ジュリアス・カッチェン
ジュリアス・カッチェン(Julius Katchen, 1926年8月15日[1] - 1969年4月29日[2])はアメリカのピアノ奏者。[3]
ニュージャージー州ロングブランチ出身。[4]父アイラは弁護士を本業とするアマチュアのヴァイオリン奏者で、母ルシールはピアノ奏者[5]であった。母方の祖母でワルシャワ音楽院でピアノを教えていたロザリー・スヴェットに5歳の頃からピアノ、モスクワ音楽院で教えていた祖父マンデル・スヴェット[6]に音楽理論を学んだ。[7][4]1937年にはニューアークのファルド・ホールで初リサイタルを開き、[8]アメリカ全土へのラジオ放送でも演奏を披露。同年、ユージン・オーマンディの指揮するフィラデルフィア管弦楽団とヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番を演奏し、[4]さらにジョン・バルビローリの指揮するニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団と共演してピアノの天才少年としての名声を得た。[9]14歳から一時的に演奏を控えるようになったが、祖母による薫陶は15歳まで継続。その後ロングブランチ高等学校を経てペンシルヴァニア州のハバフォード大学に進学して哲学と英文学を専攻し、大学3年生の時にファイ・ベータ・カッパに選ばれ、1945年に卒業している。[4][10]大学在学中には学業の傍らでデヴィッド・サパートンにピアノを学んでいた。[11]学業の優秀さゆえにフランス政府から奨学金を得てパリに留学。[12][13][14]留学したその年のうちに、ユネスコ・フェスティヴァルのアメリカ代表の演奏家に選ばれ、[15]シャンゼリゼ劇場に於いてパウル・クレツキの指揮下でルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番を演奏している。[16]以後、本拠にヨーロッパ各地で演奏活動を展開し、[17]1967年にはヨゼフ・スークとヤーノシュ・シュタルケルとでピアノ三重奏団を結成した。[18]演奏活動の傍らで根付の蒐集にも熱を入れた。[19]
脚注[編集]
- ↑ アーカイブ 2023年9月19日 - ウェイバックマシン
- ↑ Randel, Don Michael (1999). The Harvard Concise Dictionary of Music and Musicians. Harvard University Press. p. 342. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780674000841
- ↑ ジュリアス・カッチェン - Discogs
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 “JULIUS KATCHEN plays Mussorgsky, Balakirev, Mozart, Beethoven and Schumann - 唱片 - 豆瓣”. 2023年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月20日閲覧。
- ↑ 母ルシールはフランスのフォンテーヌブローでイシドール・フィリップにピアノを師事したことがある。(Gillespie, John; Gillespie, Anna (1995). The Harvard Concise Dictionary of Music and Musicians. Greenwood Publishing Group. p. 457. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780313296963)
- ↑ 祖父マンデルはヴァイオリンを能くし、カッチェンの妹リタをヴァイオリン奏者に育てた。(アーカイブ 2023年9月19日 - ウェイバックマシン)
- ↑ マンデルとロザリーのスヴェット夫妻は19世紀末にアメリカにやってきた音楽家であり、ニューアークに音楽学校を設立して成功を収めていた。(Gillespie & Gillespie 1995, p. 457)
- ↑ Gillespie & Gillespie 1995, p. 457
- ↑ アーカイブ 2023年9月19日 - ウェイバックマシン
- ↑ 1944年にはカーネギー・ホールでリサイタルを開いている。(“JULIUS KATCHEN, 18, GIVES PIANO RECITAL”. The New York Times. (1944年12月4日). オリジナルの2023年9月21日時点におけるアーカイブ。 2023年9月21日閲覧。)
- ↑ “JULIUS KATCHEN (1926-1969) - Encyclopædia Universalis”. 2023年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月19日閲覧。
- ↑ “Concert Pianist Wed in France”. New Jersey Jewish News: p. 24. (1956年4月13日). オリジナルの2023年9月21日時点におけるアーカイブ。 2023年9月21日閲覧。
- ↑ 交換留学生としてパリ大学に入学したとする資料もある。(“Julius Katchen ∙ Piano Recitals 1946-1965”. 2023年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月22日閲覧。)
- ↑ 交換留学生としてパリ音楽院に入学したとする資料もある。(アーカイブ 2023年9月21日 - ウェイバックマシン)
- ↑ アーカイブ 2023年9月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2023年9月22日 - ウェイバックマシン
- ↑ “ジュリアス カッチェンとは? 意味や使い方 - コトバンク”. 2023年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月22日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2023年9月22日 - ウェイバックマシン
- ↑ “ジュリアス・カッチェン・デッカ録音全集(35CD) | HMV&BOOKS online - 4830356”. 2023年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月22日閲覧。
- ↑ 斎藤, 弘美 (1997). “ジュリアス・カッチェン”. ピアニスト名盤300. 音楽之友社. p. 241. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276960435
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