本田拓人
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府八幡市 |
生年月日 | 1989年9月13日(35歳) |
身長 体重 |
183 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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本田 拓人(ほんだ たくと、1989年9月13日 - )は、京都府八幡市出身の元アマチュア野球選手(投手)。
来歴[編集]
中学時代は京都ヴィクトリーズに所属し、1年秋に内野手から投手に転向[1]。3年次に控え投手として京都府大会で優勝[1]。高校は京都外大西高等学校に進み、1年春からベンチ入り[1]。同年夏の甲子園では、エース北岡繁一の控え投手として決勝戦まで全試合にリリーフで登板する[1][2]。決勝では田中将大(現東北楽天)擁する駒大苫小牧高校と対戦するが、3対5で敗れ準優勝[2]。また、準決勝までの5試合全てで勝ち投手となっており、1年生投手の1大会5勝は荒木大輔(早実→ヤクルト)・桑田真澄(PL学園→巨人)と並ぶ甲子園タイ記録である[2][3]。
その後故障によってフォームを崩したこともあり、エースとなった2年春は選抜に出場したものの初戦敗退、夏は京都府予選敗退と低迷[4]。だが3年夏は2回戦(初戦)で常総学院を延長12回の熱戦の末破り、2年ぶりに甲子園で勝ち星を挙げ、3回戦まで進出した[4]。1学年上に大野雄大、同学年に辻孟彦がいた。
プロ志望であったが指名漏れとなり、卒業後は近畿大学へ進学したが1年で中退した[5]。2009年8月に関西独立リーグの明石レッドソルジャーズに入団[5]。その後、チームの経営難で2011年春にチームは活動休止となり、退団した[6]。
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 「高校野球選手権第12日 京都外大西・本田拓人が桑田真澄以来の4勝目」スポーツ報知、2005年8月18日付9頁
- ↑ 2.0 2.1 2.2 「高校野球 全国高校選手権最終日 今大会アラカルト」日刊スポーツ、2005年8月21日付
- ↑ 「高校野球 全国高校選手権14日目 京都外大西×宇部商 京都・本田5勝目」日刊スポーツ、2005年8月20日付
- ↑ 4.0 4.1 「高校野球 全国高校選手権10日目 京都外大西 守護神本田涙なし敗退」日刊スポーツ、2007年8月18日付
- ↑ 5.0 5.1 「甲子園準優勝投手新天地に 元京都外大西高の本田さん きょう「明石」入団 独立リーグ」神戸新聞、2009年8月8日朝刊28頁
- ↑ 「経営難の明石、今季前期は活動休止 関西独立L」神戸新聞、2011年1月28日朝刊16頁
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