小澤専七郎
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小澤専七郎 | |
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生年月日 | 1905年3月1日 |
出生地 | 福島県 |
没年月日 | 1966年12月4日(61歳没) |
在任期間 | 1947年 - 1948年 |
小澤 専七郎(おざわ せんしちろう、1905年(明治38年)3月1日[1] - 1966年(昭和41年)12月4日)は、日本の実業家、政治家。
来歴[編集]
1905年(明治38年)、福島県石城郡上遠野村に生まれる。東京高等工科学校を卒業。
法律事務所勤務を経て[1]、1938年(昭和13年)には大日本防空食糧の前身である日本防空食糧を設立した[2]。
第二次世界大戦中は金属類回収令により缶詰の代用として陶磁器製の防衛食容器(特許)[3][4]が使用されたため利益を得た。物資動員計画を策定した企画院の田中申一によれば[5]、資材ブローカーであった小沢は陸軍糧秣廠から払い下げられた食糧を壺に入れ「防テンプレート:Ruby/styles.cssページに内容がありません。
1940年(昭和15年)ごろから児玉機関に関与しはじめ、東條英機の側近となった[7]。
1941年ごろに大日本防空食糧株式会社(戦後『日本国民食糧株式会社』と商号変更[注釈 1][9]と日本製塩株式会社を設立して社長となる[10]。
1943年には、1936年の二・二六事件の反乱部隊が宿所としていた赤坂の料亭『幸楽』を買い取り[11][7]、大日本防空食糧会社の本社とした[12][注釈 2]。終戦後には『幸楽』を米軍に売却[7]。
戦後の公職追放政策により政財界の重鎮が引退する中、1947年(昭和22年)4月25日、第23回衆議院議員総選挙において、福島3区にて民主党より出馬し、3位で当選(定数3)[14]。 民主党の総務委員を務めた。この時点で、日本国民食糧、日本製塩、茨木県合同罐詰、小沢木材工業、日東石材の各社長となっており、全国で20数社を統率していた[9]。
財団法人東京保護事業協会会長でもあったが、1948年(昭和23年)、昭和電工事件が発覚し、10月には召喚されて、失脚した[15]。
のち、国際真珠、日本地所造成の社長などになった[1]。
1963年12月17日、裁判所がした仮登記仮処分命令のために556名の農家所有の60坪の土地が内密に日本地所造成に譲渡される被害があり、最高裁判所事務総局の寺田治郎らが法務委員会において答弁を行った[16]。
1966年(昭和41年)12月4日に死去[7]。同月、綾川武治などとともに従五位、勲四等に叙され瑞宝章を受けた[17]。
死去ののちの1971年、小澤が賃貸借していた北海道天塩郡豊富町字上サロベツの国有地3,680平方メートル、幌延町字浜里の国有地564.8平方メートルの土地は、農地法施行令により借主所在不明として農林省から売払いの公告が出された[18]。
脚注[編集]
- 注釈
- ↑ 資料によれば、日本国民食糧株式会社は大日本防空食糧会社の前身であるという記述があるが[8]、この記述は「国民食糧株式会社」の誤りであると思われるため、ここでは後述の裁判記録の時系列を取る。
- ↑ ほかの資料では目黒の雅叙園に本社事務所を置いていたという記述があるが、社名が「大日本防テンプレート:Ruby/styles.cssページに内容がありません。
衛 食糧株式会社」と記載されており[13]、ほかの資料と齟齬があることや、同例の資料に見られる「防衛食糧」表記も書き間違いである可能性が大きいため、「阿部四郎1990」と「斎藤1973」の記載を採る。
- 脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『大衆人事録』第19版、東日本篇、帝国秘密探偵社、90頁。
- ↑ 小松 1999, p. 68.
- ↑ 伊藤克司 丹羽邦男『岐阜県の百年』山川出版社、1989年8月29日、254頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 4634272105。
- ↑ “常設展資料目録 (2016年4月展示資料更新)p15 (PDF)”. 戦争と平和の資料館ピースあいち. 2021年4月15日閲覧。
- ↑ 田中 1974, pp. 19-20.
- ↑ 田中 1974, p. 176.
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 斎藤伊知郎 1973, p. 312.
- ↑ 小松 1999, p. 75.
- ↑ 9.0 9.1 東京高等裁判所 昭和28年(を)4号の2 判決 (Westlaw 1959WLJPCA 12260015)
- ↑ 東京地方裁判所 昭和32年(特わ)276号 判決 (Westlaw 1965WLJP04100002)
- ↑ 田中 1974, p. 173.
- ↑ 阿部四郎 1990, p. 427.
- ↑ 小出種彦 1964, p. 214.
- ↑ “小沢専七郎 | 衆議院選挙結果 | 国会議員白書”. sugawarataku.sakura.ne.jp. 2021年4月17日閲覧。
- ↑ 共同通信報道写真。
- ↑ 1963年12月17日衆議院議事録第4号 - 国会議事録検索システム。
- ↑ 1941年12月12日官報(本紙第11999号)。
- ↑ 1971年9月17日官報(本紙第13423 号)
参考文献[編集]
- 衆議院事務局 『衆議院要覧 昭和22年12月現在 乙』 衆議院事務局、1947年、35頁 。
- 小松, 旭『西海考古 創刊号 防衛食容器に関する一考察』西海考古同人会事務局、1999年4月30日。
- 三井, 弘三『概説近代陶業史』日本陶業連盟、1979年4月。
- 萩谷, 茂行「戦時下の陶磁器産業における製造、流通への考察 -戦時統制と製品-」『京都造形芸術大学』第7巻34319乙、京都造形芸術大学、2018年。
- 田中, 申一『日本戦争経済秘史―十五年戦争下における物資動員計画の概要』コンピュータ・エージ社、1974年12月20日。
- 日本罐詰協會研究部『罐詰時報 20(5)(223) 防衛食としての缶詰の栄養価値』日本罐詰協會、1941年5月。国立国会図書館書誌ID:モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。000000004430。
- 斎藤, 伊知郎『いわき商業風土記 : ペンとカメラのふるさと100年の辞典』坂本紙店、1973年。doi:10.11501/96400572。国立国会図書館書誌ID:モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。000001171185。
- 『衆議院要覧. 昭和22年12月現在 乙』衆議院事務局、1947年。国立国会図書館書誌ID:モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。000000670439。
- 『有田町史 政治・社会編 2』有田町史編纂委員会、1986年6月。国立国会図書館書誌ID:モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。000001811737。
- 『発明 = The invention. 45(4)』発明推進協会、1948年7月。国立国会図書館書誌ID:モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。000000019724。
- 『大衆人事録.第19版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。国立国会図書館書誌ID:モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。000000866852。
- 阿部, 四郎『食品と容器 = Food & packaging. 31(8)(361) 続防衛食「つぼ詰」の話』缶詰技術研究会、1990年8月。doi:10.11501/3319125。国立国会図書館書誌ID:モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。000000011656。
- 小出, 種彦『茶わんや水保 : 陶業人水野保一の生涯』水野保一伝記編纂委員会、1964年。doi:10.11501/2985512。国立国会図書館書誌ID:モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。000001059431。
関連項目[編集]
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