アニタ・チェルケッティ
アニタ・チェルケッティ(Anita Cerquetti, 1931年[1]3月13日[2] - 2014年[3]10月11日[4])は、イタリアのソプラノ歌手。[5]
モンテコサロ出身。[6]チッタ・ディ・カステッロにて育つ。[7]地元のヴァイオリン教師のルイジ・モリにヴァイオリンを師事。[8]16歳の時、チェルケッティの美声を知る友人に請われて結婚式に参加して歌を披露したところ、その場に居合わせたナポリのサン・カルロ歌劇場のファゴット奏者に説得されてペルージャのモルラッキ音楽院でアルド・ゼエッティに声楽を学ぶことになった。[7]1949年には地元のチッタ・ディ・カステッロでコンサート・デビューを果たし、[9]1951年の誕生日前にペルージャの音楽クラブでジュゼッペ・ヴェルディの作品を集めたプログラムを歌った[10]が、頭角を現したのは1951年にスポレートの歌唱コンクールで優勝[11][12]してからのことである。20歳でベッリ劇場でヴェルディの《アイーダ》の表題役を歌い、[7]21歳の時にはミラノのテアトロ・ヌオーヴォでヴェルディの《イル・トロヴァトーレ》の上演2回に出演し、ベミニャーノ・ジーリとのジョイント・コンサートも開いた。[13]1953年にペルージャやブッセートのリサイタルに出演した後、フィレンツェの市立歌劇場附属の音楽学校で研鑽を積んだが、同年夏にはヴェローナ円形劇場でヴェルディの《アイーダ》と《イル・トロヴァトーレ》の上演に参加している。[14]1954年にはレッジョ・エミリアでのアルフレード・カタラーニの《ローレライ》やヴェルディの《イル・トロヴァトーレ》、ヴェネツィア郊外メストレでの《イル・トロヴァトーレ》、ピサのヴェルディ劇場でのヴェルディの《運命の力》、ボローニャのマッジョーレ広場やナポリのアレーナ・フレグレアでの《アイーダ》の上演等に参加して、着実に名を上げていった。[15]1955年から翌年までシカゴ・リリック・オペラ、[16]1957年にはメキシコ・シティ、フィラデルフィアやニューヨークのタウン・ホール等を巡演している。[17]1958年にはナポリでヴィンチェンツォ・ベッリーニの《ノルマ》の上演で表題役を歌っていたが、急病のマリア・カラスの代役としてローマ歌劇場での《ノルマ》の上演でも並行して表題役をこなし、[7]ヴェルディの《ナブッコ》のアビガイッレ役でミラノのスカラ座に登場した。[11]1959年には顔面神経痛を患ったことで休養を余儀なくされ、[7]翌年にスカラ座でのコンサート、ルッカでのヴェルディの《仮面舞踏会》、アムステルダムでの《ナブッコ》の各上演に出演して復調ぶりを示したが、[9]1961年にアムステルダムのコンサートで歌った[18]後に演奏活動から退いた。[19][20]引退後は後進の指導に力を注ぐようになり、2001年にはヴィッシ・ダルテ - アルカモ国際文化賞を受賞。[7]
脚注[編集]
- ↑ アーカイブ 2024年5月19日 - ウェイバックマシン
- ↑ Fedrigo, Mario (2013年4月13日). “Interviste d’annata: Anita Cerquetti (1931-2014)”. GBOPERA. オリジナルの2024年5月20日時点におけるアーカイブ。 2024年5月20日閲覧。
- ↑ Bagnoli, Giorgio (2014年10月11日). “Anita Cerquetti (1931-2014)”. GBOPERA. オリジナルの2024年5月20日時点におけるアーカイブ。 2024年5月20日閲覧。
- ↑ Schmitt, Jacques (2014年12月16日). “Anita Cerquetti : hommage à une très grande voix”. Resmusica. オリジナルの2024年5月20日時点におけるアーカイブ。 2024年5月20日閲覧。
- ↑ アニタ・チェルケッティ - Discogs
- ↑ “Lirica in lutto, è morta Anita Cerquetti”. L'Indiscreto. (2014年10月11日). オリジナルの2024年5月20日時点におけるアーカイブ。 2024年5月20日閲覧。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 “Amici della Musica - Alcamo”. 2024年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月20日閲覧。
- ↑ “Anita Cerquetti Songs, Albums, Reviews, Bio & ... | AllMusic”. 2024年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月21日閲覧。
- ↑ 9.0 9.1 “アニタ・チェルクェッティ (Anita Cerquetti) - 演奏家(クラシック) - アーティスト - NML ナクソス・ミュージック・ライブラリー”. 2024年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月21日閲覧。
- ↑ この音楽クラブでのコンサートがスポレートでのヴェルディの《アイーダ》の上演に於ける表題役での起用に繋がったとする資料もある。(“Anita Cerquetti soprano”. 2024年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月21日閲覧。)
- ↑ 11.0 11.1 “Il Teatro Lirico Sperimentale di Spoleto “A. Belli” ricorda Anita Cerquetti”. Tuttoggi. (2014年10月13日). オリジナルの2024年5月21日時点におけるアーカイブ。 2024年5月21日閲覧。
- ↑ チェルケッティ自身の言によれば、1950年にスポレートのコンクールで優勝し、同地でオッターヴィオ・ジーノの指揮でオペラ・デビューを果たした。このときの演目はジャコモ・プッチーニの《修道女アンジェリカ》の予定だったが、ジュゼッペ・ヴェルディの《アイーダ》に変えられ、表題役で出演したとのこと。(Fedrigo 2013)
- ↑ アーカイブ 2023年2月11日 - ウェイバックマシン
- ↑ “Anita Cerquetti soprano”. 2024年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月21日閲覧。
- ↑ “Anita Cerquetti soprano”. 2024年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月21日閲覧。
- ↑ Cummings, David M., ed (2000). International Who's Who in Music and Musician's Directorys. Routledge. p. 108. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780948875533
- ↑ “Anita Cerquetti soprano”. 2024年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月21日閲覧。
- ↑ “Anita Cerquetti: The Legend Continues”. The Telegraph. (2014年10月31日). オリジナルの2024年5月21日時点におけるアーカイブ。 2024年5月21日閲覧。
- ↑ 演奏活動からの引退の理由については、顔面神経痛からの回復が一時的なものだったことや、夫でバリトン歌手だったエド・フェレッティとの家庭生活の優先が考えられている。(Amici della Musica - Alcamo)
- ↑ 父親が死に瀕していたため大きな精神的ストレスを受けていたことと、新しい舞台演出のコンセプチュアルな傾向に嫌気がさしたことをチェルケッティ自身の説明として記述する資料もある。(“Anita Cerquetti: The Legend Continues”. The Art Music Lounge. (2021年5月18日). オリジナルの2024年5月21日時点におけるアーカイブ。 2024年5月21日閲覧。)
- ↑ “Anita Cerquetti (Montecosaro 1931 - Perugia 2014) ... - Bertolami Fine Art”. 2024年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月21日閲覧。
- ↑ “Anita Cerquetti – soprano”. Italy On This Day. (2018年10月11日). オリジナルの2024年5月21日時点におけるアーカイブ。 2024年5月21日閲覧。
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