右と左
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作者 | ウィンスロー・ホーマー |
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製作年 | 1909年 |
種類 | カンバスに油彩 |
寸法 | 71.8 cm × 122.9 cm (28.3 in × 48.4 in) |
所蔵 | ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アート |
所有者 | ナショナル・ギャラリー・オブ・アート |
『右と左』(みぎとひだり、原題〈英題〉:Right and Left )は、アメリカ人画家ウィンスロー・ホーマーが最晩年に手掛けた油彩画である。1909年製作。
描かれたのは、飛び立つ番い(つがい)のホオジロガモ(頬白鴨)を猟師が散弾銃で射撃した瞬間で、間違いなく仕留められた画面右の一羽は既に落下しつつある。後に付けられた原題は射撃(弓矢に始まる)用語 "right and left" のことで、複数の標的に向けて左右交互に連射する際の掛け声であり、その動作の名称でもある。
死まで2年足らずのときに完成して、ホーマーにとって最後の大作であり[1]、その由来、構図および意味に関してさまざまな解釈のまととなった作品である。ホーマー後期の他の傑作と同様に、この作品は初期の狩猟にかんする題材へのホーマーの回帰を示すものであり、また、このテーマに取り組んだ最後の作品となった。
デザインは日本美術のそれを思わせる。構図はジョン・ジェームズ・オーデュボンの彩色版画のそれに似ている(#絵画)。
背景[編集]
1908年5月、ホーマーは、軽い発作の影響で言語および身体の制御の一時的な障害をこうむった。 6月4日、彼は兄弟のチャールズ(Charles)あてに手紙を書いて送った、「わたしは以前のように描くことができます。わたしは、片眼をポットに、そして他方の目を煙突に置いているので自分の絵をますますよいと考えます - 美術の世界における新たな出発です。」[2] 7月18日には、自分は能力を取り戻したと書き記したが、「過去20年間やってきたようにネクタイを」結ぶことはできず、「....4、5日目ごとにやろうとしましたが、....むだでした。」と記した[3]。 ホーマーはその後も完全に回復することはなかったが、大作を試みることができるほどには健康であり、おそらくは、1908年12月8日付けの兄弟チャールズあての手紙で言及していた作品が『右と左』だったのであろう: 「わたしはじゅうぶんに明るいときに、たいへん驚くべき絵を描いています。」[4][5]
ホーマーの伝記作者たちは、この絵の着想と創作当初の事情について様々に異なる説明をしている。 ホーマーの最初の伝記作者ウィリアム・ハウ・ダウンズ(William Howe Downes)は、絵に利用されたカモは、感謝祭の晩餐のために画家によって購入されたと書いた。 ホーマーは、カモの羽衣(うい、en:plumage)に感銘を受け、それを絵に描いたのだという[7]。 ホーマーの甥が、ホーマーの別の伝記作者フィリップ・ビーム(Philip Beam)に語ったところによれば、その秋、画家の友人フィニアス・W・スプレーグ(Phineas W. Sprague)がLua エラー package.lua 内、80 行目: module 'モジュール:仮リンク/link' not foundで撃ち穫ったカモをホーマーの画室の扉にぶら下げ、その配置が絵のデザインの霊感を与えたのだという[7]。しかし、オーデュボンが「魚に似ており、私の意見では食用には適さない」と評したホオジロガモの味を考えれば、食用とするためホオジロガモを入手したとする点で、いずれの話もまったく信じることはできない[7]。
同様に、ホーマーがこの絵を描くためにした準備についても様々な話がある。 ダウンズは、ホーマーがLua エラー package.lua 内、80 行目: module 'モジュール:仮リンク/link' not foundをもつ男と一緒に、船で海に出て行き、撃たれた鳥の動きを研究したことを詳しく述べている[7]。 ビームによれば、ホーマーはプラウツ・ネックの崖の頂に立ち、隣人Lua エラー package.lua 内、80 行目: module 'モジュール:仮リンク/link' not foundが、沖の漕ぎ舟から彼の方向にむかって空包射撃をしたと述べている[7]。 しかしながら、ホーマーは、1864年に南北戦争で撃たれる側の兵士という題材『Defiance』、1892年には、遠くにライフル銃の硝煙を、前景に致命傷を負ったシカを描いた『A Good Shot, Adirondacks』(画像参照)を制作しており、すでに散弾銃の射撃を受ける側からの視角からの描写は手がけていた[7]。 とりわけ後者は、『右と左』の構図と意図を先取りしていた[6]。
絵画[編集]
「その抑えられた色と非凡な構図」が、日本美術に影響を受けたものであることは、美術史学者によって指摘されてきた[1][8][9]。 これは、円山応挙、広重および北斎による鳥類の題材と比較されてきたし、1988年にパリで開催された大規模な「ジャポニスム」(Japonisme)の展覧会にも展示された[9]。 さらに、この構図は、ジョン・ジェームズ・オーデュボンの版画『ホオジロガモ(英題: Golden-Eye Duck )』(■右に画像あり)にも似ている[1]。
鳥類をもっぱら、死せる静物題材として描く伝統に対して、『右と左』は、死のまさにその瞬間を描写しているところに独自性がある[10]。 彼らのすばやい動きにもかかわらず、鳥らは速射で凍らせられたかのように見え、そして見る者は、猟師の射線方向にあって、文字通り鳥の立場から見た鳥瞰図を提供されている[10]。 絵は暴力的行為を描いているが、その美的形式は、するどく焦点を合わせた超然的なものであり[10]、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートのニコライ・チコフスキー・ジュニア(Nicolai Cikovsky, Jr.)はこれを、「鳥たちの、よろめくように美しい、ほとんど東洋ふうな配置--このうえなく微妙なクリーム色とグレーの帯を背景に、適切に抽象された姿」と述べている[11]。
このデザインは海と空の4本の水平な帯から成るが、これはカモの身体 - 左の一羽(雄)は上がろうともがいていて、その伴侶は同じような姿勢であるが90度、回転して、すでにぐったりしている - と波頭とが形づくる、一連の垂直なり斜行する形によって結びつけられている[12]。 加えて、鳥らのみずかきのある足とくちばし、そしてボートのへさきは、波のぎざぎざした輪郭を、反復している[12]。 猟師たちの姿はなかば隠されて、あいまいな位置を占めており、彼らの上方の線が表わしているのが地平線なのかそれとも霧の岸なのかは、はっきりしない[12]。 この線の上方には、赤味がかった銀色に描かれた、太陽のふちがある[12]。 右側には、「構図全体への感嘆符の役目を果たす」ちぎれ飛ぶ羽毛が描かれている[12]。
この絵は1909年1月30日、ニューヨークのノードラー商会のギャラリーによって受け入れられ、そしてギャラリーによって『ホオジロガモあるいは口笛のような音をたてるカモ(英題: The Golden Eye or Whistler Duck )』と説明された[9]。 ダウンズによれば、この絵は、最初はホーマーが題名を付けないまま展示されたが、後に、猟師が射撃の際に叫ぶ「右と左!」("Right and left!")という声から名前が与えられた。これは二連式散弾銃で2羽の鳥をすばやく連射して撃ち取ることをあらわす用語である[7][13]。 最初の所有者ランダル・モーガン(Randal Morgan)は、ニューヨークで最初に絵を見たときに、ホーマーの意図についていくつか質問をした。 彼は最も大きな波の方向、そして絵の正面に描かれた水の擾乱の原因について尋ねたが、彼はこれがカモたちが、摂餌の途中で飛び立った跡であると考えていた[9]。 この質問は画家に取り次がれたが、しかしその返答がどのようなものであったかは不明である。 1909年8月3日、モーガンは絵を5,000米国ドルで買い、そのうち4,000米国ドルがホーマーに渡った[9]。
意味[編集]
これは狩猟にかんする題材の絵であり、人気のある逸話的な伝統に属するものではあるが、その題材の暴力性と、ホーマーの死の前年に描かれたという事実から、『右と左』は形而上学的な解釈を招いてきた[9][14]。 美術史学者ジョン・ウィルマーディング (John Wilmerding) は、この絵が、「これらの生物を生と死の狭間において提示することによって死に光を当て、その瞬間性と普遍性の感覚」を具現化したのだと述べている[9]。 この作品は、ホーマーの狩猟絵画の総決算であり、この題材を「ほとんど遺言的な最終性」をもって提示しているものである[1]。
ホーマーにとって終生続いた狩猟への関心を要約する作品であることや、彼以前の画家たちの諸作品からの影響といった点に加えて、この作品には、現代的な、皮肉の意味も意図されていたかもしれない: 1908年当時、人間にとって空の旅は、新たに出現した、まだ変化しつつある事象であり、飛行には冒険と危険がつきものであった[4]。 彼の世俗的で、絵画的な知性を考慮に入れれば、ホーマーが『右と左』に、近代生活のこうした側面への言及を意図したということもあり得るだろう[4]。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 仮訳による邦題:『命中、アディロンダック山地』
出典[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 Cikovsky, 374
- ↑ Cikovsky, 405
- ↑ Cooper, 238-239
- ↑ 4.0 4.1 4.2 Cikovsky, 375
- ↑ Cikovsky, 406
- ↑ 6.0 6.1 Cooper, 184
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 Cikovsky, 388
- ↑ Gardner, 206
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 Cikovsky, 389
- ↑ 10.0 10.1 10.2 Lubbock
- ↑ National Gallery of Art
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 Cooke, 118
- ↑ National Gallery of Art
- ↑ Cikovsky, 374-375
参考文献[編集]
- Cikovsky, Jr., Nicolai; Kelly, Franklin. (1995). Winslow Homer. National Gallery of Art, Washington. ISBN 0-89468-217-2
- Cooke, Hereward Lester. Painting Techniques of the Masters. New York, Watson- Guptill, 1975. ISBN 0-8230-3863-7
- Cooper, Helen A. Winslow Homer Watercolors. National Gallery of Art, Washington: 1986. ISBN 0-300-03695-7
- Gardner, Albert Ten Eyck. Winslow Homer, American Artist: his World and his Work. Clarkson N. Potter, Inc., New York: 1961
- Homer, Winslow: Right and Left (1907). Lubbock, Tom, The Independent. 13 October 2006
外部リンク[編集]
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