小川洋
Lua エラー package.lua 内、80 行目: module 'Module:Message box/configuration' not found
小川洋 おがわ ひろし | |
---|---|
生年月日 | 1949年5月17日(75歳) |
出生地 | 日本 福岡県福岡市 |
出身校 | 京都大学法学部 |
前職 |
国家公務員(通商産業省・経済産業省) 特許庁長官 |
所属政党 | 無所属 |
公選第17-19代 福岡県知事 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2011年4月23日 - 現職 |
小川 洋(おがわ ひろし、1949年5月17日 - )は、福岡県知事(3期)。日本の通産・経産官僚、政治家。特許庁長官、知的財産戦略推進事務局長、内閣広報官を歴任した。
概要[編集]
福岡市出身。福岡県立修猷館高等学校[1][2][3]から京都大学法学部に進み、卒業後、通商産業省に入省。同期入省には、通商産業事務次官の望月晴文、後に同じく特許庁長官となった鈴木隆史らがいる。
2011年4月10日に執行された福岡県知事選挙で初当選。立候補にあたっては自由民主党福岡県連合会所属の一部党員から擁立の動きがあり[4]、その後引退を決めていた麻生渡(元特許庁長官)も「後継者」に指名。2月11日、福岡市内で正式に立候補する意思を示した。その際特定政党の支援は受けず、「県民党」の立場で立候補することも表明[5]。
就任にあたっては暦のいたずらにより4月22日金曜日に麻生渡から引き継ぎを受け、明けて翌週25日月曜日に就任した。2016年に山口県の朝鮮学校補助金支給停止を受けた質問にて、福岡県は過去に朝鮮学校の北九州市からの二重補助金受領問題以後も補助金を続けることを表明した[6]。
2019年の県知事選において、前回と同じように共産党以外に推薦要望届けを提出し、非共産の与野党統一候補を希望していた。宿泊税を巡る福岡市との対立、JR九州への対応に加えて、自民党による推薦要望届けを出したが立憲民主党と先に政策協定を結ぶなどしたため推薦を受けられなかった。2月1日に「野党の代表みたいに捉える向きが一部である。」と表明し、与野党対立候補と見られると保守票を失うとして立憲民主や社民党など各党へ推薦願取り消しを求めた。地元紙の西日本新聞は異例の対応と報道した[7][8][9][10][11][12]。副総理兼財務大臣の麻生太郎が擁立を主導、自民福岡県連会長の蔵内勇夫が推薦した元厚生労働官僚の武内和久らを破り3選[13]。
裏金問題[編集]
1996年から1997年にかけて、通商産業省(現、経済産業省)の大臣官房企画室長の立場にあった間、同室がプールしていた裏金を自らの名義の銀行口座に入れて管理していたとして、2005年8月に経済産業省から懲戒処分を受けており、その直後の同年9月に同省を退官している。
裏金は、日本自転車振興会の補助金を財源とする調査研究業務を行っていた通産省の外郭団体「財団法人 産業研究所」の研究にかかる残余金を、事業を所管する企画室が長年にわたって管理していたもので、小川氏は同室室長であった間に、裏金をそれまで預金されていた口座から自らの名義で新たに開設した口座に移すなど、新たな隠蔽を行ったことがわかっている。
なお、福岡県知事選挙時に使用したパンフレットやビラのプロフィール欄には、大臣官房企画室長の記載を行っていなかった[14]。
略歴[編集]
- 1973年(昭和48年)4月 - 通商産業省入省
- 1987年(昭和62年)4月 - 外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官
- 1990年(平成2年)
- 1月 - 同参事官
- 6月 - 中小企業庁計画部振興課長
- 1991年(平成3年)6月 - 産業政策局消費経済課長
- 1994年(平成6年)7月 - 基礎産業局鉄鋼業務課長
- 1996年(平成8年)7月 - 通産大臣官房企画室長
- 1997年(平成9年)7月 - 産業政策局商政課長
- 1998年(平成10年)6月 - 資源エネルギー庁長官官房総務課長
- 1999年(平成11年)9月 - 近畿通商産業局長
- 2001年(平成13年)1月 - 内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)
- 2002年(平成14年)6月 - 食品安全委員会(仮称)設立等準備室長に併任
- 2003年(平成15年)7月 - 産業技術環境局長
- 2004年(平成16年)6月 - 特許庁長官
- 2005年(平成17年)
- 9月 - 退官
- 11月 - 三井住友海上火災保険顧問
- 2006年(平成18年)11月 - 内閣官房知的財産戦略推進事務局長
- 2007年(平成19年)11月 - 内閣広報官
- 2010年(平成22年)8月 - 内閣広報官を退任
- 2011年(平成23年)
- 4月10日 - 福岡県知事選挙に初当選
- 4月25日 - 福岡県知事に就任
- 2015年(平成27年)4月12日 - 福岡県知事に再選
- 2019年(平成31年)4月7日‐福岡県知事3選
出典[編集]
- ↑ 東京修猷会 第508回二木会(2004年1月8日(木))
- ↑ 東京修猷会 第570回二木会(2010年11月11日(木))
- ↑ 東京修猷会 第592回二木会(2013年4月11日(木))
- ↑ “福岡県知事選 元内閣広報官で調整 自民、小川洋氏擁立の動き”. 産経新聞. (2010年11月21日) 2010年11月27日閲覧。
- ↑ “知事選へ小川氏決意”. 朝日新聞. (2011年2月12日) 2011年2月12日閲覧。
- ↑ INC, SANKEI DIGITAL. “朝鮮学校への補助金交付 福岡知事「今後も続ける」”. 産経ニュース. 2019年2月4日閲覧。
- ↑ “福岡県知事、宿泊税巡り「職を賭す」 福岡市と対立、解決に全力”. 47NEWS. 2019年2月4日閲覧。
- ↑ “【福岡コンフィデンシャル】宿泊税で溝 選挙で「仕返し」”. 西日本新聞Web. 2019年2月4日閲覧。
- ↑ “【福岡コンフィデンシャル】知事選「与野党対決」回避 立民、現職推薦取り下げへ 小川氏誤算異例の辞退”. 西日本新聞Web. 2019年2月4日閲覧。
- ↑ INC, SANKEI DIGITAL (2019年2月2日). “福岡知事選で小川洋知事、政党推薦願を全て取り下げ 政治的センス疑う声”. 産経ニュース. 2019年2月4日閲覧。
- ↑ “小川氏、政党推薦願取り下げ=「与野党対決」回避-福岡知事選(時事通信)”. Yahoo!ニュース. 2019年2月4日閲覧。
- ↑ “小川氏、各党推薦願取り下げ 福岡知事選で「与野党対決」回避”. 日本経済新聞 電子版. 2019年2月4日閲覧。
- ↑ “知事選大敗で自民福岡県連会長が辞任へ”. 毎日新聞. (2019年4月8日) 2019年4月8日閲覧。
- ↑ “小川福岡知事に「裏金管理人」の過去、懲戒処分後に特許庁長官を退任”. ニュースサイトHUNTER. (2011年12月2日)
外部リンク[編集]
公職 | ||
---|---|---|
先代: 今井康夫 |
特許庁長官 2004年6月22日 - 2005年9月6日 |
次代: 中嶋誠 |
スクリプトエラー: モジュール「navbox/former」はありません。 テンプレート:福岡県知事
This article "小川洋" is from Wikipedia. The list of its authors can be seen in its historical and/or the page Edithistory:小川洋.
This page exists already on Wikipedia. |