アンドレ・プレヴィン
アンドレ・ジョージ・プレヴィン(André George Previn, 1929年[1]4月6日[2] - 2019年[3]2月28日[4])は、ドイツ出身[5]のピアノ奏者、作曲家、指揮者。[6][7][8]
ベルリンにてアンドレアス・ルートヴィヒ・プリヴィン(Andreas Ludwig Priwin)として生まれる。[9]父ヤコブは地元で有名な法律家であったが、ピアノも堪能にし、自邸で毎週室内楽のコンサートを催す音楽愛好家でもあった。[10]その父に絶対音感を認められ、6歳でベルリン高等音楽院に通うようになった。[11]1938年にユダヤ人であるという理由でベルリンの音楽院を追放されると、パリに移り、パリ音楽院で勉学を続けた。[12][13]1939年には家族でアメリカのロサンゼルスに移住し、[14][15]作曲をヨーゼフ・アクロンとマリオ・カステルヌォーヴォ=テデスコに[16][17]、ピアノをマックス・ラビノヴィチに、[18]ヨーゼフ・シゲティに室内楽を[19]それぞれ師事。演奏活動はロサンゼルスに引っ越した頃から映画館やジャズ・クラブ等で行っており、[20]無声映画のピアノ伴奏の仕事で場面転換に気付かずにラグタイムを演奏し続けて解雇されたこともある。[18]ビバリー・ヒルズ高等学校[21]の在学中からサンセット・レコーズでの録音に参加し、18歳の時にはRCAレーベルで自分名義のレコードを制作している。[22]作曲家としては、1944年にホセ・イトゥルビが出演する映画で、イトゥルビが即興風の演奏を披露する場面の音楽を書いて評判を取り、[23]メトロ・ゴールドウィン・メイヤー等で作編曲の仕事をするようになった。[9]1950年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの専属となったが、その年のうちに徴兵により2年間第6軍楽隊に所属。[18]1951年の軍務中にサンフランシスコでピエール・モントゥーの知己を得、モントゥーに指揮法を師事している。[9]1953年からハリウッドでの仕事を再開し、1959年にはメトロ・ゴールドウィン・メイヤーを退職。[18]1962年にセントルイス交響楽団を指揮してコンサート指揮者として活動を始める。[24]1967年からヒューストン交響楽団の首席指揮者を務めたが、女優のミア・ファローとの不倫が問題になり、1969年に辞任。1968年から[25]1979年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務め、[26]辞任後、同楽団史上初の名誉指揮者の称号を得た。[27]1976年から1984年までピッツバーグ交響楽団、1985年からロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務める。[28]1986年から1989年まで[29]ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督を兼任。ロサンジェルス・フィルハーモニックのポストの兼任により、1987年からロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督のポストをヴラディーミル・アシュケナージに譲り、1992年まで首席指揮者として同団の指揮台に立った。[30]2002年から2006年までオスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者[31]2009年から[32]2012年までNHK交響楽団の首席客演指揮者を務め、退任後は同交響楽団から名誉客演指揮者の称号を贈られた。[33]1996年にはKBEを受勲。[34]1998年にケネディ・センターの生涯功績賞を受賞し、1999年にミュージカル・アメリカの「ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー」として表彰された。[35]
マンハッタンの自宅にて死去。[4]
脚注[編集]
- ↑ 生年については、1930年という説もある。(Moss, Stephen (2005年6月6日). “Baton charged”. The Guardian. オリジナルの2013年12月2日時点におけるアーカイブ。 2013年12月2日閲覧。)
- ↑ アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ “【訃報】アンドレ・プレヴィンさん逝く”. テレビ朝日 芸能ニュース. (2005年6月6日). オリジナルの2023年1月22日時点におけるアーカイブ。 2023年1月22日閲覧。
- ↑ 4.0 4.1 Stamberg, Susan (2019年2月28日). “André Previn, Musical Polymath, Has Died At Age 89”. NPR. オリジナルの2019年3月2日時点におけるアーカイブ。 2019年3月3日閲覧。
- ↑ 1943年にはアメリカ市民権を取得。(“訃報 〓 アンドレ・プレヴィン, 米国の指揮者・作曲家・ピアニスト”. Reuters. (2019年3月1日). オリジナルの2023年1月22日時点におけるアーカイブ。 2023年1月22日閲覧。)
- ↑ “Previn, André (George) - Oxford Reference”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。
- ↑ Stearns, David Patrick (2019年2月28日). “André Previn obituary”. The Guardian. オリジナルの2023年1月22日時点におけるアーカイブ。 2023年1月22日閲覧。
- ↑ Barron, James (2019年2月28日). “André Previn, Whose Music Knew No Boundaries, Dies at 89”. The New York Times. オリジナルの2020年3月1日時点におけるアーカイブ。 2020年3月1日閲覧。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 “André Previn | American composer and musician | Britannica”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ パリ音楽院ではマルセル・デュプレにレッスンを受けた。(“1944-46 – André Previn's Jazz”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。)
- ↑ アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ 父ヤコブは移住先でピアノ教師として生計を立てたが、息子へのピアノの手解きはしなかった。(アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン)
- ↑ アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ エルンスト・トッホの薫陶も受けた。(“André Previn | LA Phil”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。)
- ↑ 18.0 18.1 18.2 18.3 “André Previn, prodigiously talented conductor, pianist and composer who was an Anglophile and a champion of British music – obituary”. The Telegraph. (2019年2月28日). オリジナルの2023年1月22日時点におけるアーカイブ。 2023年1月22日閲覧。
- ↑ Swed, Mark (2019年3月6日). “Appreciation: André Previn: A hit in Hollywood, lionized in London, but it all began in Berlin”. Los Angeles Times. オリジナルの2023年2月13日時点におけるアーカイブ。 2023年2月13日閲覧。
- ↑ “André Previn Biography, Songs, & Albums | AllMusic”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。
- ↑ James, Steve (2007年7月6日). “Conductor Andre Previn: at 78, time for an iPod?”. Reuters. オリジナルの2023年1月22日時点におけるアーカイブ。 2023年1月22日閲覧。
- ↑ “アンドレ・プレヴィン/グレート・レコーディングス(10CD) | HMV&BOOKS online - 2679692”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。
- ↑ “映画の國 || コラム ||”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。
- ↑ “San Francisco Symphony - PREVIN: Trio for Oboe, Bassoon, and Piano”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。
- ↑ “ジャズピアノ、作曲、交響曲の指揮も! 多彩な「音楽家」アンドレ・プレヴィンの業績を聴こう|音楽っていいなぁ、を毎日に。| Webマガジン「ONTOMO」”. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。
- ↑ 三浦, 淳史「L ロンドン交響楽団」『世界のオーケストラ123』音楽之友社、1993年、96頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276960053。
- ↑ 三浦 1993, p. 99
- ↑ 諸石, 幸生「Previn プレヴィン,アンドレ」『指揮者のすべて』音楽之友社、1996年、109頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276960220。
- ↑ 歌崎, 和彦「L ロスアンジェルス・フィルハーモニック」『世界のオーケストラ123』音楽之友社、1993年、138頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276960053。
- ↑ 三浦, 淳史「L ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団」『世界のオーケストラ123』音楽之友社、1993年、171頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276960053。
- ↑ “Oslo Philharmonic's History | Oslo Philharmonic”. 2023年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月5日閲覧。
- ↑ Swed, Mark (2009年3月18日). “プレヴィンがN響の首席客演指揮者に決定”. ぶらあぼ. オリジナルの2023年4月5日時点におけるアーカイブ。 2023年4月5日閲覧。
- ↑ “指揮者 | NHK交響楽団”. 2023年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月5日閲覧。
- ↑ “André Previn - Wise Music Classical”. 2023年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月5日閲覧。
- ↑ “André Previn | Biography”. 2023年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月5日閲覧。
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