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哲学

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哲学(てつがく、フィロソフィー 英: philosophy)とは、原義的には「愛知」を意味する学問分野、または活動 である。現代英語のフィロソフィー(philosophy)は「哲学」・「哲学専攻コース」・「哲学説」・「人生[世界]観」・「達観」・「あきらめ」などを意味する。「愛知としての哲学」は知識欲に根ざす根源的活動の一つだが、19世紀以降は自然科学が急発展して哲学から独立し、哲学は主に美学・倫理学・認識論という三つで形作られるようになった。哲学に従事する人物は哲学者(てつがくしゃ、フィロソファー 英: philosopher)と呼ばれる。

概要[編集]

現代では以下のように、文脈によって様々な意味をもつ多義語である。

  1. (近代以前の用法)知的探究活動全般・学問全般を指す。したがって、学問に従事する人物全般・賢者全般が哲学者と呼ばれた[要出典]
  2. (中世ヨーロッパの大学制度)カリキュラムの自由七科を指す。
  3. (近現代の大学制度)人文科学の一分野(哲学科)を指す。問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討する研究分野である、などと説明される。この分野に従事する人物は哲学者または哲学研究者と呼ばれる。
  4. 「ニーチェの哲学」などのように、個々の哲学者による哲学探求の成果(思想)も哲学と呼ばれる。
  5. 「数学の哲学」「法哲学」などのように、各科学分野の「基礎論」、または実践に対する「理論」を指す。
  6. 宗教や神学と部分的に重複する。

「哲学」は英語で「フィロソフィー」といい、語源は古典ギリシア語の「フィロソフィア」に由来する。直訳すれば「知を愛する」という意味である。「哲学」という日本語は、明治時代の学者西周がフィロソフィーに対してあてた訳語である。(→#語源とその意味)

したがって、「フィロソフィー」というのは単に「知を愛する学」という意味であり、それだけではまだ何を研究する学問であるかは示されていない。この語では内容が規定されていないのである。哲学以外の大抵の学問は、分野名を聞いただけでおおよその内容が察せる(例えば「経済学」なら経済、「生物学」なら生物などのように)。ところが、哲学の場合は名前を聞いただけでは何を研究する学問なのか分からない。これは哲学という学問の対象が決して一定しておらず様々な考え方があることを示しており、哲学はまさにその字義のとおり「知を愛する学」とでもいうほかに仕方ないような特徴を備えている。(→#哲学の対象・主題)

このように対象によってこの学を規定することができないと、「対象を扱う<<方法>>に共通点があり、それによって規定できるのはないか」との期待が生まれることがあるが、そのような期待も裏切られ、哲学に一定の方法が存在しうるわけではない。

定義[編集]

① 〔…〕 物事を根本原理から統一的に把握・理解しようとする学問。古代ギリシアでは学問一般を意味し、近代における諸科学の分化・独立以降、諸科学の批判的吟味や基礎づけを目ざす学問、世界・社会関係・人生などの原理を追求する学問となる。認識論・倫理学・存在論・美学などを部門として含む。 ②俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観。また、全体を貫く基本的な考え方・思想。

なお、以下は哲学用語としての「学(がく)」の説明:

㋐(science(フランス)・(イギリス)・Wissenschaft(ドイツ))現実の全体あるいはそれの特殊な諸領域または側面に関する体系的認識。哲学および個別諸科学を含む。 ㋑学芸。学問・芸術の総称。

観念論的な形而上学に対して、唯物論的な形而上学もある。諸科学が分化独立した現在では、哲学は学問とされることが多いが、科学(人文科学)とされる場合もある。

哲学者による哲学の定義[編集]

近現代哲学において代表的な哲学者の言説を以下に記述する。

啓蒙思想時代の哲学者であり、またドイツ観念論哲学の祖でもあり、そして近現代哲学に大きな影響力を持ち続けている哲学者、イマヌエル・カントは、哲学について次のように説明している。

古代ギリシャの哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち――物理学、倫理学および論理学である。この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分の原理を付け加えさえすれば、格別訂正すべき点はないと言ってよい。

現代思想において、特に分析哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、哲学について次のように説明している。

哲学の目的は思考の論理的明晰化である。

哲学は学説ではなく、活動である。

哲学の仕事の本質は解明することにある。

哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。

思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。

現代思想において、特に大陸哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、マルティン・ハイデッガーは、哲学について次のように説明している。

古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することを目指している。その存在理解のカテゴリー的解釈は、普遍的存在論としての学的哲学の理念を実現するものにほかならない。

語源とその意味[編集]

古典ギリシア語の「フィロソフィア」(古希: φιλοσοφία、philosophia、ピロソピアー、フィロソフィア)という語は、「愛」を意味する名詞「フィロス」(φίλος)の動詞形「フィレイン」(φιλεῖν)と、「知」を意味する「ソフィア」(σοφία)が結び合わさったものであり、その合成語である「フィロソフィア」は「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められている。この語はヘラクレイトスやヘロドトスによって形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが、名称として確立したのはソクラテスまたはその弟子プラトンが、自らを同時代のソフィストと区別するために用いてからとされている。

古典ギリシア語の「フィロソフィア」は、古代ローマのラテン語にも受け継がれ、中世以降のヨーロッパにも伝わった。20世紀の神学者ジャン・ルクレール(en:Jean Leclercq)によれば、古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世ヨーロッパの修道院でもこの用法が存続したとされる。一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(羅: Etymologiae)において、哲学とは「よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である」と述べている。

翻訳語[編集]

英語をはじめとした多くの言語で、古希: φιλοσοφίαをそのまま翻字した語が採用されている。例えば、羅: philosophia、英: philosophy、仏: philosophie、独: Philosophie、伊: filosofia、露: философия、阿: falsafah‎などである。

日本で現在用いられている「哲学」という訳語は、詳細な経緯は諸説あるが、大抵の場合、明治初期の知識人西周によって作られた造語(和製漢語)であると説明される。少なくとも、西周の『百一新論』1874年(明治7年)に「哲学」という語が見出される。そこに至る経緯としては、北宋の儒学者周敦頤の著書『通書』に「士希賢」(士は賢をこいねがう)という一節があり、この一節は儒学の概説書『近思録』にも収録されていて有名だった。この一節をもとに、中国の西学(日本の洋学にあたる)が「賢」を「哲」に改めて「希哲学」という語を作り、それをフィロソフィアの訳語として転用した。それを西周が借用して、さらにここから「希」を省略して「哲学」を作ったとされる。西周は明治政府における有力者でもあったため、「哲学」という訳語は文部省に採用され、1877年(明治10年)には東京大学の学科名にも用いられ、以降一般に浸透した。なお、西周は「哲学」以外にも様々な哲学用語の訳語を考案している。

漢語の本場である中国では、西周が作った「哲学」という訳語が、いわば逆輸入されて現在も使われている。経緯としては、清末民初(1900年代前後)の知識人たちが、同じ漢字文化圏に属する日本の訳語を受容したことに由来する。

「哲」という漢字の意味(および同義字)は「賢人・知者(賢)、事理に明らか(明)、さとし(敏)」などがある。字源としては、会意形声文字で「口」+「折(音符)」から。「折」は一刀両断すること。

「理学」[編集]

「哲学」という訳語が採用される以前、日本や中国では様々な訳案が出されてきた。とりわけ、儒学用語の「理」あるいは「格物窮理」にちなんで、「理学」と訳されることが多かった。

17世紀・明末の中国に訪れたイエズス会士ジュリオ・アレーニ(艾儒略)は、西洋の諸学を中国語で紹介する書物『西学凡』を著した。同書のなかでフィロソフィアは、「理学」または「理科」と訳されている。

日本の場合、幕末から明治初期にかけて、洋学(西洋流の学問一般)とりわけ物理学(つまり後述の自然哲学)が、「窮理学」と呼称されていた。例えば福沢諭吉の『窮理図解』は物理学的内容である。のちに文明開化が進んで西洋の諸学が正式に輸入されると、様々な訳案が出されたが、なかでも中江兆民はフィロソフィアを「理学」と訳した。具体的には、兆民の訳書『理学沿革史』(フイエ Histoire de la Philosophie の訳)や、著書の『理学鉤玄』(哲学概論)をはじめとして、主著の『三酔人経綸問答』でも「理学」が用いられている(ただし、いずれも文部省が「哲学」を採用した後のことだった)。なお、兆民は晩年の著書『一年有半』で、「わが日本古より今に至る迄哲学無し」「総ての病根此に在り」と述べたことでも知られる。

上述の中国の変法運動期の知識人の間でも、「哲学」ではなく「理学」と訳したほうが適切ではないか、という見解が出されることもあった。

「理学」が最終的に採用されず、「哲学」に敗れてしまった理由については諸説ある。上述のように「理」は既に物理学に使われていたため、あるいは「理学」という言葉が儒学の一派(朱子学・宋明理学)の同義語でもあり混同されるため、あるいはフィロソフィアは儒学のような東洋思想とは別物だとも考えられたため、などとされる。上記の西周や桑木厳翼も、本来は「理学」と訳すべきだが、そのような混同を避けるために「哲学」を用いる、という立場をとっていた。この件に関して、明治哲学界の中心人物の一人・三宅雪嶺は、晩年に回顧して曰く「もしも旧幕時代に明清の学問(宋明理学と考証学)がもっと入り込んでいたならば、哲学ではなく理学と訳すことになっていただろう」「中国哲学・インド哲学という分野を作るくらいなら理学で良かった」「理学ではなく哲学を採用したのは日本の漢学者の未熟さに由来する(漢学は盛んだったがそれでもまだ力不足だった)」という旨を述べている。

哲学の対象・主題[編集]

哲学の対象・主題[編集]

紀元前の古代ギリシアから現代に至るまでの西洋の哲学を眺めてみるだけでも、そこには一定の対象というものは存在しない(他の地域・時代の哲学まで眺めるとなおさらである)。西洋の哲学を眺めるだけでも、それぞれの時代の哲学は、それぞれ異なった対象を選択し、研究していた。

ソクラテス以前の初期ギリシア哲学では、対象は(現在の意味とは異なっている自然ではあるが)「自然」であった。紀元前5世紀頃のソクラテスは < 不知の知 > の自覚を強調した。その弟子のプラトンや孫弟子のアリストテレスになると、人間的な事象と自然を対象とし、壮大な体系を樹立した。ヘレニズム・ローマ時代の哲学では、ストア派やエピクロス学派など、「自己の安心立命を求める方法」という身近で実践的な問題が中心となった(ヘレニズム哲学は哲学の範囲を倫理学に限定しようとしたとしばしば誤解されるが、ストア派やエピクロス派でも自然学や論理学、認識論といった様々な分野が研究された。平俗な言葉で倫理的主題を扱った印象の強い後期ストア派でも、セネカが『自然研究』を著している)。

ヨーロッパ中世では、哲学の対象は自然でも人間でもなく「神」であったと謂われることが多い。しかし、カッシオドルスのように専ら医学・自然学を哲学とみなした例もある し、ヒッポのアウグスティヌスからオッカムのウィリアムに至る中世哲学者の多くは言語を対象とした哲学的考察に熱心に取り組んだ。また、中世の中頃以降は大学のカリキュラムとの関係で「哲学」が自由七科を指す言葉となり、神学はこの意味での「哲学」を基盤として学ばれるものであった。

さらに時代が下り近代になると、人間が中心的になり、自己に自信を持った時代であったので、「人間による認識」(人間は何をどの範囲において認識できるのか)ということの探求が最重要視された。「人間は理性的認識により真理を把握しうる」とする合理論者と、「人間は経験を超えた事柄については認識できない」とする経験論者が対立した。カントはこれら合理論と経験論を総合統一しようとした。

19世紀、20世紀ごろのニーチェ、ベルクソン、ディルタイらは、いわゆる「生の哲学」を探求し、「非合理な生」を哲学の対象とした。キルケゴール、ヤスパース、ハイデッガー、サルトルらの実存主義は、「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか」ということを中心的課題に据えた。

このように哲学には決して一定の対象というものは存在しなく、対象によって規定できる学問ではなく、冒頭で述べたように、ただ「philosophy」「愛知の学」とでも呼ぶしかない とされている。

学問としての哲学で扱われる主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性、世界の起源のような根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩などがある。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い。

これらの主題について論じられる事柄としては、定義、性質、複数の立場・見解の間の整理などがある。 これをひとくくりに「存在論」とよぶことがある。地球や人間、物質などが「ある」ということについて考える分野である。

また、「高貴な生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか」「善とは永遠と関連があるものなのか」といった問いの答えを模索する営みとして、旧来の神学や科学的な知識・実験では論理的な解答を得られない問題を扱うものであるとも言える。またこのようなテーマは法哲学の現場に即しておらず、真偽が検証不可能であり、実証主義の観点からナンセンスな問いであると考える立場もある(例えば論理実証主義)。 こちらは、ひとくくりに「価値論」とよぶことがある。「よい」ということはどういうことなのか、何がよりよいのかを考える分野である。

過去の哲学を扱うものとしての哲学[編集]

このような意味での哲学はより具体的にはとりわけ古代ギリシアのギリシア哲学、中世のスコラ哲学、ヨーロッパの諸哲学(イギリス経験論、ドイツ観念論など)などをひとつの流れとみてそこに含まれる主題、著作、哲学者などを特に研究の対象とする学問とされることも多い(哲学一般から区別する場合にはこれを特に西洋哲学と呼ぶことがある)。

また、諸学問の扱う主題について特にこうした思考を用いて研究する分野は哲学の名を付して呼ぶことが多い。例えば、歴史についてその定義や性質を論じるものは「歴史哲学」と呼ばれ、言語の定義や性質について論じるものは「言語哲学」と呼ばれる。これらは哲学の一分野であると同時にそれら諸学の一部門でもあると考えられることが多い。

哲学の分類[編集]

学派や立場[編集]

哲学ではしばしば多くの「学派」が語られる。これは、通常、特定の哲学者の集団(師弟関係であったり、交流があったりする場合も少なくない)に特徴的な哲学上の立場である。

古代ギリシア哲学、自然哲学、形而上学、実念論、唯名論、大陸合理主義、イギリス経験論、ドイツ観念論、超越論的哲学、思弁哲学、生の哲学、現象学、実存主義、解釈学、新カント派、論理実証主義、構造主義、プラグマティズム、大陸哲学

特定の学者や学者群に限定されない「立場」についても、多くの概念が存在している。言及される主要なものに、存在論、実在論、観念論、決定論、宿命論、機械論、相対主義、二元論、一元論、独我論、懐疑主義などがある。

地域と分野[編集]

哲学は様々な形で細分化される。以下に挙げるのはそのなかでも特に広く用いられている分類、専門分野の名称である。

地域による区分

  • アメリカ哲学、インド哲学、日本哲学など
  • 西洋哲学と東洋哲学

主題による区分(分野)

  • 科学哲学 - 科学について検討するもの。
  • 物理学の哲学 - 空間、時間、物質など物理学で用いる基本概念など、物理学について検討するもの。
  • 数学の哲学 - 数学について検討するもの。
  • 論理学の哲学 - 論理学について検討するもの。
  • 言語哲学 - 言語とは何か、言語の意味や形式や言語と真理の関係、などを検討するもの。
  • 分析哲学 - 論理的言語分析の方法に基づいて、哲学の諸問題を検討するもの 。
  • 倫理学 - 倫理・道徳について検討するもの。
  • 生命倫理学 - 医療行為、環境破壊、死刑など生命にまつわる物事について、その善悪をめぐる判断やその根拠について検討するもの。
  • 美学 - 美、芸術、趣味について検討するもの。
  • 心身問題の哲学 - 人間の意識や心と身体の関係、自由意志の有無などについて検討するもの。
  • 法哲学 - 法について哲学的に検討するもの。
  • 政治哲学 - 政治、様々な統治の様態にはじまり、政治的正義、政治的自由、自然法一般などについて検討するもの。
  • 戦争哲学 - 戦争について考察するもの。
  • 歴史哲学 - 歴史の定義、客観性についての考察、記述方法などを行う。
  • 宗教哲学 - 神の存在等、宗教的概念について検討するもの。
  • 教育哲学 - 教育の目的、教育や学習の方法について検討するもの。
  • 環境哲学 -
  • 哲学史 - 哲学の歴史的な変遷を研究するもの。
  • それぞれの哲学をまたいで存立するような分野として、方法論、認識論・知識論、意味論、経験論、行為論などがある。

他の分類法[編集]

貫成人が次の三つの種類に哲学を分類している。即ち、「絶対的存在の想定」型、「主観と客観の対峙」型、「全体的なシステムの想定」型の三つである。第一のタイプは自然、イデア、神といったすべての存在を説明する絶対的原理の存在を前提するものであり、古代や中世の哲学が含まれる。第二のタイプは認識の主体に焦点を当てて主観と客観の対立図式に関する考察を行うもので、近世や近代の哲学は主にこのタイプとされる。第三のタイプは人間を含む全ての存在を生成するシステムをについて考えるもので、クロード・レヴィ=ストロースの構造やルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語ゲームがこれに該当する。第一のタイプの絶対的存在が自身は常に同一にとどまりつつ他の物体に影響を与えるのに対し、第三のタイプの全体的なシステムは可変的であるという。

歴史[編集]

西洋哲学[編集]

イスラーム哲学[編集]

古代ギリシャ哲学はイスラム世界に受け継がれ、イスラム世界において、アッバース朝のカリフ、マームーン(786年-833年)は国家的事業として、ギリシャ語文献を翻訳させた。翻訳センター・研究所・天文台である「知恵の館」が設けられた。翻訳の大半は、ヤコブ派、ネストリオス派などの東方キリスト教徒が、シリア語を介して行った。

ギリシャ哲学のアラビア語への翻訳で中心を占めたのは、アリストテレスとその注釈者の著作であった。

ネオプラトニズムについては、プロティノスやプロクロスの原典からの直接の翻訳が行われず、ネオプラトニズムの著作がアリストテレスの著作だとして伝わることになった。

キンディーはイスラーム最初の哲学者と言われる。 イブン=ザカリーヤー・ラージーは、アリストテレスの哲学ではなく、原子論やプラトン主義の影響を受けた珍しい哲学を展開した。 ファーラービーは、神から10の知性(=ヌース)が段階的に流出(放射)すること、そして第10の知性が月下界を司っている能動知性で、そこから人間の知性が流出している、という理論を打ち立てた。政治哲学の分野でも、アリストテレスを採用せず、(ネオプラトニスムでは忘れられていた)プラトン的政治論を採用した。 イブン=シーナー(アヴィセンナ)はイスラーム哲学を完成させたと言われている。

イスラームのイベリア半島(スペイン)においては、イブン=ルシュドが、アリストテレス研究を究め、アリストテレスのほぼ全著作についての注釈書を著した。そしてイブン=シーナーのネオプラトニスムを廃し、純粋なアリストテレス主義に回帰しようとした。

ヨーロッパ哲学[編集]

ヨーロッパ哲学の大きな特徴として、「ロゴス(言葉,理性)の運動を極限まで押し進めるという徹底性」 があり、古代、近代、現代といった節目を設けて根底的な相違を見出すようなことが比較的容易であると言える。古代、近代、現代といった枠組みの中でも大きく研究姿勢が異なる学者、学派が存在する場合も珍しくない。

東洋哲学[編集]

上述のようにフィロソフィア・フィロソフィ(古希:φιλοσοφία)という語そのものは西洋で生まれ、時代が下ってから東洋に伝わったものであるが、タイトルに東洋哲学と冠した書籍、書名に「中国哲学」が含まれる書籍、書名に「インド哲学」が含まれる書籍、書名に「日本哲学」もしくは「日本の哲学」を含む書籍、東洋の哲学者や学派個々の名称に哲学とつけて「~哲学」と称する例 が存在する。また、東洋哲学研究所、日本哲学史フォーラム といった団体が存在するほか、いくつもの大学で東洋哲学を研究する過程が設置されている。以上のように、東洋の思想を哲学と呼称する例はしばしばみられる。

インド哲学[編集]

哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。

中国哲学[編集]

中国では、春秋戦国時代に諸子百家が現れた。中でも老子や荘子の道家、孔子や孟子、荀子らの儒家がよく取り上げられる。時代が下ると、南宋では形而上学的思索を含む朱子学が生まれ、明代には朱子学を批判して陽明学が登場した。

日本哲学[編集]

東洋にも哲学はありインドと中国は大きな影響を持っている。日本哲学は伝統的には中国の影響を受けて来たが、現代ではヨーロッパの影響も無視出来ないものがある。 これと同時に、日本におけるヨーロッパ哲学の研究は、全く異なる生活現場でヨーロッパ同様にヨーロッパ哲学を扱うことは奇妙であり、伝統を汲まない、必然性を欠いたものであるといった指摘もある。日本のヨーロッパ哲学の研究者が、徹底的な議論をすることなく、むしろ議論の場を作らせず、ヨーロッパの哲学とはほど遠い、哲学とはほど遠い現状がある。

西田幾多郎(1870 - 1945)は、フッサール現象学などの西洋哲学および仏教などの東洋哲学の理解の上に、『善の研究』(1911)を発表、知情意が合一で主客未分である純粋経験の概念を提起した。またその後、場所の論理あるいは無の論理の立場を採用した。彼の哲学は「西田哲学」と呼ばれるようになった。

井筒俊彦(1914 - 1993)は、イスラーム思想を研究し、Sufism and Taoism(1966-67、1983)では、イスラームと老荘の神秘思想を分析し、それらがともに持つ一元的世界観を指摘し、世界的にも高い評価を得た。そして晩年には『意識と本質』(1983)などを著し、東アジア・インド・イスラーム・ユダヤの神秘主義を元に、ひとつの東洋哲学として構造化することを試みた。



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