クリスティーヌ・ワレフスカ
クリスティーヌ・テレーズ・ワレフスカ(Christine Terese Walevska,[1] 1945年[2][3][4][5]3月8日[6] - )は、アメリカのチェロ奏者。[7]
ロサンゼルス出身。父ヘルマン・アントン・ワレツキはポーランド人とドイツ人の血を引く楽器商であり、母マリアン[8]はヴァイオリン奏者であった。[6]7歳の時に母からヴァイオリンの手ほどきを受けたが、ヴァイオリンに馴染めず、[9]8歳の時に父からオーギュスト・セバスチャン・フィリップ・ベルナルデルの子供用チェロを贈られ、[10]父の手ほどきでチェロを始めた。[11]9歳の頃よりエニオ・ボロニーニからチェロの指導を受け、[12]13歳の時にはサンタバーバラでカミーユ・サン=サーンスのチェロ協奏曲を演奏し、[13]グレゴール・ピアティゴルスキーの弟子となった。[14]16歳の時には奨学金を得てパリ音楽院に入学してモーリス・マレシャルの薫陶を受け、[15]18歳でプルミエ・プリを得て卒業。[16]1963年にドイツで演奏活動を始め、1974年には初来日を果たした。[15]1973年からアルゼンチンに住み、[17]1975年にはアメリカ人演奏家として初めてキューバを訪問した。[18]1989年にはコネックス財団からコネックス賞を授与されている。[19] 1990年代半ばからニューヨークに移住。[15]
脚注[編集]
- ↑ “Christine Terese Walevska (born March 8, 1948), American cellist | World Biographical Encyclopedia”. 2023年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2023年8月25日 - ウェイバックマシン
- ↑ 1943年生まれとする資料もある。(アーカイブ 2023年8月25日 - ウェイバックマシン)
- ↑ 1944年生まれとする資料もある。(“Christine Walevska Cellista”. 2023年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。)
- ↑ 1948年生まれとする資料もある。(“Notice de personne "Walevska, Christine (1948-....)" | BnF Catalogue général - Bibliothèque nationale de France”. 2023年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。)
- ↑ 6.0 6.1 “クリスティーヌ・ワレフスカ - CDJournal”. 2023年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
- ↑ クリスティーヌ・ワレフスカ - Discogs
- ↑ 旧姓はマッキンタイア(McIntyre)である。(アーカイブ 2023年8月25日 - ウェイバックマシン)
- ↑ 諸石, 幸生 (2010). “ワレフスカ、隠れた名盤の復活”. ワレフスカ名演集 (Tower Records): 7. ASIN B007Y8T5D4.
- ↑ Perman, Stacy (2020年7月22日). “The mystery of a stolen rare cello has a surprise ending”. Los Angeles Times. オリジナルの2020年7月26日時点におけるアーカイブ。 2020年7月26日閲覧。
- ↑ ワレフスカは「わき目もふらず練習に没頭、たちまち神童として話題を集め」たが、「音楽の世界で生きることの難しさをよく知る父親はこうした賛辞をむしろ警戒し、ワレフスカの成長、それも人間的な成長を深く見つめ、またアドヴァイスしていったという」。(諸石 2010, p. 7)
- ↑ “Christine Walevska Cellista”. 2023年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
- ↑ Hornig, Norbert (2020年3月12日). “Die Cellistin Christine Walevska - "Göttin des Violoncellos"”. Deutschlandfunk. オリジナルの2023年8月27日時点におけるアーカイブ。 2023年8月27日閲覧。
- ↑ 「ピアティゴルスキーの指導も彼女の才能を長い目で育てようとしたものであり、15歳でワレフスカがブロッホの《シェロモ》を演奏しようとした時、『君はこの曲を演奏するにはまだ若すぎる。もっと成長してからだ。25歳まで待て』と厳しい意見を投げかけたという。だが既に彼女が作品を完全にものにしているのを知って、ピアティゴルスキーはこの考え方を変え、ワレフスカも10代で演奏、この曲は彼女のトレードマークのような存在となっている。」(諸石 2010, p. 7)
- ↑ 15.0 15.1 15.2 “クリスティーヌ ワレフスカとは? 意味や使い方 - コトバンク”. 2023年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月27日閲覧。
- ↑ 「チェロ、室内楽の分野でアメリカ人の学生がプルミエ・プリを受賞したのは、これが最初であったという。」(諸石 2010, p. 8)
- ↑ “Tango Romances by Devich Trio”. 2023年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
- ↑ “Renowned cellist to perform in city”. The Oklahoman. (1983年2月24日). オリジナルの2023年8月27日時点におけるアーカイブ。 2023年8月27日閲覧。
- ↑ “Christine Walevska | Fundación Konex”. 2023年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
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