ナタン・ミルシテイン
ナタン・ミロノヴィチ・ミルシテイン(ロシア語: Натан Миронович Мильштейн;ラテン文字転写例: Nathan Mironovich Milstein,[1] 1902年12月24日(ユリウス暦では12月11日)[2][3][4] - 1992年12月21日[5])は、ロシア出身のヴァイオリン奏者、作曲家。[6]
オデッサ出身。[7][8]父マイロン[5][9]はキシナウ出身の商人で、母マリア[10][11][12]は主婦であった[13]が、その母によってヴァイオリンを学ぶように仕向けられた。[14][15][16][17]5歳の頃から地元の音楽院の青年にヴァイオリンを習い、[18]その後、ピョートル・ストリャルスキーの許でヴァイオリンを学ぶようになった。[19][20]1915年にはアレクサンドル・グラズノフのヴァイオリン協奏曲を作曲者自身の指揮で演奏してデビュー。[21][22][23][24]1915年から1917年までペテルブルグ音楽院でレオポルト・アウアーの薫陶を受けた。[25]アウアーがロシア革命によって国外に亡命して以降は、新政府の教育省の要請でオデッサとその周辺都市で演奏活動を展開した。[26]1921年からヴラディーミルと姉レジーナのホロヴィッツ姉弟と出会って共演するようになり、1925年にはヴラディーミル・ホロヴィッツと共にソビエト連邦外に出て演奏活動を行った。[27]そのままヨーロッパ各地を演奏して回り、ホロヴィッツとグレゴール・ピアティゴルスキーとでピアノ三重奏も演奏。1926年にはブリュッセルでウジェーヌ・イザイのレッスンを受けた。[25]1929年にフィラデルフィアでレオポルト・ストコフスキーの指揮するフィラデルフィア管弦楽団とグラズノフのヴァイオリン協奏曲を演奏してアメリカに初登場。[28]1934年からアメリカに定住し、1942年にアメリカ市民権を取得。[29][30]1968年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章のオフィシエ章を受勲。[31]1975年にはヨハン・ゼバスティアン・バッハの無伴奏ヴァイオリンのための作品集の録音でグラミー賞を受賞。[32]1986年にストックホルムでリサイタルを開いた[33]のが最後の公開演奏となった。[34][35]その後、腕の骨折により第一線を退いた。[36][37][38]1987年にケネディ・センター名誉賞を受賞。[39]作曲家として無伴奏ヴァイオリン曲《パガニーニアーナ》[40]が知られ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ニコロ・パガニーニ、[41]ヨハネス・ブラームスのヴァイオリン協奏曲のカデンツァ[42]も出版されている。編曲によるレパートリーの拡充にも熱心で、フレデリック・ショパン、フランツ・リスト、ピョートル・チャイコフスキーやモデスト・ムソルグスキー等の作品の編曲を手掛けた。[43]
ロンドンの自宅で心臓発作により死去。[44]
脚注[編集]
- ↑ 本名はヌシン・メーロヴィチ・ミルシテイン(ウクライナ語: Нусин Меерович Мильштейн;ラテン文字転写例: Nusyn Meerovich Milstein)である。(“Читать онлайн ««Горовиц был мне, как брат…». Письма Натана Мильштейна Владимиру Горовицу: от повседневности к творчеству», Юрий Зильберман – Литрес”. 2023年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。)
- ↑ “Юрий Зильберман КОГДА В ДЕЙСТВИТЕЛЬНОСТИ РОДИЛСЯ НАТАН МИЛЬШТЕЙН? by Horowitz Piano Competition - Issuu”. 2023年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
- ↑ 1904年1月13日(ユリウス暦では1903年12月31日)生まれとする資料もある。(“ON THIS DAY | Violinist Nathan Milstein Was Born in 1904”. The Violin Channel. (2021年1月13日). オリジナルの2023年5月15日時点におけるアーカイブ。 2023年5月15日閲覧。)
- ↑ 1904年12月31日生まれとする資料もある、(ハルトナック, ヨーアヒム「ナータン・ミルスタイン」『二十世紀の名ヴァイオリニスト』松本道介訳、白水社、1998年、251頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784560037386。)
- ↑ 5.0 5.1 “Мильштейн Натан Миронович | Я русский”. 2023年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月4日閲覧。
- ↑ “Legendary Violinists. Nathan Milstein”. 2023年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月4日閲覧。
- ↑ “INKPOT#79 CLASSICAL MUSIC FEATURE: Nathan Milstein - An Inktroduction and Tribute”. 2012年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月11日閲覧。
- ↑ The Violin Channel 2021
- ↑ 父の名前をメーア(Меера Мильштейн)とする記述もある。(Литрес)
- ↑ アーカイブ 2023年5月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ 母親の名前についてはマリアム・ルフリャ(Марьям Рухля)とする資料もある。(Issuu)
- ↑ 旧姓はブリュシテイン(Блюштейн)である。“Книга «Горовиц был мне, как брат…». Письма Натана Мильштейна Владимиру Горовицу: от повседневности к творчеству - читать онлайн бесплатно, автор Юрий Зильберман, ЛитПортал”. 2013年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月3日閲覧。
- ↑ “13 января – события и люди — Aviv”. 2023年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月22日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2023年5月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ 幼少期のミルシテインは大変な悪戯っ子であった。(アーカイブ 2023年5月21日 - ウェイバックマシン)
- ↑ ミルシテインの悪戯を止めさせるため、近所の人にヴァイオリンを習わせるのが良いという助言を受けて、ミルシテインをヴァイオリン教室に通わせた。(アーカイブ 2023年5月21日 - ウェイバックマシン)
- ↑ 両親がミルシテインにヴァイオリンを習わせるきっかけになったのは11歳のヤッシャ・ハイフェッツのコンサートだったとする資料もある。(“Nathan Milstein”. Classical music and Musicians. (2018年3月8日). オリジナルの2023年5月27日時点におけるアーカイブ。 2023年5月27日閲覧。)
- ↑ アーカイブ 2023年5月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2023年5月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ ストリャルスキーに弟子入りしたのは1908年からとする資料もある。(“МИЛЬШТЕЙН • Большая российская энциклопедия - электронная версия”. 2023年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月15日閲覧。)
- ↑ “BRAHMS: Double Concerto / Violin Sonata No. 3 / BEETHOVEN: Violin Sonata No. 5 (Milstein) (1950-51) Classical Naxos”. 2023年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月22日閲覧。
- ↑ 1920年にオデッサでグラズノフのヴァイオリン協奏曲をグラズノフ自身の指揮で演奏したのがデビューとする資料もある。(“Еврейский мемориал. Виртуальный некрополь.”. 2023年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月24日閲覧。)
- ↑ 1915年にリサイタルでデビューしたという資料もある(Schonberg, Harold C. (1992年12月22日). “Nathan Milstein Dies at 88; An Exalted Violin Virtuoso”. The New York Times. オリジナルの2023年5月20日時点におけるアーカイブ。 2023年5月20日閲覧。)
- ↑ 1920年にペテルブルクでグラズノフのヴァイオリン協奏曲をグラズノフ自身の指揮で演奏したのがデビューとする資料もある。(“Мильштейн Натан. Электронная еврейская энциклопедия”. 2017年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月8日閲覧。)
- ↑ 25.0 25.1 Большая российская энциклопедия
- ↑ “Nathan Milstein”. 2023年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月25日閲覧。
- ↑ 最初に訪れたパリのロシア大使館の文化担当官から「好きなだけ留まるがいい。あちらこちら見学して歩くんだ。そして、わが国にどんな才能のある若い演奏家がいるか、資本家どもに見せてやりたまえ」と言われたという。(キャンベル, マーガレット『名ヴァイオリニストたち』岡部宏之訳、白水社、1998年、219-220頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784488002169。)
- ↑ Schonberg 1992
- ↑ Электронная еврейская энциклопедия
- ↑ 1943年にアメリカ市民権を取得したとする資料もある。(キャンベル 1998, p. 220)
- ↑ “Nathan Milstein | American violinist | Britannica”. 2023年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月25日閲覧。
- ↑ “Натан Миронович Мильштейн биография, Творчество”. 2023年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月27日閲覧。
- ↑ リサイタルを開いた当日の朝、左手の人差し指の痛みで目を覚まし、その指を守るために急遽運指を変更して演奏会を開いた。(“Nathan Milstein and the Bach Chaconne - EUROARTS”. 2023年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月27日閲覧。)
- ↑ “Персоны”. 2023年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月27日閲覧。
- ↑ 左手の靱帯を損傷したため、12月以降の北アメリカ演奏旅行の日程を全て取りやめたとする資料もある。(Herman, Kenneth (1986年11月28日). “INJURY CANCELS MILSTEIN TOUR”. Los Angeles Times. オリジナルの2023年5月27日時点におけるアーカイブ。 2023年5月27日閲覧。)
- ↑ ストックホルムでの演奏会の直後に転倒して左手を骨折した為に演奏活動を終えたとする資料もある。(Classical music and musician)
- ↑ 亡くなる数年前に腕を骨折していたとする資料がある。(Forkart, Burt A. (1992年12月22日). “Nathan Milstein; Scholarly, Eloquent Violin Virtuoso”. Los Angeles Times. オリジナルの2023年5月27日時点におけるアーカイブ。 2023年5月27日閲覧。)
- ↑ 1988年に転倒して腕を骨折するまで演奏活動及び後進の指導に勤しんでいたとする資料もある。(Натан Миронович Мильштейн биография, Творчество)
- ↑ “Kennedy Center Honors”. The New York Times. (1987年9月24日). オリジナルの2023年5月27日時点におけるアーカイブ。 2023年5月27日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2023年5月27日 - ウェイバックマシン
- ↑ “4 Violin Cadenzas - Nathan Milstein | Broekmans & Van Poppel”. 2023年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月27日閲覧。)
- ↑ Philip, Robert (2018). The Classical Music Lover's Companion to Orchestral Music. Yale University Press. pp. 118. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780300120691
- ↑ “Rarities: Nathan Milstein's arrangement of 'The Seamstress'”. Violinist.com. (1987年9月24日). オリジナルの2023年5月27日時点におけるアーカイブ。 2023年5月27日閲覧。
- ↑ “NATHAN MILSTEIN, VIOLIN VIRTUOSO, DIES AT 89”. Washington Post. (1992年12月22日). オリジナルの2023年5月27日時点におけるアーカイブ。 2023年5月27日閲覧。
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