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西幸寺

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西幸寺
所在地 兵庫県神戸市兵庫区兵庫町2-1-10
位置 北緯34度40分15.9秒
東経135度10分23.1秒
座標: 北緯34度40分15.9秒 東経135度10分23.1秒
山号 下司名山
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
公式HP 西幸寺web
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西幸寺(さいこうじ)は兵庫県神戸市兵庫区兵庫町にある浄土真宗本願寺派の仏教寺院

歴史[編集]

[1]

山号の由来[編集]

「西幸寺」の創立当初は、寺号を「文塔寺」と称していた。

その頃は現所在地[2]より2キロほど北の石井村辺りにあった。当時、その辺りの地名を下司名(げじみょう)といった。この地に下司職の者がおり、この職の役人に与えられる土地が下司免と呼ばれていたことから、転訛して地名になったと考えられている[3]。この地名を山号とし、「下司名山(げしめざん)文塔寺」と称した。

「西幸寺」号の由来[編集]

元弘2年(1332年後醍醐天皇が時の幕府のために流され、隠峡国への行幸時、当寺に一夜の宿をとった[4]

以来、天皇の西に行幸のお泊りを記念して「文塔寺」から「西幸寺」と寺号を改めた。

現在の場所への移転[編集]

天正9年(1581年)に現在の兵庫区中ノ島近くに兵庫城が築かれ、その城を中心に城下町が造られた。当寺が石井村の辺りから、現在の兵庫区兵庫町に移されたのはこの頃である。

移転の正確な年月は不明だが、慶長15年(1610年)9月の『片桐市正郷改 兵庫寺庵屋敷分御免許控帳』という古い文書の中に、

文塔寺屋敷分事 三畝廿歩 四斗七升八合 下司名

とあり、慶長15年には既に兵庫津西宮内町(現 兵庫区兵庫町)に移っていたことが分る。

しかもこの文書には、まだ「文塔寺」という寺号で書かれていることから「西幸寺」と「文塔寺」の新旧両方の寺号を用いていたものと思われる。

以上のことを考えると、当寺が石井村から現在の兵庫区兵庫町に移ったのは、今から400年くらい前のことになる。

歴代住職[編集]

[5][6]

初世 釋浄了 嘉元三年(1305年)二月十日
第二世 釋浄祐 貞治三年(1364年)七月十八日
第三世 釋浄順 正長元年(1428年)八月二十日
第四世 釋浄蓮 寛正元年(1461年)十月二十七日
第五世 釋浄然 文明十六年(1484年)十一月三日
第六世 釋浄信 天文十二年(1543年)九月十日
第七世 釋浄清 天正十四年(1586年)十月二十一日
第八世 釋浄通 寛永十年(1633年)三月二日
第九世 釋浄惠 万治二年(1659年)五月十七日
第十世 釋浄空 延宝七年(1679年)十二月二十二日
第十一世 釋浄因 元禄十五年(1702年)六月二十四日
第十二世 釋浄瑞 寛保三年(1743年)八月二十三日
第十三世 釋浄聞 延享三年(1746年)十月五日
第十四世 釋浄慶 宝暦十年(1760年)十二月二十六日
第十五世 釋浄願 天明八年(1788年)十二月二十三日
第十六世 釋浄暁 文化二年(1805年)九月十八日
第十七世 釋浄證 天保三年(1833年)九月二十日
第十八世 釋浄憲 嘉永三年(1850年)八月六日
第十九世 香嚴院釋浄桂 明治二十五年(1892年)十二月二十一日
第二十世 浄暁院釋周道 明治四十三年(1910年)四月十日
第二十一世 浄祐院釋純道 昭和六十二年(1987年)二月二十一日
第二十二世 釋彰史 昭和十一年一月二十九日 -
第二十三世 釋良文 昭和四十九年三月八日 -

アクセス[編集]

[7]

鉄道
JR神戸駅より西へ徒歩10分
JR兵庫駅より東へ徒歩8分
神戸高速鉄道新開地駅より南へ徒歩7分
市バス
3系統で「湊町」より南へ徒歩5分
3系統・85系統で「鍛治屋町」より北西へ徒歩5分
自家用車
国道2号沿い
阪神高速3号神戸線 柳原出入口
駐車場完備

出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. 山号の由来”. saikojis jimdo page!. 2019年8月26日閲覧。
  2. 兵庫県神戸市兵庫区兵庫町2丁目1番10号
  3. 『神戸の史跡』神戸市教育委員会、1975年、136ページ。
  4. この時のことを「増鏡」には、「元弘二年三月のはじめ七日に、都を出でさせ給ひ(中略)その日は津の国、昆陽野の宿と云う所に着かせ給ひ、翌日は湊川の宿につかせ給ふ」とある。この「湊川の宿」が当時の石井村にあたる。
  5. 歴代住職”. saikojis jimdo page!. 2019年8月26日閲覧。
  6. 公式ウェブサイトより引用。明記はされていないが、二十一世まで書かれている日付は命日、それ以降は生年月日と思われる。
  7. アクセス・ご案内”. saikojis jimdo page!. 2019年8月26日閲覧。

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