イヴリー・ギトリス
イヴリー・ギトリス(עברית: עברי גיטליס, ラテン文字転写: Ivry Gitlis, 1922年8月25日 - 2020年12月24日[1])は、イスラエルのヴァイオリン奏者。[2][3]本名はイツハク・メイア・ギトリス(עברית: יצחק מאיר גיטליס, ラテン文字転写: Itzhak Meir Gitlis)。[4]
ハイファ出身[5]。5歳の時に両親からヴァイオリンをプレゼントされたが、小さかった為、6歳の頃からアドルフ・ブッシュ門下のエリシェヴァ・ヴェリコフスキーとヨーゼフ・シゲティ門下のミラ・ベン=アミにヴァイオリンを習い[6]、7歳の時には初舞台を踏んでいる[7]。9歳の時にブロニスワフ・フーベルマンに演奏を聴いてもらって才能を認められ、11歳でパリ音楽院に入学した。[8][9]パリではマルセル・シャイエ[10]に師事しつつ、音楽院のジュール・ブーシュリのクラスに所属。1934年にはロンドンに行き、カール・フレッシュのレッスンを受けている[11]。1935年に音楽院でプルミエ・プリを取得[12]した後は、ジャック・ティボーやジョルジェ・エネスク[13]の指導を受け、ベルギーでフレッシュの薫陶も受けた[14]。第二次世界大戦中の1939年からイギリスの軍需工場で働き、1945年までイギリス陸軍の軍事慰問演奏を行った。1946からイギリスで演奏活動を始めたが、1951年にはアメリカに行き、テオドール・パシュカスとその妻アリス[15]のレッスンを受けている。1951年のロン=ティボー国際音楽コンクールに挑戦したが5位に留まり、物議を醸した。1952年にはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と共演して名を上げ、1955年にはアメリカでも演奏活動を行うようになった。1968年にはザ・ダーディ・マックに参加。1980年に初来日[16]以降、度々来日する親日家となり、2011年に東日本大震災が発生した2か月後にも来日して演奏会を開いていた[17]。1988年よりユネスコ親善大使となり[18]、中東、アフリカ等でも活動した。また、いくらかの映画にも出演しており、例えば1975年に制作されたフランソワ・トリュフォー監督の『アデルの恋の物語』の催眠術師役、2003年に制作されたシグフリード監督の『サンサーラ』のムッシュ・クリック役[19]などが挙げられる。
注[編集]
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- ↑ アーカイブ 2020年12月30日 - ウェイバックマシン
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- ↑ アーカイブ 2020年10月28日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年1月26日 - ウェイバックマシン
- ↑ 7歳でフーベルマンに認められたとする資料もある。(アーカイブ 2021年10月20日 - ウェイバックマシン)
- ↑ アーカイブ 2022年4月19日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年9月5日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年10月17日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年8月4日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年10月28日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年4月14日 - ウェイバックマシン
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