ダウンタウン
ダウンタウン(DOWNTOWN)は、吉本興業に所属する松本人志と浜田雅功からなる日本のお笑いコンビ。NSC大阪校1期出身。浜田と松本のいずれも兵庫県出身。
詳細は「松本人志」および「浜田雅功」を参照
- 松本 人志(まつもと ひとし、1963年〈昭和38年〉9月8日 - )
- ボケ・ネタ作り担当。
- 兵庫県尼崎市出身。身長172 cm、血液型B型、左利き。非喫煙者。
- 浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年〈昭和38年〉5月11日 - )
- ツッコミ担当。
- 兵庫県尼崎市出身。身長165 cm、血液型A型。右利き。喫煙者。
概要[編集]
1982年にコンビ結成、NSC大阪校の1期生として入学した。1987年、帯番組『4時ですよーだ』で大きく注目を集め関西でアイドル的な人気を博す。1988年、『夢で逢えたら』で東京へ進出。1989年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』、1991年に『ダウンタウンのごっつええ感じ』、1993年に『ダウンタウンDX』、1994年に『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』が放送開始し全国的に人気を獲得。コンビ活動の他に浜田は俳優・歌手・司会者、松本はライブ・ビデオ・作家・映画監督などソロ活動も活発に行なった。中でも『ガキの使いやあらへんで!』『ダウンタウンDX』は、現在も続く長寿番組である。
経歴[編集]
NSC入学[編集]
共に尼崎市立潮小学校、尼崎市立大成中学校の同級生。高校はお互い別々だったが、高校卒業後の1982年3月に浜田が吉本の開校した新人タレント養成所『吉本総合芸能学院(通称:NSC)』による1期生募集のチラシを見つけたのがきっかけで、同年4月4日にNSC1期生として入学。当時の松本は就職が決まっていたものの、浜田から誘われて吉本入りを決意した。
入学わずか2ヶ月目にして、テレビ初出演となる毎日放送『素人名人会』にて名人賞を獲得。その1ヵ月後には『第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』で福笑い大賞を受賞。これらの功績が認められ、NSC在学生では異例の早さで「なんば花月」の公演へ5日間ではあるが特別出演した。
8月、フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』の素人・アマチュア芸人の勝ち抜けコーナー「お笑い君こそスターだ!」へ「まさし・ひとし」として出場、5週勝ち抜きグランドチャンピオンに輝いた。番組内ではNSC在学生ということは伏せられ、素人としての出演だった。
その後も劇場で舞台を踏みながら、『第13回NHK上方漫才コンテスト』『第4回ABC漫才・落語新人コンクール』へ出場。
1983年4月21日、阪急ファイブ8F・オレンジルームで同期のハイヒール、銀次・政二と共にコントライブ「ごんたくれ」(全3回)の第1回公演を開催。後の心斎橋筋2丁目劇場による笑いの原型を開拓させたイベントであった。
「松本・浜田」「まさし・ひとし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」「まさと&ひとし」などコンビ名を定着させずに活動していたが、同年5月にコンビ名を現在の「ダウンタウン」へと正式に改めた。同年6月6日になんば花月上席初出演を果たす。
コンビ名の由来について松本は「考え過ぎるのやめようって。どこかの喫茶店で、週刊誌をペラペラッとやって、指で押さえたところをコンビ名にしようぜってなったんですよ。それがダウンタウンだったんです」と語っている。
1984年、『第14回NHK上方漫才コンテスト』で優秀賞を受賞。『第5回ABC漫才・落語新人コンクール』では最優秀新人賞を受賞した。
「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」誕生[編集]
当時の吉本は、漫才ブームの終焉によって花月三館(なんば花月・うめだ花月・京都花月)の観客も若年層より年配層が多くを占めていた。NSC時代から2人のマネージャー的存在であった大﨑洋(現・吉本興業ホールディングス代表取締役会長)は、才能はあるが注目度の低かったダウンタウンに対して「彼らの場を作ってやらんといかん」と大﨑が発起人となり、当時大阪・心斎橋に南海電気鉄道が賃貸契約していた劇場「南海ホール」での定期開催を計画。笑いのターゲットを若年層に絞り、若手芸人と共に1984年7月12日「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」(通称「心劇」)を毎週末に開催した。
「心斎橋筋2丁目劇場」オープン[編集]
1985年10月、関西テレビ『今夜はねむれナイト』内にて3分程度によるコントコーナー「ダウンタウン」でテレビレギュラー番組を獲得。また、ラジオ大阪『おっと!モモンガ』金曜日の司会者に起用される。南海ホールでの定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」も徐々に反響を呼ぶようになり、多くの若者から支持を受ける。
1986年、南海ホールでの定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」はハイヒール・まるむし商店・おかけんた・ゆうた・非常階段・130R・今田耕司・東野幸治らとの公演で人気を博し、入場できない程のファンが詰めかけていた。同時期には南海ホールの経営が南海電鉄から吉本に移り、「大阪にもスタジオアルタのようなホールを創ろう!」という企画が持ち上がったことから総工費約2,000万円をかけて改装され、同年5月16日には正式に「心斎橋筋2丁目劇場」の名称で吉本の常設劇場としてリニューアルオープン。8月6日に大阪城野外音楽堂で当時の2丁目劇場主要メンバー「おさわがせ2丁目探険隊 来てもた大阪城」を開催した。
『4時ですよーだ』[編集]
1987年4月6日、ダウンタウンがMCを務める平日夕方の帯番組『4時ですよーだ』(毎日放送)が放送開始。当番組を機にダウンタウンの人気が爆発、同年9月27日には大阪厚生年金会館でコンサート「DOWNTOWN SCANDALS」を開催し、会場は若年層の女性ファンで超満員となった。その人気に肖り当時の吉本若手タレントでは珍しく、写真集の発売や歌手としてデビューアルバムも発売。この影響で、NSC7期生(1988年度)の生徒数が以前のNSC卒業生の総数を上回る現象も起こった。
関西で爆発的な人気を獲得したダウンタウンは、その勢いで東京へも活躍の場を広げる。1988年10月13日、ウッチャンナンチャン・野沢直子・清水ミチコとのコント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)が関東ローカル(後に全国ネット)でスタート。また、2丁目劇場の東京公演「おでかけでっせ、ラフォーレまっせ」をラフォーレ原宿で不定期に開催していた。
当時の1987年11月に行われた雑誌のインタビューで、「東京で番組を1本持っているのは維持したい(松本)」「東京へ来ることは僕らにとってマイナスにはなりませんからね(浜田)」と2人とも意欲を見せるような発言をしていた一方で、ニッポン放送からはそれとなく(2時間番組でのパーソナリティの)話があったが自分たちは今東京で2時間やっても持たないのが分かっているので、また全国的に馴染みの無い者がいきなり全国ネットの番組に登場するのはかなり厳しいものがあるなどを理由に遠慮したと、当時は東京進出にまだ慎重的な考えもあったことを明かしている。
東京進出[編集]
1989年、吉本から本格的な東京進出命令が下る。以前から『ひょうきん予備校』『欽ドン!ハッケヨーイ笑った!』、そして前年からスタートしていた『夢で逢えたら』などの東京に出向いて番組へ出演していたが『4時ですよーだ』の司会を同年4月より7月まで一時交代し、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)の月曜レギュラーとなる。
9月29日に『4時ですよーだ』が最終回を迎え、10月3日に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)が関東ローカルで放送開始。1991年4月からは『世界の常識・非常識!』(フジテレビ)にレギュラー出演。
1991年12月8日、3度の特番放送を経て『世界の常識・非常識!』の後番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』が放送開始される。ダウンタウンが得意とするシュールなコントで全国的に不動の人気を掴み、全盛期には視聴率20%を越えるお化け番組へと成長。1993年10月21日には読売テレビ制作の全国ネット番組『ダウンタウンDX』が、1994年10月17日にはフジテレビで音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』が放送開始された。
個人としての活動〜『ごっつええ感じ』終了[編集]
浜田は東京進出後に数々のドラマへ出演するなど俳優業にも分野を広げ、1995年3月15日に小室哲哉との音楽ユニット・H Jungle with tを結成してデビューシングル『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』を発売するとオリコンチャートで7週連続1位を獲得、CDセールスは約200万枚という大ヒットを飛ばした。同年の大晦日放送『第46回NHK紅白歌合戦』にも初出場し、同番組ではGEISHA GIRLSに扮した松本が浜田にも内緒でゲスト出演していた。
一方で松本はお笑いの活動にこだわり、1994年には入場料1万円のライブ「寸止め海峡(仮題)」、1995年には日本武道館で初の芸人による1人単独ライブ「松風'95」が行われ独自の笑いを生み出し続けていった。1993年から1995年にかけて、松本が『週刊朝日』に連載していたエッセイ(「オフオフダウンタウン」)が単行本化される。題名は『遺書』『松本』で、それぞれ250万部、200万部を売り上げた。1995年には芸能人長者番付で松本が1位、浜田が2位となった。
1997年11月、番組改編期でもない11月に『ダウンタウンのごっつええ感じ』が突如打ち切りとなり、それを受けダウンタウンのバラエティ番組の傾向が変化していく(詳細はダウンタウンのごっつええ感じ#突然の放送終了参照)。
2000年代[編集]
2000年4月15日、松本と中居正広のW主演でドラマ『伝説の教師』(日本テレビ)が放送開始。最終回には浜田と木村拓哉が特別出演した。
2001年4月21日、浜田主演のドラマ『明日があるさ』(日本テレビ)が放送開始。このドラマの主要メンバーで構成された音楽グループ・Re:Japanを結成して『明日があるさ』をリリース、同年の大晦日放送の『第52回NHK紅白歌合戦』にも出場した。
10月12日、突如打ち切りとなった『ごっつええ感じ』が『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』として一夜限りの復活を遂げる。以降ダウンタウンとして10年間、地上波ではコントを披露することがなかった。
2004年11月17日、作詞:松本人志、作曲・バックコーラス:槇原敬之、歌:浜田雅功として『チキンライス』(浜田雅功と槇原敬之)を発売。
2010年代[編集]
2011年6月5日放送『爆笑!大日本アカン警察 2時間スペシャル』で、事務所の後輩であるナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)と14年ぶりの共演。
2011年11月5日、NHK総合で松本出演のコント番組『松本人志のコントMHK』のレギュラー放送第1回のゲストとして、相方である浜田とコントを披露。ダウンタウンとしてコントを披露するのは2001年放送の『-ものごっつええ感じスペシャル』以来である。
2012年4月8日、吉本興業100周年特別公演にダウンタウン・今田耕司・東野幸治・130R・木村祐一などでかつて花月で行われていた興行「ポケットミュージカルス」を復活。公演内容は『ごっつええ感じ』の男性陣で構成された人気コントキャラ・エキセントリック少年ボウイオールスターズによる『「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ』や、浜田が『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』を熱唱するなど豪華なラインナップであった。
10月20日、ダウンタウン結成30周年記念特設サイトが公開される。
2013年2月5日から、吉本興業100周年記念公演『吉本百年物語 アンチ吉本・お笑いレボリューション』で、ダウンタウンが若手時代に活躍していた「心斎橋筋2丁目劇場」が舞台化された。この公演ではダウンタウンを間慎太郎(浜田)、趙珉和(松本)が演じた。
2014年3月31日放送の『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』で、一部ネットなどで不仲説が囁かれていたとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と1987年5月4日の『MBSヤングタウンVSとんねるず野球大会』(毎日放送テレビ・ラジオ)・1994年10月3日放送の『FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル』(フジテレビ系)以来となる約20年ぶりでテレビでは3回目の共演を果たし、同じく不仲説があった爆笑問題(太田光・田中裕二)とも1989年1月1日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)以来となる約25年ぶりの共演を果たした。また、ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)ともコンビとしては1998年『いろもん豪華特別版』(日本テレビ系)以来となる16年ぶりに共演している。
2015年8月28日放送の『ダウンタウンなうSP』で、B21スペシャル(ヒロミ・ミスターちん・デビット伊東)と『全員出席!笑うんだってば』(日本テレビ系)以来となる26年ぶりの共演を果たした。
2020年代[編集]
2021年8月28〜29日放送の『FNSラフ&ミュージック』にて、松本がサポーターとして出演。第1夜では生ブッキングのコーナーで内村に生電話して出演交渉を行い、第2夜では番組終盤にて内村と『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』以来7年ぶりに共演し、ダウンタウンとウッチャンナンチャンの2組で番組をやりたいと話した。さらに爆笑問題とも同じく『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』以来、7年ぶりの共演を果たした。
10月2日放送の『お笑いの日2021』では、『賞金奪い合いネタバトル ソウドリ〜SOUDORI〜』のMCである有田哲平(くりぃむしちゅー)と、TBSで『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ2005』以来16年ぶりの共演を果たす。
2022年4月3日、大阪・なんばグランド花月で行われた吉本興業110周年記念イベント「伝説の一日」において、同舞台上での漫才を約31年ぶりに披露した。
芸風[編集]
漫才[編集]
漫才のネタはコント漫才が多く、代表的なネタとしては「誘拐」「医者」「クイズ」「『あ』研究家」などがある。
松本のボソボソと喋るボケに浜田のいなすようなツッコミが特徴で、漫才ブームの頃はハイテンポなしゃべりが主流だったためゆっくりなテンポで間を空けた漫才スタイルは異質で、横山やすしからは「チンピラの立ち話」と酷評された。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』でコントに注力するようになってからは、ダウンタウンとしての漫才はビデオ『ダウンタウンの流』を最後に演じていなかったが、先述の通り2022年4月に開催された「伝説の一日」千穐楽参回目の大トリにおいて、約31年ぶりの漫才(新ネタ)を披露している。
漫才師としての評価[編集][編集]
島田紳助は紳助・竜介時代、NSCでダウンタウンの漫才を見た時の衝撃は忘れられないと語っている。漫才ブームの頃は速いテンポの漫才が多かったが、ダウンタウンは遅いテンポだったため松本に「このテンポはどうするんや」と尋ねると、「いや、俺らはこのテンポ変えるつもりはありません。このままでいきます」と返されて後に紳助はダウンタウンの漫才の方向性が正しかったことに衝撃を受けた。また、紳助・竜介が解散するきっかけとなったコンビがダウンタウンであり、1985年5月にうめだ花月上席の舞台袖でダウンタウンの漫才を目にしたことで自分達の限界を感じ、吉本本社に出向きコンビ解散の意思を告げた。同年5月20日に行われた記者会見で紳助は、解散理由について「阪神・巨人やサブロー・シロー、ダウンタウンには勝てない」と、当時まだ無名であったダウンタウンの名前を挙げた。
ビートたけしは、松本との対談でダウンタウンの漫才について「(ツービートの漫才は)あの当時としては新しいことをやってたんだけど、かなり荒いんだよね。その時代のあとに出てきたダウンタウンはもっときめ細かい。おいらの2、4、6、8というネタの切り取り方が、1、2、3、4でとってきたという感じ。乗った時は0.1とか0.2の刻みでとり出したという感じがある。スピード的には2、4、6と飛んでいくから、B&Bとかおいらの漫才のほうが早いんだけど、ダウンタウンは0.1をじっくりもたせちゃうというところがある。おいらの5分ネタを30分ぐらいやれる細かさで、その感じをよくわからせたのがダウンタウンの漫才だ。それは進化だと思う」と評した。
宮川大助(宮川大助・花子)は、医者の漫才で「衛星ひまわりから撮ったレントゲン写真です」というボケを聞いた際に「あ、負けたなと。そんなの想像できひんなと思った」と当時の衝撃を語り、「時代が変わる」と感じたと振り返っている。
太田光(爆笑問題)は先述の「伝説の一日」を有料配信で観ており、ダウンタウンの漫才を「すごいな、立ち話みたいな感じで漫才をやるっていうのが。俺らにはできないスタイルだから、めちゃくちゃおもしろかった」「あれが本当の漫才のスタイルだな」と高く評価していた旨を金ちゃん(鬼越トマホーク)が証言し、坂井良多(鬼越トマホーク)も「漫才をやり続けた爆笑問題さん的にも『ダウンタウンさんが漫才に帰ってきたことがすごくうれしい』って言ってました」と付け加えている。
コント[編集]
『今夜はねむれナイト』のコーナー「ダウンタウン劇場(シアター)」で初めてセットを使ったコントを披露した。ウンナン・野沢直子・清水ミチコとのコント番組『夢で逢えたら』でユニットコントを演じ、『ダウンタウンのごっつええ感じ』では多くのコント・キャラクターを生み出し、ベタなコントからマニアックなコントまで幅広く演じた。
小松純也は松本人志およびダウンタウンのコントについて、「作り手としても演じ手としてもすさまじいっていうことじゃないですか。結局、演じることに長けている人はいる。お笑いの作り手としても、部分部分は優れてる人はいると思うんです。けれど、あの人の場合はそれが全部同居している。発想の次元でいうと、それまでのコントと彼ら以降で一番変わっていった大きなポイントというのは、「面白い人がいてその人が面白い」ということではなくなった。「関係性の笑い」をメジャーにしていった」と語っている。
悲しさや切なさを感じさせるコントも多く、松本は「僕、ハッピーエンドが嫌いなんですよ。だから映画でもそうなんですけど、ちょっとどこか救われへんのが好きやったりするんです。ハッピーエンドやと終われないんですよ、やっぱり。ハッピーエンドで終わっても何か一旦終りみたいな。(中略)でも、理屈じゃなくてありますね。どうしてもそっち……行きますね。『トカゲのおっさん』なんてほんと悲しいですよ(笑)。(中略)でも、おもしろいことってね、切ない中にあると思うんですね。何か切ないからおもしろい方向に行ってしまうっていうことは絶対あると思うんですよ」と語っている。
出囃子[編集]
- 佐野元春「ダウンタウン・ボーイ」 - 結成当初に使用。
- EPO「DOWN TOWN」 - 『伝説の一日』出演時に使用。
出演[編集]
ダウンタウンとしての出演番組を記載。個人での出演作品は浜田雅功、松本人志を参照。
現在放送中のレギュラー番組[編集]
2015年3月末以降、全ての番組が冠番組である。
- 水曜日のダウンタウン(TBSテレビ系)
- ダウンタウンDX(読売テレビ制作・日本テレビ系)
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!(日本テレビ系)
スペシャル番組[編集][編集]
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日年越しスペシャル 笑ってはいけないシリーズ(日本テレビ)2006年 - 2020年
- キングオブコント(TBSテレビ)2008年 -
- ドリーム東西ネタ合戦(TBSテレビ)2014年 -
- HEY!HEY!NEO!(フジテレビ)2015年 - 2021年
- お笑いの日(TBSテレビ)2020年 -
- お笑いアカデミー賞(TBSテレビ)2021年 -
- ダウンタウンvsZ世代 ヤバイ昭和あり?なし?(日本テレビ)2022年 -
テレビ朝日との関係[編集]
2022年現在、ダウンタウンは『かざあなダウンタウン』を最後にテレビ朝日制作のレギュラー番組を持っていない。2019年3月24日放送『ワイドナショー』(フジテレビ系列)においてゲストの中居正広がテレビ朝日で同年4月から放送される『中居正広のニュースな会』の話題を取り上げると、松本は「皆さんご存じの通り、テレ朝出禁やから」と明かした。松本は吉本の上層部とテレビ朝日の上層部の間で対立が起こり、吉本側が「ダウンタウンを出演させない」と通告するとテレビ朝日側から「いらない」と返事を受けた旨を語っているが、真相は依然不明である。なお、浜田がMCを務める全国ネットレギュラー番組『芸能界常識チェック! 〜トリニクって何の肉!?〜』とスペシャル番組『芸能人格付けチェック』、松本が審査員を務める『M-1グランプリ』はテレビ朝日でも放送されているが、いずれもANN系列の準キー局である朝日放送テレビ(ABCテレビ)が制作している。また、ABCテレビ主催の『M-1』には2005年大会以降、テレビ朝日も本社スタジオを決勝戦会場として提供するなど企画協力として制作に参加している。
受賞歴[編集]
- 1982年 毎日放送 素人名人会 名人賞
- 1982年 第3回今宮こどもえびす新人漫才コンクール 福笑い大賞
- 1982年 フジテレビ 笑ってる場合ですよ! お笑い君こそスターだ! 第32代チャンピオン
- 1984年 第5回ABC漫才・落語新人コンクール 漫才の部 最優秀新人賞
- 1984年 第14回NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
- 1985年 第2回花月大賞 花月新人賞
- 1986年 第21回上方漫才大賞 新人奨励賞
- 1987年 第15回日本放送演芸大賞 ホープ賞
- 1987年 第15回日本放送演芸大賞 最優秀ホープ賞
- 1987年 第22回上方漫才大賞 奨励賞
- 1987年 第7回花王名人大賞 最優秀新人賞
- 1988年 第23回上方漫才大賞 奨励賞
- 1989年 第24回上方漫才大賞 大賞