自証
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自証(じしょう)とは、一般に、存在論的な意味での自意識のこと。学者学説によって多様に定義される。
定義例[編集]
仏教の場合、saMvid(サンスクリット)の漢訳語。護法注釈による世親の『唯識三十頌』をインドから玄奘が持ち帰り、『成唯識論』として訳出した際にこの語が用いられた。この唯識論(法相宗)は存在論とその認識論を探求し、三科六識を越える第七の末那識において、第八の阿頼耶識を見かつ相として、この自証が用の第三の分として起縁するとされる。さらにこの自証を相として第四の分である証自証を起縁するが、ただしこの証自証を相とする見は、その体である末那識がすでに用を覚知しているのでもはや第五分は生じない。
明治時代においてドイツ観念論が日本に輸入された際、カントの『純粋理性批判』の翻訳においてこの中国仏教哲学の唯識論との並行性が認識され、阿頼耶識に相当する統覚に次ぐ末那識(意識(Bewusstsein))において、その自意識(Selbstbewusstsein)にこの「自証」の訳語が用いられた。とくにカントの哲学を継承し展開したヘーゲルにおいては、その独特の論理学において自意識を持つものが自己定立し存在するとされ、また、世界理性の認識論が存在論となって、法哲学との連関も持っていたために、「自意識」という訳語よりもこの「自証」という訳語が好んで用いられた(田辺元、西田幾多郎、戸坂潤、井筒俊彦、新田義弘などを参照)。しかし、その後、ドイツ観念論をあくまで中国仏教哲学とは別個に文献批判として歴史的に研究する立場が強まり、上記のような独自の思想を持つ哲学者を除いて、今日、自意識(Selbstbewusstsein)にこの「自証」の訳語を当てることはかならずしも一般的ではない。
参考文献[編集]
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