - 逗子海岸駅間が廃止。
  • 1986年(昭和61年)12月26日 - 東京 - 弘前間に夜行高速バス「ノクターン号」運行開始。
  • 1988年(昭和63年)7月26日 - 自社車両がすべて冷房車となる。
  • 1991年(平成3年)1月15日 - 空港線の穴守稲荷駅 - (旧)羽田空港駅間が営業休止。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 空港線の穴守稲荷駅 - 羽田駅(現在の天空橋駅)間が開業。品川、横浜、羽田駅での終日禁煙を実施。。
  • 1994年(平成6年)4月1日 - 「ルトランカード」によるストアードフェアシステム導入(パスネット普及に伴い2002年10月使用停止)。
  • 1995年(平成7年)2月21日 - 品川駅 - 横浜駅間で最高速度を120km/hに引き上げ。同時に昼間点灯を実施。同年4月1日のダイヤ改正で同区間の最速列車は15分45秒運転となった。
  • 1998年(平成10年)
    • 2月25日 - 京浜急行電鉄が前身の大師電気鉄道として設立して以来、「創立100周年」を迎える。
    • 11月18日 - 空港線の天空橋駅 - 羽田空港駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅)間が開業し、現在の営業区間が全て開通。
  • 2000年(平成12年)12月20日 - パスネット導入。
  • 2003年(平成15年)10月1日 - 自動車事業を京浜急行バス株式会社に継承し、分割する。
  • 2004年(平成16年)11月24日 - 西武鉄道の株式計260万株を同年中にホテル京急と共同で購入していたことが発表される(「西武鉄道#証券取引法違反事件」参照)。
  • 2005年(平成17年)
    • 9月22日 - ロックバンドのくるりとのタイアップによる京急テーマソング『赤い電車』がリリース。
    • 10月7日 - 久里浜線の三崎口駅 - 油壺駅(仮称)間の免許廃止を届出。
  • 2006年(平成18年)11月14日 - 全駅への自動体外式除細動器(AED)設置を完了。
  • 2007年(平成19年)3月18日 - PASMOを導入、Suicaとの相互利用開始(その後、在庫僅少により横須賀中央・上大岡・横浜・品川各駅の定期券センターを除き発売中止、同年10月1日より全駅で発売再開)。同時に首都圏の私鉄としては初めての試みとして全駅構内(売店、飲食店、自動販売機)でPASMO電子マネーを導入。
  • 2008年(平成20年)2月25日 - 会社創立110周年の一環として、駅係員と乗務員の制服を一新。
  • 2009年(平成21年)9月30日 - セブン-イレブン・ジャパンと業務提携を行い、京急ステーションコマースが運営する京急線各駅の売店全てをセブン-イレブンに転換することを発表。
  • 2010年(平成22年)
    • 5月16日 - 本線平和島駅 - 六郷土手駅間および空港線京急蒲田駅 - 大鳥居駅間の上り線高架線使用開始。
    • 10月21日 - 泉岳寺駅以外の全駅に駅ナンバリングを導入。英文社名を「Keihin Electric Express Railway Co., Ltd.」から「Keikyu Corporation」に変更。
  • 2011年(平成23年)
    • 4月29日 - 前年9月末で営業終了させたホテルパシフィック東京の建物をテナントビルへ転換し、京急EXイン(ビジネスホテル)・結婚式場・会議場とショッピングモールを併設した複合商業施設「SHINAGAWA GOOS(シナガワグース)」として開業。
    • 6月 - 3月11日に発生した東日本大震災に伴う電力供給逼迫の影響で、8両編成の弱冷房車を1両増加し2両体制(既存の三崎口側3両目と新設の同7両目)に変更。4両・6両編成で弱冷房車を1両(三崎口側3両目)新設。
  • 2012年(平成24年)10月21日 - 本線平和島駅 - 六郷土手駅間および空港線京急蒲田駅 - 大鳥居駅間の下り線高架線使用開始。
  • 2013年(平成25年)3月23日 - 交通系ICカード全国相互利用サービス開始により、Kitaca、manaca、TOICA、ICOCA、PiTaPa、nimoca、はやかけん、SUGOCAが京急線で利用可能になる。
  • 2015年(平成27年)
    • 2月26日 - 台湾鉄路管理局との友好鉄道協定を締結。
    • 7月7日 - 全線でデジタル空間波式列車無線(デジタルSR無線)の使用を開始。
  • 2016年(平成28年)3月28日 - 横浜みなとみらい21地区(56-1街区、神奈川県横浜市西区高島一丁目)の開発事業者に決定。同時に、京浜急行電鉄のほか複数のグループ企業(計11社)の本社機能を集約し、同地に建設する京急グループ本社ビルへの移転を発表。
  • 2017年(平成29年)
    • 7月 - 京急グループ本社ビルが着工。
    • 10月 - 空き家を転貸したり、独居高齢者宅に学生の下宿を仲介したりする事業を開始すると発表。
    • 10月16日 - 株式会社京急ステーションサービスを合併。
  • 2018年(平成30年)
    • 9-10月 - 沿線在住の小中学生を対象に、全駅(ただし、他社線との乗換最寄り駅など26駅を除く)の駅名改称案を募集。
  • 2019年(平成31年・令和元年)
    • 1月21日 - 京急川崎駅で開業120周年記念式典を開き、ゼロキロポスト横に記念モニュメントを設置。
    • 6月21日 - 三浦半島で観光タクシー「みさきめぐりタクシー」を京急三崎タクシー(神奈川県三浦市)とともに開始。
    • 9月17日 - 本社を東京都港区高輪二丁目20番20号から神奈川県横浜市西区高島一丁目2番8号の京急グループ本社に移転。
    • 10月1日 - 消費税増税に伴い運賃を値上げ及び空港線の加算運賃を値下げ。
  • 2020年(令和2年)
    • 1月21日 - 京急グループ本社1階に企業博物館「京急ミュージアム」が開館。
    • 3月14日 - 駅名改称案を公募したうちの4駅(産業道路・花月園前・仲木戸・新逗子)及び羽田空港関連2駅(羽田空港国際線ターミナル・羽田空港国内線ターミナル)の駅名を改称。
  • 2022年(令和4年)
    • 11月26日 - 日中の特急と快特の交互10分間隔化、路線バスとの接続改善など、23年ぶりの大規模なダイヤ改正を実施。
  • 2024年(令和6年)
    • 3月15日 - 回数乗車券(通学用割引、身体障がい者用・知的障がい者用回数乗車券を除く)の発売を終了(予定)。
    • 4月5日 - 鉄道乗車ポイントサービスを開始(予定)。

歴代経営陣[編集]

期間 代表 備考
1898年2月25日 - 1903年12月5日 立川勇次郎
1903年12月5日 - 1904年10月23日 岩田作兵衛
1904年10月23日 - 1904年12月22日 雨宮敬次郎
期間 会長 社長 備考
1904年12月22日 - 1907年10月24日 (stub) 雨宮敬次郎 社長制を設ける。
1907年10月24日 - 1909年5月15日 (stub) 栗生武右衛門
1909年5月15日 - 1910年8月5日 (stub) 三浦泰輔
1910年8月5日 - 1918年6月28日 (stub) 青木正太郎
1918年6月28日 - 1921年12月24日 (stub) 安田善三郎
1921年12月24日 - 1923年10月18日 (stub) 安田善五郎
1923年10月18日 - 1930年6月24日 (stub) 青木正太郎
1930年6月24日 - 1939年4月 望月軍四郎 生野団六
1939年4月 - 1941年11月25日 (stub)
1941年11月25日 - 1942年4月30日 (stub) 五島慶太
期間 備考
1942年5月1日 - 1948年5月31日 東京急行電鉄(大東急)時代
期間 代表 備考
1948年6月1日 - 1948年12月23日 上田甲午郎 京浜急行電鉄を設立。
期間 会長 社長 備考
1948年12月23日 - 1950年12月25日 (stub) 井田正一
1950年12月25日 - 1964年2月25日 (stub) 田中百畝 田中百畝は社長在任中の1964年2月11日に死亡。
1964年2月25日 - 1964年5月23日 (stub) 三代目鈴木三郎助
1964年5月23日 - 1969年11月22日 (stub) 佐藤晴雄
1969年11月22日 - 1975年5月27日 (stub) 中川幸一
1975年5月27日 - 1981年6月25日 中川幸一 片桐典徳
1981年6月25日 - 1987年6月26日 片桐典徳 飯田道雄
1987年6月26日 - 1991年6月27日 飯田道雄 芹沢守利
1991年6月27日 - 1997年6月27日 (stub) 平松一朗
1997年6月27日 - 2005年6月29日 (stub) 小谷昌
2005年6月29日 - 2013年6月27日 小谷昌 石渡恒夫
2013年6月27日 - 2022年3月31日 石渡恒夫 原田一之
2022年4月1日 - 原田一之 川俣幸宏

路線[編集]

京急の路線全体、もしくは特に本線を指して京急線と呼ばれる。

以下は前身の京浜電気鉄道や湘南電気鉄道などの路線も含む。

現有路線[編集]

総延長キロ数 : 87.0km

  • 本線 : 泉岳寺駅 - 浦賀駅 56.7km
  • 空港線 : 京急蒲田駅 - 羽田空港第1・第2ターミナル駅 6.5km
  • 大師線 : 京急川崎駅 - 小島新田駅 4.5km
  • 逗子線 : 金沢八景駅 - 逗子・葉山駅 5.9km
  • 久里浜線 : 堀ノ内駅 - 三崎口駅 13.4km


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