ニコライ・エヴロフ
ニコライ・コンスタンティノフ・エヴロフ(ブルガリア語: Николай Константинов Евров, ラテン文字転写例: Nikolai Konstantinov Evrov, 1936年11月18日[1] - 2019年6月3日[2][3])は、ブルガリアのピアノ奏者。[4]
スリヴェンの出身。少年時代からヨフカ・カロヴァにピアノを習い、トレンダフィル・ミラノフがソフィアで開いた若い音楽家の為の寄宿学校に進学してリューバ・エンチェヴァの門下となる。[2]1960年にブルガリア国立音楽院のエンチェヴァのクラスを卒業する[4]前の1955年にワルシャワで開催された世界青年学生祭典のコンクールで優勝し、[5]1959年にロン=ティボー国際音楽コンクールのピアノ部門で5位入賞。[6]1961年にはリスト=バルトーク・コンクールで4位入賞を果たし、[7]1962年から1976年までソフィア・フィルハーモニー管弦楽団の独奏者を務めた。[8]ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団在籍中の1963年から翌年までモスクワ音楽院に留学し、[4]ゲンリヒ・ネイガウスのクラスで学んだ。[9]。1976年から母校のブルガリア国立音楽院の准教授に転じ、1985年に教授に昇格した。[10]1986年にシドニー音楽院を訪れたが、そのままシドニー音楽院にアーティスト・イン・レジデンスとして留まり、同音楽院で後進の指導に当たった。[11]
シドニーにて没。[12]
脚注[編集]
- ↑ アーカイブ 2022年5月31日 - ウェイバックマシン
- ↑ 2.0 2.1 “Почина проф. Николай Евров”. Барабан. (2019年6月5日). オリジナルの2022年5月31日時点におけるアーカイブ。 2022年5月31日閲覧。
- ↑ 6月4日に亡くなったとする資料もある。(“Почина виртуозът на пианото проф. Николай Евров”. БНР. (2011年12月6日). オリジナルの2023年4月23日時点におけるアーカイブ。 2023年4月23日閲覧。)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 “ЕВРОВ в энциклопедии музыки”. 2022年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月16日閲覧。
- ↑ “Professor Nikolai Evrov celebrates his 75th anniversary”. БНР. (2011年12月6日). オリジナルの2022年6月19日時点におけるアーカイブ。 2022年6月19日閲覧。
- ↑ Rostand, Claude (1959年6月30日). “UN JAPONAIS PREMIER PRIX DE PIANO DU CONCOURS MARGUERITE LONG-J. THIBAUD”. Le monde. オリジナルの2023年4月23日時点におけるアーカイブ。 2023年4月23日閲覧。
- ↑ “Gabos, ciani, evrov, wilde, kasten 3 lps de International Liszt & Bartok Piano Comp. 1961, Coffret 33T chez non-metal - Ref:119729398”. 2023年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月23日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2022年5月31日 - ウェイバックマシン
- ↑ “Search Result for Evrov | Grove Music Online | Grove Music”. 2022年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月1日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2022年5月31日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年5月31日 - ウェイバックマシン
- ↑ “ГАЛЕРИЯ НА ДУМИТЕ”. 2021年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月17日閲覧。
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