丸山龍也
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名前 | ||||||
愛称 | マル | |||||
カタカナ | マルヤマリュウヤ | |||||
ラテン文字 | MARUYAMA RYUYA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1992年7月4日(32歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW・MF・DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
丸山 龍也(まるやま りゅうや、1992年7月4日 - )は、神奈川県横浜市都筑区出身の元サッカー選手。ポジションはFW・MF・DF。
来歴[編集]
7歳の時に横浜市にある横浜港北SCでサッカーを始める。中学卒業後に神奈川県立横浜翠嵐高等学校の定時制課程へ入学し、高体連やクラブユースなど一般的な高校生が所属するクラブには属さず、午前中に社会人チームで練習して午後から通学という生活でプロサッカー選手への道を模索。その後、アルバイトでベトナムなど国内外でトライアウトを受け、高校卒業と同時に岩手県からJリーグ入りを目指していたアンソメット岩手・八幡平と契約。
しかし、2011年冬に左膝の前十字靱帯と内側側副靭帯を断裂。2度の再建手術とリハビリを経て復帰したが、復帰直後に再び前十字靭帯の同箇所を断裂し、結果として3回もの手術・入院を行うこととなり、2年間の長期離脱となった。このリハビリ期間中に東北社会人サッカーリーグのラインメール青森FCへ移籍を行ったが、出場記録はなかった。
2013年冬には、プロ契約を目指しタイでトライアウトを受け、複数チームから契約の話も持ち上がったが[1]、その後2014年にスリランカ・チャンピオンズリーグのニューヤングスFCと契約[2]。
シーズン終了後、ヨーロッパにプレー機会を求め渡欧し、2015年にリトアニア・Lua エラー package.lua 内、80 行目: module 'モジュール:仮リンク/link' not foundのFKタウラス・タウラゲへ移籍[3]。
所属クラブ[編集]
- 1999年 - 2005年 横浜港北サッカークラブ
- 2005年 - 2006年 横浜市立中川中学校サッカー部
- 2006年 - 2007年 FC COJBジュニアユース
- 2007年7月-9月 クルービ・アトレチコ・ジョゼエンセ (留学)
- 2008年 - 2010年 FC COJB
- 2011年 - 2012年 アンソメット岩手・八幡平/アンソメット岩手
- 2013年 ラインメール青森FC
- 2014年 ニューヤングスFC
- 2015年 - 2016年 FKタウラス・タウラゲ
エピソード[編集]
2011年8月には天皇杯全日本サッカー選手権大会の予選にあたる岩手県サッカー選手権大会決勝でグルージャ盛岡と対戦したが、3人目の交代選手として出場した約1分後に危険行為により一発退場。既に10人での戦いを強いられてたアンソメットは9人となり敗れ、天皇杯本戦出場も逃した[4]。
渡欧中にセルビアで出会った代理人に詐欺を仕掛けられ、所持金を全て失ったことをブログで告白し話題になった。
2015年、宇都宮徹壱のメールマガジン「徹マガ」にアンバサダーとして就任[5]。同年、慶應義塾大学法学部を中退[6]。
2018年3月19日に放送されたテレビ朝日系列「激レアさんを連れてきた。」に「国内外のあらゆるサッカーチームの入団テストに落ちまくっているけど、どうしても日本代表入りを諦めない人」として出演しメインキャストのオードリー若林正恭が「良い人生」「マルちゃんのファンになった」と絶賛した[7]。
出演[編集]
- 激レアさんを連れてきた。(テレビ朝日、2018年3月19日放送)
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 公式HP・ゆとり世代フットボーラーβ
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