韓国創価学会施設襲撃事件
韓国創価学会施設襲撃事件(かんこく そうかがっかいしせつ しゅうげきじけん)とは、1972年6月から7月にかけて反日、反共を唱える暴徒らが韓国国内で活動していた創価学会会員宅や宗教施設として利用していた会員宅を襲撃した事件。
概要[編集]
1950年代から創価学会が日本国内で「金のかからない宗教」を掲げ日本国内で信者数を増やしていったが、その中に多くの在日韓国人も含まれていた。在日韓国人は1960年台から布教を始めるが1964年には一度「禁教」の処分が下る[1]1965年の日韓基本合意以降、韓国へ帰国した在日韓国人が韓国国内で創価学会の布教活動を行うと在日韓国人たちは当初「韓国国内で日本の文化を伝えてはならない」という法令があることや創価学会が韓国国内で禁教であることを知らず逮捕されたものもいた。そのため在日韓国人たちは創価学会の韓国国内での布教や自分たちの安全を守るため「池田会長は在日韓国人である」「池田大作の先祖は朝鮮人で壬辰倭乱のときに無理矢理日本へ連れてこられた」「池田大作は父親がソウル赴任中に韓国人との間に産まれた」「創価学会(池田大作)の教えは儒教の教えに基づいており日本の宗教ではない」などと事実を捏造した『和光新聞』2001年11月15日号。会員たちの努力により創価学会は光州や釜山などの南部を中心に勢力を増し事件前には数万人が創価学会に入会していた[2]。
しかし1972年6月、日本の公明党議員連が訪朝、北朝鮮の金日成国家主席との共同声明で主体思想(チュチェ思想)を指針として、社会主義建設で大きな進歩をとげたことを取り上げた[3]のを契機に創価学会を「倭色宗教」「赤色宗教」などと批判した。公明党訪朝団の訪朝から1週間後の6月13日、暴徒数名がソウル市内の創価学会員宅を襲撃。学会員に軽傷を負わせ仏壇などを破壊した[4]。これを契機に6月15日には水原、6月23には光州、7月2日には釜山で同様の襲撃があり仏壇が壊されたり池田大作の肖像画が燃やされるなどの被害が発生した。また各地で「創価学会は出て行け!」などの怒号がとんだ[5]。
警察[編集]
警察はこれら事件に対し実質的な捜査を行わず逮捕者も出なかった[5]。後に大統領になる金泳三は「反日、反共」が国家の中心にあり、自分たちに都合の悪いものは排除してきた。共産党や社会主義を協賛するような団体に襲撃をかけても軍事政権が圧力をかけ何もなかったかのようにしてしまう。悪いことは悪いことでしっかりと警察が機能しなくてはいけないと批判している[6]。
軍事政権による禁教政策[編集]
この事件を機に当時の朴正煕大統領は大統領令により創価学会を日本の宗教として再認定し「禁教」と定めたようとしたが国内における創価学会組織としての活動は許可した[5]。その後、韓国創価学会は「SGI韓国」と名を変えた現在に至るまで反日団体として活動するようになった。例として勤行やお題目を挙げる際は西を向いて拝む(東にある日本に尻を向けるという意味)や反日団体としての活動を行うようになる。創価学会の全面的な解禁は金大中が大統領に当選した1997年に解禁されている[7]。
その後の創価学会[編集]
創価学会は事件から3年後の1975年に海外を活動拠点とするためSGIインターナショナルを設立。本部を日本へ置いた。その後創価学会(SGI日本)は韓国を「日本文化の恩人」と位置付け機関紙聖教新聞や池田の著書「ありがとう韓国」ビデオ「韓日友好」シリーズなどを例に「日韓」を「韓日」と表記するなど一定の配慮を行っている。特に池田の著書「ありがとう韓国は韓国国内でベストセラーになった。また池田の韓国に対する歴史認識や配慮などに共感した韓国人がSGIへ次々と入会。現在ではSGI日本に次ぐ100万人の会員を有するまでになった[1]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
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