シャルル・ミュンシュ
シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891年[1]9月26日[2] - 1968年[3]11月6日[4])は、ドイツ出身の指揮者、ヴァイオリン奏者。[5]
シュトラスブルクにて、カール・ミュンヒ(Carl Münch)として生まれる。[6][7]5歳の頃からシュトラスブルク音楽院で教鞭を執っていた父よりヴァイオリンの手ほどきを受ける。[8]地元の音楽院で、アントン・ナストにヴァイオリン、マリー=ジョゼフ・エルプに和声、[9]ハンス・プフィツナーに作曲を師事。[10]1912年にシュトラスブルク音楽院を卒業後、医学を学ぶためにパリに留学したが、結局パリ音楽院でリュシアン・カペーにヴァイオリンを学び、ベルリンのカール・フレッシュの許でヴァイオリンの修行を終えた。[11]1914年から1918年までドイツ軍として第一次世界大戦に従軍し、[12][13]終戦後は故郷に戻ってストラスブール市立管弦楽団のコンサートマスターに就任し、[14]母校のストラスブール音楽院の教授となった。[12]1925年にはストラスブール音楽院の職を辞し、[14]1926年からライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを務め、[15]ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに指揮法を学んだ。[16]コンサートマスターの職と並行してライプツィヒ音楽院にて教鞭を執ったが、1932年にはライプツィヒでの職を辞して[17]パリに移り、ストララム管弦楽団を指揮して指揮者としてデビュー。[18]1935年にパリ・フィルハーモニー協会管弦楽団の常任指揮者になる[19]迄にコンセール・ラムルーやパリ交響楽団等に客演し、[12]1933年から1940年までアラダール・センドレイの指揮法の個人レッスンを受けていた。[20]1936年にはエコール・ノルマル音楽院の教授となり、[12]1938年から1946年までパリ音楽院管弦楽団の首席指揮者を歴任。[14]1946年末にはアメリカまで足を延ばし、ボストン交響楽団に客演してアメリカ・デビューを飾り、そのまま翌年早々にはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団に客演。ロンドンやプラハでも指揮を執った。1948年にはフランス国立放送管弦楽団のアメリカ演奏旅行に帯同。[15]1949年から1962年までボストン交響楽団の音楽監督を務め、[21]任期中の1960年には初来日を果たした。[16]ボストンでの職を辞めた後はフランスを本拠に客演指揮者として活動。1967年にはパリ管弦楽団の初代指揮者に就任。[12]
パリ管弦楽団とアメリカに演奏旅行に出たが、立ち寄った先のバージニア州リッチモンドのホテルにて心臓発作により急逝。[22]
脚注[編集]
- ↑ “Charles Munch (1891-1968) | Musée protestant”. 2024年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月18日閲覧。
- ↑ “Charles Munch | French Composer, Orchestral Repertoire, Boston Symphony &124; Britannica”. 2024年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月18日閲覧。
- ↑ “Charles Munch (1891-1968) - Find a Grave Memorial”. 2024年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月18日閲覧。
- ↑ “Search Results for Munch, Charles 1968 | Grove Music Online | Grove Music”. 2024年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月18日閲覧。
- ↑ シャルル・ミュンシュ - Discogs
- ↑ 父エルンストはオルガン奏者であり、合唱指揮者でもあった。シャルル(Charles)を名乗り始めたのは1919年の頃である。(Vierhaus, Rudolf, ed (2007). Deutsche Biographische Enzyklopädie. 7. K.G. Saur Verlag. p. 294. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9782904920233)
- ↑ 姓の綴りについては、1940年代末まで"Munch"と"Münch"の両方を混用していた。(“Notes on Orthography: Munch or Münch? | Charles Munch | Oxford Academic”. 2024年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月18日閲覧。)
- ↑ “Charles Munch : podcasts et actualités | Radio France”. 2024年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月19日閲覧。
- ↑ Geyer, Myriam (1999). La vie musicale à Strasbourg sous l'Empire allemand, 1871-1918. Société savante d'Alsace. p. 61. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9783598250309
- ↑ “シャルル・ミュンシュ 【dミュージック】2000008896”. 2024年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月19日閲覧。
- ↑ “MUNCH, CHARLES (1891-1968) | Website Nhạc Cổ Điển”. 2024年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月19日閲覧。
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 “シャルル・ミュンシュの軌跡”. ミヨー:世界の創造&プロヴァンス組曲 (株式会社 BMG Japan) (BVCC-38466): 4-5. (2006). ASIN B000K2QL10.
- ↑ 1916年にはソンム川のヴェルダン沖でガス攻撃により負傷している。(Muller, Sven Oliver; Osterhammel, Jurgen; Rempe, Martin, eds (2015). Kommunikation Im Musikleben. Vandenhoeck & Ruprecht Verlage. p. 167. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9783525300701)
- ↑ 14.0 14.1 14.2 Caskel, Julian; Hein, Hartmut, eds (2007). “Munch, Charles”. Handbuch Dirigenten: 250 Porträts. K.G. Saur Verlag. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9782904920233
- ↑ 15.0 15.1 近藤, 憲一「Munch ミュンシュ,シャルル」『指揮者のすべて』音楽之友社、1996年、76頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9784276960220。
- ↑ 16.0 16.1 “ミュンシュとは? 意味や使い方 - コトバンク”. 2021年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月29日閲覧。
- ↑ Kennedy, Michael; Kennedy, Joyce; Rutherford-Johnson, Tim (2013). The Oxford Dictionary of Music (6 ed.). Oxford University Press. p. 580. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780199578542
- ↑ “Munch (originally, Munch), Charles | Encyclopedia.com”. 2024年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月19日閲覧。
- ↑ “Programme du concert de l’Orchestre philharmonique de Paris du 5 décembre 1938 – Société Wilhelm Furtwängler”. 2024年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月20日閲覧。
- ↑ “Szendrei, Aladár | Encyclopedia.com”. 2024年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月19日閲覧。
- ↑ “ボストン交響楽団(ぼすとんこうきょうがくだん)とは? 意味や使い方 - コトバンク”. 2024年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月19日閲覧。
- ↑ “REVIEW POTPOURRI – Conductor: Charles Munch”. The Town Line. (2022年9月28日). オリジナルの2024年3月20日時点におけるアーカイブ。 2024年3月20日閲覧。
Lua エラー モジュール:Authority_control 内、423 行目: attempt to index field 'wikibase' (a nil value)