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天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会

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天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会(てんのうはい ジェイエフエイ ぜんにほん サッカーせんしゅけんたいかい、英: Emperor's Cup JFA Japan Football Championship, The Emperor's Cup)は、日本のサッカーのカップ戦の1つである。第97回大会(2017年度)までは天皇杯全日本サッカー選手権大会(てんのうはい ぜんにほんサッカーせんしゅけんたいかい)と称していた。略称・通称は天皇杯で、他の競技の天皇杯と区別してサッカー天皇杯とも呼ばれる。

優勝チームにAFCチャンピオンズリーグ2への出場権が与えられる。J1リーグ、JリーグYBCルヴァンカップと合わせて日本の国内三大タイトルの1つとされる(スーパーカップは除く)。

概要[編集]

1921年に開始されたサッカーの日本選手権大会で、日本サッカー協会チーム登録種別で第1種登録のチームが予選に参加可能なオープントーナメントである。

第93回(2013年度)までは、元日(1月1日)に国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で決勝戦が開催され、サンケイスポーツなどが「正月の風物詩」と称した。競技場の改修に伴い一時期開催時期や会場を変更したが、第99回(2019年度)以降は、改修後の国立競技場で開催されている。ただし日程については第99回、第100回は元日開催であったが、後述するように第101回以降、国際大会の日程との関係で元日以外の開催が続いている。

第89回大会から第93回大会までは、ベストメンバー規定が適用されていた。

沿革[編集]

1921年 - 1940年 大会創設から戦前[編集]

第1回大会は、大日本蹴球協會創設と同じ1921年に「ア式蹴球全國優勝競技會」の大会名で開催された 。全日本選手権開催とJFA創設の契機は、1919年にイングランドのフットボール・アソシエーション (FA) から日本に贈られた銀杯のFAカップであった。銀製トロフィーは全日本選手権の大会ごとチャンピオンに贈られていたが、第二次世界大戦末期の1945年に金属不足で強制供出されて現存しない。2011年に日本サッカー協会が創設90周年を記念してFA銀杯復刻を計画する。FAに復元の許諾を求めると「FA自ら制作して再度寄贈したい」との返答で、66年ぶりにFA銀杯が復活して天皇杯優勝チームに贈られた。

全国優勝競技会の概要は、1921年9月10日に今村次吉の私邸で行われた大日本蹴球協會の第1回理事会で決められて16日に発表された。第1回大会の予選は1921年9月から11月にかけて開催され、関東、中部、関西、西部の4地域から20チームが参加した。11月後半に日比谷公園の芝生運動場で行われた全国決勝大会は、棄権した1チームを除いた3チームが参加、東京蹴球団が初代優勝チームとなった。

第4回(1924年)から、全日本選手権は主催者が内務省となり、当年から始まった総合スポーツ大会である明治神宮競技大会(明治神宮大会)のア式蹴球の部を兼ねる。大会の運営はJFAが担当した。

第6回(1926年)は、内務省主催による明治神宮大会に学生の参加は認められないとする文部省の意向により、全日本選手権と明治神宮大会はそれぞれ個別の大会として開催される予定が、大正天皇崩御のために中止された。

第7回(1927年)は再び学生の参加が許され、明治神宮大会を兼ねた。この年から明治神宮大会の開催が毎年から隔年へ変更され、明治神宮大会が開催されない年は独立して全日本選手権を行う。

当時全日本選手権の覇権を争った多くは大学チームだった。大学リーグ戦や東西対抗王座決定戦などの大会が始まり活況を呈するにつれ、全国から参集する全日本選手権よりも有力選手を輩出する大学リーグ戦が着目された。第11回(1931年)に優勝した東京帝大LBは2軍チームで、1軍はリーグ戦の開幕に向けた準備に専念していた。第11回大会から、明治神宮大会のほかに全国地方対抗選手権も兼ねる。

1935年から、明治神宮大会に加えて新たな大会として全日本総合選手権大会が始まった。当年以降は全日本総合選手権の優勝チームが全日本選手権の歴代優勝チームと公式に記録される。FAカップは、第17回大会(1937年)まで明治神宮大会の優勝チームに贈られ、全日本総合選手権の優勝チームは日本蹴球協会杯が贈られた。

1946年 - 1971年 天皇杯授与、実業団時代へ移行[編集]

戦後最初の全日本選手権となった第26回(1946年)は、「復興第1回全日本選手権大会」として開催され、関東と関西の予選を勝ち進んだ2チームが5月5日の決勝大会に参加した。

1947年4月3日の「東西対抗試合」 は昭和天皇が観覧して天覧試合となり、1948年7月にJFAが宮内庁から天皇杯を拝受した。当初天皇杯は東西対抗試合の勝者に贈られたが、第31回(1951年)から全日本選手権の優勝チームに贈られ、大会名は「天皇杯全日本サッカー選手権大会」となる。

第40回(1960年)は、古河電工が実業団チームとして初めて優勝した。大学チームの優勝は第46回(1966年度)の早稲田大学が最後となり、以降は実業団およびプロクラブが占めている。

第44回(1964年度)は、AリーグとBリーグそれぞれ5チームの1位同士による決勝戦が実施された。八幡製鉄と古河電工の試合は延長を経ても決着せず、両チーム優勝となった。大会史上でリーグ戦導入と複数チーム優勝は、この回のみである。

第47回(1967年度)までは開催時期と決勝開催地は一定しなかった。藤枝東高校や国泰寺高校など高校のグラウンドで開催された年度もある。

元日の明治神宮に参拝する初詣客250万人の1パーセントでも、帰路に来てもらえないか、と当時の長沼健らサッカー協会の幹部が思案し、第48回(1968年度)から年末開催として決勝戦を元日に国立霞ヶ丘陸上競技場で開催に変更 した。以降、元日に国立競技場で決勝戦開催が定着した。1968年元旦はNHK杯サッカーが開催された(後述)。

1972年 - 現在 天皇杯のオープン化[編集]

1965年の日本サッカーリーグ (JSL) の発足以降、天皇杯はJSLと全日本大学選手権のそれぞれ上位4チームが出場資格を得ていたが、大会がモデルとしたイングランドFAカップのようなオープンカップを求める声の高まりもあり、第52回(1972年度)からオープン化された。オープン化実現の要因は、第48回(1968年度)から実施した元日決勝の興行的成功による財政面の安定があった。参加チーム数は第52回が75チームであったが、第53回(1973年度)は807チーム、第54回(1974年度)は1105チームと爆発的に増えた。

Jリーグ発足以後はプロチームとアマチュアチームが競う大会となった。第76回(1996年度)から第94回(2014年)まで第2種登録チームの高校生年代も出場資格が与えられた。第76回から、従来の9地区代表が各都道府県代表に改められたことにより、本大会参加チームが80チーム以上に増加した。

第83回(2003年度)までは主に12月から元日に開催されたが、第84回(2004年度)から大会開始を9月下旬に前倒し、寒冷地で開催しづらかった北海道、東北、北信越 地域でも多くの試合が開催可能となった。従来J1のチームは3回戦からシードかつホームゲーム主催権獲得もあったが、第84回は原則3回戦勝ち抜きチームのホーム開催となり、J1チームは4回戦のアウェーゲームで天皇杯開幕を迎えた。スポーツ振興くじ (toto) を実施するため、第85回(2005年度)からJリーグも主催団体に加わった。

第84回から第91回(2011年度)までは、元日の天皇杯決勝のアンダーカードとして、全日本女子サッカー選手権大会決勝戦を開催した。

第100回(2020年度)は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行により、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の中断や日本サッカー協会 (JFA) の活動休止、特別措置法に基づく緊急事態宣言に伴う催事の制限などを受け、日程やレギュレーションが複数回にわたり変更される事態となった。天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会に詳述がある。

第104回(2024年)は、浦和レッズのサポーターが前年の対名古屋グランパス戦で暴動を犯したため、出場資格が剥奪された。このため、アマチュアシードチームが2チームに増えることとなった。

中止大会[編集]

以下の回は開催前に大会自体が中止となっている。各種資料は中止大会も通算回数に含む。

第6回大会(1926年)
大正天皇が1926年12月25日に崩御され、自粛して中止。
第14回大会(1934年)
極東選手権競技大会のため中止。他の競技大会のために中止になった唯一の例。
第21回大会/第22回大会/第23回大会/第24回大会/第25回大会(1941年 - 1945年)
第二次世界大戦のため諸行事中止。
第27回大会/第28回大会(1947年 - 1948年)
世情不安のため中止。

大会名変遷[編集]

  • 第1 - 14回:ア式蹴球全国優勝競技会
  • 第15 - 20回:全日本蹴球選手権大会
  • 第26回:復興全日本蹴球選手権大会
  • 第29 - 30回:全日本サッカー選手権大会
  • 第31 - 51回:天皇杯全日本サッカー選手権大会
  • 第52 - 54回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(中央大会)
  • 第55 - 97回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(決勝大会)
  • 第98回 - :天皇杯 JFA 第◯回全日本サッカー選手権大会

開催方式[編集]

主催・主管団体[編集]

  • 主催:公益財団法人日本サッカー協会、公益社団法人日本プロサッカーリーグ(85回大会から)
  • 共催:NHK、共同通信社、各開催会場の都道府県に所在する共同通信加盟新聞社(1回戦から準々決勝まで)
  • 主管:都道府県サッカー協会
  • 協賛
    • JFAオフィシャルパートナー - キリンホールディングス
    • JFAオフィシャルサプライヤー - アディダスジャパン
    • JFAトーナメントパートナー - ニチバン、モルテン
  • チーム強化費(賞金に相当、税抜):優勝 1億5000万円、準優勝 5,000万円、第3位 2,000万円

大会日程[編集]

元日決勝となった第48回以降、12月または11月下旬に開幕し元日に決勝を迎える日程が定着していたが、北海道・東北・北陸など寒冷地の開催を考慮して第84回以降は9月開幕が定着し、第93回(2013年度)以降は8月末の開幕となった。第84回から第89回(2009年度)の日程は、下記に固定された。第90回(2010年度)以降は、JリーグやJFLなどの試合日程を勘案して1回戦から4回戦の日程は毎年異なる。準々決勝以降の日程は従来の日程をほぼ踏襲する。

  • 1回戦 - 敬老の日である9月第3月曜日を含む週末(都道府県代表チーム、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝チームの出場)
  • 2回戦 - 体育の日である10月第2月曜日を含む週末(J1/J2チーム、JFLシードチームの出場)
  • 3回戦 - 文化の日である11月3日に至近の週末
  • 4回戦 (ラウンド16) - 11月の第3土曜日あるいは12月の第1土曜日
  • 5回戦(準々決勝) - 12月23日前後
  • 6回戦(準決勝) - 12月29日
  • 7回戦(決勝) - 次年1月1日

過密日程を緩和するため、第97回(2017年度)は4月開幕、第98回(2018年)以降は5月開幕で、概ね下記日程が組まれる。リーグ戦、AFCチャンピオンズリーグ、FIFAクラブワールドカップなどと日程が重複または近接する場合は、当該試合に関わるチームの天皇杯の試合は予備日 に開催される。

  • 1回戦 - 5月下旬の土曜日・日曜日(都道府県代表チーム、アマチュアシードチームの出場)
  • 2回戦 - 6月-7月上旬の水曜日(J1/J2チームの出場)
  • 3回戦 - 7月-8月上旬の水曜日
  • 4回戦 - 8月-9月中旬の水曜日
  • 5回戦 - 10月下旬の水曜日
  • 6回戦(準決勝) - 12月中旬の水曜日または12月下旬の土曜日
  • 7回戦(決勝) - 12月下旬の土曜日または翌年1月1日

日程配分は、日本サッカー協会の天皇杯開催規程第9条 で「本大会の開催期日については、原則として開催前年度の実施委員会で決定する。ただし決勝は1月1日とする」と規定されていたが、2014年度以降、サッカー日本代表が出場する国際大会の日程を考慮して決勝が12月中に開催されることが5回あり、天皇杯開催規程第9条の「決勝は1月1日とする」の箇所は削除されている。

  • 第94回:2015年1月9日開幕のAFCアジアカップ2015を考慮し、2014年12月13日に決勝を繰り上げる。
  • 第98回:2019年1月5日開幕のAFCアジアカップ2019を考慮し、2018年12月24日 に決勝を繰り上げる。
  • 第101回:2022年1月27日に開催予定の2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選第7節を考慮し、FIFAクラブワールドカップ2021の日本開催が返上されて余裕が生じた日程を利用して、2021年12月19日に決勝を繰り上げる。
  • 第102回:2022年11月21日から12月18日まで開催される2022 FIFAワールドカップを考慮し、2022年10月16日に決勝を繰り上げる。
  • 第103回:2024年1月12日開幕のAFCアジアカップ2023を考慮し、2023年12月9日に決勝を繰り上げる。

スポーツ振興くじ (toto) の発売は、2回戦から準決勝までJリーグ同士の対戦があった場合に限り発売される。試合により発売されない券種や発売方式が変更になる券種もある。

試合会場[編集]

それぞれの試合は都道府県サッカー協会が主管することもあり、都道府県サッカー協会の意向を踏まえて決定される。Jリーグクラブがホーム側となる試合は、各Jリーグクラブのホームスタジアムまたは準ホームスタジアムで開催されることが多いが、広島県協会など初戦はホームスタジアムで開催を避ける事例 もある。2017年の第97回大会から、3回戦以降準々決勝までは原則として下位カテゴリのチームが所属する都道府県の会場を優先して開催する が、以前はホームタウンに関係なく施設要件を満たす会場が選定され、対戦チームのいずれのホームタウンからも遠く離れた場所の開催もある。2008年 第88回大会の5回戦(ラウンド16)は、浦和対横浜FMが香川県で、新潟対FC東京が鳥取県で、柏対京都が富山県で、川崎対広島が長崎県で、それぞれ開催されている。また第99回 2019年のHonda FC(JFL)はJリーグ勢を相手に準々決勝まで勝ち進んだがすべて相手のホーム開催 だったように会場が確保できない場合などは上位カテゴリの会場となることもある。

決勝戦は、第48回大会から第93回大会までは国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で開催が固定されていたが、国立競技場の施設建て替え工事に伴い旧競技場は2015年に解体され、以降は希望する都道府県協会の立候補を受け付け、日本サッカー協会が理事会で審議する。経緯は第94回大会に詳述がある。第94回大会以降の決勝戦を下記する。

  • 第94回大会:日産スタジアム 神奈川県横浜市
  • 第95回大会:味の素スタジアム 東京都調布市
  • 第96回大会:市立吹田サッカースタジアム 大阪府吹田市
  • 第97回大会・第98回大会:埼玉スタジアム2002 埼玉県さいたま市

第99回大会の決勝は、(新)国立競技場開場後初のスポーツイベントとして開催された。第102回大会の決勝は、第94回大会以来8年ぶりに日産スタジアムで開催された。

出場資格[編集]

本大会はシード出場チームと各都道府県代表47チームが出場する。第89回(2009年度)以降は全88チームが出場する。

シード出場チーム[編集]

シード枠の選考基準はJリーグが2部制となった第79回(1999年度)以降基本的に同じであるが、Jリーグ加盟クラブ数の増加に伴ってチーム数ならびに登場試合の異動が発生している。JリーグのJ1とJ2チームが40チームとなった第92回以降、ほぼ毎年シード枠対象に異動が生じている。

  • J1リーグに所属する全チーム
    第94回までと第97回以降は2回戦から、第95回・第96回は前年成績により4回戦(ACL出場チーム)・2回戦(ACL不出場の前年J1チーム及び前年J2優勝チーム)・1回戦(前年J2・2位以下)から出場
  • J2リーグに所属する全チーム
    第94回までと第97回以降は2回戦から、第95回・第96回は1回戦から出場
  • 以下のいずれかに該当する「アマチュアシードチーム」1チーム(第95回大会以降、1回戦から出場)
    • 日本フットボールリーグ (JFL) 代表 - 第95・97・100回・101回
      • 第95回大会では同年のJFLファーストステージ終了時の最上位チーム。
      • 第97回大会以降は「JFLからの推薦チーム」
    • 大学代表 - 第96・98・99回
      • 前年の全日本大学サッカー選手権大会優勝チーム

第93回大会までは以下の種別ごとに独自にシード枠が設けられていた。

  • 第1種(社会人):開催年のJFL前半戦または前後期制の前期終了時点の成績上位チーム(第91回までは2回戦から、第92回以降は1回戦から出場)
  • 第1種(大学):開催年の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝チーム(第91回まで。1回戦から出場)
  • 第2種:開催年の高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チーム(第83回まで。1回戦から出場)

第94回大会は、「前回大会のアマチュアカテゴリー(J1・J2以外)における最優秀成績チーム」1チームにシード権が与えられた(1回戦から出場)。この要件でシード権が与えられたのは同年限りである。

都道府県代表チーム[編集]

都道府県予選を兼ねる地方大会(都道府県サッカー選手権)の優勝チームまたは代表決定戦の勝利チームが本大会への出場権を得る。優勝チームが上記シード枠で本大会出場となる場合は、準優勝チームが繰り上がる(第81回の長崎大学など)。第94回までは高校・ユース世代である第2種登録チームの参加も認められていたが、規約の改正に伴い第95回大会以降は参加が認められない。J3リーグに参加するチームはシード権が与えられず、アマチュアシード枠に入る資格もなく、全て都道府県予選を制して都道府県代表として出場する必要がある。第52回から第75回までの地区予選は地域リーグのブロックごとに開催されたが、JFA登録チーム数の増加などから、第76回以降は都道府県単位で代表を選出する。

各都道府県予選を兼ねる地方大会を記す。「チーム数」欄は2013年時点のJFA登録チーム数で、上述の理由からこの全チームが各都道府県予選の参加資格を有するものではない。



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