古橋ともき
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古橋 智樹 ふるはし ともき | |
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生年月日 | 1971年4月6日(53歳) |
出生地 | 茨城県かすみがうら市稲吉東 |
出身校 | 日本体育大学 |
所属政党 | 無所属 |
公式サイト | 古橋ともきWeb |
かすみがうら市 市議会議員 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
2007年1月 - 2010年11月 2011年1月- 2014年11月 2015年1月 - 現職 |
古橋 智樹(ふるはし ともき、1971年4月6日 - )は、日本の政治家。
2017年になり、かすみがうら市議会の副議長に任命される。
略歴[編集]
- 1971年4月 かすみがうら市稲吉東(旧・千代田村下稲吉)地区生まれ
- 1978年3月 かすみがうら市立さくら保育所(旧:第三保育所)卒園
- 1984年3月 かすみがうら市立下稲吉東小学校卒業
- 1987年3月 かすみがうら市立市下稲吉中学校卒業
- 1990年3月 茨城県立土浦第一高等学校普通科卒業
- 1994年3月 日本体育大学体育学部卒業[1]。
議員歴[編集]
- 2007年1月 かすみがうら市議選に立候補し、初当選(第1期)。
- 2010年11月 市議の任期途中、茨城県議に出馬のため、かすみがうら市議を辞職。
- 2010年12月 茨城県議選に立候補するも、同じかすみがうら市の戸塚潔に敗れ落選。
- 2011年1月 かすみがうら市議選に立候補し再当選(第2期)。
- 2014年11月 市議の任期途中、再び茨城県議に出馬のため、かすみがうら市議を辞職。
- 2014年12月 茨城県議選に立候補するも、再び戸塚潔に敗れ落選。
- 2015年1月 かすみがうら市議選に立候補し三度目の当選(第3期)。
- 2017年2月 かすみがうら市議会の副議長に任命される。
人物[編集]
2014年12月の県議選に立候補するも落選したが、翌月(2015年1月)は市議選にも立候補しているため、自然に市民からの知名度が高くなり、市議選では定員16名のところ18名の立候補者で、3位の得票数を確保し当選(なお、2011年1月の市議選では定員16名のところ18名が立候補し、10位での当選だった。)
元・衆議院議員秘書、茨城市町村政策研究会会員、株式会社Mind-Neo サウンドスタジオ代表取締役。
趣味:エレキギター、ベース、ドラム演奏。
政党のポスター[編集]
2010年、2014年の2度の県議選とも対立候補者は同じ市内の戸塚潔であったが、古橋と戸塚潔の両名ともに無所属で立候補するにもかかわらず、選挙事務所や自宅に自由民主党の選挙ポスターや安倍晋三のポスターが貼り付けてある。
議会改革[編集]
坪井透の第一期市長時代(2007年5月)に議会で、市議会議員選挙直後に議員報酬を11万円の大幅増額を提案された際、古橋は多くの市民感覚と同様に、最初は議員報酬大幅増額案に反対表明するが、ベテラン議員からの説得を受け、「先輩議員の仕事の大変さを聞いたら議員報酬の大幅増額に賛成します。」と答え、古橋は議員報酬大幅増額に賛成の立場に変わる。 当時、古橋は市議会議員の中では最年少であった。
その後、坪井市長と賛成した議員(古橋を含む)は一般市民の激しい怒りを受けてから余儀なく大幅増額を撤回される[2]。
議会提言[編集]
石岡市の中で旧・八郷町柿岡地区に気象庁地磁気観測所があるため、その観測所から35Km圏内では都心を走るほとんどの電車が直流方式のため直接北進せず、東日本旅客鉄道の常磐線の場合、茨城県取手駅止りになってしまい、取手以北への鉄道事情が悪いことも、茨城県の全国魅力度最下位にもつながっている。との認識である[3]。
議員宣言[編集]
- 第2期(2011年1月)
- かすみがうらに若き力を
- 第3期(2015年1月)
- とことん発言、実行力。 かすみがうら市から茨城を変える。日本を変える。
座右の銘[編集]
「人間万事塞翁が馬」
脚注[編集]
- ↑ 古橋ともきWeb
- ↑ 日本テレビ(NTV)・NNN Newsリアルタイム、テレビ朝日・スーパーモーニング - いずれも2007年5月
- ↑ かすみがうら市議会 平成28年第4回本会議2日目 2017年12月7日(水)
外部リンク[編集]
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