ズザナ・ルージチコヴァー
ズザナ・ルージチコヴァー(Zuzana Růžičková, 1927年[1][2]1月14日[3] - 2017年[4]9月27日[5])は、チェコスロヴァキアのチェンバロ奏者、ピアノ奏者。[6]
プルゼニ出身。[7]1936年からマリー・シャシュコヴァー=プロヴァズニーコヴァーにピアノの個人指導を受けたが、1940年には人種的な問題で地元のグラマー・スクールを退学になり、翌年には家族共々テレジン強制収容所に収容された。テレジン強制収容所ではカレル・ベルマン、カレル・アンチェルやギデオン・クラインに音楽の手ほどきを受けた。[8][9]1943年から母親と共にアウシュビッツ、1944年にハンブルクのノイエンガンメ強制収容所に回され、1945年に送致されたベルゲン・ベルゼン強制収容所で解放された。[10]解放後は、ピルゼンに戻り、改めてボフダン・グゼルホーファーにピアノを師事。[11]1947年から1951年までプラハ芸術アカデミー[12]に通ってアルビン・シーマとフランティシェク・ラウフにピアノ、オルドルジヒ・クレドバにチェンバロを師事し、[13]1951年に初めてチェンバロによるリサイタルを開いた。[5]1952年には作曲家のヴィクトル・カラビスと結婚。[14]1956年にはミュンヘン国際音楽コンクールのチェンバロ部門で1位なしの2位に入賞し、[15]マルガレーテ・レスゲン=シャンピオンのレッスンを受けた。[5]ミュンヘン国際音楽コンクールで入賞して以降、チェンバロ奏者としてチェコスロバキア国内外で演奏活動を展開したが、共産主義体制下の国内では「封建的で宗教的な」音楽の擁護者として批判の対象となった。[16]1969年には初来日。[17]1979年から1990年までチェコ・フィルハーモニー管弦楽団に独奏者として在籍。[8]2004年に演奏活動から引退。[18]
脚注[編集]
- ↑ Roux, Marie-Aude (2017年9月28日). “Zuzana Ruzickova, la « grande dame du clavecin », est morte”. Le Monde. オリジナルの2023年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年11月21日閲覧。
- ↑ 1928年生まれとする資料もある。(アーカイブ 2023年11月21日 - ウェイバックマシン)
- ↑ “Osudy Zuzany Růžičkové, dítěte z tábora smrti a později první dámy cembala”. Český rozhlas. (2017年9月28日). オリジナルの2023年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年11月21日閲覧。
- ↑ “Zemřela oceňovaná cembalistka Zuzana Růžičková. Bylo jí 90 let”. Lidovsky. (2017年9月27日). オリジナルの2023年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年11月21日閲覧。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 “ZUZANA RUZICKOVA - Harpsichordist”. 2023年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月21日閲覧。
- ↑ ズザナ・ルージチコヴァー - Discogs
- ↑ Nash, Pamela (2017年10月15日). “Zuzana Růžičková obituary”. The Guardian. オリジナルの2023年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年11月21日閲覧。
- ↑ 8.0 8.1 “Biography - Fond Kalabis Růžičková”. 2023年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月21日閲覧。
- ↑ テレジン強制収容所で父親と祖父母が相次いで亡くなった。(Jones, Rebecca (2016年12月19日). “The 'miraculous' life of Zuzana Ruzickova”. BBC News. オリジナルの2023年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年11月21日閲覧。)
- ↑ アーカイブ 2023年11月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ “Plzeňská rodačka a slavná cembalistka Zuzana Růžičková má v Plzni pamětní desku”. Plzeňoviny.cz. (2017年10月3日). オリジナルの2023年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年11月21日閲覧。
- ↑ プラハ芸術アカデミーを卒業後、直ぐに同アカデミーの教師陣に加わり、2000年まで奉職した。(Biography - Fond Kalabis Růžičková)しかし、「教授」の職階を得たのは1990年に入ってからである。(Nash 2017)
- ↑ アーカイブ 2023年11月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2023年3月23日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2023年11月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ 聴衆やコンサートの興行主にチェンバロの価値を説くため、同じ曲をピアノで演奏した後にチェンバロで演奏しなおす形式のコンサートを開いたこともある。(“Zuzana Růžičková / harpsichord – SUPRAPHON.com”. 2023年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月21日閲覧。)
- ↑ “ルージイッチコバー(るーじいっちこばー)とは? 意味や使い方 - コトバンク”. 2023年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月21日閲覧。
- ↑ Langer, Emily (2017年10月6日). “Zuzana Ruzickova: Harpsichordist virtuoso renowned for her love of Bach”. Independent. オリジナルの2023年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年11月21日閲覧。
- ↑ Roberts, Sam (2017年10月3日). “Zuzana Ruzickova, Leading Harpsichordist and War Survivor, Dies at 90”. The New York Times. オリジナルの2023年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年11月21日閲覧。
- ↑ “追悼 ズザナ・ルージイチコヴァー(1927.1.14~2017.9.27) - TOWER RECORDS ONLINE”. 2023年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月21日閲覧。
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