パナマ
パナマ共和国(パナマきょうわこく、スペイン語: República de Panamá)、通称パナマは、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境に位置する共和制国家である。北西にコスタリカ、南東にコロンビアに接し、北はカリブ海、南は太平洋に面する。首都はパナマ市(パナマシティ)。
2020年時点人口:431万5000人
概要[編集]
パナマの存在する場所は南北アメリカと太平洋、大西洋の結節点に当たる。
この地理的重要性からスペイン人の到達以来、貿易の他に人の移動や国際政治において大きな役割を果たす要衝となっており、その役割の重要性のため中米地峡を貫くパナマ運河が通っている。
国名[編集]
正式名称は、República de Panamá(スペイン語: [reˈpuβlika ðe panaˈma] レプブリカ・デ・パナマ)。通称は Panamá。
公式の英語名は Republic of Panama ([rɪˈpʌblɪk əv ˈpænəmɑː] リパブリク・ァヴ・パナマー)。通称は Panama。
日本語での公式名称はパナマ共和国。通称、パナマ。漢字表記は、巴奈馬など。
国名の由来はインディオ(インディヘナ)のクエバ人の言葉で、「魚が豊富」を意味する言葉から来ているとされている。
歴史[編集]
先コロンブス期[編集]
ヨーロッパ人の来航以前の現在のパナマの地には、主にチブチャ族をはじめとする人々が居住していた。
紀元前2900年から同1300年に刻線文が特徴のモナグリーヨ (Monagrillo) 土器を用いた人々が、主にパナマ中央部、アスエロ半島北方のパリタ湾岸に貝塚、内陸では岩陰や洞窟で生活を営んでいたことが知られている。紀元前1000年ごろにモナグリーヨ土器を伴う集落がなくなり、紀元前6世紀になると、ムラ・サリグアなどをはじめとする掘立柱建物を住居とした集落が点々と営まれるようになる。ムラ・サリグアの最盛期には、推計で人口は600人から700人近くに達し、集落の面積は58haまで発達した。しかし、紀元前後になっても祭祀センターとまで言える遺跡は確認できていない。[要出典]
3世紀から4世紀ごろの遺跡からは、木の実や穀物をすりつぶすマノ(すり石)とメタテ(すり皿)が発見されていることから、農耕が本格的に開始されていたと推測される。[要出典]
500年ごろには、パリタ湾岸では金製品で知られるコクレ(Cocle)文化が興る。その起源についてはコロンビアからの影響か、独自の発展か決着をみていない。またコスタリカ東部に隣接する西部では、美術的にも評価の高い彩文土器や土偶で知られるチリキ(Chiriqui)文化が興る。
スペイン人が到来する直前にあたる16世紀初頭には、現在のパナマに相当する地域には20万人から200万人の人間が居住していたとされている。