濱田照夫
Lua エラー package.lua 内、80 行目: module 'Module:Message box/configuration' not found
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | はまちゃん | |||||
カタカナ | ハマダ テルオ | |||||
ラテン文字 | HAMADA Teruo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年4月14日(46歳) | |||||
出身地 | 熊本県宇城市 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 30 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
濱田 照夫(はまだ てるお、1978年4月14日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手である。ポジションはDF、MF (右サイドバック、サイドハーフ)。
来歴[編集]
大津高校3年時はキャプテンとしてチームを牽引。また熊本県選抜では国体で準優勝を飾る。高校の同級生には櫛野亮、福留亮などがいる。鹿屋体育大学在学時には九州大学選抜に選ばれる。大学卒業後は沖縄かりゆしFCでプレーしJリーグを目指すが、2003年に沖縄かりゆしFCの他の選手と共にFC琉球を結成。2005年に地元熊本のロッソ熊本に移籍。2006年限りで同チームを退団し、2007年よりFC琉球に復帰した。同年のシーズン終了後引退を発表したが、2008年シーズンより九州サッカーリーグに昇格した、地元のヴァンクール熊本にて現役復帰。鎮西高校にて監督を務める。2019年より折尾愛真中学校・高等学校にて監督を務める。その後2023年にGROW.FOOTBALL.SCHOOL.を設立する。2024年4月よりイロンデル熊本FC(ジュニアユース)を設立予定。
フットサル[編集]
2008年よりCRAQUEで熊本県フットサルリーグ2部に参戦。その年の県1部アスフィーダ熊本との1部2部入れ替え戦において後半から出場。試合の流れを大きく変え、チームを勝利に導き、1部昇格を決める。
所属クラブ[編集]
サッカー[編集]
- 1994年 - 1996年 熊本県立大津高等学校
- 1997年 - 2000年 鹿屋体育大学
- 2001年 - 2002年 沖縄かりゆしFC
- 2003年 - 2004年 FC琉球
- 2005年 - 2006年 ロッソ熊本
- 2007年 FC琉球
- 2008年 ヴァンクール熊本FC
フットサル[編集]
- 2008年 CRAQUE
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 鹿屋体大 | 10 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2001 | 沖縄 | 16 | 沖縄県1部 | - | 1 | 0 | |||||
2002 | 九州 | - | 1 | 0 | |||||||
2003 | 琉球 | 2 | 沖縄県3部 | - | - | ||||||
2004 | 沖縄県1部 | - | 3 | 0 | |||||||
2005 | 熊本 | 19 | 九州 | 14 | 1 | - | 0 | 0 | 14 | 1 | |
2006 | JFL | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
2007 | 琉球 | 6 | 30 | 2 | - | - | 30 | 2 | |||
2008 | V熊本 | 30 | 九州 | - | - | ||||||
通算 | 日本 | JFL | 32 | 2 | - | 0 | 0 | 32 | 2 | ||
日本 | 九州 | - | 1 | 0 | |||||||
日本 | 沖縄県1部 | - | 4 | 0 | |||||||
日本 | 沖縄県3部 | - | 0 | 0 | |||||||
日本 | 他 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
総通算 | - | 6 | 0 |
関連項目[編集]
This article "濱田照夫" is from Wikipedia. The list of its authors can be seen in its historical and/or the page Edithistory:濱田照夫.