イダ・ヘンデル
イダ・ヘンデル(Ida Haendel, 1928年[1][2]12月15日[3] - 2020年[4]6月30日[5][6])は、ポーランド出身のヴァイオリン奏者。[7]
ヘウム出身。[8]父親は肖像画家であった[9]が、本来ヴァイオリン奏者になりたかったらしく、イダの姉アリシア[10]にヴァイオリンを教えていた。[8]イダは3歳ごろに姉のヴァイオリンで母親の歌ったメロディを弾き、[9]父親から手解きを受ける形でヴァイオリンを始めた。[11][12]4歳の時にはワルシャワ音楽院に入学し、[13]ミエチスワフ・ミハウォフスキ、[14]シュテファン・フレンケル、シモン・ゴールドベルク、ロマン・トーテンベルクの各氏に師事。[15]1933年にはフーベルマン・コンクールで優勝し、[16]音楽院から金メダルを贈られている。[7]その後、互助組織のブナイ・ブリスの援助を得て、当時パリ在住だったヨーゼフ・シゲティの門を叩いたが、シゲティはアメリカへの演奏旅行が決まっていた為、[17]カール・フレッシュの指導を受けた。[18][19]1935年のヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール[20]で7位入賞。[21]1936年にイギリスに渡り、[22]クイーンズ・ホールでリサイタル・デビュー。[23]1937年にクィーンズ・ホールでヘンリー・ウッドと共演したが、この頃に、元々の姓の綴りである"Hendel"をジョージ・フレデリック・ハンデルの名前を連想させる"Haendel"綴りに変更してはどうか、というマネージャーの提言を受け入れている。[7]ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール出場後もフレッシュの許で研鑽を積んだが、1937年の夏にはフレッシュの反対を押し切ってパリに行き、そこでジョルジェ・エネスクのレッスンも受けた。[24]エネスクに師事した件で一時的にフレッシュとの関係は拗れたが、結局1939年までフレッシュの許で研鑽を積むことが出来た。[25]1940年にはイギリス国籍を取得して[26]録音活動も開始し、マイラ・ヘスの主催するナショナル・ギャラリー・コンサートにも出演。[27]第二次世界大戦による軍事慰問演奏も活発に行った。[28]1946年から1年間アメリカに演奏旅行に出、[25]1949年には南アフリカとソビエト連邦を訪問。[29]1952年から1989年までカナダのモントリオールを本拠にし、南アメリカやアジア方面にも足を延ばした。1973年にはジョン・プリッチャードの指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の公演に帯同する形で中国を訪問している。[13]1982年にはシベリウス協会からシベリウス・メダルを授与されている。[30]また、1937年から1994年までBBCのプロムスで68回の演奏会をこなしており、[31]1991年には大英帝国勲章のコマンダー章を受勲。[32]
フロリダ州ペンブローク・パークの介護施設にて死去。[33]
註[編集]
- ↑ 1923年生まれとする説もある。その説に対する反論として、1937年のトーマス・ビーチャムが指揮するコヴェントガーデン・サンデー・アフタヌーン・コンサートにヴァイオリンの天才少女として出演することになった際、コンサート主催者側が14歳未満のコンサート出演を認めなかったのを受けて、父ナタンとエージェントのハロルド・ホルトが機転を利かせて14歳ということにして出演させたとするヘンデルの主張がある。(“Violinist Ida Haendel has died”. The Strad. (2020年7月1日). オリジナルの2013年2月14日時点におけるアーカイブ。 2023年2月14日閲覧。)
- ↑ 1924年生まれとする資料もある。(“Ida Haendel obituary”. The Times. (2020年7月7日). オリジナルの2021年10月19日時点におけるアーカイブ。 2021年10月19日閲覧。)
- ↑ “ON THIS DAY | Violinist Ida Haendel was Born in 1928”. The Violin Channel. (2021年12月15日). オリジナルの2023年3月14日時点におけるアーカイブ。 2023年3月14日閲覧。
- ↑ Margolis, Sasha (2020年7月26日). “Essential Historical Recordings: Ida Haendel, the ‘Grande Dame of the Violin’”. Strings. オリジナルの2023年3月14日時点におけるアーカイブ。 2023年3月14日閲覧。
- ↑ “Legendary Violinist Ida Haendel passed away (June 30, 2020) – Keshet Eilon”. 2023年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月14日閲覧。
- ↑ 7月1日を命日とする資料もある。(Fonseca-Wollheim, Corinna da (2020年7月1日). “Ida Haendel, Violin Virtuoso With ‘Fire and Ice’ in Her Playing, Dies”. The New York Times. オリジナルの2020年7月9日時点におけるアーカイブ。 2020年7月9日閲覧。)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 “Ida Haendel | Jewish Women's Archive”. 2013年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月18日閲覧。
- ↑ 8.0 8.1 “A Genius of the Violin – Ida Haendel”. 2013年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月16日閲覧。
- ↑ 9.0 9.1 Fonseca-Wollheim 2020
- ↑ Chiżyński, Maciej (2020年7月4日). “Ida Haendel, la première dame du violon”. Res Musica. オリジナルの2023年3月14日時点におけるアーカイブ。 2023年3月14日閲覧。
- ↑ ハルトナック, ヨーアヒム「すぐれた女流ヴァイオリニストたち」『二十世紀の名ヴァイオリニスト』松本道介訳、白水社、1998年(原著1967年)、408頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784560037386。
- ↑ 父以外の初めてのヴァイオリン教師は、エステラ・グリーンバウムである。(Emmanuel, Lisa Orkin (2010年7月1日). “Virtuoso violinist Ida Haendel still playing at 81”. Boston.com. オリジナルの2020年7月9日時点におけるアーカイブ。 2020年7月9日閲覧。)
- ↑ 13.0 13.1 “Legendary Violinists. Ida Haendel”. 2013年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月3日閲覧。
- ↑ “Michałowicz Mieczysław | Wirtualny Sztetl”. 2020年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月3日閲覧。
- ↑ ハルトナック 1998, p. 408
- ↑ Lacroix, Jean (2020年7月6日). “Ida Haendel, la Grande Dame du violon, nous laisse sa légende”. Crescendo Magazine. オリジナルの2023年3月15日時点におけるアーカイブ。 2023年3月15日閲覧。/
- ↑ “Legendary Violinists. Ida Haendel”. 2013年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月3日閲覧。
- ↑ Fonseca-Wollheim 2020
- ↑ Lacroix, Jean (2020年7月6日). “Ida Haendel making her first appearance in The Strad in 1937”. The Stradine. オリジナルの2023年3月15日時点におけるアーカイブ。 2023年3月15日閲覧。
- ↑ “Prizewinners”. 2013年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月9日閲覧。
- ↑ Oerding, Henrik (2020年7月1日). “WARMHERZIG UND WÜRDEVOLL”. BR-KLASSIK. オリジナルの2020年7月3日時点におけるアーカイブ。 2020年7月3日閲覧。
- ↑ Smith, Harrison (2020年8月4日). “Experience the life, inspirations and iconic recordings of violinist Ida Haendel”. ABC CLASSIC. オリジナルの2020年7月3日時点におけるアーカイブ。 2020年7月3日閲覧。
- ↑ White, Robert (2020年7月1日). “Ida Haendel obituary”. The Guardian. オリジナルの2020年7月2日時点におけるアーカイブ。 2020年7月2日閲覧。
- ↑ キャンベル, マーガレット『名ヴァイオリニストたち』岡部宏之訳、東京創元社、1983年(原著1980年)、298-299頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784488002169。
- ↑ 25.0 25.1 “Haendel Ida - Polish Women Composers”. 2023年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月15日閲覧。
- ↑ “イダ ヘンデルとは - コトバンク”. 2022年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2022年10月1日 - ウェイバックマシン
- ↑ “Ida Haendel”. 2023年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月16日閲覧。
- ↑ キャンベル 1983, p. 299
- ↑ “Ida Haendel – Pristine Classical”. 2023年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月16日閲覧。
- ↑ “Performances of Ida Haendel at BBC Proms - BBC Proms - BBC”. 2023年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月16日閲覧。
- ↑ Emmanuel2010
- ↑ Smith, Harrison (2020年7月2日). “Ida Haendel, Polish-born musician known as ‘grande dame of the violin,’ dies at 96”. The Washington Post. オリジナルの2020年7月3日時点におけるアーカイブ。 2020年7月3日閲覧。
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