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新日本プロレス

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新日本プロレス(しんにほんプロレス、正式団体名称:新日本プロレスリング、英: New Japan Pro-Wrestling、略称: NJPW)は、日本のプロレス団体。現存する日本のプロレス団体として最も古い歴史を持つ。

概要[編集]

1971年12月、日本プロレスに対してクーデターを画策したとして、アントニオ猪木が日本プロレス選手会を除名され、日本プロレスから永久追放された(詳しくは「密告事件」を参照)。

1972年1月13日、猪木が新日本プロレスリング株式会社を設立、3月6日に大田区体育館で新日本プロレスの旗揚げ戦を開催する。

2005年11月14日、猪木が保有していた新日本プロレスの株式51.5%をユークスが取得してユークスの子会社になった(後に全株式を取得)。同年、日本プロスポーツ協会から脱退した。

2012年1月31日、ユークスが保有していた新日本プロレスの全株式をブシロードグループパブリッシング(現:ブシロード)に5億円で譲渡してブシロード社の子会社となり、ブシロードグループパブリッシング代表取締役社長の木谷高明がオーナーとなった。

2014年に債務超過状態から脱し、2017年7月期の売上高は38億5,000万円、純資産額は9億3,000万円を記録して以降の経営状況も安定している。

「KING OF SPORTS」を標榜して「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げていたが、2010年台後半頃より選手達自らが「脱・ストロングスタイル」を提唱し従来のストロングスタイルの様な殺気立ったファイトスタイルとは一線を画するファイトスタイルを確立している。

リングドクターを取り入れて健康管理をする面においては、他団体と大きく差別化が図られている。

かつては、佐川急便の創業者の佐川清が筆頭株主として名を連ねていた。

歴史[編集]

1970年代[編集]

1972年
  • 1月13日、新日本プロレスリング株式会社を設立。メンバーはアントニオ猪木、魁勝司、山本小鉄、柴田勝久、木戸修、藤波辰巳、「テレビが付くまで」との条件付きで豊登、選手兼ブッカーとしてカール・ゴッチ、レフェリーのユセフ・トルコが参加。日本プロレスの圧力により、アメリカのプロモーターや有名選手の協力が得られず、外国人レスラーの招聘ルートが作れなかったため、やむなくアメリカでは影響力の弱かったゴッチにブッカーを依頼し、レスラーを招聘する。
  • 3月6日、大田区体育館で新日本プロレス旗揚げ戦を開催。メインイベントは猪木対ゴッチの時間無制限1本勝負が行われてゴッチが猪木から勝利。
1973年
  • 4月1日、日本プロレスとの対等合併計画が発表されるも、大木金太郎ら日本プロレス選手会の反対により頓挫し、日本プロレスから合併推進派であったエースの坂口征二が小沢正志、木村聖裔、大城大五郎、レフェリーの田中米太郎を連れて新日本プロレスに移籍。
  • 4月6日、NETテレビ(現:テレビ朝日)が、ワールドプロレスリングの放送枠でそれまで放送されてた日本プロレスの中継を打ち切り、新日本プロレスの中継を開始。
  • 11月5日、タイガー・ジェット・シンがアングルとして東京都新宿区の路上で猪木と倍賞美津子夫妻を襲撃し、話題となった。
1974年
  • 1月、ロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングとの提携を開始し、この提携ルートから大物外国人レスラーの招聘が可能となり、脆弱であった外国人レスラーの招聘ルートが改善される。
  • 5月、第1回「ワールドリーグ戦」を開催、猪木が優勝。
  • 5月8日、東京都体育館でWWWF(現:WWE)との業務提携を発表。外国人レスラーの招聘ルートがさらに改善される。
  • 12月、第1回「カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦」を開催。優勝は藤波辰己。
1975年
  • 8月3日、アメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズで開かれたNWA総会で猪木がプロモーターとしてNWAに加盟を申請したが全日本プロレスの圧力で認めらなかった。しかし、坂口と新間寿が加盟名義人として認められ、「NWA世界ヘビー級王者は新日本プロレスに参戦しない」という条件で加盟が承認された。
1976年
  • 2月6日、蔵前国技館で猪木対ミュンヘンオリンピック柔道93kg超級と無差別級の金メダリストのウィレム・ルスカによる異種格闘技戦が行われ、猪木が勝利。
  • 6月26日、日本武道館で猪木対ローマオリンピックボクシングライトヘビー級の金メダリスト、WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリによる異種格闘技戦が行われて(詳しくは「アントニオ猪木対モハメド・アリ」を参照)試合は後に「猪木アリ状態」と呼ばれる膠着戦となり、引き分けに終わった。ファン、マスコミ、関係者からは「世紀の凡戦」と評されるが、後世の総合格闘技に多大な影響を与えた。
  • 7月29日、アジアヘビー級王座(新日本プロレス版)を創設、タイガー・ジェット・シンが初代王者に。
  • 8月4日、アジアタッグ王座(新日本プロレス版)を創設、初代王者は坂口&ストロング小林組。
  • 12月12日、パキスタンのカラチ・ナショナル・スタジアムで猪木対格闘家のアクラム・ペールワンによる異種格闘技戦が行われ、猪木の勝利。
1977年
  • 8月2日、日本武道館で猪木対全米プロ空手世界ヘビー級王者のザ・モンスターマンによる異種格闘技戦が行われて猪木が勝利。
  • 10月25日、日本武道館で猪木対プロボクサーのチャック・ウェプナーによる異種格闘技戦が行われて猪木の勝利。
1978年
  • 4月4日、アメリカのフィラデルフィア・アリーナで猪木対全米プロ空手のザ・ランバージャックによる異種格闘技戦が行われて猪木の勝利。
  • 5月、第1回「MSGシリーズ」を開催、猪木が優勝。
  • 11月9日、フランクフルトのフェストホールで猪木対プロボクサーのカール・ミルデンバーガーによる異種格闘技戦が行われ、猪木の勝利。
  • 11月と12月、第1回「プレ日本選手権」を開催、猪木が優勝。
  • 12月18日、猪木がビンス・マクマホン・シニアから世界の強豪を相手に行われた数々の異種格闘技での功績を称えて、WWF世界マーシャルアーツ・ヘビー級王座が贈呈され、猪木が初代王者に認定。
1979年
  • 6月17日、パキスタンのカダフィスタジアムで猪木対格闘家のジュベール・ペールワンによる異種格闘技戦が行われて引き分け。
1980年
  • 2月27日、蔵前国技館で猪木対空手家のウィリー・ウィリアムスによる異種格闘技戦が行われてドクターストップによる引き分け。
  • 11月、第1回「MSGタッグリーグ戦」を開催。優勝は猪木&ボブ・バックランド組。

1980年代[編集][編集]

1981年
  • 4月23日、蔵前国技館でアニメ「タイガーマスク二世」とのタイアップ企画で、タイガーマスク(初代)のデビュー戦がダイナマイト・キッドとの対戦で行われ、タイガーマスクが勝利。
  • 4月、猪木がIWGP構想を発表して新日本プロレスが管理しているアジアヘビー級王座(新日本プロレス版)、アジアタッグ王座(新日本プロレス版)、NWFヘビー級王座、NWF北米ヘビー級王座、WWF北米ヘビー級王座、NWA北米タッグ王座を返上する(NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座は対象外)。
1982年
  • 10月8日、メキシコから凱旋帰国した長州力が藤波辰巳と仲間割れし、正規軍に反旗を翻す。
  • 11月4日、蔵前国技館で猪木対ラッシャー木村&アニマル浜口&寺西勇のユニット「国際軍団」と1対3の変則マッチが行われ、猪木がリングアウト負けした。
1983年
  • 5月、第1回「IWGPリーグ戦」を開催、ハルク・ホーガンが優勝。
  • 8月4日、この日の対寺西勇戦を最後に突如、タイガーマスクが引退。
  • 8月25日、猪木が代表取締役社長、坂口が取締役副社長を退任。専務取締役兼営業本部長の新間寿は謹慎処分。山本小鉄ら3名による取締役体制を発足。
  • 11月1日、猪木が代表取締役社長、坂口が取締役副社長へ復帰したが山本ら3人の取締役体制は短命に終わった。
1984年
  • 6月14日、蔵前国技館で開催した第2回「IWGPリーグ戦」決勝戦で猪木対ハルク・ホーガンが行われ、猪木が優勝したが長州の乱入を経て猪木がリングアウト勝ちという不透明な決着に激怒したファンが物を投げたり、放火騒ぎや2階席のイスを破壊するなど暴動寸前状態に発展した。
  • 9月21日、この日の試合を最後に長州ら維新軍が離脱してジャパンプロレスに合流。
1985年
  • 3月、第1回「ヤングライオン杯争奪リーグ戦」を開催、小杉俊二が優勝。
  • 10月31日、WWF(現:WWE)との業務提携解消を発表、WWFインターナショナル・ヘビー級王座、WWFインターナショナル・タッグ王座、WWFジュニアヘビー級王座を返上。
  • 12月、第1回「IWGPタッグリーグ戦」を開催、優勝は藤波&木村組。
  • 12月12日、IWGPタッグ王座を創設、初代王者は藤波&木村組。
1986年
  • 2月6日、IWGPジュニアヘビー級王座を創設、越中詩郎が初代王者に。
  • 12月、第1回「ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦」を開催、優勝は猪木&藤原喜明組。
1987年
  • 3月26日、大阪城ホールで行われた猪木対マサ斎藤戦で海賊男(正体はブラック・キャット)が乱入し、斉藤に手錠をかけて連れ去りファンが暴動を起こした。
  • 6月12日、IWGPヘビー級王座を創設。猪木が初代王者に。
  • 10月4日、巌流島でノーピープルマッチが猪木対斎藤戦で行われ、2時間5分14秒にも及ぶ決闘の末猪木の勝利(詳しくは「巌流島の戦い」を参照)。
  • 12月27日、両国国技館にたけしプロレス軍団が登場し、当初行われる予定だったメインイベントの猪木対長州戦を中止して猪木対ビッグバン・ベイダー戦に急遽変更。対戦カード変更に加えて猪木がベイダーに3分弱で敗れるという試合結果に(当初は藤波&木村組対斎藤&ベイダー組のタッグマッチと猪木対長州のシングルマッチ。1回目の対戦カード変更で、藤波&木村組対斉藤&長州組のタッグマッチと、猪木対ベイダーのシングルマッチ。2回目の対戦カード変更で猪木対ベイダーの前に、猪木対長州が組まれた。従って、猪木と長州は1日に2試合を戦った)ファンが激怒してリングに物を投げ込んだり、座布団を破いたり設備が破壊されるなどプロレス史上最悪の暴動に発展して新日本プロレスは日本相撲協会から両国国技館の無期限使用禁止を言い渡され、1989年2月まで、両国国技館が使用禁止となった。
1988年
  • 2月、第1回「TOP OF THE SUPER Jr.」を開催、越中が優勝。
  • 4月、プロレスラー育成を目的とした新日本プロレス学校を開校。
  • 12月、第1回「ジャパンカップ争奪イリミネーションリーグ戦」を開催、優勝は猪木&長州&星野勘太郎組。
1989年
  • 4月24日、初の東京ドーム大会を開催。アニメ「獣神ライガー」とのタイアップ企画で獣神ライガーのデビュー戦が小林邦昭との対戦で行われ、獣神ライガーが勝利した。猪木対ミュンヘンオリンピック柔道93kg級の金メダリストのショータ・チョチョシビリとの対戦では、リングのロープを取り払った円形リングで異種格闘技戦が行われ、猪木が敗れた。
  • 7月24日、猪木が第15回参議院議員通常選挙にスポーツ平和党から出馬して当選したことで坂口が代表取締役社長に就任。
  • 11月と12月、第1回「ワールドカップ争奪リーグ戦」を開催、長州が優勝。

1990年代[編集][編集]

1990年
  • 2月10日、東京ドーム大会を開催。全日本プロレスからジャンボ鶴田や天龍源一郎らが参加して新日本との対抗戦が2試合行なわれる。
  • 12月20日、WCWとの業務提携を発表。
1991年
  • 第1回「ヤングライオン・トーナメント」を開催。優勝は小原道由。
  • レスリング選手の育成を目的とした闘魂クラブを発足。
  • 3月21日、東京ドーム大会を開催。グレーテスト18クラブ王座を創設、長州が初代王者に。
  • 8月、第1回「G1 CLIMAX」を開催、蝶野正洋が優勝。
  • 10月、第1回「SUPER GRADE TAG LEAGUE」を開催、優勝は藤波&ベイダー組。
1992年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。以降、1月4日の東京ドーム大会が恒例となる。
1993年
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
  • 9月30日をもってWCWがNWAを脱退し、それに付随し新日本プロレスも1975年より加盟していたNAWを脱退する。
1994年
  • 5月1日、福岡ドーム大会を開催。
  • 6月、第1回「BEST OF THE SUPER Jr.」を開催。優勝は獣神サンダー・ライガー。
  • 4月16日、両国国技館で新日本プロレス主催の第1回「SUPER J-CUP」を開催、ワイルド・ペガサスが優勝。
  • 10月、第1回「SUPER GRADE Jr. TAG LEAGUE」を開催、大谷晋二郎&ワイルド・ペガサス組が優勝。
1995年
  • 5月3日、福岡ドーム大会を開催。
  • 10月9日、東京ドーム大会「激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」を開催。全ての試合がUWFインターナショナルとの対抗戦として行われ、6万7000人(主催者発表)もの観客を集めた。
  • 10月29日、大阪ATCホールで藤波が主催する興行「無我」を開催。
1996年
  • 4月29日、東京ドーム大会を開催。
  • 8月2日から5日、両国国技館でIWGPジュニアヘビー級王座、インターナショナルジュニアヘビー級王座、英連邦ジュニアヘビー級王座、NWA世界ジュニアヘビー級王座、NWA世界ウェルター級王座、WWF世界ライトヘビー級王座、UWA世界ジュニアライトヘビー級王座、WWA世界ジュニアライトヘビー級王座の王座統一トーナメントを開催。ザ・グレート・サスケが初代ジュニア8冠王者となった。
1997年
  • 4月12日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月3日、大阪ドーム大会を開催。
  • 8月10日、ナゴヤドーム大会を開催。
  • 11月2日、福岡ドーム大会を開催。
1998年
  • 4月4日、東京ドームにて「"燃える闘魂"アントニオ猪木引退試合」を開催。創業者である猪木の引退試合が行われる。
  • 8月8日、大阪ドーム大会を開催。IWGPジュニアタッグ王座を創設。大谷晋二郎&高岩竜一組が初代王者に。
1999年
  • 4月10日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス初の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」が蝶野対大仁田厚戦で行われ(ただし、新日本プロレスは公式試合として認めず第0試合にした)、両者KOによる引き分け。
  • 6月24日、藤波が代表取締役社長に就任。前代表取締役社長の坂口が代表取締役会長に就任。
  • 8月28日、神宮球場大会を開催。
  • 10月11日、東京ドーム大会を開催。
  • 10月、第1回「G1 TAG LEAGUE」を開催。優勝は武藤敬司&スコット・ノートン組。

2000年代[編集][編集]

2000年
  • WCWとの業務提携解消を発表。
  • 4月7日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月14日、気仙沼市総合体育館で行われた福田雅一対柴田勝頼戦の試合中、福田が意識不明となり、4月19日に死去した。試合中の事故により亡くなったのは、日本の男子プロレスラーでは初めてのことであった。
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
2001年
  • 4月9日、大阪ドーム大会を開催。
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
  • 7月20日、札幌ドーム大会を開催。
  • 10月18日、東京ドーム大会を開催。
2002年
  • 4月1日、アメリカに新日本プロレスLA道場(2007年3月26日にINOKI DOJOへ改名)がオープン。
  • 5月2日、東京ドーム大会を開催。
  • 9月6日、石川県産業展示館3号館で女子プロレスラーのジョーニー・ローラーが参戦。新日本プロレス初となる男女混合試合が行われた。
  • 10月14日、東京ドーム大会を開催。
2003年
  • 4月23日、IWGP U-30無差別級王座を創設。棚橋弘至が初代王者に。
  • 5月2日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス初の独自ルールによる総合格闘技戦「アルティメット・クラッシュ」が行われた。
  • 10月13日、東京ドーム大会を開催。
2004年
  • 5月3日、東京ドーム大会を開催。
  • 6月23日、経営コンサルタントの草間政一が代表取締役社長に、前代表取締役社長の藤波が取締役副会長に就任。
  • 11月3日、大阪ドーム大会を開催。
2005年
  • 4月、第1回「NEW JAPAN CUP」を開催、棚橋が優勝。
  • 5月14日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月26日、草間が代表取締役社長を解任され、後任として猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木が代表取締役社長に就任。
  • 10月8日、東京ドーム大会を開催。
  • 10月、新日本プロレス総合格闘技部門を発足。
  • 11月14日、猪木が保有していた新日本プロレスの株式51.5%をユークスが取得してユークスの子会社になった(後に全株式を取得)。
2006年
  • 5月13日、新宿FACEで新日本プロレスとは別ブランドとなる興行「WRESTLE LAND」を開催。
  • 5月21日、新木場1stRINGで新日本プロレスとは別ブランドとなる興行「LOCK UP」を開催。
  • 7月、ブロック・レスナーが「契約上のトラブル」を理由に訪日を拒否。これを受けて新日本プロレスはレスナーが保持するIWGPヘビー級王座(3代目)を剥奪したが、レスナーがIWGPヘビー級王座(3代目)のチャンピオンベルトを返還しなかった為に新日本プロレスは2代目IWGPヘビー級王座のチャンピオンベルトを使用した。
2007年
  • 1月4日、東京ドームで新日本プロレス&全日本プロレス創立35周年記念大会「レッスルキングダム in 東京ドーム」を開催。以降、毎年1月4日の東京ドーム大会を「レッスルキングダム(WRESTLE KINGDOM)」として行う事が恒例となる。
  • 3月6日、後楽園ホールで第1回「NJPWグレーテストレスラーズ」授賞式が行われてアントニオ猪木、坂口征二、星野勘太郎、山本小鉄が表彰。
  • 3月9日、サイモン・ケリー猪木が代表取締役社長を辞任。
  • 4月25日、取締役副社長の菅林直樹が代表取締役社長に就任。
  • 5月25日、新日本プロレス総合格闘技部門がNEW JAPAN FACTORYとしてリニューアル。
  • 6月29日、両国国技館で行われたIGFの旗揚げ戦でブロック・レスナーがカート・アングルと非公式のIWGPヘビー級選手権試合を行い、カート・アングルが勝利して3代目IWGPヘビー級王座を獲得。
2008年
  • 2月17日、両国国技館で2代目IWGPヘビー級王座を保持するIWGPヘビー級王者の中邑真輔対3代目IWGPヘビー級王座を保持するカート・アングルによる「IWGPヘビー級選手権試合 ベルト統一戦」が行われ、中邑真輔がIWGPヘビー級王座防衛に成功すると共に2つのIWGPヘビー級王座を統一。
  • 3月9日、愛知県体育館で新調された4代目IWGPヘビー級王座がIWGPヘビー級王者の中邑真輔に贈呈。
  • 5月5日、後楽園ホールで蝶野正洋がゼネラルマネージャーを務める興行「PREMIUM」を開催。
2009年
  • 11月23日、後楽園ホールでCMLLとの業務提携を発表。

2010年代[編集][編集]

2010年
  • 5月、第1回「SUPER J TAG TOURNAMENT」を開催。優勝は金本浩二&エル・サムライ組。
  • 6月、第1回「J SPORTS CROWN〜無差別級6人タッグトーナメント〜」を開催。優勝は後藤洋央紀&田口隆祐&プリンス・デヴィット組。
  • 8月24日、新木場1stRINGで新日本プロレス主催の若手選手による興行「NEVER」を開催。
  • 11月、第1回「J SPORTS CROWN〜SUPER J TAG LEAGUE〜」を開催、邪道&外道組が優勝。
2011年
  • 5月11日、プロレスラー育成を目的としたプロレス道場を開講。
  • 5月15日、IWGPインターコンチネンタル王座を創設、MVPが初代王者に。
2012年
  • 1月31日、ユークスが保有していた新日本プロレスの全株式をブシロードグループパブリッシング(現:ブシロード)へ譲渡してブシロード社の子会社になり、ブシロードグループパブリッシング代表取締役社長の木谷高明が取締役会長に就任。新日本プロレスの本社がブシロードグループパブリッシングの本社がある住友中野坂上ビルに移転。
  • 2月29日、木谷高明とテレビ朝日を割当先とする第3者割当増資実施を発表。持株比率はブシロードグループパブリッシングが66.7%、木谷高明が23.3%、テレビ朝日が10.0%になる。
  • 7月24日、レスリング選手の育成を目的としたブシロードクラブを発足。
  • 10月、第1回「SUPER Jr. TAG TOURNAMENT」(現:SUPER Jr. TAG LEAGUE)を開催、KUSHIDA&アレックス・シェリー組が優勝。
  • 11月19日、NEVER無差別級王座を創設、田中将斗が初代王者に。
  • 11月、第1回「WORLD TAG LEAGUE」を開催、後藤洋央紀&カール・アンダーソン組が優勝。
2013年
  • 6月2日、テレビ朝日系列「大改造!!劇的ビフォーアフター」に老朽化が進んでいた新日本プロレス選手寮のリフォームを依頼し、その模様が2時間スペシャルとして放送された。
  • 9月24日、代表取締役社長の菅林直樹が代表取締役会長、経営企画部兼商品部で執行役員の手塚要が取締役社長に就任。取締役会長の木谷高明は退任し、引き続きオーナーとして関わっていくことになった。
2014年
  • 2月23日、アメリカでROHとの業務提携を発表。
  • 4月12日-13日、台湾大会『WRESTLING WORLD IN TAIWAN 2014』を開催。
  • 8月10日、G1 CLIMAXの決勝戦を西武ドームにて開催。
2015年
  • 7月2日、新日本プロレス公式サイトへの不正アクセスにより約1万8000件の個人情報が流失していたことが判明し、謝罪会見が行われた。
  • 10月18日、台湾大会『WRESTLING WORLD IN TAIWAN 2015』を開催。
2016年
  • 1月4日、東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM 10 in 東京ドーム」にて、NEVER無差別級6人タッグ王座を創設。矢野通&ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコ組が初代王者に。
  • 1月5日、後楽園ホール大会開始前に木谷オーナーがリングに上がり、新日本プロレスと芸能事務所「アミューズ」が業務提携を結んだことを発表。
  • 2月22日、取締役社長の手塚要が退任し、後任は社長室長の原田克彦が就任。
  • 2月25日、新宿FACEで新日本プロレス主催の若手選手による興行「LION'S GATE」を初開催。
  • 9月、選手の移動用バスとして日野・セレガを2台導入。1号車が新日本本隊所属選手(真壁刀義、棚橋弘至ら)が乗車する黄色いライオンマークの車両で、2号車が対抗ユニットに所属する選手(オカダ・カズチカら)が乗車する赤いライオンマークの車両である。
  • 10月15日、台湾大会『WRESTLING WORLD IN TAIWAN 2016』を開催。
2017年
  • 7月2日、IWGP USヘビー級王座を創設、ケニー・オメガが初代王者に。
2018年
  • 3月19日、本社を品川区上大崎に移転。
  • 3月24日、アメリカに新日本プロレスLA道場を新設。柴田勝頼がヘッドコーチ就任。
  • 5月23日、原田克彦が代表取締役社長を退任。ハロルド・ジョージ・メイが代表取締役社長兼最高経営責任者に就任。
  • 7月、第三世代と呼ばれる所属レスラーを中心に講師を務めるプロレスエクササイズ「The Third Generation Club(TTGC)」を東京にて開始。
2019年
  • 1月4日、東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM 13 in 東京ドーム」内にて、翌年の1月の東京ドーム大会が2連戦となることが発表された。
  • 4月7日、マディソン・スクエア・ガーデン大会を開催。
  • 11月、アメリカ法人『NEW JAPAN Pro-Wrestling of America Inc.』を設立。

2020年代[編集]

2020年
  • 1月4日・5日、東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム」を開催。史上初の2日間開催となった。
  • 2月10日、ニュージーランドに新日本プロレスNZ道場を新設。
  • 2月26日、新型コロナウイルスの感染拡大による日本政府からのイベント開催自粛勧告により、3月1日から3月15日までの11大会を中止することを発表した。以降、更なる感染拡大と改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令により、合計53大会の開催を自粛した。その中には、旗揚げ記念日・BEST OF THE SUPER Jr.など団体が重要視している大会・リーグ戦も含まれていた。また、一部団体が実施したオンラインによる無観客試合の開催についても「会場の使用許可」「感染リスク不可避」「業界最大手としての社会的責任」を理由に、実施には消極的な姿勢を取った。また、TTGCもこれ以降はオンラインにスイッチする。
  • 6月15日、110日ぶりの興行「Together Project Special」を会場非公開の無観客で開催し大会を再開。
  • 7月28日、KOPW2020を創設。
  • 8月、NJPW STRONGがスタート。
  • 8月29日、新日本プロレス21年ぶりに明治神宮野球場にて屋外試合が行われる。
  • 9月5日、ブシロードクラブがブシロードから新日本プロレスへ移管されてTEAM NEW JAPANと名を改めた。
  • 9月、G1 CLIMAXが開催30回目を迎える。今年度は史上初の秋季に開催され、新型コロナウイルス感染拡大防止として各大会ごと出場選手限定で開催が決定した(例:Aブロック公式戦の試合日にBブロック選手は出場しない)。
  • 10月23日、ハロルド・ジョージ・メイが代表取締役社長兼最高経営責任者を退任、アメリカ法人社長であった大張高己が代表取締役社長に就任する。
  • 11月、史上初のWORLD TAG LEAGUEとBEST OF THE SUPER Jr.を同時開催。
2021年
  • 1月4日・5日、東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM 15 in 東京ドーム」を開催。2度目のドーム2日間開催となった。木梨憲武が特別プロモーターに就任。KOPW2021を創設。
  • 3月1日、菅林直樹会長よりIWGPヘビー級王座とIWGPインターコンチネンタル王座を統一し、IWGP世界ヘビー級王座を新たに制定することが発表された。
  • 4月24日、STRONG無差別級王座を創設。
  • 5月5日、2選手の新型コロナウイルス感染を発表。
  • 5月7日、WRESTLE GRAND SLAMとして初開催予定だった横浜スタジアム大会(5月15日)および東京ドーム大会(5月29日)の延期を発表。後に横浜大会は中止となり、メットライフドームで代替開催された。
  • 5月9日、新たに7選手の新型コロナウイルス感染を発表。
  • 7月25日、WRESTLE GRAND SLAM in TOKYO DOMEを開催。
  • 8月15日、ロサンゼルス大会「RESURGENCE」を有観客で開催。
  • 9月4日・5日、WRESTLE GRAND SLAM in MetLife Domeを開催。
2022年
  • 1月8日、横浜アリーナ大会「WRESTLE KINGDOM 16 in横浜アリーナ」でプロレスリング・ノアとの対抗戦を開催。
  • 3月1日、日本武道館大ホールで「旗揚げ記念日」を開催。50周年記念イヤーが開幕。
  • 5月1日、福岡ドーム(福岡PayPayドーム)では21年ぶりとなる「レスリングどんたく2022」を開催。
  • 10月1日、創業者のアントニオ猪木が心不全のため死去、享年79歳。
  • 10月10日、両国国技館大会で「NJPW WORLD認定TV王座」の新設が発表される。
  • 11月20日、有明アリーナにてSTARDOMの史上初の合同興行となる「Historic X-over」を開催。初のIWGP女子王座トーナメント決定戦が開催される。
2023年
  • 1月4日、前年に死去したアントニオ猪木の追悼大会として東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM 17」が行われた。
  • 1月20日、ブシロードウェルビーと共同開発したプロテイン「新日本プロテイン」を発売。
  • 1月21日、横浜アリーナ大会「WRESTLE KINGDOM 17 in横浜アリーナ」でプロレスリング・ノアとの対抗戦を2年連続で開催。
  • 3月27日、LA道場にてプロレスラー養成所「NJPW ACADEMY」を開設。
  • 9月29日、CMLL、MLWとの戦略的提携を発表。
  • 12月11日、IWGP GLOBALヘビー級王座を創設。
  • 12月15日、複数のプロレス団体が共同で日本プロレスリング連盟を設立。会長に坂口、事務局長に菅林が就任。
  • 12月23日、第10代社長の大張高己が退任し、第11代社長に棚橋弘至が就任。選手兼任社長は藤波辰爾に続き史上4人目。


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