ベルナルト・ハイティンク
ベルナルト・ハイティンク(Bernard Haitink, 1929年[1]3月4日[2] - 2021年[3]10月21日[4])は、オランダの指揮者。[5]
アムステルダムにてベルナルト・ヨハン・ヘルマン・ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink)[6]として生まれる。[7]1938年から1945年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリン奏者であるシャルル・ファン・ド・ロジエールからヴァイオリンを学び、1947年から1954年までアムステルダム音楽院でヨス・デ・クレルクにヴァイオリンを師事したが、アムステルダム音楽院在学中には1年半ほど兵役に就き、インドネシアに駐留していた。[6][8]音楽院在学中から地元のオーケストラの第二ヴァイオリン・セクションの首席奏者であったが、そのオーケストラで指揮者を務めていたフェリックス・フプカから指揮法を学んだ。1954年[9]と翌年にはヒルフェルサムで開かれた指揮者講習に参加し、フェルディナント・ライトナーのレッスンを受けつつ、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリン奏者[10]として活動。[6]1955年からオランダ放送連合の第二指揮者となり、[11]1957年から[12]1961年まで[13]オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務める。1956年にカルロ・マリア・ジュリーニの代わりにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会でルイジ・ケルビーニのレクイエムを指揮し、以後アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演指揮者として招かれるようになった。[14]1957年にはエドゥアルト・ファン・ベイヌムに招かれてロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団に客演。[15]1961年から、オイゲン・ヨッフムと分け合う形でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任し、1964年から1988年[16]まで単独で常任指揮者兼芸術監督を務めた。[17][18]1962年に初来日。[19]1967年からロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を兼任し、1971年から同管弦楽団の芸術監督となり、1979年までその任に当たった。[11]1977年から1987年までグラインドボーン音楽祭の音楽監督、1987年から2002年までコヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督を歴任。[20]1994年から2000年までEUユース管弦楽団の首席指揮者。[21]1995年からボストン交響楽団の首席客演指揮者を務め、2004年に同交響楽団から名誉指揮者の称号を贈られている。[22]2002年からドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者兼音楽監督[20]であったが、2004年には辞任している。[23]2006年から2010年までシカゴ交響楽団の首席指揮者を務めた。[24]2019年にルツェルン音楽祭に於けるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した演奏会を最後に引退。[25]1977年には名誉KBE、1988年にオックスフォード大学の名誉音楽博士号、1991年エラスムス賞、1998年にはオラニエ=ナッサウ家勲章[26]をそれぞれ贈られた。[27]
脚注[編集]
- ↑ 梅沢, 敬一「Haitink ハイティンク,ベルナルト」『指揮者のすべて』音楽之友社、1996年、84頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276960220。
- ↑ 相場, ひろ「ベルナルト・ハイティンク Bernard Haitink なっている音そのもので勝負するという信念を揺るぎなく実践」『最新版クラシック現代の巨匠たち』音楽之友社、2019年、22頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276962965。
- ↑ “Bernard Haitink,1929-2021 | Askonas Holt”. 2024年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月11日閲覧。
- ↑ “世界的指揮者・ハイティンクさん死去、92歳…コンセルトヘボウの首席指揮者を長年務める”. 読売新聞オンライン. (2021年10月22日). オリジナルの2021年10月22日時点におけるアーカイブ。 2021年10月22日閲覧。
- ↑ ベルナルト・ハイティンク - Discogs
- ↑ 6.0 6.1 6.2 “Bernard Haitink”. 2024年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月11日閲覧。
- ↑ 父ウィレム(Willem Haitink)は公務員、母アンナ・クララ・ベッシャーフェルト(Anna Clara Verschaffelt)はアリアンス・フランセーズの社員であった。(“Search Results”. 2024年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月11日閲覧。)
- ↑ アムステルダム音楽院では作曲も学んでいた。(“ベルナルト ハイティンクとは? 意味や使い方 - コトバンク”. 2021年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月11日閲覧。)
- ↑ 相場によれば「1954年にオランダ放送連合管弦楽団(後のオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団)を振って指揮台にデビュー」とのこと。(相場 2019, p. 22)
- ↑ オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団にヴァイオリン要員として参加したのはライトナーの助言による。(“IM Bernard Haitink - Radio Filharmonisch Orkest”. 2024年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月11日閲覧。)
- ↑ 11.0 11.1 “Challenge Records International BV”. 2024年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月11日閲覧。
- ↑ “Bernard Haitlnk eerste dirigent Radio Filharmonisch Orkest”. NRC. (1957年2月18日). オリジナルの2024年1月11日時点におけるアーカイブ。 2021年1月11日閲覧。
- ↑ “Bernard Haitink 1957-1961”. 2024年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月11日閲覧。
- ↑ “Bernard Haitink: biography, videos, works & important dates.”. 2024年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月12日閲覧。
- ↑ 小石, 忠男「ハイティンク(ベルナルド)」『世界の名指揮者』音楽之友社、1974年、267頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。OCLC 703792580。ASIN B000J93HJ。
- ↑ “ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(ろいやるこんせるとへぼうかんげんがくだん)とは? 意味や使い方 - コトバンク”. 2014年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月12日閲覧。
- ↑ “ハイティンク(はいてぃんく)とは? 意味や使い方 - コトバンク”. 2024年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月12日閲覧。
- ↑ 1999年にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団から名誉指揮者の称号を贈られた。(Cummings, David M. (2000). International Who's Who in Music and Musician's Directory. Routledge. p. 258. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780948875533)
- ↑ “オランダの名指揮者ハイティンクさん死去 ウィーン・フィルと来日”. 朝日新聞DIGITAL. (2021年10月22日). オリジナルの2014年1月12日時点におけるアーカイブ。 2021年1月12日閲覧。
- ↑ 20.0 20.1 ベルナルト ハイティンクとは? 意味や使い方 - コトバンク
- ↑ Delacoma, Wynne (2010年6月19日). “Celebrated conductor Bernard Haitink dies aged 92”. The Guardian. オリジナルの2024年1月12日時点におけるアーカイブ。 2021年1月12日閲覧。
- ↑ “BSO | Bernard Haitink”. 2024年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月12日閲覧。
- ↑ 2006年まで留任の予定だったが、後任人事に関する問題で早期に辞任することになった。ハイティンクが問題にしたのは、まず事前の相談が何もなかったことと。次に、後任のファビオ・ルイージについて、ハイティンクは交響曲のプログラムでの指揮経験の浅さから難色を示し、さらに選考過程に異議を唱える楽員たちがハイティンクに訴え出たのを受けて再投票を進言したのに対し、それらを無視してオーケストラの運営側がルイージの後任人事をアナウンスしたことであった。(“Rufschädigung?”. NZZ. (2004年5月25日). オリジナルの2014年1月12日時点におけるアーカイブ。 2021年1月12日閲覧。)
- ↑ Delacoma, Wynne (2010年6月19日). “Bernard Haitink bids farewell to the CSO with a mature and sophisticated Beethoven Nine”. chicago classical review. オリジナルの2024年1月12日時点におけるアーカイブ。 2021年1月12日閲覧。
- ↑ “【追悼】オランダの名指揮者 ベルナルト・ハイティンク(1929年3月4日 - 2021年10月21日) - TOWER RECORDS ONLINE”. 2024年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月12日閲覧。
- ↑ 小石の著作には「彼は一九六九年にオランダのユリアナ女王からオランジ・ナッソウ勲位に叙され、ヒルヴェルスム近郊のブラリクムに家族と一戸をかまえている。」とあり、1969年にもオラニエ=ナッサウ家勲章を受勲していたことが判る。(小石 1974, p. 268)
- ↑ (Cummings 2000, p. 258)
- ↑ “Bernard Haitink, 1929-2021”. Experience CSO. (2021年10月21日). オリジナルの2014年1月12日時点におけるアーカイブ。 2021年1月12日閲覧。
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