ダブリンウイスキー火災
ダブリン・ウイスキー火災(ダブリンウイスキーかさい、Dublin whiskey fire)は、1875年6月18日、ダブリンリバティーズ地区で発生した。火災の続いたのはわずか1夜であったが、13人の死者を出し、ウィスキーだけで600万ユーロの損害であった(インフレ調整済)[1]。人々は、ザ・クームまで流れたと言われている水深6インチ (150 mm)のウイスキーの川を飲んだ[2]。火災で出た死者は、煙の吸いこみ、火傷、または火災そのものその他との直接的接触によるものではなかった。全員がアルコール中毒が原因であった。
火元[編集]
アーディー・ストリートの角にあるローレンス・マローンの保税倉庫から出火したと考えられている[3]。保税倉庫には、金額にして5万4000ポンド(£NaN in 2016相当)、大たる5000(262,500 英ガロンまたは1,193,000リットル; 315,200米ガロン)のウイスキーが保管されていた[4]。火災の正確な原因は不明であるが、倉庫が点検された午後4時35分から警報が発せられた午後8時30分までに出火したことが知られている。午後9時30分に、倉庫内の樽複数が熱のために爆発し始め、そのために燃えている建物のドアと窓からウイスキーが流れ始めた[5]。
広がり[編集]
ウイスキーの流れは、最初コーク・ストリートを伸び、アーディー・ストリートに曲がり、チェンバー・ストリートで家1軒を捕まえ、さらにミル・ストリートまで続き、そこで小さな家の列がすぐに破壊された[6]。
人々の反応[編集]
近くに住む人々は最初、火がついた近くの家畜小屋のブタたちのきいきい鳴く声で火災に気づいた。これは驚くほど迅速な避難の一因となったと言われており、後に救急サービスと当時ダブリン市長ピーター・ポール・マクスウィニーに賞賛された。彼は次のように言ったと引用されている――
「数か所では火災進行中に逃げるための時間が非常に短かったので、わたしは地区の屋根裏部屋と地下室で危険にさらされている人々もいるのではないかと心配だった。しかし、問い合わせると、大火事の際に人命が失われたことはないことを知ってうれしかった」
避難中、大勢の人々がウイスキーの流れのすぐそばに集まり、手近にあるあらゆる容器にその物質をみたした。「キャップ、ポリンジャーその他の容器」が、燃えている液体をごくごく飲むために集められ、その結果アルコール中毒による24人の入院と、その後の死者13人を出した[7]。
脚注[編集]
- ↑ rareAdmin (2017年5月4日). “The Great Whiskey Fire of Dublin, 1875”. Rare Irish Stuff. 2020年6月7日閲覧。
- ↑ O'Brien, Joseph V. (1982). Dear, Dirty Dublin: A City In Distress. University of California Press. pp. 34. モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 9780520039650 2020年6月7日閲覧。
- ↑ “The night a river of whiskey ran through the streets of Dublin”. Irish Times. 2020年6月7日閲覧。
- ↑ “THE GREAT FIRE IN DUBLIN”. Irish Independent. (1875年6月21日) 2021年10月25日閲覧. "On Mr Malone's premises there was massed malt and wines to the value of £54,000"
- ↑ “THE GREAT FIRE IN DUBLIN”. Irish Examiner 2021年10月25日閲覧. "The burning whiskey poured literally in torrents from the doors and windows of the burning pile"
- ↑ “THE GREAT FIRE IN DUBLIN”. Irish Examiner. (1875年6月21日) 2021年10月25日閲覧。
- ↑ Dean Ruxton (2016年8月3日). “The night a river of whiskey ran through the streets of Dublin”. The Irish Times. 2022年4月28日閲覧。
座標: 北緯53度20分17秒 西経6度16分44秒 / 北緯53.338度 西経6.279度
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