徳永兼一郎
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徳永 兼一郎[1](とくなが けんいちろう、英:Kenichiro Tokunaga、1941年〈昭和16年〉[2]4月26日[3] - 1996年〈平成8年〉[4]5月17日[5])は日本のチェロ奏者。 [6]弟の二男はヴァイオリン奏者。[7]
東京都出身。6歳で小野アンナにヴァイオリンを学んだが、10歳でチェロに転じて斉藤秀雄の門下となった。1956年に日本音楽コンクールのチェロ部門で優勝。[8]1957年に桐朋女子高等学校音楽科に入学し、桐朋学園大学に進学したが、1964年に大学を中退してNHK交響楽団に入団。1967年から独奏者としても活動。1973年にミュンヘンに留学してヴァルター・ノータスのレッスンを受け、1974年からNHK交響楽団の首席チェロ奏者を務めた。また、洗足学園大学の客員教授、東京音楽大学や母校の桐朋学園大学で講師として、後進の指導も行った。
結腸癌に罹患し、[9]神奈川県中井町のホスピスにて死去。[10]
脚注[編集]
- ↑ 本名は「徳永健一郎」。(アーカイブ 2023年9月24日 - ウェイバックマシン)
- ↑ アーカイブ 2023年9月25日 - ウェイバックマシン
- ↑ “徳永 兼一郎とは - コトバンク”. 2022年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月10日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2019年10月23日 - ウェイバックマシン
- ↑ “音楽一家徳永家から継承されたマルトクについて |川崎市や横浜市青葉区のガイナ断熱塗装・雨漏り修理・外壁塗装ならマルトク”. 2023年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月25日閲覧。
- ↑ 徳永兼一郎 - Discogs
- ↑ “第11回 徳永兼一郎( チェリスト) |バイオリン専門店の文京楽器”. 2023年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月25日閲覧。
- ↑ “第21~30回 | 日本音楽コンクール”. 2023年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月22日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2022年2月9日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2023年9月24日 - ウェイバックマシン
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