沢田哲夫 (1931年- )
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さわだ てつお 沢田 哲夫 | |
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死没 | スクリプトエラー: モジュール「Separated entries」はありません。 |
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出身校 | 東北学院大学経済学科卒 |
職業 | 実業家、政治活動家 |
活動拠点 | 宮城県 |
政党 | 無所属 |
配偶者 | 有 |
公式サイト | 本人のブログ |
沢田 哲夫(さわだ てつお、1931年 - )は、宮城県出身の実業家、政治運動家。
略歴[編集]
- 1931年(昭和6年) - 牛乳屋の8人兄弟の次男として宮城県遠田郡涌谷町に出生。
- 1952年(昭和27年)- 宮城県立小牛田農林学校卒業。
- 1956年(昭和31年)
- 東北学院大学経済学科卒業。弁論部に在籍した。在学中、人口史観に基づく「文明社会進化の法則」を発見。
- 日本電建仙台支社入社。
- 1957年(昭和32年) - 日本電建勤務の傍ら、沢田食品工業株式会社を設立。佃煮加工用イナゴの集荷販売に着手するなどした。
- 1960年(昭和35年) - 日本電建を退社し、東光機材株式会社を設立、酪農用器具の取次販売を行う。
- 1969年(昭和44年) - 東光機材を解散。以後数年間、イナゴの収穫期以外は「文明社会進化の法則」を発展させた「人類永遠化の論理」の執筆に専念する。
- 1975年(昭和50年) - 「人類永遠化の論理」を中央公論事業出版より自費出版。
- 1976年(昭和51年)- 東京都江東区に株式会社沢田総研を設立し、消火器の訪問販売などの事業を行う。
- 1986年(昭和61年) - 沢田総研を出身地の遠田郡涌谷町に移転し、涌谷ライオンズクラブ会長に就任。
- 2003年(平成15年) - 沢田総研ウェブサイトを開設。
- 2006年(平成18年) - 自身のブログを開設。
- 2007年(平成19年) - 第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から出馬したが落選[1]。
- 2010年(平成22年) - 第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から出馬。落選。
自称[編集]
- 「日本・世界・人類社会を構築するビッグなアイディアマン」
- 「地球と人類・人類社会の過去・現在・未来の関係を解明し、『世界国家』像を描いた行動思索家」
- 「マルクス、賀川豊彦、アーノルド・トインビー以上の英雄、人類の宝」
- 「社会科学的頭脳と自然科学的頭脳をバランスよく持ち合わせている人間」
など
立候補歴[編集]
投票日 | 選挙 | 選挙区 | 政党 | 当落 | 得票数 | 得票順位 | 得票率 | 惜敗率 | 供託金 |
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2007年7月29日 | 第21回参議院議員通常選挙 | 東京都選挙区 | 無所属 | 落選 | 7,682 | 17/20 | 0.1% | 0.1% | 没収 |
2010年7月11日 | 第22回参議院議員通常選挙 | 東京都選挙区 | 無所属 | 落選 | 5,636 | 19/24 | 0.1% | 0.1% | 没収 |
- 2010年の参議院選挙に出馬した際に行われた夕刊フジからのインタビュー(外部リンク参照)のときには、「家内に離婚届を突き付けられた」「落選すれば倒産」などと不退転の決意を語っていた。
脚注[編集]
- ↑ “選挙区 東京都:開票結果:参院選2007”. YOMIURI ONLINE (読売新聞) 2013年2月16日閲覧。
外部リンク[編集]
- 沢田哲夫ホームページ
- 本人のブログ
- 超激戦区、個性派候補たちの独自の戦い 参院選・東京選挙区 - ZAKZAK、2010年7月7日付(2010年7月11日時点のアーカイブ)
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