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アルトゥール・ルービンシュタイン

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アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein,[1][2] 1887年1月28日[3] - 1982年12月20日[4])は、ポーランド出身のピアノ奏者。[5]

ウッチ出身。[6][7][8]2歳の時にピアノを弾き始め、お姉さんが弾いていた曲を聴いただけで再現[9]できた。[10][11][12]アドルフ・プレヒナーにピアノの手解きを受け、[13]4歳の時にはヨーゼフ・ヨアヒムの前で演奏している。[14][15]7歳で地元のチャリティー・コンサートに出演。[16]その後、裕福な両親の支援により、ワルシャワでアレキサンドル・ロジツキにピアノのレッスンを受けるようになったが、1897年にはベルリンに留学している。[17]ベルリンではカール・ハインリヒ・バルトにピアノ、マックス・ブルッフとロベルト・カーンに音楽理論を学んだ。[18]また、留学先のベルリン高等音楽院の院長であったヨアヒムのヴァイオリンの授業のピアノ伴奏も受け持ち、[3]1899年にポツダムでコンサートを開いた。[19]翌年にはベルリンでも演奏[20]して高い評価を得たが、師のバルトとは折り合いが悪かった。[21]1902年にはエミール・ムウィナルスキの指揮するワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、1903年にはスイスのリオン=ボッソンでイグナツィ・パデレフスキと2回ほど面会して助言を得た。[22]1904年にはパリに移り、[23]興行主のガブリエル・アストリュクと契約して国際的に演奏活動を展開できるようになった。[22]1906年にはアメリカに渡って75回の演奏会を開いたが、聴衆から熱狂的支持こそ受けたものの批評家の評価は良くなく、[24]4年間演奏活動を停止して自己研鑽に励んだ。[25][26][27]1910年にはルビンシテイン音楽コンクールに参加したものの優勝を逃した。しかし、セルゲイ・クーセヴィツキーがこの結果に異議を唱え、優勝賞金と同額の現金をルービンシュタインに渡し、演奏会を手配した。[28]1932年にはムウィナルスキの娘アニエラと結婚。[17]結婚後は一日8時間以上の練習を自らに課し、自らの芸風を深化させていった。[29]アメリカへの演奏旅行中だった1939年に第二次世界大戦が勃発した為にアメリカに移住し[25]、1946年には市民権を取得。[30]ただ、兄弟や親類が悉くホロコーストの犠牲者となった為、ナチス・ドイツと関わりのあった音楽家との共演やドイツでの演奏を拒んだ。[29]長年の演奏活動の実績から、数多くの賞や勲章を贈られている。[31][32]1976年のロンドンのウィグモア・ホールでのリサイタルを最後に演奏活動から引退した。[33][34]

ジュネーヴの自宅で就寝中に死去。[16]

脚注[編集]

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  1. ポーランドでは"Artur Rubinstein"と綴る。(Artur Rubinstein - Życie i twórczość | Artysta | Culture.pl”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。)
  2. 興行師のソル・ヒューロックの勧めで1930年代後半から英語圏での名前の綴りを"Artur"としたが、ヒューロックの死後は"Arthur"に戻した。(McLellan, Joseph (1982年12月21日). “Concert Pianist Arthur Rubinstein Dies at 95”. Washington Post. オリジナルの2022年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/7cibB 2022年12月1日閲覧。 )
  3. 3.0 3.1 Krzywicki, Paul (2016). From Paderewski to Penderecki: The Polish Musician in Philadelphia. Lulu Publishing Service. p. 83. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9781483442679 
  4. Jackson, Kenneth T., ed (1999). The Scribner Encyclopedia of American Lives: 1981-1985. 1. Charles Scribner's Sons. p. 692. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780684804927 
  5. Great Pianists Vol.1 -Backhaus, Lili Kraus, Rubinstein (Live 1939-1956) | HMV&BOOKS online : Online Shopping & Information Site - GHCD2349 [English Site]”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  6. 父イサークは会計士だったという資料がある。(アーカイブ 2022年12月1日 - ウェイバックマシン)
  7. ニューヨーク・タイムズ紙によると、父の名前はイグナーツ(Ignace)で、職業は織工であった。(“ARTHUR RUBINSTEIN DIES IN GENEVA AT 95”. New York Times. (1982年12月21日). オリジナルの2022年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/6UTO1 2022年12月1日閲覧。 )
  8. 一家が紡績工場の経営者だったという資料もある。(Artur Rubinstein - Biografía de Artur Rubinstein”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。)
  9. 姉の間違えた箇所までそっくり再現して弾いてしまったらしい。(英語の格言(405)|アルトゥール・ルービンシュタイン|英語の達人”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。)
  10. ルービンシュタインとはどんなピアニスト?来日したことはある?”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  11. 田原, 礼子 (2016年5月1日). “20世紀ショパン弾きピアニスト第一人者ルービンシュタインは並外れた絶対音感と暗譜力があった!でも?”. クラビアートピアノ教室. オリジナルの2022年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/UVTJi 2022年12月1日閲覧。 
  12. 3歳の時にピアノを始めたという資料もある。(3/15「6本の手と30本の指」 (ヒューマンストリート) [FM FUKUOKA]”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。)
  13. Arthur Rubinstein - Biography | Artist | Culture.pl”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  14. [USED:Cond.AB] The Chopin Recordings : Rubinstein(P)Barbirolli / Lso (5CD Limited) : Chopin (1810-1849)”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  15. ニューヨーク・タイムズ紙の記述によれば、"Artur the Great Piano Virtuoso"と書かれた名刺を持ち歩いており、その名刺にアントン・ルビンシテインが"No Relation"と書き込んだこともあるという。(アーカイブ 2012年9月7日 - archive.today)
  16. 16.0 16.1 “ARTHUR RUBINSTEIN DIES IN GENEVA AT 95”. New York Times. (1982年12月21日). オリジナルの2022年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/6UTO1 2022年12月1日閲覧。 
  17. 17.0 17.1 Artur Rubinstein | שטעטל וירטואלית”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  18. アーカイブ 2021年7月30日 - ウェイバックマシン
  19. アルトゥール・ルービンシュタイン - CDJournal”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  20. ヨアヒムがベルリンでのデビューの演奏会で指揮者として共演した。(Arthur Rubinstein Collection [collection]:Bibliographic Record Description: Performing Arts Encyclopedia, Library of Congress”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。)
  21. Schroetter, Richard (2021年8月6日). “„Unter den Begnadeten ein Auserwählter“”. Deutschlandfunk Kultur. オリジナルの2022年12月1日時点におけるアーカイブ。. http://archive.is/EdByK 2022年12月1日閲覧。 
  22. 22.0 22.1 アーカイブ 2021年11月7日 - ウェイバックマシン
  23. “Kartka z kalendarza. Rocznica śmierci Artura Rubinsteina. Maestro zmarł w Genewie”. ŁÓDŹ.PL. (2021年12月20日). オリジナルの2022年12月1日時点におけるアーカイブ。. http://archive.is/DWXLw 2022年12月1日閲覧。 
  24. 岩井, 宏之 (1993). “アルトゥール・ルービンシュタイン 時代の危機を表現せざるを得なかった前半生と幸福な後半生と”. クラシック不滅の巨匠たち. 音楽之友社. p. 134. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276960039. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。OCLC 834215979 
  25. 25.0 25.1 “アルトゥール・ルービンシュタイン (p) Artur Rubinstein 1887-1982 ショパン弾きの本家にしてホロヴィッツと双璧”. 音楽CD検定公式ガイドブック 上巻. 音楽出版社. (2007). p. 49. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784861710292 
  26. シカゴ・トリビューン紙の記述によると、1907年には困窮して自殺を図ったが未遂に終わっている。(Yuenger, James (2021年8月6日). “A FAMILY AFFAIR IN LODZ TO REMEMBER ARTHUR RUBINSTEIN”. Chicago Tribune. オリジナルの2022年12月1日時点におけるアーカイブ。. http://archive.is/eYFUI 2022年12月1日閲覧。 )
  27. ザックスによると、1908年にベルリンはポツダム広場のベルヴュー・ホテルに滞在していたが、ホテル代が払えないほどに経済的・精神的に行き詰まり、バスルームの洋服掛けにボロボロのガウンの帯を引っかけて首を吊ろうとした。しかし、台にした椅子を蹴った時に帯が千切れてしまい、自殺は失敗に終わった。結局ホテル代は兄スタニスラウと義兄マウリシー・ランダウに払ってもらい、事無きを得た。Sachs, Harvey (1995). Rubinstein: A Life. Grove Press. pp. 105-106. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780802115799 
  28. McCormick, Lisa (2015). Performing Civility. Cambridge University Press. p. 200. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9781107100862 
  29. 29.0 29.1 Whatever Happened to Arthur Rubinstein”. 2022年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月3日閲覧。
  30. Artur Rubinstein | American musician | Britannica”. 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  31. アーカイブ 2022年12月3日 - ウェイバックマシン
  32. 1976年にはアメリカ大統領ジェラルド・R・フォードから自由勲章を授与されている。(アーカイブ 2021年4月3日 - ウェイバックマシン)
  33. Great Performances Arthur Rubinstein”. 2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
  34. ドナル・ヘナハンによると、演奏活動を引退するころには、帯状疱疹の発作に起因する眼の血管が硬化する疾患により、視覚障害に悩まされていたという。(Henahan, Donal (1982年12月21日). “This ageless hero, Rubinstein; He cannot go on like this forever (though some would not bet on that). In fact, there are now some troubling signs.”. New York Times. オリジナルの2022年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/346wx 2022年12月4日閲覧。 )

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